チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

イタリア奇想曲 できない32分音符

2008年02月27日 00時46分36秒 | オケの練習
 今晩も帰宅してから、ちょっとチャレンジしてみたけど、Andanteの2倍の速度ならなんとか真似はできても、とてもこんなスケール無理だよなー。
 チャイコフスキーは好きだけど、実はプロのすごい腕前に支えられて、吹き抜ける突風みたいな効果が出ていたんだ。

 もう一箇所、チェロが駄目だしされて「できるまで練習お預け」となったところは、Alleglo moderatoのPとPPで16分音符での動きが出てくる。チェロだけが動くのでここをクリアしないと曲にならないのだなー。

 アンサンブルを二つ抱えて欲張りすぎなんだけど、やっぱオーケストラの曲は格段に難しいので、これから毎晩30分は練習をしようと思っている。
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久しぶりのチェロ三昧、でも冬の嵐の3日間だった

2008年02月25日 01時07分09秒 | チェロ
 仕事日が続き、水が干上がりパサパサに乾き切ったカエルがひっくり返るような気分で3連休に突入した。よーしチェロやるぞ!と思っていたが体も精神も言う事を聞かない。まずはリハビリ。仕事から離れ忘れるのだ!そのためには僕の方法はDVDで別世界に没頭するしかないのだ。

 ちょっと前までは24シリーズなどぶっ通して見ることで、さらにもう少し若いころはドラクエやらFFシリーズやらにのめりこんで、疲れ切りそして仕事から開放されたものだった。今はチェロがあるじゃないか!と思ったが、リハビリはリハビリ。何もやる気しないときはただ受身の気散じが必要なのだ。

 かくして我が家のライブラリーから取り出したのは The Bourne Identity.
マットデイモン扮するスーパー暗殺者が記憶喪失から次第に本当の自分を知り、その途中でめぐり合った女性との絆を深めてゆく・・そのストーリー展開は何度も見てきたけど今回も面白かった。即 The Bourne Spremacyも立て続けに見ることに。疲れ果てて明けた朝からチェロに取り掛かった。

 まずはモーツアルトをモチーフに編曲されたチェロアンサンブルをおさらいし、日本国中を吹き荒れている冬の夜の嵐を突き抜けて仲間の自宅へ向かった。千葉県の地方都市のさらに郊外にある、つまり一軒家なので夜のセッションもオーケーなのだ。
 今回のアンサンブル練習で面白かったのは、曲を終えるたびに、録音していたMDをステレオで聞きなおすこと。落っこちやら音外しはお手のもの。ひどい時には数小節ずれたまま演奏していたり、ナチュラルを見逃して半音ずれた気持ち悪い不協和音を「なかなかモダーンな編曲だね」などと言い合って大笑いしている時間がとても楽しかった。老若男女がチェロを抱えて集い、深夜まで演奏を楽しんでいるなんて、いい感じじゃない。恐らく我々の年齢差は40を超えているはず。

 そして3日目。相変わらず激しい嵐の中、久しぶりにオケの練習に参加した。こちらの練習も大荒れだった。チャイコフスキーのイタリア奇想曲は実はとても難しい。チェロを初めとする弦も32分音符の連続スケールが続くところがあり「プロでもまともには弾けない」らしい。またトランペットを中心に金管楽器が大活躍するのだけど、哀しいことに現在トランペットは転勤者が出て1人欠けたまま。

 さすがの指揮者の先生も(いつもは冗談ばかり言って笑わせてくれるンだけど)「しっかりしてくれよ!この曲を選択するということはよほど上手い演奏者がいるんだねって言われるんだからさー。自分たちで選んだ以上やってもらうよ」とまずは管に対して鋭い一閃。返す刀で「チェロ!練習しておくように言っただろ!出来ないんだったら時間の無駄だから、できるまではこの部分の練習はお預けだからね。出来ない限り練習しないよ!」とバッサリお切りいただきました。

 久しぶりに「チェロ無言」。練習しなくっちゃ! 16音符の連続やら32分音符がまるで風のように駆け回る楽譜と本当に真正面から向き合って「それらしく」聞こえるようになるまで頑張んないと・・・と心に誓ったのであっりました。
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アンサンブル譜届く。想像するだけで、楽しさに夜が明けた。

2008年02月14日 22時46分31秒 | アンサンブル
 大学の学友からアンサンブルの楽譜が届いた。J.S.Bachの「音楽の捧げもの」とJ.haydnの「皇帝カルテット」。BachにはチェンバロとのBasso continuo(通奏低音と訳すらしい、要するにバロックの様式なのだろうが、本質はよくわからない)に初挑戦。
 学生時代から楽器を手放さなかった彼らでも、1年練習をしてものになってきたというから、ポット参加した僕に歯が立つわけないけど、通奏低音の中でもゆっくりしたBass部分から始めてだんだん参加率をあげて行こう!

