MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラルツウ-4-4

2010-05-05 | オリジナル小説



彼は重い足を動かし続けていた。
また、戻って来てしまった・・・
何年も何度も捜し続けて、ここにはない、ここにはいないとわかっているのに。
かつて愛し合った人はもういない、たった1人ぼっちであるという思いが深くなるばかりであった。来るべきではなかった。年を追う度にもう心は折れそうであった。
それでも、ここに彼女がいる。どこかにいるはずだという思いが捨てきれない。
それは、根拠のない確信だった。ここをうろつけばうろつくほど・・・ここにいるという気持ちが高まっていく。そして捜せば捜す程、どこにもいないのだと言う思いも彼の心を蝕んで行く。
あれほど、幻聴であろう『声』に幾度も否定されて。
それこそが自分の内なる声。
とうとう本当に狂い始めているのだとしても。
彼女を見つけ出せないのならば、自分の存在価値などないも等しい。
残された生をその為に捧げる意外に彼にはもうできることなどないのだ。
各地をさすらった末にそれを何度も確認する。
だからまた、ここに戻って来た。
山の中の廃屋の前に再び、彼は立っていた。
この家の辺りが一番、想いが強い。なんでだろう。
彼女はここに特に縁があったわけでもないのに。
ここにあるのは彼女の腹違いの姉が嫁いでいた家の残骸に過ぎない。
二人は、仲が良かったわけではなかった。
妹はともかく。
仲が良いどころか、姉は妹を憎んでいた。妬んでいた・・・呪っていたかもしれない。その旦那と共に。姉は妹に手を差し伸べることを拒み、結果として妹の死を早めた・・・。そして自分は・・・それを防ぐ事ができなかった。自分の油断。
そしてたった一つの拠り所であったものも、失った。
なんという無力感。自分のできることはもう本当にないのか。
ここでこうして、次第に狂って行く以外に?。
絶望を重荷のように背負った男は背中を丸めて再び、窓の入り口から中に潜り込む。
埃が舞い上がり、嗅ぎ慣れたカビ臭い匂いがする。その薄暗さは彼を安心させた。
『おや・・・帰って来た・・・』
再び、物陰から囁く声がする。彼は暗がりに目が慣れるのを静かに待つ。
この『声』も帰っていたのか。この間は、つかの間消えていたのに。
目が慣れると床に自分や侵入者達の付けた泥の足跡が無数についているのが確認できたが、やはり誰もいはしない。『なぜ・・・あきらめないんだろう・・・』
姿の見えない崩れた階段の作る暗がりから声は囁いてくる。
『しつこいこと・・・お前には、絶対に見つからないのにね。』
「なんでだ。」思わず、始めて男は『声』に答えていた。
「見つからないはずはない。」思ったよりも大きい声が出た。
『彼女は私が持ってるのよ。』
「持ってる?何を?彼女の何をだ?」
男は自分が発狂する恐怖と戦いながら会話を続けた。
『あなたの愛おしい女のしゃれこうべ・・・』声が耳元でささやく。
『欲しいでしょう?』勿論、側に誰もいないことは男にも痛烈にわかっている。
「欲しい。」はっきりと自分の声が虚ろに響くのを男は聞いている。
その声は切望のあまり語尾が甲高い。
『手に入れる為なら、何をする?』耳に熱い息がかかる。
『あなたは何をしてくれるの?あなたはその為に・・なんでもするのかしら?』
「なんでもする・・・レイコ。レイコの為なら。」
もう一度、会いたい。別れの言葉もなかった・・・もう一度、話せたら。
権現山の仙人はとうとう耐え切れずに、頭を抱えて廃墟の真ん中にしゃがみ込んでいた。丸まった背中に静かな声がした。
「本当になんでもしてくれるの?」その声を聞いた仙人は弾けるように顔をあげる。
「レイコ・・・!」彼の喜びは確信に変わる。自分はとうとう気が狂ったのだ。
「私はずっと寂しかった・・・1人ぼっちで・・」
レイコと呼ばれた女はひっそりと笑うと寄り添う黒い影の中から歩み出た。




「でもなあ、ユリ達の思い違いじゃねえの。」
数日前に子供達が竜巻のように駆け抜けた山道に慎重に足を運ぶ集団がいる。
そのしんがりを行く、ガンタにはまだ信じられない。
「だってなんだか・・・だとしたら、すごく老けたんじゃないか?」
「そうそう、私もそう思った。確かさ、あの人って白髪なんか全然なかったじゃない。汚かったけど、髪も黒かったし背だって真っすぐ、ピーンって感じだったよね。さっき、見た感じじゃ、今じゃしょぼくれちゃって見る影もないってことになっちゃうよ。」香奈恵も並んで木の根を跨ぎながら、賛成する。
「でも、事実だもん。」
ユリが先頭に立つジンのすぐ後ろに続く。
「センニンにナニカがあったのかな。どう思う?アクマ。」
ジンは黙って肩をすくめる。そんなことは悪魔にもわからない。興味を持って追いかけていたならともかく。この3年、ジンは相変わらず渡のいる神月を遠巻きにしてチャンスを我慢強くひたすらに待っていただけなのだ。
懐疑組の筆頭は列の最後を歩く、ガンタと香奈恵。
間に挟まれた、渡とトラはどっちつかずの半信半疑組に分類される。
「この間、後ろ姿しか見てないからなぁ。」今更、渡は後悔している。
「わしはの次の日、確かに見たんじゃが。まったく、気が付きもしなかったの。60歳ぐらいの普通のおっさんじゃと思っただけじゃからの。」
首を振って、トラもしきりにぼやく。
「あの顔じゃと言われれば、そんな気にもなるが・・・どっちにしろ、仙人殿は前会った時は髪も髭もぼうぼうだったからの。」
「あれを全部、剃ったんだったら?。だったら、あり得るのかも。」
「実は髪も染めてたってこと?髭も?」
「・・・一夜にして白髪になることもあると言うからの。」

