MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラルツウについて

2010-05-17 | Weblog



とうとうツウの5まで載せてしまいました。。。。。
迷いつつです。
まだ先は完成していません。
今、8あたりを彷徨っています。
色々と不備があると思います。
誤字脱字、矛盾無茶メチャクチャ
後で大幅な直しをしなければ済まないかもしれないし。
今まで載せたものは基本的に直しておりませんが
これから折りをみて改訂したものに直して行くか
スパイラル0~2に関しましては
別にちゃんと1から順番に読める
ホームページを開設するつもりでいます。
(いつになるのか・・・)

あと
とうとうイラストが描けなくなりまして
これはソネットブログの方に既に載せている
コラージュ作品を使用しています。。。。。。。
もともと好きなインディーズバンドのカセットレーベルとして
作成していたものなのですが。
これならたくさんあるんで
どうにかこうにか。


近々、坊さん漫画家である友人の仏像の本が出る予定です。
自慢にはならないがその漫画の主線は私が入れさせて頂いています。
(絵は彼女の絵なんですけど、私風になってしまったところも)
諸事情あってそういう展開になってしまいましが
この本はとってもいい本なので(面白いし勉強になります?!)
出版されたら紹介しますのでぜひ手に取って見てくださいまし。

なんでも友人の霊感によると
(坊主のランクアップで更にヴァージョンアップ?!)
神仏がその本の出版をすごく喜んでいるとか。
でもそれを望まない勢力もあるとかないとかで
色々な妨害が・・・・?
我が家まるごと結界を張ってくださったらしいのですが
外に出れば・・・うちも色々なことがありました。
そのうちここに書けるといいのですが。
ちょっと観念的で人に伝えづらいエピソードなのです・・・

こんな罰当たりな話を書いていながら思うのは
つくづく霊感がなくて良かったな~ということです。
(ここで言う霊感とは普通以上のお力のことでありんす)
見えない世界の色々なことまでわかっていたら
こんな話はけして書けなかったと思います。。。。。

ところで
今年はなんだか季節が変でした。
それとはおそらく絶対に関係ないのですが
妙にボケまくっているCAZZであります。
仕事でもポカばかり。
皆様も体と精神をくれぐれもご自愛なさってくださいませ。


CAZZ 拝

スパイラルツウ-5-4

2010-05-17 | オリジナル小説
涙を流しながら微笑む妊婦を二人の女が見下ろしていた。
時経系列にならべるには難しい、異次元での話である。
混沌の海を今度は二人の女が覗き込んでいるとしよう。
「どうやら。」黒い肌の女が笑った。「入ったようだね。」
より興味津々で見ていた、白い肌の女が口を尖らせた。
「フーン、こんなところに隠していたんだ。」
縁から落ちそうな程、身を乗り出すのを片方が押し戻した。
「よしな、シセリ。あんただって落ちたら、助けることはできないよ。なにせ、混沌だからね。肉のない私達じゃどうなるかわかったもんじゃない。万物が生み出される前の状態、イザナギとイザナミ・・・神々が大陸を生み出した坩堝ってわけさ。」
「ふーん、それって本当の話なの、皇女様?あたい、半分もわかんないんだけど。」
「さあね。」一見、あどけないシセリの問いにも皇女はそっけない。
「これってどこまで続いてるの?」
「それこそ、私にもわからない謎だ。おそらくは、本物の地獄ってとこだろうさね。私らの足下に開いている糞壷ってわけさ。この上を人間も魔族もなんにも知らずに歩いてるってわけだ。」黒皇女の薄い笑いには満足が現れている。
「こういう鍋、あたいにも作れるのかしらね。」
「開くのは思ったよりも簡単だと思うよ。問題は開く場所のはずだ。なるべく歪んだところに開けないとすぐに塞がっちまうんだよ。手間かけて熟成させた場所だからね、ここは。腹を空かせた入り口が開いたままってことだ。やろうと思えば、あんたにだってきっとできると思うよ。」
窓となる鍋を作る力と歪んだ人の情念が溢れる程あれば、と皇女は笑う。
皇女は今も空間から湧き出る、しょう気のような濁った霧を鍋に投げ入れた。
産まれてからこの方、一所にとどまることをしなかったシセリは肩を竦めた。
「あたい、やめとく。糠床みたいじゃん。手入れが大変なのはあたい、苦手。」
鍋から身を引くと、長く美しく伸びた両の手の爪をこすった。
「この後、いったいどうするつもりなの。」
ずるい上目遣いで皇女を伺った。
「あんたが。」皇女は楽し気に首を傾けた。「良い入れ物を用意してくれたからね。」
「なんで妊婦が必要なのかは教えてくれなかったけど。」
「ああ、あれは、胎児の中にしか入らないんだよ。そうやって、人の世に産まれて来るんだ。私が何度か確かめたからまちがいはない。」
皇女が顔を向けるともう既にシセリの様子は変わっていた。
「どう?あんたのいい人に似ている?」
皇女は不愉快そうに顔を顰めた。
「下品だね。それじゃ、似ても似つかないよ。」
「あんたって・・・」シセリは黒髪を口にくわえた。
「心底、その女に惚れてたんだ。」
皇女はフンと顔を背けると、鍋の底に目を戻した。
揺らめいていた光はもはやない。膨らんだ身体を庇うように丸まる浴衣姿の妊婦が見えるだけだ。その遥か下にもう一つの体が沈んでいる。
「ところでさ。あの男はなんなのさ。」シセリは漂う男をよく見ようとするかのように縁に肘をついて顎を乗せた。「ちょっとくたびれてるけど、いい男じゃない。」
「昔はもっと、いい男だったんだけどね。」黒皇女はため息を一つ、付いた。
「付きいる隙のない、好敵手だった、と言ってもいいさ。今じゃ、すっかり見る影もないけどね。所詮、人間なんて脆いものだね。しゃぶる肉もない抜け殻さ。」
「あんなとこに落としてさ、大丈夫なの?」
「人間は溶けやしないよ。試したんだ。死んだも同然だけど・・何年だって夢を見ているだろうよ。近くに愛した女の骸があるっていうのに気が付きもしないでね。」
「骸?どこにあるの? あたいにはあの女と男しか見えないよ。」
「魂の抜けた肉は役立たず容れ物なんだよ。あの遥か下に沈んじまったよ。」
黒皇女は魔族には珍しく思い出す目をする。記憶が甦る。
「おかしなことばかりでさ。死んだ女にはあの男がいた・・・子供もいたんだ。今は誰も覚えていないけどね・・・何がどうしてなのかは、私にも謎だよ。」
「へーぇ、誰も?」シセリはゆっくりと指につややかな髪を巻き付ける。
「あの男は覚えているみたいじゃない?」
「ああ、だけど、あいつの頭の中はどうしても覗けりゃしない。」皇女は舌打ちした。
「昔も今も。その点は一緒だ。今までどこに姿をくらましていたのかはしらないが。
そんなことより、変なのは記憶だ。一斉に関わった人間共の記憶が消えたんだ。」
皇女は悔しそうだった。「誰が、どういう手妻を使ったんだか。」
「ひょっとして・・・天使族?」シセリはゾッとして身震いをした。「あたい、あいつらはどうしても肌に合わないんだけど。」
「天使どもはそんなに暇じゃないよ。」皇女はあざける。
「そうね、基本、無関心だもんね。」
黒皇女はもうこの話はお終いと、手を打った。
「さあ、引き上げるよ。」シセリは尚も動かない。
「ねぇ、本当にそれってデモンバルグが欲しがるものなの?」
「さあね。」皇女は巨大な鉤を手にする。何で作られたものかはちょっとわからない。「ただ、あれは奴の宝物とすごく似ているだろう?。私は昔、あいつの魂にちょっかいを出したわけだ・・・そして、報復された・・・」
「マジで?」軽々と熊手のような鉤を皇女は差し上げる。
「よく生きていたね。」
「・・・私は混沌に焼かれた・・・」黒皇女は顔を歪めた。
「私が混沌を知ったのはそれからなのさ。」