 「皇帝カルテット」はPoco adaguo;cantabileとあり、緩やかで美しい。チェロパートが主旋律を担当することも多い割りには難しくはない(気がする)。仲間が歓迎し、戦々恐々としている僕の気持ちをもり立てようとしているなーと感じて、素直にうれしい気持ちだ。

 楽譜が届いたこの二日ほど、時間があれば譜面に見入っていて、深夜まで眠る気持ちにならない。久しぶりに会った仲間が、何の利害関係も何の思惑も無く、ただひたすら良いアンサンブルにしたくて夢中で取り組んでいる姿が目に浮かび、こんな年齢で、こんなに楽しい思いに満たされる幸せを感じすぎて、とうとう午前3時過ぎにまた起き出して、しばし譜面と遊びうれしい感情に流されるままに任せた。もはや布団に入りなおしても、寝付けないのだった。

 その結果今日昼間はしんどかったけど、夕方からの新幹線の中で、またも譜面を見ながら、アンサンブルに備えている自分がいた。こんなに夢中になれるなんて、何年ぶりだろう。昨年のオーケストラへの初参加はプレッシャーや不安の要素が多かったけど、今回は発表があるわけではなく、ただ仲間との良い音楽を実現したいだけ。ただそれだけに熱中できるなんて、小学校以来だと気づく。

 あのころは、一度思いつくと、やってみないと気がすまない直線的な生き方をしていたよなー。クラスの中で憧れの女の子とピクニックに行きたい!と思いついたら即実行してみたくなり、翌日言葉にして誘うまでワクワクの連続だった。そういうときの自分の心には、自分の思い付きが実現し、ピクニックに向かときの楽しいイメージだけで満たされていたなー(結果は彼女の親からの禁止命令で、僕の夢は塩を掛けられたナメクジみたいに縮みこんだんだけど・・・)

 今回のチェロアンサンブルや学友とのアンサンブルへの誘いを通して、計算のない純粋な「楽しい」思いがよみがえってきたことは、ぼくにとって本当に貴重な体験だし、「希望」という言葉が意味を持ち始めた気がする。
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チェロアンサンブルで春が来た

2008年02月12日 01時10分55秒 | オケの練習
 チェロアンサンブル練習2回目。数曲の譜面を5人で合わせてみて一番しっくりきたし、思わず「美しいねーこの曲」「かわいいねー」と皆から声が出てしまったのがモーツアルトだった。プロの交響楽団員である先生からお借りした中にその楽譜はあった。ただし曲名が書かれていない。Volfgang Amadeus Mozartの下にinstrumentation:Franz Beiyerとあるので、この方がチェロ組曲に編成したのだとおもう。
 12曲からなる「組曲」の出典はばらばらだけどChor der PriesterやKyrieもあるから宗教曲かもしれない。中には楽しいMenuettも入っていたり、皆で弾きこんでゆけばゆくほど、なんだか味わいのある曲ばかりだ。

 本番のアンサンブルコンサートでは一つのチームに与えられた持ち時間は15分以内なので、結局「いい曲だね」という感想をメイン条件とし「弾きやすく」「合わせ易い」をサブ条件にして(これは後付の理由だけど)選曲を進める。時間を計りながら合計13分に収めたところ、重厚なAdagioから軽快なAllegroまでの6曲の構成になった。選曲後は好きな曲とちょっとどうも息が合わない曲に集中して練習し、各自ちょっと覚束ない部分があったり、バラバラ感のあった部分を繰り返してさらった。

 あー本当に、アンサンブルってすごくいい!4つのパートがそれぞれ独自に動くところ、皆でコーラスになるところ、カノンのように次々と演奏に加わって厚みが増してゆき、そして一人ひとりと抜けてゆくようなところ、自分だけが飛び出して弾かなければならないところなど、いろいろあって飽きることがない。

 僕は4番パートを担当するけど、自分の弾くベースの音で全体が支えられ変化するし、自分だけがリズムや旋律を奏でている部分もあって、普段のオケの練習ではあり得ないような親密感、一体感と「私の存在」が認められ、求められていることを実感できるのが本当に嬉しかった。
 