ガンタが空気を嗅ぐような仕草の後で、足を止めた。
「仙人らしき人物は、この間の廃墟に入っていったみたいだぞ。」
「みたいだぞって、なんでわかるのかな。」ジンが口の端を歪めて振り返る。
そしてガンタの肩の辺りにモヤモヤしたものがあることに、始めて気が付いた。
「おやおや。」
心地よい驚きと共にジンが眼をすがめるのを見て、ガンタは身を竦める。
「使い魔ってわけか。」何よりも退屈を嫌う悪魔に取っては、おもしろい展開である。「使い魔?」「ドラコって言うんだ。」「教えるなよ、渡。」
「ドラコ?ドラコって何よ、ガンタ。」「使い魔なんかじゃないからな、怒ってるぞ。」
「ガンタのペットだ。」「飼い主じゃなくて?」
「うるさいぞ、ユリ。余計な事言わなくていい。」
「ペットって・・どこにいるのよ?」香奈恵が不機嫌につぶやく。
渡がこっそりとトラに囁いた。
「どうしてジンさんには今まで見えなかったんだろね?」
思えば御堂山での出会いからドラコはガンタと共にいたのである。

(それはにょ)ガンタの肩から伸びた影が自ら渡に説明した。
(いるとこが違うのにょ。もともとドラコがいるのはワームホールにょ。ドラコは大きな次元にいると同時に、ガンちゃんの回りのエネルギーに隠れていたにょ。今は地球のミルフィーユの間に潜り込んでいるにょ。でも、悪魔の感知できる次元とは微妙にずらしてみたのにょ。隠密ドラコにょ。)
ここで、鯉のぼりは大きく反り返る。
(これはでっかいバラキにはできない技なのにゃ!ドラコだって、ワームドラゴンなのにょ!日々切磋琢磨進化してるのにょ、とっても偉いのにょ!)
この発言が聞こえるガンタは口をへの字に曲げ、顔をしかめた。
ユリは歩きながら笑いだし、トラと渡は顔を見合わせて互いに首を傾げた。
香奈恵だけがきょとんとし、居心地の悪さを覚えている。
デモンバルグが神興一郎の姿を取っていなかった時には、バラキはまったく掴めずドラコも気配しか辿ることはできなかった。逆に物理的な存在と化している今のジンのことは人間とまったく見分けがつかない。
渡やユリのような霊感があると言われる人間に感知されるようにと、ドラコの方が自分を近づけて行くことによって、ジンはようやくドラコの気配に気が付くようになったということらしかった。
「まったく、わからん話だのう・・・」
「私もだわよ。」ドラコの声が聞こえない香奈恵は違う意味で共感。
しばらく無言で草を踏む音が続いた。
「まあ、いいさ。」怪訝な顔でジンがもう一度、目をやるが、既にその影は悪魔の視界から消えていた。ドラコがいる場所をずらしたのだろう。ガンタは香奈恵が脇からしきりに覗き込む視線を他所に、何食わぬ顔で足を動かしている。
「宇宙人にも色々と秘密ありか。」
「宇宙人って?」
「地球人も宇宙人だって話だよ、香奈ねぇ。」
「ああ、そういう比喩ね。」
「比喩ねぇ。」ジンは小さく笑って前を向く。
「悪魔だって人間からみたら、宇宙人みたいなものだろ。」
「悪魔? 唐突・・・どうしたの、ガンタ、何の事?悪魔って???」
「世の中には、悪魔みたいな人間もいるってことだよ、香奈ねぇ。」
「ああ、形容詞みたいなもののこと?。で、誰が悪魔みたいなの? まさか、私のことじゃないわよね?」
「形容詞か、フン、形容詞だってさ、ジンさんよ。」
「聞こえてるよ。」
「やれやれ。」トラが最期にため息を付いた。ほだ木の並ぶ杉林は、下り道に入っている。大きな樫の巨木が見えて来た。
「また、あそこに行くのかの。どうも気が進まぬのう。」
トラにとっては自分が何も感じられなかった不可解な場所、よって不気味な場所なのである。(ドラコに任せるにょ!)「わしとガンタはお前だけが頼りじゃ。」
ドラコの気配にジンは後ろ髪がザワザワすることに気が付いたが、何も言わなかった。