本当に具合が悪くなってしまった香奈恵は『竹本』に戻ると、自室に引きこもってしまった。他の子供達も今日は学校を休みたいとうるさく主張したのであるが、綾子とガンタには受け入れられることはなかった。
ただでさえ、旅館は朝から人の出入りが激しくなっている。消防団や山狩りの応援の警官も到着し始め、人が錯綜し出入りが激しい。
残された関係者の飯田美咲もいる。香奈恵の父親,鈴木誠二も彼の教え子の学生達と共に今にも現われそうだ。よって子供達にうろうろされるのは、大人達にとっては好ましくないと言う結論がなされた。
3人はガンタによって小学校へと送り届けられた。
旅館の送迎用の小型マイクロバスの中で、ユリと渡、トラから香奈恵の話をガンタは道々聞かされる事となった。なぜか、運転席のすぐ後ろにジンも座っている。
「ひょっとして、ジンは香奈恵が外出していたのを知っていたんでしょ?」
渡が後部座席から身を乗り出した。ユリも背もたれに顎を乗せる。
「まあ、ね。」ジンが頭を巡らせるとすぐ近くに渡の顔があった。
「俺っちは、別に夜寝る必要ないからね。」
「悪魔だもんな。」ガンタがぼそっとつぶやく。
神興一郎と名乗る男は悪魔と呼ばれる、デモンバルグである。悪魔が昼間の疲れを取る為に、夜は睡眠を取らねばならないなどと言う話は聞いた事もない。
「おまえらの旅館は居心地いいから、ちょっとのんびりしちまったんだけどさ。」
ジンは言い訳する。その辺りは、ユリに先刻、怒られた通りだ。
かりそめの肉を纏っている時には肉自体を休ませる必要もあるのかもしれなかった。
ジンは居心地悪気にユリの凝視から目をそらした。
竹本に泊まってからのんびり過ごしていた4日ほど、ジンは渡と正々堂々と同じ屋根の下にいられることで浮かれていた。躁状態の悪魔など、あまりカッコがつくものではない。ニヒルに眉間に皺を寄せて口の隅で笑いながら、常に悪い企みを巡らせていなければ悪魔という看板を掲げる以上はひどく納まりが悪い感じがする。
「毎晩、いったい何をしていたんだ?」
「そうさね、何をしてたと言うほどのものでもないさね・・・。」
実は毎晩、『富士の間』をこっそりと抜け出して(誰もその気配を知ることはない。唯一、ジンをも畏れさす直勘の持ち主、ユリは渡から隔てられた離れで休んでいるのだから。それをいいことに)ジンは飽かず、渡の寝顔を眺めていたと知ったら渡はいったいどう思ったであろうか。ユリに至っては怒り狂うことは必然だ。
ユリの仏頂面はその辺を何気に察したのかもしれない。
「ナマケモノめ。昨夜はナニ、してたんだ、アクマ。」
「ほら、そうやって呼ぶから、香奈恵ちゃんまで俺をそう呼ぶようになったんさね。」
「身体からにじみ出す、悪魔の正体がおのずと知れたのかもしれぬの。」
「トラちゃんまでそんなこというんかい。」
「もうすっかり、お前のニック・ネームだからな。感謝しろ!」
ガンタはそういうと国道の路側帯にマイクロを停めた。小学校まではいくらの距離もない。どんだけゆっくり走らせてもすぐに着いてしまうのだ。
「やっぱり僕ら、学校に行かなきゃダメ?」渡が聞く。
「取りあえず、午後まで大人しくしていろ。」ガンタはサイドブレーキを引いた。
「もう遅刻だけど、それは仕方がない。普通の子供らしくしてるんだ。」
「つまらん。」ユリが背もたれに顔を埋める。「カナエが心配なんだ。」
「それは俺らに任せてさ。」ジンの軽い請負に目だけで睨んだ。
「キノウだ。カナエは本当に外出したのか、アクマ。」
昨日の昼間のささやかな冒険の後、己に寄せられる渡の期待と自分にまったく期待していないユリの蔑む視線に一念発起したジンは昨夜、肉の衣から抜け出て、1人近隣を徘徊してみた。勿論、御堂山を中心とするエリアの探索だ。
御堂山にあった幾つかの歪んだ空間を片端から探ってみたものの、渡の大々叔母の死体を見つける事はジンにもできなかった。見つかったのは、古い埋葬の歴史が積み重なる幾つかの沢。沢沿いの洞窟の中には風葬の後もあった。ここが汚れの地、埋葬の地として使われていたのは確かなことだということがわかっただけだ。
それらの空間は確かに奇妙な捩じれ方をしていた。悪魔にも心地はけして良くない。
その事は、埋葬が色んな意味合いを兼ねていたことを現している。つまり、姥捨て山であり、赤子の間引きであったりと。障害のあった子供や見限られた病人を生きたまま置き去りにして、村の共同体から排除してきたという重い歴史。
いずれも焼き付いた古い記憶は日々にさらされ沢水に洗われ既に風化しつつあった。新しくても、せいぜい明治後期・・・近代になって使われた形跡はなかった。
「戻って来たのは、そうさね・・・4時前、ぐらいさ。その時にあの娘が勝手口から入って行くのを俺は見たわけさね。」
「カナエの様子はどうだったんだ?カギは自分で開けたのか?」
「開いてたみたいさね。それに見たところ、目を開けて普通に歩いていたけどね。裸足かどうかは気が付かなかったさ。」
「なんで気がつかないんだ? そんな時間に香奈恵が、おかしいだろ普通。」
「あの子には、興味ないもんね。」ジンはペロリと長い舌を出す。そしてチラリと渡を見た。渡はちょっと動揺する。「俺っちが興味あんのは・・・」
「ワタルを見るな、アクマ!。」ユリが渡の服を後ろに引いた。
「ワタルもコイツに話しかけるな、コイツに頭から食われるぞ。」
「食わないって、ケチだなぁ。」
「すると、香奈恵どのが夜中にどこかに行ったのは本当のことらしいの。」トラが話を進める。『ドラコどのは何か、目撃していないのかの』(ドラコはガンちゃんと一緒にぐっすり寝てたのにゃ)役に立たないな~とガンタは密かに呟いた。
「わしはあの別荘跡地が怪しいように思うの。」
「香奈恵の夢を意味のある話と思うんだな。」ガンタは腕組みをした。「夢遊病中の記憶が反影しているってわけか。」
「行きたい!行ってはダメなのか、ガンタ!ワタルはダメだが、ユリとトラの保護者はガンタだ、どうにかして休ませてくれ!」
渡がズルイッと呻き、ユリが身を乗り出す。
「駄目。」ガンタはにべもない。
「まずは、俺らが偵察に行った後だ。タトラも面倒だろうが、ユリと渡の護衛をしていてくれ。」




香奈恵は布団に横になったものの、眠ることはできなかった。
時計を見ると9時、少し前。渡達は学校に着いただろうか。
休みたいとごねていたので3人とも遅刻だ。
自分だけ、こうして学校をズル休みしてしまっていいのだろうか。
さっきは本当に気分が悪かったのだが、今はそれほどでもない。
気が付くと半身を起こして足を見ていた。朝、こっそりと洗面所で足の裏の泥を落とした時には、目に見える事実をとても受け入れることができなかった。
これも、もしかして夢だったりして。
靴下を脱ぐ。夢じゃなかった。やはりそこにはキズだらけ、痣だらけの足がある。
ミミズ腫れの中には赤く腫れているものもある。今朝、こっそりと下の救急箱から持って来た消毒薬の匂いが微かにする。血が出るほど、深い傷がないのがかえって不可解な気がした。特に細かいキズが多い足の裏を見ながらぼんやりとしていた。
意識は昨夜見た夢の事に漠然と戻って行く。
階下が騒がしい。その中に香奈恵は自分の父親と母親の声を聞き分けた。
オヤジ、誠二が来たのだ。香奈恵は跳ね起きると襖を開け、廊下を進んだ。父親の声は大きくて、簡単に聞き取ることができる。
「そりゃ、俺だって疑いたくはないよ、だけどね・・・!」
「人聞きの悪いこといわないでよ!。いくらなんだってやめてよね、私だって怒るわよ!こんだけ人を馬鹿にしといて、よくそんなこと言えるじゃないの!こんなことになったのは、私のせいじゃないでしょ! 真由美さんを送り込んで来たのは、あんたなのよ! 責任なんてこっちには、ないでしょ!」
争う父と母。誠二と寿美恵。
かつて何度もこうやって二人の言い争いを、2階から聞いたことがあったような。それはもう、遥か昔、まだ二人が離婚していなかった時の幼い記憶だろうか。
「悪かったよ、君には内緒にした、ああ、確かにそれはこっちが悪かったよ。だけどさ、君は知っていたそうじゃないか? 真由美が来てることを、飯田君から聞いていたんだろ? 君のことだ、お腹の子供のことだって、気が付いていたんじゃないか?」

