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チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

まさかの「10年目の浮気」

2017年08月14日 21時09分44秒 | チェロ

この年齢になってイタリア娘に恋するとは思わなかった

10年前に巡り合い、我が屋に来てもらったのは、ドイツ生まれの「リーベ」だった。
その音色、姿の美しさにほれ込み、一途に可愛がってきた。
「この子と生涯過ごせるのはなんと幸運だろう」と満ち足りた日々を過ごしてきたんだ。

ところが、ほんの1年くらい前から、揺れる心を感じ始めた・・・
クアルテットやチェロアンサンブル後の録音を聞くと、僕のリーベは一生懸命歌っているのに
はるかにオールドな「おばあさん」の方が、ビックリするほど若々しく朗々と歌っていたり、
リーベよりお近づきになりやすいはずの「中国娘」が、予想外に元気な声で歌っているのに気づいた。

「一生懸命歌っているのに、なんでリーベの声は通らないんだろう」と感じはしたが、
「僕の技術が足りないのが原因なんだ」
「悪いのは僕の方なんだ・・・」と納得していた。
「それにリーベの声は一番美しいし、体に馴染んでいるんだから」と満足もしていたんだ。

ところが、あるレッスンで他の子を借りて弾いてみたら、大変豊かに歌ってくれるので、
「この子すごく鳴りますね」とつぶやいたら「よかったら買いませんか」と勧められた。
 次の機会にリーベを連れていき、弾き比べてもらったら「リーベは優しい音がしますね」と一言。
「やっぱりそうなんだ、心地よい歌声のいい楽器なんだ」と思ったら
「一人で弾くにはいいけどアンサンブルでは音が小さくて厳しいですね」と言われてしまった。

結果として勧められた楽器はタイミングが合わず、入手できなかったものの、長く連れ添ってきた
我が愛するリーベに対して、初めて物足りなさを感じ、浮気心が芽生えたのだった。
「僕だけが悪いんじゃなかったんだ、世の中にはもっといい子が沢山いるのかも」と。

 

一旦はあきらめたが、たまたま東京に出たとき、お茶の水に楽器屋があることを思い出した。
楽器街に足を向けたら、やはり弦楽器売り場に入ってみたくなる。
下心はあった。
それを見透かしたように、店員が次々と綺麗どころを並べ立ててくる。
高めの楽器はちょっと触っただけで、敏感に反応し、響いてくれる。
目が飛び出るほどの値段でなくても、響きの良い子がいることが分かった。
下取りもしてくれるというではないか。

もう下心どころではない。
欲しくてたまらなくなる。
ただ「リーベだって、この店の硬いフロアーで弾けばもっと高々と歌ってくれるかも・・・」
などと自己説得を試みても、浮気心の火種は消しようがなくなってきた。

こんな風な衝動はやばい!
人生で何回失敗してきたことだろう。
「ダメだダメだ」と自分に言い聞かせた。
衝動のままに突き進めば、老後のわずかな資金も取り崩すことになる・・・
「ダメだダメだ」

とは思ったものの、手頃の外国娘たちの美声が耳に残って離れなくなっていた。
衝動を抑えることはもはや難しいので、覚悟を決め、チェロの先輩に事情を説明した。

先輩は、どうやら僕が「街で行きずりの娘を手に入れようとしている」と察したのだろう。
プロの販売員もいないような店はやめるよう諫め、自分が信頼する店に連れて行ってくれた。
しかも「その場で結論を出さない様に!買わなくてもいいんだから」と
専門店への道すがら、何度も念を押してくれていたのだった・・・・

 

1時間後、僕のチェロケースには、リーベではなくイタリア娘が背負われていた。

「リーベはどうなったの?」
「いったい何が起こったの?」
今思い起こせば、夢のような邂逅があった。

先輩が連れて行った工房には素敵な「職人」さんがいて、リーベと同じ「レベル」の子から
はっと目が覚めるような超美人までを取り揃えてくれていた。
その「職人」さんがリーベを弾いて一言
「随分マットな音色ですね」と言うと、
同僚の職人さんも
「そうですねマットですね」とうなずいた。

「リーベがマット?」
「マット・デーモン?」
「リーベ良い音色で歌ってたよね・・」と一瞬思ったものの、
そのあと何台かその「職人」さんが弾いてくれたとき、リーベがマットだとの疑念は氷解した。