その頃、旅館『竹本』の富士の間で寿美恵がえらい腹を立てていた。
名目上は、泊まり客の神さんに頼まれて近隣の伝承を集めた本を図書館で借りて届けに来たということにしている。しかし、その本心は個人的にむかつく出来事があったので泊まり客を誘ってドライブにでも行こうかと思った為であった。
ここ数日は梅の間と富士の間だけしか客はいない。夕餉までの僅かな数時間は、寿美恵にとって自由時間である。
なのに、寿美恵が退屈しないいい男だと現在ぞっこん?の神興一郎は残念ながら留守であった。
なんでも綾子の話では、ガンタや子供達と出かけたらしい。
寿美恵はがっかりしてしまった。
本当はいけないことであったが、富士の間の座布団に腰を下ろすとため息を付く。
身一つでフラリとやってきたジンである。荷物は小さなディバックだけで、身の回りはキチンとし過ぎるぐらいに片付いている。
勿論、寿美恵だっていくら乗りがいいとはいえ、この泊まり客と本気でどうにかしようとか、どうにかなるとかとは思ってはいない。
過去にはそういうこともあったが。公にはできないことだ。
母屋の自室にはこの間から、返事を迷っているお見合い写真がまだ置いてある。
セイさんの奥さんから持ち込まれた話で、断りづらい。仲人趣味の奥さんに辟易としている、旦那のセイさんからは断っちまっていいと言われている。
ただ、寿美恵にだって本当はもうわかっている。
いい男ばかり、追いかけるそんな年齢では自分はもうないのだと。
そしてそんな自分の面食いのせいで過去、いつも幸せを逃してきていたのだと。
そもそも最初の結婚から。
香奈恵の父親である誠二は彫りが深く顔立ちが良いうえに哲学者のような知的な風貌が漂っていて、寿美恵の一目惚れであった。親のコネと地道な情報収集、加えて奥手の相手に反撃を許さない猛アタックと既成事実&強引親披露でもって押しに押し、結婚まではとんとん拍子にこぎ着けた。寿美恵がはたと素面になり、相手の気持ちを考えたのは・・・果たして誠二の趣味嗜好に自分があっていたのかどうかなどとフト思った時には、既に二人は結婚した後でありお腹には最初の子供がいた。
その妊娠中から、誠二の浮気が発覚し始めたのだった。
苦い思い出である。自分から離婚を切り出し三行半を突きつけたように見えるが、実は自分の方が捨てられたのだと言う思いがどこかにある。
結局、自分は誠二にとって共に人生を歩むパートナーとしては役不足だったのだ。
彼が自ら選んだ相手が、考古学の彼のゼミの教え子で発掘のパートナーであったことがそれを如実に現していた。
離婚した後で、自分は誠二を本当には愛していなかったのだということを寿美恵はもう思い知らされている。
誠二は自分をうっとりとさせる顔、そんな記号でしかなかったのだ。
寿美恵はため息をつく。
同じ間違いをまたするつもりなのか。しかも、10歳も年下の相手に。
本をテーブルに重ねて置くと寿美恵は立ち上がった。ここに来るのも控えなくてはなるまい。娘の香奈恵だって、もう色々なことがわかる年頃だ。
それなのに。疫病神の鈴木真由美め。寿美恵は唇を噛んだ。
それよりも、不可解で不愉快なのはその情報を自分に伝えて来た女。
飯田とかいう真由美と同じ部屋の女だった。
ああいう手合いは理解に苦しむ。おそらく、真由美に含むところでもあるのだろう。
まさか、又誠二が・・・?
どっちにしろ、飯田とか言う女にもキッチリ言ってやったようにもう、自分には関係ない話だ。もしも仮に、誠二が真由美を裏切ったのだとしても、真由美をいい気味だとも思わない。それはもう過去の遠い話なのだ。
なぜ、それがわからないのか。
寿美恵としては、鈴木真由美にまったく気づかなかった自分をむしろ誉めてやりたいくらいだった。
既に古い傷跡となっていた証なのだから。腹立たしいのは、ずうずうしい元の夫の方だが、女性達を野宿させるのが忍びなくて一番近いこの旅館を選ぶしかなかったのだと思えば理解もできた。むしろ、日頃お世話になっている『竹本』の為には本当にありがたいと思える部分もある。この年月は無駄ではなかった。そんな風に考えられるようになった自分は、あれから随分と大人になったのだなと寿美恵はしみじみと年月を振り返った。
なんと言ったって、誠二と言う男は発掘さえとどこおりなく済みさえすればご機嫌な男なのだ。そんな職人的な誠二の気質を結婚していた当時の寿美恵はまったく理解しなかった。理解しようともしなかったと言っていい。少しでも、仕事が伸びれば、帰りが遅くなれば毎日うるさく電話して責め立てて・・・そんなカビ臭い仕事と家庭のどっちが大事なのかとか、今思い返せば顔が赤くなるような罵詈雑言を浴びせかけていたわけで・・・嫌われるのも当然かもしれない。
もしも寿美恵が彼の趣味でもあり生涯の仕事と思っている考古学に少しでも理解を示し、安心して機嫌良く発掘できるような環境を自宅に作り上げてやっていれば誠二も家に寄り付かなくなることもなく、浮気することもなく二人の結婚生活はもっと続いていたのかもしれなかった。
寿美恵はともかく、富士の間を出ると鍵をかけた。今、客は誰もいない。
何かこんな気分を吹き飛ばすものを見つけなくては。
兄の浩介には悪いが、寿美恵の足はカラオケのある宴会場へと自然に向いて行った。

