チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

カリンニコフ第一回練習で幕引き

2009年12月29日 13時42分09秒 | オケの練習
 今年最後のオケ練習は「カリンニコフ交響曲第一番」だった。

 冒頭からチェロも一緒に主旋律で始まるこの美しい曲を演奏できるので、なんだか緊張とわくわくを感じながら練習会場に。年末なのでホルンをはじめいくつかのパートで空席がある。
 指揮者にとっても初めての演奏なのか「見てくれよ、このスコアー、持ってくるだけで疲れちゃうよ」とぼやくところがかえって嬉しそう感じる。どうやらスコアーの紙質が悪くかさばっているらしい。

 新しい曲の初回練習は「初見演奏」になることが多いし、譜面に慣れていないところだらけなので、指揮者と一緒に楽譜をたどってみる”散歩感覚”。譜面クルーズって感じで結構楽しい。難解そうな箇所も「えいやっ!」とごまかしながら弾いても「お見逃し」してくれるので気分も楽だ。指揮者もほとんど全体を把握するくらいの感覚なのだろう、声を荒げることは皆無。

 ボーイングも自分なりにやってみて、主席やコンマスを横目に見ながら合わせしてゆく心の余裕もある。これが演奏会間近になると、指揮者が鬼のようになって緊張感バリバリになる。なんとなく最近そんなオーケストラの習熟サイクルが分かってきた。

 さて2時間半の練習でカリンニコフ1番を一通り演奏したが、定期演奏会で同時演奏するベートーベン第6「田園」に比べてやさしいと感じたことが意外だった。いや、田園の方がはるかに難易度が高い気がする。

 なぜだろう・・・考える・・・

1)まずはあまり知られていない曲と、誰もが知っている曲の違いからくる安心感
2)カリンニコフは民族的で日本人の心にまっすぐ届いてくる親しみを感じる
3)巨匠ベートーベンという存在は「犯しがたい」威厳をもって迫ってくる

これらは心理的な違いだと思うけど

4)楽譜自体、田園の方には難しいアルペジオや、速い乖離音がある
5)ベートーベンは表現のダイナミックレンジというのか、心の幅がでかい
6)巨匠は生き方のとおり、真剣に、全身全霊を要求していると感じる
 
 ざっくり言うと、カリンニコフにはミスや失敗が目立たない、あるいは分からないで進むこともできそうだけど(本当はだめだけど・・)、田園にはその欠片も許されない感覚があるんだなー。

 そんなこんなで今年最後の練習は楽しく終わったが、カリンニコフを形にしつつ、本命「田園」を思うと、嵐の前の静けさのような気もする。

 そして、午後からは恒例となった、東京での学友とのアンサンブルに向かった。残念ながらワレワレはいわゆる「アラカン」。本人の体もも心配だけど多くの人たちが親の介護、親との別れの季節に入ってきている。バイオリン嬢もまさにその渦中。フルートで補いながらデコボコアンサンブルは早々に終了。忘年会では同年代同士、普通の感覚とはまったく違う気楽な時間をすごすことができた。 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『路上のソリスト』をDVDで見た。

2009年12月19日 21時54分18秒 | その他雑感
『路上のソリスト』はチェロ弾きのホームレスの話。

 この映画は「ロサンゼルス・タイムズ」紙の記者スティーヴ・ロペスがホームレスの音楽家ナサニエル・エアーズとの交流を綴った連載コラムを映画化した内容で順ドキュメンタリー。
主役のナサニエルは貧しい黒人家庭に育ったが、天才的な才能を発揮してジュリアード音楽院に進学。将来を嘱望されていたが精神を病み、路上生活者となっていたのを記者のロペスが発見して記事に取り上げて有名になるというプロセスが映画となっている。

 ジェイミー・フォックスが主演となれば、どんな演奏シーンが見られるのかと期待していたが、演奏シーンはあまり多くはなく、二弦しかないバイオリンを路上で弾くシーンや大学のオーケストラから浮き上がり離脱してゆく哀しい場面が出てくる。
 嬉しい場面では、記事を読んだ読者が「自分は歳をとって弾けないから」と提供したチェロをナサニエルがトンネルの中で引き始めるシーンや、ホームレスの施設で彼が演奏を始めると精神を病んでいるホームレスがチェロの音に聞き入り静かになる場面。「やっぱりチェロはいいなー」と思わせてくれる。

