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チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

73人のオケと一人のピアニストとのアンサンブル

2019年05月29日 23時00分22秒 | コンサート

今年の茂原交響楽団定期演奏会は団設立以来初のピアノ協奏曲で始まった。

実は、茂原市民会館は老朽化で取り壊しとなり、団は演奏会場というベースを失ってしまった。
演奏会の会場を探した結果、茂原から20キロ離れた東金市民会館での定演となった。
茂原市民にとっては迷惑この上ないロケーションかもしれないが、
逆にこの結果、30年以上念願しながら実現しなかったピアノ協奏曲をやれるようになったのだ。
(茂原市民会館は舞台が狭くてピアノを置くことができなかったが、東金は大きく立派なホールだ)

ピアニスト探しは、団員が外房在住のピアニスト・鈴木直美さんを見つけてくれ
鈴木さんは演奏を快諾いただくとともに、グリークのピアノコンチェルトを選んでくれた。

  【 デンマークをバックにしたプログラム表紙】

大好きなグリークという嬉しさもあって、定演のメインはブラームスの交響曲第3番という名曲ながら、
プログラムの表紙にはグリークの肖像画を組み込み、協奏曲を作曲したデンマークのセレレズ湖を選んだ。
(小生選曲委員でもあり、今回のプログラム作成担当でもあったので一石二鳥で解決なのだ)

さてピアノ協奏曲が選ばれたものの、市民オケとプロのピアニストとの練習はどうやって進むのだろう?
いつも練習している市民センターにグランドピアノはあるけど、舞台の上だ、
舞台上とフロアーという距離感は大丈夫なの?
指揮者とピアニストのアイコンタクトはなくてもいいの?
それにいざ本番となると、調律などの手配はどうなるんだろう・・・?
いろいろつまらぬ心配も出てきた。

こうした心配はあったものの、実際にはピアニスト抜きでの練習を何回か続け
オケが曲に慣れてきたところで、3回ほどピアニストを交えた合同練習ができた。
しかも市民センターのグランドピアノではなく、市民室という通常の練習場に置いてある、
アップライトピアノで合わせてくれたのだ。

練習が始まってまず驚いたのは、プロのピアニストの音量の大きさだった。
か細い指、小柄な姿からは想像できない程の迫力で音が飛び出してくる。
「指は折れたりしないのだろうか?」とマジに心配したほどだ。

たった一台のアップライトピアノが、オケの音量に負けたりせず、オケを土台に輝き出る。
練習ではカデンツアは省略していたが、全曲を弾き切り オケのメンバーの賞賛の拍手の中を
引き上げてゆく姿はとても恰好良かった。

もう一つ強烈に印象に残ったことは、普段は指揮者の思い通りにオケは演奏するんだけど、
ピアニストの思い・情熱に合わせてオケの進行が変化しなければならない。
ピアニストと、オケ全体との接続役を果たすのが、指揮者ということだろうか。

このことは3回の練習、そしてゲネプロ、ステージリハーサルと回を重ねるにつれ、
ピアニストと指揮者、指揮者とオケ、いやオケとピアニストがシンクロしてゆくのを感じることができた。

    【ピアニスト鈴木直美さん、フランス人形風ステージ衣裳だった】

とりわけ、本番当日のステリハや本番に至って、指揮者を入れて73人のオケとピアニストが、
まるで会話をしているように、シンクロナイズしてゆく感覚を持てたのは、実に心地良い経験だった。

そのシンクロは簡単ではない。
ピアニストの思い入れ(表現)をよく聞き、指揮者をよ~く見てゆかないと そんな演奏はできない。

とりわけ指揮者は大変だったと思う。
いつもは”わがまま放題”の指揮者も、まるで恐妻家のように、完全にピアニストの「尻に完全に敷かれ」て
いるかのように、中腰の姿勢で全神経をピアノとオケの進行に集中しているのだった。

例えば、2楽章は3/8拍子なので、単純な曲なら「ワン・ツー・スリー」と振ればいいんだけど、本番ともなると
ピアニストが歌いまくってゆくので、「ワン・・ツ~ウ・・・スリー」と、時間的には倍近くを掛けて振ることも多かった。
オケとしても、その動きを一瞬も見逃すわけにはゆかない。
皆が神経を研ぎ澄ましているが、そのシンクロ感が実に心地よいものだった。