他の楽器から飛び出してくる音は、目で見えるほど鮮やかに、扇のような広がりをもってまっすぐ届いてくる。
とりわけ ドイツ娘ではなく「これはちょっと上のクラス」と弾いてくれたイタリア娘は、まさに別格だった。
イタリア・カンツォーネの響きというか、オペラ歌手というか・・・その深い音色と到達力に圧倒された。
比べるとリーベの声は なんだか沈んだ、地味な、控え目なお嬢さんの歌声の様に感じた。

その「職人」さんの演奏が、これまた鳥肌が立つようなすばらしさで、プライベートコンサートの様だった。
「何という素敵な楽器なんだろう!」
その「職人」さんが弾いている、イタリアのチェロに「一目惚れ」してしまった。
(あとで知ったのだけど、「職人」さんと思い込んでいたお方は、著名なプロのチェロ奏者だった!
 思えば、あの演奏だけでもものすごい価値があり、儲けものだと感じている)


購入を決めた後、リーベとクレモナ生まれのイタリア娘が床に並べて寝かされた時、
リーベは地味で、疲れて小さく縮こまっているように感じた。
かわいそうに、10年連れ添ったリーベとの別れはあっけなかったな~。
リーベはそのまま工房に引き取られ、僕はイタリア娘を連れ帰ったのだった。


別れの涙雨の中、先輩と歩きながらイタリア娘の名前を考えた。

「アモーレ」に決まった。

アモーレとの生活は、これから僕は何年生きられるか分からないけど、
その深く、遠くまで響く歌声を毎日聞けるのは、なんと幸せな事だろう。
これまで支えてくれたリーベに感謝しつつ、
アモーレに相応しい腕を磨こうという意欲が涌いてきたのが、何より嬉しい。


初めてのソロ発表会

2013年04月14日 21時56分46秒 | チェロ

生まれて初めて、チェロの発表会に参加した。


元はといえば、学友に誘われて会社の帰りに立ち寄ったチェロ教室が始まりだった。
都心の雑居ビルにある教室には、生徒が途切れなくやってきて自分の番を待っている。
レッスン以外に楽器販売もしているようで、教室には沢山のチェロやビオラ(Vn?)も並んでいる。

自分の番になると「どなたかに習われていますか?これまでと違ってしまいますがいいですか」と確認された。
「はい、結構です」・・だって、来てしまった以上 NOとは言えないよね。

これまで教わってきたことと何が違うんだろうと思っていたが、まず弓の持ち方が違う。
師匠に習ってきたのは中指と親指の2本でだったが、中指と親指に加えて薬指をフロックに当てる。
指の位置も少し弓の先に近くなり、右手が弓に対して45度を保つように指導を受けた。

45度を保ったままボーイングを行うので、弓先でA線を弾くときは、右腕全体が右上方ぎりぎりに持ち上がる。
肩を前方に突き出さないと届かないので「これでいいんですか?」とたずねると
「はい、当然肩は前に出ることになります。ダウンに移行するに従って肩を自然に下げてください」という。
どうもこれまでとは勝手が違うことは実感できた。

しばらくは馴染めなかったが、弓と手の関係が固定され、薬指で弓の角度が制御されるというのは理解しやすい。
今まで師匠に教わってきたことと違うのでどうなるかわからないが、しばらくこの方法を試してみようと思う。

初めての基本レッスンが終わると「発表会がありますので出てください」といわれた。
生徒同士の成果発表会なのだと思うけど、いきなりなので少々逡巡していると「大丈夫です」とにっこり。

発表会どころか、独奏曲など練習したことすらなく、何を演奏すればいいかも見当がつかない。
「あの、何を演奏すればいいんですか・・・オケしかやったことないんですが・・・」
「あ、そうですか、ではこの中からゆっくり選んでください」
と数冊のチェロ曲集を渡してくれた。

次の生徒のレッスンが進む中、何冊もあるチェロ曲集とにらめっこしたが、CDなどできいたことはあるものの
果たして演奏できるか全然分からず、とうとう40分近く決められなかった。
最終的に選んだのは、Paradis Sicilienne。
Jacqueline Du Préの全曲集の最後に収められていたのを思い出したのだった。