 アメリカの音楽映画といえば「奇跡のシンフォニー」や「グレンミラー物語」などの成功物語やハッピーエンドで終わる映画が好きなんだけど、「路上のソリスト」はなんだか重い気分になってしまい、2回見る気持ちにはなれそうもない。ロサンゼルスのホームレスの荒れ果てた状態のリアリティーばかりが迫ってくるからか。それだけジェイミー・フォックスの演技が本物ということなのだが・・・

 この映画の副産物として、ベートーベン第三交響曲「英雄」と同時期に作曲された[Triple Concerto]を買ってしまった。実は映画の最後にチェロ3重奏が聞こえた気がするのだけど、その名前を知りたくてエンドタイトルを追ってゆくと「Triple Concerto」という文字が出てきた。これかもしれないという勝手な思い込みに基づいて即amazon.comしたんだけど全然違った。

 しかし結果としてこのCDはGreat Recordings Of The Century というシリーズらしく、リヒテル、オイストラフ、ロストロポーヴィチとカラヤンのベルリンフィルの組み合わせで素晴らしい演奏が聞ける。たったの800円代で買えるのも奇跡的だ!

 しばらくはこの聞き慣れない三重奏曲と、ブラームスの「Double Concerto」を聞き込んで好きになろうと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カリンニコフの楽譜を「画期的方法」で製本した

2009年12月13日 00時27分08秒 | その他雑感
 カリンニコフの楽譜が届いた。

 演奏会の半年前になると、いつも楽譜委員からパートリーダーを通じて新しい楽譜が届けられる。初めて楽譜見る時はちょっとスリルがある。
  Q自分のパートがどんなになっているのだろうか?
  Qチェロの主旋律はあるだろうか?
  Qトンでもない難しいフレーズはないだろうか?

 しばし楽譜を眺めたり、CD聞きながら譜読みをしたあとは時間を見つけて「楽譜の製本」に取り掛かる。オーケストラの楽譜は非常に高価で、財政乏しいアマオケではいつでも新しい譜面を購入できるわけではなく、よく使われる楽譜はアマオケ同士で貸し借りをしている。オリジナルの楽譜を作曲家から借りて演奏することもあった。
 となると、借りた楽譜であれ、団所有の楽譜であれ、汚したり無くしたら大変。そこで練習用にコピー譜を作ることになる。これが僕の言う「楽譜の製本」だ。自分たちの練習用なら著作権的にも問題ないのだろうか・・・ちょっと心配だけど。

 楽譜はなぜかB4版が多いと思う(最近ビジネスでは使われなくなった)。交響曲だとページ数が20ページ以上になるので、B4のような大判のコピーの束をどうやったら使いやすい譜面に製本できるのか工夫はしてもなかなか格好つかない。 特に本番に持ち込む場合などは、ページが曲がっていたり、盛り上がってしまて同じプルトの表裏のどちらかの奏者にとって見えにくかったり、譜めくりがやりにくかったりするので困るのだ。

 それと、楽譜の見開きページの設定(つまり譜めくり箇所の設定)は特に重要だ。楽曲の切れ目や「休符」が多い部分で譜めくりできるように製本できればいいけど、変なところでページ同士をくっつけると、あとから”部分譜”を作って貼り付けたり、皆と譜めくりのタイミングが違ったり格好つかないし、使いにくくなる。

 楽譜作りで苦労している私に「簡単できれいに作れる方法を教えます」と言って画期的な[楽譜の製本]方法を教えてくれたのは”結婚退団”されたチェロの主席だった。

 準備するものは①スティック糊②サージカルテープ③ガチャック(デュアルクリップ)がいわば「三種の神器」で、いずれも100均で間違いなく安価で買える。
ちなみに①はご存知のマニキュアタイプの糊②は怪我をしたときに傷口にガーゼを当てて留めるためのテープで、良く付くだけでなく紙製なので手でちぎれるしカサ張らない③はダブルクリップの取っ手が無いクリップをガチャガチャと押し出して紙を挟むもので、ダブルクリップのように邪魔な部分が無く、しかもしっかり締め付けてくれる。クリップの玉(デュアルクリップ)が入っていて105円で手に入る優れもの。

