チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

一流チェリストの若き日の葛藤が面白い

2011年05月30日 15時02分09秒 | レッスン

いま「語り継ぐ 齊藤秀雄のチェロ教室」を読んでいる。


そもそも我が師匠に再入門しようと思ったきっかけの一つに、この書籍もあった。
堤剛、藤原真理、山崎伸子など16人の超一流チェリストが、齊藤秀雄に師事した若き日の
レッスンのありようを、何グループかに分けて語り合っている。

あるものは小学校時代、ある人は高校から。
また時代的には戦前に習っていたひとも、
戦後多くの海外アーチストと接点ができてから教えてもらえるようになった人も。
時代によって齊藤秀雄の教えは進化(変化)していったことも語られている。

会話の中身は、無論チェロ一色。
「僕は左手の叩きだけ3ヶ月かかった」
「弓を持たせてもらえるまで長かった」
「親指を離して押さえることばかりやらされた」
「何を怒られてるのかも分からないまま怒られ続けた」
といった調子で、ベートーベンのソナタやら、コンチェルトを子どものころから
弾きこなしていたような才能ある子どもたちが、
基礎の基礎から叩き込まれた様子がありありと語られてゆく。

思えば堤剛さんも、ヨーロッパデビューしたあと渡米してシュタルケルに(だったと思うけど)師事したが、
最初の1~2ヶ月かは音階しかやらせてもらえなかったってTVで話していたな~。

「語り継ぐ」に値するのは、サイトウキネンに集う多くのプロを輩出した齊藤秀雄のチェロ教育の姿勢なのだが
ぼくにとって一番価値を感じたのは、一流のチェリストたちが、若き日に、どのように感じ、葛藤し、乗り越えて行ったか・・
彼らのチェロとの、音楽との真剣な格闘の軌跡だ。

高齢者になってチェロに初めて触れた人は「文句が多い」と我が師匠は嘆かれる。
そのお気持ちが少し感じられる気がする。(我が師匠はこの学派ではないと思うけど・・・)
子どものころは、先生の言うままに、習うより慣れろで努力したからこそ、
今のプロとしての自分がいる・・ということなのだと思う。

一流プロの思い出話だけではなく、左手親指の位置、ポジションのとり方など細かな技能・技術の指導内容や、
海外アーチストとの接触で技術が進歩してゆくさまが写真入りで解説されているのも面白かった。

ずでに絶版になっているが、嬉しいことにamazonでまだ入手できる。
チェロ、座右の書が一冊増えた。

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「東京原発」は未来予言的な、すごい映画だったんだ

2011年05月26日 02時43分16秒 | その他雑感
「東京原発」? 社会派か~つまらなそうだな~と思って見なかったけど、
(役所広司演じる東京都知事が、都内に原発を誘致するという話らしい)
その中に、怪しげな学者が「原発の危険性」を語っているシーンがあるという。
 YouTubeで見てみると、全て完全な事実であったことに驚く。
そのシーンがこれ。
http://www.youtube.com/watch?v=3gFvgSFumog

レンタルする価値がありそうだ。 

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迷いを脱し、本気で師匠に再入門した。

2011年05月25日 04時02分20秒 | レッスン

オケの練習を通じて、自分の技量がなかなか進んでいないことをずーっと感じてきた。

いろいろ迷ったけど、全く新たな気持ちで師匠の門を叩いた。61歳での再入門だ。

「本気でチェロが上手くなりたいので、レッスンを増やして、徹底的に教えていただきたい」
とメールを出したところ
「ようやく本気になってくれたようで、大変嬉しく思います」
と返事をいただいていたので、レッスンに向かったのだった。

すでに先生は全てを察しておられた。
「右手が使えるようになって左手の段階になると、みんな壁にぶつかって文句が多くなるんです」
先生のいう「文句」とは、思い通りにならないことをあ~でもない こ~でもない
自分以外のせいにしようとすることなんだけど、僕もその一人だった。

思えば、前回、弓を全く使わない不思議なレッスンで学んだのは、この左手段階への入り口だったのだ。
誰でも右手はかなり上手になるそうで、左手はマチュアの99%がコチコチに固まってしまっていて、
スムーズな移動ができないだけではなく、様々な身体的障害につながるという。
一言で言えば「左手の指の独立的な動きが出来ていない」そうだ。

そして今回の「再入門」で、全てがすっきり解消した。
左手の感覚が全然違ってしまった(気がする)
指先の下で弦が遊んでいるというか、むずむず振動していることが分かるし、
自分の指が弦の上をラビットのように飛び跳ねている感覚になってきた。
(気のせいではなく、少なくとも左手が全く力んでいない!オドロキ!)

