チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

克服したい課題 ① 「速いパッセージ」

2008年08月26日 19時58分40秒 | チェロ
 夏休み明けの練習に参加した。Carmen,West side storyさらにVerdiのレクイエムと続く。夏休み中も「それなりに」さらってみてはいたけど、どうしても追いつけない、落ちてしまう部分に突き当たる。指揮者はややゆっくりのテンポで練習してくれているのに情けない。

 春の定期演奏会までは「8割弾ければ自分を褒めてやろう」くらいのノリで済んでいたが、ここまでくるともはや7割だ8割だとは言っていられない。要するに音楽を演奏する一員として、落ちてはいられないサビであり、音楽を構成する要素である部分は弾きこなせなければならないのだ。
 もはや自分で自分を許せないし、その程度では自分が面白くないのだ。でも「できない」という矛盾。ここをどう克服してゆけるか。ここからようやくチェロの一員としての練習が始まるということなのか。

 さて「それなり」の練習などではとても克服できそうもない部分とは・・・できないことだらけだが、まずは「速いパッセージ」。 
 West side storyなら、♭4つ、6/8拍子、Allegroという「環境」下で、1小節に14個の音符で構成された二段階のスケールがある。 最初のスケールはE♭から上のCまでの6音、後半は5線譜真ん中のD♭から上のD♭までの8音。グリッサウンドに近い速度だけど、これだけ♭があって、3弦に渡るスケールを一体どうやったら弾きこなせるものなのか、皆目見当もつかない。

 隣の先輩を見ても、どうやっているのやら。弾きこなせているものかどうかも分からない。このての部分になると、木管楽器やらバイオリンが一気に駆け上るので、チェロの音などたいして気にならないとも言えるし、指揮者も「どうせできねーだろうなー」ということなのか、このような早いスケールの部分はあまりチェックしてこないので、何となく過ぎていってしまう。

 でもオーケストラの音楽に無駄な音は無いはずだし、こうした部分で音の違いは感じられるのだから、なんとしてでもクリアーしたいと思う。昨年までなら、スケールの出だしの一音だけ合わせられればそれで良しとしてきたが、そんなことでは自分が納得できないのだ!・・・でもやっぱり「できない」

 自宅に戻って練習してみても、速い音符の連なりのうちの何音かは音が出ても、全体としては「雑音」つまりノイズとなってしまうので、やる気も失せる。そして「運指が違うのか」「ポジションの取り方が違うのか」「いや練習が足りないんだ」「でもこの運指でいいのか・・・」と堂々巡りとなる。

 同じような速い部分はCarmenにもVerdiにも当然現れてくるので、難しい部分を集中して克服したいと思って練習してみるのだが、なかなか続けられないのが実態だ。自分の弱い心を責め、先輩やら主席チェリストに聞いてこない己が悪いと責めてみるが、一方で案外アマオケの皆さんとじっくり話し合う時間はないのも現実なのだ。それに、それぞれが目いっぱいの時間をやりくりしている中で、一方的に依存できるほど、甘くはないと感じている。(圧倒的に力があるエキストラさんならワンポイントレッスンをしてくれるときがあったなー)

 こうした難所を見つめると、やはり素養、基礎の訓練を通過していないからだと思う。昨年買っただけでほとんど手付かずのままの「ウェルナー」やら何やらの教則本を引っ張り出してみるが、ページをめくり、眺めてしまう自分がいるだけ。なかなか進めるわけではない。

 9月には、チェロの先生の「弦トレ」もあり、そういった場を通して、年月を掛けて、一歩一歩進むしかないと思うこのごろなのだ。
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新しいGEWAのチェロケース

2008年08月17日 11時01分38秒 | チェロ
 GEWAのチェロケースについて、使い慣れてしまうと無自覚になるので今のうちにいくつか気付いたことを書いておこう。

