ボーイング熟達への道は険しい。しかし一歩ずつ進歩していることも実感できる瞬間はある。月一回お願いしているプロの先生のレッスンで、このたび、遂に楽譜が渡されたのだ!
思えば2年に渡り、そのほとんどの時間は、G線中心の単音ボーイングを繰り返してきただけに、なんだかそれだけで嬉しかった。
楽譜といっても基礎練習のエチュードを、世にある様々なレッスンブックから「Alwin Schroeder」(?)という人が170本選び抜いて編集したものらしい。勿論今回のレッスンは、第一ページからで、開放弦のみの全音符の繰り返しの譜面だった。
まーエチュードなんてこんなもんだよね。こんな単純な段階はすぐに突破して、もっと難しいアルペジオとかに進むんだろうな。チャイコでもベートーベンでも、もっと難しい楽譜をずいぶん演奏してきているし・・「またここから始めるの?」とがっかりしかかったのはほんの一瞬
その後驚くことが起こった。
先生が「基礎の基礎のエチュード」である開放弦全音の楽譜を弾き始めると、まるで今、この場でコンサートが始まったような美しい響きが練習室いっぱいに広がったではないか!弾いているのは単なる開放弦の連続なのに、何と心をひきつける音色なのだろう。しかも先生は僕の楽器で演奏しているのだ。先生の今使っている弓とチェロを何度も確かめた。間違いない、僕の楽器を先生は弾いている!。
もはやレッスンはどうでもよくなった。自分の力量の無さゆえに、チェロ子をこんなにも花開かせてやれなかったんだという事実とともに、「僕の買った楽器って、こんなに良い楽器だったんだ!すごい掘り出し物かも知れない!」という驚き。本当の力をつければ「この楽器のセットならコンサートだって開けるんだ!」という嬉しさがこみあげてきた。
先生のお手本は、開放弦エチュードから2~3曲先のエチュードまで(といっても、第一ポジションをたまに押さえる程度のエチュードなんだけど)続くが、こちらはもうプライベートコンサート気分なのだ。練習始めに弾いてくれたバッハやらエルガーやらを含めて「もう今日は大満足!」とくつろいでいたら・・・
「では弾いてみて」と夢は現実にかき消された。
さて、開放弦だけの楽譜を自分なりに弾いて見ると「何でこんなに違うんだろう」と首を傾げざるをえない。先生のように「豊かに美しく」弾くことは極めて難しい。
譜面はA線で全音符2小節、D線、G線、C線も全く同じというな単純な練習なんだけど、音の途中は先生を真似てビブラートを掛けて弾くとまあまあだけど、弓を返すところで音が途切れるし、移弦すると音が汚くなる。
2年間続けてきたボーイングの基本が全てだということが、瞬間的、実感的に分かってしまった。弓を端から端まで弾ききる、いわゆる全弓で弾いているのだが、ダウンボーイングの最後あたりに来ると、手首を持ち上げたり、捏ねたりする癖が出てしまっていたのも自分で分かった。
全てを知り尽くすように先生からのアドバイス。全音符を4分割してスラーで弾いて見せ、次に4分割した音の前半3音を続けて静かに弾き、4音目の四分音符だけを勢いを持って弾き抜きながら弓を返して見せてくれた。
前段の4分割練習は、弓のどの部分を使っても同じ状態で弦と噛み合わせることの確認であり、後段は、弓を返す瞬間の練習を示してくれたのだ。
今度は自分でやってみると上手く行かない。先生がやれば、弓を返しても音が途切れることなく連続して聞こえるだけでなく、小節ごとにリズムを感じることが出来る。つまり先生は単なる音符の繰り返しを「音楽」に転換されているから美しいのだろう。自分がやると単なる四分音符の連続で味気ない[演奏]になる。
こうして、この日のレッスンは大きな課題を残して終了。この日の気付きは大きかった。これまで何となく、悪く言えば嫌々?やっていたボーイングの基本練習が、とても魅力的なものになった。全音の全弓での練習や、ゆっくりとした音階練習の全てが、弾く人の技量と心によって「音楽」になり得ることを目の当たりにして、単純でつまらないと感じていた練習の奥深さを見せ付けられたし、基礎練習に意味とともに喜びを感じることが出来るようになったことが一番大きい収穫だった。
