チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

ボーイングの夜明けは近いか、音楽の深さを感じたレッスン

2012年05月21日 22時42分14秒 | レッスン

金環食が終わった午前中、レッスンに向かった。

師匠に教わり始めてはや5年。様々な点で自分でも進歩が感じられる。
特にチェロが鳴るようになってきたことについては実感できるのだが、
あのダウンボーイングが、いつまでたってもぎこちない。

現在練習しているブラームス交響曲1番・第一楽章の前半は、ロングトーンの連続で、
しかも松葉のマークがその中に含まれていて、深い音が出せないとブラームスにならない。
そのためにも、ボーイングの基本をきちんと覚えたいのだが・・・

○ダウンボーイング
今日も、弾きはじめはいい音が出るようになっているが、半弓から後になると音が変化してしまう。
自分でも分かっているけど、無論師匠は聞き逃すはずのない。
「途中で音が変化する理由は、ボーングが一本線になっていないからです」

師匠の指導ポイントは、ほとんど全て暗証できるくらい頭に入っている。
でも、出来ないので、困った顔をしていると
「今日覚えちゃってください」と
僕が持っている弓ごと持ち上げて、何度も何度も繰り返し「型」をつけてくれる。

こちらとしても、今日こそ覚えちゃえとばかりに、師匠にすっかり腕の重さを委ねて、
ダウンボーイングの変化をしっかり味わっていると・・・
無理に手首をこねなくても、途中で音が変化することなく、いつもより肘の位置は
ずっと左手前で止まっていても、全弓で最後まで楽々と弾き切れている。

この練習で再自覚できたことは「やっぱり力が入っている!」という単純な事実だった。

今までは、なんだかんだ言っても、力の入れ方、力の入れる方向の問題と思ってきたのだろう。
でも再度はっきりしたことは、力を入れる方法などではなく、力をいかに抜ききるかなのだ。
結論から言えば、弓が弦に対し、直角に噛みながら、手元から弓先に至るまで、
一直線に進むことを支援するだけが大事で、他の一切は余分なお世話ということだ。

メカニズム的に言えば、弓が左から右に一直線に進もうとしても、右手で弓を硬く持っていれば弓は弧を描く。
当然弦と弓の角度は90度からずれてしまうだけでなく、いつの間にか弓を持ち上げてしまうことになる。
この角度のズレと、毛と弦のかみ合わせが浮き上がることが、音の変化の正体だと自覚できた。

しかしいくら手の力を抜いても、弓を持っていないわけではない。
弓の一直線の運動を妨げず、しかも弓自体の振動を最大化する唯一の方法は、弓を二本の指だけで支え
その支点をピボットにして、手の方が自由に回転しながら、弓の直線運動を助けること。
そうすれば、弓に無理な力が掛からず、弓の加重自体が弦にかかり続け豊かな深い音が出ると再確認した。

師匠の奏法は、手の緊張を極限まで落として豊かな音を生み出そうと追求してきた結果なのだ。
だから師匠が僕のチェロを弾くと同じ楽器、同じ弓とは思えない深くて豊かな音が飛び出してくる。
ダウンボーイングの極意を、頭と実感ではっきりつかめたと思うので、あとは練習のみだ。

○音階練習
レッスンの後半は音階を様々なバリエーションでやってみて、演奏の基本をつかませてくれる練習だった。

音階の前に「移弦」の基本練習があった。
ダウンボーイングだけでも難しいが、移弦が入ると格段に難しくなる(頭と体がバラバラになるのだ)。
さっきつかみかけたことも忘れてしまい、移弦にだけに意識が集中してしまうのが問題。
移弦での課題の一つは、移弦するとき無意識に弓を持ちかえてしまい音が途切れることだった。


移弦の基本を応用しながらGdurの音階練習に入った。
音階のパターンは5種類くらいあったと思う。
(四分音符・八分音符)×(全弓・半弓)×(スラー・切り替え)・・・この掛け算での組み合わせは
あまりに多様で、さすがに全部は覚え切れなかった。

たかが音階、されど音階。

師匠は
「これが出来ればほぼチェロは弾けるということになります」
とおっしゃるくらい、全ての技術要素がそこに含まれている。
なぜ師匠の音階が音楽に聞こえるかというと・・・
たとえば四拍子で四分音符で演奏する場合、平板に演奏すると、四拍子に感じられない。
師匠の演奏は4拍目は強拍に近く深く入り、その勢いで移弦の準備も同時に行われ
途切れることなく、滑らかに、拍子を感じなから音階が演奏されているのだった。