スパイラルツウ-4-3

2010-05-05 | オリジナル小説

その男の選んだ道の先にある神月の阿牛邸ではある奇妙な現象が奇妙な面々によって見守られようとしていた。

「見て。」ユリがたいへん緊張した面持ちで、2階から玄関エントランスへと降りて来る階段を見つめていた。
『見て』と言われた他の面々、渡とトラ、そして悪魔と呼ばれる神興一郎は促されるままに一列に並んだままその階段を見ている。
かつてその現象に遭遇したものの今だに何も見ることのできないガンタは無言でその間抜けにも見えるずらりと並んだメンツから少し距離を置いて立っていた。
見える人には見えていたが、ガンタの肩から頭へと蛇のように絡み付いているのはワームドラゴンのドラコである。
ドラコも野次馬ならぬヤジドラと化して再度参戦、参加している。
「来た・・・」ユリが渡の手をギュッと握る。
トラには何も見えなかった。この間の廃屋で起きた出来事とまったく同じ、無力感がこの宇宙のエリート、宇宙人類ニュートロンのプライドをいたく傷つけていた。
『わからぬのう・・・』しばし、自分をこの部隊に選抜したイリト・ヴェガを恨みつつため息を付く。『何もあるはずないという先入観がいけないのかもの』
ガンダルファはドラコを通して揺らめく空気の固まりを今度は感知することが出来た。これ以上はまなじりが切れるかと自分でも思うぐらいに目を見開いていた。その陽炎のような揺らめきに、かつて恋した少女の面影を捜して。
そして、渡とユリの目にはおぼろな影・・・女性のように見える・・・白い裸足の足先がつかの間、閃いて歩み消える・・・を見て取ることができた。
そして。
人ならぬ、魔性、デモンバルグである神興一郎の目には・・・。
空間の裂け目から突然に現れた鮮明な映像。
ジンは食い入るようにそれに魅入られた。
それは1人の女性だった。その女性の面影にジンは記憶を呼び覚まされる。
美貌と言っていい女だった。白い着物に日の袴・・・巫女の装束に身を包んでいる。長い髪を乱したままの人形のように整った面には一切の表情がない。
目は虚ろであった。何も写ってはいまい。そして女の手に肩に美しい金色に輝く光の糸がまとわりついている。
その巫女の装束のせいであろうか。記憶がデモンバルグの封印を揺さぶった。
この女・・・見たことがある?
いや、違う。しかし、已然としてその感覚は消えなかった。
この女ではない。似た女だ。いったい、どこで?
「そうさね・・・巫女さんさね?」
ジンはやっと声に出して呟いた。
その声はガンタも渡もうっかりしていたら聞き逃すほどに小さかったのだ。
「巫女?」ガンタは見開きすぎて乾いた瞼を瞬いた。
「そんな細かいとこまでよくわかるな。」(さすが、悪魔はすごいにょ。)
「ねぇ、巫女さんって・・・それってきっとじいちゃんの叔母さんだよね!」
思わずこだわりを忘れて渡は直接、ジンに話しかける。珍しくユリも睨んだりしなかったのだが、肝心の悪魔は放心しているようだった。
「まちがいないよ。ねぇ、ユリちゃん!」
「・・・そだな。」ユリには心のうちにもう一つの名前があったのだが、それを口に出すのははばかられた。その名は・・・母と言う存在は・・・その胎内を通して誕生した訳ではないユリにとっては口に出すのももったいないような、複雑な思いにかられるのだった。(自分がどうやって誕生したのかは早い時期にアギュの細心の注意と愛情を払った丁寧な説明によって、既に知っていた。ニュートロンであるタトラ達などはむしろ人工的、機械がかりな産まれと育ちの方が当然の常識であったのだから、ユリの抱いた感情は心配されたよりもずっと浅いものだった。)
ユリが見たかったもの、ユリが気にしていたのはジンの反応だけである。
そのジンの様子にユリはいぶかし気な視線を投げる。
「・・・ジンはどう思った?見えたんだろ?」声は慎重であった。
ジンはフッと力を抜いた。ジンの見つめていた女の幻は壁の先へ、もう一つの裂け目へと吸い込まれるように消えて行った。
「・・・戦時中さね・・・」
感じ取ったことの一端をもらしながら、ジンは先ほどの面影に目の前の少女を重ねた。巫女装束の女性の青ざめた顔には、目の前のユリにある強い生命力は微塵もない。しかし、間違いなく強い血縁を感じさせた。
まさか悪魔が苦手だと感じる女性達特有の共通点というわけではあるまい。
そんな馬鹿な。
口の片側で笑いジンは額の冷たい汗を拭った。悪魔が冷や汗をかくなどと。