 「楽譜の製本」手順はというと・・・
1)まず一番大事なのは、譜面の順番、上下、どこを見開きページにするか確認仕切ること
2)紙がきちっと整頓されているか、ここをいい加減にすると見栄えが悪くなる
3)完成した時にめくる側(普通正面から見て右側)をガチャックで留める
4)閉じる側(背表紙の部分)を手前に持ってきて、見開きページの裏側をサージカルテープで3箇所ほど留めてゆく。(20ページの楽譜ならこの作業を9回繰り返すことになる)
5)今度は閉じる側(背表紙側)をガチャックでしっかり固定し、めくる側(右側)のクリップを外す(右側を先に外すとバラバラになる)
6)今後は、めくる側(右側)を手前に持ってきて、譜面の裏同士をスティック糊でくっつけてゆく。(これも20ページなら9回貼り付け作業をすることになる)
7)今度は最後の作業になるが、閉じる側(背表紙側)を手前にして、クリップを取り外し(もしずれることが心配なら、開く側(右側)を再度ガチャックで固定しておいて・・)、先ほどサージカルテープで留めたページの裏側同士をスティック糊で固定してゆく。
 以上7ステップを終わると、楽譜は完成である。

 このプロセスで「楽譜の製本」を行うと、出来上がった楽譜の表面からは一切テープが見えないし、見開きページはまるで1枚の紙のように切れ目のない、平らな表面になるのが嬉しい。またページめくりも極めてスムーズに行える。

 沢山のエキストラが必要な時、チェロ全員で上記7ステップの作業を行ったことがあり、全員で作業するのは久しぶりに楽しかった。その結果すっかりこの製本方法が気に入り、今日もカリンニコフをこのステップできれいな楽譜にすることができた。

 いつもここまではいいんだけど、本当の音楽はここから始まるのだ。

 さー明日から練習しよっと!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豪華で、懐かしさも感じた弦トレだった

2009年12月06日 23時08分34秒 | オケの練習
  オーケストラの「弦トレ」に何回か参加して、プロのトレーナーからのポイントを絞った、ちょっとしたアドバイスや曲の解釈の仕方を聞くことで、弦のアンサンブルが見違えるようになる体験をしてきた。

 白鳥の湖でもブラームスの交響曲第三番でも、最近ではスターウォーズでも、チェロ一筋のトレーナーさんだけど、チェロでバイオリンやビオラパートを演奏して見せてくれたりくれたり、大いに助けていただいた記憶がある。

 学生時代はホルン吹きだったので、管楽器トレーナーに習っていたけど、いつも弦楽器トレーナーの先生に片思いしていたかもしれない。だって管楽器の人って体育会系の人が多くない?って気がする。それに僕の時代、少なくとも金管には女子は1人もいなかった。管全体ではフルートにわずか女性がいたけど、野郎ばっかりのトレーニングではいかにも汗臭い体育会系だよね。

 それに比べて弦楽器は圧倒的に女性が多く、トレーナーの先生も男性ながら上品な感じたったし、管楽器に比べ、一人ひとりが自己主張しない弦の集団が羨ましい気持ちがあった。でも若造だったので「弦楽器は軟弱なり」などと強がっていたなー。
 本当は、「弦トレって何やっているんだろう」とか特に合宿では弦と管が分かれて練習するので「弦楽器は何やってるんだろう」「女の子も多いし和気藹々としていいなー」などと感じていたのを思い出してしまった。それにジャンケンで負けて担当出来なかったチェロを、1年後輩が弾いているのを見ると「つきが無いなー」などと思ってもいたのだ。

 そんな40年近い古い記憶をよみがえらせながら弦トレに参加していると、学生時代の弦トレも今日指導してくれたトレーナーの先生のように、優しく、受容的で、支援的な合奏練習が行われていたんだろうなーという想像ができてきた。

 さて今日はもう一つ楽しみが加わっていた。普段は力不足のメンバーに対してトレーナーの先生からの「特訓」となるのだけど、もう1人最強のプロの先生が特別参加してくれて、耳を楽しませてくれたのだ。

 そのプロのバイオリニストは、バイオリンは勿論大きなコントラバスまで全ての弦楽器を即座に持ち代えて演奏できる「魔法使い」みたいな女性なんだけど、今日はバッハのフルート協奏曲のソロをバイオリンで完璧に演奏してくれ「これって初めから弦楽だけの組曲?」と思わせてくれた。

 合間に彼女が「白鳥」のピアノ伴奏をいたずらに弾き出したら、チェリストのトレーナーの先生が即興で弾き始めた!ぅわー!と会場・・・という風に、二人のプロが参加した弦トレは贅沢な演奏会でもありました。
プロの力は凄い!バイオリン1本、チェロ1本で全体に大きな影響を与えてくれる。

 ついでに新しい経験もあった。冬のコンサートに参加できないので、本日の最後の練習曲「マイスタージンガー」は見学させてもらった。これまた不思議な感じで、学生時代はホルンで参加したことがあり、当時の思い出がどんどん蘇ってきた。ホルン席から、弦の動きを感じていたけど、前半に練習したバッハの世界とあまりに違ったワーグナーに酔いそうな気持ちになった。