後からピアニストと、練習にも付き添ってその門下生たちに聞いてみたが
「先生とオケのハーモニーがどんどんできてゆくのが感じられた」と言っていた。
指揮者に大変でしたねと聞くと
「大変なんだよ、おれも疲れたよ」と言いながらも良い演奏が出来た満足感が表れていた。

一人のピアニストと、73人のその他の伴奏者たち・・と言ってもいいのだろうか、
いつも楽しんでいる弦楽四重奏やら、弦楽トリオとは全く違った、
壮大なアンサンブルの楽しさを感じたコンサートだった。

打ち上げ会場でのこと
「プロのピアニストの音の迫力に驚きました。普通の住宅では無理ですよね、ピアノ室があるんですか?」
と聞くと、3カ所ほど設定してあるとのこと。
その話を聞いていた師匠(元超有名プロオケのチェリスト)は
「外国のピアニストはもっとすごいよ。鈴木さんは小柄な方だけど、白人のごつい体で弾くと飛んでもない音が出る」と。
さすがに世界を渡り歩き、世界の演奏家と共演してきた経験はすごい。

協奏曲というのは、一人のソリストをオケに加えた編成程度にしか考えてなかったかも。
いや、そもそもオケって大勢が指揮者のもとに、楽譜通りに音を出す機械装置みたいに感じていたかも。

実はそうではなく、どんなに大人数でも、互いの音を聴きあい、呼吸を合わせるアンサンブルなんだ。
今回の協奏曲の経験を通して、そんな音楽の基本を改めて思い起こさせられた気がする。

まだまだオケの世界、音楽の世界には、新しい発見や驚きがあると感じさせられた定演だった。


地獄から天国に連れ出してくれた人たちに感謝

2018年10月16日 12時52分46秒 | コンサート

秋のファミリーコンサートが終わった。  チェロのソロだらけのスドラビンスキー「火の鳥」をサブにした演奏会がようやく終わったのだ。

 

 この5ヶ月を振り返ると、メインのドボルザーク交響曲第8番という大曲よりも、サブで取り上げたストラビンスキーの組曲「火の鳥」の中の「皇女達のロンド」に出てくるたった2小節のソロに恐怖感すら感じるほど悩まされてきた。

 最近はオケの他の曲やアンサンブルでは、そこそこ弾けていると自信も感じ始めていたのだけど「皇女のロンド」だけは、どうにも苦手で上手く弾けなかった。

  音程の悪さもさることながら、曲想全体との繋がりが切れてしまい、チェロはあきらかにお荷物になっていた。

   だからこそ、弦楽器パートだけでなく、色んなパートの方から、励ましやらアドバイスをもらってきたし、師匠による特訓もしていただいた。今回客演指揮者の吉田悟さんもさぞかし我慢をされていたのだろうと思う。

  努力はしてきたのに、本番3時間前のステージリハでも不安定な音を出してしまい、本番直前の舞台ソデでも「励まし」やらアドバイスをもらっていたありさまだった。

オケのメンバーが不安を抱えたままで始まった本番の全てのプログラムが終わり、指揮者が一旦退場した。鳴り止まぬ拍手の中 再び指揮者が舞台に戻ると、観衆の拍手に応えるように、ソロで活躍したプレーヤーを指名してゆく。

 大活躍したフルートトップ、フルート全員。オーボエ、ファゴットトップで、トランペットトップ、金管全体ティンパニー、パーカッション・・その間拍手が続いている。

   ここらあたりは、クラシック演奏会の「お決まり」の手順で「面倒くせーなー」とか「手が疲れて迷惑だよな」などと思ったこともあった。音楽の流れが分かり、感動的な演奏を経験したあとからは、ソリスト達の努力や 本番でのパフォーマンスを讃えたい聴衆に代わって指揮者がプレーヤーを指名し、喝采を贈っているんだと理解できるようになった。

   管楽器、打楽器への拍手が終わったところで、コンサートミストレスを指名し、その後は弦楽器全員が立ち上がって拍手は終わりアンコールへと移るのが普通だった。 

  ところが、今回ちょっとありえないことが起きた。

指揮台の左手でコンミスと握手した指揮者が全員を立たせるのではなく、右に振り返り、指揮台を横切って、ニコニコしながらチェロの方かに向かってくるではないか。

ま、まさか・・目の前まで来てしまった。

 「ぼ、僕ですか」と言いながら、子供がするように、右手人差し指で鼻の頭を指すと、笑顔でうなづかれたので、驚きながらもすごすごと立ち上がっていた。

   指揮者が両手で「あなたです」と指し示してくれたことは本当に意外だったけど、いろいろ御託を並べたクセに、照れ臭くもあったが、大変嬉しく、心から光栄な瞬間だった。いつも個人で指名される管楽器の人たちは、こんな栄誉の瞬間を経験してたんだとはっきりと感じた。

