学友が所属する「グローバル・フィルハーモニック・オーケストラ」の定期演奏会があった。
会場は「あの」すみだトリフォニーホール。
「3.11のマーラー」が100人にも満たない聴衆の前で演奏された会場だ。
僕も6月の再演を聴きに行ったっけ。あれからもう2年経とうとしている。
曲目は前半がブラームス「悲劇的序曲」とハイドン交響曲88番「V字」
後半にやはりブラームスの「大学祝典序曲」と、シューマンの交響曲第4番。
「悲劇的」の冒頭の一音から「すごい!」と心の中で叫んでしまった。
アインザッツの切れのよさ、弦楽器全体の響きのよさ、弦管打の調和。
どこをとっても素晴らしい。音が天から降り注がれるようだった。
ひょっとして すみだトリフォニーの音響の良さのせい?
と何度も疑ってみたが、違うと思う。
グローバルフィルに集う演奏家たちの質の高さが際立っているのだろうか?
各所に現れた主席同士のソロ、合間に響く木管の繊細な響き、金管のコラール、
ティンパニーがしっかりとオケ全体を底上げするセンス
・・・全てがアマチュアを越えていると思った。
曲が進むにつれて、pやppの繊細な美しさ、何よりも
弾き始めの一音を大切にする団員の結束を感じた。
個々の技術もさることながら、オケ全体がすばらしいのだ。
創立31年間に、オーストリア、モナコなど海外遠征もこなしてきた歴史の積み重ねが、
管弦楽全体が一体となった有機的な響きを生み出しているのだと思う。
はじめはオケを瀬踏みした面も、少しだけあったかもしれないけど、
後半は単なる一聴衆として素晴らしい管弦楽を楽しませていただいた。
グローバルフィルを聴いて思ったこと。
オーケストラは、個々の技術力では音楽にはなりえない。
全員で たった一つの音楽を創り出しているという事実の確認だった。
僕らのオケで真似できることがあるとしたら、弾き始めを大切にし、呼吸を合わせること。
特にppにおける繊細な神経の使い方は、心の一体感なしには成しえないと感じた。
いい演奏をありがとう!