さてそれから二週間、ピアノ合わせをする前日まで大変だった。
youtubeからParadisの演奏を拾い集めどうやって弾いているかをチェック。無論CDも購入。
しかしいくら真似をしてもいい演奏にならない。ハイトーンのD♭が一箇所出てくる部分は悲鳴のように。
そこも何十回となく練習すると何とか音が当てられるようになってきたが、家内騒音に苦情も続出。

「いい音」を出すにはビブラートが不可欠と気付き、再度先生に演奏を見てもらい、ブラートのにわかレッスンを受けた。
僕のビブラートは「痙攣型」と「たたき型」と「手首ねじり型」が混じっていたようで、本当は腕全体を揺らすのだった。
役立ったのは「太鼓橋をゆらゆら揺するように」というアドバイスだった。肘と指先を固定して腕全体を揺らすのだ。

自宅レッスンで一番参考にしたのは美しいプロのyoutubeではなく11歳の女の子の見事なビブラートだった。
この子のビブラートは柔らかくて美しい。いつかそんな風に演奏できたらとおもいつつ、全然近づけない。

発表会当日、新宿の貸スタジオは参加者とその応援者で一杯だった。
30人以上の出演者から”師範代”格の生徒が、プロの中に混じって演奏する弦楽アンサンブルが呼び物だ。
(楽友も参加したが、メンデルスゾーンのピアノ3重奏はまことに見事なアンサンブルだった!)


さてさて あっという間に初参加の出番は終わった。
ピアノの先生が上手くあわせてくれて、何とか演奏は滞りなく終了できたが、課題は山積しているのに気付いた。
また、30人ものアマチュアの演奏を聴くことにより 多くの発見があった。
同じ、教室のチェロを借りて演奏する人も3割ほどあったが、演奏者によってチェロが全く違った音色になること。
同じ弦を弾いているだけなのに、魅力的かつ音楽的な音色に変えてしまう奏者を目の当たりにして考え込んでしまった。


これまで演奏といえばオケの一員として参加していただけで、場合に応じてエアーもありだったが
今回の独創発表会で音楽の楽しさ、奥深さを改めて教えてもらった気がする。
にぎやかし団員を脱して、一人のチェロ弾きへ脱皮する第一歩となるいい経験をさせてもらった。
「いい音」を出せるようになりたいものだと切望するようになったのだから。

追記 いい音より本当は正確な音程で演奏できるようになりたい!それが第一の願望かも・・・


「ぼんのうチェロ族」集中練習中

2011年03月01日 12時25分10秒 | チェロ
以前所属したオケのチェロメンバー(一部)とモーツアルトの
チェロアンサンブルに取り組んでいる。
称して「ぼんのうチェロ族」。

かつて若き女性リーダー時代は「電脳チェロ族」だったが、
今のメンバーは全員が還暦越えなのだ。
昨日の月曜日は、モーツアルトの組曲から7曲を選んで集中練習した。
ちょっと多いかなと思ったけど、通して演奏すると12分あまりに収まった。

アンサンブルで一番難しいのは、テンポを守ることだと痛切に感じた。
「煩悩まみれ」の「凡能」ゆえなのだろう、どうしても走りすぎる。
別に生き急いでいるのではなく、早く駆け抜けたい気持ちからなのか
みんな自分のソロ部分になると走る傾向が見られた。

明日はチェロの師匠に全体でレッスンをお願いしているが、
その師匠と今朝は東京行きの特急で同席となった。
「他生の縁」かな?
思えば師匠も還暦越え3年目?。
全然枯れた感じがしない「ぼんのうチェロ族」の練習は楽しい。
3月12日のアンサンブルコンサートでは
ちょっぴし枯れ枝に見えるけど、花も実もなるんだとなったら幸甚なり。
そうそう、花咲かせるために課題は山積している。
・ピッチカーとでいい音出すにはどうしたらいい?
・pとfの強弱もっとはっきりさせないとだめじゃん?
・1~4番チェロの全体バランスはどう?
・各曲のテンポは今のままでいいの?
・・・・
爺さん同士で、いろいろ鳩首会談してみたが、埒があかないので
あした師匠にいろいろ教えてもらうことにしよう。

A線がぶち切れた!弦と一緒にミュートも購入した。

2010年05月07日 21時15分39秒 | チェロ
チューニングしようとA線をのペグをまわしたら、「ブチッ」という音ともにA線がはじけ飛んだ。
ペグの周りには3~4周切れ端が残った状態で、上部でち切れたようだ。初めての経験だった。