  いろんな思いも浮かんでたけど、人生で初めての、有終の美を飾る瞬間と思われた。ひどいソロに付き合い黙って指揮を続けてくれた指揮者殿、ひでーソロの隣で誰よりも忍耐を強いたしまった師匠殿、心労をかけた団員全員、そしてこのような場所に引き込んでくれたパートリーダーにも感謝しながら、拍手の中着席したのだった。

 閉幕後、複数の団員から「本番が一番良かったよ」とフィードバックをいただいたこともあり、指揮者も「苦労した甲斐があったね」という思いやりを示してくれたのだと指揮者にお礼を言いたい気分だった。

 初めて会場まで聞きに来てくれた、かつての記者仲間が「パーシーフェースみたいだったぜ」と漏らしたのは、我々の年代にしかわらかない、最上位のはお褒めの言葉だった。  ファミリーコンサートという、映画音楽やポピュラーを交えたコンサートへの賛同ともいえる。ありがたいことだ。 

 多くの方々の心配と支援のおかげで乗り切れた本番だったし、自分の力にもなったソロ体験だったが、この経験を今後に生かしていきたいと思う。

●2018年10月18日、香港のホテルinn hotel honkongにて筆


グローバルフィル定演を聴いて

2013年02月24日 23時32分34秒 | コンサート

学友が所属する「グローバル・フィルハーモニック・オーケストラ」の定期演奏会があった。

会場は「あの」すみだトリフォニーホール。
「3.11のマーラー」が100人にも満たない聴衆の前で演奏された会場だ。
僕も6月の再演を聴きに行ったっけ。あれからもう2年経とうとしている。

曲目は前半がブラームス「悲劇的序曲」とハイドン交響曲88番「V字」
後半にやはりブラームスの「大学祝典序曲」と、シューマンの交響曲第4番。

 

「悲劇的」の冒頭の一音から「すごい!」と心の中で叫んでしまった。

アインザッツの切れのよさ、弦楽器全体の響きのよさ、弦管打の調和。
どこをとっても素晴らしい。音が天から降り注がれるようだった。

ひょっとして すみだトリフォニーの音響の良さのせい?

と何度も疑ってみたが、違うと思う。

グローバルフィルに集う演奏家たちの質の高さが際立っているのだろうか?
各所に現れた主席同士のソロ、合間に響く木管の繊細な響き、金管のコラール、
ティンパニーがしっかりとオケ全体を底上げするセンス
・・・全てがアマチュアを越えていると思った。

 

曲が進むにつれて、pやppの繊細な美しさ、何よりも
弾き始めの一音を大切にする団員の結束を感じた。
個々の技術もさることながら、オケ全体がすばらしいのだ。

創立31年間に、オーストリア、モナコなど海外遠征もこなしてきた歴史の積み重ねが、
管弦楽全体が一体となった有機的な響きを生み出しているのだと思う。

はじめはオケを瀬踏みした面も、少しだけあったかもしれないけど、
後半は単なる一聴衆として素晴らしい管弦楽を楽しませていただいた。

 

グローバルフィルを聴いて思ったこと。

オーケストラは、個々の技術力では音楽にはなりえない。
全員で たった一つの音楽を創り出しているという事実の確認だった。
僕らのオケで真似できることがあるとしたら、弾き始めを大切にし、呼吸を合わせること。
特にppにおける繊細な神経の使い方は、心の一体感なしには成しえないと感じた。

いい演奏をありがとう!


宮田 大さんのエルガー 素晴らしかった!

