チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

宮田 大さんのエルガー 素晴らしかった!

2012年06月29日 01時06分30秒 | コンサート


宮田さんの素晴らしい演奏をTVで見たのは最近のことだった。
天皇皇后両陛下をお迎えして、小澤征爾指揮で行われた水戸室内楽団との協演を
NHKBSで放送したのを、友人に教えてもらって初めて宮田大さんを認識したのだった。

早速チケットをネットで探し始めると、東京オペラシティーで、
尾高忠明指揮の東京シティー・フィルと協演が入手できた。

入り口で渡されたプログラムの、プロフィールの紹介には・・

3歳からチェロをはじめて、幼少より出場するすべてのコンクールで第一位入賞。
2009年にはチェロ部門の最高峰ロストロポービッチ国際コンクールで日本人として初優勝。
(つまりこのときの年齢は23歳になるかならないか・・・)
そのほか数え切れないくらい沢山の賞を獲得するという、輝かしい経歴の持ち主。
でも26歳の若さだ。

TVの影響もあるのだろう、会場は3階まで満席。
宮田大さんの演奏に期待がどんどん膨らんでゆく。

尾高さんと一緒に舞台に登場すると、会場の割れるような拍手に迎えられた。

エルガーのチェロ協奏曲が始まった。

デュプレやヨーヨーマなど何種類ものCDを聴いてきたけど
宮田さんのエルガーは、今まで聞いた誰よりも美しいと感じた。

伸びのある温かい音色。
二楽章のような速いパッセージも一つ一つの音が美しく歌われてゆく。

変なたとえだと思うけど、仲間由紀恵の声の様な、丸みというか温かみを感じる。
彼のチェロは楽器というより、まるで人が歌っているように感じてしかたないのだった。
こんな美しいチェロを聴けるとは本当に幸せだった。

それから、今日の宮田大さんはエルガーを心から楽しみながら演奏しているようにも感じた。
(持参のオペラグラスで表情を見ると、うっすらと汗は浮かんでいる程度だった)

演奏が終わると会場全体が一つになって、心から拍手を送った。
お愛想の張り込む余地も無いほど、聞く人の心をわしづかみにしてしまったと思う。
聴衆の拍手が鳴り止まないのは当然としても、
オケの楽団員が一人残らず拍手をし続けている姿に初めて接した。
一緒に演奏したオケの皆さんも、心から賞賛を贈っている姿は、本当に気持ち良いもので、
宮田さんが再登壇 再々登壇するたびに、会場の拍手は爆発し、楽団員は足を踏み鳴らした。

アンコールは「荒城の月」ではなく、「鳥の歌」を演奏してくれた。
これほど美しく伸びやかな「鳥の歌」を聴くのは初めての経験だった。

かえりに、彼のファーストアルバム(だと思う)、「FIRST]を購入した。
特別に、宮田大さんの写真が一枚プレゼントでついていた。
このアルバムは、斉藤秀夫が愛用し、堤剛氏が師匠から借りて、ヨーロッパツアーに用いた
18世紀イタリア製のチェロで演奏されていた。

世界の水準を越えた、一人の天才チェリストの演奏に接することができ
今日は本当にラッキーな一夜だった。

宮田大。 これからが楽しみだし、出来るだけチャンスを逃さず聴き続けて行きたい。

 

 

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「ドンファン」で腱鞘炎悪化?

2012年06月23日 23時14分46秒 | 市原フィル

常任の小出さんによる総練に久しぶりに参加できた。
練習曲はワーグナーの「マイスタージンガー」とリヒャルトシュトラウス「ドンファン」
マイスタージンガーは学生時代にHrで参加したこともある馴染みの曲なので楽しみにしていた。

ところがマイスタージンガーはたったの30分で練習切り上げ。あっさりと
「じゃドンファン」だって。
「おいおい、・・・ちょっと寂しいぜ~」と思っていたら、小出さん曰く

