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チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

深圳という街を見て、改めて感じたこと

2018年11月02日 22時39分46秒 | その他雑感

毎年恒例の近隣アジアの街歩きで、昨年に続き今年も香港、深圳を歩き回った。
「でかい!」とか「すごい!」とかは去年と同じなので、その他の事をメモしておこう。

1)深圳の「秋葉原」を歩いて
深圳の秋葉原と言われているけど、今や最盛期の秋葉原の100倍は電気部品屋がひしめいている。
一体誰が買うんだろうというほど、全てのビルのフロアーに電気電子関係の店が詰め込まれ、人であふれている。
昨年と違うのは、アラブ系やアフリカ系など外国人が少なくなっている気がする。

2)至るところに「交番」があり、安全でクリーンな街ではある。

他の中国の都市にもPOLICE BOXが沢山作られているのか、深圳の街だけの特別施策なのかは不明だが、
街のいたるところに「交番」が設置されているのを今回認識した。
巡査?は犯罪捜査だけでなく、環境を維持するための監視指導をしている。
そのためか街にはゴミがない。アジアの街としては極めて異質(日本のよう)


巡査はセグウェイで常に巡回している。ただ制服は着ているが英語も通じず取り締まりも緩い。
スマホ見ながら巡回しているし、休憩所も覗いてみたけど真面目な日本のお巡りさんとは比べられないほど、ゆる~い。

3)安全だけど、プライバシーは存在しない 恐ろしく"進化"した街

思えば入国のイミグレーションには、銀行のATMにあるような指紋採取装置があり
左右四本ずつの指紋を録り、さらに両方の親指も登録させられ、顔認証もばっちり撮影。
いろんな国に行ったけどこんな経験は初めてのことだった。
日本の「指紋押捺問題」などかわいいもので「中国ならしかたない」思わせてしまう国だ。

しかしこれは恐ろしいことで、現地の人に聞くと、信号無視(歩行者も)した瞬間に、信号機上の
カメラで撮影した画像が、登録画像と照合され、交差点にある巨大スクリーンにその人の姿とともに、
姓名、出身などの個人情報が映し出されるとのこと(嘘みたいな本当の話)。

中国政府(共産党)にイミグレーションで採取した個人情報は永久に保存されるのだろう。
将来的には中国圏である限り犯罪行為は何もできなくなるし、犯してもすぐにバレることになる。
(日本でも中国人だけには、同じことをやってもいいのかも知れない)

4)中高年者がほとんどいない、本当は「生きづらい」街

深圳市内を歩いて老人を見かけることはほとんどない。
夜の繁華街も安全だが、若者しかいない渋谷のようだ。

国内の様々な地域からの出稼ぎなので、互いに通じる言葉は「標準語」(北京語)。
日本でいうと東京の様に、元の住民はごく少数で、ほとんどが「よそ者」の街なのだ。

猛烈な勢いで成長する街・深圳について「この街は中国人の憧れなんでしょうね」と聞いてみると、
想定外の答えがかえってきた。
「ほとんどの住民は故郷に帰りたいと思っている」とのこと。
40才代まで企業に残れることはほとんどない、大変厳しい環境なのだそうだ。

 

5)何もかも電子マネーwechat payで
ちょっとマイナス面ばかりになってしまたけど、電子マネーの浸透は本当にすごい。
地元の人たちに大変人気で、朝から行列ができる、おいしい川魚料理の店に行った。

この店では、店員と会話したり、目を合わせて注文などはなく、メニューの絵にスマホをかざすだけ。
その瞬間、注文から料金精算までの全てが wechat payというSNSの電子マネーで行われた。
すぐに案内された席について待つと、洗面器大の魚料理のセットが運ばれてくる。
実に合理的でスピーディー。これなら言葉も通じない、「多民族国家・中国」でも成長可能だろう。
味は四川風で大変複雑・超美味だった。

