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チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

感動の「学童保育」クァルテット

2018年08月30日 23時52分53秒 | アンサンブル

オケのVn嬢から「学童保育の子供たちに演奏聞かせたい」と弦楽四重奏に誘われた。

「学童保育」の意味も分からないまま(時代が違うので)二つ返事でOKし、
初見でも弾けるという8曲ほどを一度だけ合わせたあと、本番当日を迎えた。

「せいぜい5~6人の女の子だろうな~」なんて思っていたら、
学童保育の先生から「50人くらいでしょうか」と教えられびっくり、
案内された教室二つ分程のホールには舞台があり、その上で演奏するといわれてまたびっくり。

ほんの少しだけ時間があったので、リハーサルめいた事をしてみると、
分厚いカーテンで囲われた舞台は 音がこもって客席に届きにくいとがわかった。
お互いの音が聞こえにくくなり、アイコンタクトもしにくい心配はあったけど、
普通のクァルテット並びを止め、舞台の縁ギリギリに、横一線並びで演奏することにした

時間になると、建物のどこかで待機していた子供たちが、整列して一斉に入場してきた。
学年も性別もまちまちの、数十人の「体育座り」の子供たちで、床の半分が埋まった。

先生のご挨拶のあと演奏を開始。
1曲目は「ハンガリー舞曲第5番」、元気よくスタート。会場は静かで、真剣に聞いてくれた。
2曲目「G線上のアリア」に入ると、小さな女の子が一人立ち上がり、先生に何か言ってホールを出ていった。
 曲の後半になると、女の子につられるように、立ち上がり、出てゆく子供が増えだした。
「きっとトイレだよな~」
「もう飽きちゃったかな~」とちょっとだけ不安。

3曲目「大きな古時計」は楽器紹介を兼ねて、各楽器のソロをつないでゆくのだが
学童保育の先生をやっているVn嬢が「みんな~この楽器わかるかな」と聞くと
子供たちから一斉に「バヨリン!」と元気な声がかえってきた。
「バイオリンは、ファースト、セカンドの2本です。ではこの楽器は」とビオラを示すと
「サードバヨリン」と元気な声。
なんだか嬉しくなる答えだった。
結局ビオラを知る子供はいなかった。

プログラム後半のディズニーメドレーに入ったところで「事故」が起きた。
当日追加した「小さな世界」がバラバラな感じになり、ストップし、真ん中辺からリスタートした。
子供たちの落ち着きない様子が気になり、集中力が欠けてきたのが原因だと心の中で反省した。

終盤は久石譲のジブリ作品。
「海の見える街」から、「SANPO」に移ったら会場から歌い声が沸き上がってきた。
「🎵  あるこう   あるこう   わたしはげんき🎵 」
転調しても全力で声を合わせて付いてくる子供たちの合唱に、もう泣きそう。

演奏終了し、歓声と拍手に包まれ「これで演奏会もなんとか元気いっぱいに終われたな~」と思っていたら、
あっという間に「アンコール、アンコール」の大合唱に。
さっき失敗してしまった「小さな世界」を演奏すると、子供たちも歌ってくれた。

あんまり嬉しいので、演奏後チェロを抱えて舞台を降りると、子供たちが突進してきた。
バイオリン嬢も、ビオラ嬢も子供たちに取り囲まれている。
身動きが取れなくなり「こりゃ収拾つかないかも、どうしよう・・・」思ったのもつかの間
5~6人、長いと10人位の行列がつくられ、
楽器を鳴らし終えると、次の子供に弓が手渡されてゆくのだった。

日本の子供たちの秩序意識レベルの高さ、児童教育の見事さに またも感動した。
ほとんどの子が、初めてのボーイングなのに、良い音出すのにも驚いたけど。
(チェロってこんなに易しい楽器だったんだ・・)

いよいよ解散かと思ったら、子供たち全員が整列して、手作りの花束贈呈式をしてくれた。
(こんなの定年退職以来の経験なんで、どぎまぎ)

忘れていたこの感覚は、遠い昔をも思い出させてくれた。
幼稚園や小学校では、お客さんをこうやっておもてなしし、送り出していたよな~と。
子供たちに、保育の先生方に・・・素晴らしい時間をありがとう
と感謝し、何度も思い出しながら帰宅したのだった。

さて、あれから2~3日経っているけど、会場の端っこで録音したLiveを今日も聞いてしまった。
いつもの練習録音は、聴きたくないけど次の演奏に生かすために聴いている。今回は全然違う。
楽しい時間を思い出したくて、学童たちが全力で歌っている「SANPO」を聞くのが嬉しくて
バランスも悪く、雑音も入っているけど、Live録音を聞いてしまう。

こんな感動の演奏会なら、お金を払ってでもやらせていただきたいと思う。


アンサンブル再開、ブラームスかモーツアルトか?