「あたしがどうすれば良かったっていうの? 元旦那の子供を孕んでくれてありがとうとでも、真由美さんに言えっていうの! いったい、何しに来たんだって正直に聞いてやれば良かったの?! だいたい、あきれちゃったわよ、あなたそれでも父親なの? 真由美さんのことを香奈恵だけに教えてたってこと、よくヌケヌケと言えたわね! あたしが怒ってるのはね、あんたが香奈恵を巻き込んだからよ! 香奈恵が板挟みになって苦しむとは思わなかったの? あの子、今、受験生なのよ!」
「寿美ちゃん、わかるけど、寿美ちゃん、落ち着いて。」
綾子がしきりに寿美恵をなだめるが、寿美恵はやめなかった。
「ええ、そうよ、あの人が妊娠していることぐらい一目見れば、すぐにわかったわよ。私はあんたの子供を2人も産んでるんだからね。当然、あなたの子供なんだろうぐらい思うのは常識でしょ!それのどこが悪いの? いったい、自分をどんだけ色男だと思ってるのよ!そりゃ、愉快には思えないけどね、もう私はあんたなんかなんとも思ってないのよ!馬鹿じゃないの?!」
寿美恵の声もどんどん大きくなる。
「なあ、寿美恵。君の気持ちを考えなかったことは謝る。香奈恵を巻き込んだ事もわるかった、短慮だったよ。申し訳ない。だから、なあ。」
寿美恵のご機嫌を取るように誠二の声は低く一見、穏やかになる。
「だけどなあ、真由美を恨むのはお門違いだぞ。俺たちの結婚生活は真由美がいてもいなくても破綻していたんだ。」哀願の声はビロードのように滑らかに囁きまでに潜められた。寿美恵は返事もしない。
「なあ、寿美恵、頼む。正直に話してくれないか、真由美をどこにやったんだ?」
それは寿美恵の一番、嫌いだった誠二の話し方。
今となっては、その声と話し方ほど寿美恵をカッとさせるものはない。かつてはこの声を世界中で一番ステキだと思っていたことがあるから尚更に。
「言いがかりは、やめてよ!今更、私が何をするっていうのっ!」
寿美恵の怒号に瞬間、香奈恵はすくみ上がった。
厨房から祖母も間に入って、二人をなだめ始めたようだ。
怒髪天を付いた寿美恵にも、誠二の非難の矛先は納まらない。
香奈恵は身を低くして階段の上から、階下を覗き込んだ。
どっちかと言うと身だしなみのキチンとした男であった父親だったのだが、久しぶりに見る父親は寝癖の付いた髪で急いで着替えたのか作業着も着乱れた感じだ。
誠二は手に丸めた紙切れを握っており、寿美恵はそんな男を正面から冷ややかに見つめている。顔に朱が登り、その顔つきから激高しているのを寿美恵が必死で押さえているのがわかる。綾子に背中から肩を押さえられているが、腕は誠二を殴らないで済ます為なのか胸で組み、それでも足りずに身体に巻き付けていた。
「とにかく、この手紙は警察に提出する!」誠二の手に握られたモノ。
「君は、この手紙を読んだはずだ!」
「読んでないわよ!知らないわよ、そんなもの!」
手紙?香奈恵は思わず、階段を降りて行った。まさか?。
「じゃあ、なんでこの手紙が捨ててあったんだ?!」
父親が持っているのは香奈恵が昨日、破って捨てた手紙だった?
そんなはずは・・・ない。
「香奈恵ちゃん!」綾子が香奈恵に気が付く。「こっちに来ちゃ駄目よ。」
「あんた達もやめんさい、子供の前だろが。」祖母が誠二の腕を強く引く。
こちらを向いた父の顔は顔色が悪く目が充血し無精髭がでている。やつれて汗が光り、口の隅に泡が浮いている。他人のような始めて見る、父親の顔だった。
「その手紙・・・」手を差し伸べた香奈恵の手を父は振り払った。
「ダメだ、これは、証拠だ。」
その仕草にショックも感じないほど、香奈恵は必死だった。
「どこにあったの?」
「香奈恵?」寿美恵が腕を解いて、こちらに身を乗り出す。心配そうな母の顔、それを横目で見ながら香奈恵はこれも夢の続きのように感じていた。だってその手紙は破いて、ガムテープで巻いて捨てたはずだ。さっきもう、ゴミ車が来て回収されたはずなのだ。ゴミ回収車が流すいつものメロディを香奈恵は先ほど、確かに聞いたのだ。
「それ、どこにあったの?」香奈恵は祖母に抱きとられる。
「ねえっ、どこにあったのよ!」誠二は香奈恵に射すくめられ、目を反らした。
「香奈恵ちゃん?」綾子も香奈恵をマジマジと見つめる。
「それ、私が捨てたの。」だからここに、あるはずはない。
「香奈恵ちゃん、嘘ついちゃ駄目だよ。」祖母が声を上げる。
「嘘じゃない!私が昨日、読んで捨てたの!だって、ママに、ママに読ませたくなかったからっ!」
「香奈恵・・・!」寿美恵の声は悲鳴に近い。
誠二は手の中の手紙を香奈恵から遠ざけながら、一瞬迷う様子を見せる。
「これは・・・これは飯田さんが・・今朝、脱衣所のゴミ箱で見つけたんだ。」
「嘘!」香奈恵は叫ぶ。「そんなはず、ないっ!」
「香奈恵!」寿美恵が横から香奈恵を抱き取った。
寿美恵が泣いているのがわかった。
「飯田美咲は、嘘ついてんのよ!」香奈恵は誠二の背中に尚も必死で叫ぶ。
「あの人は真由美さんが嫌いなの!大嫌いなのよ、パパ!怪しいのはあの人よ!だって、その手紙をあの人が見つけられるはずないんだもの!そんなの偽物よ!」
「いいのよ。いいのよ、香奈恵。」涙ぐむ寿美恵の声はやさしかった。
「ママは大丈夫。ママは何もやってないんだから。平気よ、平気だから香奈恵。」
「そうだよ、香奈恵ちゃん。お父さんもすぐに間違いに気が付くからさ、落ち着くんだよ。」祖母の声はおろおろと揺れていた。
綾子はなすすべもなく、そんな3人を見つめていた。寿美恵の肩に顔を埋めた香奈恵の青ざめた顔がどんなに幼く見えることか。まだ17歳でしかないのだ。
その実の父親の誠二は巡査を捜しに、警察にあの手紙を届け出る為に行くのだ。香奈恵の実の母、かつての妻である寿美恵にあらぬ疑いをかけることになろうとも。誠二が必死なのも痛いほど、よくわかる。彼の妻は妊娠5ヶ月なのだ。夏の暑さは遠のき始め、夜に戸外は思わぬほど冷え込むようになって来ている。
行方不明の真由美と腹の子供の為に彼は出来うる限りの手を打つしかないのだ。
せめて浩介がいてくれたら、と綾子は悔やんだ。大人しくぼおっとしていると日頃言われる夫だが、実は特技がある。こういう頭に血が登ってしまった相手をなだめるのが実にうまい。独特のマイペースな雰囲気が相手に理性を取り戻す余裕を与えるのだろうと、常に感心していた。しかしその尊敬する夫も、若い頃に鍛えた身体でいざとなったら強権発動の祖父も、気は短いが曲がったことの大嫌いな板長のセイさんも今は捜索隊に借り出されている。
鈴木誠二を止められる男手はここにはなかった。
田中さんや近所から手伝いに来た主婦達がこちらを息を潜めて伺っていた。
この話はすぐに村中に駆け巡るだろう。
ああ、真由美さんはいったいどこへ消えたんだろう。
なぜ、ここにいないのか。
自分の父親である男が玄関から逃げるように出て行くのを、香奈恵もまた無力感と共に見送った。父の背中は固くまっすぐで、手にはあの手紙が強く握られたままだ。あれは、香奈恵が破り捨てた手紙とまったく同じものなのだろうか。
それとも、破って捨てたと思った記憶が間違っていたのか?。それこそが、夢?。
見知らぬ数人の若者が躊躇いがちにこちらに視線を送った後でわらわらと誠二に付いて出ていく。父の教え子の学生達に違いなかった。
母親の震える背中ごしに、香奈恵は戦っていた。
例え、無力感に打ちのめされようとも。
香奈恵の中には怒りが燃え上がり始めている。
その目は飯田美咲を捜し求め、見つけられないままに旅館の廊下を彷徨っていった。

スパイラルツウ-5-3

2010-05-17 | オリジナル小説

「カナエ!」バス停の前でユリは香奈恵に追いついた。ランドセルを持ってないユリは1年の時から使ってるピンク色のリュックを背負っている。紺色のブレザーの制服に手提げ鞄を持った香奈恵は頬だけが赤い、妙な青白い顔で振り向いた。
「どうした?様子がヘンだぞ!ヘンな時はすぐにわかるんだっ、ユリにはお見通しなんだからな!ユリに話せ、カナエ!」
勢いのいいユリに香奈恵は元気なくため息をつく。ユリを見ない。
「だいたい、バスにはまだ早いだろ?まだ、10分以上あるぞ。いつもはもっとゆっくりしてるだろ?こんなに早くでるのもヘンだ!ダイジケンが起きてるのに話もしないで!タイヘンなジケンじゃないか?」
竹本の玄関を出た渡が辺りを見回してからこっちに駈けて来るのが見える。
「だって、ユリちゃん・・・あの人が・・・いなくなったなんて・・・」
香奈恵はあの人というところを微妙に躊躇った。
「それだけじゃないな。」ユリがきっぱりと断定した。
「ナニかある、他に心配。」
ほんとユリは鋭い。なんでもお見通しだ、と香奈恵は思った。でも、だからいつもこの年下の幼なじみはほんとに頼りになるんだ。
一人きりで抱え込むのを諦めた瞬間、それは香奈恵をひどくほっとさせた。
バタバタと足音が近づく。置いてかないでよと息を切らせた渡。背中の黒いランドセルは端がこすれて皮の色がところどころ覗いている。男子の証、傷だらけだ。
香奈恵はますます赤くなって、二人に横顔を向けた。「実はさ。」
香奈恵にはなんで自分があんな夢を見たのか、その切っ掛けはわかっていた。
その話から始めなくてはならない。
「見たんだ、私。」
「何を?」飲み込みの早い渡は、よくわからないままにも即座に参加する。
「何かを見たの?かなねぇ。」反らした燃える頬。香奈恵の唇が複雑に歪んだ。
「昨日の夜・・・ママリンがお風呂に入った時に。」
旅館『竹本』の各部屋には小さい内風呂とおトイレが付いている。それとは別に客は順番で露天とこじんまりした大浴場を利用することができる。客が少ない時は時間で区切ってかし切りにし、多い時は1時間ごとに男湯と女湯に分けている。女湯になっている時は、酔った男客がまちがえて入らないように祖母や寿美恵が交代でロビーでさりげなく目を配っている。先々代が富豪竹本八十助の援助で掘ったという源泉は温泉としては水温が低いので、旅館『竹本』は最近では温泉宿の看板はかかげていない。湯は毎日ボイラーで炊いている。経費がばかにならないので客のいない時は、露天も大浴場も使用していない。家族は普段は母屋の風呂に順番で入っているのだ。ただたまに客が入ったのを確認した後で、せっかくだからと露天を利用する事があった。勿論、浩介とか祖父達の場合は身体の汚れを落とした後で、ついでにそのまま掃除に突入するわけだ。
それを待ってると小学生の渡には寝る時間が遅くなるから、子供達が露天を利用することはあまりない。ガンタやトラとユリは主に離れの風呂を使っているし。
露天に入るのは寿美恵親子が多かったのだが、受験生になってからは香奈恵もあまり利用していない。
「ママリンが外から帰って来て・・・」
香奈恵の頬が更に赤くなった。寿美恵がジンさんに凭れるようにして帰って来たのは10時を過ぎた頃だった。受験勉強していた香奈恵は厨房で綾子にココアを入れてもらった時、たまたまその様子を廊下から見た。
祖父が『梅の間』の客達はもう露天は入ってしまったので、後はジンさんが好きに入って構わないと気楽に告げた。後でオレも入るかもしれないけどよ、と最早客というより準家族扱いのようであった。その時にふざけたジンが「寿美恵さんも一緒に入らないか」と冗談で誘った。その時、寿美恵は少女のように「いやだぁ、ジンさんったらぁ!」と嬌声を上げたのだった。香奈恵の心に不愉快玉がフッと湧いてはじけた。「ママったらいいかげんにしてよっ!」自分でも思わぬくらいに大きいきつい声が出てしまった。戯れていた玄関先の大人達は一瞬、黙った。
「香奈恵!お客さんの前でしょ!」少しだけ素面になった寿美恵が、むっとした声を返した時には、ジャージを着た娘の姿は階段を母屋へと駆け上がっていた。
「おや、嫌われちゃったみたいさ。」
ジンの笑う声と彼に謝る大人達の声を背中に聞きながら部屋に戻った。
怒りでむかむかしながら。
『富士の間』の客が寿美恵をなんとも思ってないのは香奈恵にはよくわかっていた。
過去の経験から、寿美恵に好意を持つか既に何かあったのかな的な男達(客とは限らない)は娘である香奈恵にも取り入るような様子を見せたものだ。香奈恵は母親とその相手の行状にはまったく気が付かない振りをするのが身に付いてしまっていたが、そういう雰囲気には敏感だった。神興一郎にはそんなそぶりが微塵もない。
彼にとっては香奈恵はただの宿の子供の1人に過ぎない。そんな態度なのである。
寿美恵とは遊びなのだ。たまたま泊まった宿にいた手軽な相手。
自分の母親を軽く見ているのだと思うと、驚く程ジンへの怒りが湧いて来た。
そして、そう思われても仕方がないジンの肩にまつわりついていた母親にも。
香奈恵は受験勉強がはかどらなくなる。心配していた母親の足音が上がって来た時にはホッとした。それからはまさかとは思いつつも、母親が下に降りて男客の入っている露天に行かないようにと身を固くしていた。
綾子が上がって来て、ジンさんはもう出たから露天を使うならどうぞと寿美恵に声をかけた。ジンさんは祖父と背中を流し合ったらしい。すると、風呂掃除は浩介おじさんだろうか。「はあぃ」と寿美恵が襖を開けて出て来る気配。足下が危ないのか、襖に足がぶつかる音がする。「大丈夫?寿美恵さん」綾子の声に大丈夫と答え
「綾子さんは入らないの?」と誘いながらあぶなっかしい足取りで降りて行った。
香奈恵はそっと廊下に出た。綾子おばさんは夫婦の寝室にいるらしい。灯りが付いて浩介おじさんと話をしているのがわずかに聞こえる。
香奈恵はそっと下に降りて行くと、玄関脇の小さいロビーの大きい椅子に腰掛けた。膝を上に乗せて丸くなる。こうすれば、露天から戻る寿美恵の目にはわからない。香奈恵は客達の泊まっている2階の踊り場を睨みつけた。
もしも、あのジンって男が降りて来たら・・・香奈恵は拳を固めた。階段を降りる時は、いの一番に自分に気が付くはずだ。もしも・・・ママの入ってる露店に入り込もうとでもしたら・・ほんの2年間でも空手部に在籍したこの岩田香奈恵が不埒なる振る舞いを鉄拳制裁で阻止してやるつもりだった。