2012年06月29日 01時06分30秒 | コンサート


宮田さんの素晴らしい演奏をTVで見たのは最近のことだった。
天皇皇后両陛下をお迎えして、小澤征爾指揮で行われた水戸室内楽団との協演を
NHKBSで放送したのを、友人に教えてもらって初めて宮田大さんを認識したのだった。

早速チケットをネットで探し始めると、東京オペラシティーで、
尾高忠明指揮の東京シティー・フィルと協演が入手できた。

入り口で渡されたプログラムの、プロフィールの紹介には・・

3歳からチェロをはじめて、幼少より出場するすべてのコンクールで第一位入賞。
2009年にはチェロ部門の最高峰ロストロポービッチ国際コンクールで日本人として初優勝。
(つまりこのときの年齢は23歳になるかならないか・・・)
そのほか数え切れないくらい沢山の賞を獲得するという、輝かしい経歴の持ち主。
でも26歳の若さだ。

TVの影響もあるのだろう、会場は3階まで満席。
宮田大さんの演奏に期待がどんどん膨らんでゆく。

尾高さんと一緒に舞台に登場すると、会場の割れるような拍手に迎えられた。

エルガーのチェロ協奏曲が始まった。

デュプレやヨーヨーマなど何種類ものCDを聴いてきたけど
宮田さんのエルガーは、今まで聞いた誰よりも美しいと感じた。

伸びのある温かい音色。
二楽章のような速いパッセージも一つ一つの音が美しく歌われてゆく。

変なたとえだと思うけど、仲間由紀恵の声の様な、丸みというか温かみを感じる。
彼のチェロは楽器というより、まるで人が歌っているように感じてしかたないのだった。
こんな美しいチェロを聴けるとは本当に幸せだった。

それから、今日の宮田大さんはエルガーを心から楽しみながら演奏しているようにも感じた。
(持参のオペラグラスで表情を見ると、うっすらと汗は浮かんでいる程度だった)

演奏が終わると会場全体が一つになって、心から拍手を送った。
お愛想の張り込む余地も無いほど、聞く人の心をわしづかみにしてしまったと思う。
聴衆の拍手が鳴り止まないのは当然としても、
オケの楽団員が一人残らず拍手をし続けている姿に初めて接した。
一緒に演奏したオケの皆さんも、心から賞賛を贈っている姿は、本当に気持ち良いもので、
宮田さんが再登壇 再々登壇するたびに、会場の拍手は爆発し、楽団員は足を踏み鳴らした。

アンコールは「荒城の月」ではなく、「鳥の歌」を演奏してくれた。
これほど美しく伸びやかな「鳥の歌」を聴くのは初めての経験だった。

かえりに、彼のファーストアルバム(だと思う)、「FIRST]を購入した。
特別に、宮田大さんの写真が一枚プレゼントでついていた。
このアルバムは、斉藤秀夫が愛用し、堤剛氏が師匠から借りて、ヨーロッパツアーに用いた
18世紀イタリア製のチェロで演奏されていた。

世界の水準を越えた、一人の天才チェリストの演奏に接することができ
今日は本当にラッキーな一夜だった。

宮田大。 これからが楽しみだし、出来るだけチャンスを逃さず聴き続けて行きたい。

 

 


今日は読響のブラ1

2012年06月13日 23時42分14秒 | コンサート

秋に市フィルで演奏するブラームスの交響曲第1番読響で聴けるので予約してあった。

梅雨の晴れ間というか、少々肌寒い赤坂の街を歩いてサントリーホールに早めに到着。

開場まで30分以上あっても、すでにお客さんが並び始めている。
いつも開演間近になると、多くの人が駆け込んでくるカラヤン広場もまだまばら。



時間があると立ち寄ることにしている Ark hills CAFEに向かった。

Cafeは窓を開け放って、さわやかな風が引き込んでくれる。
それぞれ好きなコーヒーを注文して・・・

お店に備えてあるMacなぞ覗き込んで雑談しながら時間つぶし。

時間が来たのでゲルト・アルブレヒトの振るブラ1ってどんなだろう・・・
今日は市フィルのことは忘れて、プロの音楽に浸ってみようとホールに向かった。

会場に入って気付いたこと。
本日はブラームスの3番と同じく1番の二本立てと思っていたら
舞台にはなぜかピアノがデンと鎮座しているではないか。
よくよくプログラムを見直したら、本日は1曲目はブラームスのピアノ協奏曲第2番だった。

コンチェルトの演奏は若林顕さん。
あまり聴きなれていない曲だったけど、第3楽章はチェロ協奏曲と間違えるほど、
主席チェリストのソロが続き、ピアノと弦の柔らかなコラボレーションに聞き惚れた。


<帰りに購入した2001年みなとみらいホールでのアルバム>

15分の休憩後は、誰もが大好きだと思うブラ1だ。

ティンパニーの導入に始まり、最後の歓喜に至る全てが素晴らしい曲だと改めた感じた。
ただアルブレヒトは、古楽器の研究もしているとおり、作曲者の時代考証に造詣が深く
いままで聴き慣れてきた、どちらかというと扇情的だったり、重々しい指揮とは異なり
ハイスピードで、さらっと流れてゆく印象を受けた。

読響の演奏会、実は初めてだったけど、素晴らしかった。
特にppの表現とはこういうことか・・・と改めて感じるものがあった。

プログラムの代わりに配布された読響創立50周年の「月間オーケストラ6月号」には
読響楽団員全員の写真が載っていたが、エルダー楽員の中に我が師匠の名前を発見!