「前回の練習では縦を合わせることに注意したけど、今日はあまり落ちないことを目指して。
 音程については余程ひどくなければ、うるさく言わないから」

このこの一言でちょっぴり気持ちが楽になった。
弾けないけど、楽譜から目を離さず、諦めず、弾けるところで復活するんだ!と心に決めた。

ドンファンは実に難解な曲だ。(と僕は思う。管のメンバーにとっては最高の見せ場が多いけど)
始めはテンポ感がつかめない。
ヘ音記号、テナー記号、ト音記号が小節の途中で切り替わることも多く、戸惑った。
練習前半では迷子になることもあったけど、後半になると指揮者の指示どおり、
楽譜そのものには、何とか追随できるようになった。

今回の練習に参加して感じたこと。

何回かさらった前半に比べて終盤の難しさは尋常ではない。
チェロ譜では、普通あまり使われないト音記号が後半では頻繁に出現する。
超高速フレーズは何とかごまかせても、ト音記号でCやD、Eが出てくる。
ネックの根元から遥か上空で演奏しないといけない。
まー、師匠のおっしゃる通り、僕には絶対無理、本番では音を出せない所がかなりはっきりした。

結局 ト音記号には全く歯がたたえずお休みとなり、入りやすい所で復活するしかなかった。
このままでは、「ゆっくりしてるところだけ音が大きい」と笑われる典型的なアマチュアオケになっちゃう。

もう一つ、本日気がついたのは、ドンファンではパートパートが、独自の動きでできていて、
それが複雑に絡み合っているので、音楽の流れを感じて曲に合わせてゆくことは難しい。
パート毎に、リズムも、出る場所も異なるので、指揮者と譜面を便りに確実な演奏をしないと落ちは確実。
まだ3ヶ月半先だけど、本番を思うと恐ろしい。飛び出し、落っこちの山になりそうだ。

さて練習がおわり、折り畳み椅子を片付けるまでは、良かったが、
ティンパーにーをライトバンまで運ぼうとして.階段を降りようとしたら、
右手首を曲げることができず、危うく落としそうになった。

練習中は気がつかなかったけと、右手が腱鞘炎になっているようだ。
ドンファンが悪いのではない。
先日から、師匠の教えの意図がはっきり分かり、弓の持ち方、ボーイングの仕方を矯正してるうちに、
右手首が痛みだし、張れてしまったのが、今日の練習でぶり返したのだ。



<2~3日前、腫れた手首にアイシングしていたっけ>

師匠は、力まず、完全な脱力で演奏する奏法を教えてくれているのに、ついつい力んでしまい、こうなったしだい。
でも弓の当て方、持ち方の5年振りの改革にメドが立ったのは嬉しい。
ドンファンは無理でも、ブラ1やマイスタージンガーではきっといい演奏をししたいものだ。

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今日は読響のブラ1

2012年06月13日 23時42分14秒 | コンサート

秋に市フィルで演奏するブラームスの交響曲第1番読響で聴けるので予約してあった。

梅雨の晴れ間というか、少々肌寒い赤坂の街を歩いてサントリーホールに早めに到着。

開場まで30分以上あっても、すでにお客さんが並び始めている。
いつも開演間近になると、多くの人が駆け込んでくるカラヤン広場もまだまばら。



時間があると立ち寄ることにしている Ark hills CAFEに向かった。

Cafeは窓を開け放って、さわやかな風が引き込んでくれる。
それぞれ好きなコーヒーを注文して・・・

お店に備えてあるMacなぞ覗き込んで雑談しながら時間つぶし。

時間が来たのでゲルト・アルブレヒトの振るブラ1ってどんなだろう・・・
今日は市フィルのことは忘れて、プロの音楽に浸ってみようとホールに向かった。

会場に入って気付いたこと。
本日はブラームスの3番と同じく1番の二本立てと思っていたら
舞台にはなぜかピアノがデンと鎮座しているではないか。
よくよくプログラムを見直したら、本日は1曲目はブラームスのピアノ協奏曲第2番だった。

コンチェルトの演奏は若林顕さん。
あまり聴きなれていない曲だったけど、第3楽章はチェロ協奏曲と間違えるほど、
主席チェリストのソロが続き、ピアノと弦の柔らかなコラボレーションに聞き惚れた。