月二回のレッスンをきっちりこなせば必ず前進できると直感できたのが嬉しい。

 

これまでの迷いの根本原因は、オーケストラで演奏しなければならない曲の練習と、
師匠が情熱を込めて指導してくれている「基本技術との乖離が大きい」こと
そこに原因があるんじゃないか・・・と思っていた。

茂原での初ステージの感激のあと、オーケストラの定期的な演奏会参加をこなしつつ、
オケの仲間とのアンサンブルや友人との気の置けないアンサンブルなど演奏の機会は少し増えてきた。

ごまかしごまかし演奏するとか、出来ないところはパスして済ますとか、今までどおりに
通すことも不可能ではないのだけど、それでは自分が満足できなくなったのだ。


じゃどうする?とことん自分を追い込めて練習するか・・・
といっても一体どうやったらチェロが上手になるのやらそれが分からなかった。

立て続けにチェロ関係の教則本を購入してみたりもした。
ブログなどでよく出てくる教則本だけで10冊くらいになっただろうか・・・
それら教則本を見てみると、チェロの技術を一歩一歩登ってゆけるように編集されている。
教則本をただ弾くだけなら、途中まで進めるのだけど、後半に至ると進めなくなる。

たった1ページの中に、ボーイング、弓のどの部分を使うのか、弦はどう選択し、
フィンガリングをどうやったらよくて、強弱の表現はどうする。
スラー、スタッカート・・・全体のコンビネーション・・・とわからないことだらけなのだ。

単純そうに見える練習曲の最初の1曲ですら、自分で納得を得ることは難しいと感じた。

つまり「普通の先生」が必要なのではないか・・・と焦りを感じ始めていた。

こんな迷いをブログやメールで書いたところ、持つべきものは、先輩であり、仲間だ!
全員から
「今の師匠は正しいですよ」
「相談するなら今の師匠に話すといい」
とアドバイスいただいたり、匿名のメールが届いたりした。
本当に皆さんに感謝したいと思います。

結局、どんな知識、技術を学んでも、チェロを演奏する基本が無い限り決して本物にならない。
逆に、今回の再入門と同時に、これまで師匠が地道に教え導いてきた成果を自分でも感じ始めている。
大きく前に進むには、がっちりした土台が無いと進めない。

迷いはすっかりなくなった。
本物の指導者は、すでに目の前にいたのだった。
ぐれ始めた不良生徒を更生させ、温かく受け入れてくれる先生に感謝したい。

 

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Lang Langをmedici.TVで楽しむ

2011年05月24日 16時44分01秒 | その他雑感

 medici.TVのようなオンデマンドのメディアは日本にないのだろうか。

以前米国の友人から送られた情報をもとに、サインインしてから定期的にライブコンサートの
模様が送られてきている。無論無料で、アーカイブから見たかった演奏会も見ることができる。

最近PCの外部出力をステレオにつなぐことを覚えたので、インターネットは音楽の
豊かな無料ソースに早代わりしているから、なおさら日本にもあったらと思う。

今日は Lang Langのフランスでのスペシャルコンサートの模様が大変面白かった。
子どもたちの前で、どのようにして自分が世界的なピアニストになれたのかを
インタビューに答え、関連する楽曲を演奏するとうスタイルで進んでゆく。
(タイトルからすると、ピアノのマスタークラスのようだ)