名演を繰り広げてきた読響活躍されてきたけど、
今も現役で活躍中なんだと感慨ひとしおだった。

追記:購入したアルバムには師匠の姿もばっちり写っていた



 


N響チェリストと音楽の夕べ

2012年03月11日 22時12分17秒 | コンサート

千葉市のプラネタリウムでN響主席らで構成された「ラ・クァルティーナ」の演奏を聴いてきた。

このチラシを見たのは、近所を走る普通のバスの中だった。
紐にくくられてバスの入り口近くにつるされていた。
240席程度の千葉プラネタリウム。座席は全てリクライニングシート。
大人1500円、高校生600円、小中学生300円。
そこでN響の主席・藤森亮一さんと3人のフォアシュピーラーが演奏するという。

「えっ! こんな恵まれたコンサートあっていいのか?」と思ったけど
現実にあるのだと思い直し、ローソンチケットを購入しておいたのだった。

今日は3.11。昼から様々な特別番組が放映されていたけど
コンサートもバッハのアリアから始まった。
4人で演奏するG線上のアリアの響きは天上のように調和し、
桑田歩さんのベースの美しさに聞き惚れた。
(自分でも何回か演奏したことあるけど大変難しい・・・)

会場はプラネタリウムということもあって、音楽に合わせて
円天井には様々な星座や宇宙の写真などが映し出されていった。
その分、会場の光は殆ど落とされていて、オペラの演奏席のように
楽譜を照らすライトだけが4人の姿をぼんやりと照らしている。
演奏を見るのはあきらめて、音楽の響きに聞き入った。
とてもアマチュアでは聞くことができない、見事に調和したアンサンブルだった。

小さな会場を埋めている人の多くは、プラネタリウムのある科学館の
会員らしく、会員パスで入場している方もいる様子だったが、3回目となった
「ラ・クァルティーナ」の演奏を誰もが楽しみに来ている様子だ。
もっとも、その驚くほどソフトな響きに心地よい眠りに着く人も多かった

前半はクラシックだったが、休憩後はタンゴ尽くしのプログラムだった。
チェロアンサンブルとタンゴは非常に相性がいいと感じた。
チェロが4人のはずなのに、バンドネオンやギターが混じっているのでは?
と何度も感じたくらい不思議で素敵な響きだった。
真面目なN響・・・というやや固定観念があったからか、
こんなにお洒落な演奏をするんだ~と驚いた。

閉演後は、ショップの前に4人がテーブルについてCD購入者への
サイン会が行われた。

めったにない機会なので、全員のサインをCDに書き込んでもらい
藤森さんには握手してもらった。
「主席チェリストの手ってどんなだろ~」と密かに思っていたけど
鍛えられたプロの手は、柔らかく厚い掌だと感じた。



3.11のマーラーを見て

2012年03月11日 00時13分46秒 | コンサート

昨年の3.11夜7時15分 すみだトリフォニーホールで新日本フィルの演奏会が決行された。
ダニエル・ハーディングのmusic partnerデビュー演奏会で、曲目はマーラーの5番。

その再現ドキュメントがNHKで放映された。

3月11日2時46分に大震災が起こったとき、楽団員の多くは楽屋に集まっていた。
すみだトリフォニーホールも大きな振動に見舞われてた。
ホールの安全確認ができ、4時過ぎには、
「一人でもお客様が来れば演奏しよう」と開催を決めた。
1800席以上あるチケットは完売していた。

この段階では指揮者は到着していなかった。
楽屋のテレビで、想像を越える被害が出ていることは団員も知った。
団員何人かの家族は被災地にいた。
「こんなときに開催するのか・・・」と思った楽団員も多かった。

指揮者のハーディングは日本橋で地震に遭遇していた。
ホルン奏者の一人は新橋駅からホルンを背負い会場に向け走り出していた。
(結局飲まず食わずで2時間以上を走り続け開演45分前に到着した)