○音階の強弱
この音階練習での最大の驚き、発見は、強弱のつけ方にあった。

師匠が八分音符で音階を演奏して見せてくれ、その通りにやったつもりだったが、
「今こうやって弾いたでしょう」
と自分の演奏と本来の演奏を弾き分けてくれた。

自分の演奏は平板、師匠の演奏は八分音符が二つずつくくられて演奏されていた。
つまり八分音符は単に2倍の速度で演奏するのではなく、四拍子である限り八分音符を通して
四拍子と分からないといけない。だから、八分音符二つで一拍を構成するように弾くのだ。

ところで、その八分音符の強弱をどのようにして表現すればいいのか。
強弱を付けて演奏してみても、なかなか師匠のようには行かない。
「この強弱は左手でつけるんです」
「ん?・・・左は音程を作っているだけでないんですか」

師匠ははじめに、ボーイングだけで強弱表現をして見せてくれた。
それはアコーディオンのような演奏になった。
これに対し、左指を指板に叩くたたき方の強弱を付けてえんそうすると、
タッタッタッタという、歯切れの良い四拍子らしい演奏に切り替わった。
左手は演奏の表情をまるで違ってものに変化させる表現手段だったんだ。

今日のレッスンで、また音楽を演奏するという深さを教わった気がする。
ただ力を入れる、強く演奏するみたいな単純なことで、
音楽の様々な味わいは表現できるものではないと。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラームス1番  2回目の合わせ

2012年05月19日 23時49分06秒 | 市原フィル

定演のブルックナー下振りでお世話になった
鈴木研吾さんがブラ1練習の棒を振ってくれた。

鈴木さんの今回の指導ポイントは3つ

その1 音程

練習開始早々に言われたのが音程を合わせること。
「ブルックナーに比べると演奏自体はそんなに難しくない(僕もそう思う)。
 その分音程をきっちりと合わせないと感動するところも感動できない」

音程で明らかにダメ出しされたのが、決めとなっている和音。
完全に混じりけのない長三和音や短三和音なのに「なんじゃこりゃ」というくらい、濁ってしまっていた。(らしい)
「ブラームスはベートーベンを尊敬していた人だから、こういう綺麗な和音には思いがあるので大事に。」
「ブラスバンドでは、五音は小さくって指導するんだけと、こんなことわかってるよね♪」


その2 数える

数を数えることの重要性は、ブルックナーでも強調された。

「だけどブラームスではもっとシビアに数えないとだめ。」
「楽譜通りに」
「誰一人外れることなく」
「”い~ち に~”って数えたら絶対合わないですよ」
「”1とぉ 2とぉ” と数えればほとんどズレないはずです」
「できれば1音を、”1ととと 2ととと”って数えればさらに間違いない」

シンコペーションで頭に休符があるときは
「”んタタ んタタ” と先頭でも音が鳴っているつもり演奏すること」

チェロ隊最悪の失敗は、2楽章途中のBで一斉に入る筈のところが五月雨状態に。
この事態には さすがに鈴木さんも「絶対だめ!」と何回も繰り返し練習。
一斉に出る前にAndanteで6小節という長~い休みがあるので、
ちゃんと数えてないと五月雨式になって 絶対合わないんだよね。

今日のチェロチームは次々と団員が練習に駆け込んできて総勢7人に。
この時期の練習では結構贅沢な参加率だと思う。
みんなブラームスが好きなんだと思った。
(研吾さんも「ここで死んでもいい」と思うほど好きな所が何箇所かあるようだった)


その3 他パートを聴く

今回鈴木さんが特に強調したのは
「他パートの演奏をよく聴くこと」
ブラームスは20年に渡る推敲を繰り返して この曲を完成させた。
あるときはぐるぐる巻きにした螺旋の束のように、
ある部分ではエコーのように照応しあって、綾を成すように創られている。

「この曲は誰でも知っているし、皆さんもこれまで色々な演奏を聴いてきている」
「いろいろあるとは思うけど、自分勝手な思い入れで演奏しないで、まず縦を合わせること」
と厳し~ぃお達し。


研吾さんは「ここにはこだわらせて下さい」と、
大事な部分はパートごとに分奏を繰り返しながら、全体が合うまで繰り返し練習したっけ。

鈴木さんの練習は「下振り」なんて呼びたくないな。
アマチュアのレベルに合わせながら
音楽というものを分かりやすく、真剣に教えてくれる。

うんちくも加えてOKなので、また教えに来て欲しいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族夕食会のあとブランド店の大冒険

2012年05月13日 23時56分23秒 | その他雑感

僕の誕生日と母の日が重なって 息子夫妻が銀座で食事会を開いてくれた。

リーズナブルとはいえ お祝いの席でしか行けないレストランから
誕生日のご招待券が送られてきたこともあるけど、
両親を元気付けようとする息子夫婦の心使いを感じて嬉しかった。

二人の心づくしのプレゼントが私たち夫婦に贈られたあと、ビールとシャンペンで乾杯!