6)深圳にある世界最大の「絵画の街」も訪問した

 

数ブロックの街全体が、絵画と画材の店で埋め尽くされている。
ほとんどが神業的な「贋作」作家。最近「世界で一番ゴッホを描いた男」という
ドキュメンタリー映画が日本の映画館で 封切りされたばかりだ。
写真に写っている女性画家は、自分のオリジナル作品を描いている。
おそらく1枚描くのに1~2時間で完成させていると思う。

下記は別の店で購入した、チェロアンサンブルの絵。

飛行機に載せて持ち帰るサイズの楽しい絵はなかなか見つからなかったが、街を歩き回り帰り際に
ちょうどチェロやアンサンブルの明るく楽しい絵があったので購入した。
交渉の結果、2枚で100人民元(=1700円位)と半額に。雑だけど、手書きの油絵で満足。

7)中国新幹線で香港に戻った

「中国の香港への侵入」と報じられた新幹線は、一言で言えば「ハード先行ソフト貧弱」

深圳から香港に向かう新幹線に無理を言って乗せてもらい、香港に帰ることにした。
最終電車だったこともあるが、東京~新横浜と同じような15分の距離なのに70分かかってがっかりだった。
その理由は、飛行機と同様の手荷物、全身のセキュリティー・チェックがあり、
しかも出国のカウンターでも、おっかない役人がしつこくチェックしているので旅客のストレスは大きい。

新幹線そのものと、駅の巨大さはすごいが、全体に感じる威圧感、巨大すぎて走り回らせられる疲労感、
新幹線ホームとそれまでのアクセス通路の設定のちぐはぐさ(新幹線のホーム端っこに着くので、
新幹線の中を、みんな大荷物を持って何輌も歩かされた。この間、日本なら案内する人がいるはず)

大汗かいてようやく着席しても、子供が野放しで大騒ぎしても親は無関心(これは新幹線に限らないけど)
社内のトイレが少々臭い・・・ハードはいいのに、なにもかも悪い印象をもってしまった。

 香港に「侵入」して作られた「中国」側のイミグレーションまで来て、またストレスを感じた。
磨き切れず「ざらつい」ているだけでなく、うっすらと怖さを感じさせる規制と監視の中国がそこにあった。

そしてほんの10メートルほどで、「香港」のイミグレーションで、
ぼくだけではなく、多くの旅行者はホッとしたはずだ。「自由の世界に戻ってこれた!」という感じだろうか。
イギリス、西欧のマナーを心得た「香港」はどこか洗練されていると感じた。


 

 


晩秋のカエデスケッチ

2015年11月13日 16時29分14秒 | その他雑感

あっという間に紅葉も終わりそうなので、近所のカエデ並木に出かけた。

 

もう葉を落とした樹もあるが、今を盛りと「咲き誇る」ものもいる

 

カエデの紅葉は、この恥じらうような色合いが何ともかわいらしい

 

よく見ると、カエデの多くが実を宿している

 

からまるツルもちらほら色づいていた

 

降り注いだ落ち葉は、いたるところに錦絵を描く

 

あたりを見回すと、ピラカンサ(常盤サンザシ)も実をつけ

 

落葉寸前の葉もみつかる

 

つつじの一種だろうか、これもかわいらしい

 

クリスマスのころ、この樹だけが、赤い実で照らしてくれるようだ

すっかり落ちる前に、紅葉歩きができてよかった。

 


ねぶた前の青森にて

2014年07月27日 23時05分23秒 | その他雑感

青森に到着し、薄暗くなってきたときホテルまで届いてきたお囃子に釣られて町に出ると、
近所の小学生たちが作った子供ねぶたが、町内を練り歩いていた。
 
最前列では、隊列を整え、囃子声を上げるチーム。その後ろに小ぶりなねぶたを引き回すチーム。
その前後に、笛と大太鼓、鐘のチームが続く。太古の音が体を突き抜けてゆく。
 
 
その篠笛隊の音色と腹に響く太鼓、山車を引いている子供の姿やら、声を上げてはやし立てる姿を見ていたら、涙が出てきてしまいとまらない。 これまでどんな音楽を聴いても嗚咽するなどなかったのに、なぜだ!

