チェロがなかなか上手くならない。他の人はどうやっているんだろう・・・とチェロのブログを検索してみる。「チェロ、レッスン、練習、無伴奏チェロ・・・」関係ありそうなキーワードを並べると、出てくる出てくる。
僕のようにはじめたばかりの人、すでに学生オケでチェロを演奏していた人、プロのチェリスト。それぞれの人が、それぞれの生き方の中でチェロや音楽と向かい合っている。
要は勝手気まま、自分らしくあればそれでいい。ついついこうして、日記めいたことを書いていると
誰かが見ているのだから、自分の本当の気持ちはなかなか書けるものではない。かつて中学校のとき初めてノートに日記を書き始めたころ、だれも見ていないのに、誰かが見るかもしれない、その見知らぬ読者に「カッコウつけている」自分が嫌で、露悪的なまでに自己表出をしようとしたことがあった。
結果は惨憺たるもので、自分で自分を嫌悪するはめに。「便器」を大書して廃棄した覚えがある。音楽もまた、どこかで誰かに聞かれることを前提に、演奏してないだろうか・・と思う。見知らぬ聴衆の前で、何とか演奏をまとめようとする、そんな心が狭苦しく、卑しいとおもう。
どこかで誰かが、いつかは誰かに・・・そんな思惑などない世界で、音楽にのめりこんでいる人も沢山いることも知ることができるものブログの世界かもしれない。
こうやって、一人ごちている「日記」の感覚。どこかセンチメンタルで、孤独感がある中学校の自分に繋がっている。
さー、ここらでまたお気に入りのブログでも見に行こうか。NYには私の心の羅針盤になってくれている「弦楽器の音色」さんがいる。いつもさわやかな風が通り抜けてゆくそんなブログ。「思い付くままに」さんは、本当にまじめにチェロに向き合っている姿に頭が下がる。最近見つけたのは「善福寺手帳」さん。とても情報通。どんな角度から音楽の世界を切り取ってくれるか楽しみ。
行き詰まったなんていっている暇はないんだ。みんな自由に、かってに生きている。世界は広い。僕も好きに生きるんだ。
僕のようにはじめたばかりの人、すでに学生オケでチェロを演奏していた人、プロのチェリスト。それぞれの人が、それぞれの生き方の中でチェロや音楽と向かい合っている。
要は勝手気まま、自分らしくあればそれでいい。ついついこうして、日記めいたことを書いていると
誰かが見ているのだから、自分の本当の気持ちはなかなか書けるものではない。かつて中学校のとき初めてノートに日記を書き始めたころ、だれも見ていないのに、誰かが見るかもしれない、その見知らぬ読者に「カッコウつけている」自分が嫌で、露悪的なまでに自己表出をしようとしたことがあった。
結果は惨憺たるもので、自分で自分を嫌悪するはめに。「便器」を大書して廃棄した覚えがある。音楽もまた、どこかで誰かに聞かれることを前提に、演奏してないだろうか・・と思う。見知らぬ聴衆の前で、何とか演奏をまとめようとする、そんな心が狭苦しく、卑しいとおもう。
どこかで誰かが、いつかは誰かに・・・そんな思惑などない世界で、音楽にのめりこんでいる人も沢山いることも知ることができるものブログの世界かもしれない。
こうやって、一人ごちている「日記」の感覚。どこかセンチメンタルで、孤独感がある中学校の自分に繋がっている。
さー、ここらでまたお気に入りのブログでも見に行こうか。NYには私の心の羅針盤になってくれている「弦楽器の音色」さんがいる。いつもさわやかな風が通り抜けてゆくそんなブログ。「思い付くままに」さんは、本当にまじめにチェロに向き合っている姿に頭が下がる。最近見つけたのは「善福寺手帳」さん。とても情報通。どんな角度から音楽の世界を切り取ってくれるか楽しみ。
行き詰まったなんていっている暇はないんだ。みんな自由に、かってに生きている。世界は広い。僕も好きに生きるんだ。
高校からファゴットを始めて30年、
今でも毎年20回くらいの演奏会に
出演している週末演奏家です。
ぼくは「誰かのために演奏する」という
気持ちで今までずっと続けてきています。
聞いてくれる人もいない孤独な環境では
音楽していないと思います。
コンサートホールにいる1500人以上の
聴衆を前に、ソロを演奏すると、
カラオケの1000倍位気持ちいいです。
リハーサルでも、僕のメロディをあの人に
聴かせたいと思って演奏しています。
初めてのオケに行って、
「アイツめちゃウマだけど何者?」って
耳にすると、それだけで1週間くらい
とてもいい気分でいられます。
そのために必死でスケールや分散和音や
フレージングなどを、どろどろになって
さってるんですが、、、
どのようにお考えですか?
さて、「誰かのために」は僕の心にもあると思います。かっこいいところ見せたいし、賞賛されたい。でも今は違うようです。ずーっと30数年、楽器を離れ、今またチェロを手にしたのは、学生時代オケのサウンドに包まれた時の高揚感をもう一度味わいたいから。学食をにわか練習場に、毎週、ひとつの曲を練習し続け、ようやく演奏会にたどり着くのですが、その演奏会よりも、僕は練習が好きでした。実は演奏会も、音楽に包まれていることに感動している自分がいました。ベートーベンの第5交響曲で、ホルンとファゴット掛け合い、管と弦がコミュニケーションし、あるいはホルンが弦を支える・・・
だから僕は音楽のサウンドそのものがすきなんだと思います。いつか、また音の満ち溢れる空間を共有したい。誰かのためではなく、自分の心のが震えるときを求めているのだと思います。
同じ先生に振ってもらっています。
先週の土曜日、J大学OBオケとして
初めてOBオケの第一回演奏会を開催しました。
大学卒業以来まったく楽器から離れた諸先輩も
数多く参加されていました。
リハーサルは昔に戻ったかのように
指揮者先生に、きびしい指導を受け(笑)
本番の演奏は熱のこもったものでした。
打ち上げでは、今回参加出来なかった諸先輩も
おいでいただき、それはうらやましそうでした。
また楽器始めようかな」って思ったことでしょう。
なんかこういう出会い、音楽との再開、
いいですよね。