『足跡』
ある夜、私は夢を見た。
私は、神様とともに砂浜を歩いていた。
振り返ると、砂浜には二人分の足跡が残っていた。
一つは私のもので、一つは神様のものだった。
これは、これまでの私の人生の足跡であった。
足跡を見ていると、私の人生の様々な場面が、走馬灯のように思い出された。
よく見ると、これまでの私の人生の中で、
足跡が一人分しかないときが、何度もあることに気づいた。
それは、私が辛く悲しい思いをしていた時期ばかりだった。
ああ、あの時は、信頼していた友だちに裏切られた時だ。
ああ、あの時は、失恋して落胆していた時だ。
ああ、あの時は、事業で失敗した時だ。
私は神様に尋ねた。
「神様、あなたはずっといっしょにいてくれるものと思っていました。
しかし、私がもっとも辛かった時期には、一人分の足跡しか残っていません。
あなたを最も必要としていた時に、どうして私をお見捨てになられたのですか?」
すると、神様は答えておっしゃった。
「いとしい大切な我が子よ。
私は、愛するあなたを、決して見捨てたりしない。
あなたをひとりぼっちにはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
足跡がひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。
(作者不詳)
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発病してからよく思います。
「奇跡はもう起っているのかもしれない」
私は、「脳脊髄液減少症」という病気で倒れ、ものすごい症状に苦しみ
明日は死ぬかもしれない、と
心身共に、ぎりぎりのところで生きてきました。
今日はなんとか生き延びたけど、明日は・・・
分らないぞ。
毎日が自分との闘いでした。
でも今日もこうして生きているし、
ブログを更新しています。
これがもうすでに奇跡です。
「特別なことが起らない」という奇跡。
私は、この奇跡の連続で生かされてきました。
何とか生き延びてきました。
えんえんと症状が続く病の中で、普通の日常を失いました。
でも失わないと得られないものも、あるのです。
ホントーにホントーに、身体が痛くて辛くて苦しい時
自然に口からこぼれます。
「神様、仏様、アラーの神様、誰でもいいから、助けてよぉ~」
もし、この世が死んで終わりになるのなら
もし、人生が「死」ですべてがチャラになるのなら
そして、もし私の「命」が、私だけの持ち物で、自由にしてもいいものならば、
私は、もうとっくに「死」を選んでいたでしょう。
あの時・・・・・・
脳脊髄液が大量に漏れて
奈落のどん底で喘ぎ、もがいていたとき、
「いっそ死ねたらどんなに楽だろうな~~」
と何度もその誘惑に負けそうになっていたとき。
「あなたの痛みを知っている…」
「あなたの辛さを知っている…」
「私はあなたに背負いきれない試練を与えてはいない…」
どこからか、ささやきのような声が聞こえ
誰かが温かく包んでくえるような気がしました
あのとき、神様は、私を背負って歩いてくれていたのかもしれません。
今日はクリスマス・イブ。
身体も心も傷つき、苦しまれている方もたくさんいるでしょう。
でも、人が大変な試練に見舞われている時こそ
神は近くに寄り添っていて下さるものだと思います。
ニュースで、いきなりの解雇通知に絶望し、ウツに陥り
自殺する方が増えている、と報じていました。
人生、どうにもならない事はありません。
「天は自ら助くる者を助く」ということわざがあります。
神様はそう簡単には助けてくれませんが、
精一杯頑張っていれば、必ず手を差し伸べてくださいます。
神様は、決して「カミサマ~~」という姿では現れません。
ある時は、浮浪者に扮していたり
野に咲く花の中に宿っていたり
友人の中にひそんでいたり
想いもよらないカタチで、人を救ってくれます。
どんな窮地に陥っても、決して自分を見捨てないこと。
人生を放り投げないこと。
そうすれば、道は必ず開けるし、救いの手が差し出されます。
そんな奇跡は毎日起っています。
気がつかないけれど起っています。
もちろん、聖なる夜の今宵にも…