ポイント① 色とイメージ
 今まで赤だったのが青味がかったグレーになった。その色と形状から感じるのは、いかにもドイツ的なたたずまいということ。質実剛健とでもいうのか。購入時に一番迷ったのはフランス製のケースだった。センスとイメージを優先すればフランス製だったが、使い勝手だけから選べば、ドイツ製がいい。このことは自動車でも同じ印象だ。どうしてもそのお国柄というのが出るらしい。
 だからか、部屋に入るたびになんだか実験室に入る気分(ドイツ=サイエンス=化学というステレオタイプにすぎないのだが)。このケースではもう少し青いものもあるらしいけど、なんというか歯医者さんのメカの色なんだよね。

ポイント② 機構(構造)
上蓋が大きく、下蓋を覆う形式。今までのケースは上下が同じ大きさで接合部分でうまく噛み合うようになっていたが、GEWAでは蓋の方が一回り大きく、大げさに言えば電気スタンドの傘をかぶせる感じ。こういう構造だと、ケースを平らに寝かせている限りどんな雨でも浸入することはない。ひょっとすると留め金を少なくするために必要だったのか。

ポイント③ 取っ手(持ち手)
 ケースの肩の部分に持つところが付いているのが便利。チェロケースは立てたまま移動することも多いと思うが、これまでは片手で運ぶ時はネックに腕を巻きつけて運んでいた。取っ手があると片手でヒョイッと持ち上げて運べる。長距離を運搬するときにもこの取っ手は役立ちそうだ

ポイント④ 上蓋と本体とを結ぶリボン
 このリボンは、上蓋がバタンと開きすぎないようストッパーの役割をしているもので、どんなスーツケースにもついているあの紐のこと。これまでのケースだと、どうしてもこのリボンが蓋の間に挟まってしまい、面倒くさいものだから、いつもケースからそのリボンがはみ出たまま持ち歩いていたっけ。
 GEWAさんは、そこにちょっとしたゴム紐をさらに90度にくくり付けてくれていて、蓋を閉めるときには自然と内側にリボンが引き込まれるようになっている。ここら辺は演奏者からのクレームなり、改善要求なりが届いている結果だと思う。これこそ歴史?

ポイント⑤ 留め金
 これが一番ありがたいかな。今まで7箇所あった留め金が4箇所になっている。しかも4箇所全部が左右で言う片側に集中的に配置されているので、わざわざケースの向こう側に手を回さなくて済むのでありがたい。無論ケースを立てた時に下側を覗き込む必要もなくなった。あー楽だ~!

 まーここまで列挙してみて「買ってよかった」と自分で自分を納得させているのだが、こんなことしている場合ではないんだよなー。今日で夏休みも終わり。明日からまた仕事と仕事以上に緊張するオーケストラ生活が始まるのだ。

「夏休み練習するぞ!」「たまった仕事、全部片付けるぞ!」と意気込みはすごいんだけど、全く手付かず状態。小学校の宿題と同じで、あっという間に最終日。その最終日にもこうやって時間を過ごしている自分・・・8月31日夜中1時過ぎまで宿題をやっていたことを思い出して、なんだか憂鬱になってきたので、ここでおしまい。
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初めての「毛替え」と弦の交換

2008年08月16日 22時30分00秒 | チェロ
 チェロを購入したのは昨年の3月19日だった。それから1年5ヶ月、素人奏法による酷使で弦も弓の毛も痛んでいるに違いない。この夏休みの予定の一つが「毛替え」と弦の張替えだった。チェロの先生がそろそろ弦を交換した方がいいかもしれない、とおっしゃったのもきっかけになった。

 この1年半、見よう見まねで演奏してきたので、毛のキューティクルは擦り切れているに違いない。最近でこそ弦の一点を弓で捉えて鳴らすという感覚をつかめてきたが、それまでは闇雲に力任せに押さえつけて弾いていた。本来弓の毛は弦の一点を捉えたら、弦を響かせて演奏するために必要なだけ移動すればいいはずなのだが、力任せの場合は不必要に滑らせ、まるで弦という「針金」にこすり付けしごいている状態になっていたに違いない。