出された一品目は、ホタテとスズキのバター焼き。その香ばしさにとろけそうになった。




大きな車えび、和牛ステーキの焼き物と至福の時間が続く。

銀座のレストランはどこでもそうなのかも知れないけど(・・というか全然他は知らないけど・・)
ビジネス客がいない休日は、店内も空いていて、ゆったりとくつろいだ時を過ごせる。

みんなは それぞれにアルコールドリンクを楽しんでいたけど、
車の運転もないのに、一人だけ呑めないんじゃ味気ないかもと思いながら、
でもやっぱ酒類はダメなので「アイスコーヒーって」言ったら、ちゃんと出してくれた。

みんなドリンクのお代わりもして、だいぶ気も大きくなったところで、
「せっかく銀座に来たんだから・・」と、高級ブランド店めぐりに繰り出した。

並木通りをそぞろ歩けば、次から次へとブランド店が目に飛び込んでくる。
ちょっと入りにくい店も多いけど、ETRO、エルメス、ヴィトン、シャネル・・・
敷居が高そうな店に入っては、思い切って二階三階なんぞも覗き込んで見た。

ある店でのこと

「あのバックかわいい!」
と家人が棚に飾られたバッグを手に取った。
すると、付き添ってくれている男の店員さんが
「おいくらだと思います」と上品に声を掛けてくれた。
「200万はするな~」と口からでまかせを言ってみたら
「お目が高い!250万でございます」
「ウッヒョ~!ヤッベー!」と心の中で叫びながらも
「なるほど。やっぱりね」
などと冷静風に取り成しながら、そそくさと店を後にしたこともあった。

だって僕の財布の中身は悲しいかな本日1000円札一枚だったんだからね。

そんなこんなで、あちこち練り歩いて退散することにしたけど、
ドアーを開いてくれた入り口の黒服さん、丁寧に対応してくれた店員さん
ご迷惑おかけしました。

こんなことで「日本人はダメね」と思わないでね。
いつかきっと、ヤフオクやらコメ兵やらアウトレットではなく、
本店で買う日も来ると信じて待っててね~ (嘘っそで~す)

こうして、誕生日と母の日記念の「都会の大冒険」は終了したけど
どんなにブランド品が高いとしても、
我が子どもたちの心使いこそプライスレス。
比較にならない価値があったのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラームス1番の練習を開始するも暗礁に・・

2012年05月10日 00時25分23秒 | 市原フィル

定期演奏会のメインは、ブラームスの交響曲第一番。

ブラームスが20年の歳月をかけて完成させたといわれる。
ベートーベンの第九に続く「第10交響曲」とも称されている。

演奏することを目的に、何度も聴き直しているけど、
究極の音楽作品の一つだと改めて感じさせられる。
精緻に編成された音の世界に魅せられてしまう。

その世界は物語を語っているのではなく、絵画的な映像の世界でもない。
音の織り成す世界、五感の中で聴覚だけが創り出せる別世界が現れ出てくる。
音楽それ自体の力で感動を湧き上がらせてくれる「音の芸術」だと思う。

以前からブラ1は何種類かのCDを聴いてきたけど、
今はアーノンクールが振るベルリンフィルの演奏が気に入っている。
とりわけ、弦楽器の響きが素晴らしい。


この秋の定期演奏会で、そんな深みのある作品に加わることが出来る。
そう思うと、少しでもいい演奏をしたいと思い練習を始めることにした。
Don Juanに比べれば、音色に問題はあっても弾くこと自体は可能性が高い。


ところが早くも第一楽章の途中でつまずいてしまった。

 

つまずいたのは、赤枠の部分。

何度もチャレンジしているんだけど、全然弾けている気がしない。
第1楽章は途中から8分の6拍子に変化するので、1小節を付点4分音符2つで数えて演奏してくるんだけど
そのあと どうしても8分音符6つ、つまり三連符的に数えるフレーズが出てくる。