「でもさ。」ここで渡が口を挟んだ。
「ジンはそういうこと・・・デバガメっていうんだっけ?そういうことはしないと思うよ。」ユリもあきらかに賛同していない様子。
「あんた達は騙されてるのよ。」香奈恵は赤い頬を膨らませて怒った。
「顔がいいからってだまされちゃダメ!男っていうのはさ、みんな悪魔なんだから・・あ、勿論、渡やおじさんやじいちゃんは別だよ。ジンさんみたいな、軽くてオンナたらしな男の話だからね。」
「ああ。」渡がホッと息をつく。「そういう意味の悪魔かぁ。」
「どういう意味だって」ユリがケロッと舌を出す。「アクマはまちがいないんだ。」

脱衣所のドアが閉まる音がしたような気がしたのだという。
寿美恵がもうでたのかと香奈恵は急いで振り向いた。寿美恵にしては鴉の行水過ぎる。旅館の浴衣を着た髪の長い女の後ろ姿が見えた。お腹がぽっこり突き出ている。
鈴木真由美だ。ギョッとすると香奈恵は慌てて椅子を回す。香奈恵が隠れている間に、足音は階段を上り2階の『梅の間』へと入って行った。
香奈恵は困惑する。客はもう露天を使った後だと聞いたのに。それとも。
大浴場の脱衣室のドアを香奈恵はそっと開いて見たのだという。
脱衣所には寿美恵の服が残されているだけだった。湯煙で曇ったガラスの向こうからエコーがかかった寿美恵のご機嫌な鼻歌が炸裂している。
別になんらかの対決的シーンが行われた様子もそんな余韻もない。
安堵して、なんのきなしに寿美恵の服の入った脱衣籠を覗いたのだ。
なんでそうしたのか、自分でもわからないという。
その時、香奈恵は服の間に差し入れられた紙を見つけてしまった。


「読んだのか。」
香奈恵はうなづく。「・・折り畳んだだけの紙だったから。」
折り畳んだ紙を裏返したら、鈴木真由美と書いてあるのを見たら読まない訳には行かなかったのだと香奈恵は渋い顔で続けた。
「いったい、ナンテ書いてあったんだ?」
香奈恵の頬がさすがに強ばる。
「話があるって・・・外で待ってるって書いてあった。」
聞いた二人は一瞬、顔を見合わせた。用心深く口を開いたのは渡が先だった。
「カナエはスズキマユミが脱衣所に入るのは見てないんだろ?オバさんが入る前に既に中にいたってことは?」
「それはわからないけど・・・」
「香奈ねぇ・・・寿美恵おばさんがそれを読んだと思うかい?」
「読んでないと思う。」香奈恵は激しく首を振った。
「捨てちゃったんだもん、その手紙。」
「捨てた?」
「ママには絶対、読ませたくないと咄嗟に思ったから。隠して持って帰ってズタズタにして捨てた。」冷たい手を両頬に当てると実に気持ちが良かった。
「自分の部屋のゴミ箱に捨てたの?」香奈恵は首を振る。
「今朝、ビニールテープでグルグル巻きにして下のゴミに混ぜたから、見つかることはまずないと思う。」
今の段階で、竹本のゴミが調べられることはまずあるまいとユリは胸を撫で下ろす。
「ヨシ、ちゃんと処分したってわけか。」
ヨシじゃねぇよと、渡。
「でもさ。それって・・・その人が行方不明になった原因ってことじゃない。」
「・・・そだな。」
「オバさんは絶対にそれを見てはいないんだな。」ユリが念を押す。
「もし、入れ違いだったとしても、寿美恵おばさんは香奈ねぇのパパの奥さんがここに泊まってる事は知らないんだからさ。それは、安心していいんじゃないかな。 でも、なんで呼び出そうとしたんだろ?。」
ユリが首を振る。「オトナのオンナの考えることはわからん。」
「私さ、約束の時間が過ぎるまで起きてたんだ。確か、12時って書いてあった。ママリンは絶対に出かけなかった、それは確か。」香奈恵はほっと息をつく。
「相手が出かけたのは確かめたのか?。」
「ううん。」香奈恵は乾いた唇を舐めた。
「あの人なんか、待ちぼうけにあえばいいんだって・・・思ったから。」
「でも・・・妊婦さん、なんだろ?」2人はその話を昨日、聞いたばかりだ。
「妊婦だってよ!」思わず、ヒステリックな声が出る。
それと同時に、変な笑いが喉から出るのを香奈恵はどうしようもできない。
向かいの商店のガラス戸の向こうの老婆がこちらに目を向けた。
ユリはなだめるように香奈恵の腕をさすった。
「落ち着けカナエ。まだ、ナニカあったか、わかったわけじゃない。」
視線を反らした渡は、店番の老婆と目があってしまう。何事もなかったように笑って頭を下げていつもの挨拶をした。ばあちゃんは笑顔になり奥で電話がなったらしく、店先から離れて行った。
「香奈ねぇ、スズキマユミはどこで待ち合わせだって書いてあったの?」
「はずれの橋のとこで待ってるって。」
急に香奈恵は体温が低くなったように感じる。
そこは、国道をずっと行って民家が絶えるところ。権現山から下ってくる沢の水が川となってる上を道路は橋で越える。そこが『はずれ橋』と呼ばれている。両側にお地蔵様が立ち並ぶ、昔からの村の境目。そこからしばらく進むとこの間、香奈恵が仙人を尾行したユリの家にと向かう遠回りの十字路のところへ出る。
彼等には馴染みの場所だ。しかし。
「よく知ってたな。スズキマユミ。」ユリが首を傾げる。
「このアタリにくわしいのかな?」
「・・・夜中の12時なんて・・・危ないよね・・・。」
「クルマの通りはあるな。国道だからトラックとか・・・」
「じゃあ、車に拾われたとか?・・・乗せられたとか?」
「私のせいなのかな?」急に香奈恵は泣きそうになる。
「私が・・・ママはこないよって言うべきだった・・・?。」
「カナエ、あくまでカノウセイだ。」
「その話さ・・・話さなくていいのかな。捜索隊出るのに・・・」
渡は香奈恵の顔色をうかがいながらも勇敢にくちに出す。
「そんなこと言ったら」香奈恵の声が小さくなる。
「ママリンが警察に疑われたりない?」
「もう、疑われてるかもしれないのう。」真後ろでトラの声がした。
彼も屈辱のランドセル姿を拒否してリュックを背負っている。
(そんな姿、イリトに見られたら100年がた笑い話にされるわい)
「多かれ少なかれなんでも警察はその内、探り出してしまうじゃろよ。何か、おまいさん達には秘密があると睨んどったのじゃが・・・すっかり話してもらおうかの。」
その時、国道の彼方に香奈恵の乗るバスが現れた。
「どうする?」渡が香奈恵を見る。香奈恵は涙で滲んだ目でユリを見た。
「学校に行ってるバアイじゃないぞ。」ユリが重々しくうなづいた。
「・・・わかった。」香奈恵がうつむくと涙が一筋、頬を伝った。
「実はさ・・・まだ、あるのよ。ユリちゃん。」
香奈恵はユリだけに聞かせたいように身をかがめた。
それを察した渡とトラは先に歩き出す。
「今朝起きたらさ・・・私の足、傷だらけなの。」
驚きで見開かれたユリの目が先を促す。
「寝違えたんじゃなかったのか?」香奈恵が激しく首を振る。
「まるで・・・まるで、どこかへでかけたみたいに・・・」
香奈恵は制服をまくって痣だらけの足を見せた。無数に細かい傷やミミズ腫れが走っている。ユリはかがみ込んで確認する。「まだ、新しいキズだな。」
「これだけじゃないんだ、足の裏も泥だらけだったんだ。」寿美恵は泣きそうな顔で足に触れているユリと振り向いて見守っている渡とトラを見回した。
「私、身に覚えはないんだよね。変な夢を見ただけなんだ、夢だったのに。」
「そのユメ、くわしく聞かせろ。」
香奈恵の顔がみるみる真っ赤になるのをユリは見た。
「く、くわしくは言いたくないな。」小学生に話せる内容ではない。「でも、とにかく私は昨日の屋敷にいてさ・・・そこに鈴木真由美がいたんだよ。」
「スズキマユミが、いた?はっきり、見たのか?」
「そうだ!・・そこには、なぜか仙人もいたんだっけ。」
「権現山の仙人が?」渡が思わず声を出す。「ほんと、香奈ねぇ?」
「夢だよ、夢!夢の中で見たんだって!だって、飯田美咲だっていたもん!夢なんて支離滅裂だよっ、だけど・・・私の足は嘘じゃない」
咳き込んで声を張り上げた香奈恵の声が泣き笑いに変わった。
「ねぇ、どう思う、ゆりちゃん。まさかさ・・・もしかして、私なの?私、何かしたのかな? 私、裸足でどこへいったんだろ? どうしたらいいと思う?」
顔を覆う、頭一つ大きい香奈恵の肩をユリは手を伸ばし抱いた。
「大丈夫だ、カナエ。ユリに任せろ。ユリに任せれば万事、大丈夫だっ!」
きつく寄せられた眉の下で、大きい瞳が決意を抱く。
ユリは肩越しに渡とトラを見た。渡は心配で青ざめて、トラは無表情だが深刻に受け止めているのがわかった。ユリは急いで頭を働かせる。
「そのユメの話はひとまず、ダレにも言うな。アシの話もだ。」
渡とトラもうなづく。
「・・・あの屋敷は調べなくてもいいの?」渡は今から行きたいと思っていた。
「夢じゃからの・・・取りあえず、カナエどのは夢遊病の疑いがあるってことだけじゃないかの。念のため、ガンタどのには報告しておくがの。」
香奈恵が乗る予定だったバスが、ゆっくりと4人の横で一旦止まる。
「香奈恵ちゃん、乗らなくていいのかい? どうしたの、具合悪いの?」
ドアを開けた馴染みの運転手に「気分が悪くなったみたいだから竹本に帰る」とユリは説明した。クラクションを一つ鳴らすとバスが脇を抜けて遠ざかって行った。