 それともう一つ弓の毛で気になるのは、フロッグ(毛箱)に近い手元部分の5センチくらいに、手の油が付着してしまい、うまく松脂が乗らないため演奏しにくくなっていたことがある。ピッチカートのやり方も分からず闇雲にやていたころは、まるで鷲づかみ状態。しかも初ステージなどでは全身汗だく状態だったからさぞかし多くの脂汗を吸い込んでしまったことだろう。実は、こんなこと弦楽器の先輩にはとても話せないが・・・弓の毛がべたつくので、シャンプーを使って洗ってみたこともある。恐る恐るだったから余計駄目だったのかもしれないが、大した効果は得られなかった。
 その後ピッチカートの時の持ち替え方を教えてもらってからは、少しはましになったものの、今でもpizzとarcoの早い切り替えの時はどうしても弓の毛を触ってしまうことが多いのだが。

 さて弦について。購入時の弦はA,Dがクラウン、G,Cがスピロコアだった。何のことかも分からず、弦の種類や、演奏の時の違いも分からず弾いていたが、二回目のコンサートでエキストラの方から「見たこと無い弦ですね」「なぜ分かるんですか」「黄色い糸が巻かれた弦は珍しいですよね」と言われ、どうやらマイナーな弦なので弦もそろそろ考え方がいいのかも・・・と思っていたところだった。

 自分でもA線については何となく気になっていた。他の人のA線の音色と比べると、ちょっと細くて金属っぽい音がしてイマイチだなーと思っていた。購入当時は、他の人の楽器に比べ自分のチェロ、特にA線が柔らかく大層弾きやすいと満足してはいたのだが、もっと深みのある太い音を出したくなったのだ。A線以外については満足していた。いろいろなサイトを見ても、高音はラーセンで、低音はスピロコアという組み合わせが「定番」なのかなと思って、その組み合わせにしてもらった。

 毛替えはプロの仕事だけど、弦の交換は自分でやるものかもしれないが、この際と思って、どちらも楽器を購入した店を予約して、職人さんにやっていただいた。約1時間待つ間に、楽器ケースにも不満があったので、何点か見せていただいて迷いに迷った挙句、結局ドイツのGEWAという会社の新しく国内に入荷したケースも購入することにした。
 ケースの何が不満だったかというと、最大の問題は上下のケースカバーのかみ合わせがイマイチで、立ったままでの収納に手間取ることが一つ。もう一つは、留め金(7箇所あった)そのものが、チャチなためうまく掛からないことがしょっちゅうあったのだ。その点GEWAはよく考えられていて、たった4箇所を止めるだけでぴたっとはまるし、細部が使用者の視点でよく考えられている(中国製の製品も見たが、素材は高級でも使用感に歴史の無さを感じてしまう)

 そんな散財をしているうちに毛替えが出来たので試し弾きをしようとしたが、新しい毛には松脂が全く塗られていないので音が出ない(当たり前だ)。早く音を鳴らしてみたいので、即自宅に持って帰って、新しい世界を経験することにした。はやる気持ちを抑えながらの運転ではあったが(なんせ免停一歩前也)1時間で帰宅、即練習を開始。

 ところが、新しい毛というのは、なかなか松脂が乗ってくれない。弦も新品、毛も新品とはこんなものなのかと、試行錯誤を繰り返すうちに、ようやく弦に毛が噛み始め音が出た!

 おー!いい。A線から出てくる音の違いに驚いた。クラウンと明らかに違う太い豊かな音色だ。この音なら先輩諸氏のように渋い演奏も出来るかもしれない。しかしG線にはまいった。なかなか太い豊かな音になってくれない。古い弦では出せていた音色にならない原因はまだ分からない。弦そのものの個体差なのか、松脂の付き方なのか、毛の張りの違いなのか・・・次のレッスンで先生に聞いてみようと思う。
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「運命」導入部のボーイングに秘められた技

2008年08月13日 00時57分32秒 | レッスン
 久しぶりにプロの先生を訪ねる。「田舎暮らし」をしている先生宅の家庭菜園には強い日光を避けるための黒いネットが掛けられている。今年の猛暑を象徴しているようだ。でも先生のレッスン室はエアコンがよく利いていてさわやかだった。