「僕の大大叔母さんなんだよ。」渡がもう一度、繰り返した。「ねえ、さっき始めて知ったんだけど。あの人ってユリのおばあちゃんなんだって?僕ら、そうなると・・・はとこなの?はとはとこ?」
「はとはとこはないだろ?親戚ってことだ。」ガンタが訂正する。
「お前らさ、つまり・・親戚ってこと? 宇宙人と・・・この渡が親戚?」
「宇宙人じゃないよ。」「ウチュウジン違う!」同時に渡とユリ。
「・・・同じ人類なんだ。」ガンタが呟いた。
「話せば長くなるから短くまとめるとだ。俺らとここの人類はさ、こっちとあっち・・・育った場所が違うだけで根っこが同じなんだ。」
「へーぇ、ふーん、ほんとにそうなのかい?」ジンはあくまで疑う姿勢。
「俺にはおまえらはおいしくないんだけどさ。」
「おいしくてたまるか。」
「とにかく、」渡がユリの手を掴む。
「僕らは親戚なの!あの人は、僕にとっても関係ある人、大事な人なんだからね!」
じいちゃんに会わせてやりたい、と渡は思う。初恋の人だ、じいちゃんは泣いてしまうんじゃないかしらん。
「正確に言うとの・・・ユリ殿は渡の叔母さんになるのではないかの。曾祖父さんの兄弟の孫だからの。渡は曾孫だし。」
「オバサン?!」二人は大きな声を合わせる。「オバサンだって!」
渡はおもしろがったが、ユリにはおおいに気に入らないらしい。
「そんなことより、アクマ、だ!」足をドンと鳴らす。
「ジンが見たのはミコさんだけなのか?」
「他にいなくちゃいけないのか?」逆にジンは聞き返す。
「俺が見たところ1人だけに見えたが。」
「能力ねえなあ。」ガンタがブーイングする。
「もう一人、いるんだってよ。ユリちゃんに言わせると。ユウリって、ユリちゃんのお母ちゃんだよ。」
「知らんよ。」ジンは肩を竦めた。「まあ、悪魔に多くを期待するもんじゃないさね。」
「ユリのお母さんは宇宙に行ってたんだね。すごいなあ。もっと早く教えてくれれば良かったのに。阿牛さんが話ちゃいけないって言ってたの?」
渡はユリをそっと振り返る。
ユリは悲しそうに首を振った。「そじゃない・・」だけど。
「前言ってた、秘密ってこれだよね?死んでるけど・・・死んでないって・・・お母さんのことなんだ?」ユリは無言でコックンとうなづく。
この話題になると爆裂はしないんだな、とジンはユリの一面を心に留める。
しかしすかさず、爆裂よりも冷ややかな氷の視線が向けられた。
「アクマ、役立たず・・・」
「失礼さね。失礼極まるさね。」
ジンは再び自分の記憶に立ち返る。しかし、進展は見られなかった。
「・・・いつもこの時間に現れるってわけさね?」
「ううん。いつもここと・・・ここを彷徨ってるカンジだ。」
ユリは階段の上から下を指差す。その線はジンが確認した空間の裂け目、玄関の敷居辺りで消えている。渡が首を傾げる。
「それって・・ぐるぐる回ってるってこと?」
「時間は決まってないんだろ。」ガンタが口を挟む。「俺なんか、何回もここで気を付けてみていたら段々、前よりは感じるようになって来たんだ。タトラも精進すればいまにもっと感じるようになるんじゃないかな。」
「なるほどのう」タトラは残念そうにまだ階段を上から下へと何度も視線を走らせていた。「せっかくなんだから、ぜひ見てみたいものだの。」
「で、どうなんだ?アクマ。」ユリも最初程の勢いはなかった。
「うーん。」ジンはやっと眉間から手を放した。「なんか記憶が・・過去の一部がここに刷り込まれているみたいだな・・・亡くなったのはここだっけ?」
「ここじゃないよ。」口々に声が上がる。
「死んだのは神社の跡地だって聞いたよ。」「死体も見付からなかったらしいの。」
「軍隊がどこかに運び去ったとか。」
「殺されたって聞いたけど。」ガンタの爆弾にみんなが黙る。
「ユウリが・・・ユリの母ちゃんから直接聞いた話だと・・・巫女さんだった母親は誰かに殺されてユウリは他の誰かによって逃がされたんだって言ってたんだ。」
「役立たず。お前の情報だって漠然としてるさ。」ジンはため息を付く。
「まず・・・その叔母さんのフルネームはなんて言うんさ。」
「神代麗子。大大叔母さんはレイコっていうんだ。死んだのは確か28歳。」
「9人兄弟の末っ子で母親が他の兄弟と違うのじゃ。竹本の家から、養子に行って神代神社の巫女を継いだらしいの。」
「なんか、複雑さね。誰か当時のことを知ってる人とかいないんかさ。」
「もう60年以上は前のことだし・・・」ガンタは唸る。「当時の人って言っても・・渡のじいちゃんなんか子供だったわけだしなぁ。この月城村の中でも、当事者はほとんど死んでんじゃないの?」
「ナァ!」ユリが躊躇いがちに声をあげた。「ガンタ・・・その人の・・・そのカアサンの・・・アタシのオジイサン・・・には・・ほんとにもう何も聞けないのかな?」「う・・・ん」ガンタの唸りがさらに大きくなる。「実は・・・アギュから聞いたとは思うんだけど。ユウリのお父ちゃんは・・・行方不明なんだよ。」
問い合わせた先からは死んだんじゃないかという回答が帰って来たとは言えなかった。遺伝子保存法を破り、派遣されたこの果ての地球で未分類の人類と子供を作ったユリの父親はオリオンの中枢にある特別な監獄で自分が囚われる一因でもあった愛娘の訃報を聞いたはずだ。彼の罪はその娘の消滅によって減刑になり、即時解放となった。任務を永久に解かれて特権もすべて奪われ故郷に護送されたそのあとに、その男は脱出をはかり失敗し行方知れずになったと見られている。警備隊の追跡部隊は故郷の太陽系の別惑星の軌道に破壊された船の残骸を発見している。ゆうりの父親の乗っていたと見られる旧式の船はワープ航法の途中で破損しバラバラに砕けて異次元から投げ出されたのに違いなかった。遺体等とも言えない極少量の人体の破片が回収されたが、爆発の衝撃と熱にさらされた上に宇宙線と絶対零度によって細胞が完全に破壊されていて特定の人物であるのか、ないのかと言った複雑な鑑定は不可能であった。わかったのは確かに人類らしき生物の肉と骨の成れの果てではないかと言うことだけであった。
「そうなると・・・そうさなぁ。」ジンは顎をこすった。「どうしてこの場所に記憶が傷を残したのかも調べる必要があるが・・・その亡くなったという場所にも行ってみるさね。遺体もないんじゃあ、それも捜す必要もあるしね。」
「御堂山に葬られたって噂もあるんだ。」渡が咳き込むように「ねぇ、ジンの力でさ、
なんとか、見つけられないの?」
ジンは3年前を思い返す。あの山は、中腹や沢に2、3歪んだ場所があったような気がする。あの時は特に関係なかったので、くわしく調べてもないし近寄ってもいない。地中に葬られた遺体があるのならば、自分だったら調べようと思ったら雑作もないことだ。
邪魔者は多数だが、長年追って来た今は渡となっている魂と行動を共にするのは久しぶりである。爆裂ユリが睨もうが、渡と眼を合わせると自然に顔がほころんで来るのは防ぎ用がなかった。
「なんとか、その・・・やってみるさね。」
期待に満ちた渡のうなずきに久しぶりにジンは充実感を覚える。
「とりあえずは・・まず、その神社跡へ行くとして・・・この空間がどこをリンクしているのか、捜してみるとするか。」