弦を全取替えしたときに楽器店の店員さんが「古い弦は緊急時の交換用にとっておくといいですよ」とのアドバイスに従って
保存してあった名前が分からない弦を取り出して交換した。
この弦でも練習はできたが、これまでAとD線はLarsenだったため、A線を調和が取れていない気がして購入することにした。

千葉の山野楽器が撤退したとの噂も聞いていたので、仕事帰りにチェロを買った銀座本店でLasenのA線を購入。
せっかく楽器屋さんにきたのに このまま帰るのもあっけないし つまらないな~と
5階の弦楽器コーナーをうろついて、高額なチェロやら新型のチェロケースなど見て回る。
以前は無かった500万クラスのチェロも飾ってあり、チェロケースのバリエーションも増えて華やかだ。
しかしチェロ本体やケースは現在十分満足しているので浮気心は起こらない。

細かなアクセサリーを見ていると、ミュートが気になってしまった。
ブログで紹介されていた金属製のものすごいミュートを尋ねると取り出してくれた。
金メッキながら、下部にゴツイ金属製の分銅みたいな重りがあり、それを駒にネジ止めする機構になっている。
「これは効果高いですよ」と。でも値段も高いのだ。2割引でも9000円近くする。

 次に弱音効果が高いのは やはりオール金属性。「ただしこれはネジ止めで無いので落ちやすいんですよね」と店員さん。
値段も2番目で4500円くらいする。機能性から見てもどうも触手が動かない。

 3番目が金属のブロックをゴムの皮膜で覆ったもの。これも以前は無かったタイプだ。
ゴムで覆っている分、弱音効果が薄くなるというけど「これもかなり効果が高いですよ」とお奨めらしい。
お値段は2000円強。

 最後に僕も使っているオールゴム製で駒全体を上から覆ってしまうタイプ。
「ULTRA USA]と書いてある。
以前はこれが一番いいですよということで購入したが、とてもマンションで夜間練習できる音量には減量しない。

結局迷った挙句購入したのが[ARTINO]practive mute。


実際に装着して弾いてみると、A線など高音での弱音交換は限られているものの、
特にC線など低音の音量カット性能がすごい。



現在持っているオールゴム製と比較すると、明らかに低音域での弱音効果に差がある。


あのゴツイ1万円近いオール金属の塊はどうだったかわからないが、
このミュートなら、夜9時ころに練習してもクレームは出なさそうだ。

定期演奏会まであと1週間あまり。夜の練習も大事なので役立ってくれるはずだ。



チェロ歴まる三年で、ふと感じる不安と反省

2010年03月23日 22時38分31秒 | チェロ
 4年目突入を先日は喜んでいたけど・・・
どうも、よく考えてみると、どこかおかしい。
どこか吹っ切れてない部分がある。

 それはやっぱり、思ったほど技量が上がってないことだ。
チェロ諸先輩のブログを読んでいると、今日はエルガー、明日はバッハ、教則本は何ページ目
という風に、着実にマイルストーンをクリアしていっている。

それに比べると、自分は人前でソロ演奏できる曲がはただの一曲もない!
常にオーケストラの集団に隠れて、ごまかしたり、落ちたりの繰り返しではないか・・と。
「自分はオケを目指して練習してきたんだからいいじゃないか」と割り切れないのだ。

 チェロ購入当時は、バッハの無伴奏組曲が生活の友だった。
「いつか弾きこなして見せる」と意気込んでいたのだけど、最近一つの曲を一人で演奏しきる
という思考(志向)が失せているからかもしれない。

 これは堕落なのだろうか。単にさびしい気持ちも混じるという感覚かもしれない。
学友とアンサンブルも趣味的にやっているけど、オーケストラの曲が難しすぎて、どうしても
片手間になってしまう。それがソロ演奏が視野に入ってこないのだ。

 最近オーケストラで感じることは、ソロで演奏できるレベルでないと、オケに役は立たないということ。
美しい合奏を本当に支えているのは、一人ひとりの奏者が技術を駆使し、磨かれた音色で演奏しているだろう。
このことは合奏の前提だと思う。
そうだ、そこが足らないからすっきりしないんだ。