黒い混沌の中で女は繭のように身体を折り曲げていた。
寒い・・・冷やしてはいけない。女は眉間を曇らせて無意識に自分の腹を身体で温めようとする。ふいに光を感じ、女は無意識の中で薄く目を開ける。
「大丈夫・・・」ぼんやりとした輪郭・・・見知らぬ女が手を差し伸べてくるのを感じる。その指先が身体に触れた瞬間、全身に暖かさが広がった。
「その子は必ず助かる・・・」怜悧な切れ長の瞳を意識で感じた。
「・・・もうすぐ・・・時が動く・・・」
そういうと女が自分の中に重なってくる感覚があった。これは夢?
思い出そうともがいた。ついさっき・・・自分は布団に潜り込んだはずなのだ。
旅館『竹本』の梅の間で。
すると、ふと記憶が甦った。
寿美恵を哀れに思ったことも。
そう、それから再び、自分は深いため息を付いたはずだ。
明日は早い、早いから寝よう。思えば思う程、目は醒えていった・・・


真由美は隣で眠っている飯田美咲の方に寝返りを打ったのだ。
唯一、自分と同じく最期まで残った誠二の教え子。
床の間の常夜灯の暗い照明だけに照らされた枕に乗った美咲の後ろ頭が見える。
つやつやとした真っすぐな髪が敷き布団の上に広がっている。いつから、黒くしたんだろう。確か、この子は茶色い巻き毛が特徴だったはずではないのか。
いったい、何を考えているのだろう・・・
世代の違いというものも当然なのだが、この飯田美咲は同世代の仲間からも少し浮いてる感じがする。大学にいる時は気が付かなかったのだが、今回の発掘作業でそれがより顕著になった気がする。
考古学を希望する娘は自分や今日帰った他の二人を見るように、やや地味目の娘が多い。顔立ちが奇麗であっても、身なりや持ち物に執着するタイプは少ない。
黙々としゃがんで手を動かしてるようでいて、美咲は大して働いてはいない。汗をかくことや、日に焼けることを拒むのならば、泥と埃にまみれて黙々と手を動かすようなゼミを選ぶべきではないのだと毎日、真由美は美咲を目にする度に思っていた。
彼女が今日、見つけたと称する石器も、他の男子学生が最初に見つけて場所を譲った節があると真由美は睨んでいる。それだけじゃない。今まで意識もしなかった、発掘作業の底に流れていた不協和音。男子学生の間で、この美咲を巡る密かな鞘当てが行われているのではないかとも疑っている。この娘の目的は女気のない発掘現場で男達の関心の的になることなのではないだろうか。今日、帰った二人の学生もそれらの不満を真由美にしきりにもらしていた。
引率者としての真由美は二人の学生の前ではそれらを思い切り笑い飛ばさねばならなかったが。


そう、その調子。よく思い出すのよ。
こんな娘が考古学に興味を抱くはずはない、と私は唇を噛んだはずだ。
美咲がなぜ、今ここにいるのか、と真由美は煩悶していたのだ。
真由美が最も畏れていたことは美咲の狙いが、夫の誠二なのではないかと言うことだったはず。


その時、寝ていた美咲がふいに寝返りを打った。寝ていなかった。
真由美と美咲の眼がかち合う。それは思いがけない火花を散らした。
「・・・真由美さん。」美咲の大きな眼が嫌な光に輝いていた。
「ここの女将さん、先生の元奥さんなんですってね。」
真由美は言葉がでない。
「奇麗な人。真由美さんよりずっと奇麗だわ。あんな奇麗な人から先生を奪ったんだから、さぞや鼻が高かったでしょうね。」言葉を続ける美咲の顔は今まで見た事もない表情をしていた。呆然と見つめる。それは、まるで知らない女。
4日間、一緒に作業をしていた美咲とはまるで別人。いや、もともと美咲はこんな顔だっただろうか。
しかも、なんと美しい。驚きと恐怖で真由美は強く何度も瞬きを繰り返した。
知らない女の口が言葉を続ける。
「ここには、自分が不幸にした女を笑う為に来たんでしょう?ほんとに真由美さんって、嫌な女ですね。自分でもそう思いませんか?」
「真由美さんはあの人に勝ったつもりなんでしょう?。でも、本当に勝ったのかしらね?。先生が前の奥さんのことを本当に忘れたと思ってますか?」
「そんな人が先生の奥さんにふさわしいんですかね?」
「なに・・?」唖然として聞いていた真由美は思わず、上半身を起こした。
つい、声がきつくなる。
「美咲さん!何がいいたいの?あなたには関係ないでしょ?」
「あら、関係ありますよ。」
美咲も上半身を起こした。黒いつややかな髪が両肩を滑り落ちる。
そうだ、この娘・・・やはり違う、こんな顔じゃない。こんな娘は知らない。
どっと吹き出る汗が身体を冷やす。
『肩に流るる黒髪の・・・』真由美の頭の中で声がする。
『その娘はたち・・・おごりの・・美しきかな・・・』目眩だった。
「あなた今、妊娠してるんでしょ?だから、先生がお寂しいって思わないんですか。満足し切って醜くなった妻を前にして・・先生がどんなに我慢していることか。慰めて欲しがっているか。」
寒い。身体が震える。冷やしちゃいけない大事な身体なのに。無意識に身体を温めようと腕を巻き付けたがバランスが取れなかった。美咲がひどくぶれて見える。
真由美は倒れまいと、目の前の若い女に負けまいと必死に戦う。まさか、誠二がこの人と?。そんなはずない。自分が命を授かって浮かれていた日々、唯一夫の行状に眼を光らせられなかった、つわりがひどかったあの頃・・・
「真由美さんが前の奥さんから、先生を最初に奪ったのも・・・奥さんが二人目を妊娠した時でしたんですよね・・・」
意味深な笑いが耳鳴りと重なり、真由美は耐えきれず布団の上に昏倒した・・・

やっと、思い出せた。目尻から涙がゆっくりと流れ出る。信じたくなかった。
「信じないで。」自分の中から女が答える。「悲しまないで。」
身体が芯から、熱く満たされて行くのを鈴木真由美は感じる。
「悲しむことは何もないの・・・」
ほおっと満足のため息が開いた口からもれたが、意識には残らないことだった。

