チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

プロオケのチェリストがトレーナーであることの幸せ

2010年01月18日 01時50分56秒 | オケの練習
 最近弦トレが充実してきてきていると感じる。本日の練習で気づいたのは、指導者であるトレーナーがオーケストラ出身でチェリストであるという背景が大きく影響しているのではないかと感じる。

 われわれの師は国内トップオケで長年チェリストで活躍されて方。個々の楽器の演奏技術がどうのこうのよりも、オーケストラという「楽器」全体がどのように曲を表現したらいいのかということが経験から分かっているのだと思う。技術が不足しているアマチュアオケを指導するに当たっても、表現上努力しなければならないところ、逆に他のパートとの関係でネグレクトしてもいいところの勘所がわかっているので、大変分かりやすく安心して従うことができるのだと思う。ここら辺はまさに人間性でもあるんだけど。

 もし指導者がソリストであったなら・・・
その楽器へのこだわりがどこからか湧き出てきて、どうしても自分の指導する楽器の表現については譲れない部分があったりするのではないかなーと想像してみる。まだそれほどソリストによる経験は少ないけど、アンサンブル全体より個々の技術指導がつよくなったりしているかも。

 もし楽器がチェロでなかったら・・・
なかなか実演が難しいかもしれない。チェロは思いっきり有効音域が広いから Vn~Cbまで実演して見せてくれる。先生の技術が高いからだけど、表現を説明しても分からないときは即VnパートVlaパートを弾き分けて実演してくれると、その瞬間にみんながうなづくことになる。


 それからチェロという楽器は、主旋律も出てはくるけど、やはりVnを中心としたメロディーを下支えして際立たせる役目が多いと思う。そういう楽器を演奏してきた先生は自ずから、全体として素晴らしい演奏となるよう周囲をよーくウォッチする姿勢ができているのではないだろうか。ビオラやコンバスへの目配りもしながらどう演奏するかなんて感じながら全体を盛り上げることに喜びがあったりして。

 本日の練習で考えたこともうひとつ。トレーナーと指揮者の違いだ。本物のトレーナの才能というものは、指揮者のとは質の異なる才能なのだと感じる。指揮者は作曲家に成り代わって曲を表現し、あるいは新たな解釈で創造行為をするアーチストだとすれば、優れたトレーナーは指揮者の要求に合わせながら、観客にどのように音楽を届かせるか、そのコツを知悉した「職人」というか「技術者」なのではないかな。

 とまあ、勝手な言い草だったかもしれないけど、千葉県のローカルな街で「プロオケのチェリスト」の人間性あふれた指導者を迎えられ、その熱意ある指導を受けられている幸運を感じているところだ。
 トレーナーの一言でアンサンブルが見違えるように変化し、その変化に演奏しているメンバー自身が驚き、顔を輝かせてゆく・・・そんな「不思議」とも感じる経験を今日もさせてもらったのだった。
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単純な教則本の裏には「音楽の深い世界」が広がっていた

2010年01月11日 14時55分21秒 | レッスン
  久しぶりのプロレッスン。

「昨日のオケ練習で弦が全部ビロビロになっちゃって・・」と話すと先生は早速「チェロ子」の”整体”に取りかかってくれた。あわてて弦を巻き上げたりしたからどうやら駒の位置がめちゃくちゃだったみたい。

 先生に教えてもらった駒位置補正の方法をおさらいすると・・
1)駒の前後(上下)の位置確認は、f字型ホールの真ん中の切れ目を横から見て、駒の下線が並行かどうか
2)駒の左右の位置確認は、チェロを縦方向の真上から覗き込んで、駒幅と、指板幅を見て真ん中をあわせる、さらにエンドピントの位置関係も確認すること
3)駒のボディーに対する垂直性は、まず横から見て駒の垂線と、ボディーの垂直線を見比べること。その際駒の上側は斜めに削ってあるので、駒の下側のラインを基準にすること。
4)最後に弦のひずみを是正するために、駒の弦側の部分を硬いもの(小さなハンマーを先生は使っている)でトントンとたたいて収めること

とまあこんなことなんだけど「さっきは駒が垂直ではなかっただけでなく、片方が浮き上がっていたし、駒の左右の位置もずれてましたよ」とのこと。チューニングのたびに蓄積してきたさまざまな部分のゆがみを全て直していただいたあと「さっきと音が違っているでしょう」と先生が弾くチェロは輝きが全然違って聞こえた!

 そのあと先生はご自身のチェロの穴から巨大ミミズのような物体を引っ張り出してきた。良く見るとやわらかいプラスチックの筒に水を含ませたスポンジが入っているようだ。冬になると乾燥が激しく、チェロ全体が小さく縮むので対策を取っているとのこと。
 こうしたレッスン前のさまざまな楽器との付き合い方を見せてもらえると、音楽を愛する人は楽器を隅々まで良く見て、楽器そのものを一番元気にする方法を心得ているんだなーと感心してしまう。


 さて本日のレッスンは、基本の基本だけでもあまりにも多くのことを教えていただき書ききれないので、一番印象に残ったことだけに絞ると・・・レッスンの後半、[ALWIN SCHROEDER 170 FOUNDATION STUDIES for VIOLONCELLO]での練習に移って1~4までの練習の仕方を教わっているときのことだった。

「さ、弾いてみて」と二番目の練習曲を弾いたとき。「この曲は何拍子ですか? 4/4拍子の曲を2/2拍子で演奏してはいけない」との指摘。これは気づくまで時間がかかった。練習曲を弾いているとき、まったく無自覚に二つの拍子を勝手に混交させていたことは驚いた。先生がそれぞれの弾き方で聞かせてくれてようやく感じ取ることができた。心の中で4拍子を意識で演奏するか、2拍子かでは曲想がぜんぜん違ってしまう。「先生はどんな単純な楽曲でも音楽を表現しようとするんだ!」