<帰りに購入した2001年みなとみらいホールでのアルバム>

15分の休憩後は、誰もが大好きだと思うブラ1だ。

ティンパニーの導入に始まり、最後の歓喜に至る全てが素晴らしい曲だと改めた感じた。
ただアルブレヒトは、古楽器の研究もしているとおり、作曲者の時代考証に造詣が深く
いままで聴き慣れてきた、どちらかというと扇情的だったり、重々しい指揮とは異なり
ハイスピードで、さらっと流れてゆく印象を受けた。

読響の演奏会、実は初めてだったけど、素晴らしかった。
特にppの表現とはこういうことか・・・と改めて感じるものがあった。

プログラムの代わりに配布された読響創立50周年の「月間オーケストラ6月号」には
読響楽団員全員の写真が載っていたが、エルダー楽員の中に我が師匠の名前を発見!

名演を繰り広げてきた読響活躍されてきたけど、
今も現役で活躍中なんだと感慨ひとしおだった。

追記:購入したアルバムには師匠の姿もばっちり写っていた



 

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由紀さおりコンサート 2 ~ピンク・マルティーニとジョイント~

2012年06月06日 02時24分17秒 | 市原フィル

大盛況のうちに、来日初日のコンサート終了。
NY在住のmusician SUSHI氏絶賛のピンク・マルティーニは、
世界ツアーの途中で来日し由紀さおりさんとのジョイントコンサートを開いた。


 <米国Jazz部門で坂本九以来の NO1を獲得したピンク・マルティーニと由紀さおり>

謎なのは・・・
「なぜ来日初コンサートが千葉文化会館大ホールなの?」
「東京のホールが空いてなかったの?」ということだった。

 <何年か前に、ヴェルディー「レクイエム」で舞台にあがった文化会館大ホールは満席>



その謎は早々に解消された。
実はリーダーのトーマス・ローダーデールはホームステイしながら、千葉県の幕張高校に通っていたことがあり、
そのときのホストの老夫妻が招待されていた。(休み時間には、実家の両親と会っている雰囲気だったな~)
司会もマーチンがちょっとあぶない日本語(だけど発音は外人離れ)と英語で行っていた。


さて、音楽についてだけど、Jazzバンドと思って聴きに行くと期待は裏切られる。
基本はラテンバンド。スウィングも演奏するけど、シャンソンやらアラビア音楽やら、
南米からボサノバやサンバ、様々なダンスミュージック(マンボ、チャチャチャ、ビギン・・)
大半が歌が入っているけど「なんでこんなごった煮なんだ?」と驚かされる。

由紀さおりのバックバンドとしては、日本の歌謡曲の雰囲気そのままに演奏する。
一番驚いたのは日本で全く流行らなかった和田弘とマヒナスターズの「菊千代と申します」という曲を
カバーしたこと。琴とハワイアンギターがフィーチャーされているけど、これは残念ながら感動しなっかった。
下町のうらぶれたクラブで演歌バンドを聞いている気分になっちゃった・・・
学生試合には、一心不乱にモダンジャスを聴いてききた世代としての「衣」がまだ抜け切れてないだけか・・・
でもソフィスティケートされたジャズの世界とはあまりにもギャップが大きすぎるんだな~。

<購入した最新アルバム。 「菊千代と申します」も入っている>

 

でも1~2曲あったインストルメンタルの本格的ジャズでは彼らのすごい技術も感じたし、
そのときだけは会場もアドリブがリレーするたびに、惜しみない拍手を送っていた。

音楽はそんな感じだってけど、リーダー、トーマスの姿勢には感心させられることが多かった。
由紀さおりを「日本のバーブラストライザンド」と心から尊敬していることは節々に伝わったし、
バンド全員で観客を楽しませようとする姿勢、全力投球する彼らに心から拍手を送った。

ロイヤル・アルバートホールを総立ちにさせ、米国ツアーで様々な成功を収めてきたた彼らが、
千葉公演終了後にも、握手会を開催して、長蛇の聴衆と笑顔で握手してくれるサービスには
全く脱帽でした。