 おりしも今日は春のような穏やかな一日。5人が円形にチェロを並べた広いリビングには、暖かな午前の光が差込んでいる。デッキではゴールデンリトリバーがまどろんでいる。太陽を浴び、演奏に熱がこもってくると、弦が緩み始め、何度も調弦をし直したりするのも楽しい。

 チェロを始めて本当に良かったと思う。チェロには音域の広さと音色の豊かさがあるからこんな美しい合奏ができるのだと思う。これが同じ楽器といってもバイオリンだけとか、フルートだけでは音域と音色の問題でどうしても無理というか飽きが生じると思う。無論バイオリンでもビオラでもいいんだけど、チェロだから5本でも6本でも同じ楽器で合わせても美しい演奏が出来るんだ!うーん自己納得。
 
 もう一つ思うこと。モーツアルトだからなのか、アンサンブルの楽譜を生まれて初めて見たのだけど、交響曲みたいに「馬鹿みたいに」ハイトーンやらめちゃくちゃ速いスケールなど無かったのだ。ほとんど初見で9割方ミスも無く弾けた。憧れていたけど恐れていた小集団でのアンサンブルが、モーツアルトのおかげでこんなにも豊かで嬉しい時間になって、なんだかとてもこれからの音楽生活が楽しくなってきてしまった。

 3月には学友とのアンサンブルが待っている。 
 こいつぁー春から縁起がいいわい!なのだ!

 
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チェロ5本のアンサンブル いい感じ!

2008年02月09日 21時24分19秒 | オケの練習
 アンサンブルだけのコンサートに向けて、チェロパートのメンバーが集まって選曲と初合わせを行った。曲目や演奏のことを書きたいのだけど、練習をした会場に感情が張り付いているので、どうしてもそちらの話を書きたくなった。
 つまり今日の練習は普通の民家のリビングで練習したんだけど、5本のチェロが円形になって演奏出来る上に、同じフロアーに大きめのグランドピアノが置いてあってガラス窓の外にはゴールデンリトリバーが寝そべって鑑賞している・・・これって日本じゃ「普通」じゃないよね。だからいろいろな記憶が呼び覚まされてきてしまったんだけど、でも僕ら5人はそんなことに一言も触れずに、集めてきた数種類の譜面を次から次へと、初見で合わせては本番用に使うかどうかYES、NOの判定をして行ったのだけど・・・やっぱ「これっていいよなー」と僕が心の中で思っていたのは、リビングで弦のアンサンブルを休日に仲間が集まってやっているという「風景」そのものに対してなのだなー・・・

 思えば新婚から数年、まだまだ僕が若いころのこと、東京近郊の借家に我が家のちびチャンたちと暮らしていたのだけど、息子が通っていた幼稚園が惜しまれながら廃業になった。先進的な教育で高い評価を得ていたけど幼稚園を続けるには敷地が狭かったらしい。間もなく幼稚園跡地には園長さん一族の洋風住宅(おそらく2×4)が何軒か同時に新築されていて、一家仲良く暮らし始めたのだった(きっとそうだと思うなー、親族で同じ敷地に家を立て、広々とした庭園には互いの間に一切の垣根を作らず、共有の家庭菜園も作られていたからなー)。とまあ、ここまでなら記憶に残らなかったかもしれない、あの日の衝撃が無ければ・・・

 ・・ある晴れた午後、かすかに流れてくる軽やかなクラシック音楽に誘われるように、フラフラと普段したことのない散歩に出かけてみると、あの「お屋敷群」の方から音は流れてくるらしい。近づいてゆくと、これは紛れもない「生演奏」の音だ。子供時代から「生」の音にはなんだかワクワクするような強い魅力を感じてきたよな。その敷地のフェンスまで行くと、開け放たれたリビングではまぎれもなく弦楽アンサンブルが繰り広げられているではないか!大学でオケをやっていたこともあり、そこに集まっているのは、バイオリン、ビオラ、チェロのメンバーだと聞き分けられた。
 一目見たいといくら覗いてみても、チェロが見えるだけで演奏する人たちの姿は見えなかったが、広い庭の上を流れ出してくるアンサンブルに、これまで味わったことのない感情を掻き立てられ、全くまいってしまった(嫌な気持ちでは全くないんだけどどう表現したらいいかわからないのだ)
 演奏が上手いかどうかではなく、こんな素敵な新築の洋風住宅が建ったあとに全く予期しなかった弦楽合奏という取り合わせは、僕が当時想像できる最高度の洗練とエスタブリッシュメントのイメージそのものだったのだろう。隔絶した距離感と同時に強い憧れを抱いたのかもしれない。

 あ、また思い出した! きっとそんなイメージを掻き立てられたのは、学生時代にヒットした映画「ある愛の歌」でヒロインのアリ・マッグローが学生同士の室内楽でチェロを演奏していた姿を見たからかもしれない。そうだ僕はホルンをやっていたけど、弦楽器は僕にとっては遠い遠い憧れ、インポッシブル・ドリームだったんだ!