 チェロを購入して1年半経つが、弦や弓の毛の交換をしていないので「どの弦がいいですか」という話題から入る。「どの弦がいいかは楽器との相性もあるからなー」といいながら、早速先生は”チェロの整体”を始めてくれる。弦の交換の話をしたからか、いつもと違ってA線からC線まで様々なポジションで音を響かせ、各弦のハイトーンをとりわけ入念に鳴らしたあと「G、C線は今のスピロコアのままで、A、Dはラーセンでいいと思いますよ」とアドバイス。ラーセンは以前ヤーガー社?が作っていた弦を引きついているとのこと。

 楽器と弓を渡されレッスン開始。「どうせ今日も基本の基本のダウンボーイング一本勝負だろうなー」とG線をダウンで弾くと「いいですね」と意外な答え。「ではD線で」これもクリア。G線、C線のダウンボーイングを通過すると「今度はA線でのアップをやりましょう」ということで、A線のアップにとりかかる。

 レッスンでのボーイングの基本要領は・・・「弦は駒ギリギリのポイントで、弓を目いっぱい広く使って、親指と中指だけに力を入れ他の指は触れる程度に、肩から腕までは力を抜いて」という状態を保たねばならない。ダウンではこれが出来てきたのだと自分でもわかって素直に嬉しい。
 しかしアップとなるとどうしてもどこかに力みが出てしまうらしく、音が途切れたり、圧力がかかった音がしたるりする。先生は「力が入りすぎて楽器が拒否反応を起こしているんです」と改めて模範を示したあと、私の腕を何回か両手でマッサージしてくれる。どうやら楽器の整体だけでなく、生徒の腕の整体も引き受けてもらってしまっている感じた。

 しばらく練習すると、アップもそれなりに出来るようになったが、C線でのアップがどうもいただけないのが自分でも分かる。以前から先生は「弦との接点を弓の毛の一本から始めて、噛んでくる一点を捉えて、その信じられる一点をずらさずに弾き切る」という風に指導してくれている。最近接点を「一点」にして、弦全体を大きく振動させる感覚が分かってきただけに、C線ばかりは、どうにもツルツル滑ってしまい、上手に一点を捉えられない。先生が交替しても始めは一発で捉えられなかったので、これも「毛替えの必要性」を示しているのだろうかなどと思っているうちに、やはり先生はスムーズにC線を捉え始め、太いC線を大きく、速く、豊かに鳴らして見せてくれるのだった。

 はてさて、先生のボーイングを見て改めて気付いたことがある。低音部の弦だろうが、速いパッセージだろうが、音が大きかろうが小さかろうが、先生のボーイングには無駄な力が入っていない(押さえつけていない)ことは一目瞭然だった。
「先生今も力はいってないんですか?」
「大きな音を出すときはどうするんですか?」
「例えば、秋のコンサートではベートーベンの第5番『運命』の第一楽章をやりますけど、あの冒頭のダダダダーンは(G線とC線のフォルテシモなのだ)どうやっているんですか?」
と矢継ぎ早に質問をしたところから、いきなり「運命」のレッスンに発展していったのだった。

 始めは何のことか分からなかった。弓をしっかり持って、G線にV字型の角度で短いアップダウンを繰り返すように指示された。「え、今まで毛の一本から丁寧にアクセスして弦を鳴らせ切るというレッスンだったのに、弦に弓をぶっつけるの・・・?」と戸惑いながらいちにいちに・・・すると、先生は弓を取って「もっと激しく」と実演。まるで弓全体を弦に打ち付けているようだ。

 交替して自分も練習をする。なんだか楽器を演奏しているというより、ギャンギャン、ギャンギャンという激しい音がして、ネコの尻尾を踏んづけている気分なのだ。しかも強く打ち付けるのでG線だけでなく、CやD線も鳴らしてしまっている。「こんなんでいいんですか?」「それでOKです」という。

 かくしてG線への”V字攻撃”が何とかやれるようになると、G線でのアップ⇒ダウン⇒アップ⇒C線でのダウンと続ける練習に。すると唖然、びっくり、おったまげた!これこそ正に運命冒頭の、激しく、厳しいダダダーンそのものだったのだ。まるで狐につつまれた状態で言葉も出ない。