 
コンサートを終了して謎が深まった部分もある。

なんでカナダやアメリカ出身の彼らが、紅白歌合戦みたいな感覚で
コンサートを開けるのか、歌謡曲がなぜ欧米で賞賛されるのか、全く理解に苦しむ。

それに、なんで「菊千代と申します」なんてアルバムがオレゴン州・ポートランドの
レコード店で発見できるんだろう・・・

だいだい、なんでハーバード出身で政治家志望だったリーダーでピアノ奏者のトーマスが
「音楽考古学」と称して世界中の古いアルバムを掘り起こしているんだろう・・・・

不思議だ


 

 

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由紀さおりコンサート 1

2012年06月03日 23時37分09秒 | 市原フィル

由紀さおり・安田祥子姉妹の「ラストツアーコンサート」に行った。

夜明けのスキャット」ではなく、25年姉妹で続けてきた、童謡のコンサートだ。

会場は杉並公会堂。
高校の音楽祭では、ボサノバのバンドで舞台にあがり
大学ではオケであがったことがある懐かしいホールだけど、
現在の杉並公会堂はコバケンさんをはじめ一流のアーチストが演奏する、
素晴らしく音響が良いシューボックス型のホールに生まれ変わっていた。

2時間を越える二人の舞台は、ピアノ1台での伴奏だけだったが、豊かで豪華なコンサートだった。

二人の歌ってくれた童謡はどの曲も僕がまだ幼稚園のころ、
母が歌って聞かせてくれていたことを、はっきりと思い出すことができた。
そのうえ由紀さおりさんの顔も、表情も僕の記憶にある母の顔とそっくりで、
まるで母親がよみがえって歌って聞かせてくれているのでは、と錯覚に陥るほどだった。

今日はっきり分かったことがある。
それはピアノもステレオも無く、教養らしきものが無かった家に生まれた自分が
そこそこの音感を持ち、ブラバンやオケで演奏することを続けてきた背景には、
母親が様々な童謡を子どものころに歌って聞かせてくれていたからなんだ、ということだった。
音楽という素晴らしい世界への道をつけてくれた母に感謝したい。

そんな気付きを与えてくれたコンサートだったので、二人のCDを購入して
コンサート終了後握手をしていただくことができた。
柔らかで華やかにお二人の一言と、柔らかな手の感触を心に帰路についた。

途中立ち寄った、荻窪駅近くのこの店での「刺身七点盛り」は絶品でした。


5日には、千葉県文化会館大ホールで、世界的なジャズバンドでもあるピンク・マルティーニと
由紀さおりとの、日本初のジョイントコンサートがある。
あさっての公演がまた、楽しみだ。

 

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ちょっと普通じゃない自分体験ができた一日

2012年06月03日 00時23分21秒 | 市原フィル

 年とともに「自分像」は固まってくるものだと思うけど、いつもと違う体験があった。


「指揮者の辻さんの送迎お願いできますか」とメールで団員から依頼されたところから始まった。
辻博之さんは、今回はブラ1の下振りだけど来年の定演に招聘する客演指揮者。
情熱的な指揮振り、豊かな音楽表現で団員を虜にした若手のホープでもある。

自宅から歩けるほどの会館で、辻さん常任指揮の地元の室内楽団の練習があり
練習終了後、市原フィルの練習会場まで送ってほしいということ。
さすがに「これは自分が引き受けるのがフツーだよね」と思い引き受けることにした。

でも引き受けたまではいいけど、だんだん道中を考えると気が重くなってきた。

この室内楽団の演奏会を聴いたことは何度かあり、辻さんの姿は知ってはいるけど
どうも僕の性格として、身近でない人と同じ空間を共にすることに慣れていない。
特に「先生」など肩書きというものがあると、どうしても気後れする自分がいる。
・・・かつて「社長」のお供でグリーン車に乗ったときも、飛行機で出張したときも
  社長の隣には10分も座っていられなかったという「前科」もあるんだな~・・・

指定された会場ロビーに入ると、辻さんは練習を終えた室内楽団の皆さんと談笑中だった。
周りには、以前エキストラでこられたチェロ嬢も、以前の楽団でお世話になった方も
アンサンブルを組んでいるバイオリン譲も見える。

