いつもお世話になっている善福寺手帳さんのご紹介で
チャイコフスキー国際コンクールのライブをが見られる。
http://pitch.paraclassics.com/#/live/cello
たった今からイタリア人の挑戦者が演奏をはじめるところ。
画面を開けるたびに時間が異なるから オンディマンドかも・・
アーカイブでは予選らしい動画も見られるのも嬉しい。
いつもお世話になっている善福寺手帳さんのご紹介で
チャイコフスキー国際コンクールのライブをが見られる。
http://pitch.paraclassics.com/#/live/cello
たった今からイタリア人の挑戦者が演奏をはじめるところ。
画面を開けるたびに時間が異なるから オンディマンドかも・・
アーカイブでは予選らしい動画も見られるのも嬉しい。
師匠に「再入門」してから、最近は左手の基本練習に移ってきている。
そんな中で 先日5時間に渡って見てきたMETライブヴューイングの中で、
レヴァインが弦楽器に対して「ここはもっと深い音で」と指示する場面があったので
「深い音ってどんな音でしょう」と師匠にたずねると
「それをやりたくて練習しているんですよ」ということで深い音の練習に。
まずは「これぞ深い音」というものを師匠がやって見せてくれた。
マイチェロと弓なのに、先生が弾くと豊かに艶やかに音が湧き出てくる。
始めは静かに入って、次第に深く響く演奏ができるには、ビブラートや左手も大事だが
まずは右手のボーイングをしっかり学びなおさなければならないことがはっきりと分かった。
ここから、再び右手のボーイングの基本練習に「逆戻り」してしまった。
G線開放弦でのダウンボーイングの練習は、もう4年近くやっている。
4年間これだけをやってきたともいえるが、未だに安定的な段階に至っていない。
「またか・・」という顔をしたかどうかわからないが・・先生は「以前より良くなったんですよ」
「最初こられたときはそれはひどい状態だったから」とこれまでの変化を再現してくれた。
1)初めてレッスンしたとき・・・ひどい音、ひどい姿、ひどい顔で演奏
2)最近のボーイングの状態・・・・大分鳴るようなってきたが、芯まで鳴っていない大きい音
3)そして芯まで響く豊かな音・・・「おお~確かに違う、響いている」と感じた
先生はへたっぴ~なチェロ演奏の真似が実に上手で、この三態はまさに秀逸。
特に初めて訪問したときの演奏の真似では、左手には思いきり力を入れて握り締め、
弓を弦に押し付けて、まるでヤスリでこすったような音まで出してくれた。
恥ずかしいやら、可笑しいやらで、大笑いをしてしまった。
この実演で思ったことは、三段階の違いを感じて笑えるようになった自分の成長だった。
以前は先生がダメと言っても、何がダメなのか音質の違いが分からなかったのだから。
それが「芯まで届いている音」と「ただ大きく鳴らしている音」の違いを感じるようになったのだ。
でも自分の音は、初心者より大分良くなってきたとはいえ、まだまだ課題は残っている。
弾き始め(鳴り始め)の瞬間からハッキリと太い音が出ていないことが多いのだ。
先生がダメだしするのは、芯まで届かない音は無論だが・・・
×恐る恐る弾き出す 力のない音
×乱暴に、雑に弾き始めた音
×引っ掛かった出だし
×「後出し」みたいに だんだん膨らむ音
これらはいずれも使いものにならない。こうした×の音出しの癖からまだ抜け出せていない。
そしてこの後は、「芯まで鳴る」「深く鳴る」音を出せるよう、右手の集中レッスンとなった。
レッスンの様子を言葉で描写することは大変難しいので、この日の右手のレッスンで
師匠はどんな言葉を口にされているかを思い出して並べてみようと思う。
(以下は全て、G線開放弦でのダウンボーイングの練習中におっしゃった言葉だ)
「まず毛の一本から、丁寧に入る」
「がさつにではなく・・・雑にしないで!」
「そう、弓の毛が斜めに入る感じでぇ~・・」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「違う、(弦を毛が)噛んだらそのまま引っ張るだけ」
「弾くのではなく・・」
「違う、弾いている」
「まだ弾こうとしている」
「そうではなく、弦と合わせるだけで」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「慌てないで、急がないで」
「また横に無理に弓を動かして弾こうとしてる!」
「無理に弾くのではなく・・・それでは弦の上をこすっているだけ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「力むと芯まで届かない、力を入れない」
「力は全部抜いて、力んだ音はすぐ分かりますから」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「深く入る、そう、今入ったでしょ」
「届いた」
「そうそう、それでいいんです」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ま~なんのことか分からないかもしれないけど、僕が一貫してやっていたことは、
右手の弓で、ただひたすら、何十回となくG線をダウンで弾く練習だけ。
これだけのことが1時間以上続いたときに「そう、それでいいんです!」が出た。
その後何回やっても「それ、その通り、それでいいんです」となったのだった!