フランス語⇒英語翻訳を、日本人の私が聞き取るのは非常に困難ではあるは、
どうやら、4歳のとき、モスクワでホロビッツの演奏を聞き感銘を受けたのがのめりこむ
大事件だったようだとか、一大転機が訪れたのは、17歳のときアメリカでいきなりチャンスがめぐってきた・・・みたいな話しを聞いた後の演奏はまた興味が尽きない。

lang Langは「のだめカンタービレ」のピアノを演奏しているが、
天真爛漫、奔放な演奏を子どもたちの前で披露している姿に惹きつけられる。

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チェロ練習でショックなことが・・・先生を探そう

2011年05月15日 18時53分16秒 | 市原フィル

チェロ練習に、東北震災で2ヶ月参加できていなかった主席Mさんが復帰した。
僕から見ると 完全にアマを脱した美しい演奏をされる。
エルガーやサンサーンスのコンチェルトのさわりを弾いている響きはプロそのものだ。
「すごい!」と拍手したら「この部屋、響きいいわね」と小さな会議室を見回して涼しい顔。

そんなMさんを加えてフィンガルの洞窟の練習に入ったけど、チェロの仲間は、
素晴らしい技術と耳を持った集団なので、「高い」とか「そこ低い」とすぐにチェックが入る。
誰が間違った音を出してるか分からない場合は、その音だけを伸ばしてみて”犯人追求”してゆく。
「自分じゃない・・」などと思っていても、弾いているうちにずれてゆくことは上級者でもあることらしい。

このあと、ショックなことが起こった。

Disで終わる箇所で、みんな首をかしげている。音が汚いことは僕も分かっている。
例によってロングトーンを出すと、どう考えても自分だけが半音近く低いことは分かった。
それにしてもおかしい。第3弦の4ポジションから半音高いだけのDisは自分にとっても
安全圏内と思っていただけに、なぜ音がずれてきているのか納得が行かない。

 「こりゃ調弦が違うのか・・」と思って確認しても、弦のキーは基本的に合っている。
結局その場では、原因すらつかめずに、犯人は自分ということを認めて次に進んだ。
(心の中では何が起こっているのかわからず 欲求不満だらけ。
 証拠は明白なんだけど、自覚できない犯罪に巻き込まれた、動機なき犯罪気分・・・)

この日は基本についてもいろいろ教えてもらうことができた。
二人の主席ともに強調していたことは、ポジションをしっかりと身につけることの大切さ。
ポジションを固めることができないと、様々なフレーズを確実に演奏することは難しいということ。
また、ニールセンのように音を取る事が難しいフレーズでは、安全確実な演奏のためには、
どんなポジション取りをどうしたらいいかなど、探る姿勢は刺激的で、学ばされることが多かった。

3時間の練習の後半では、ちょっと元気のない僕を見るに見かねたMさんは、手を取って、
4ボジションの押さえ方を修正してくれた。彼女によると、僕の左手の構えは、手首からだらりと
下に下がってしまっていて、このままだとハイトーンに手が届かないし、速い動きに対応できないのだと。
でも、分かることとやれることは別物。ゴルフにつれて行かれたとき
 「グリップが浅い」とか、
 「スタンスが広すぎる」とか、
 「テークバックでかすぎ」とか・・・
様々に言われてからだが固まってしまった経験を思い出す。

実は、左ひじを少し持ち上げると途中で肩が詰まって、無理すると五十肩が痛み出す。
「自分に合ったやり方でいいですよ」と言われ、細かいことを求めない師匠とは違う教え方なので、
これからどうしたものか、考えてしまった。
でも、アドバイスをしてくれ、手を取ってまで教えてくれたことは大変嬉しいことだった。
一緒に良い音楽をつくってゆく仲間として、受け入れてくれているという気持ちだった。

練習の終わりころに、一服しながら 調律師の耳を持っているHさんと話をした。
 「一人で演奏している時は、自分の音が聞こえるので、音程の修正できるのだけど、
  皆で演奏すると、自分がおかしいのか、他の人が音を外しているのかは分からなくなる。」
型にはめられることが好きではないHさんも、みんなの技術的な話を聞いたことで
 「今日初めて、きちっとした技術を学んでみようかなと思ったな~」と言っていた。