なんとなく今の気持のままで オケの一員でいてはいけない気がする。

 せめて美しい音色を目指しているけど、なんだか悪い言い方をすれば、機能の切り売りに
なってしまっている感覚かもしれない。自分の「使える部分」を提供して、それで
当面過ごしている間に、自分で音楽を奏でるという努力を怠っていたのかもしれない。

 まだすっきりしないけど、今のままでは駄目な気がするのだ。

あっという間に・・夏休みも終わり感じること

2009年08月16日 23時22分48秒 | チェロ
 久しぶりに自分の日記を見たら、7月から全然書いてない。んー・・どういうことか。充実してた?空白の2ヶ月だった?
 オケでは定期演奏会を終わると、1週間の休みを挟んで秋のコンサート準備にかかっている。仕事もやっていたよな・・空白ではなかった。でもBLOGは空白。

 どうやら前進が止まっているのかもしれない。自分のスキル向上、新しい発見やもらった刺激、感動。そんな面が薄くなってきているのかもしれない。初めてチェロを購入した喜び、オケに入った時の感激、初めてのステージの興奮、失敗の落胆。まるで小学生に戻った時のような毎日が、いつの間にか普通の日、日常生活の一風景に変化していったのだろうか。

 チェロは続けている。この夏休みには、いつも暗いチェロケースに収まっている「チェロ子」も毎日チェロ台の上でまぶしい日差しを浴びていた。毎日1時間近く可愛がってあげていた。チェロもオケも身近になってしまい、何かを取り上げて書くことに「思い至らない」ということかもしれない。

 もっと新しい刺激がほしい。チェロレッスンにも月一で通っている。どうやら以前より「格段」に音が良く鳴ってくれるようになった。んーでも何かが足りない気がする。もっともっと上手になれば新しい世界が開けてくるのだろうか・・

 五十代終わりに近くなって、何かと興奮したり、驚いたりすることが少なくなってないだろうか、と自問してみる。そうかもしれない。仕事の面でならおおよそのトラブルや困難は乗り越える力を蓄えてきている。自分の人生での辛いこと、哀しいことも幾つか経験し、いくつかは乗り越えてきた。
 そんなこんなで 新しい感動、興奮への感受性が鈍磨してきているのだろうか。定年とか還暦とかの節目に影響されることはないと思ってきたが、いつの間にかそんなものをどこかで、無意識に意識し始め、老後へのカウントダウンが始まってしまったのだろうか・・・
 わからない。なんとか歩きつづけているが、止まってしまいそうな速度に落ちているのをしばしば経験する。「もういい」「十分だ」そんな声も聞こえたりする。

 「60歳を過ぎるときが一番大変だった」と語ってくれたことがある。今を経過して60代になればまた新たな地平が開かれてくるのかもしれない。あと1年以内に60才に突入する。こんなことを考えていること自体がちょっと窮屈だなーと我ながら感じる。

 明日からまた仕事が始まる。仕事への熱中と楽器への熱中はどこかで繋がっているような気もする。「仕事があるかた楽器の練習ができない」という苛立ちと八つ当たりをしながらの練習が、どこか自分に合っているのかも知れない。だって練習三昧できたのに、毎日チェロに触る程度だったんだからな。


 

楽しい時間、友人たちとアンサンブル

2008年12月28日 22時08分23秒 | チェロ
 今日は二ヶ月に一度の学友とのアンサンブルの日だ。オーケストラと違って、バッハやヘンデルの室内楽は初見でもなんとかこなせそうなだけに自分のチェロが役に立っている実感が持てるのが嬉しい。それに60歳前になってそれぞれが夫々の時を重ねた今また子供のように仲間と会い、一緒に音楽遊びをするっていう感じが楽しいのだ。

 ワクワクして向かった東京への高速道路の渋滞標識は、赤の「超渋滞」サインどころか黄色のマークもきれいさっぱり拭き取ったみたいに無彩色。東京ディズニーランドを越え、東京の最大の難所である「箱崎インターチェンジ」までもがノンストップで通過できるなんて、今年の不況は相当深刻なんだなー、などと思いつつも、順調な流れが今日のアンサンブルに期待を高めてくれる。
 到着したのが想定外の早さだったので都内のコーヒーショップで一息ついて友人のオフィスに向かった。