演奏会前にゲネプロが開かれた。
コンマスはオケの音が萎縮していることを感じていた。
そこにハーディング登場した。
36歳の彼が動揺していないことを見て楽団員の気持ちは固まった。
(彼は『自分は一人ではなかった、音楽をする皆がいたから』という)


結局その日集まれた聴衆は105人。楽団員は90数人。
演奏開始段階では聴衆は全員到着していなかった。
2時間半歩いてきたおばあさんは第3楽章に間に合った。

こうして3.11のコンサートは始まった。
第一楽章は葬送行進曲。数奇な邂逅といえる。
トランペットのソロから普段ではない力により奇跡の演奏が実現した。

ハーディングは語る
「みな信じられない集中力を示した。オーケストラは命を懸けて演奏していた。
全員が100%音楽に入り込んでいた。生涯忘れられない演奏となった」

その夜、帰宅困難者となった聴衆と楽団員はホールに泊まった。


この放送を見ていて気付いた。
この日集まれなかった聴衆に呼びかけ、
6月20日にハーディングによるチャリティーコンサートが行われた。

その日僕はこんな背景も知らぬまま、彼らが演奏するマーラーの5番を聴いた。
知っていればもっと違った感想を持ったかもしれないが、素晴らしい演奏だった。


キャッツと中華街で気散じ

2011年12月23日 22時24分07秒 | コンサート

以前からキャッツを予約していた。
せっかく一番前から2列目が取れているのだから・・・
行くことにした。


<キャノン・キャッツ・シアター。劇場の上にも猫の目が>

会場が暗くなると、目の前に黄色い猫の目が点滅する。
薄明かりの中、音もなく這い出してきたのは、
猫かと錯覚するようなしなやかな動きのアクターたち。
7回も見に行ったという同僚もいるけど、
たしかに この舞台の演出には、何度も驚かされた。
特に猫たちが思わぬところから出てくる舞台装置に目を見張った。

そしてあのメモリー・・・彼女の歌声に聞き惚れた。


<スターは作らない劇団四季、でもそれぞれの力量は素晴らしかった>

ミュージカルとは無関係だけど、気が付いたことがあった。
今年タイで見たのは紛れも無いシャム猫の「野良猫」だった。
ところがキャッツの舞台の上での「シャム猫」は「ペルシャ猫」の姿をしていた。
作家はあまりよく識別してなかったのかな・・・
”本当のシャム猫”姿の女優・「タントミール」(Tantomile)の
スリムでなまめかしい動きには目が離せなかった。

鳴り止むことのない拍手、カーテンコールの中でキャッツは幕を閉じた。

以前横浜に暮らしていたころにはよく通った中華街や元町だったけど
「久しぶりの横浜だから」と、みなとみらいから程近い中華街に行くことにした。

まだ明るいなか 中華街に入ると、なんだか全体に洗練された感じを受けた。
上海料理の店を選んで、クリスマス・ディナーコースを注文した。


<クリスマスツリーをあしらった前菜>


<ふかひれスープに続いて、オマール海老のチリソース煮>


<イルミネーションが明るいメインストリート>

店を出ると、中華街のメインストリートはすっかりライトアップされていた。
忘年会とクリスマスを兼ね会食をしようという人々の流れは
夜に入って ますます勢いがついた感じ。
路地は人の波で溢れていた。

年忘れ・・・にはなるはずもなかったけど・・・
キャッツとおいしい中華で ひと時のくつろぎは得ることができた。


シルク・ドゥ・ソレイユに行ってきた

2011年11月09日 22時36分20秒 | コンサート

シルク・ドゥ・ソレイユ「ZED」が今年限りで閉鎖される

フロリダまで見に行くこともできないので、何としても見ておきたかった。
3年前の2008年10月に開演して以来、京葉線からその姿を遠めに見ていたけど、
目の前にすると、その威容に圧倒される。



<シルク・ドゥ・ソエイユZEDのために3年掛けて建設された専用シアター>

舞台全体が、まるで工事現場にように、大きな布というかシートで覆われている。
開演数分前から、二人のピエロが客席に登場して、様々にイタズラをして観客を笑わせる。
言葉らしい言葉は全く使わず、人々を笑わせ、惹きつけ、公演への気分を盛り上げてゆく。
彼らのプロフェッショナルなパフォーマンスに触れただけでも来た価値があったと思ったほどだ。

  