こんなことは初めてで、ようやく「即座に深く入る」感覚を自分の体に刻み込んだ気がする。
レッスンの最後に先生は、まるで弓が弦に張り付いたように、ゆっくりとした弓使いで
G-Durのスケールを弾きながら 「この音階ができれば、これが全てですから」とにっこり。
無論 「これはそう簡単にはできないよん」とおっしゃっているように感じた。
定演が再来週に迫ってきた。通常の総練以外に、弦の分奏練習とロビーコンサートの練習が加わってきた。
こうした中で「市原フィルらしいありかた」の秘密を垣間見た気がする。
<シーン1:効果大きいチェロ分奏練習>
今日のチェロ分奏は、ニールセン中心に「速く動くところをやろう」ということで、
主席のリードで、難易度が高い(おそらくプロでも大変らしい)部分を取り上げていった。
闇雲に演奏するのではなく、5倍くらい遅いテンポで一音一音あわせてゆく。
まず優先することは縦(音の始まり)を揃えること。
次にはfzがついている部分で弦を一杯に使って強弱を明確に弾く練習。
そして最後に音程の確認だ。
この優先順位付けは、極めて合理的だと思う。猛烈な速度で動くパッセージには
おおむね管がかぶさっており、弦としてはまず縦をそろえなけりゃ音楽にならない。
他のアマオケを聞きにいっても、縦が揃っていると、大変かっこよく感じる。
最後に音程の確認だか、市原のメンバーにはやたらと音感のいい人材が揃っていて、
どこかの♯を見逃すと、すぐにばれてしまい「いまんとこ、もう一回」とか、一人ひとり弾いて犯人探しする。
こうしないと自分が思い込んでいるフレージングを矯正することは難しいものだ。
僕だけでなく他のメンバーもここで気づくことがあり、分奏という練習方法は大変効果的だ。
一通り音が合ってきた段階で、速度を何段階かで速めてゆき、最後に本番スピードで繰り返し練習をした。
困難箇所を繰り返すことで、確実に音が揃ってゆくのが感じられ効力感一杯の練習だった。
<シーン2:気合の入ったロビコン練習>
昨年の市原フィルの演奏会を見にいって驚いたのは、会場となる市原市民会館のロビーが非常に広く
20~30人程度の弦楽アンサンブルも可能なスペースがあったことだ。
ここで演奏会に先立って行われるロビーコンサートは、スペースが広いだけに、弦楽アンサンブル、
金管アンサンブル、チェロアンサンブル、ファゴット木管アンサンブルなど数多くの出し物で、
本番演奏会へのプロローグを演出していた。
そのロビコンを数百人ものお客さんが取り巻き、全員で本番へのムードを高めていたのには感心した。
今年は、弦楽アンサンブルだけでも「アイネクライネ・・」「映画タイタニックから」のほか、
シベリウスにちなんで「Andante Festivo 」の練習があった。
コンミスもかなり気合を入れて練習をリードしてくれていたが、これら全ての企画が団員の自主性で行われてゆく。
<シーン3:総練で指揮者にクレームが出た・・>
定演が近づいたからだろうか、このところの総練で「指揮者の振り方が分かりにくい」というような指摘が出されることが複数回あった。
本日の総練でも「分かりにくいんですけど・・」のようなクレームが出されていた。
無論小出さんを全員が信頼していることは前提なのだが、総連でそういう声がかかると僕など「ドキッ」とさせられる。
指摘された小出さんも大した方で、平然と受け止め、その部分を再度演奏して調整してゆく。
本日分奏から総連まで、様々なシーンで考えさせられたのは・・・
Q:市原フィルという楽団は誰のものか?
Q:楽団は何を目指して切磋琢磨しているのか?