 本日の曲目は、この一年取り組んできた、バッハ「音楽の捧げもの」と同じくバッハの「ドッペル」ことバイオリンとオーボエのための協奏曲だ。それから新曲としてJ.S.Bach BW1029が追加でスコアーがファイルで送られてきてた。これも初見だけどなんとかなるのではないか。いつも海外出張ばかりしていて、結局この一年一度もアンサンブルに参加できなかったファゴット氏も今日こそは参加してくれ、木管五重奏が実現できるはずだ。

 休日でどのフロアーもカランとしたオフィスビルに1人二人と仲間が集まってくる。普段は社員を抱えて社長業をしているオーボエ氏が何かと世話を焼き、お茶を入れたり会場の譜面台をそろえたりしてくれるのが微笑ましい。  
 一番遠方の私が一番乗り。歩ける距離に住んでいる二人は遅れ気味。大体こうしたもので、全国で会議をやると飛行機や新幹線で来る人が真っ先に集まり、そのオフィスのメンバーがギリギリに駆け込んでくるというのはどの会社でも普通のことだよなー、なんて言っているうちにいつもの4人が集合。
 
 いざ演奏開始!と思いきや、それこそ何の規制も無い仲間のこと。相変わらずオーボエ氏はパート譜作りに熱中しているし、かのファゴット氏は何の音沙汰もない(後刻に分かったことだが、すっかり予定を忘れてしまいご夫妻で年末の買出しに出かけてしまっていたのだった)。まー、これもしかたないと、主役のオーボエ氏が写譜を中断して演奏する気にさせるために、チェロ、チェンバロ、ヴァイオリンの3人で演奏を開始。いわゆる「天の岩戸作戦」でゆこう、などと言っているのも面白い。

 さてさてそんなこんなで4人で新曲含め3時間の演奏はあっという間に過ぎていったのだが、本日の自分の演奏には65点をつけてやろうと思う。「音楽の捧げもの」はほぼ落ちることなくアンサンブルを下支えできたし、音楽的に効果もあげ得たと実感する。ドッペルについては残念ながら第三楽章のアレグロは全くの練習不足が露呈してしまった。私以外のメンバーはチェンバロやらフルートやらオーボエやらバイオリンやらに持ち替えて多彩に活躍してくれるのだが、私めはチェロだけでもままならないのだ。
  
 それでも65点をつけたのは、チェロが鳴るようになったことだ。それから途中で落っこちても、次のページあたりから演奏に復帰できるようになったのは、今までにない前進なのだ! それと、低音部といっても、バッハさんはちゃんと出番を作ってくれているので、自分が主旋律を奏でる部分では弓を目いっぱい大きく使って、しかもビブラートも十分掛けて聞かせることができたのだから、ここまで成長した自分を褒めてあげたいと思っても罰は当らないと思うのである。

 その後忘年会に向かう。といっても都内によくあるイタ飯屋さんで簡単なコースをいただきながら、昔話、昨今の話と何の脈絡も無い話で楽しいときが過ぎていったのだった。

 チェロを始めて1年9ヶ月。以前では100%、いや300%想像すらできなかった楽しい豊かな時間を過ごせていることに心から感謝したい。だれに感謝? そうさなー神様なのか、生んでくれた親なのか・・・チェロを始めるきっかけを作ってくれた仕事先の高齢バイオリン弾き氏、ブログで励ましてくれたNYのGuarneriさん(・・Guarneriさんのブログもう見れないのが寂しいなー・・・)誰でもいいけど、感謝したい気持ちなのである。

 もしチェロをやってなければこんな時間は私の人生にやってこなかったし、明後日に予定している小学校のメンバーとのアンサンブルだって実現しなかったよなー。感謝&感謝の一日だった。 お・し・ま・い


 

北の国の友からアンサンブルの誘い

2008年12月03日 22時58分40秒 | チェロ
 久しく会っていない幼馴染が、北の国からこの年末に帰宅するというので、メールが届いた。そこには「君もチェロを始めたみたいだから、幾つか楽譜を送るので年末にでも一度合わせてみないか」と嬉しいお誘い。「初期のディベルティメントのK136,137,138あたりを送る」と言っている。

 早速YOU TUBEでK136と入れてみると、様々な演奏家が登場してくる。確かに聴いたことある曲みたいだ。これならこの千葉県に住んでいる他の学友にも声を掛けて、僕が持っているハイドンの曲も合わせてみたら楽しそう・・・