 バッハが「コスモ的」だとすればワーグナーは「ディオニソス的」なのだなー。うねりが重なり、交じり合い、のしかかりあうようなその動きは、肉食的でもあるとも感じる。
 マイスタージンガーの由来も分からないけど、何かおどろおどろしいエネルギーがこのような曲をこの世に出現させていると思わせる。そして熱にうかされてこの曲は終わるのであったなー。学生時代の感覚と全然変わってねいなー。

 という弦トレ、なんだかとても楽しい時間を過ごすことができた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりの観劇 ミュージカル「グレイ・ガーデンズ」

2009年12月05日 22時10分51秒 | コンサート
日比谷のシアタークリエで「グレイ・ガーデンズ」を観てきた。

演出:宮本亜門、大竹しのぶ、草笛光子中心のミュージカル。2幕仕立てで間に25分の休憩がある。

 演劇門外漢の僕がなぜチケットを買ってしまったのかは自分でもなぞ。草笛光子も大竹しのぶも好きな俳優だからかもしれない。しかも落ちぶれて高齢になっての親娘のやり取りが面白そうだったし、草笛さんが高齢を押してミュージカルにチャレンジしたことを賞賛したかったから・・・。

 雨の日比谷、帝国ホテルに車を突っ込んで、チケットを見せてレストランで食事すれば駐車場代が無料になるという特典に誘われて1Fのレストランでちょっとコーヒーでもと思ったが、ついつい二人でクラブハウスサンドやらアップルパイやら頼んだら、やっぱり一枚を拠出するはめに。駐車代はらって、近くのタリーズでお茶すればよかったかも。

 さて、久しぶりの観劇の印象
1)第一幕は、ケネディー家に嫁ぐ当日に破談となるシーン。地位も富も名誉も美貌も持ち合わせているタカビの一家を演じているのだけど、なんだかアメリカ人の強気の感覚を日本人が演じることに「違和感」があってイマイチ乗れなかった。

2)ところが二幕に入り、まさに度肝を抜かれたのは、大竹しのぶの姿。セレブだった彼女が、30年を経て零落した姿は、まるでオバサン丸出し。贅肉のついた体を水着で包み(よくスポーツセンターでオバサンたちがプールを歩いている格好そのもの)、しかもよせばいいのに黒い網タイツの上にミニスカートを上下逆さまに履いて、頭はマフラーみたいなスカーフをかぶって・・まるでロシア人形(中から何個も出てくるこけし)のお化けみたいな格好で出てきたときだった。実はブロードウェイの原作でもこの格好だったらしいのだけど、あまりすざましいおばさん姿にのけぞってしまった。

3)しかしそのオバサンが可愛いくなってゆく。これは大竹しのぶさんそのものの可愛いさなのだど思うのだけど、歌っても、母子で言い合いをしていても、泣き言を言っていても彼女の可愛さが包み込んでゆくため、いつの間にかそのトンデモナイお化け姿に魅了されてゆくのだった。この気持ちは会場を埋め尽くした600名の観衆全員の思いだったろう。

4)だからカーテンコールに大竹さんが登場したとき(なんとカーテンコールもそのみっともない、噴飯もののオバサン姿なのだけど)拍手は鳴り止まなかった。その姿にプロの女優の凄さ、大竹さんの才能の素晴らしさを感じたし、素直に心から拍手を送った。

5)草笛さんがカーテンコールに登場した時は、大竹さんと全く違う感情が湧き出てきて、思わず涙がでそうになった。大スターの貫禄というのか、杖をついた老婆の役ながら、素晴らしい存在感を感じさせてくれた。大竹さんなしにはこのミュージカルの成功は無かったけど、草笛さんの演じた女の生き様がバックに無ければ大竹さんもあそこまでやれなかったと思う。

6)その他の印象
 ①休憩時間の女性トイレの混雑振りは過去最高だったかも。劇場の左右を2~3列の女性が列を成して埋め尽くしていた。さすが日比谷なのか、オバサンは誰一人男子トイレに進出してこなかったな~。女はなんであんなに時間がかかるんだろう
 ②日比谷地区は喫煙者絶滅状態。ホテルで、シアターで「どこかでタバコ吸えますか」と聞いて歩いたけど「バーなら・・」という答え。ホテルのバーだと一杯千円を越えるよな~タバコ一本1500円くらいの見当になるよなーと諦めた。(実はコーヒーショップが地上にあったのだが)
 ③ついでに、大変面白い舞台設定だったと思う。他は知らないんだけど、二階の部屋、一階の部屋、邸宅の外・・これらのシーンを、カーテンを下げたり、壁の一部を動かしたりするだけで、全く違った世界に連れてってくれる。こういうのも演出家が考えるのだろうか・・