Q:この楽団の根本においている「価値基準」はどこにあるのか?
という類のことだった。
なぜこんなことを思うかというと・・・
たとえば、チェロの分奏練習に、隣ではすぐにバイオリンの分奏があるのにコンミスがやってきてくれて、
最初の何十分間は、テンポ取りと、音が合わないところの指摘もしてくれていた。
チェロ主席にとっても、ましてやコンミス自身は十分演奏できるので、
こうした練習指導は、極論すれば団員への奉仕、余分な苦労なんだよな~と思う。
(チェロ練習の会場取りは、バイオリンのMさんがいろいろ面倒を見てくれていたよな~。)
指揮者への「果敢なクレーム」もそうだ。
指揮者が単なる権威者だとしたら、腹立てて終わっちゃうかも知れない。
指揮者にも言い分はいくらでもあるはずだからだ。
でもそうはならなかった。
指揮者も団員も「ある目的のためには平等である」ということなのではないだろうか。
ではその「ある目的」とは何か?
市原フィルハーモニーは、何を共有基準にして行動している集団だというのか?
僕が思うのは、全ては「最終的にキラキラに輝く演奏会をしたい!」という目的に向かって一致していて
その目的のためには、上も下もなく、全ての関係者が「平等」だということではないかと思う。
それ以外の価値基準では(あるいは価値の序列の置き方では)、
こうした各シーンでの、あるときはシビアな、あるいは献身的な姿はありえないのではないかな~。
世の中はあの「東京電力」ではないが、なんだか分かりにくいルールや、
目に見えない、くだらない基準が幅を利かせていることが溢れかえっている。
その結果、つまらない気遣いや配慮の塊が、多くの人の元気を萎えさせている。
僕の関わる企業社会では、人間の「萎縮」や「小粒化」が大きな問題となっている。
本日感じた市原フィルという「集団」は、
僕がこれまで通過してきた様々な組織では見られない、
自由で平等な、稀有のカルチャーを育んできた集団ではないだろうか。
この場が、老若男女の個性を引き出し、活かし、輝かせてゆく。
このカルチャー=「市原フィルらしさ」を失うことは、決してあってはいけないと思う。
(そのためにも、呑み会は非常に大事なんだろうな~僕は呑めないので苦手だけど)
初めて「それ」を見たとき「な、なんじゃ!これは!」と立ちすくみ、しばし見とれ、写真に収めていた。
品川駅の港南口でのことだった。
そのときの興奮、感動はたまに思い出され、品川まで見に行きたいな~なんて思っていた。
ところが、今日浜松町から竹芝桟橋に向かって歩いているときに、あったのだ!
それがこれだ。
品川駅の南に比べると、少し古びて錆びがでているけど、十分明るく楽しげだ。
毅然とした姿勢で踏ん張る男の子がいい。
後ろからホースを支えている女の子の表情もいい。
殆どの人が気づかずに、踏みつけて通り過ぎてゆくだけの蓋にこれだけのデザインが施されている!
蓋には水道局のマークがついていて、明らかに東京都の管理物件だと分かる。
ということは、役所の誰かがこの図案を構想し、起案し、それが役所の中の
いくつもの判子を通過し、決裁され、納品されてここにあるということになる。
何を言いたいかといえば、要するに可愛い「漫画」を公共施設の中心にすることで
「何を無駄なことやっているんだ!」と叱責されてもおかしくないはずなのに、
「どうしてもこれでゆきたい」という気持ちを込めた お役人がいたということだろう。
「捨てたもんじゃないな~日本の役人さんも」と素直に感動してしまったのだ。
「待てよ、僕と同じ感動を味わっている人はいないのかな~」と
ネットに「消火栓の蓋」を入れてみた。すると・・・
なんと「消火栓の蓋博物館」とか「消火栓写真館」という立派なサイトが存在しているではないか
http://shokasen.web.fc2.com/index.html
この「写真館」を見ると、東京23区の消火栓蓋もしっかり登録されているだけでなく、
全国の消火栓の写真が一堂に集められている。
立ち止まるだけでなく、執着というか強い愛着をもって収集している御仁が存在したのだ。
この写真館を覗いてみると、消火栓は通常のマンホールの蓋とは異なり、
赤、黄色など目立つ色に塗られているのが常識であることが分かる。
それはいいとして、東京都のように、かわいいデザインは存在するのだろうか?