2012年08月04日 21時12分24秒 | アンサンブル

クラリネット五重奏の仲間が久しぶりに集まった。

昨年、一昨年と「モーツアルト」のクラリネット五重奏曲の2楽章、3楽章を
室内楽大会で演奏してきた。

今年冬場のアンコンでは何にするのか。
やはりモーツアルトの第1楽章にするか、それともブラームスにチャレンジするか。
どちらも名曲中の名曲だけどなにしろ難しい。

メール相談ではなかなか決められないとうので、クラリネット爺さんが言い出したのは
「各パート譜全部添付するので、一通り全曲合わせてから決めませんか」
「おいおい、そんな無茶な!」と思ったけど、経験豊かなVnとVla嬢の皆さんは
「それもいいかも」と一通りやってみることになってしまった。

こんなやりとりがあったのは2~3ヶ月前だったろうか。
全曲8楽章だよ!こりゃ大変だ! とばかりに、モーツアルトとブラームスの楽譜に取り掛かるものの
モーツアルト1楽章は各パートは速いパッセージを繋いでゆく形なので、チェロが露になってしまう。
ブラームスは印象的でロマンチックなチェロのソロが随所にちりばめられているが、どの楽章も超難しい。

それでも練習しているうちに、モーツアルトの方が少しかっこうがついてきた。
ブラームスはいくらやっても出来そうも無い部分が多いので、りゃだめだ、と音を上げて
「それぞれ1楽章だけ決めて練習しませんか?」とメールを出したところ
クラ爺さんから
「じゃモーツアルトは第1楽章、ブラームスは第3楽章」ということになった。

やれやれと思ってはみたものの、ブラームスの第3楽章にはチェロソロは少ないけど
楽章後半には合わせるのが極端に難しそうなpresto non assaiがある。

とりあえず今年のアンアンブル練習第一回の日を迎えてしまった。
Vn&Vla嬢をそれぞれの駅にお迎えして、会場となる1stVn嬢のお宅に向かう。

やや遅れてきた夕食買出し担当のクラ爺さんが到着するやいなや
「じゃ一通りやってみましょうか」
「ん?1楽章ずつじゃなかったっけ・・・」と反論の間もなく
とりあえずモーツアルトから合わせが始まった。

少々練習していたのにモーツアルト1楽章の速いパッセージは失敗。
ピッチカートなど他の部分はあまり音程も外さずいい演奏になったと感じた。
続くブラームスは、スタートこそ第3楽章だったものの、presto non assaiは完全落っこち。
第1、第4の「美しく印象的」なソロ部分は「美しい」どころか、
自分でも耳をふさぎたくなるような演奏になっちゃった!

こうして一通り演奏してみた結果、、モーツアルト・・・と思いきや、クラ爺曰く
「結構いけましたね~、ブラームス3楽章いいですね~、すごく気持ちいい」と
どんどんブラームスに誘導され
「じゃもう一回やってみましょうか」

確かにやってみると、ブラームスは躍動感というか、シンコペーションのリズム感が
心地よい。二回目となると、落っこちはしても、結局途中でstopすることなく通すこともできた。
みんなの意見も「確かにモーツアルト第1楽章は、それぞれが裸になるのですごく緊張する」
ということで、流れはブラームスに固まった。

その後 子どもたちと一緒に楽しい夕食会となった。

そんな中でブラームスの難易度は、アマチュアは近寄ってはならぬ6/6ではなく4/5。
この評価基準は「クァルテットのたのしみ」で紹介されているアンサンブルの難易度。
分数の分子は個々の演奏難易度、分母は合奏の難しさだったと思う。
「やっちゃいけない曲じゃないのね」ということで、
今年のチャレンジはブラームスに決定しちゃった。

モーツアルトで行ければなんとかなるか・・・と思っていたけど
楽しいという意味ではやっぱりブラームスは最高に楽しみになってきた。
耳をふさぎたくなるような演奏にはならないよう、頑張らなきゃ。


レッスンで「ぼんのう」が少し晴れた!