スパイラルツウ-5-2

2010-05-17 | オリジナル小説

既に起きて登校する準備をしていた渡と香奈恵は、慌ただしく食事をするように告げる両親の口調で何か起きたなと感じた。
離れからユリがトラと飛び石を飛びながらやってくるのが窓から見えた。
開き戸を開けながら子供しかいないのでガンタが首を傾げる。
「何かあったのか?」
ガンタは廊下に耳をすますと、朝食を後回しにして靴を脱いで廊下に出て行く。おりしも駐在さんが玄関口から顔をのぞかせたタイミングだった。
「騒がしいな。又警察が来てるの? いったい、どうしたんだろ?」
渡はお箸を持った手がさっきから止まったままだ。
「とりあえず、たべろ、ワタル。何があったってアタシらは学校に行かされるんだ。」
ユリがクールに卵焼きを口に運ぶ。
「誰か、お客さんに何かあったのかしら?」香奈恵は不安を隠してユリに習う。
「お客と言うと・・・富士の間か、梅の間しかないけど。」
ジンのはずはないだろうと渡は思う。好奇心から、食欲が沸き出る。早く食べて出かける前に話を聞きに行きたい。ジンの名前が出て、香奈恵の箸がちょっと止まったのだが、誰も気が付かなかった。気を取り直すように香奈恵は再び、箸を動かす。
客用の建物と渡達が生活する母屋とは朝食を食べている台所で繋がっている。隣の旅館の厨房に大人の姿は1人もない。客の朝食は綾子と祖母が子供達のご飯は寿美恵が分担して、ほとんどを賄っている。セイさんがそろそろ来る時間だが、まだ原付バイクの音は聞こえて来ない。
と、母屋の階段を下りてくる足音と共に香奈恵の母親が顔を出した。すっぴんで寝癖が付いた髪のままだ。客の人数が少ない時は子供達のメニューも同じになる。3人のうちの1人はゆっくりすることにはなっているが、今朝は寿美恵の番だったらしい。それにしても、珍しいことに寝過ごしたらしい時間である。
「どうしたの?何かあったの?誰もいないじゃない。」
寿美恵は欠伸をしながらテーブルの端に座り、お茶の入ったやかんを手に取る。
「遅いよ、ママ。」そう言いながらも香奈恵の顔が少しだけ赤くなり、すぐ目を反らしたのだが寿美恵はそれを見てちょっと後ろめたく感じた。
「えっと・・・昨日、ちょっと・・・飲み過ぎちゃったかもね。」
涼しい顔を装いながらも、こちらも娘の顔から意識的に目を反らす。毎度お馴染み、富士の間の客と昨夜も陽気に杯を重ねたことは周知の事実。
しかも昨日は、ジンさんのおごりで月城村ただ1軒のスナックでカラオケ三昧までしてしまった。帰ったのは閉店の10時。もう、村の噂の的だ。見合いも向こうから流れるだろう。いけない、いけないと思っていても誘われると断らない寿美恵だ。だって、ジンさんと飲んでると最高に楽しいんだもの。寿美恵は自身に言い訳する。どうせ2週間だけだからね・・・。ほんと、いい男なんだけどなぁ、気も合うし。バツイチの子持ちの年上熟女が何より好きってことはないだろうか?。
やっぱり、そううまいことはいかないわよね。
寿美恵はため息を押し殺した。
湯のみを捜していると、奥からガンタが戻って来る。
「あら、ガンタさんおはよう。」
寿美恵はこの姉と弟も好きであった。何より、2人とも顔がよい。見ててあきない。ただし、姉は熱烈ファンを自認してるが女だし、弟は年齢的に若過ぎるから不埒の対象としては却下であった。
立ったままお茶を飲んでいた寿美恵は、ガンタの深刻な顔に思わず茶碗を置いた。
食堂でもガンタを見ていた全員の動きが止まる。
「寿美恵さん、聞いた? 梅の間の客がいなくなったらしいよ。」
「梅の間?」大声を出したのは、香奈恵だけではない。トラとガンタを除いたほぼ全員がややすっとんきょうな声をあげた。寿美恵も息を飲む。
「いなくなったってダレだっ?」ユリが卵焼きを皿に投げ出す。「まさか・・」
目を見開いた香奈恵と目が合った。香奈恵が激しく首を振ったので言葉を選んだ。
「ええっと、ドッチかが・・・いなくなった・・・わけなのか?」
「確か、お客さんは女の人、2人だよね。」如才なく渡。
「ガンタさん・・・いなくなったのは、若い方?それとも・・・」
寿美恵の声は我ながらややうわずっていた。
「年上の方みたいですよ。若い人はいて、駐在さんと話をしているよ、今。」
ガンタはヒッと声を詰まらせ顔を伏せた香奈恵に怪訝な視線を走らせた。
逆に寿美恵は動揺をおくびにもださずに、蒼白な顔のまますぐさま廊下へと出て行った。中身が飲み干されないままの茶碗が流しの横に残されている。
「どうしたんだ?みんな。」ガンタが椅子を引くと座る。顔を見回した。
「まあ、とにかく俺らは食べよう。その後、お前らをを送り出すのは俺の役目になったから。」この家の大人は誰もが今日は忙しくなる予感だった。
「ねぇ、いなくなったってどういうことなのさ?」
顔を伏せたままの香奈恵を目で気遣いながらも、渡が用心深く情報収集を始めた。
「喧嘩でもして先に帰ったんじゃないのかな?。」
「それはわかんないけど。今朝同じ部屋の人が目が覚めたら、いなくなってたらしいよ。すごく心配してるんで綾子さんが白峰さんを呼んだんだけど。でもまあ、荷物は部屋に全部あるみたいだからね、帰って来るつもりなんじゃないかなあ。お前らが心配する事もないんじゃないよ。この旅館の落ち度じゃなんだからさ。きっと、どっかまで散歩でもしてるんじゃないか。」ユリが声を潜める。
「それってアレだ。いなくなったのは、スズキマユミだろ?」
「なんでフルネームで知ってるんだよ?」
「それはヒミツだっ、なぁカナエ!」
返事はなかった。「どうしたのかの?香奈恵どのは」
「足が痛いのよ。」香奈恵は顔を伏せたまま口ごもった。
「今朝、起きたらなんだか痛いの。」「なんだ、寝違えたのか?」
「ね、ねぇ!いなくなったといえばさ、権現山の仙人もじゃない?」
渡がやや、甲高い声を出した。
昨日、彼等は例のお化け屋敷にたどり着きおっかなびっくり中にも入って見たのだが・・・仙人どころか、浮浪者も何も発見できなかったのだ。
「それは違うんじゃないか?」ガンタが顎に付いた飯を口に入れる。
「あの家を隅々まで調べ尽くしたわけでもないし。1階をざっと見ただけだからな。」
2階より上は階段が壊れていたこともあり、あきらめさせたのだった。その代わり、庭園や外の廃墟後はかなり丹念に見回った。この前、渡とユリが怖い体験をしたという工場跡も出来る限り覗いて回ったが今回は何も起こらなかった。
何の怪異もなかったのは、お守りの悪魔のおかげであろうか。
ジンは盛んに自分の手柄だと吹聴していたが。
「でもさ、ドラコも見失ったのは変だってガンタも言ってたじゃない?」
「確かにのう。」トラも口の中のモノを飲み込むとうなづく。
ガンタの頭の上でプリプリしてる鯉のぼりのようなドラゴンを渡は盗み見た。この席でワームドラゴン、ドラコが見えないのは香奈恵だけだからといっても会話には気を付けなくてはならないはずだ。
しかし、渡とユリがさっきから観察しているところでは香奈恵はただただ、固まって虚ろにぼんやりとしているだけに見える。やけに顔色が悪い。何も耳に入っていないのではないだろうか。チチオヤの新しいオクサンが行方不明になると言うことはそれほどまで、ショックなことなのか?、ユリは首を傾げた。
外でバイクの音がしたが、勝手口から入ってくる姿はいつまで経ってもない。セイさんも異変に気づいて直接、表に回ったのだろう。家が近いから、もう田中さんも駆けつけてるかもしれない。田中さんどころか、隣近所の人達が全部だ。
その時、相変わらずざわついてる廊下から、台所の入り口に顔を出した者がある。
「あっ!アクマ。」ユリの声にガンタは飯が逆流しそうになる。
顔をあげてジンを見た青白い香奈恵の顔に朱が登って不気味なまだらになったのには、誰も気が付かなかった。
「よう!この旅館はほんと退屈しないさね。」
「何しに来た?!」胸を思わず、叩きながら。
「この騒ぎで飯が遅れそうだからさ、気にしないならこっちで食べてくれってさ。」
ジンはめざとく客用の茶碗を見つけると自分で飯をつぎ出した。
「なんだって?」「さすが、綾子殿は大胆な判断をするのう。」
仲良くご飯なんて冗談じゃないぜとガンタが思わずつぶやく。
「客は3人しかいないし、1人は行方不明でもう1人は飯どころじゃないってわけさ。この後、下手したらみんなで捜索ごっこだってさ。お前も借り出されるんじゃないのか?」ガンタが余計なお世話だ、と小さく呟く。
「おい!そんな奴にやってやることないぞ。セルフだ、ここは。」
テーブルの端に椅子を引き寄せたジンが箸を抜き取り大皿からおかずを取るなり、感嘆の声を上げてユリがみそ汁を注ぎに立っていた。
「スゴイぞ、ガンタ!アクマがシャケの切り身を食べてるんだ!ノリ、ウメボシ、タマゴヤキ、和食のアクマだ!アクマとドライブじゃなくてアクマとゴハンだぞ!」
「面白がるなよ。和食なんて、ここんとこ毎日食ってただろう。」
「実際に目の前で見るのは始めてだもん。」渡も醤油と取り皿を回してやる。
香奈恵は無意識に痛む足をさすった。痛いのはここだけではない。夢の記憶。
心配でたまらない。うわっと叫びたい。ジンが見られない。
うつむいた口から思わず微かな声が出た。「悪魔・・・」
それが聞こえたのは地獄耳の悪魔だけだったのか、ジンがチラリと香奈恵を見る。