役人さんの遊び心は、日本のなかで、どこまで普遍的なのだろうか?
すると、まず見つけたのが岡山市の消火栓蓋だ。 ”桃太郎”が消化活動やっている。
でもちょとこの桃太郎、気が弱そうで、鬼退治できるのかな~ちょっと真面目すぎだよね。
次に同じく岡山県の倉敷市。
これって「水滴君?」 かなりファンキー路線で突き進んでるな~。
漫画キャラ的なのは、この岡山組くらいか・・・おっと、もう一つ尾道市にあった。
笑顔が明るいのがなんだかほほえましい。
もし岡山、倉敷、尾道の消火栓蓋に初めに遭遇していたら、僕はやはり立ち止まって驚いたと思う。
でもデザイン的には東京都内の男の子と女の子が協力して消化に当たっている姿は秀逸だと思う。
さてこうしてみてくると、中国地方の3都市と、東京23区だけが
漫画的なキャラを中心にデザインをしていることがわかる。
これはなぜなんだろう?
たまたまそのときのその街の役所に、遊び心をもった推進者がいたということなのか、
それともこれらの地域の役所には、明るく自由な組織カルチャーがあったということなのか
あるいは・・・
理由は分からないが、こうしたデザインが実現出来ていることをもっともっと誇りに思って、
さまざまな公共施設に、もっと遊び心や、日本という国の底流に流れている、
カブク心を出し切ってもらいたいものだと思う。
秋葉原の「もえ~」も、アニメも、漫画も、思い切ってやってみたら、日本人の持つ美意識は
世界を魅了しはじめているけど、もっと大事なことは日本人を縛ってきた「何ものか」を
開放し始めていると感じるから。
追伸 よ~く見たら、もっともっと多くの街で、化粧蓋というのが存在していた。
効率一辺倒の中に、こんな遊びが息づいていることは、嬉しい限りだ。
自分勝手な思いを綴っていたら、1000アクセスに達していました。
本当に、こんな独り言に付き合ってくれて、皆さんありがとう!感謝です。
見てくれている人は200人くらいいらっしゃるようなので、何度も見てくれているのかな~?
最近、歳も重ねて、恥ずかしさや気負いは薄れているので、このまま続けさせていただこうと思います。
思えば、4年前の2007年3月に思い切ってチェロを購入した時に、自分をチェロに導いてくれた
NY在住のGuarneriさんに啓発されて(真似っこして)ブログも始めたのでした。
Guarneriさんはその後、自分のチェロ体験を一冊の本にまとめられて、ブログの世界から去って
行かれました。
大変寂しい思いをしましたが、せめて自分のチェロとの格闘を綴ってゆくことで
恩返しをしているつもりなのかもしれません。 ま~ぼくにとってGuarneriさんは永遠のアイドルですね。
さてそろそろ仕事も切り上げて、今日も寝ます。 おやすみなさい。
追伸:のどの手術のこと
2週間を過ぎて、ほぼ痛みもなくなり「子どものときのような」朝の目覚めを迎えられるようになりました。
とんでもなくすっきりとか、スッキリさわやか とかではなく、パチッと目覚めて後から眠くならないという目覚めです。
もし、無呼吸やおおいびきで困っている方は、手術というオプションも有力な方法として考えられるといいと思います。
たった一年で酸素ボンベ代をカバーできるだけの経済性をはっきすることは間違いないことです。
ただ、2週間は食事のたびに、何かを飲むたびに、ばっちり痛いです。これだけは覚悟されるといいと思います。
METライブビューイングの準備の一環として、「指輪」を全曲聴いておきたいと思って
amazonで注文しておいたCD-BOXがカリフォルニアから届いた。
ライブビューには間に合わなかったけど「指輪」の全曲が手に入ったことは嬉しい。
プチプチで包まれたパッケージを開けると、CD-BOXが出てきた。
BOXを開けると、なんとCDが14枚も入っている!