Hさんはアイディアマンでもある。
 「練習方法を思いついたんだけど、自分の耳をふさいで、部屋では他の曲を掛けて
  自分には全くチェロの音が聞こえないようにしておいて、チェロの音だけを録音すると、
  正しい演奏をしているか判定できるはず。自分でも訓練できると思うんだがな~・・」
と本気で言ってた。
さすがプロの耳を持っている人が考えることは違う、そんな耳を持たない自分ではどうする・・・

今回のチェロ練習を通して実感したこと。
基礎的な演奏技術でカバーしないと とても本番演奏では使えない。
技術・技能を身につけて、ポジションをしっかり固めることをしないと、耳で修正は出来ないのだ。

振り返れば、これまで3年以上本番の舞台に上がらせて頂いたけど、ごまかしてきた
自分の技術不足が、今回の練習ではっきりと白日の下に晒された感じだ。
先日の総練で「にわかトップ」の座について感じたことは、第一音から最後の一音まで、
正確に自信をもって演奏しなければ、演奏したことにならないという感覚も強烈に残っている。

今日決めたこと。今から、子供のように、基本練習から始めようと思う。
そのためには、自分の力量、現状にあった先生を探そう。
どうやって探したものか・・・これもまた「チェロ・クエスト」のゲームだ。

追記:そうそう、Disの異変の原因が今日なんとなく分かった。
ネックのところでのポジション取りそのものが、半音近くずれて押さえていたのだと思う。
演奏をする中で、感覚だけを頼りに、DesやDisを押さえるうちに正しい位置からずれていたのだ。
これも「自己流」のなせるわざ、基本動作を知らないからだと思っている。

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今日もコンサート通い

2011年05月14日 01時33分21秒 | コンサート

昨日は錦糸町の「すみだトリフォニー」で新日本フィルのメンバーによる室内楽の夕べを楽しんだ。

今日は紀尾井シンフォニエッタ東京の第79回定期演奏会。
以前から気になっていたけどなかなか行く機会に恵まれなかった紀尾井ホールに向かった。
演目は、ベートーベン尽くし。序曲「コリオラン」に続いて、交響曲第8番、交響曲第7番と続く。

腹が減っては・・と思って途中新橋で腹ごしらえ。
時間が無い中、即食べられるのは、やっぱり寿司。

たまに昼飯に寄っていたこの店で「魚がし定食」をかき込んでいざ赤坂方面へ。

銀座線に乗るとき、新橋や虎ノ門では「押し屋」の駅員がいた。久しぶりに見る帰宅ラッシュ風景だ。
込み合う地下鉄だが、車内はなぜか懐かしい。小学校のころ丸の内線はまだ新宿以西は建設中で、
掘り出した大量の土砂でできたものすごくでかい「ボタ山」があり、ダンボール使った泥すべり場だった。
そうそう、母親にはホウキで思い切り尻を叩かれて叱られたものだった。
車内に知り合いがいるわけでもないのに、故郷の電車に乗り込んだような親しみを感じた。

紀尾井ホールはホテルニューオータニの裏手にあり、赤坂見附より四谷に近いようだ。
赤坂見付で乗り換え、四谷で降りてからは上智大学横を通って赤坂見附方面に逆行する。
夕暮れの土手に上がるとまだ新緑の桜並木から、桜餅のような甘い香りが寄せてくる。

チャペルのあるミッション系の上智大学は、以前から洗練されたお嬢様のイメージがあり、
男ばっかりでわざわざこの土手まで来て、何の目的もなくそぞろ歩きしたことを思い出した。

歩き出したら紀尾井ホールにはすぐ着いた。開演まで間があったけどホールを味わいたくて入場。
設備の説明によると
「800席の中ホールは室内オーケストラのために設計されたシューボックス型。
舞台下の構造が根太組みになっており、その空間が同じ根太組み構造の客席につながっている。
天井は、強化ファイバーコート製という剛性のある硬い素材で『一時反射』と呼ばれる間接音が、
人間の耳ではエコーとして感じられないほどの速度を持つようになっている」
何のこっちゃ?