総勢、5人。普通の人が見たところ、大人二人、子供3人は阿牛邸を出た。
そこでバッタリと出会ったのが、香奈恵である。
「あー、どうしたの?みんな!」香奈恵は手を振って駆け寄り、門扉の前で合流した。「揃ってどこ行くのよ、ずる~い。」チラリとジンに眼を走らせたのは言うまでもない。「ねぇ、観光?ジンさんを案内してるんだ~名所巡り?でしょ?」
4人がちょっと説明に詰まったところで、ジンが如才なく応答する。
「そうさ。これから、御堂山に行くつもりなんさ。君は・・・噂に聞く、香奈恵ちゃんさね?」
「私の名前知ってたんだ~!うっれし~!」
寿美恵からに決まってる。どんな噂なんだかと思ったが、顔が赤くなった。
「ママリンがいつも、お世話になっています。」
お世話と言うのもなんだが、と更に顔が赤くなる。寿美恵のことをなんだと思っているのか、問いただすいい機会かもしれない。飯田美咲のことは意識的に黙殺。
「君もお母さんに似て、美人さんさね。」
「やっだー!」
回りの外野、特にユリの眼が細くなって来たのに香奈恵は気が付かない。
「お前も面食いなのは、寿美恵さん譲りだな~」とガンタがボソリ。
「うるさいぞ、ガンタ!」
「香奈恵はさぁ、勉強だろ?家にも帰らないで、何、こんなとこうろついてんだよ。」
「あ、そうそう!」思い出してキョロキョロする香奈恵。
「ナニ、どうした?なんか、あったのか?」
「私さぁ、尾行して来たんだよね。」香奈恵は峠に続く道を指差した。
「尾行?」
「香奈ねぇ、誰をだよ。」
「それは穏やかではないのう。」
「ほら、この間、うちに泊まった浮浪者じゃなくて、遭難者・・・」
「あの男がどうしたんだ?」ガンタとジンの声が重なる。ジンの方がやや鋭い。
「まだ、この辺にいるのか?」
「いるのよ。さっき、村をフラフラしてて。」香奈恵が声を潜める。
「おかしいでしょ?だから、私追って来たんだ。また、遭難されてもなんだし。」
「確かにおかしいのう。」トラが香奈恵の意を理解するや、道に足を踏み出す。
「そもそもいったいなんだって、この土地に来たんかの?釣り客でも登山客でもないのにの。命からがら救助されて、又もやノコノコやって来るとは・・・」
「確か、横浜からよ。」香奈恵が補足する。「それに又、荷物とかなんにも持ってないの。いったい、どうやって来たのかしら?日帰りに来るのも変じゃない?」
「おい!アタシ達は、御堂山に行くんだろ?」ユリが峠に歩き出した全員に苛立つ。
「どっち行くんだよ。」ジンの手を思わず、掴んだ。
「アクマ、旅行者なんてどうでもいいだろ?」
「おや、そうかい?」1人、ずっと無言だったジンが振り返る。口元には馬鹿にしたような笑いが張り付いている。「御堂山はいつでも行けるだろ。なぁ、お嬢ちゃん。」
「あ、でも確かにそうだけど・・・ジン、ユリちゃんの用事の方だって大切だよ。」
渡が足を止め、振り帰った。自然に呼び捨てにしているが、気が付かない。
「なんだ、お前も、気がつかないの?そりゃ、残念さね。」ジンが声を落とす。
「特にお転婆はもうとっくに気が付いてると思ったのにさ。」
ユリは一瞬、不信な顔をするがすぐにマジになる。
「やっぱりそうか・・・!あいつ・・・会ったことあるか?」
「えっ?誰々?」
「ちょっと様子が変わったけどさ。あいつはこう呼ばれていたさ・・」
ジンが得意そうに口を開く。
「権現山の仙人とさ。」