ところが、そのあとの高速フレーズはどうしても2つで数えてしまうので、速度がわからなくなり、
自分で演奏していても、どうしても最後には”つじつま”があわなくなる。

困ってしまい、CDと譜面を参照したりもするのだけど、譜読みしている段階では出来る気になるものの
チェロを構えて演奏してみると、また同じへんてこりんなことの繰り返しになってしまう。

チェロを弾くのを止めて、大きく弓を振りながら、楽譜を追って歌ってみると、やっぱり出来そうになる。
でもチェロに戻ると、再び同じことを繰り返してしまうのだ。

ホトホト自分のリズム感の無さにあきれてしまう。

ここまで来ると、やはりメトロノームの登場となる。
こんなこともあろうと、機械式のを最近購入しておいたのだ。
メトロノームに合わせて弾けば、自分勝手に速度を調節できなくなるからね。

ところが、メトロノームに合わせてやってみると・・・今度は全然追いつかない!
自分勝手にスピードをコントロールして演奏していたのに気付かなかったのだ。

仕方ないので、メトロノームの速度をallegroからかなり落として演奏してみた。
すると、何とか1小節内に高速フレーズは収まってくれた。

でも新たな問題が発生!
自分が演奏できる速度に落とせば、もはやブラームスではなくなっていた。


こうして、ブラ1という素晴らしい作品へのチャレンジは、
第一楽章の中ほどで暗礁に乗り上げてしまったままだ。

今週も総練習があるのだけど、どうなることか・・・
こういうときは、諦めず繰り返し練習あるのみだ。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新緑狩りに川治温泉

2012年05月05日 08時04分52秒 | その他雑感

連休後半は栃木県日光から福島県会津に抜ける山間にある川治温泉郷に

兄夫婦のお誘いで「老老ツアー」となった

前日までの低気圧がもたらした記録的な大雨のおかげで
上流のダムが放水され、谷川からは轟音が響いてくる

新緑の向うに激しい流れがしぶきを上げている

渓流脇の露天風呂も緑に染まって、とてもくつろげる

昨年末からいろいろあった私たち夫妻を気遣って温泉に誘ってくれた
兄夫妻のこころ使いがありがたかった

今日は帰省ラッシュのピークらしいので、早めに千葉に引き上げよう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな一歩だけど巨大な前進

2012年05月02日 15時30分01秒 | レッスン

仕事に追われて一月ぶりのレッスンに向かった。
その結果 自己流の癖が根本的に直ってなかったことに気付かされた。
この小さな気付きが大きな前進につながるようにしたい。

まずダウン・ボーイング。
5年くらい続けてきた、ダウンボーイングだが、ダウンの最終形が
親指根元の緊張を伴う(手首を左右に曲げるに近い)、正しい形になっていなかった。
どうしても、ダウンボーイングの終盤では、手首を上下に曲げる癖から抜け出せてないのだ。
指摘を受け、何回やっても師匠の言う通りにはならない。
あがけばあがくほど、どうやっても言うとおりに「なれない」のだ。

埒が明かないと見るや、師匠も僕の手を持って内側にねじ曲げるようにして
ダウンの形を教え、手を添えたまま何回もダウンボーイングをして見せてくれたりもした。
レッスンもほとんと「血みどろ」の形相を呈してくるのがひしひしを感じられる。
師匠だって、投げ出しそうなところをこらえてくれていると感じながら、何回も試行錯誤を経て
ダウンボーイングの正しい方向性は体感的には再確認された。
出来るかどうかは今後に掛かっている。ん~まだまだ自信を持って体得したとはいえないのが残念。

 

次にアップ・ボーイングでも新たな発見。
アップでは、二回ほど試しに弦を軽く鳴らしたあと、三回目に全弓でボーイングする。
ところが僕のは、試しが全く試しになっていないことが今回のレッスンで初めて分かった。
僕は試しを鳴らすとき、腕と手首だけで、チョンチョンと鳴らしていたのだ。
その方法だと、弦との接点もバラつくし、弓と弦の角度も不安定になる。
全然試しになってないことを指摘された。

師匠の手本を元に、今度は肩から腕全体を使って試し弾きをし、そのあとのボーイングをすると
接点は固定し、しかも弦は鳴ってくれた。
この発見には、さすがに師匠もあきれ返った。(だって同じこと5年やってきたんだからね)
「同じこと何回も言ってきましたよ」とこけそうになっていた。