座って眺めてみると、見た目は、綺麗な木造の小ぶりな体育館みたいだ。
ところが演奏が始まると、反響がサントリーホールとは全然ちがうな~とすぐ分かった。
たまたま2階席だったからかもしれないけど、音楽が溢れ出て、下から湧き上がって来る感じ。
そう、まるで会場全体が弦楽器みたいになっていて、楽器の中で音楽を聴いている感じなのだ。

コリオラン、第8番と進み、第7番でもメンバーの変更はなく、同じ編成で演奏された。
Vn3プルト、チェロ2プルト、Cb1プルトだったが、迫力ある素晴らしい響きをもった演奏だった。

オーボエにはN響の主席・青山聖樹さん、CbにはやはりN響主席の吉田秀さんの顔があった。
ファゴットやティンパニーがすごくいいと思っていたが、それぞれ新日本フィル主席の坪井隆明さん
近藤高顕さんとある。フルートは読響主席の一戸敦さん。
知らなかった!紀尾井シンフォニエッタ東京は選りすぐりの演奏者の特別編成だったんだ。

交響曲2曲は重いかな~と思ってきたが、終わってしまうと決してそんなことはなく
アンコール無しで調度いい演奏会だったと感じた。

いつものように配られた分厚いパンフレットの束を、眺めながら帰宅した。
今回は捨てずに読みこんで、まだ見ぬ小ぶりな素晴らしいホールを選んで訪ね歩いてみたいと思う。

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チェロ一人の総練、日ごろの追随演奏は破綻した!

2011年05月09日 01時47分50秒 | 市原フィル

今日は連休の最終日の日曜。自分としては2日の出張をこなしてきたので連休気分は無かった。
会場に着くと、チェロパートに椅子が4脚並べられているのだが、いつもの顔ぶれが一人もいない。

オケの長老も「きょうはチェロ少ないんだったよね」と、携帯で出席予定をチェックしてくれたところ、
チェロの両主席は休み、リーダーからも欠席のメールが入っていて 腕のいい仲間もいない。
残るは一つ違いのHさん。いつも早くからきているそのHさんも来ていない・・不安が芽生える・・・

時間ぎりぎりになっても一人も来ない。不安はいやまし、誰か来ないかな~と、ドアを開けてみるが、いない!
最初一人だった第一Vnは4人に増えている、第2Vnは6人、ビオラだって2人いる!
なのにおいら一人でチェロをやるの!

仕方なくチェロトップの場所に移って、チューニングを始めた。
「しゃ~ね~、腕試しだ!日ごろの練習成果を見せられるチャンスだ!」

なんて思ったのは束の間・・・

目前に指揮者の小出さんが座って「フィンガルの洞窟」がスタートした瞬間からもはや自分ではなくなっていた。
頭に血が登ってしまい、自分が満タンの水槽に変身したみたいで、チェロからはかすれた音しかでてこない。

早速指揮棒が留められ・・・
「管は良くなったね。でも弦は全然だめだ!君らニールセンとかシベリウスのつもりで弾いてないか!」
「これはドイツ音楽なんだから。メンデルスゾーンとは何かが全然わかってない。
ドイツ音楽というのは、まず構造なんだ。出だしのFisは何の為にあり、それははどこに繋がるのか。
それぞれの音の意味、つながりが全然分かっていない。始めの一音から全体を意識してなければ曲にならない」

「では最初から、もう一回、さんはい!」・・・・・

「だめだめ!チェロ!ちゃんとバイオリンを聴いているか?
 バイオリンの中からチェロが浮かび上がってくるようにならないとだめ」
(Vnは最初からスタートするけど、チェロは8分休符のあとスタートするのだ)

