金環食が終わった午前中、レッスンに向かった。
師匠に教わり始めてはや5年。様々な点で自分でも進歩が感じられる。
特にチェロが鳴るようになってきたことについては実感できるのだが、
あのダウンボーイングが、いつまでたってもぎこちない。
現在練習しているブラームス交響曲1番・第一楽章の前半は、ロングトーンの連続で、
しかも松葉のマークがその中に含まれていて、深い音が出せないとブラームスにならない。
そのためにも、ボーイングの基本をきちんと覚えたいのだが・・・
○ダウンボーイング
今日も、弾きはじめはいい音が出るようになっているが、半弓から後になると音が変化してしまう。
自分でも分かっているけど、無論師匠は聞き逃すはずのない。
「途中で音が変化する理由は、ボーングが一本線になっていないからです」
師匠の指導ポイントは、ほとんど全て暗証できるくらい頭に入っている。
でも、出来ないので、困った顔をしていると
「今日覚えちゃってください」と
僕が持っている弓ごと持ち上げて、何度も何度も繰り返し「型」をつけてくれる。
こちらとしても、今日こそ覚えちゃえとばかりに、師匠にすっかり腕の重さを委ねて、
ダウンボーイングの変化をしっかり味わっていると・・・
無理に手首をこねなくても、途中で音が変化することなく、いつもより肘の位置は
ずっと左手前で止まっていても、全弓で最後まで楽々と弾き切れている。
この練習で再自覚できたことは「やっぱり力が入っている!」という単純な事実だった。
今までは、なんだかんだ言っても、力の入れ方、力の入れる方向の問題と思ってきたのだろう。
でも再度はっきりしたことは、力を入れる方法などではなく、力をいかに抜ききるかなのだ。
結論から言えば、弓が弦に対し、直角に噛みながら、手元から弓先に至るまで、
一直線に進むことを支援するだけが大事で、他の一切は余分なお世話ということだ。
メカニズム的に言えば、弓が左から右に一直線に進もうとしても、右手で弓を硬く持っていれば弓は弧を描く。
当然弦と弓の角度は90度からずれてしまうだけでなく、いつの間にか弓を持ち上げてしまうことになる。
この角度のズレと、毛と弦のかみ合わせが浮き上がることが、音の変化の正体だと自覚できた。
しかしいくら手の力を抜いても、弓を持っていないわけではない。
弓の一直線の運動を妨げず、しかも弓自体の振動を最大化する唯一の方法は、弓を二本の指だけで支え
その支点をピボットにして、手の方が自由に回転しながら、弓の直線運動を助けること。
そうすれば、弓に無理な力が掛からず、弓の加重自体が弦にかかり続け豊かな深い音が出ると再確認した。
師匠の奏法は、手の緊張を極限まで落として豊かな音を生み出そうと追求してきた結果なのだ。
だから師匠が僕のチェロを弾くと同じ楽器、同じ弓とは思えない深くて豊かな音が飛び出してくる。
ダウンボーイングの極意を、頭と実感ではっきりつかめたと思うので、あとは練習のみだ。
○音階練習
レッスンの後半は音階を様々なバリエーションでやってみて、演奏の基本をつかませてくれる練習だった。
音階の前に「移弦」の基本練習があった。
ダウンボーイングだけでも難しいが、移弦が入ると格段に難しくなる(頭と体がバラバラになるのだ)。
さっきつかみかけたことも忘れてしまい、移弦にだけに意識が集中してしまうのが問題。
移弦での課題の一つは、移弦するとき無意識に弓を持ちかえてしまい音が途切れることだった。
移弦の基本を応用しながらGdurの音階練習に入った。
音階のパターンは5種類くらいあったと思う。
(四分音符・八分音符)×(全弓・半弓)×(スラー・切り替え)・・・この掛け算での組み合わせは
あまりに多様で、さすがに全部は覚え切れなかった。
たかが音階、されど音階。
師匠は
「これが出来ればほぼチェロは弾けるということになります」
とおっしゃるくらい、全ての技術要素がそこに含まれている。
なぜ師匠の音階が音楽に聞こえるかというと・・・
たとえば四拍子で四分音符で演奏する場合、平板に演奏すると、四拍子に感じられない。
師匠の演奏は4拍目は強拍に近く深く入り、その勢いで移弦の準備も同時に行われ
途切れることなく、滑らかに、拍子を感じなから音階が演奏されているのだった。
○音階の強弱
この音階練習での最大の驚き、発見は、強弱のつけ方にあった。
師匠が八分音符で音階を演奏して見せてくれ、その通りにやったつもりだったが、
「今こうやって弾いたでしょう」
と自分の演奏と本来の演奏を弾き分けてくれた。
自分の演奏は平板、師匠の演奏は八分音符が二つずつくくられて演奏されていた。
つまり八分音符は単に2倍の速度で演奏するのではなく、四拍子である限り八分音符を通して
四拍子と分からないといけない。だから、八分音符二つで一拍を構成するように弾くのだ。
ところで、その八分音符の強弱をどのようにして表現すればいいのか。
強弱を付けて演奏してみても、なかなか師匠のようには行かない。
「この強弱は左手でつけるんです」
「ん?・・・左は音程を作っているだけでないんですか」
師匠ははじめに、ボーイングだけで強弱表現をして見せてくれた。
それはアコーディオンのような演奏になった。
これに対し、左指を指板に叩くたたき方の強弱を付けてえんそうすると、
タッタッタッタという、歯切れの良い四拍子らしい演奏に切り替わった。
左手は演奏の表情をまるで違ってものに変化させる表現手段だったんだ。
今日のレッスンで、また音楽を演奏するという深さを教わった気がする。
ただ力を入れる、強く演奏するみたいな単純なことで、
音楽の様々な味わいは表現できるものではないと。