え~そんなに長いの」と始めは思ったけど、ワルキューレだけでも4時間半かかるんだから当然だと思い直した。
全部聴いたら一体何時間かかるんだろう・・・平均60分として14時間かかる。
演奏はメトロポリタン歌劇場オーケストラ、James Levine の指揮で、スタジオで録音されたという。
このCDの制作に一体どれだけの歳月が必要だったんだろう。苦労がしのばれる。
そんな貴重な録音が、円高の影響で、たった6000円台で手に入ることに驚く。
とりあえず全曲PCに取り込んで、明日からwalkmanで聴きとおそうと思う。
マーラーの5番をしっかり聞いたことなかったので、今回は新日本フィルの演奏会に行ってきた。
(すみだトリフォニーは千葉への入り口としてアクセスし易いところがいいんだな~)
振るのは・・・タングルウッド音楽祭で小澤征爾のもとで勉強し、2010年9月から
NJPの”Music partnero of NJP”という呼称の指揮者に就任したダニエル・ハーディングだった。
僕は指揮のことは全然分からないけど、マーラーの交響曲5番を頭から通して聞いてみた印象は
「こりゃ恐ろしく個人技が求められる、プロが演奏する音楽だ」ということ。
冒頭からTpのソロで始まり(このとき指揮者は棒を振っていなかったようだけど、Tpに任せたのか・・)
特に3楽章など、Tp,Hrの神業的演奏技術がなければ成立しない。
ある意味全ての楽器にソリストとしての才能が求められている感じだ。
トランペットの演奏もそうだが、第一ホルンのソロは半端な技術ではこなせるものではないと感じた。
昔ホルンやってたからわかるつもりだけど、主席の鈴木高通さんのハイトーンの美しさは、
それは見事なものだった。
Hrだけでなく、Tbのソロ、チューバの確実な演奏、弦楽器では途中Vn Vla Vc の各主席だけで
かなりの時間ピチカートなど交えてアンサンブル状態だったっけ。
あちこちにすごい演奏がちりばめられている曲だった。
これって新日本フィルに集まっている演奏家の素晴らしさなのかどうか、
他のプロオケとマーラーを見比べた経験の無さゆえ、何もいえない。
「この曲はアマチュアが近づいてはいけない」。
直感的にそう思った。
でもチェロも随所に美しいソリが出てくる・・あそこはやてみたいんだが・・・
いつの日にかこの曲を演奏できる日がくるのだろうか・・・
本日の演奏会は東日本震災のチャリティーコンサートだったので、
冒頭はエルガーの「ニムロッド」がおごそかに演奏された。
そしてマーラーの終了後、会場の拍手は鳴り止まず、ハーディングは何度も会場に現れた。
またNJP団員からも絶大なる賞賛が送られていたが、結局アンコールは演奏されなかった。
ん~ここらの「場」が僕にはよくわからなかった。
演奏自体は本当に素晴らしかったけど、ハーディングへの賞賛だったのかな・・・
演奏会、クラシック、チャリティー、就任公演・・・・いろんな文脈が絡んでのことだったのか。
ここらあたりの作法というか、非言語的なコミュニケーションについては残念ながらよくわからないことが多い。
もう少し今年は、プロの演奏に触れてみようと思う。
耳にも肥やしをやらないと、何もつかめないと思うから。
ライブビューイングというのが、アメリカではポピュラーだと友人から教えられた。
ニューヨークのメトロポリタン劇場の音楽監督就任40周年を迎えたJ・レヴァイン指揮による
「ワルキューレ」のライブビューイングが、日本でも上映されるというのでネット予約しておいた。
6月17日に銀座の東劇で上映される「ワルキューレ」が、実は今年のMETライブビューイングの
最終回だと後から知ったのだが、僕はその17日の午前11時からの回に向かった。
<スタート前や休憩中の画面>
金曜日の朝から映画館に来られる人は限られている。大きな会場は、完全予約制だけどガラガラ。
夕方4時過ぎまで、5時間14分の長丁場なので、かえって空いているのでホッとした。
途中で抜け出せるだろうし、前後左右、好きなところに席を移動しても怒られることはなかった。
本物の劇場ではないので、臨場感は全く異なるものの、映画的なカットで細部をはっきり見せてくれるし
途中P・ドミンゴによる出演者インタビューや、舞台装置の説明など見所は多い。
<レヴァイン>
レヴァインによる、歌手とMETオーケストラの合わせ練習風景や、