しばらくして、中間部での練習が続いた後・・・・・

「チェロちがう!フルートをちゃんと聴いていたか?ここから全く世界が変わる。
 今のままだと、全体のテンポの中に全然入っていない!」

ま~こんな感じで、ぼろぼろの状態のところに、初々しい新妻のMさんがやってきてくれた!
お~神様、観音様、菩薩様と心から思えた。これで鬼に金棒のつもりだったが、
先輩Mさんといえどもブランクもあり、主席と比べるとまだ練習不足。
しかも二人になったことで、チェロへの指摘は容赦がなくなり、どんどん飛んできた。
一人だけなら「しょうがね~な~」と見限っていたのが、二人なら集団として指導しやすいのかも。

こうして、叩かれ叩かれするに従い、遠慮していても仕方ないし、
今できる実力で思いっきりやってみるしかない、と居直りもできてきて、
だんだん大きな響く音も出せるようになり、思い気って飛び出したり、思い切って間違ったり
「演奏困難地帯」では冷静に落っこちれるようになった。(これって本当に、居直り?)

振り返ると、本日見込み違いはいろいろあった。
・まず全曲を練習すると思い、シベリウスに集中して練習したことの見込み違い。
 シベリウスは結局全く扱わず、フィンガルの洞窟とニールセン2番に絞られてしまった。
・練習していたはずなのに、上がってしまい、ますますひどいレベルしか出せなかったこと
・普段から、主席にリードされて演奏していたことが、自分が全体を感じ取りながら演奏する位置についてみると、
 これまでの「追随型演奏」では、全く通用しないことがわかったこと
・そもそも、連休最終日には人が少ないと予測しなかった甘さ。仕事で練習もろくにできていなかったのに・・・

逆に短時間とはいえ、自分がパートのトップに立って分かったことがあった。
1)トップは曲を深く理解し、パートの代表として曲をリードしてゆく責任があること。
2)トップは指揮者の要求に応え、他のパートと呼吸を合わせ、全体のアンサンブルをリードしなければならないということ
3)トップは出るところは はっきり出ること。「間違えてもいいから思い切って弾け!」と指揮者も言っていた。そうでないと曲にならない。
4)トップに対して指揮者の要求は全て集中する。ぼんくらトップの自分でも、チェロへの指摘は行われたと思う。

主席の場に立っている人はすごい重圧にあるのだと感じたし、逆にその責任を担えるようになるということは、
大変名誉ある素晴らしいことなんだとも感じさせてもらえた。

これに比べるといつも自分がやっていることは「追随演奏」ばかり。なんと気楽なことか。
「追随演奏」なら、自信が無いところは皆が出るのを待ってから出て重ねてゆくこともできる。
全然できないところはホッかぶりしていることだってできる。
途中で落っこちても入りやすいタイミングで復活することも可能だ(無論演奏会までには克服したいが)。
ミスやまずい演奏、表現への指摘は、主席が一身に引き受けてくれる。

トップとは、逃げることは決してできないフロントであり リーダーなんだ。
今日は最初の数十分で一日分の疲れが出たけれど、とても刺激的で楽しい経験でもあった。

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標高1000mの手作り別荘にて

2011年05月05日 17時20分19秒 | その他雑感

新緑を訪ねて、長野山中の別荘に向かった。

仲間を拾う目的で、途中青梅近郊の友人宅に一泊した。
千葉県とは違い、山里は今が春真っ盛りだった。
近所の住宅は思い思いに庭が造られ、様々な春の花で彩られていた。

 

お隣の庭には満開のシャクヤク

可憐な山吹もあちこちに咲いていた。

どなたかの庭の主木・花みずきも、今を盛りと咲き誇っていた。

さて、翌朝一路長野へ。渋滞で大幅に遅れたものの、千曲川の土手は菜の花畑だった。
千曲川河畔から標高700mくらいまでは新緑が目を楽しませてくれていたものの、
さらに1000mまで駆け上がると、そこはまだ冬。新緑狩りどころではない真冬のような光景に。
残雪の中、コブシの蕾が開き始めている程度で、木々の蕾も縮んで見える。