 次に4番目に移って一応弾いてみる。すると「練習はこの4番(4分音符中心のたった二段の練習曲)から始めてください。この4番が基本になって、2番や3番のバリエーションになっていますから」とのこと。
「4番がなぜここにあるかの作者の意図は、この4番でA線~C線までの親指の位置取りの変化をつかませようとしています。それを変化させたのが2番、3番で・・・」みたいに、的確な指摘。

 こんな単純に見える練習曲の集まりだと思っていたのに、一つ一つのエチュードや前後関係には意図がこめられていたなんて・・と驚いて「ひとつひとつに理由があるんですね」とたずねると「そのとおりです」とまるでSCHROEDERさんから聞いてこられたような明確な答え。「あーきっとチェロを弾くプロ同士その背景や意図は手に取るように分かり合えるんだなー」と思った。

 要するに、ただ単に弾き流すだけなら何の変哲もない練習曲の背景には、プロの人に教えてもらわないと決してつかむことのできない、音楽的な意図・目的・解釈が隠されているということだった。


 先生のプロとしてのすごさとともに、それを自分のようなど素人に惜しげもなく与えてくれるありがたさを感じた。
 この感覚は、中学校に入って初めてホルンを手にしたブラバンを指導してくれた音楽の先生(クラス担任でもあった)が惜しみも無い情熱を注いでくれて以来の感覚だった。
 僕は「こんなプロの先生にめぐり合えてよかった!」と思えたし、音楽の深さ、豊かさに触れられ、まだまだ「アラカン超え」以後 目指してゆける世界があると感じられたのは得がたい喜びだった。
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初練習 「田園」は超難しいのだ

2010年01月10日 14時08分22秒 | オケの練習
 今年初の練習があった。「田園」の3楽章以降とカリンニコフ第一楽章を少し。

 弾き比べてみてカリンニコフがやさしく感じてしまうくらい「田園」の難しさが際立った感がある。なぜ「田園」は難しいのか?

 天才ベートーベンが磨き上げたこの曲(そうに決まっている)の完成度の高さというか、カリンニコフさんには申し訳な言い方だけど、ベートーベンの第6交響曲が 磨き上げたダイヤモンドで構成した完璧なデザインの王冠だとすると、片方はまだ荒削りな野性味が表に出ているというか・・・時代も文化も異なる人の音楽を比べてどうなる!とも思うが、なんだか王立美術館入りの一級品と民族資料館に飾っていある工芸品くらいの違いを感じてしまうのだ。ベートーベンさんには禊でもしてからでないと容易には近づけない威厳を感じるのだ。

 「田園」の演奏に求められるのは、まず美しい音だ。音程とテンポの合致は普通の曲の何倍もの神経を使って研ぎ澄ませなければならない。そのうえで正確なリズム、繊細でいて明確な音の強弱。それらが前提にないと合奏にならない、というかベートーベンの音楽をやってはいけないという気になった。

 だから指揮者も「この曲は個人練習が先だよ。いくらここにきて全体練習やってもだめ」とはっきり言っていた。納得だ。一人ひとりの演奏者が守るべき音楽の基本技術があって、ようやく指揮者が表現したい音楽を交響楽団として演奏できないということだと思う。言ってみれば当たり前なんだけど、ベートーベンにおいては揺るがせにできないのだ(学生時代の第5番でもそう感じていたな~、2nd Hrだったけど)

 実は、初めて楽譜を眺めたとき「田園ってけっこう楽勝じゃん」と思ったのだが、いざ弾きこなそうと思うと、ごまかして通せるところなどほとんどないことに気がつく。「ベートーベンの音楽にただの一音として無駄な部分はないのだ」と鬼千秋に怒られそうだ。(のだめの正月映画いまいちだったなー、みんな年取りすぎたんだよな~)。しかも実際の演奏速度での練習が開始されてわかったことなのだが、簡単に見えたエリアがとんでもなく演奏困難地区だったりする。

 しかしながら、「田園」はすっごく楽しい。ベートーベンの曲は聞いてもすごいけど、演奏してゆくにつれ、その緻密な設計、バランス、効果の演出の見事さにますます魅了されてゆくような気がする。「あー、この曲を弾きこなせてみんなと完璧な調和ができたらどんなに素晴らしいだろう!」とこれからを夢見ることができるのだ。

 ベートーベンという天才の頭の中は一体どんな世界なのか想像すらできないが、自分がドイツ人なら同じ国に生まれたことを誇りに思って一生暮らせるかもしれない。


 ところで、本日の失敗。

 3年目にして初めてのことだけど、暖かい練習場に入ってチューニングが始まる段階になって我が「チェロ子」の糸巻きがひとつ、またひとつと「崩壊」していった。「え!」と思う間もなくのこと。一番太いC線も、細いA線も、みんなビロビロ。こうなるとまったく困ったことになる。

 たまたまチューナー持ていっていたから良かったけど、冷たい廊下で調弦して練習場に戻ると、また急速に弦が緩んだり・・・
チェロの糸巻きって、サイレントチェロやギターみたいにもう少しメカニカルな機構にすればいいのに・・・
やっぱ音色に関係あんだろうな。てなことで、本日は慌てふためくこと限りなかったのだ。

(こんなことが本番直前に起こってしまったらどうするんだろう。ねじの押し込みが弱いんだろうか?)
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