「お迎えに参りました」と遠くから挨拶すると、若い辻さんは明るく応えてくれた。
近づくと、室内楽コンサートで名調子で司会をされる、楽団代表者の女性が声を掛けてきた。
「楽器は何をされてるんですか」
「チェロです」
「お住まいはどちら?」
「自宅はすぐそこです」
「あらま~、だめよ!地元でやらなけりゃ、ね~!」
(確かに車で市原まで通うものいいけど、ここならチェロを担いで数分だけど・・)
「ここで午後一緒に練習したあと、辻先生と一緒に行けばいいんだから」
てな調子で、あれよあれよという間に連絡先を書かされてしまった。

気圧されはしたけど、なんとなく和んだ雰囲気になってきたところに
「皆さん、今度入団される方です」と紹介されたときにはさすが
「ギョエ~!」と驚かされた。

こうした圧倒的なリーダーシップのまとめ役がいて楽団というのは存続するんだな~
固定化しつつある我が人生に、新しい振動が入り込む余地はあるのかもしれないな~
などと感心しながらも、早々に指揮者を伴って会館を立ち去った。

ま~これが非日常の「異質体験」その一。



今度は指揮者殿を乗せて小一時間のドライブをしなければ・・・どうしよう・・・
会話の相手をするのはいいけど・・・
指揮者殿もダブルヘッダーとなるので疲れているはずだし・・・
話し出したら過剰に話し始めるばかな自分も見たくないし・・・

結局
会話もそここそこに、「道中どうぞお休みください」と
僕はウォークマンを突っ込んでAdeleを聞き始めることにした。
(グラミーで優勝したAdeleの歌声はどんな状況でも心を惹きつけてやまない)
さすがに、指揮で疲れていると思しき辻さんも早速眠りに入ってくれた。
一安心・・・

そして夜の練習会場に到着。
ブラームス1番の下振りをしてくれた辻さんの練習は楽しく、笑いの連続となった。
特にすばらしかったのは、総練後半になって四楽章の弦が、
はっきりと”ブラームス色”の響きに変ってきたことだった。
声楽出身でもあるからだろうか、辻さんのアドバイスは弦楽器全員で呼吸を深くすること。
そして、弓を弦から決して離すことなく全弓で弾ききる感覚でということだったと思う。
そのあとの弦は、重々しいブラームスを出現させてくれた。

練習のあとはすっかり辻ファンになってしまい、気持ちも楽になって
練習場近くの駅ではなく、東京への入り口でもある蘇我駅までお送りした。
無論、ウォークマンも忘れて辻さんの指揮者としてのこぼれ話しなどを
楽しくうかがいながら、あっという間の時間を過ごすことができた。

「知らない人と楽しく話せた」。
う~んこれが「異質体験」その二。

この日は、人との”新しい出会い”ということを体験できたということだろうか。
自分ってこんな人間という自画像や、毎日の行動パターンとは違う自分を
体験できることは、ちょっと不安だけど、なんだか楽しい気持にさせてくれるものだ。
まだまだ人生、捨てたもんじゃないかも。

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やっぱりNever Too Lateだよね

2012年06月01日 22時39分06秒 | レッスン

●Never Too Late

本日のレッスンも沢山の刺激をもらって終わった。
習ったことの10分の1も進まないけど、毎回1ミリずつでも進んでいる実感があるのは嬉しい。
車で帰宅しながら、アメリカの教育学者ジョン・ホルトのNever Too Late 「私のチェロ修行」を思い出していた。

前書きで「年をとりすぎでしまったので、歌や楽器の演奏を習いはじめるには遅すぎると考えている人たちを
助け、勇気づけたいという思いで書いた」と述べている。
その中の「大人の有利な点」という章で紹介されているシュタルケルの言葉が印象的だ。

著者が40歳でチェロに再チャレンジするころ、巨匠シュタルケルと知り合いとなった。
ホルトがチェロを始めたがっていることを友人から聞いていたシュタルケルが告げたのは、
普通の音楽家が口にしがちな「きっとうまくゆきますよ」ではなかった。

「私たちの年齢になると、この楽器の演奏を学ぶことはとても困難です。
 今まで使ったことのない筋肉を発達させ、それらを協調させて動かすことを
 覚えなければならないからです」
「ただし・・・」とシュタルケルは続ける。