ワグネルホルン、バストランペットなど、独特の金管楽器紹介も楽しかった。
オペラそのものがどうのと講評するだけの見識は持ち合わせていないが
今回の「新演出」では「マシーン」と愛称されている巨大な舞台装置が大きな効果を発揮していた。
コンピューター制御される数十本の板と、その板に投影される背景や模様でシーンが切り替えられる。
この「マシーン」の総重量は45トンにも上るため、メトロポリタンの舞台を支える構造体まで
この演出のために作り直されたという。
例えば冒頭の森の中をジークムントが逃げる場面では、数十本の板が直立して森になる。
バルハラ宮殿の場面なら、横に倒された板がなだらかに山をなし、その上で舞台が進行する。
特に印象的な演出で驚いたのは、第3幕終盤の「ワルキューレの騎行」のシーン。
一枚おきにワルキューレがまたがり、馬が駆けるように一枚一枚がシーソーのように上下した。
到着する場面では、滑り台のように、一人また一人と板から舞台にすべり下りた。
ラストシーンでブリュンヒルデが眠らされ、炎で取り囲まれる演出は、マシーン全体が
真っ赤に燃え上がるように立ち上がり、その真ん中にブリュンヒルデ役のデボラ・ボイトが
逆さまに釣り下げられた状態で幕が閉じられた
<ラストシーン>
斬新な装置なので、新しい演出ばかりに注目してしまったが・・・
全体にMETのワルキューレは、昨年バイロイト音楽祭が全世界ライブ放送された時の
映像と比べると、歌手の演技が素晴らしいことと、役作りがより人間臭いと思った。
たとえばブリュンヒルデは大変かわいい、お茶目な演出があり
ヴォータンは、神のボスなのに人間の男として、親父としての苦悩を感じさせたし
妻のフリッカも、秩序の番人でもあるが、夫を攻め立てる憎たらしい女房役と感じた。
ハリウッド、ブロードウェイでの興行の歴史を持つ、エンターテインメントの国
アメリカらしい演出なのではないだろうか。
さて、5時間半。どれだけ持つかな~と恐る恐る参加したものの、
ほとんど寝ることもなしに楽しむことができたと思う。
本番ではなく、映画館の気楽さもあって、コーヒー飲みながら、ポップコーンかじりながらの
METオペラの観劇というスタイルは、僕にとっては気楽で合っていると思う。
また来年も「ニーベルングの指輪」の後半が行われ、ライブビューイングでも見られるという。
ぜひまた見に行きたいと思う。
「すごく痛いんですが」
「痛いのが前提ですから」
~電話口の看護師は、手馴れた感じで答えた。少し事務的な匂いがした。
我慢できない痛みと、不安から医院に電話した時のことだった。
実は電話した前の日に、手術から一週間経ったので、医師による中間チェックを受けていた。
耳鼻科特有の、おでこから突き出た強力ライトで照らしながら、舌をヘラで押さえつけつつ
全面マスクの先生は僕の喉の状態を覗き込んだ。一目見て・・
「こりゃ痛いね~」
先生にそう言われると「そうか 痛くていいんだ」って安心できるから不思議なもんだ。
「でもあと3,4日だからね、今週からクスリは一種類減りますからね」
ということで完全回復への第二週目が開始された。
ところが、その翌日あたりから・・・
・唾を飲み込むと痛い。
・あくびをすると痛い。
・歩いたり、起き上がったりして首を動かすと痛い。
・バナナは大丈夫だろうとかじった瞬間「ギャー!」というほど痛い。
・プリンならと思ったが、甘いものもひどくしみる。
・昼飯に天ぷら蕎麦をとったのに、天ぷらはまるで凶器のようだった。
つまり第1週に比べると、痛みの部位が、喉から首筋にかけてナイフで傷つけられたような、
引きつるような痛みが加わってきたのだった。
「回復するどころか・・何かおかしいんじゃないか・・・」と迷った挙句、医院に連絡をしたのだった。
ところが出てきた看護師のお嬢さんは、冒頭のように、動じることもなく、至極当たり前といった風情。
「痛いのが前提ですから、頑張ってください」
「でも先週より痛いみたいなんです」
「第二週の方が痛みが強くなる人も多いですから」
「でも・・・・」
「痛みは2週間続きますけど、2週間を越えて痛みが残った人はいませんから」
こう言われたら反論のしようもない。
確かにホームページにも『二週間は食事のたびに痛い』とあった
「ん~そうですか(事実は書かれている)・・分かりました・・・」と引き下がった。