ここまでで予定したレッスン時間は尽きようとしていたが(僕はもうお腹一杯なんだけど)
さすが師匠様、このまま帰すものかと、左手の使い方のおさらいを始めてくれてた。
「何か教則本を持っていますか」
・・・こんなこと聞かれるの5年間で初めて
「サボージニコフでもウェルナーでも、何でも一杯持ってます」
「じゃこれでいいでしょう」
とウェルナーの最初のワンフレーズを示しながら、第1ポジションでの
人差し指への体重の乗せ方、そのあとの運指の方法を教えていただいた。
(こえは頭では分かるけど、なかなか自分ではできない世界)

 

そして、宿題を出してくれ、
「今日やったのは、右のボーイングと、左の1指と2指ポジションの二つです。」
「これだけやればいいいですから」
と念を押された。
「オケの練習もあるし、曲をさらうこともやらないと・・・」
「やらなくてもいいです、やっても上手くならないですから」
「でも・・・」
「無駄な練習はいくらやってもだめですから」

オケの一員として、少しでも役立ちたいという思いに対して、師匠の視点から見れば、
基礎を習得して本当のチェロらしい演奏できなければ意味無いということだと思う。
これって、当面の必要に追われて本質的な課題を先送りにするマネジメントとそっくりだ。
この葛藤を乗り越えて進むためには、自分なりの心がけと努力が必要ということだろう。

 

それにしても、師匠からすれば 僕の技術は遅々として進まず、全くダメ弟子と察するのだが、
自分にとってはこのところ、毎回巨大な発見があって自分でも驚くばかりだ。

5年も同じことを教えられながら、毎回発見があるということになるのだけど、
ほんの些細な違いなのに、何度も何度も繰り返さないと分からない、体得できない世界がある。
こんなことを思い知らされている。こんな経験はめったに味わえるものではない。
レッスンを通して大変貴重な体験をさせてもらっていると感じる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初ドンファン 躊躇しながら参加

2012年05月01日 12時35分06秒 | 市原フィル

初のドンファン練習に参加した。

師匠からは「アマチュアには無理です、練習しなくてもいいですから」と宣言されてしまったけど、
オケの団員としては参加しないわけには行かないだろうと思って、練習に向かった。

相手はRichard Strauss のDon Juan 。
「どう考えても弾けるとは思えないよな~」
「Don Juanの楽譜を見たけどチェロなのに、ト音記号が出すぎだよな~」
「それに2分の2拍子のallegroなのに、四分音符の中に音符が5個も6個入ってるし~」
「何でも詰め込めば演奏者が何とかするとリヒャルトは思ってんのか~」
なんてことを思いつつ、ぐずぐずしていたら、練習開始に遅れてしまった!

公民館の入口までくると、練習は始まっているのは明らか。
弦の音はあまり聞こえないけど、管楽器の勢いの良い音が外まで響いてくる。
しかも結構吹けてる。すでに皆さらってきているんだ。

それにひきかえ、自分はさらうどころか譜面も読みきれていない。
ト音記号に気付いたのも最近だよ、まずいよな~
今日のところはこのまま帰ろうか・・・

と、帰りかかったところに、フルート夫妻が到着。
挨拶もそこそこにどんどん練習場に入ってゆくではないか。
吊られて僕も入ってしまった。

会場のドアを開けると、多いはずのチェロは2人しか参加してなかった。
バイオリンと管楽器は充実している感じ。
練習が始まったとはいえ、まだ冒頭の当たりを繰り返し練習している。
ここからなら、曲がイメージできると思い、チェロ席に着席した。

このあとは、弾けないところだらけ。
速いフレーズでは殆どノータッチの連続で、
辛うじて主席が一本で繋いでいるという有様。
まことに本日のチェロには迫力がない。

中盤のTranquiloからは速度が3分の2くらいにゆっくりとなる。
「ここなら弾ける」と思い切って出てみたら・・・
出たのは自分だけだった。

長老団員の下振り指揮者氏はすかさず棒を止め
「今弾いたの誰?」とチェロを指した。
しかたない、僕が飛び出したのがバレないわけないよねと右手を上げると
「今のいい音だったね~」
「・・・?・・・」(褒めてるよ、ひょっとして・・)
「でも一拍早い」(あちゃ、ぬか喜び)
という具合で、まったく恥ずかしい場面もあった。

でも収穫はあった。
一つは絶対不可能と思っていたから、近寄りがたかったドンファンが
大変ロマンチックでモダ~ンな感覚の良い曲だと感じられたこと。
もう一つは、チェロパートでも、難しくて不可能な箇所は一部であって、
8割方は参加可能だということだ。

この発見で、これからドンファンにチャレンジする意欲が沸いてきた。
入り口でフルート夫妻に会って 引き返して良かったと思った。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする