チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

スコアーとパート譜が違ってるってことは災難を呼ぶのだ

2010年02月28日 23時36分59秒 | オケの練習
 本日はオケ練習と、午後からの弦トレのダブルヘッダー。

昨日夜まで出張の疲れが残ったまま 雨の中練習会場へ。海岸にはチリからの津波が押し寄せるらしい。憂鬱な朝だった。
カリンニコフの交響曲の練習が始まると、のっけから練習室の中も荒れ模様。指揮者が最近になく機嫌が悪いのだ。
ティンパニー、クラリネット、フルート・・・やたらと寸断して個別チェックが入る。
全体への指示は「もっとスピードを上げて」ということなのだが、なかなか軌道に乗らない。

 そもそもカリンニコフは国内ではあまり演奏されず、CDもN響以外海外から取り寄せみたいな感じで、自分が購入したものNatitonal Symphony Orchestra of Ukrainaとなっていて、民族色豊かにゆったりと演奏している。ところが我がマエストロはおそらく楽譜に忠実なのだろうけど、約2倍の速度を要求している。僕からすると暴走列車みたい。「遅い!」「遅すぎる!」の連発。我が楽団員も何かのCD、DVDでみたカリンニコフにすっかり親しんでいるのだろう、指揮者から見ると水飴を引っ張る状態なのだろう。それがますますイラつきを高じさせてゆくのだろうか。

 その後も「ここはクレッシェンド!」「ピアノ!」「メゾフォルテ!言われたことはちゃんと書いて!」と大荒れに突入。

 ところがここから本日は意外な展開。普段静かなFg氏が「スコアー見せていたいただきたいんですけど」「見ないと指示内容が良く分かりません」みたいな発言。「何が起こっているんだ?」と聞き耳を立てると どうやら、指揮者のスコアーに書かれているさまざまな音楽的な指示は、各パート譜にはほとんど書かれていず、ベテランの人たちが入手しているハンディー版のスコアーもパート譜と同様に細かい指示が書かれていない状態だと分かった。

 いやはや”荒らぶる神”に立ち向かうようなFg氏の姿にハラハラしていたが、要するに「違うものを見ていた」事が分かった結果、次第に「室内天気」は沈静化に向かい始めた。
 それからの指揮者は「ここはピアノって書いてある?書いてないの・・じゃ、Pに落として」と牙を抜かれたようなやり取りに変化。たまに書いてある指示通りに演奏されないと鬼の首を取ったように逆荒れしかかるも、冷静さの範囲に。

 今日学んだこと。
 オーケストラでは、演奏回数が少ない曲を演奏することは大変なんだと思った。そもそも楽譜が入手しにくいうえ「○○版で」みたいな選択肢がなく、ありものの楽譜で聴き慣れない曲をこなしてゆかなければならない。藁をもすがる思いでYou TubeやらCDやらを取り寄せるが、かえってそれに縛られて身動きしにくくなる。そして今回発覚したように、スコアーとパート譜の照合・検証までやれるわけでもない。

 今回の出来事で、指揮者の曲の構想が分かってきたのは良かったのかもしれないが、やっぱり当たられた団員にとっては災難みたいなものだったなー。

 午後からの弦トレは、楽しく、厳しいものだった。
楽しかったのは、バッハの管弦楽組曲のプロの先生によるバイオリンとチェロのシュオを堪能できたから。全然違うのだ。
でも厳しかったのはぶり返した寒さ。弦と管に分かれての演奏、弦は底冷えの剣道場だった。
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プロレッスンでつかんだこと、つかみ損ねたこと

2010年02月19日 00時31分24秒 | レッスン
 師匠が叫んだ。「それがアップ、初めてアップボーイングができましたね!」

「え!そうなの?」。その瞬間 嬉しさいっぱいながら「また忘れたらどうしよう・・」と心配になり、先生宅を車で発進するや近くのファミレスに駆け込み”開眼した”さまざまなポイントを必死でメモをした。なんだか新境地が切り開かれたとそのときは実感したからだ。

以下がメモの中身(基本の基本の連続なのだが・・・)

0)まずは、どんな技術よりも先に「チェロが芯まで鳴る」ボーイングをすること。
 ⇒Schroederの教則本に入り、これから進めるぞと思いすぎて、一番大事なことが忘れられ逆戻りした。交響曲などのフレーズを速く弾きこなすことに神経が行ってしまい、弦の表面をこすっている割合が増えてしまっていたのだ。ボディー全体「芯まで」鳴った瞬間、膝や胸に伝わる振動が大きく変わるので分かるのだが、そこに神経が行ってないことは問題だった。

1)移弦(先生は使ったことがない言葉なんだけど・・)するときは弓が描く弧の位相をシフトすること。
 ⇒これは、今回初めて実感できたこと。A線、D線、G線、C線と弦が変わるたびに弦を中心として弓が描き出す円弧のレベル(高度?)が変わらなければならない。ただしあくまで自分の体感レベルでの変化なのだが。
 傍から演奏を見ているとき描かれる弧と、自分が演奏するときの「実感上の弧」では感覚が全く異なる。自分では弦に対して常に直角に弓を宛てて弧を描いているつもりでも、自分の肩を中心とした円弧の影響が弧を歪めるからだ。
 こんなこと初めから頭では理解しているものの、今回初めて「映像化して」感じられた。

 ところで、レッスン中に実感した瞬間 ベンホーガンのゴルフレッスンの教科書にあった挿絵を思い出した。ベンホーガンの首を中心に大きな円盤が描かれ、その円盤上をゴルフクラブがスウィングされるとボールはスクウェアに飛び出す・・・みたいなレッスンだったと思う。
 人間の骨格と筋肉の構造と、ボールを中心にクラブが動くメカニズムは異なっている。「チェロも同じだ!まさにいつの間にか自分の肉体構造に追随して弦に対してスクウェアではないボーイングになっていたのではないか。その修正イメージこそ「扇風機のプロペラの位相変化」と覚えておこう。これこそ「移弦」する際円弧の位相を自然と変化させることで常に弦と弓が直角に交差できるのだろう。

2)移弦の基本は腕のポジションの変化。
 ⇒最近速い動きに対応しようとして手首から先で移弦する癖がついていたのではないだろうか。しかしこんな「横着して」ばかりいてはいい響きの演奏はできない。たとえばA線からD線に移弦するなら、A線の腕からD線にふさわしい位置へと腕(肘)を動かすことで自然と弓の角度が変わるのが基本なのだ。

3)アップとダウンが切れ目無く繋がる弾き方は・・・
  ①決して弓を持ち変えることなく(ついついアップ、ダウンの切り替え点で微妙に持ち替えていた)
  ②ダウンでは手首の内側が下がってゆき(いまだに弓を吊り上げる癖が出る)、終わり段階では親指側を押し込み、リリースする。
  ③アップでは親指と人差し指が先行し、弓の端まで弾き切った段階で手首側から自然とダウンに移行する。
  たったこれだけのことが、丸3年にして「ようやく1回だけ」できたのだ。

 残念ながらメモを書きとめたものの 成功したときの感覚は取り戻すことができなかった。「アップができた!」と先生に言われた瞬間の再現をトライしているのだけど、悲しいかなどうやら逆戻りしてしまっている。「これまでいろんな人に教えてきたけど、このアップがなかなかできないんですよ。今日は嬉しいですよ」と喜んでくれたのに、また悩ませてしまうと思うと、申し訳ない気もする。

せめて「芯まで鳴らす」「移弦は腕から」「移弦は扇風機のプロペラで」の3点は、体験したイメージを言語化できたので定着させようと思う。これからも研鑽努力だ。
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今度の定期演奏会では「完投」を目指すぞ!

2010年02月02日 23時09分48秒 | オケの練習
 今年の3月でチェロを初めて手にして三周年を迎える。出演した演奏会は過去5回。今年5月で6回目だ。
最初の演奏会はまるで夢の中の出来事のように現実感がなかった。演奏もただただ真似事に過ぎなかった。その後の演奏会でもどうして弾きこなせない部分のがあって、落っこちてばかりだった。

 でもこの5月の演奏会のメインはベートーベンの第6交響曲「田園」。サブはカリンニコフの第一交響曲。絶対「完投」(つまり落ちることなく全てをなんとか弾きこなすこと)を目指そうと思っている。カリンニコフも、「田園」もだ。

 どちらが難しい曲かといえばデリケートな演奏が求められるのは「田園」だと思う。でも指揮者も常々「この曲は練習さえすれば絶対できるから」と言っているように、なんだかこれまでの演奏会とは感覚が違ってきている。チャイコフスキーやらシベリウスに比べるとベートーベンはオーソドックスということと同時に、自分の技術が積み重なってきているからだと素直に感じるのだ。

 最近全体練習でも思いっきり弾けるようになってきた。先輩たちの陰に隠れてこそこそしていた自分とは違ってきた。チェロの一員として役立ちたいという気持ちになってきたのは、やはりボーイングの技術が向上しているからだと感じる。あのプロレッスンで3年近く続けてきたダウンボーイングばっかりの練習で、どうやら音が違ってきているのだ。速いアップダウン、アルペジオに弓が追いついていっている。

 それから左のポジション取りのバリエーションの幅が格段と広がってきていると思う。第4ポジションから上で演奏することはこれまであまり無かった(無論どんな曲でも必ず出てはくるのだが・)。つまりA線の倍音のAくらいまでしかほとんど使わなかいですましてきたが、最近ではD線、G線の4ポジションから上の音を多様できるようになった。D,G、C線などでのハイトーンは4ポジションを使わないでも低位置で弾けるのだが、それでは力を溜めて前へ前へと押し出して行くような表現が求められる部分には対応できないと感じている。

 「田園」のようにチェロパートが重要な主旋律を担うことが多くなってくると、低い弦でもそのまま移弦しないで指をスライドして途切れの無い演奏をしたほうがメロディーを美しく伸びやかに演奏することができると気づいたのだ。また4つの弦全体に渡る分散和音などでも、左手の移動を4ポジションを加えながら行うことで、スムーズかつ正確な音程を取れることが分かってきたからだ。

 最近そんな弾き方に「目覚めた」ところなので、オケの全体練習でのチャレンジの結果飛び出しミスが多くなった。指揮者に見つかったり、あるいは見過ごされたりしているが、われながら果敢に「田園」にチャレンジしていると感じる。以前は”飛び出せなかった”のだから自分の積極性の表れだと褒めてやろう。音もよく出るようになってきて「使えるチェロ」の一員に近づいてきたと自己評価できる。

 そんな姿が目に留まるからだろうか、今チェロの入団希望者が練習に参加されているが「3年も経っていないのにそこまで弾きこなせるんですか」などとお褒めの言葉をいただくとちょっと嬉しくなる。その人の姿は2年半前にオケの初練習に参加したとき、全く手も足も出ず、ただただ「見学に専念」している自分と同じだ。そんな自分がよくここまでこれたなーなんて感じたりしている。

 というわけで、今度の定期演奏会こそ、全ての音を出せる初めての演奏会にすべく、毎晩少しずつでも練習している。 
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