同じフレーズを際限なく繰り返す日本の音楽にこんなにも何かを揺り動かされるなんてなぜだ!
と不思議に思うものの、答えは出ない。町内の...おじさんに、涙をこらえながら話を聞いた。

町内の人々も興奮気味に「千葉から来たかね、港のほうへ行けば本物のねぶたも見られるよ」と教えてくれた。

青森駅方面へ海岸沿いに歩いてゆくと、今度はご機嫌なコーラスが響いてくる。
青森港近くの野外劇場で開かれていたのはゴスペル演奏会だった。
そしてその横には、本物のねぶたが輝いているではないか。
 
 
 
ゴスペルから方向転換してねぶたの前に行くと、製作者なのか、地元の人々なのか、ござをねぶたの周囲に広げて宴会を開いている。

でも宴会というより、ねぶたの完成を祝い、半年間の苦労をねぎらう慰労会であり前夜祭(まだ1週間あるけど)風だった。

地元の人らしい方に話しかけると、世話役風の人が、すばらしくハンサムな若者を呼んだ。名前は覚えられなかったけど、その人は「ねぶた師」で下絵を描くデザイナーであり7ヶ月に渡る制作をリードするディレクターでもあるらしい。
 

おかげでねぶたのテーマや、裏側の仕組みまで教えていただいた。
デザイン画をもとに、チーム全員で、和紙と竹ひご(現在は針金)で3D化し、最後に色づけする。
1月に制作を開始してから7ヶ月掛かっている。
 
 
 
平将門の妹?がねぶたの裏側に配置され、同一人物の男の姿が表側に配置されている。
その隣に、恐ろしげなシャレコウベが居座っていた。
 
 
見学と説明の最後に、突然世話役が大きな声で
「この人はわざわざ千葉県からきてくれたよ、素晴らしい!ってよ」。
いっせいに拍手が鳴り響いた。

なんだか、この世のものとも思えない、すばらしい経験の連続に酔いしれて、
ついつい、飲めないお酒を頼んで、地元の魚料理を頼んでしまった。
 

初めて食べた「まぐろのハーモニカ」という絶品にめぐりあえた
 

夏休みの一日

2013年08月14日 00時27分36秒 | その他雑感

昨日夕方蓮畑を見つけたがピンクの花を全て閉じてしまっていた。
どうやら蓮の花は朝開花して、夕方には店じまいしてしまうらしいので、
美しく透き通るような花弁の姿を見たいと思い、朝日の中バイクにまたがった。

手彫りのトンネルを抜けた先にその蓮畑はあった。

強い真夏の日差しを浴びて、また陽の光を透過させながら、花は可憐に咲いていた。

始めはこんな蕾なのに・・・

しばらくすると

ラッパ状の実をつける。ラッパ状の実がなぜだか同じ方向を向いているのが不思議だ。
花を落とし、枯れ、ラッパの顔を西方浄土に向けているのかと錯覚させられる。
お寺の法事などで見かけるのは、この蕾や実を模した飾りなんだと気付かされた。

 

午睡でうとうとしたあとは、Feuillard #8-1を中心にさらった。
先週のレッスンで上手く弾けなかったのだ。登りは何とかなるものの下りが全然だ。

冬のアンコン候補になっているブラームスのクラリネット五重奏曲の第1楽章もを弾いてみる。
4楽章も随分往生したけど、第1楽章その何割増しで難しい。
果たしてこれからアンコンに間に合うのだろうか・・・

 