「どうも申し訳ありませんね。」綾子とセイさんが厨房に戻って来た。
「お客さんに自ら給仕させるなんて。」
「気にする事はないさね。なんせ、非常事態なんだからさ。」
「飯はもっと炊いた方がいいかい?」セイさんが大きな電子ジャーを覗き込みながら声をあげ、綾子は海苔やウメボシを流しの下の戸棚から調理台に並べ始めている。
「女将さん、やっぱり捜索隊出すことになりそうなのさ?」
「あ、そう、そうなのよ。今もう、父さんや浩介さんは白峰さんと出かけたところ。場合によっては消防団や自治会にも声をかけなきゃならないでしょ。災害無線で呼びかけるって言ってたから。また山狩りになるかもわからないから、炊き出しの用意だけはしておかないと。」壁の時計を見る。午前7時45分になるところだ。
寿美恵が飯田美咲を連れて入って来た。
「ほら、飯田さんもお腹が減ってはダメでしょ。一緒に食べちゃって。迎えの人ももう着くわね。」その人達が捜索隊に加わる可能性もある。
「はい。」顔色の悪い飯田美咲は寿美恵に腕を掴まれたまま、ジンの隣の椅子にストンと腰を下ろした。大家族用の広いテーブルだが、さすがに今日はキツキツである。
「さっき、電話しましたから・・・みんな驚いちゃって・・・鈴木先生に相談するから、少し遅れるかもしれないです。」
泣いているのかタオルを顔に押し当てている。声は不鮮明だった。
香奈恵は美咲からも目を反らしたが、発言を反芻すると更に顔色が白くなった。
と、いうことはだ、まさか・・・オヤジ、鈴木誠二も来るのではないだろうか?。香奈恵は更に固まってしまう。しかし、寿美恵の方は発掘を取り仕切ってるらしい鈴木先生と言う名前を聞いても美咲の背中で微かに眉を上げただけだ。
香奈恵も寿美恵も何もしようとしないので、再びユリが気をきかしてお箸を差し出すが美咲は顔の前で手を振って断った。
「ごめんなさい。食欲がないの・・・何も食べれそうにないわ。」
「その・・・鈴木さんという人は昨日・・その、何かあったのかい。」
ジンが美咲に尋ねる。美咲の顔はジンからは、両側に垂れ下がる髪によって隠されている。
「いいえ・・・何も。何も・・・なかったはずなんですけど。いつものようだったし・・・何も変わらなかったのに・・・」
美咲の声は聞き取れないくらいに小さい。
「喧嘩でもしたとかはあるのかの。」
子供であるトラさんの質問も誰にもとがめられなかった。
美咲は黙って首を振る。
美人は得だな、と香奈恵は不機嫌に上目遣いでその横顔を睨みつけた。
夢の中であんなに淫らだった美咲は短い間に輝くようだった張りのある頬がこけ、眼の下に隈までできてるようだ。わざとらしい。真由美さんが嫌いなくせにさ。
「・・・ごちそうさま。」箸を置くと立ち上がる。
「香奈恵、あんたいくらも食べてないじゃないの。」
寿美恵がめざとく非難する。「なんなのその顔色?ひょっとして、あんたさ・・・」
何かを言いかけて言いよどんだ時、不意にジンが箸を置いた。
「ねえ、香奈恵ちゃんさ。」肩頬に探るような笑みが浮かぶ。
「昨日は、よく眠れなかったのかな? どうなのさ。」
香奈恵の背中がピンと緊張した。
「・・・うるさい。」小さい声で毒づいた。「悪魔には関係ない!」

振り向かないまま、足早に出て行く姿に寿美恵が慌てる。
「こらっ!香奈恵!なんてこというのっ!ジンさん、ごめんなさいっ、ほんとあの子ったら・・・どうしたのかしら。」
「いいってことよ。スミエちゃんが気にすることじゃないさ。」ジンはニヤニヤ笑う。
「スミエちゃんだとぉ?」ガンタの足が水面下でジンを直撃したことは言うまでもない。「香奈恵の前で、2度と言うな。」
「あっ、いいのよ。ガンタさんまで。」心なしか寿美恵の顔は嬉しそうというよりも物憂げであった。食卓にシラケた空気が流れる。ユリがこそこそと渡に囁く。
「カナエ・・・いつからジンをアクマと認識したのか?」
「アクマには違いないんだけどね。」と首を傾げると真正面に座るジンを見た。
「ジンさん、今のどういう意味なの、香奈恵が寝たとか寝ないとかさ?」
渡はジンに詰め寄る。ジンは面映そうに鼻の頭をかいた。とても嬉しそうだ。
「いやさ、なんとなくの挨拶さね。・・・気にしなくていいよ。」
寿美恵が困惑顔で娘の出て行った先に視線を走らせる。後を追いたいが、飯田美咲の世話を子供と客に丸投げする訳にいかないといった感じだ。
「それにしても。」トラも渡にささやく。「香奈恵どの、なんか心配じゃの。」
「う・・ん」渡はユリ、ガンタ、ジン、うなだれた美咲の順番に目を走らせたが最期に妙に青い顔色の寿美恵を見て何も言わないことにした。
「ゴチソウ様だっ!ワタル、先に行くぞ。」
セイさんの奥さんの漬けた絶品のタクアンを最期に続けざまに口に放り込むとユリが勢い良く、立ち上がった。
「あっ、待ってよ、ユリちゃん。」渡はご飯の残りをかっこみ、最初からマイペースで食事を続けていたトラも箸を置いた。
「わしも、今日は調子が良さそうじゃから学校に行くかの。ここにいても邪魔になるだろうし。」もとよりインフルエンザは仮病なのだ。
こういう時は子供は得だよなとガンタは、出て行く小学生と小学生に成り済ましてる同僚を見送った。
「あんたも手伝ったらどうだい。」ガンタは寿美恵が新しく入れてくれたお茶を飲みながらジンに顎を向ける。
「そうさな。暇だから、手伝ってもいいさね。」
子供達が学校から帰るまで、1人であのお化け屋敷でも回ってみようかと考えていたジンであったがそう答える。あそこは色々とおかしなところがあった。1階から上に子供達を行かせなかったのはその為。どんな魔族が潜んでいるのかは知らないが、一度面通しをしておくつもりだ。物騒な相手かもしれず、自分一人の方が都合が良かったのだが、それは後回しでも一向に構わない。ジンとしては今回の旅館のトラブルに乗じて渡の回りに人間に少しでも恩を売って置きたかった。
「まあ、そんな。」「ジンさん、申し訳ありません。」
綾子と寿美恵が口々にジンを持ち上げるのを、ガンタはつまらなそうに見つめた。
俺だって、仕事あんのに。まあ、表の仕事の財務整理や在庫管理はあってないようなお体裁だけの仕事だけど。イリトに書く報告書だって、実際はたいした仕事ではない。
そんな浮かないガンタの表情にもいち早く、綾子が気が付く。
「ガンタさんもすみませんね。お仕事はいいの?」
「まあ、急ぐことでもないんで。」ガンタは多少、気を良くして答えた。
こういう人間の表情を読むのは渡の母ちゃんは実にうまいなといつも感心していた。
さすが、ユウリの血縁だ。
「二人とも・・・皆さんも・・・ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
会話を黙って聞いていた飯田美咲がテーブルに付くくらいに頭を下げた。
その為、ジンはまたも美咲の顔をはっきりと見ることはなかった。

スパイラルツウ-5-1

2010-05-17 | オリジナル小説

      5. ゆっくりと。そして、猟犬が走り出す



鈴木真由美は、隅々まで満ち足りていた。
発掘もあらかた、先が見えて来ている。縄文時代、中期。やや中規模の集落の跡と思えた。貴重な、鏃や石斧、土器の欠片などが沢山見つかった。
土の中から何かを掘り出す時の興奮が何より真由美は好きだった。この共通の感性が誠二と自分を強く結びつけた絆であることを彼女は知っている。
その遺跡は道路予定地にあり、一刻も早い調査が望まれていた。
今日、学生のうちの二人が帰って行った。ここにいるのもあと2日。
そう思いながら、膨らんだ臍回りをゆっくりと撫でていた。
ぽっこりとしたそれはまだどうにか服の下に隠せる。
勿論、締め付けるような服はもうずっと着ていない。
5ヶ月、安定期に入っていた。
寝る前の布団で腹の中の命に語りかける・・・それは密かな喜びだった。
このおかげで、岩田寿美恵と顔を合わせた時もまったく平静でいられたのだ。
相手の営業スマイルに宿泊客として平静に答えることも簡単だった。
宿では最初から発掘の話をしたわけではない。最初は大学のゼミのフィールドワークだと説明していた。
なんと言っても、4人のうち一番年かさは自分である。あとは学生なのは見ればわかる。自分が引率者であることが自ずと知れるのは承知の上だ。
早まる鼓動を押し隠しているとも知らず、真由美は一番たくさん寿美恵に話しかけた。挨拶に不慣れな学生達から自分から進んで、会話を引き取りもした。
初日に宿帳を持って現れた寿美恵が女将ではないことを知っていたのは自分だけだ。
寿美恵は女将ではないし,女将と結婚した男の妹に過ぎないのだと学生達に後で教えてあげた時の意地の悪い快感。それが寿美恵に対してずっと抱いていた罪悪感の裏返しに過ぎないということも真由美にはわかっている。
枕元の薄明かりに浮かび上がる梅の間の中を改めて見回す。
彼女がとても気に入ってしまったこの旅館はあの寿美恵のものではない。
今後も絶対に、寿美恵のものになることもない。
この旅館・・こじんまりしているが、想像していたよりは新しくて立派な旅館だった。清潔で調度も趣味が良い。食事もおいしくて量も的確だし、ほどよく手がかかっている。お風呂も脱衣所もハーブの香りが漂い、露天は小さいが山や星が望めた。若い学生達は屋内の個室風呂を好んだが真由美は毎日、露天に通っている。作業の腰の痛みとどんなに気をつけても爪や耳に入る土ぼこりや汗の垢を欠き落とす時、それらは堪え難い程の旨酒のように真由美の疲れた体全体に染み渡った。
汚れた作業着と着替えは宿からクリーニングに出せたし、細かな軍手や靴下、下着類は自分達で簡単に洗って、備え付けの個室風呂の乾燥にかければ翌朝にはもう乾いている。こんな上げ膳、据え膳の発掘作業なら女子学生でなくたって癖になってしまいそうだ。
真由美は自分の腹の中の命を再び、強く意識する。交際して15年、正式に結婚して9年・・・やっと授かった、もう誰にも文句を付けられない命。
旅館に女性陣が泊まることになったのは、この命の存在が大きかった。そうでなかったら、今までのように真由美も現場で寝泊まりすることを選んだだろう。
つわりがひどかった2、3ヶ月は事実、ろくな手伝いもできなかった。久しぶりの作業だって、真由美が強く希望しなかったら叶わなかっただろう。
誠二は心配していたし、危ぶんでもいた。発掘に参加するならば、真由美はどこかのホテルに泊まるということが条件だった。そして皮肉な事に、唯一近場で条件に合ったのがこの『竹本』だったのだ。そこに離婚した前妻がいることを知っていた誠二はもともと『竹本』を眼中に入れていなかった。その夫を説得したのは真由美だった。
我ながら悪趣味だと思ったが、寿美恵が現在どんな生活をしているのか知りたい気持ちがなかったとは言えない。
残りの女子学達を同宿させることに決めたのも真由美だった。自分が宿にいる間、他の女子学生と誠二が一緒に寝泊まりしているというのも嫌だったからだ。
「俺はもう40後半のおっさんだぞ。」と誠二は笑って真由美の心配を受け付けないのだが。真由美自身が問題にしなかったように、誠二が妻帯していてもモーションをかけてくる学生がいないと安心仕切ることはできなかった。
自分では意識していなかったが、かつて自分をあっさりと受け入れた誠二を・・・不倫していた男を自分はどこかで信頼できてなどいなかったのかもしれない・・・真由美はいつまでも、ぼんやりと天井を見つめていた。