 これまでの自分は冒頭の速いffのダダダダーンをそれなりに弾いていたつもりだったが、まさかこんな風に弓を思いっきりぶっつけるような激しい演奏は想像すらできなかった。以前は、ひたすら力任せに弓を押し付けて、左右にダダダダーンと弾いてはいたが、音楽性は全く違ったものだったんだ。まるで世界がひっくり返った気持ちだった。

 この奏法は、先生の解説を聞くと理にかなっていた。いままでコツコツ練習してきた「弦と弓との一点の接点を大事に、弦を鳴らせ切る」という原理が、正に”V字アタック”の瞬間瞬間に活きているのだった。ただ弓を弦に叩きつけているだけでは弦は鳴ってくれない。V字に弓を打ちつける瞬間に、弓と弦が一点を共有し、その一点から振動が一気に広がる・・・恐らくこんなことが起きているのだと思う。それが実現するためには、弓をしっかり持ち、一点に向けて、力任せではなく腕の重さを使って自然に打ち下ろし、弦の反発力で自然に弓が返る・・そんなタッチが必要なのだ。

 この奏法をやっていて不思議に感じたのは、自分が演奏しているときの音質と、先生の演奏を離れて聞いているときの音質が全く異なっているということ。自分がやっているときは、ギャギャ!ギャギャ!としか音が聞こえず、雑音を出しているとしか思えない。先生に「これでいいいんですか」と何度もくどく聞いてしまったほど。「それでいいんです、よく音が出ている」と言われてもにわかには信じられなかった程だ。

 「これが出来てなかったということは、僕はちゃんとした音楽やってなかったですね」「アマチュアではそんない多くはやっていないでしょうね」と先生。
このほかにも、アマとプロの違いをいろいろ教えていただき、まことに収穫の多いレッスンだった。
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宮崎駿の「プロフェッショナル」に感動

2008年08月07日 01時07分06秒 | その他雑感
 武道館での久石譲のコンサートの直後、NHKの番組「プロフェッショナル」が宮崎駿さんを特集した。「崖の上のポニョ」のプロモーションのタイミングなのだとは思うが、巨匠の映画作りに掛ける情熱に心を揺さぶられた。

 またも出張先で仲間とテレビにかじりついて見ていた。いい大人が酒も飲まずアニメ作家の特集に見入っているなんて、変かもしれない。でもとても充実した時間だった。

 「この人血を流しながら5歳の子供の世界を描いているよなー」と口をついて出てきた。本当は血ではなく涙を流しながら絵コンテに取り組んでいたのだが(涙の一滴は血の一滴とシェークスピアにあったような気がする、作家にとっては共通する感覚なのか・・)、最後のサビのシーンを描くのに丸2ヶ月半を費やし、苦悩している姿が、冷酷なまでにカメラで映し出されていた。血を流す・・というか身も心も自らの手で切り刻みながらというか、自分そのものの皮を剥ぎ取り、むきだしの状態に晒すことでしか本物の表現にいたらないという作家の姿に釘付けになってしまった。

 「ここまで写り続けるかー?ちょっとやりすぎじゃないのー?」などとチャチャを入れながら見ていたが、カメラが無ければ宮崎さんの創作の壮絶な戦いを垣間見ることすら出来ないのだから、勝手な言い草なのかも知れない。

 巨匠は、たった五歳の子供や死に行く老女への「完全なる感情移入」=「その人になりきること」を徹底してやっているようにも感じた。自分の存在そのものを登場人物を借りて表に映し出すことなんだと。その心の作業は本人の全てを表に晒してしまうというリスクを乗り越えて成される、神聖な儀式のようにさえ感じた。

 この映像を見た以上、明日にでもポニョを見に行こうと決めている。(今思ったけど、力んで書いたあと「ポニョ」っていう響き、なんだかとってもアンマッチ!
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慣れないコンサート運営事務局に汗々・・・

2008年08月05日 02時26分45秒 | コンサート
 出張から戻ると、ろくな練習もできないまま、オーケストラの練習会場に飛び込む。以前トランペット氏が「モー忙しくて全然だめ、指揮者には怒られるし、まいったなー」とぼやいていたのを思い出す。そりゃそうだ、Tpなどの管楽器はみなソリスト。ごまかしや「エアー」は出来ない相談。「団体競技」のチェロの端くれとなった自分でも「やばいよなー」と感じるのだから、管楽器や打楽器の緊張はどれほどだろうか・・と思う。そえだけ社会人になってからソロ楽器を学ぶのは難しいということだなー・・などと思いながら会場へ。