夕方からシネコンに向かった。
シニア料金というのがあるので助かる。
思い切って「風立ちぬ」とレイトショー「終戦のエンペラー」の両方の座席を購入した。

ジブリの映画は見逃せない。
全部の作品のDVDを持っている。かつてはLDで集めていたっけ。
今回の作品は「零戦」の設計者・堀越二郎の実話だけに説得力があるが、
これまでの宮崎駿作品違って、なんだか重苦しいものが残った。
現実の重さだろうか・・・

 

映画を2本立て続けに観るのは学生時代以来のこと。
途中1時間の間が開いたので、Food Courtで中華を食べてからレイトショーに突入した。

終戦における天皇の積極的な役割は知っていたけど、
この時期にハリウッドで製作公開されたということは
米国による日本に対する側面からの応援なのかと感じた。

気の向くままに過ごした一日だったけど、蓮畑も、2本の映画も、
お盆~終戦記念に相応しい内容だったのだな~と感じられた。

 


トルコ周遊の旅(2)

2013年01月20日 00時05分44秒 | その他雑感

あっという間に終わってしまった真冬のトルコの旅だった。
忘れないうちに、印象だけ書き留めておこう

トルコで有名なのはイスタンブールだけど、女性に人気なのは
カッパドキアらしい。トルコ中央地域にある奇岩の山岳地帯。
ここでは洞窟ホテルという岩山をくりぬいて作られたホテルに泊まった。

カッパドキアの街は「風の谷のナウシカ」のようでもあり、「ホビト」の故郷の様でもあった。

カッパドキアへの行きは地中海と接するダーダネルス海峡を渡ったが、
イスタンブールへの帰りは黒海とつながったボスフォラス海峡にかかる橋をバスで通過した。

翌日アジアとヨーロッパを隔てるボスフォラス海峡クルーズに参加した。

 

イスタンブール市内観光の目玉は、何といっても「ブルーモスク」と称されている、
トルコ最大のイスラム寺院(規模ではなく格が最も高い)の内部見学だった。

驚くほど巨大な内部は清潔で、どの宗教の信者も見学できる。

 

隣に立っているのが、やはり有名な「アヤソフィア」と言われる巨大なモスク。
モスクと言っても、実は東ローマ帝国時代に建設されたキリスト教会をモスクに改装した建物で、
キリスト像やマリア像と、イスラムの祈りの壁が聖堂内に同居する博物館になっている。
トルコ政府の懐の広さを感じさせる世界でも稀有な場所だと感じさせられた。

その雄大さ、豪華さに、バチカンのサンピエトロ大聖堂を想起したが、イスラムのモスクは
礼拝だけのためにあり、偶像や墓地が併設されていないからか、キリスト教会に比べ明るいと感じた。
(磔にされ血を流す像のような、恐怖感を感じさせるものが一切ないのだから)

イスタンブールのもう一つの目玉は、グランバザール。
1700万人を抱える世界最大の都市の中心にある、広大な屋根つき商店街だ。

そのバザールに向かうときに乗ったのが「世界一短い地下鉄」といわれている(ギネスに載っているらしい)
”トンネル”という名前の地下ケーブルカー。たった一駅しかないこの地下鉄のホームで、
とても懐かしい光景に出会った。チェロの「ストリートミュージシャン」だった。

久しぶりに聞くチェロの音色に聞き入っていると「あなたも演奏するのか」と話しかけてくれた。
「ほんのちょっと」と答え、市民オケに参加していることなど片言で会話することができた。

彼女は音大生らしく、演奏しているのはアラブのイントネーションを感じさせる全てオリジナルの曲だった。
チェロは大変気持ちよく良く鳴っていて、彼女の腕のよさを感じさせ、曲想にもピッタリだった。


トルコの旅はあっという間に幕を下ろした。

トルコという国は5000年前のヒッタイトに始まり、紀元前のギリシャ、ローマ時代、
紀元後の東ローマ帝国、オスマントルコ、そして現在のトルコ共和国と続く、重層的で奥深い歴史に裏打ちされていた。
シルクロードの終点、文化の交差点のアラブの国・・・・ではなく、
世界の文化の中心であり続けたことに本当に驚かされた。