 思えば中学校のブラバンで一緒に演奏して以来の合奏が実現することになりそうだけど、お互いに中年以降に始めた弦楽器でもアンサンブルとはいい感じだ。
彼と合奏の馴れ初めは、小学校5,6年生のころだ。スペリオパイプをいつも持ち歩いていて、テレビで聞いた音楽をどちらが早くものにするかを競っていたころだった。あの当時普及したリコーダーならぬスペリオパイプには、本当に感謝しなければならないなー。あの笛は本当に万能選手だった。

 長じても、彼の場合は学会で世界を飛び回る人生を歩んできたが、音楽演奏を止めることなく今日まで続けてきている。何処に行くにも必ずフルートを携行し、土地土地でアンサンブルを楽しんでいたようだ。楽器が演奏できることは尊敬されるだけでなく、本当に親しい関係になれるらしい。

 思い出したが、彼がフルートを始めた秘密は、恐らく「ドリトル先生」シリーズで、ドリトル先生がこれまでどこでも聞いたことの無いような、美しいフルートの調べを演奏するシーンに魅せられていたからだと直感した(50年近い昔の記憶がよみがえったな~)。今まさに夢は実現し、シュバイツァーのような、ドリトル先生のような、科学者と音楽演奏者の両方を手中にしているんだなー。

 ただ、彼もきっと僕と同じように管楽器ではなく、弦楽器への憧れを抱えていたのではないかなー。50才ちょっと前にバイオリンに持ち替えたっけ。ドイツでバイオリンの古楽器にめぐり合い、それ以来個人レッスンを重ね、バイオリン一筋だ。最近では地元のアマオケやら幾つかのアンサンブルでてんてこ舞いという。

 そんな彼がバイオリンを携えて関東にやってくるのだ。
 そんなこんなで、老境が近くなるのもなかなか楽しい季節の到来と感じられるようになってきた。

蓄積疲労?五十代終盤のたそがれ?

2008年11月11日 23時25分45秒 | チェロ
 このところ、何もかも進まない。ブログもお休み。練習も休んだ。会社も・・どうやら残有休が気になるくらい使い込んでしまった。歳のことは言わないつもりだったが、蓄積疲労なのか、これが「歳」なのかわからないが、集中して取り組むことが苦痛に感じ始めている。

 いまさらながらチェロを1年半前に始めておいて良かったと感じる。今ごろからあの活力、情熱、集中は生まれるのだろうか。とてもチェロを始める根性はないように感じる。1年前には、市民オケへの参加を問いかけたメールに「五十代でチェロを始めたことに敬意を表します」と返信をいただき「そんなものかなー」と感じていたけど、やっぱり高齢からのスタートは大変なのだと実感する。このままなのだろうか・・・気力体力の端境期というのがあり、回復へ向かうのだろうか。

 ただしつい1週間前には、大学の友人とのアンサンブルで、ハイドンの「皇帝」とか、バッハのオーボエとバイオリンのための協奏曲(ドッペルと言うらしい)の練習に集中できていたし、夏ごろに比べ格段と進化したと自分でも感じた。学友からも「チェロがよく鳴っているのでアンサンブルになってきた」ほめられたばかりだった。

 そんな嬉しさもつかの間、このグターとしたこの感じをもてあましている。

 そういえば、先週は久しぶりにわがチェロの師匠宅にも伺い、久しぶりのレッスンも楽しめたっけ。ダウンボーイングについては「大体いいです」と先生はいいながら、やはり基本の繰り返しではあったが、基本こそがアンサンブルやオケの演奏を土台で支えていることが実感できるようになったので、基本に戻ってレッスンしていただけるありがたさを十分享受できた。

 もう一つ、先生にはチェロの構え方を修正してもらったっけ。いつの間にか自分の構え方は、苦しさからだと思うが、チェロを体からかなり左に離して演奏するスタイルに変わってきていた。五十肩の後遺症で左肩を高く上げるのが辛いこともあり、チェロ全体をかなり低めに構え、さらに左手を無意識に見たい気持ちからか、離していたのだ。

 こうした構えは、実はYO-YO MAは極端にやていると先生は実演してくれた。YOUTUBEでヨーヨーマを探すと[Yo-Yo Ma: Elgar Cello Concerto, 1st mvmt]なんていうのがすぐ見つかる。その姿を見るとG線の糸巻きが(A線ではなくG線なのだ!)ヨーヨーマの左顎先に当たっているのが良くわかる。かなりそっくり返って演奏しているから、チェロがおさら低く、体から遠くに離れているのが見て取れる。そんなヨーヨー様の姿が格好いいと感じるので、いつの間にか真似していたのかも知れない。

 ま、そんなこんなで、レッスンもアンサンブルもなんとかこなしてきたんだけど、気合が入らないのはなぜんなんだ?