 日曜日午前中は「カルメン」の組曲を片端から練習し、仕上げはベートーベンの交響曲第五番の1楽章をさらった。まーここまでは何とかわずかな合間を見て練習していたので、楽しさも感じることができた。
 
 緊張したのは、むしろ午後練習までの昼休みに、秋のコンサートの事務局打ち合わせの方だった。オーケストラの運営を少しずつ理解し始めると、大きな壁をいくつも乗り越えながらオケは成り立っているのだということに愕然とする。少なくとも数十人の楽団員が、数百人のお客さんを迎えて演奏会をするということなので、運営と一言言っても思いもよらない苦労があるのだ。

 終わりから言えば(実はそれで一番困っているのだけど)エキストラさんも含めて、関係者が集う「打ち上げ」の会場はどこがいいか、会費はいくらが適当か、打ち上げの司会は、進行は、集金は・・・それぞれを誰かにお願いし、漏れがないようにしなければならない。打ち上げのあと、エキストラや車の無い人は誰が送るのか・・考えるだけで胃が痛くなってくる。

 ほとほとこういいう仕事には向かないと思う。終わりではなく始まりの方だっていろいろある(実はこちらももう一つ頭が痛い問題で・・・)会場の受付係りを数人お願いしなければコンサートは開かれない。実は第三者的に「団員がやったらいいじゃないの」などと思っていたら、とんでもない。団員は全員ステージに上がるのだから、受付をやっている時間など一秒もないのだった。そんな単純なことも『当事者』にならないと思い及ばないものなんだなー。

 かくして、本日の月曜日は仕事もそこそこに、会場やら、受付やら、はてまたステージマネージャー(ステマネと約すらしい)の確認をし、さらに司会進行、お昼のお茶の手配・・・心配事が次から次に思い起こされて気が滅入りそうだった。ところが、さすがオーケストラは組織だ。諸先輩がそれぞれに心配をしてくれていて、あちこちからメールが入り始めた。調べものをしてくれたり、手配してくれたり、快く「大物楽器」の運送係を引き受けてくれたりしてくれていて、頭が下がった。

 それでも、ふつうは複雑なことは嫌いな自分が、チェロの練習のこと、実行委員としての職務のこと、そして本業の会社での仕事のこと、家族のケア・・・4つも抱えてはやってられねーよ!と逃げ出したい気分になるのはしかたないことなのだ。
 普通の大人だったら「たったそれだけ? しかも二つは趣味で、一つは家庭というプライベートばかりじゃないの!」とあきれることは間違いなし。でも、おいらには複雑多様。あれもこれも気分になってまうのだ。

 幸い夜には、武道館で 久石 譲の「ジブリコンサート」を予約してあったのでしばし浮世を離れて夢の世界で遊ぶことができた。湿度100%と感じる熱帯夜の東京だったが、400人のオーケストラの響き、総勢1400人というオケとコーラスで演奏される、ジブリ作品の世界は素晴らしかった。もう一度生まれてくるなら、久石 譲みたいな美しいメロディーを一曲でいいから創れる人間になりたいなー・・・なんて感じたりもした。

 純粋に音楽的には、スピーカーで増幅され変形された音でなければ十分な音量が得られないほど会場はでか過ぎるし、蒸し暑さで参るし・・・武道館というのはロックコンサート以外では、あまりいい会場ではないと感じたが、新日本フィルのコンマスの独奏が随所にフィーチャーされ、特別ゲストの平原綾香を生で見ることができ、イベントとしては十分満足でき、夏休みの前奏曲を聴いた感じだった。
 明日からまたも出張だけど、頑張る元気をもらえた。

追伸:いつも覗いていただいている読者様へ。最近、変な書き込みが多いのでコメントを載せないようにしました。もし何かございましたら内容をご送信ください。僭越ですがろしくお願いします。
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