チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

プロのトレーナーによる練習に参加できなかった

2008年03月29日 22時16分13秒 | オケの練習
 今日は待ち望んでいた、プロのチェリストによるトレーニングだったのに、突然の会合が入り、泣く泣く欠席となってしまった。難曲の「ブラームス交響曲第三番」や「イタリア奇想曲」を、プロはどうやって弾きこなすのか午前中いっぱいのレッスンだったはずなのに。

 ところが、帰宅すると、我が愛すべき主席から今日の練習で先生と一緒に変更したボウイングや、スラーの掛け方についてメールが届いていた。嬉しかった。
「ブラ3の第一楽章183~185の小節頭の2音は↑」
「第3楽章第5小節は↑の1ボーイング」てな具合に、具体的に分かる指示。

 今回ちょっとだけ嬉しいのは、チェロの前半のプルトをオケのメンバーで固め、後半プルトはエキストラの皆さんに入っていただくことになったこと。僕は当然最後列の「内側」と決めてかかっていたので、ちっと「昇格」した気分。ますます腕を上げないととても恥ずかしいことになりそうだ。

 明日のオケ練に備えて、少しでも練習しよっと。
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ボウイングに曙光見える(プロレッスン9)

2008年03月25日 01時08分05秒 | レッスン
 本日もチェロの先生は、終始ボウイングの基礎の基礎に集中して指導をしていただき、とうとう出口にたどり着いた。

 先生はこれまで大変だったと思う。その顔に「絶望」の文字が浮かぶのを何度見たことか。でも今日は何かをつかんでもう離さないと確信できたからこそ、長くて真っ暗な洞窟のようなこの半年を、正直ベースで話し合うことができた。

 「先生、ようやく振り出しに戻れました」
 「私は初めから一つのことしか言ってないのみその通りやらないからね」
 「頭では分かっているんですが、どうしてもできなかったんです」
 「理解できているなら、どうして言ったとおりにやらないのかなー。
  私の言っていることをなかなか本気で信じてくれないんですよね(笑い)」
 「僕は信じていますけど、ついつプロは違うと思っちゃいますから・・」
 
 「力強い、豊かな音色が出せるボーイング」は本当に力を抜いた状態=弦に弓を押さえつけない方が、よく響くチェロの音色が出せるとは感じていたけど、今日こそは心から、体も含めて得心がいったのだった。

 で、今日のプロセスはどうだったのか。

 レッスンのスタートは、いつも先生が自分の楽器で取り組んでいる曲を演奏してくれる。いつもより明るくて華やかな音色だと気づくと「いつもと違う楽器なんです。ちょっと弾いてみますか」と先生はステージでしか使わないチェロを弾かせてくれた。恐らくベンツの上級車が買える19世紀末のイタリアチェロ。構えてみたものの、ビビッていい音が出なかった。

 続いて、いつものように僕のチェロと弓をもって、様々にチューニングしていただけた。まるでチェロの整体師さんなのだ。大方のチューニングが済むと、様々な曲を演奏してくれる。今日は「ブラームスの3番」の必ず躓くポイントをお話しすると「こうですか」といって、1,5倍くらいのスピードで実演して見せてくれる。「イタリア奇想曲」の壁となっている部分もやすやすと手本を示してくれる。
 そして、すっかり「整体」してもらって、響きを取り戻した僕のチェロでのレッスンが始まったが、やはり今日も「だめの繰り返し」→「諦め」→「絶望」へと突き進むように見えた。でも、何かが違う。後から思えば、先生も次の手を考えていてくれたのだ。

 たしかに今日も初めはだめだしの連続だった。ボーイングがだめなので持ち方から再度徹底的におさらいした。先生の弓の持ち方を裏から表から、何度も詳細に検討し直したあと、弓の毛を弦に接触する「弾き出し」の瞬間を何度も練習。弾き出しから、中弓までの垂直かつ単純なボウイングを何度となくやってみる。
 つまり、持ち方・弦へのアクセスを丁寧にさらって、中弓までたった25センチ程度の「ボーイング」を繰り返すのが、その25センチを今までの癖でいかに複雑にしてしまったかを思い知ることになった。

 「また何かやってますね」と先生は即座に見抜かれる。たった25センチの中でいろいろやってしまう自覚・無自覚の動作・・・弓を微妙に持ち替える、人差し指で押さえる、肘を不必要にこねる、ぜんたいに弓をプレスする、弓の方向が揺れる、弓の弦に接する角度が揺れる・・・こんな様々なことが、音色の変化となって現れ、先生は決して見逃さないのだ。

 結局、普通の持ち方では修正できず、今度は「弓を鷲づかみにして、何しろ力を抜いて弓の中間まで弾いて」と新しい指示。弓を弦に全くプレスせず、ただ弓の重みだけで、90度を保って、一切の「変な動き」を封じ込めて、虚心に弾く。はじめはそれでも「こねる、押さえる」の連続だったが、そのうち、ドーっと音が均一に流れ出した

 「弓の重さだけ」でも、弦と弓の毛ががっちり「噛み合った」状態さえ保持できていれば、ドーっと豊かな音が出せるし、弓の中間以降のボーイングも、弓を手で持ち上げなくても、弦から弓が落ちることなく弾ききることが出来るのだった。確かにこれは9ヶ月前から知ってはいたけど、出来なくなってしまっていた。
 音が出ないから、手で押さえる。押さえると無理が掛かるから、手も肩も痛みが走るようになる・・こんな悪循環がこれで快方に向かうかと思うと、正直嬉しかった。

 てな具合で、今日も2時間たっぷり、ひたすら素直な、力を抜いたボーイングだけに集中した結果、弓の重さだけで、大きく響くボーイングが不安定ながらできたのだった。
 これをG線の単純なダウンだけでなく、いつでも弾けるようになるには、まだまだ修行が足りないのは分かっているけど、ようやくトンネルの先に明るい太陽が差し込んだ気分だった。
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ついに二年目突入!だったんです

2008年03月17日 00時20分50秒 | チェロ
 先ほどhideoさんのご指摘で、とうとう僕のチェロ生活、そして見よう見まねでやってきたBlog生活が、何と二年目に入ったのです。
 うーん、この日が来るのやらこないのやら。チェロについては家内から「無駄にしないでね」息子たちは「どうせまたハンガーになるんじゃないの」なんてあざけられてきたのですが、とうとう三日坊主から脱却。しかも一週年記念を祝うかのように学友とのアンサンブルの楽しみが加わってしまった。
 いつか市民オーケストラに参加したい、いつか僕もアンサンブルを楽しみたいと希求してきた願いが、あまりにも早く実現して、なんだか夢のようであります(これ本当に月並みな表現也)。
 じゃ言葉を代えれば、チェロと共に歩んだこの一年で何が変わったのだろうか?
一番変わったのは、人生が前に開けたこと。もしチェロを始めていなければ「60歳まであと何年何ヶ月」と終わりに向かって進むだけのどん詰まりの人生になっていたと思う。
 それに比べ、今、焦りも、追い込まれもないのが不思議だ。人生これからって感じ。無論仕事抜きに男の暮らしはなかなか成り立ちにくい。行くところが無ければ家人から「どこか行くと来ないの?」とか言われてつらい日々を送ること間違いない。単一の対象に固執していると、視野も意識も狭窄してしまい息苦しさを覚えるものだ。しかし今では仕事以外でも忙しく、充実した時を過ごすことが出来ているなんて、以前は考えもできなかった(僕は無趣味のCD&DVD多消費型人間に過ぎなかった)。

 というわけで、チェロとともに”現代人もすなる”Blogなる世界にも足を踏み入れさせていただき、世界が変わってしまった。

 今日はこの場を借りて、お礼を申し上げたい人がいる。NYのguarneri さんこと、今年1月に「CELLO LOVE ニューヨーク・チェロ修行」を出版された石川敦子さんだ。この方のNYでのチェロブログに触発され、思い切ってチェロレッスンに通い始め、即効でチェロを購入。同時に何を血迷ったかBlogをはじめてしまったのだった。

 そして多くの方のBlogに刺激を受け2年目を迎えることが出来たのだ。またささやかな私のBlogにコメントを残していただいたNYのguarneri さんだけでなくBlogを通して教え、導いていただいた下記の全ての皆様に感謝したい。

hurry-k
yoshi
腹出朗SIN
紫苑
celloneko
memaido

とおりすがり
spot
腰痛アドバイザー
どりてぃんドリーム
eflat

 そして今日「二年目だよ!」とコメントをくれたhideoさんに、改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました!そしてこれからもよろしくお願いします!
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春のアンサンブルは楽し

2008年03月16日 21時06分45秒 | アンサンブル
 無謀なダブルヘッダーをやってみて、練習はやっただけの効果は出るものだなーと、ちょっと効力感を持つことができた。

まずオーケストラでは「イタリア奇想曲」の魔の240小節目も「今日はなんかやっているという感じにはなったね」とコンダクターから”お褒め”の言葉をいただけた。「ブラームス交響曲3番」も、今日は第一楽章に絞って練習したのでチェロパートについては雷は落ちなかった。

 先生は練習の締めくくりにこんなことを語られた。「今回の曲は今まででやった(20年近いオケの歴史の中で)どんな曲よりも難しい。ブラームス3番は頭をすごく使うよね。もう一方のイタリアはすごく運動能力を使う。どちらも簡単ではないので練習するしかないよ。みんな頑張ってくれ」と。そうかブラームス3番はほとんどアマチュアでは取り上げないというが、ハードルが高すぎるし、指揮者のエネルギーも尋常ではないのだと思う。逆に、初心者なのにこれほどの難曲をやれるのは幸せだと感じた。

 そしてオケが終わると、昼食も取らず一路東京へ向かった。房総半島の端っこから都内まで2時間以内で到着できるだろうか心配だったが、高速はただ一度の渋滞も無く30分の時間を余して到着。皇居のほど近く、緑溢れるオフィスビルが初アンサンブルの会場だ。近くのコーヒーショップで一息入れて向かう。集まった計4人の学友はといえば、当たり前ながら、程良い感じで、おっさん、オバサンになっていた。

 お茶もそこそこに、早速アンサンブルの始まり始まり。いきなり初見で彼ら3人が練習してきた曲からスタート。Klavierパートしかないこともあり複雑な読み取りに焦って全然様にならず、アンサンブルに貢献できなーい! 
 「やっぱりチェロが入ると全然違うよね」などど慰められながら、Hydnの「皇帝」に進む。この曲は各楽器が主旋律を交代で担当するが、チェロが主旋律で進むVar.2では自分の焦りで皆をリードできない。練習したのに実力が出せぬままBach「音楽の捧げもの」に突入して、途中落っこちたまま終了して休憩に。
 
 夢中で追いつこうとして汗だくになったが、顔を上げれば窓の外は春の陽気。冷や汗ばかりではなかったのだ。昔話に花を咲かせた後、よし今度こそとバッハに再チャレンジすると、今度は70点くらいの演奏が出来た。僕の通奏低音でアンサンブルが安定しいい感じになってきたことを自分でも嬉しく思った。

 次の曲ではチェロが抜けてトリオを楽しんでいる仲間の姿を眺めていた。人気の無いオフィスのガラス窓に向かって譜面台を並べ、気ままにアンサンブルを楽しんでいる。そのガラス窓の向こうには、全面に都心の緑が広がっている。普段それぞれに立場役割があるメンバーが、音楽するためだけに集まり、ただひたすらアンサンブルに集中している姿は、とてもさわやかだし、文字通り「有難い」光景でもあった。

  雑談していて分かったのだが、大学時代それなりの腕を上げて演奏していたメンバーだったが、やはりいずれも30年近く楽器に触っていなかった。それがつい2年ほど前から楽器に触りだして、「アンサンブルをやりたいね」と声を掛け合って集まってきたのだった。そんな中で低音を担当していたメンバーが再度の海外勤務となり、チェロを開始したという僕の情報を知り、声をかけてくれたのだった。

 「有難い」つながりの連鎖。人生捨てたものじゃないなーと感じる。僕にチェロを始めるきっかけを作ってくれたニューヨークのguarneri さんはその後お元気だろうか・・・いつかお礼を伝えたいな。
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明日はオケ練とアンサンブルのダブルヘッダーなのに

2008年03月15日 19時38分39秒 | オケの練習
 アンサンブルの曲はオーケストラのチェロパートに比べて「らくちーん」なんて思っていたら大間違い。あの大バッハ様作曲の「音楽の捧げもの」の練習をちゃんとやろうと、昨日から取り組んでいるものの、まともな音楽にはなりそうもない。
正直、オーケストラの場合、沢山のチェロに混じって音を出しているので「賑やかしさん」でもそれなりに存在意義はあるのかもしれない(と勝手に自分を説得している)。少なくともゆっくりの部分では「弦に厚みを増す」という大義名分も成り立つだろう。

 でもアンサンブルではそうはゆかないのは自明なのは分かっていたのだ、自分の音がモロに出てしまう。そこが面白くもあるんだけど。
 しかも「音楽の捧げもの」は、この前モーツアルトの楽曲をチェロアンサンブルに編曲したものとは比べ物にならないくらい、速いパッセージが出てきて弓と指が合わなくなったり、常にフラット3つあるので音程がどうも定まらない。

 基本がまだまだ出来ていないことが、今本当に悔しい。ボウイングの基本(それも持ち方から始まって、スラーやらアルベジオやらいろいろ・・) 指押さえの基本(押さえ方そのものから始まって、どのポジションでどう押さえてゆけばスムースかという運指のメソッドがあるに違いない)、そして音楽の基本(楽典とか、学理というものだろうか)、これらについてほとんど学んでいないことが真正面に突きつけられている気持ち

 まー初心者なんだから・・と言ってみても音楽に真剣に向き合っている人のことを考えると、言い訳にはならないと思う。少しずつ積み重ねてゆこうと思っているけど、目先の楽しみも捨てがたい。

 あーこんなレベルで、オケもアンサンブルも掛け持ちしても、いい結果は出ないなーなんて悲観的な気持ちになってくる。二日間アンサンブルの練習をしていても、オケの難しい部分が気に掛かる。

 先ほどから「イタリア奇想曲」の魔の240小節目だけを取り上げて繰り返し練習してみたものの、どう見ても現在の自分の実力では「物理的限界」というものにぶち当たる。Allegro moderatoで16分音符の連続技って一体いつになったら出来るようになるんだろうと暗い気持ちになる。初めと終わりでつじつまあわせは出来ても、全く音になっていない、音楽ははるか彼方~だ。

 そいういえば、アンサンブルで一番気になるのは「音質」だ。落ちも、音外しも嫌だけど「良い音」が出せないと使い物にならない。本当はオケでも全く同じで、最近は「音を出している」だけでは全然だめなことが感じられて、「きれいな音」というハードルが見えてきた。指が回るとか、様々な技術も覚えたいが「美しい音ですね」と言われるほうがどれだけ嬉しいか・・

 とか何とかグジグジ言っても始まらない。明日はダブルヘッダーなのだ。今晩できるだけのことはやって明日を迎えるしかないよなー。
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ちょっと必死で練習中

2008年03月13日 01時10分06秒 | チェロ
 以前「毎日30分は練習しよう」と決めたのに、なかなか実現はできていなかった。下手をすると一週間チェロに触らずじまいということも・・。しかし最近ではまっすぐ帰宅し、短い団欒のあと「即チェロ」生活が続いている。幸い家内も「チェロ子さん寂しがっているわよ」などと後押ししてくれる。ちょっと幸せ気分。

 何事も集中力に欠ける自分が(小学校の素行態度では、落ち着きは常に最低点で要注意項目だった)、なぜチェロに向き合っているのだろうか。その理由を振り返ると曲目に対して魅力をますます強く感じていることが明らかになる。

 主演目の「ブラームス交響曲第三番」。初めて聞いた時は、陰気で暗い冬の荒海みたいだなーと感じたっけ。それが耳に馴染んできたのか、半年も聴き続けていると、一面暗い海の中に繊細な流れや、水面に飛ぶ鳥や、きらめく光まで見える気分。そして何よりもブラームスの作り出した圧倒的なうねりに全身を持ってゆかれるような快感を感じざるを得ない。帰宅の電車でイヤーホンを通して聞いていると、一刻も早く家に帰って自分で弾いてみたい!と本当に思う。

 もう一つの理由は学友とのアンサンブル練習日が近づいてきたこと。Bachの「音楽の贈りもの」も何度も聞き込んでみると「何て素晴らしい世界を創造したんだ」とようやく気づいた。そんな素晴らしい楽曲の「通奏低音」を担当できる光栄に喜びを感じ続けている(当日は果たしてどうなるかは考えないのだ)。
 オーケストラの楽しみも素敵だが、学友と息の合ったアンサンブルを楽しみたい!そんな想いが僕を後押ししてくれる。

 今日も気づいたら1時間を超えて練習できた。無論夜10時を過ぎてからの練習はサイレントしか触れないけど(そして音の響きの感覚が出ないのがいかにも物足りないけど)、一歩一歩ながら前進しているのではないかと感じる。
 難しい速いパッセージは、アバウトに眺めて、いい加減に「通過する(ないしは弾いている振りをする)」のではなく、その部分を取り出して、ゆっくり眺め、細かく分解し、一つ一つ音を確かめ、そしてもとの流れになるよう再構成してゆく。こんな地道な努力が出来ている自分にふと驚いたりもする(何せ最近は齢なのか、根性が全く不足していると感じているから)。

 やはり「好きこそものの上手なれ」なのだと思う。素晴らしい音楽を奏でる一員になりたい思いや、とりわけ「音楽の素晴らしさそのもの」がどれだけ大きなパワーを届けてくれているのか。改めて偉大な作曲家に感謝したいと思う。
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もうすぐチェロ1周年。ボウイングに変化の兆し

2008年03月11日 01時29分46秒 | チェロ
 ちょっと嬉しいことがあるので「日記に書いておこう」っと。

 肩こり、腕の痛み・・おそらく腱鞘炎と五十肩とを併発している右腕が、なんだか少し軽くなってきたと感じる。筋肉の痛み(疲れ)が、これまでと違う部位に移ってきた。先生から「中指を45度に保つように」という指導を受けてからまだわずか経っていないのだが、きっとそのおかげではないかと直感している。

 とはいえボウイングがこなれてきたとか、弓が手に馴染んできた・・・なんて言えるほど明確な結果が出てきたのではなく、なんとなく「変化の兆し」を感じている。それだけでもかなり嬉しい。

 体の変化だけでなく、45度を意識しながらオケの練習をしていると、高音の音の出だしが違ってきている気がするし、移弦のタイミングもうまくいき始めた感じがする。おそらく、これまでは先生の指導を「言葉だけで理解し、頭の中で再構成する」ことばかりやっていたため、現実に弓と弦との間で起こっていることへの対処よりも、スタイルに気が取られていたのではないかと思う。目の前で見たものをそのまま素直に「まずい」と感じられていなかったのだろう。

 「現実」を「理屈」に従属させるという私の癖は、これまでの人生でもいろいろな場面で出現し、様々な問題を起こしてきたのではないかと感じる。マネジメントでもそうだ。現場で発生している問題を「本来はこうだから」「これが原則だから」と無自覚のうちに既存の枠組みに押し込めてしまうという誤りが典型的だ。
湾岸署の青島俊作刑事なら「事件は現場で起こっているんですよ!」と叫んでいることだろう。

 まさにボウイングでも「現場」と「理屈」の乖離現象が埋まらないまま1年が過ぎてしまった。自分で右手で弓を持つとき、先生のボウイングを真似しようとして形ばかりに囚われてきた。先生のやわらかく柔軟な、ある時は激しく、ある時は羽のように軽やかなボウイングが出来るようになりたいと背伸びした結果、弓を持つ場所も、角度も、持ち方も定まらないような状態だったし、「弓は軽く持つ」とオ思い込んでいたので、弓を十分コントロールできていなかったのだと思う

 45度にこだわった結果、中指が少しずつ弓に張り付いた感覚を持てるようになると、高音、低音、音の出だしや移弦の感覚に、少しずつだけど変化を感じ始めている。このわずかな兆候(思い込みかもしれないが)が嬉しい。

 我が右腕は、弓と毛が接触し音を出す「現場」とのつながりを持ち始めたのではないだろうか。そうであったらいいと思う。
 いずれにせよ、今週末にはもう少し練習をしてこの感覚を確かめたい。


 もう少しで1周年。五十代後半での手習いで、多くのことを学んいる。
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本番すっぽかし・・・とほほ

2008年03月08日 20時46分15秒 | コンサート
 「覆水盆に返らず」

 顧客との仕事で、詰めたセッションの最中、携帯のバイブレーターがしきりに牛のような唸りをあげ続けていた。「この忙しいときに誰からのメールやら電話だろう・・」といぶかしむものの出られぬまま、午前中の会議が終了した。 
 おそらく、こんな出張中の呼び出し音は、家内から緊急事態の連絡に違いないのだ。「タイへーン、上のうちから水か漏ってきた」とか「私、午後は出かけるから帰宅しても何もないかもしれないから、ご飯食べてきて」とか「パソコンが壊れてメールが見れない!なんとかして!」とかとか。

 「まー出張中だし、しかたないよなー」と思いながら 昼食時間になってから携帯電話をチェックした。するとどうだろう、メールだけでなく、電話の着信履歴が何本も溜まっている。それだけでなくビジネス用の別の携帯にもメールやら留守電が複数残されている。「これは容易ならざる事態、一体何ごとだろう」と早速自宅に連絡すると、出てきたのはめったに家にいない息子だった。「これは・・・」

 すると息子いわく「ママは買い物に出てるよん」「何か困ってなかったか?」「別ーつにー」「そうか、何か騒いでなかったか?」「んー特には・・そういえばオーケストラから連絡があったとか言ってたよん・・」

 こらまた不思議なこともあるものだ。オケから自宅に連絡なんてあったためしはない。そこで、留守番電話をチェックすると妻の声で「交響楽団から連絡がありました。今日は本番なので早く来るように伝えてくださいということでした」

・・・ま、まさか! ギョっエー! 今日が本番!! 何のこっちゃ!?!

 事態は瞬時に明らかになった。僕のとんでもない勘違いだった。まさに今日はアンサンブルコンサートの本番だったのだ。なのに、自分の体は出張先にあるということだ。
 一体何が起こってしまったんだ?・・そうか、全く土日の感覚がわけわからなっているだけでなく、スケジュール帳にも日にちを間違って記入をしてあるではないか! あーもはや取り返しがつかないことになってしまった!

 つい昨日の夜遅くまで「本番のシャツは何色にしよう」とか「ベースラインはよく響かせて弾こう」とか思って、ホテルのベッドではなかなか寝付かれなかった。それくらい楽しみにしていたのに、本番を一日ずらせて覚えてしまっていたなんて。要するに初めからアンサンブルは仕事で参加できない日程が組まれていたんだ。アンサンブルっていうことで自分が舞い上がってしまった挙句、あまつさえ本番をすっぽかしたのは明らかだった。  
 あー、なんていうことだ。仲間のリビングで深夜まで練習したり、譜面からミュージックメーカーに音を録音して共有したり、皆で力を合わせた涙ぐましい苦労が水の泡だ。

 でも、救いはあった。5本のチェロでのカルテットだったので、4番パートだけは私と経験の浅い若者の二人で担当することになっていたのだ。今日はきっと若い彼が思いっきりのびのびと4番パートを熱演してかえってよかったのかもしれないし・・でも残念・・もはやこれまで。

 追伸 主席から「本番では先生からお褒めの言葉をいただいた」とメール。ほっとすると同時に、悔しさというか、侘しさがこみ上げてきたなーもー・・・
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イタリア奇想曲で、今日も撃沈

2008年03月03日 00時17分40秒 | オケの練習
 今日はイタリア奇想曲を前進させるために、特別に主演目の「ブラ3」をお休みにして練習を構えていた(少なくとも指揮者の先生はその意気込みだったのだ)。それなのにチェロはまたも残念ながら総倒れだった。

 アマオケを振るときの指揮者は、どこは「出来なくてもやむを得ない」ないし「出来なくても曲としては成立する」場所で、逆にどこは「何が何でも努力すべきポイント」だという勘所をわきまえているのではないかなーと思う。
 その観点からするとチェロだけに動きがある部分、つまりイタリア奇想曲の241小節目から始まる16分音符の速い動きは「絶対見逃せない」部分なのだと思う。だから「絶対さらっておくように!」と厳命されていたのだ。そしておそらくみんな「それなりに」練習したはずなのに、結果は誰もその瞬間に入れなかった!

 僕だって1人でもいいから突撃するぞ!と心に誓っていたのに、いざ練習本番となると、歯が立たなかった。一度入りそびれるとなかなか挽回できないのだ。

 今日の指揮者は怒るというより今日も達成できなかった現実をそのまま直視している感じ。「チェロは必ずここで失敗するってわかっているんだから。どこで躓くかはわかっているなら練習しろよー」とやや優しげ。余計情けねー・・・
 
 そしてイタリア奇想曲への「手当て」は続く。バイオリン、クラリネットに、フルートに、パーカッションに・・・患部を特定し、メスを入れてゆく医師のように、分離し当事者に光を当てる。次々と独奏の指示が出る。そのたびに「次はわが身かも」と戦々恐々として・・・そんな険悪な感じでは全くないんでありますが。

 先生のために申せばむしろ信頼と愛情に溢れた感じではあるのです。それと先生の背景にはいつも観客がいて、どうやってお客さんを喜ばせようかと心を砕いているのが分かるし、良い結果をオーケストラの皆に味わってもらいたいという揺るがぬ信念というか確立した姿勢があるので、僕は心から信頼してついてゆける方だと思っているのです。

 でも指揮者に差されそうな瞬間の気持ちは、宿題をやってこないのに先生に当てられそうになった時の小学生のような気分なのであります。
 ま、この年になって、こんな経験できることを楽しみとしよう!素晴らしいことではないか・・・と心のどこかでは実際に楽しんでいる自分がいるのも確かなのです。

 
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地獄のレッスンから至福のデュエットへ(プロレッスン8回目)

2008年03月02日 01時30分39秒 | レッスン
 最近肩の痛みが取れないので整形外科を訪ね、ついにMRIを撮ることになった。それもこれも完全に「癖ボウーイング」と成り果てた私の力みが原因なのだ。こんな私に対し、大先生は2時間たっぷりの基本の基本の基本の・・・基本の練習指導をしていただいた。先生が教えてくれているのは、一言で言えば、ゴーシュさんがBlogの最初に書いてくれている45度の角度で弓を持ち絶対にその角度を崩さないで、変なところに力を入れないで自然に弾く・・と全く同じことだった。

 そうだとはわかっているのです。でもいくら頭で分かっていてもやっぱり出来ない。先生はあの手この手の限りを尽くして指導してくれるものの、たった1年とはいえ「癖」の染み込んだ我が「筋肉」は、我が「思考」も我が「意志」をも裏切り続けたのであります。途方に暮れるというのは正にこのこと。

 力の抜けた自然なボウイングへのあの手この手の一端を示せば・・・
[ex] 先生が弓先を支え、右手で弓を弾く練習
[ex] 弓をハンカチでぶら下げて右指だけで弓を横に引く練習
[ex] 先生の弾いてる右手を触って力みがゼロなのを確認する
[ex] 弓を弦に接して弦との噛み合せをつくり、そのまま弾き始める練習
[ex] 弓を持つ右腕を大きく円を描くように回してから弦にアクセスする練習
[ex] 先生が僕の右腕全体をマッサージする・・・等々、半年前の練習まで全て繰り出してまさに涙ぐましい努力をしていただけるのです。終いには「頭で考えないで、素直に」「こうです」「こう」「こう」と仕草を繰り返され、まるで長嶋茂雄が若手に指導している状態に追い込まれていったのです。

 でもどうにもならず、先生としても「この手が違う、この手が!」と桜沢先生のようにひっぱたくわけにもゆかない。私も「泣きながら教室を飛び出す」なんてことも出来ず、右手と自らが映し出されている姿見を見比べるだけ。まさに途方に暮れるたのでありました。

 そして2時間半が経過。さすがに先生も気分を一新されようとしたのか「こればっかりやっていても仕方ないから」と我々チェロ5人で練習しているアンサンブルのスコアーを取り出し「今までのことは一旦忘れていいですから」とアンサンブルの練習とアドバイスをしていただいたのです。

 「一緒にーさん、はい!」とさも何気なく弾き始めるたものの「これってひょっとしてプロとの初デュエット!」と気づいた瞬間、楽譜から目が離れ、落っこち。「さーもう一度」と先生は楽しそうにトップパートの譜面を弾き、私は4番のパートを危なっかしく追っかけて行く。そのうちちょっと恥ずかしいながら先生の音に合わせてデュエットが出来上がってゆくのを感じられると、自分も楽しくなってきた。なんと心地良く、なんと贅沢な時間なのだろう。 

 曲が終わるたびに「この曲はどんな曲だと思いますか、そう哀しい感じですよね、だからこうではなく、こう弾く(実演)」「ここはむしろ全音を弾かなくていいから」と曲想とそれに合わせた奏法のアドバイスをいただく。
 こうしていただくアドバイスは分かりやすく私のような初心者が伝えたとしても、私以外のメンバーに十分分かってもらえるアドバイスだった。

 たとえば「Menuettというのは当時の重たい衣装を着た婦人はワルツのように軽快に踊れないでしょ、だからワルツならズンチャッチャッ、だけどメヌエットだとズンチャッズン(ここは弾き比べてくれる)。この違いわかるね。そうすると、ほらさっきより音が合ってきたでしょ」
 「この曲ならスコアー全体を見て目立っている8分音符に注目し、8分音符を歌うことが大事」
 「この曲だと、休符がポイント。休符から入る時にしっかり入る。そこが面白いところ」
 「この曲は長い音符は全部弾く必要はない。むしろ途中に空白ができた時に他のチェロの動きが、ほら聞こえてくるだろ」・・・てな具合。

 アンサンブルの呼吸というか、互いの絡み合いの面白さを、実演しながら存分に引き出してゆく。まさにそこにいらしたのは、音楽を愛する音楽家の姿。そして一言「こういう曲を弾くにも先ほどのボウイングが出来るようにならないと弾けませんよね」と付け加えられた。
 今日はちょっと優しい「桜沢先生」と音楽家の先生の両面を見せていただき、心から感謝しながら帰宅したのでありました。

 むろん夜からのアンサンブルで、仲間に伝えたところ「分かり易ーい」「そうか!八分音符をしっかり弾くと走らずにすむよね」と大喜びだったのです。
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