思えば2年に渡り、そのほとんどの時間は、G線中心の単音ボーイングを繰り返してきただけに、なんだかそれだけで嬉しかった。
楽譜といっても基礎練習のエチュードを、世にある様々なレッスンブックから「Alwin Schroeder」(?)という人が170本選び抜いて編集したものらしい。勿論今回のレッスンは、第一ページからで、開放弦のみの全音符の繰り返しの譜面だった。
まーエチュードなんてこんなもんだよね。こんな単純な段階はすぐに突破して、もっと難しいアルペジオとかに進むんだろうな。チャイコでもベートーベンでも、もっと難しい楽譜をずいぶん演奏してきているし・・「またここから始めるの?」とがっかりしかかったのはほんの一瞬
その後驚くことが起こった。
先生が「基礎の基礎のエチュード」である開放弦全音の楽譜を弾き始めると、まるで今、この場でコンサートが始まったような美しい響きが練習室いっぱいに広がったではないか!弾いているのは単なる開放弦の連続なのに、何と心をひきつける音色なのだろう。しかも先生は僕の楽器で演奏しているのだ。先生の今使っている弓とチェロを何度も確かめた。間違いない、僕の楽器を先生は弾いている!。
もはやレッスンはどうでもよくなった。自分の力量の無さゆえに、チェロ子をこんなにも花開かせてやれなかったんだという事実とともに、「僕の買った楽器って、こんなに良い楽器だったんだ!すごい掘り出し物かも知れない!」という驚き。本当の力をつければ「この楽器のセットならコンサートだって開けるんだ!」という嬉しさがこみあげてきた。
先生のお手本は、開放弦エチュードから2~3曲先のエチュードまで(といっても、第一ポジションをたまに押さえる程度のエチュードなんだけど)続くが、こちらはもうプライベートコンサート気分なのだ。練習始めに弾いてくれたバッハやらエルガーやらを含めて「もう今日は大満足!」とくつろいでいたら・・・
「では弾いてみて」と夢は現実にかき消された。
さて、開放弦だけの楽譜を自分なりに弾いて見ると「何でこんなに違うんだろう」と首を傾げざるをえない。先生のように「豊かに美しく」弾くことは極めて難しい。
譜面はA線で全音符2小節、D線、G線、C線も全く同じというな単純な練習なんだけど、音の途中は先生を真似てビブラートを掛けて弾くとまあまあだけど、弓を返すところで音が途切れるし、移弦すると音が汚くなる。
2年間続けてきたボーイングの基本が全てだということが、瞬間的、実感的に分かってしまった。弓を端から端まで弾ききる、いわゆる全弓で弾いているのだが、ダウンボーイングの最後あたりに来ると、手首を持ち上げたり、捏ねたりする癖が出てしまっていたのも自分で分かった。
全てを知り尽くすように先生からのアドバイス。全音符を4分割してスラーで弾いて見せ、次に4分割した音の前半3音を続けて静かに弾き、4音目の四分音符だけを勢いを持って弾き抜きながら弓を返して見せてくれた。
前段の4分割練習は、弓のどの部分を使っても同じ状態で弦と噛み合わせることの確認であり、後段は、弓を返す瞬間の練習を示してくれたのだ。
今度は自分でやってみると上手く行かない。先生がやれば、弓を返しても音が途切れることなく連続して聞こえるだけでなく、小節ごとにリズムを感じることが出来る。つまり先生は単なる音符の繰り返しを「音楽」に転換されているから美しいのだろう。自分がやると単なる四分音符の連続で味気ない[演奏]になる。
こうして、この日のレッスンは大きな課題を残して終了。この日の気付きは大きかった。これまで何となく、悪く言えば嫌々?やっていたボーイングの基本練習が、とても魅力的なものになった。全音の全弓での練習や、ゆっくりとした音階練習の全てが、弾く人の技量と心によって「音楽」になり得ることを目の当たりにして、単純でつまらないと感じていた練習の奥深さを見せ付けられたし、基礎練習に意味とともに喜びを感じることが出来るようになったことが一番大きい収穫だった。