シュタルケル:「一方では、年齢が高いと有利な点があります。」
 ホルト    :「それは何でしょうか!」
シュタルケル:「問題をよく考えて、解決法を見つけられるからです」

ん~やっぱNever Too Lateだよな~なんて勇気が出る本だ。

 

●レッスンの覚書から

「分かること」と「できること」は決定的に異なることは、この5年嫌と言うほど感じてきたけど、
それでも分かったことを覚えておくことは大事だと思う。
「問題をよく考えて、解決法を見つけられる」努力はできるはずなのだから。
で、本日のレッスンで感じたことをメモしておこう。

1)ダウンボーイング ~全ての基本、ここに戻る

ダウンがしっかりするとしないでは、弾き始めが全く違ってしまう。
ちゃんと音が出るか出ないか、決定的な違いがおこる。
ダウンのカタチになっていないと、まともな音にならない。
今回その制御の仕方の一端が感じられた。
師匠は「正しい形と間違った形の真ん中くらいになりましたね」。

2)アップボーイング ~右手を開放し切る

アップで手元まて弾き切ると同時に、力を解放する。弓はガクンと垂れ下がる。
「ん~、だから?」という気持ちにもなる。
完全に解放されれば、弓のエンドは小指側から親指の付け根側にスルスルと滑り上がる。これが大事だという。
その時の形がそのままダウン開始のポジションに移行しているのだからだとの説明。
この感覚を身に付ければ、アップダウンの素早い切り替えは可能になる、は、ず・・・

3)移弦のポイント ~「向かう」ことを緩めない

解放弦での移弦だけをやっていると、何の為にやっているか理解はなかなかできない。
「やってみて」と言われるままにやっていると、移弦に「向かう」ことなく、単調なボーイングになりがちになる。
移弦に「向かう」とは、ある意味クレッションドで次の音に「向かい」音の隙間なく移弦が終わることだ。
何のために「向かう練習をしてるの・・」みたいな顔つきをしていたのだろうか・・・
師匠がベートーベンのソナタ(?)冒頭を演奏して見せてくれた瞬時にその意味が実感された。
移弦が次の音に向かっていない演奏はどんだけ味気無いことか!と。

4)音階 ~複雑だけど・・まず拍子を意識、次に左のポジションを覚える練習をしよう!

Gdurの音階練習になると、そのバリエーションは俄然複雑になる
 全弓で、一音一音弾く。
 半弓で、停めてから弾く。
 一拍のあと二拍休んで、同じ方向のボーイングで次の音に向かって弾く。
全て四拍子であることを意識しながら
 四分音符で弾く。
 八分音符で弾く。
 十六音符で弾く。
これらの途中で先ほどの移弦の練習に戻ったり・・・

「音階が出来ればチェロは弾けたことになる」とおっしゃるだけに、それぞれのバリエーションの中に、
ボーイングの基本、移弦に向かうこと、四拍子の演奏の仕方、左手の「叩きとはじき」の
全ての技術が織り込まれており、総動員しなければできないと、今日はハッキリ感じた。


●不思議なこと。
レッスンの始めは、毎度のことながら、肩も腕もガチガチ。だから音が響かない。
体が固まっているから、弓が弦の上を微妙に滑っているのだと思う。
毎回「今日こそは始めから脱力して・・」と思うのだが、なかなかそうならない。

でもしばらく師匠の言うままに基本練習していると、チェロも鳴り、弦も噛み合うようになってくる。
力みが減少し、チェロが素直に鳴るようになってくれる。
これが最初から、常にできていれば、オケでもアンサンブルでももう少し貢献できるのにと思う。

ここまできて思うのは、リラックス=脱力で演奏できること、そのものが実力のうちなのだろう。
チェロは力で鳴らすのではない。(その証拠に、師匠が僕のチェロを同じ弓で演奏すると、ん千万円のチェロのような驚くほど豊かな音が出るんだからね)
チェロが自然に鳴ってくれるんだと、身に染みて感じ取らないとダメだ。

でもなかなかそうはゆかないが、まず言葉で理解し、忘れないようにし、
次第に体に馴染ますという順番で行くしかない。

Never Too Late, Never give up だ。

 


 

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