スパイラルツウ-4-2

2010-05-05 | オリジナル小説

「ごめんなさい。」若い女が華やかな声で謝る。
まず、背が高いなというのが第一印象だった。香奈恵は160センチあったが、見下ろされるのは好きではない。
銀の鋲が羽の模様を胸に形づくる華やかな色彩のパーカー、この辺ではあまり見かけない。セレブ風ファッションというのだろうか。Gパンのカットも狭く複雑な加工、煌めく縁取りが豪華だ。靴も香奈恵が通販雑誌でチェックしたような流行の形。色は銀色。同じ色のバック。
それだけを見て取ると、香奈恵は旅行者にまちがいないと判断した。
黙って頭を下げてやり過ごそうとすると女が呼び止めてきた。
「あなた、竹本旅館の娘さんよね。」
怪訝に思い顔をあげ、香奈恵は軽く驚いた。とびきりの美人だってことは女の香奈恵にだってわかる。こんなあか抜けた女はなかなかいない。まして、この月城村に。ちょっと化粧が濃いがこんなのは最近の流行で許容範囲内だ。ただ髪は今時にしては珍しく、黒く長くてまっすぐで完璧な卵形の顔の両脇からたらしている。香奈恵は思わず魅入ってしまう。テレビで見た女優さんみたい。そんな既視感があるが、絶対に知らない顔なのはまちがいなかった。
「ほら、竹本旅館にね、」女はしきりに思い出させようとする。「私も泊まってるのよ。私は、飯田美咲。さっきここに一緒にいた人、鈴木さんでしょ? ほら私はさ、鈴木さんと一緒に泊ってるうちの1人・・・わかる?」
ああ~、と香奈恵はお愛想の声を出す。
鈴木真由美は4人連れで1部屋に泊まっている。そう言われれば、なんとなく見覚えがあるような気がした。しかし、こんな美人がまったく印象に残ってないなんて不思議な気がした。確かに初日は、真由美にしか全神経を集中していなかったし、後は梅の間の客達にはあまり会わないように、見ないようにしていたのだから仕方がないのかもそれない。でもそのせいで着こなし見本のようなこんなファッションモデルを見逃すなんて、ちょっともったいなかったかもなと香奈恵は思った。
ほんとじいちゃんじゃないけど、まったく目の保養だよ、これは。
そんな香奈恵の心情を見透かすかのように女が小さく笑った気がしたが気のせいだろうか。ここで相手は急に馴れ馴れしくなる。
「ねぇねえ、今ちょっと偶然、小耳に挟んじゃったんだけど、あなたって鈴木先生のお嬢さんなのよね、それってほんと?」
偶然、小耳って?本当かよと、香奈恵はちょっと用心深くうなづいた。
ただ、頭はまだ相手の外見が与えたショックに酔っている。頬が熱い。
「まあ、戸籍上ですけど・・・」
「私はさあ、先生の教え子なの。今はさあ、発掘の手伝いをやってるわけなのよね。」
「・・・知ってます。」
急に不安がわき上がって来た。こんな美人が教え子で、発掘手伝ってて、大丈夫なのか誠二?。浮気者の残念なおやじ。安心仕切ったような真由美の顔が苦痛と共に甦る・・・まさか、ねぇ?子供産まれるってんだから。
幸いなことに、誠二の過去の浮気がいずれも寿美恵の妊娠期間中だったことまでは香奈恵はしらない。
「ねえ、あの旅館の女将さんって、先生の離婚した奥さんなんでしょ?きれいな人だよね、あなたのお母さんって。なんで先生と離婚しちゃったのかしら?、信じられないんですけど。私は、鈴木先生が離婚した時にはさあ、まだ大学にいなかったの。考古学ゼミを取って始めて知ったんだけど、その時には真由美さんが助手でもういましたから。真由美さんて、面倒見はいいんだけど、先生とちょっと二人で話してたりすると、すごい目で睨んでくるからうざいって言うかやりづらいのよね。先輩達の間にも色んな噂が流れていてさ。ねえ、ずばり聞くけれど、先生が離婚したのってさ、やっぱり今の真由美さんとの不倫だったわけでしょ?違う?あっ、いいのよ、安心してくれて。私はあなたの味方なんだからね。」
美咲の赤裸々な言葉とあけすけな質問に香奈恵は混乱した。こんな話し方はこの絵に描いたような美人には似合うはずもない。美咲は婉然と笑いかけたが、その笑いにもどういうわけか媚を感じた。どうしてこの人が私に媚びてくるんだろう。
香奈恵はわき上がる疑問の嵐と共に強い嫌悪感を覚える。
「あなた、あの人嫌いでしょ? だったら、私とおんなじ。幸せな家庭を崩壊させた嫌な女ですものね。いっそ、消えてくれた方がいいと思ってるでしょ? 私にはわかったわ。だってさっき、あなたのあんな表情を見たら誰だってわかるわよね。わからないのは自分勝手で超鈍いあの人ぐらいよ。自分が妊娠したって、あなたに向かって勝ち誇ってどういうつもりよね? きっとあなたからお母さんに伝わるのを期待してるんだわ。そんな話聞かされたらばもう、あなただってあの人のお腹の中の子供も大嫌いになるしかないわよね?。」
先ほどの自分の気持ちを驚くほど正確に言い当てられて、香奈恵が感じたのは押し付けがましいこの共感者への恥辱と怒りだった。顔に血が登るのがわかる。
香奈恵に作用していた美咲の魅力は、急速に薄れていった。