<開演前は、舞台全体が巨大な布で覆われている>



開演時間が迫ってくると、ピエロ二人が舞台に置かれた大きな分厚い本をの鍵を開ける。
本を寝かせてページを開くと、二人はその中に次々と飛び込み、会場全体がおとぎの世界に引き込まれて行く。
(舞台の何箇所かに穴が開くようになっているんだろうけど、そんなことどうでもいいのだが・・)



<分厚い本の鍵が開けられると、二人のピエロはその中に飛び込んで消えた>

ピエロが消えると同時に、舞台と天井を覆っていた巨大な「布」が、彼らとともに、舞台中央に
あいた大穴の中にあっという間に引き込まれてゆく。
まるでCGでしかありえないような、滑らかながら、ものすごいスピードに圧倒された。

主人公ZEDが舞台に登場したかと思うまもなく、ビルの7階もあるという舞台上空から天界の女神が現れ
無言語のアリアを歌いだした。
(恐らくこの舞台で語られ、歌われる言葉は全て、どの言語にも属さない舞台専用の
”無言語”なのだと思う。そして天使の姿はモーツアルトの魔笛に出てくる女王に似ていた)

すると女神よりもさらに高い、27メートルの天井頂上から、四方に青くきらめく光が発射され、
会場全体をかすめるようにしながら、舞台に向かって放物線を描いて下降してきた。
四方に放たれた輝く発射物と思った光跡は、始めは大きなリボンのようだったが、実は
4人の女性が青くきらめく衣装からベールをひらめかせながら四方にバンジー・ジャンプしたのだった。



最前列近くにいた私たちの頭上に落ちるかと思う程まで近づいたとき、彼女たちの輝く笑顔と
しなやかな姿が目前に現れ、その妖艶で幻想的な姿に、ただただ口をあけて見とれた。

落下すると思った彼女たちは、そのままするすると舞台上をすべるようにして、再び一気に
何十メートルもの上昇をはじめ、あっという間に天井近くまで舞い上がり、上空で天女の舞を舞い始めた。
その姿はまるで4人のティンカーベルのようで、キラキラと金粉をまきながら飛び跳ねているように見えた。

シルク・ドゥ・ソレイユを初めて見たのは、NHK・BSだった。
放送されたのはフロリダの公演だったが、その幻想的な舞台と、途切れることなく歌われる
独唱の素晴らしさに惹きつけられてしまった。そのすばらしさが今目の前で、
ZEDという異なるストーリーではあるが、再現されているのだ。

ZEDの舞台は、天国と地上世界を模した様々なアクロバット、ジャグリング、肉体芸、空中ブランコと続き、
どれをとっても「あ~!」「ぎょえ~」「すっげ~!」の連発状態で、割れるような拍手喝采で終了していった。

どれも素晴らしかったが、やはり一番印象に残ったのは、最初の天使の舞いと同様、
安全ベルトも、ネットも付けずに、天空から舞台上へと、ものすごい勢いで下降、上昇をしたり、
2000人で埋まった観客席上空を掠めて飛び回る天女たちの飛翔感、スピード感だった。

<片手にリボンを巻きつけただけで空中を飛翔する彼女らは輝いていた>

 

さて、音楽に注目して振り返ると・・・
もともとシルク・ドゥ・ソレイユの音楽性の高さに魅力を感じて見に行った面もあり、
生演奏の楽団に注意を向けて聴いてはいたけど、聞いているだけではどんな楽器が
何台で演奏しているのかまでは、識別できなかった。
ギター、ドラム、バイオリン、キーボードとドラムまではわかったのだけど・・・

それが、フィナーレになって現れた楽団を見てその意外な編成がはっきりした。
何とファゴットが主役の一つだったのだ。
バイオリン、ギター、キーボードにファゴットがメロディー楽器で、残りは全てパーカッション。
カナダ生まれの楽団は不思議な組み合わせだった。
ファゴットらしいファンキーな音色を感じなかったのは、電気的に処理されていたからだろうか。
これだけの編成で、あの豊かな音楽のバックを担っていたのには驚いた。

<フィナーレでは、真ん中近くにファゴット奏者の姿が。彼が中低音部全て担っていた>

ZEDの公演は今年で終了する。残り数十回でサヨナラというのは、いかにももったいない。
来年には新しいストーリーで、再びシルク・ドゥ・ソエイユが、舞浜で見られることを切に期待する。

CGだらけの映画によって、まるで不可能なことは無くなったみたいな芸能世界だけど
生の人間が、ここまで幻想的で、感動的な舞台を実現していることに心から賞賛を贈り
再演をお願いしたいと思う。


徳永英明コンサートにお供

2011年08月06日 22時42分46秒 | コンサート

徳永英明といえば、一聴で徳永英明と分かる独特のハスキーボイスで、
最近は女性歌手のカバーソングをリリカルに歌って、ヒットさせている。
不思議と耳に残る歌声は、とりわけおば様方の心をとりこにしているのではないだろうか。
そんな一人が我が家にもいて、付き添いをして欲しいと頼まれたのでコンサートに向かった。

全国ツアーの前半のクライマックスとして選ばれたのは、東京国際フォーラム大ホールだった。
この会場の便利なところは、外房線から京葉線直通で東京駅に到着し、改札を出て
昇ったところが大ホール(Aホール)の入り口であることだ。

地上に出てみて驚いたのは、国際フォーラムの中庭というか、人工的に造られた谷間みたいな空間に
多くの人がとぐろを巻くように長々と列を作っていて、どこで終わっているのが見えなかったことだ。
直感的に「これは徳永英明コンサートの行列だ」と感じた。

係員が出て整理している様子から、これはとても10分~15分でさばける人数ではないと諦めて
先週開店したばかりのフランスレストランで、何か飲みながら待つことにした。
店内から見て驚いたのは、行列は有楽町のビックカメラの方まで延々と伸びていた。

それにしても、全席指定券のはずなのに、こんなに行列を作っているのはなぜだろう、不思議だ。
店員にきくと「1時間以上前から行列が出来ていました。確かに徳永英明の行列です」とのこと。
予想通りほとんどが中年の女性。徳永英明が49歳ということなので、その前後の年齢の
熱狂的なファンにとっては、コンサートを待つための行列も楽しいイベントも一部なのかもしれない。

待つこと30分。開幕時間の午後5時を15分ほど回ると、ようやく人がはけてきたので会場に向かった。

5000人の会場に空席は見当たらなかった。
徳永本人の説明では、チケット発売即日完売という状況が続いているらしい。

会場の照明を極端に落とした中から最初に聞こえてきたのは
「心の真ん中が痛い・・・」で始まる「抱きしめてあげる」の一節だった。
「あ~徳永英明だ!」と誰もが分かる歌声で一気に彼の世界に引き込まれてゆく。

オリジナル曲とVocarist曲が交互に歌い上げられてゆく。Vocarist曲は日本の流行り歌で
長く歌い続けてほしいと徳永が選曲した歌で、選ばれた歌手たちは大変名誉に感じるという。

ステージの中盤で歌われた「壊れかけたRadio」で会場はしっとりとした盛り上がりを見せ、
23年前に作曲されという「レイニーブルー」でコンサートは締めくくられた。

武道館や野球ドームなどで行われるコンサートに行ったことはあるけど、この会場は5000人に絞れられているためか
スピーカーから出される歌声であっても、競技場等に比べて生を感じさせる響きを楽しむことができた。

途中で徳永オリジナルソングのメドレーになると、会場のファンたちは立ち上がって
身振りや手拍手で徳永を声援していたのには、ちょっと違和感があった。
だって殆どの曲はバラードだから、あまり盛り上がる感じではないんだけどね。

改めて2時間のコンサートを振り返ると、ベストアルバムの殆どをカバーしてくれたと気づく。
徳永英明の声は森伸一に似ている(これは御本人がステージでもそう語っていた)、
一方で驚くほどの高音域でも声量豊かに歌っていたが、そのときの音色はかつて聞いた、
レッドツェッペリンなどロックバンドのシャウトのような鋭さが混じっていると感じた。

柔らかさを基調に、心を貫くような高音で縁取られ、ゆったりと歌われる徳永の歌は、
どの曲もそれと分かる個性に色付けされていて、心地よい緊張を含んだ素晴らしいものだった。
全国で何十万人も集めるだけの実力と魅力を持った一流歌手の証ではないだろうか。

外房特急を待つ間、線路下の飲み屋さんで、飲めないビールで乾杯だけして、
ウーロン茶を飲みながら、コンサートの余韻を味わった。

有楽町から東京駅まで続く線路下には、居酒屋や韓国料理店が軒を連ねている。
かつて何年もこの道を通ったけど、呑めない僕はただの一度も店に入ったことはなかった。

ここもコンサートから流れてきたと思しきおば様方で溢れていた。