 気合の入らないまま、今日はもう寝よう。VERDIの3楽章のチェロによるイントロだけは毎日練習はしているものの、もっともっと気合と集中力を出さないと、この冬のコンサートは自分で納得できる演奏はできないと思う。もうしばらく、自分の心身と静かに付き合いながら、ゆっくりとしたペースで歩こうと思う。

新しいGEWAのチェロケース

2008年08月17日 11時01分38秒 | チェロ
 GEWAのチェロケースについて、使い慣れてしまうと無自覚になるので今のうちにいくつか気付いたことを書いておこう。

ポイント① 色とイメージ
 今まで赤だったのが青味がかったグレーになった。その色と形状から感じるのは、いかにもドイツ的なたたずまいということ。質実剛健とでもいうのか。購入時に一番迷ったのはフランス製のケースだった。センスとイメージを優先すればフランス製だったが、使い勝手だけから選べば、ドイツ製がいい。このことは自動車でも同じ印象だ。どうしてもそのお国柄というのが出るらしい。
 だからか、部屋に入るたびになんだか実験室に入る気分(ドイツ=サイエンス=化学というステレオタイプにすぎないのだが)。このケースではもう少し青いものもあるらしいけど、なんというか歯医者さんのメカの色なんだよね。

ポイント② 機構(構造)
上蓋が大きく、下蓋を覆う形式。今までのケースは上下が同じ大きさで接合部分でうまく噛み合うようになっていたが、GEWAでは蓋の方が一回り大きく、大げさに言えば電気スタンドの傘をかぶせる感じ。こういう構造だと、ケースを平らに寝かせている限りどんな雨でも浸入することはない。ひょっとすると留め金を少なくするために必要だったのか。

ポイント③ 取っ手(持ち手)
 ケースの肩の部分に持つところが付いているのが便利。チェロケースは立てたまま移動することも多いと思うが、これまでは片手で運ぶ時はネックに腕を巻きつけて運んでいた。取っ手があると片手でヒョイッと持ち上げて運べる。長距離を運搬するときにもこの取っ手は役立ちそうだ

ポイント④ 上蓋と本体とを結ぶリボン
 このリボンは、上蓋がバタンと開きすぎないようストッパーの役割をしているもので、どんなスーツケースにもついているあの紐のこと。これまでのケースだと、どうしてもこのリボンが蓋の間に挟まってしまい、面倒くさいものだから、いつもケースからそのリボンがはみ出たまま持ち歩いていたっけ。
 GEWAさんは、そこにちょっとしたゴム紐をさらに90度にくくり付けてくれていて、蓋を閉めるときには自然と内側にリボンが引き込まれるようになっている。ここら辺は演奏者からのクレームなり、改善要求なりが届いている結果だと思う。これこそ歴史?

ポイント⑤ 留め金
 これが一番ありがたいかな。今まで7箇所あった留め金が4箇所になっている。しかも4箇所全部が左右で言う片側に集中的に配置されているので、わざわざケースの向こう側に手を回さなくて済むのでありがたい。無論ケースを立てた時に下側を覗き込む必要もなくなった。あー楽だ~!

 まーここまで列挙してみて「買ってよかった」と自分で自分を納得させているのだが、こんなことしている場合ではないんだよなー。今日で夏休みも終わり。明日からまた仕事と仕事以上に緊張するオーケストラ生活が始まるのだ。

「夏休み練習するぞ!」「たまった仕事、全部片付けるぞ!」と意気込みはすごいんだけど、全く手付かず状態。小学校の宿題と同じで、あっという間に最終日。その最終日にもこうやって時間を過ごしている自分・・・8月31日夜中1時過ぎまで宿題をやっていたことを思い出して、なんだか憂鬱になってきたので、ここでおしまい。