無呼吸&いびき対策の手術の総括講評をするにはまだ早いものの、
ここまで痛みが続くことは「全くの想定外」であった。
もしこのような痛みが前提としてあるなら、果たして手術を決めただろうか・・・
少なくとも、お気楽に予約して、チョチョイノチョイで終わるという想定は楽観的過ぎた。
もしこの現実を知っていたら、果たして決め切れたかどうか・・・わからないのだ。
ただ、手術による効果はすでに現れて始めていると感じる
・「上を向いては寝付けない」という状態は脱することが出来ている。
・少ない睡眠時間なのに昼間なぜか眠くならないことも感じている。
この2点だけでも、術後の成果はあるのだといえると思う。
2週間の苦痛は、今後の自由を考えると、帳尻は十分合うと頭では思うのだ。
しかし、この痛さ、苦しさを知っていたら、手術を決断しなかったかもしれないとも思う。
要するに、何も考えずに切っちまって正解!というところだ。
(今こうしてブログを書いているけど、歯まで痛くなってきた。座薬を使おうかどうか迷っている)
定期演奏会まであと28日。いろいろと慌しくなってきた。
演奏会開催となると、想像もできないくらい様々な業務が発生する。
ステージマネージャーや司会者の確保など演奏会そのものの運営関係も大変だけど、
・参加費の団人からの集金
・ポスターや広報の徹底、
・エキストラの送り迎え、
・参加者が多くなるので満杯になる駐車場の確保相談、
・打ち上げ会場の確保、さらには二次会のセッティングまで、
一気に様々な課題への対処が求められ、各委員から連絡、報告、強力依頼などが行われた。
我々新参チェロメンバーの近辺でも、ホームページの改定プロジェクトが結成された。
演奏会が近づくと、ホームページを見にくるひとが増えるのに、今のHPじゃだめということだ。
たしかに、僕ら新参メンバーが「なぜ市原フィルに来ようと思ったか」と聞かれれば、
全員がホームページの楽しそうな活動の写真に魅力を感じたと答えている。
「その割には、最近新しい写真に変えてないじゃない」
「トップページの写真古すぎる」
「曲目紹介まだ去年の演奏会のままじゃない」
「東京都でもないのに、なんで銀杏の葉なの?」
などなど、クレームはどんどん出てくる。
そうこうするうちに、かのスパーコンミスから、昨晩メールが我々メンバーに発せられ
「とりあえず演奏会向けに手直しできるところから実行しましょう!」という強いメッセージが届いた。
するとあっという間に、曲目紹介と、演奏会の基本情報が改定されたのだった。
http://ichiphil.web.infoseek.co.jp/
(曲目紹介は、アマチュアオーケストラのための「フロイデ」に載せていた小生の文書を転載してもらった。)
さて、こんな慌しさを感じる今日の総練に、またも新しいチェロ入団希望者が登場した!
「チェロバブル」は収束していなかった!
マイチェロを抱えて、定演まで1月を切った段階で、総練に参加されるのだから実力の持ち主に違いない。
それでもニールセンやらシベリウスやら、まさか初見で弾きこなせるシロモノではない。「お手並み拝見」ね・・
ところが、僕が弾けなかったり、ボケっとしてミスしているところをズンズン進んでゆくではないか。
良くみると、チェロのリーダーから譜面を渡されてはいたようだけど、それにしても短時間で
ニールセンの大半を弾きこなすというのは、大変な実力だ。
「これは、おちおちしてると、やばいことに・・」
「降り番が出てくるかもしれない、となると筆頭は自分・・・」
とまあ、定演が迫ってくる中で、指揮者の小出さんも本番に近い速度、本番と同じ構成で、あまり休憩なしに
全体を通すことが多くなったし、バイオリンの宮川さんもどんどん完成度を高めていて
全然気が抜けないうえに、新たにチェロの有力団員も加わり、緊張感のある総練でありました。
追記1:久しぶりに録音をして気づいたこと。全体に曲らしくなってきたけど、チェロだけに限っても音が汚い。
ユニゾンであれ、和音であれチェロだけでも音を合わせないと、聞かせられない状態だと感じました。
自分もその元凶かもしれないが、チェロ錬ではスローな部分の音あわせも必要だと思います。
追記2:なんと銀杏は「市原の木」でしたので、変更はしないことになったそうです。
システム担当のMさんが、色調を初夏向けに変えてくれました。このスピード感すごいですね。