山荘の夜は真冬の冷え込みなので、薪ストーブを囲んで昔話に花を咲かせた。

早朝に、鳥の声で目が覚めた。ウグイスだった。真横の朝日がまぶしい。
春はすぐそこ、数百m下なのだが、洗面台から見えるのは、寒々とした冬の森だ。

実はこの山荘、学友が10数年前に一念発起して、たった一人で建設を始めたのだ。
土台こそ大工さんに頼んだが、屋根、外壁、天井、水周り、電気工事、庭木の伐採・・・
全てをたった一人でここまで積み上げてきた。

前に来た時は、大きな木の根を引き抜く手伝いをした。大変だった。

今年はトイレと風呂も完成したが、以前は夜中に車を飛ばして、
数百m下ったホテルまでトイレを借りに行っていた。
床や内装も、ぶっといログがむき出しのままで、畳は無い。

元気な友人も還暦をむかえたが、大事な外装のタイルは未だに張られていない。
このままだと、外壁から劣化を始めて長く持たなくなるのでは・・などと心配になった。

「完成はいつごろの予定してるの?」
「完成なんかしね~よ」
「え?何で~?」
「だって、完成しちゃったらつまんね~じゃねぇ~か」

なるほど。毎月週末を山荘作りに費やしてきているが、
次はどうしようかと思案する時間こそが至福の時なのだ。
男が一生掛けて楽しむ「立体ジグソーパズル」ということか。
最高の贅沢かもしれない。

連休の混雑を避けて、早々に引き上げたが、この夏も再び
でっかいジグソーの一端だけでも手伝おうと思う。体が動くうちに。
自宅に戻り、1000pのジグソーパズルの完成に取り掛かった。
(先日息子夫婦に手伝ってもらったので助かった!)

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弓を使わない不思議なレッスンは、奥義の伝授だった。

2011年05月02日 00時46分24秒 | レッスン

本日のプロレッスンは「調教」という感じに近かったけど、
本当に響く良い音で、速いパッセージを演奏する秘訣を伝授してくれたのだった。

いつもどおり、ボーイングの基本を開始すると、どうしても五十肩気味の右腕に痛みが走る。
「うっ」という感じを見て、還暦を越えられた師匠は、ボーイング練習を通して肩の痛みを克服する
やり方を20分ほど実演してくれた。脱力し切って、アップダウンを様々行うことで痛みは消えていった。

このあと先生は「今日は左手をやりましょ」と、ちょっと違う方向を示された

調教 1「まずチェロの構え方から」
ん?チェロの構え方?もう4年やっているけど、もう一回構え方?

「左手を構えてみてください。腕に力が入っていると、自由に動かなくなりますから、リラックスできている所で止めてください」
五十肩気味の自分としては、腕が固まらない位置というと、いつもの構えからかなり、外側、つまりネックから左にずれている。

「では、今からそこに楽器を合わせてゆきますから」
試行錯誤の結果出来上がった構えは、チェロがかなり左に傾き、ボディーの表面が右を向いた状態になった。
「今までとかなり違いますが、こんなんでいいんですか?」
「YOーYOMAはこんな風に下に構えているので左手は楽ですよね、その代わり駒からかなり上で弾いてますよね。ロストロポービッチはこんなに窮屈な姿勢です。だから自分にあった形でいいんです」

調教 2 「左手の押さえ方」
「まずボディーを3本の指で軽く叩いてください」
先生の実演を真似てボディー上部に手を乗せて太鼓のように指を落とす。バサ、バサ、バサ・・

「そう、ではそのまま腕を上げて弦の上に3本の指を落としてください」
これは以前から何回か教えてもらっていることで、野球のボールを放るように、少しスナップを利かせた感じで、開いた手の平からD線上に3本の指が、同時に落ちるようにする。

ところがこれがなかなかうまく行かない。
その原因は、どうしても肩や腕、手の平、あるいは、親指に力が入ってしまうことにある。
「今、親指に力がはいってますね、力を入れないで、腕を楽にして。力が入っていると音で分かります」
たまに脱力してヒットすると「そうですそうです、それでいいんです」と褒められるものの、なかなか安定的には運べない。外れたり、落とした指先が滑って定まらなかったり。

「どうして、簡単なことができないんですかね」と先生があきれ始め、いつの間にか腕は脱力しても、
首が硬直し始めている。トン、トン、トン、バサ・・レッスン室にはこんな音だけが1時間響いていた。