現地で手に入れた、手作りのトルコ絨毯が届くのが楽しみだ。


トルコ周遊の旅(1)

2013年01月08日 05時44分23秒 | その他雑感

定年退職後の気楽さで、トルコ周遊のパッケージツアーに出かけた。

初日はイスタンブール旧市街にあるクラウンホテルに投宿する。
アーケードに面し2方向が開かれている角部屋という、日本では珍しいしつらえなので、到着する旅行客のざわめきや、到着してカフェで深夜まで談笑する話し声がこだましてくる。

どの言葉も聞き取れない。
見知らぬ言葉の反響が、ここはアジアとヨーロッパの結接点なのだと知らせているようだ。
クローゼットを開くと、上段の棚には極彩色のコーランが置かれていた。

早朝からホテル前のモスクからスピーカーのお経みたいな声が流れ出した。
コーランかと思ったら、朝のお勤めの呼びかけを僧侶が流しているのだという。

朝6時過ぎ、まだ夜明け前のモスク。
昨晩閉まっていた重厚な門は開かれていたが人影は見かけなかった。
モスクというと馴染みがないが、トルコに7万もの寺院があり、日本の神社仏閣と思えばいい。
ちなみに日本の神社とお寺を合わせると7万と少しの数になるという。

昼ころ、ヨーロッパとアジアを隔てるダーダネルス海峡を渡った。

北の黒海と南の地中海の間には、北からボスポラス海峡、マルマラ海、そしてダーダネルス海峡と続く。ダーダネルス海峡は狭いところでたったの1.7キロしかないが、ヨーロッパとアジアを隔ててきた。かつてこの海峡を舞台にトロイ戦争があった。
 ダーダネルス海峡の名前はボスポラスとともに、小学校の時から遠い憧憬に近い感覚で覚えていたが、自分がフェリーで渡ることになろうとは、夢にも思えなかっただけに、嬉しい体験だった。


午後からはトロイの遺跡を見学した。トロイ戦争はホメロスの叙事詩をもとに、ドイツ人のシュリーマンが発掘してその存在が証明されたという。


 トロイという町のもっとも古い遺跡は今から5000年前の第一市街。最も新しい第9市街でも
ローマ時代の遺跡ということだ。
トロイの城壁の跡は、何世紀にも渡って修復されたり、積み重ねられたあとを見分けることができる。

ヒッタイト、東ローマ帝国、オスマントルコ、そして現在のトルコ共和国と連なるが、
いずれも首都が存在したトルコという国の歴史の古さに圧倒されっぱなしの一日だった。


秋の信州 松茸尽くしの旅

2012年10月27日 19時41分13秒 | その他雑感

「温泉でも行ってのんびりしようか」と出かけた。

まず到着したのは、一度は来てみたかった草津温泉。
温泉近くの道路を通ると、どからか音楽が鳴り出し車が音で包み込まれた。
「草津良いとこ一度はおいで~」と演奏しているようだ。
気が付くと、道路に刻まれた溝とタイヤが音楽を奏でていた。
時速50キロくらいで丁度いい演奏になった。

到着してから「草津」というの名前の由来は、おそらく「臭つ」なんだと直感。
湯畑に近づくと濃厚な硫黄の匂が襲ってくる。離れた旅館でも一晩中温泉の匂いが漂う。
最近はどの旅館も、豪華なバイキングがセットされている。草津の夜は腹いっぱいだった。


翌日は今回の旅のハイライトになった。「松茸山」の「松茸小屋」に行ってきた。

長野県在住の知人から聞いた「松茸小屋」という名前が強く印象に残っていたので、
草津の夜、ネットで「松茸小屋」とか「松茸山荘」を探して予約を入れておいた。

群馬から長野に抜ける山道は、いたるところに美しく紅葉していた。
東北と違い「黄葉」といった方が近いと思う。

さて上田市に入って「六文銭」の旗印で有名な「真田城」を見たあと
「椎茸小屋」に到着(「展望台」というのが店の名前らしい)。
松林の中に、この時期だけの仮設にも見えるお店があった。
コースのお値段は最低で5,000円からという価格から
想像していた建物の姿との違いに少々とまどった。
「山荘」とか「山小屋」を期待していたのに、ビニールハウスじゃないの!
その全景がこれ。

ぬかるんだアプローチを歩いて店に近づくだけで、椎茸料理のいい香りがただよってくる。
長野県らしく、前日には熊の足あとを見つけたと、おばさんが言っていた。

まるで農家のビニールハウスみたいな座敷で待っていると
まずやってきたのは<椎茸鍋>

大きな椎茸2本分のスライスが全体を覆っている「すき焼きなベ」だった。


鍋に火をいれて待っている間にきたのが<天ぷら>

<酢の物>


<土瓶蒸し>

<椎茸ご飯>と<椎茸味噌汁>

もうお腹一杯になりそうなときに、銀紙に包まれた大きな金網が持ってこられたのが
<松茸の一本焼き>

「あまり強火で焼かないでも、大丈夫です。出し汁が入ってますからそのままどうぞ」
どうやら、銀紙の隙間から湯気が立ち上がり始めれば、出来上がりということらしい。
この一本焼きをメニューに加えるには、予約段階でなかなか勇気が必要だった。
果たして・・・・

<出来上がった一本焼き>

開けて見て、思わず「お~!」と声を上げてしまうほど、大きな松茸が入っていた。
いいにおいが立ち上ってきた。
「細くて長いのと、太くて短いのどっちがいい?」なんてビミョーなこと言いながら、
食してみるとどちらも旨い!
予約のとき「丸ごと一本」を加える決断をして良かった!。

食べ切れなかった<松茸ご飯>でおにぎりを作ったあと、
全身に松茸の匂いをしみこませたまま蓼科に。


蓼科のホテルでの一番の収穫は「黄香」という、信州でしか食べられない、
黄色くて皮まで食べられる大粒の葡萄をたらふく食べられたこと。
谷川を取り囲むように、88年前に建てられた「滝の湯」は紅葉も実に見事だった。

こうして「のんびり温泉でも」と出かけた秋の旅は、腹いっぱいでクタクタの旅で終了した。


再び徳永英明コンサートと中華街

2012年09月16日 22時25分59秒 | その他雑感

アッシー&付き人として 一路横浜県民ホールへ向かった

  <木更津側から、海ボタルに向かう>
  

久しぶりの海ボタルからの東京湾は、真夏の雲と沢山の船舶が浮かんでいた

 

今年の徳永英明はVOCALIST VINTAGE & SONGSというタイトルで全国ツアーを開始している。
美空ひばり、淡谷のり子、青江美奈など いずれも物故された60年代の歌謡曲をカバーしている。
だから会場にはますます高齢の女性が詰め掛けている。
会場の神奈川県民ホールは山下公園に面している。


 <会場出口の曲目リスト。毎回一曲だけ違う>

 
伊勢崎町ブルースは当たったけど、「ブルーライト横浜」は出されなかった。

 

アッシー&付き人としては、楽屋裏での「お見送り」までセットしなければならない。
県民ホール楽屋出口の目の前のレストランには、一つだけ道路に面したテーブルがあった。
 
 <コンサート終了後ゲットしたツアーアルバムを広げてる>


楽屋出口に群がるオバサンたちを眺めながらアイスコーヒーを飲んでいると
スタッフ7人に取り囲まれた徳永英明が歩いて出てきて、白い大型レクサスに乗り込む姿が目撃できた。
ステージの姿とは違い、意外と小柄な人だと感じた。

そのあとは歩いて5分の中華街へ。
行き当たりばったり美味しそうな店を探すと、大連餃子の専門店が見つかった。
水餃子は絶品だったが、「羽根付き焼き餃子」もうまかった。

 <羽根付き 焼き餃子。焼きショウロンポウ風>
 



  < 追加注文した”海老マヨ” >

 

ふだんは「エコ食」(本当は粗食)なので、今日の夕食はやたらと美味しかった!


家族夕食会のあとブランド店の大冒険

2012年05月13日 23時56分23秒 | その他雑感

僕の誕生日と母の日が重なって 息子夫妻が銀座で食事会を開いてくれた。

リーズナブルとはいえ お祝いの席でしか行けないレストランから
誕生日のご招待券が送られてきたこともあるけど、
両親を元気付けようとする息子夫婦の心使いを感じて嬉しかった。

二人の心づくしのプレゼントが私たち夫婦に贈られたあと、ビールとシャンペンで乾杯!

出された一品目は、ホタテとスズキのバター焼き。その香ばしさにとろけそうになった。




大きな車えび、和牛ステーキの焼き物と至福の時間が続く。

銀座のレストランはどこでもそうなのかも知れないけど(・・というか全然他は知らないけど・・)
ビジネス客がいない休日は、店内も空いていて、ゆったりとくつろいだ時を過ごせる。

みんなは それぞれにアルコールドリンクを楽しんでいたけど、
車の運転もないのに、一人だけ呑めないんじゃ味気ないかもと思いながら、
でもやっぱ酒類はダメなので「アイスコーヒーって」言ったら、ちゃんと出してくれた。

みんなドリンクのお代わりもして、だいぶ気も大きくなったところで、
「せっかく銀座に来たんだから・・」と、高級ブランド店めぐりに繰り出した。

並木通りをそぞろ歩けば、次から次へとブランド店が目に飛び込んでくる。
ちょっと入りにくい店も多いけど、ETRO、エルメス、ヴィトン、シャネル・・・
敷居が高そうな店に入っては、思い切って二階三階なんぞも覗き込んで見た。

ある店でのこと

「あのバックかわいい!」
と家人が棚に飾られたバッグを手に取った。
すると、付き添ってくれている男の店員さんが
「おいくらだと思います」と上品に声を掛けてくれた。
「200万はするな~」と口からでまかせを言ってみたら
「お目が高い!250万でございます」
「ウッヒョ~!ヤッベー!」と心の中で叫びながらも
「なるほど。やっぱりね」
などと冷静風に取り成しながら、そそくさと店を後にしたこともあった。

だって僕の財布の中身は悲しいかな本日1000円札一枚だったんだからね。

そんなこんなで、あちこち練り歩いて退散することにしたけど、
ドアーを開いてくれた入り口の黒服さん、丁寧に対応してくれた店員さん
ご迷惑おかけしました。

こんなことで「日本人はダメね」と思わないでね。
いつかきっと、ヤフオクやらコメ兵やらアウトレットではなく、
本店で買う日も来ると信じて待っててね~ (嘘っそで~す)

こうして、誕生日と母の日記念の「都会の大冒険」は終了したけど
どんなにブランド品が高いとしても、
我が子どもたちの心使いこそプライスレス。
比較にならない価値があったのでした。


新緑狩りに川治温泉

2012年05月05日 08時04分52秒 | その他雑感

連休後半は栃木県日光から福島県会津に抜ける山間にある川治温泉郷に

兄夫婦のお誘いで「老老ツアー」となった

前日までの低気圧がもたらした記録的な大雨のおかげで
上流のダムが放水され、谷川からは轟音が響いてくる

新緑の向うに激しい流れがしぶきを上げている

渓流脇の露天風呂も緑に染まって、とてもくつろげる

昨年末からいろいろあった私たち夫妻を気遣って温泉に誘ってくれた
兄夫妻のこころ使いがありがたかった

今日は帰省ラッシュのピークらしいので、早めに千葉に引き上げよう