2011年03月03日 00時14分20秒 | アンサンブル

「ぼんのうチェロ族」の3回目。師匠のレッスンで大きな前進を感じる一日となった。

午前中”ぼんのう組”だけで、7曲の通し練習を行った。この段階での結論は3番目の曲は
ピッチカートが難しく、なかなか合わないので難しいということで6曲に減らすことにした。

昼食を外房一の蕎麦屋「蕎麦奉行」で取ったあと、いざ師匠宅へ。
レッスン室に4人が輪を描いて腰掛け、まずは6曲を通して聴いてもらうことにした。
その途中で

「3番目はやらないんですか・・あったほうがいいと思いますよ」ということで演奏すると、

「これは速すぎますね。この曲はモーツアルトの歌劇ですから・・
  最初のピッチカートは秘密めいて弾くんです」
と始まりのピッチカートの模範演技に続き、さびのarco部分をffで演奏されるのを聴いて

「これは・・魔笛のパパゲーノだ!」
とみんな気づき、一気に楽しくなってしまい、7曲に復帰することにした。
正直この曲が何の曲かも分からずに勝手な速度でやってみて「ダメだ」と言っていたのだった。

一通りの演奏が終わったあと、師匠が真っ先に指摘したことは合図をはっきりすること。
先ほどまでは、1番パートが小さい声で「いち・に・さん」とやっていたのだけど
先生が交代して、弓と体全体で合図すると、スムーズに入れた。

そのあと1番が席に戻って、開始の練習したのだけど、
弓を振って最初の音をきちんと出すことに戸惑っていると、師匠は
「そこで息を吸って~ 呼吸をあわせて~はい」。
息をあわせることでアンサンブルのスタートが合うようになった。


1曲1曲をどのように仕上げてゆくかといえば、先ほどのパパゲーノのように
曲の解釈をしたあと、曲の重要箇所を取り上げて集中して練習をしていった。

たとえば3番パートが曲の主要な部分を演奏していると、師匠は3番の席でチェロを引き取り、
まず模範演奏をしてみせ、師匠と残り3人で合わせをしてみせ、最後に3番のメンバーを
席にもどして僕ら4人で全体演奏する・・・というような手順で曲想を飲み込ませてもらった。

自分が担当する4番パートについても多くの実演指導をしてもらった。

たとえばメヌエットでは「ここの4番は大事です」チェロ取って
メヌエットでは3拍目が大事であること、アウフタクトがpだとしても、はっきりに入ること、
ベースラインを正確に刻むことで、1~3番パートが安心して演奏できることをみせてくれた。
また2/2拍子を、4/4拍子の感覚で演奏してしまう自分の癖を指摘し、
2拍子の感覚に慣れるまで、何度も繰り返し練習してもらった。

かくして、3時間近いレッスンを終わってみると、最初通しで演奏した段階と、
まるで違ったアンサンブルに生まれ変わったとはっきり実感することとなった。
たとえてみれば、自己流で立てた建物を、大工の棟梁がやってきて、金槌でたたいたり
カンナで手直ししたら、ゆがんで倒れそうだった建物がしゃきっとしたという感じかな。

師匠の活躍ぶりはといえば、今にも落っこちそうな4つの皿を回し続ける皿回し芸人のようだった。
本当にお疲れ様でした。

帰り際、メンバーが口々に言い合った感想は・・・
「同じチェロと同じ弓であんなに音色も、音量も違うんだよな~」
「俺、まるで違う楽器に感じたよ」
「もう弓の問題だなんて言えないよね~」
と、師匠との3時間の興奮はなかなか冷めやらなかった。


千鳥が淵アンサンブル

2010年11月22日 00時12分01秒 | アンサンブル

アンサンブルが始まったのが、千鳥が淵が見えるオフィスビルの一室だったから、この名前になった。

メンバーはというと30年以上前の大学オケ仲間

1)このビルの一室のオーナーだった建築家のオーボエ氏
2)有名私立大学の心理学教授のバイオリン譲(少なくともX年前の面影はある)
3)国際的システムコンサルタントから大学教授に転じたフルート氏
4)ドイツ帰りの国際エンジニア、ホルン氏
5)それからアメリカ在住3年目のファゴット氏(帰国時参加)