 かくして、久しぶりの東京観劇ツアーは終了。結果は大満足、出演者、演出家の皆さんに感謝。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カリンニコフが待ち遠しい

2009年12月04日 00時44分20秒 | チェロ
 ウィキペディアによると・・・
ヴァシーリー・セルゲイェーヴィチ・カリーンニコフ(Vasily Sergeyevich Kalinnikov, 1866年1月13日 - 1901年1月11日)は、ロシアの作曲家。とある。

 カリンニコフの名前を初めて聞いたのは、来年の定期演奏会のメインに「田園」を決めたときだった。ベートーベンの交響曲だとトロンボーンやらチューバやらの出番がないので、何か活躍できる曲を加えなければ・・とみなで思案しているときから名前は出ていたのだ。なかなか演奏曲の選定は難しいので、指揮者からのサゼスチョンも参考にカリンニコフの交響曲第一番に決定した。しかし、誰も知らない、いやほとんど知らないまま、マエストロの推薦なら間違いないということで決まったのだった。

 金管の出番を考えた選曲というと、金管ががなり立てるような曲かもしれない。それに田園も交響曲、カリンニコフも交響曲となると演奏会のメニューとしてどうなんだ・・・などと思いながら、自分としてはオケで新曲をやることになったときのお決まりコースに入っていった。

 まず何はともあれ、音を聞きたい。YOUTUBEにカリンニコフと入れてみる。ところが出てこない。「やっぱ誰も知らないんだ」などと考えながら、WEBサイトで検索すると、ウィッキーさんがカリンニコフとはKalinnikovだと教えてくれる。「そうかやっぱ日本では全然知られてないんだ」と思いながら再度KalinnikovをYOUTUBEに入力し検索すると出たきたのは渋いロシア風の本人の写真だった。

 なんだか古めかしいなーと感じたが、一度聞いてみて驚いた。金管ガンガンどころか、懐かしい、切ない、土のにおいのしみこんだ、それでいて洗練された音楽の世界が広がってゆくではないか! これはトンでもない勘違いをしてしまった。YOUTUBEで聞ける限りの演奏を聞いてみて、どんどん心引かれてゆくのだった。

 次の段階はamazon.comだ。リコメンドを頼りに「1クリック」で即発注。届くまでの間はYOUTUBEからダウンロードした曲をiPODに入れて持ち歩く。

 そして待ちに待ったCDが届いたのは、発注してから2週間かかった。日本語なのではじめ気が付かなかったがアメリカのどこかから送ってくれたようだ。
 
 それからは愛カリンニコフ、愛しいカリンニコフの日々が続いている。
ステレオで聴く、カーステレオで常に掛けておく、そして新たにロードしたipPODで聞きながら通勤、今は旅の友のスピーカーからも流れている。

 カリンニコフのどこがいいって、最初から全部素晴らしい。第一楽章ではチェロのソリもあるけど、それのあとバイオリンの波に乗って笛たちが縁取りをするように盛り上げてゆく旋律の素晴らしさ。第二楽章では粉雪の舞い降りるような静かなハープの導入の後、おそらくファゴットのハイトーンに導かれ(彼は大学でファゴットを学んだそうだ)そのあと切ないオーボエが美しく主旋律を歌い出す。

 「どこを取っても歌うような」・・・とチャイコフスキーを褒めているドラマがあったが、数少ない楽曲を残し34歳で世を去ったカリンニコフこそ素直で分かりやすいメロディーメークとオーケストラに歌わせる天才かも知れない。

 こうしてあっという間に、一日も早く譜面が届き、みんなで鳴らしてみたいNO1の曲になってしまった。無論田園は大好きだけど、やっぱロシアらしい哀愁は体にしみ込む。僕は音楽を聴くのは好きだけど、周りで様々な楽器が鳴っているそのオーケストラの中只中にいるのが一番好きだ。カリンニコフの第一交響曲はそんな楽しい時間をいっぱいくれること間違いない。きっと田園と一緒に演奏してもお客さんは満足してくれるだろう。楽譜をもらえる日が待ち遠しい。

 ん? でも どっちがメインになるんだろう?

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする