チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

ぎっくり腰のおかげで、ワルキューレ鑑賞できた

2010年08月22日 23時10分28秒 | その他雑感
出張先でバッグを持ち上げようとしたとき、言葉にならない音が腰の辺りを通り過ぎた。
「やっちゃったかな」と戦慄したけど新幹線では何とか座っていられた。
ところが東京駅に着いたあたりからお爺さん歩き状態に。

結局今日から始まった秋の演奏会向けのオーケストラ全体練習にも参加できず、
コルセットしながら昨日に弾き続き整体院通いとなった。
指圧と針で、緊張をほぐしていただいたあと、先生は「家でゴロゴロしていてください」と指示。

何しようか・・と思ったが、たまたま昨晩録画していた、バイロイト音楽祭のビデオがあるではないか。
同音楽祭始まって以来初めてのテレビ生中継がハイビジョンで見れるというので
昨晩少し遅くまで頑張って、見ていたんだけど、体がしんどくて途中あきらめていたのだ。

というわけで、昨晩は一幕までしか見れなかった続編を見ることにした。
何十年も前から「ニーベルンクの指輪」の名前は知ってはいたが(ニュールンベルクの指輪と勘違いしたっけ!)、
一部とはいえフルタイムで鑑賞するのは初めてのことだ。

わずかな経験しかないオペラといえば、何万円も出して見に行ったアゲク、冒険的な演出にがっかりしたりすることあった。
今回は初めから安心してみることができた。(部分的に現代社会の場面が出現したりしたけど)

まずジークリンデ役のエディット・ハラーの可愛さに見とれた。すぐに指輪物語の刺激的な内容に引き込まれた。
音楽の素晴らしさはもちろんだけど、テレビのおかげで字幕が分かりやすく、歌の内容が大変よく理解できたことと、
幕間の休憩1時間にはNHKの分かりやすい解説があり、二幕、三幕とどんどん進んでいった。

「ゴロゴロ」しながら一気に見通したが、長大すぎて縁遠い存在だったワーグナーに大変親しみと感動を覚えた。
指輪物語そのものが極めて現世的な人間社会のありようを神の世界に投影して語っているからだと思う。
その典型は、第二幕冒頭で、神様のトップ?ウォータンが、奥さんのフリッツにたしなめられて、
しぶしぶジークムントを殺すシーンなど、まるで家庭の葛藤を描いたテレビドラマみたいな感じさえした。
あるいは理念と現実との葛藤にさらされている現代の経営者と二重写しに見えた。
描かれている心情は世界共通なんだ。

ワルキューレだけで終わるのは正直残念。前後の放送が待ち遠しい。

コメント (4)
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何事も中途半端の中で、わずかながら変化の兆し

2010年08月08日 23時22分38秒 | その他雑感
猛暑ゆえか、何事にも集中できない日々が続く。

仕事も中途半端に、やっているようなやっていないような。
ついつい、究極の「消費型生活」から抜け出せないでいる。

「消費型生活」とは、何事も自分では生み出さず、受身で流されてゆくこと。
その逆はあえて言えば「創造型」とか「主体型」、「参画型」、「意志型」か。

たとえば娯楽にも「消費型」と「創造型」がある。

音楽を聞き流してすごすのは僕の分類では「消費型」
オーディオファンの人はその世界で「積極的」に自己表現しようとしているので
単なる「消費型」とは思わないけど、自分の場合は根性レスのお気楽派に過ぎない。

音楽鑑賞ではなく、楽器演奏を通して、より良い演奏をしたいと取り組んでゆくのは「主体型」だ。
チェロで言えば、楽譜を読み込み、演奏法を試行錯誤しながら、少しでもいい音楽にしたいと
取り組むには大変な集中と、根気がいる。

残念ながら、今の我がチェロ生活は、一日数十分の基礎練習もそこそこに、オケのVTRを見たり、
それもおっくうになって、収録してある経済番組などチェックしてお茶を濁している。

本を読むのも意識の集中と「主体性」や「意志」なしにはできない。
新聞も本気で読むと大変だ(最近新聞もつまらなくなっているのでなおさらだ)。
ブログだって書くのと読み流すのでは大違いだ。ブログを書き続けている人を見ると頭が下がる。
何を書くか、どこまで書くか、どのような切り口で書く、方針と意志を込めないtと書けない。

音楽も、本も、遊びも、仕事も、ブログも・・・
何事も集中できず最近では流れ流れて、結局はゲーム三昧になったしまった。

DSとかPSPとかハンディーなプレーヤーで昔のビデオゲームができるようになっているので、
通勤電車の中でも、会社をサボってでもできるのだ。
昔何度もクリアした[Mother]シリーズをやり終え、また懐かしくなって(というかソフトが安く買えるので)
[ドラクエⅣ]をクリア、今[ドラクエⅨ]をもう一回やり始めてしまった。

この歳でビデオゲーム、しかもロールプレイングゲームをやると、さすがに体にきてしまう。
クリアするのに40数時間も日常生活からひねり出さなければならないからだ。
心でブツブツ言いながらも、「消費形生活」へののめりこみから逃れられない。

そんななかで、ちょっと変化の兆しとなるものに巡り合えた(再会ともいえる)。
先日ジブリ作品の「借りぐらしのアリエッティー」を見て、ジグソーパズル1000ピースを購入した。
遠く大学時代の友人から教わったジグソーの世界をもう一度味わってみるかとフト思ったのだ。
夏休みも近いし、究極の「消費型生活」に新メニューを追加できると思ったのかも知れない。

まだ途中段階の「借りぐらしのアリエッティー」

やってみて、これが案外面白い作用があることを感じている。
ジグソーも1000ピースともなると、ビデオゲームほどではないが、何日も時間がかかる。
のめりこむと、また体に悪いと思っていたんだが・・・

まずは、リビングのテーブルにボードを広げて、分かりやすい部分からピースを組み合わせ始める。
もちろん一気には行かないので、疲れるとそのまま放置して、チェロをいじったり、仕事の振りをしたりする。

するとどうだろう、自分がいなくなった時間に家のものが、自分ではできなかった穴を埋めていたりする。
ビデオゲームやら他の遊びと違って、手を加えられても嫌な気分にはならないから不思議だ。
ジグソーパズルは無論、逆向きからでも参加できるので、同じ板面を見ながら同時進行も可能だ。

久しぶりの家族の協働作業で2日目でここまで進捗できた。
家族の介入もあり、「消費型」一辺倒から少し距離をとることができそうな気もする。

自分的には「借りぐらし」ならぬ「仮暮らし」の淀みからの一時的な離脱という気もするが。
コメント (2)
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