調教 3 「二本指の運動」
「これっばっかりやってても、仕方ないんで、今日はその先へ行きます。今まで3本で叩いてきましたが、
2本で同じことをやっください」
バサ、ガサ、トン、バサ、グニョ・・ネックとの格闘は続くのだが、2本になっただけで思うようにゆかない。

調教 4 「人差し指を置いての運動」
「次に、人差し指を弦の上に置いた状態で、2,3,4の指で弦に当ててください」
こうなると、なかなか人差し指に影響されて、今までのようには手の平が開かず、力みが入ってうまく行かない。
「僕は脱力してるんですが、ほらこの薬指が抵抗していて、こら!この指!」なんて言っていると
「どうも最近のお弟子さんは文句が多くて」と先生苦笑。
「いや、文句ではなくって、体が言うことを利かなくって・・」
「ほら、また文句。文句でなければ自分にブツブツ言っているのかもしれないけど・・」と呆れ顔。


都合2時間、こんな感じで「調教」いただいたものの、体についてしまった癖を直すのは大変なことだと実感。
結局、この演習は、今後の宿題として持ち帰らせていただいた。


ただ、本日はっきり感じ取ったことがある。

それは、右手でのボーイングの脱力と同じように、左手での弦の押さえ方を体得しないと深い響きは得られないということだ。
先生自ら実演してくれたが、力んで弦を押さえつけたとき、音が沈んでしまうだけでなく、明確な音程も失われるのだ。

昨年ご指導いただいたチェロアンサンブルの録音を聞きなおしてみると、我々アマチュアの音と、先生の音では、同じ楽器同じ弓を使っているのに、全然音の輝きが違うだけでなく、音と音のつながりがスムースで美しいことに気がつく。
先生の別の表現を使えば「音が切れている」。「軽く指を弦に置くだけ音が切れますから」。
振動している弦を 軽いタッチで叩くように押さえること(音を切る)で、弦の振動はそのまま維持されるということだと

力むことは、同時に速いパッセージに追いつけなくなることでもある。
先生いわく「アマチュアの人は一人残らず同じように、親指を固定して、腕に力を入れて、小指を無理に伸ばして弾いています。これでは腕から肩まで力が入ってしまって、全然動かなくなる」

そこで思わず「先生は一体、いつそんなことを身に着けたんですか?」と聞いてしまった!
これって、日本一の芸術大学を卒業して、トップオケに所属している人に聞くことか?
我ながら大胆だたけど聞いちゃったのだった。

そしたら「いや、最近分かったことなんですよ。いろいお弟子さんを見ていて、何でこんな簡単なことが出来ないんだろうって考えていたら、みんな同じ間違いをやっていることが分かったんです」との答え。
先生のように、子供のころから楽器に親しんできた人は、力を抜かないと上手に演奏できないということは、知らず知らず身についているそうで、大人になってから楽器に触れた人は、どうしても力任せに演奏していることが分かったという。

プロの先生がアマチュアと触れる中で、様々に疑問を感じ、その原因を探した結果、たどり着いた答えが本日のレッスンだったのだということだ。

しかし、プロが無意識に行っていることを、自分で振り返り、そのコツを言葉や、演習の形にして行くことは大変大きな壁を乗り越えなければできない。その困難さはスポーツ界や天才的な職人が技術・技能を後進に伝えることが出来ず、一代で終わってしまうことからも分かる。

弟子の行動をよく観察し、そこから違いを掴み取り、根本原因を探ってゆくという先生の探究心と努力に大変感銘を受けた。
「こんな基本的なことをしつこくやっている人は、めったにいないはずですよ」と先生も分かっていらっしゃるようだった。
高いレッスン料を払っても、適当に合奏して終わり・・みたいなこともあるわけだから。

本日は、不出来ながら、ありがたい、貴重な教えをもとに「調教」いただいたのだと感謝しながら家路についた。
この感謝への返礼は、教えていただいた演習を繰りかえして、身に着けてゆくことなのだと思う。

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