「ところでさ、あと一つ疑問なんだけど。」怒りで言葉を失う香奈恵に気づいたのか気づかないのか、美咲はここで急に話題を変えた。「あなたのお母さんって、富士の間の人とどういう関係なのかしら? 疑問なんですけど。」
ドキリとした。この問題も、香奈恵自身あまり触れられたくない。
「あの人、すごくかっこいいじゃない。私達、ちょっと興味あんのよね。でも、いつも女将さんが部屋にいるじゃない? まさか一緒にご飯、食べてたりするの? そういうのって、もう、付き合ってるってことなのかしら? 私、どうしても知りたいんですけど。今日、帰った友達からも頼まれているんですよ。」
香奈恵はどうにか美咲の美しい顔から目を反らすことに成功した。でも、追いかけるように美咲の視線は追いかけて来た。
「でも、あの男も軽い男よね。あの人、私達にも東京に帰ったら一緒に会わないかとか誘ってるのよ。あなたのお母さんをどういうつもりで口説いてるのかしらね。遊ばれないように、あなたがちゃんと見張らなくちゃいけないんじゃないかしら。」
今や、香奈恵の疑惑は確信に変わっていた。この人って見かけは本当に素晴らしいけれど、中身はちょっと嫌な性格なだ。やはり天は二物を与えていなかったのだ!と、心のどこかで意地の悪い勝利感。真由美も嫌いだが、こいつも嫌い。いくら奇麗だってお客さんだって、もうこれ以上の詮索は我慢の限界だった。
どっちみち、親の離婚の経緯にしても母親の男関係にしても香奈恵に答えられるものではないのだ。
もう美咲には、返事はしないことに決めた。

「失礼します!」断固とした声で視線を振り払うと、鼻息荒く足を踏み鳴らし真っ赤な頬で香奈恵は裏道を突き進んだ。
美咲が笑いを押し殺したような気配が感じられたのは気のせいだろうか。
鈴木真由美よりは歳若い分、押しが弱いのか追ってまでは来なかった。
美咲へ感じた急激な好意の反動で、香奈恵にはたまらなく不愉快な後味が残る。
かなり進んでからもう行ったかと、振り返ると飯田美咲はまだそこに立ってこちらを見ていた。
どうにか笑顔を取り繕って会釈をする。
それを待ち構えたように相手は何事もなかったかのようにニコリと笑い、手を振って踵を返した。自分の言葉が香奈恵に与えた不愉快を自覚しているのか。
なんなんだ、なんだか気持ち悪い。その上、スタイルも完璧で抜群ではないか。
その後ろ姿に、香奈恵は忌々しく思う。
オヤジや鈴木真由美とどういう関係で、どう思って一緒に作業しているのかはしらないが、香奈恵には関係ない。関わりにもなりなくなかった。私の味方だって?そんな安っぽい言葉で私の信頼が勝ち取れると思ったのなら馬鹿にされたもんだ。
神興一郎とか言う、富士の間の客に興味があるなら勝手にアタックすればいいのだ。あんな美人に言いよられたら、男なら絶対に悪い気はしないはずだ。寿美恵だって美人と言われるが、あんなすごいデルモもどきの敵ではない。寿美恵は美咲の母親といっていい年齢なのだ。どっちがお似合いと言われたらひとたまりもない。そこまで考えると香奈恵は急に母親が可哀想になった。ジンさんは確かにかっこいい。面食いの寿美恵のことだ、今回も悪い癖がつい、出たのに決まってる。
寿美恵が特定の客に馴れ馴れしかったことは、過去に何度かあった。
でも、旅館の評判を傷つけるような、それ以上の問題を与えたことはないと香奈恵は信じている。
香奈恵は役場で見た見合い相手の姿をぼんやりと悲しく思い出した。どんなにママリンが面食いだったとしても、40歳を越えた寿美恵に紹介されるのはああいう中年の独り者か、再婚の後添いしかないのだろう。・・田中さんがそう話していたから。
そうもう、それがお似合いだと、誰もが思ってるのだ。
なんだか、どんどん悲しくなってくる。
あの客も客だ。1人で寂しいからってママリンに晩酌の相手を頼むなんて。エントランスにあるちょっとしたカウンターで就寝前に二人でよくグラスを傾けてたりするが、どういうつもりなんだろう。カウンターだって、浩介おじさんがいるし厨房からも丸見えだし。1人で寂しいなら1人で旅行なんかするなっての。ガンタとかと親しいのかとも思ったけど・・・そうでもないらしいし。ひょっとして、マザコンなのかもしれない。それにしたって、断らない母も母だ。綾子おばさんやおじいちