茂原交響楽団の演奏会が無事終了した。
今回の演奏会は「20世紀の音楽」と称して、コープランド「ロデオ」とラベル「ラ・ヴァルス」を前プロで、
後半メインに「ラフマニノフ交響曲第2番」を演奏した。
実は打ち上げで、指揮者だけでなく、トレーナーの先生方からも「こんな難曲を3曲演奏するのは危険すぎる。無理だと思っていた」の講評があった。
その通りで、今回の演奏会は実質練習時間は3か月くらいで本番に突入しているが、途中の段階では正直「完成」に至るとは到底思えない感じもあった。
団員の疲弊感、難しい演奏に不安感も募り、指揮者のいらだちも近年珍しいくらいに高まった。コンミスがその「餌食」になり代表して随分叱られていたっけ。
しかし結果だけを先にいえば、お客さんからも、エキストラの皆さんからも(僕の会社の同僚、先輩、旧友からも)
「今までで一番良かった」とお褒めいただける結果になり、無謀な挑戦も一生懸命やれば報われるもんだとも思った。
(ただプロの皆さんも、団員の多くも へとへとの状態なのでこの様な危うい選曲はもう勘弁だと思う)
さてこんな中でメイン曲の「ラフマニノフ交響曲第2番」のチェロトップに座れた幸せを今更ながら感じている。
トップとして本番を迎えた時の思いを正直に言えば、「一体全体何が起きるんだろう、どうなるんだろう」と久しぶりに
不安よりも、遠足に行くときの子供のワクワクする気分だったような気がする。
前プロでは、全体の演奏は最高に良かったけど、僕は第2プルトで気が緩んだ結果もあり、さんざんの演奏だった。
15分の休憩後、舞台が照明で明るく照らされる中、ビオラ軍団に続いて、チェロを抱えて一番先に舞台中央に向かった。
1プルトだけは黒いピアノ椅子が用意されている。「本当の首席」がいつも自前で用意してくれているのだ。
座るとちょっと椅子が高く、眺めがいいかと思ったけど、目の前の譜面台と指揮者で視界はかなり限られていて、
会場はほとんど目に入らなかった。客席が見えにくいのはその後の演奏に幸いした。
会場からの拍手の中、指揮者が登場し、一礼のあと一呼吸して指揮棒が振り下ろされた。指揮者の呼吸が聞こえるんだね。
第一楽章の最初の音を丁寧に出し、2音目で一気にフォルテまで高め、徐々に下降に入ってゆく。
第1楽章はいい感じで演奏でき、第2楽章へ進んで行く。
ゲネプロに比べ本番の方が 自分の「落ち」「間違い」はかなり少なかったと思う。
再チューニング後第3楽章へ。
ラフマでのチェロの見せ場というか難所は第3楽章と思っている。
クラリネットの美しいソロを、チェロが縁取るように3連符で動いて行くのだが、タイミングが難しい。
でも、ここでも ほとんど落ち・ズレはやらなかったと思う。
練習の時は「全然だめ、全然合ってない。何も分かってない!」と怒鳴られたこともあったんだけどね。
しかし第4楽章に至って、ズレ・落ちだけでなく、懸命に弾いているのに音が出てこない現象に陥った。
「これは力みが原因だ、脱力だ!」と自分に言い聞かせ、弓の持ち方にも注意したものの、制御が効かない。
中低音は何とか出せるのに、ハイトーンに力がない。
4楽章は激しいので、聞いている人には分からないかもしれないけど、勝手に上ずった音(ハーモニックス?)が出たりする。
結局終曲は 大団円に向け、力任せに弓を押し付けながら、へとへとになりながら終了したのだった。
終わってみると、比較的冷静で、上がってはいなかったはずなんだけど、全身に大汗でびっしょりだった。
「弓を滑らせて落とすことはなかったのは良かった!」などと軽口をたたきながら、後片付けをし、打ち上げでその日は終わった。
一日経って振り返ってみると、大変な曲にトップでチャレンジできた幸せを感じている。
今回なぜ首席の席に座ることができたんだろう・・・チェロを定年前に始め、10年で難曲の首席に座れるなど普通はあり得ない。
それには、いくつか幸運が重なって実現したのだと思う。
1)これまでトップを続けてきた「本当の首席」が仕事で出張が多くなり、ほとんど練習に参加できなかったこと。
2)他の団員に、毎回練習に参加でき、体調が良く「それなりのキャリア」(ここが微妙)がある人が少なかったこと。
3)「本当の首席」から「曲ごとのトップ交代」という提案に他のチェロ団員が反対しなかったこと。
4)弦トレーナーの素晴らしい師匠が、実質トップとして常に伴奏してくれること(この条件無しには実現はゼロだった)
実は隣で支えてくれている師匠は、様々な局面でサポートを提供し「素人首席」に満足感をプレゼントしてくれていたのだった。
1)実質の首席として、ゆるぎない演奏をしてくれるので、戻れる道というか、位置が明確だということ(師匠は灯台であり、大木です)
2)僕の座席を15センチ程後ろに下がらせ、少し内向きに座らせてくれたことで、師匠の演奏している様子が右目の端に常に見えていて安心だった。
3)間違えそうな箇所になると、さりげなく 弓で位置を示してくれていた
4)当然ながら、弾けない箇所を確実に演奏してくれるという「絶対の安心感」。
要するに、親に見守られながら、遊園地で遊んでいる子供のようなもので、支える側の負担は大。「もうこりごり」のはず。
ということで、大汗のうちに、演奏会を終える事ができたが、この「首席」経験の「副産物」は一杯あった。
1)本番では「あがっていなかった」はずなのに、実は血圧が「上がっていた」
本番当日朝の血圧と、一夜明けた本日の血圧では 35も差があった。「精神」はどうであれ「肉体」は正直
2)聞きに来てくれたチェロ弾きからは、珍しくお褒めの言葉というプレゼントがあった。
「まずは、貴兄の左手・右手、弾く姿は大いにサマになっていました。
初期の頃を思い出すと、隔世の感があります。左手・右手の形ができてました。」
・・・う、う、涙。
3)それとは反対に、鋭い指摘!
「それにしても、隣にI先生がいると頼りになりすぎますね。時々ですが、I先生の音が聴こえることがありました。
しっかり芯のある音、よく通る音なんだろうと思います。知らない人が見ると、どうしてトップサイドの人があれだけ弾けるのか、
と思っ たり.....譜めくりまでしていただいて、恐縮してペコリしてはダメですよ」
(まさに「慧眼」。分かっている人の目(いや耳)を欺くことはできないのでした。)
・・・う、うぇ~、またも涙。
4)よって最大の副産物。「脱力こそ命」。本当のチェロの「音色」への挑戦を続けたくなりました。
さようなら「偽物首席」。もう一度初心にかえって、地道に「チェロ道」を歩むことに決めたのでした。
音楽的に言えば「D.C.」(ダ・カーポ)~「最初に戻って演奏せよ」。でも「FIN」は永遠にこないのでしょうね。
追記:高校からの学友たちが家族連れで聴きに来てくれ、豪華なお花をいただきました。ここでお礼を申し上げます。