香奈恵は自分が夢を見ているのを感じていた。
これは夢の中。
わかるのはそれだけ。
昼間、みんなで行った屋敷の前に自分は立っている。
『さあ、おいで。入っておいで。』
白い手が開いたドアの中から差し招く。
すると香奈恵の足は勝手にずんずんとそこへと進んで行く。
行きたくない、とどこかで思っている。
でも、これは夢だから・・・まあ、いいかとも思う。
中に入った感覚がある。香奈恵は昼間の記憶を辿る。
どこか違う。まあ、でもこれは夢だからと又思う。・・・こういうものかと。
そこは景色が水底のように歪んでいる。
床に横たわっているのは、鈴木真由美だった。
裸で、膨らんだ腹部が露になっている。うわっと嫌悪感を抱きながらも目が放せない。他人の体、しかも妊婦の身体をここまで露骨に見るのは始めてだった。露になった腹の下の濃い茂みといい、生々しすぎてグロテスクだと高校生の香奈恵は思う。横に流れた乳房が重みで垂れ下がりながらもどこか果実のように張っていて乳輪も乳首も大きく黒ずんで見える。今はまだ小振りのあの腹の中に自分と同じ命が宿っていると思うと不思議だった。成熟しきってない命の種と思う。
『ねえ』驚いて振り返ると、すぐ後ろに飯田美咲が立っていた。身体を押し付けて来るが、抵抗することができない。背中に押し付けられるぬくもりと丸い柔らかい二つの肉の感触から相手が裸だと感じる。昼間、香奈恵が強く感じた香織への嫌悪感が薄らいでいるのが我ながら不思議な気がしたが、思えば、相手は女の香奈恵でもつくづくと見とれるほどの美少女なのだ。勿論、シドさんとは比較にはならないけど・・・と頭の隅のどこかが『浮気者!しっかりしろ!』と、責めてくる・・・それが、すごく遠い昔の記憶のようだった。後ろから覗き込んで来る美咲の笑みも水底からの微笑みのようにおぼろで現実感がない。
やはりここが、夢だからだ。と、香奈恵は確信する。
背中からもたれかかるようにして、美咲が耳元で口を開く。
『いい気味じゃぁなぁい?』さっき、自分を呼んでいたのはこの声だと気が付く。
高らかに美咲が叫んだ。
『罰を与えてあげましょうよぉ。』
すると、黒い影がどこかから現れると真由美の肉体に覆いかぶさるのが見えた。
香奈恵はどこかの遠くで悲鳴をあげるが、その場の身体は痺れたように声も心も何もかもが動かない。
『赤ちゃんなんかぁ、流れてしまえばいいじゃないねぇ。』美咲が囁く。
香奈恵には刺激の強過ぎる光景だった。心臓が早鐘のように打つ。
意識のない真由美を犯し始めたのは、『富士の間』の客だった。神興一郎。その顔には香奈恵が見たこともない淫らで残忍な表情が浮かんでいる。
悪魔だと、香奈恵は思う。渡やユリが当てこすっていたのはこの為だったのだ。
この人が悪魔だったんだ。
足が震えた。しかし。
気が付くと、勃起した裸体の下に組敷かれ催促の声を上げて男に甘えているのは自分自身の母親であった。
寿美恵は涎を垂らしながら、神興一郎に下半身から絡み付いていく。あられもなかった。風呂場で何度も見慣れた母親の裸。
自分がこれを吸っていたのかと不思議に思った乳房が下に垂れ下がり、身体を動かす度に激しく揺さぶられている。見たくない。目をそらしたい。
でも、香奈恵の目は食い入るようにそれから目を離すことができない。
これは夢、なのに。下半身が熱くなる。
信じられない、自分の親の情事を見ているのにだ。
恥ずかしさで涙が出そうになる。香奈恵はハッと息を吸い、身体を固くする。
気が付くと美咲の手が自分の乳房を掴んでいたのだ。パジャマの中に手が差し入れられて、冷たい手が肌に触れて来る。撫で回すようにそれが肌を這う。鳥肌が立った。しかし、拒もうにも体は動かない。
じらすように円を描いた後に指先が乳首に触れて来て、それを掴んだ。
快楽よりも痛みの方が強かった。もう一つの手が自分の顎を横に引く。美咲の口が自分の口を吸う。女の唾が気持ち悪く、汚い、怖い。美咲は糸を引いて口を放すと、繁々と香奈恵の目を覗き込んだ。
『そういえば・・・あんた処女なのよね。』
美しい黒い瞳に香奈恵が写っている。それは青ざめて、怯えて震えている。
しかし、香奈恵の目にはそれらが写る余裕がない。
背景では今も寿美恵と神が絡み合っているその音が響いているからだ。男の荒い息づかい。やがて寿美恵が獣のような声を上げ始めた。泣くように呻く、おねだりと哀願の呻き。耳を塞ぎたかった。
香奈恵の目から涙が一筋、流れ落ちる。香奈恵は人形のようにただそれを感じているだけだ。身体の奥を火照らせたまま。
美咲が身を寄せ、そっと耳たぶを噛んだ。
その瞬間、始めて味わう感覚が全身をぞわぞわと嬲った。それに反応して、身体の奥がキュッと収縮するのがわかった。
『さぁて・・・次はあんたのお母さんを玩んだ、あの男に罰が当たる番・・楽しみにしていましょうよ・・・』
するりと、美咲の白い手が闇に溶けるように翻った。姿が消える。声だけが続く。
『あいつに罰があたったらさぁ・・・もっともっと気持ちよくしてあげる・・・約束する・・教えたげるよ、あたい、処女は男のより好きなのさ・・』
その声と歯の感覚が耳たぶに残ったまま、すべてが闇に飲まれた。
しかし。どこかから、微かに音がする。
足下に泣いている男がいた。それはもう、悲しそうにむせび泣いている。
香奈恵は男がこんな風に泣くのを見るのも始めてだった。
火照っていた、身体が冷やされるぐらいそれは哀切を極める声だった。
『レイコ、レイコ・・・』
慟哭が揺らぐように繰り返された。
香奈恵はその顔を見て、はっきりと驚きを覚えた。
「あなた・・・仙人・・・・?」
男が顔をあげる。髪は黒く、顔は若々しかった。
結構いい男じゃんと、つい心が思う。
『死んでしまった・・・私のせいだ・・・』
『もう、何も残っていない。誰も覚えていない。死にたいのに、死ねない・・』
死にたい死にたいと、嘆く男の顔には次第に深い皺が刻まれていく・・ああ、この人をこんな風にしたのは絶望なんだ・・・と、なんだか香奈恵にはすごくよくわかった気がした。





旅館『竹本』から鈴木真由美が消えたのは翌朝のことであった。
朝6時半、目が覚めた飯田美咲は隣の布団が空っぽであっても最初は気にしなかったという。露天風呂は朝の6時からやっている。ちょっと準備がバタバタになるが、入ろうと思えば入れないことはない。もしくは、その辺を軽く散歩でもしているのではないかと思っていたのだと、彼女はロビーに降りて来て綾子に相談した。
その時点で7時。通常なら身支度を終え朝食を食べている頃、その後はお弁当を受け取ってロビーで迎えの車が8時前に到着するのを待つのだった。
前日に4日間、発掘を一緒に続けていた4人のうちの2人が帰宅。宿泊6日の予定を最期まで残っていたのは、真由美と美咲の二人だけであった。
厨房に引っ込んだ綾子は調理場勝手口の内鍵が開いていたことを朝の5時には起きていた浩介から知らされる。祖父が下足を確認し、真由美の靴は残されているが客用サンダルが一組なくなっていることを発見した。これによって宿泊客はおそらく、自らの意志で出ていった可能性が高まったわけだが疑問が残る。
部屋に荷物が前日寝る前のままの状態で残されていたのだ。後で駐在さんが香織の見守る前で旅行鞄とハンドバックの中身を検分したところ、貴金属や銀行のカード、保健証等の貴重品(その中には布のカバーに包まれた真新しい母子手帳もあった)や現金の類いがすべて残されていた。さらに当日の発掘に出かける為の準備、枕元には作業用の服と下着がキチンと畳まれて置かれたままであった。
綾子が美咲から話を聞いた時に真由美が寝間着から着替えた形跡がないという点が何よりも彼女の非常警報を刺激していた。
そのことがなければ綾子も、欠伸を噛殺してばかりの白峰巡査を即座に呼ぶことはしなかっただろう。
鈴木真由美は寝間着のまま、『竹本』の浴衣の姿にサンダルのまま施錠されてはいないが[従業員以外立ち入りはご遠慮ください]と張り紙された厨房の中に入り、玄関が開かれる6時を待たずにおそらく午前5時よりも前に自ら裏口の鍵を開けて何処かに出て行ったまま、今だに帰って来ていないということなのである。
綾子は浩介と祖父に二言三言相談するなり、すぐさま駐在所に電話をした。
7時を少し過ぎていた。