 んー・・・ひょっとして、僕はこの映画が深層心理に刻み込まれて、今チェロに取り組んでいたのかもしれないなー、などと書きながら感じ始めた。憧れ、憧憬、思春期の感情がみずみずしくよみがえるのは悪くない。人は感傷と呼ぶかもしれないが、隔絶感・距離感・欲しいのにとても届かない何物かが久しぶりに思い起こされたなー。そんな対象を持てることは幸せだったんだなーなんて思う。
 会場のことばかり書いてしまったが、当時の自分が今ここにいたらぶっ飛んだだろうなー。

 とまれ、そんな素敵な思い出を喚起させらたメンバーの自宅が練習のスタートだったんだから、素敵なチェロ5重奏が実現するのは間違いないのだ!交響曲の難しさとは違い、モーツアルトは楽しかった! アンサンブルについては、また書くことにしようっと。
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本年初のプロレッスン、初日以前に逆戻り・・とほほ

2008年02月07日 00時30分31秒 | レッスン
 待ちに待ったレッスン。どうしても、どうやっても元に戻らないボウイングの悪い癖。もしかして、直してもらえるかなー、それとも先の技術に進むのかなー・・と思ったらとんでもない! 先生は最初の一弾きを見るや、基本のダウンボーイングの繰り返しに突入。

 一体僕の手と腕はどうなってしまったんだろう?何度先生の真似しても、決してドーっと流れ出す豊かな音が出ない・・先生が一弾きするとまるで枯れることない泉から(ちょうど忍野村に湧き出る富士山の地下水のような感じ)、まさにドーっと流れ出す。「これって、本当に同じ楽器?同じ弓?」、唖然とするばかり。

 かくして、本日は、半年前に逆戻り。それどころか弓の2分の1から先に全く進めない。たった30センチくらいの、真横のボウイングの中に、指、腕、肘、手の甲・・様々なところで微妙に、弓を操る癖が付きすぎている。

 わかっているのに、自分の右腕が全くコントロール不能状態。絶望感が次第に腰の辺りから首の辺りまで上り始める。さすがの先生も珍しく「そうではなくて!」「また力を入れた!」「だめ!」「だめ!」・・・ちょっと桜沢先生みたいになってきちゃって(桜沢先生って野だめをひっぱたいて逆に野だめに噛みつかれた熱心な先生)「この手が違うこの手が!」っていつ言われるか、ちょっとびくびく。

 しかし僕も諦めるわけに行かない、いくらパッセージで指が動くようになっても、いい音がしなければ何の価値もないことはわかっている。正月いくらやっても初心に戻れなかった基本の動きに戻れるなら、諦めてはいけないんだ!

 結局1時間半の格闘の結果、先生もくたくた、僕もヘトへトになりながら、去年の夏の原点近くまで戻ることができた。

 本日得た感覚と理解したこと。
1)弓の持ち方が崩れると全てがおしゃか。そのポイントはやっぱり右の親指の当て方。冬の感想で指の角がささくれて痛かったのをカバーして弾いていたのが原因だったのだと今思った。

2)右に弓を弾くとき、真一文字になっていないとうまく音が出ない。僕のボウイングは、微妙によれよれで、弓の弦に当たる角度が上下、左右ともたった20cmくらいの移動の間にも少しずつ変化していた。これも指、腕の不必要な緊張が引き起こしていた。

3)弓は弦に対して直角でないと、毛が弦と上手く噛み合わない。その結果毛が弦を横滑りしたり、上滑りして強くて豊かな音が出ず、貧弱になる。

 書けばこうなるけど、一言に集約すれば「弓が一直線に弾き切られる」感じを維持することだけなんだ。言ってみればばかばかしいくらい当たり前のことが、全く出来なくなる。自分自身にあきれたけど、実感することができてよかった。
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