ここに私、千葉県のチェロ弾きが参加・・・う~ん ちょっと格好つかないけど、
こんなメンバーが集まれるだけ集まって内輪でアンサンブルを続けている。

お互い 未だに超忙しい人ばかりなので、どうしても合わせの時間が、練習時間に転化してしましがち。
バッハ「音楽の捧げもの」 や「バイオリンとオーボエのための協奏曲」 モーツアルト「アイネクライネ」 などが出し物だけど、本当にゆっくりとしか進化できない。

今月は珍しく、千代田区の公共施設を二週間にわたって確保できたので、連続練習。
来週は、家族の介護で忙しいバイオリン譲を迎えることが決まっているので、男集はみな張り切って、難所を繰りかえりドリルした結果、何とかクリア出来るめどが立ったのが嬉しい。

男たちが天岩戸前で必死で音楽を奏でると、岩戸が開かれ、中から女神が現れ出でたように・・・来週は、仕事と介護で参加できなかったバイオリン譲を迎え華やいだアンサンブルになりますように!


来年もアンサンブルで会おうとそれぞれの新年に

2008年12月31日 12時22分15秒 | アンサンブル
 同級生とレストランであわただしい昼食を終えて、貸スタジオへ。たまたま近所に住んでいた小学校の同級生の「女子」(いまではおばあちゃんになったそうだが)を加えて夫々が楽器を持ち替えてのアンサンブルの始まりだ。今回バイオリンを弾くのはかつてトロンボーン、その後長らくフルート奏者だった。そしてフルートを持っているのはテナーサックス担当。僕が中学一年のときにサックスをかれに譲ったんだっけ。かくいう私はかつてユーフォニュームからホルンに転じていた。そして見守る「女子」はかつてピアノを習っていたが今回はギャラリー。

 3人で合奏できるハイドンの「皇帝」から合わせがスタート。始めは途中でずれてしまったが2回3回と繰り返すうちに呼吸が合ってくるものだ。「皇帝」ではチェロも無論主旋律を演奏するけど2楽章のVa4ではビオラが主旋律なので一時中断。どうするか協議したものの、練習をしてきた自分のパートをやりたいと譲らない。仕方無しに僕がビオラの部分を演奏することになってしまった。チェロだってVa4では変奏があって面白いのになー・・

  こういうとき、やっぱり自分は損な役回り。いつでも譲り役だったよなー。中1のブラバン入部の時、サックスに憧れていたけど結局1台しかないテナーサックスをフルートの彼に譲ってしまった。このことは実に何度も何度も思い出してしまう。別に哀しいわけでも悔しいわけでもなく「これ以外の生き方、自己主張の仕方ってなかったのかなー・・」なんて。それに、そもそも僕が五十代後半になってチェロを始めたのは、大1でオケに入る時に空いている団所有のチェロが1台しかなくて、結局僕が自分を通さなかったからだよなー。自己主張する人が我がままに見えて、清清しくない、格好悪いと感じたからか・・いやこれは後付で、単に弱い自分だからだ。だって結局主張しなかったことを後悔していたりもするからなー。そのとき譲ったチェロの学友は今でも都内のセミプロのオケで活躍している。そのことは良いことなれどだよなー・・

 さてさて、スタジオでのアンサンブルでは、唯一のギャラリーをしてくれている「女子」のうっとりと聞きほれてくれている姿や、「すごいすごい」と終わるたびに拍手してくれる大サービスにはげまされて、「皇帝」を何回か通しているうちに、貸スタジオから追い出された。モーツアルトの曲は結局一回もチャレンジしないままだった。

 「では良いお年を」と別れようとすると、フルート氏が「うちのカミサンがみんなを連れてこいっていうんだよね。聴きたいって」「演奏できるの?」「リビングなら広いから」「なんだ早く言ってよ、初めからスタジオ取らなけりゃ良かったねー」とか何とかワイワイ言いながら車に分乗し、速攻駆けつけるのもこれまた愉快だ。

 「ちわー、アンサンブルの出前でーす」とか言いながら、またしても唯一のレパートリーとなった「皇帝」をリビングで繰り返すうちに、奥さんは次から次へと料理を繰り出してくれ、「室内楽」の夕べは暮れていったのだった。

 「またやろうね」「来年はトリオソナタにしよう」「奥さんチェンバロやって」「じゃ近所でも聴きたいっていう人がいるから」「来年もみんな元気に、音楽しよう!」「ありがとう!」

・・・愉快な年の瀬だった。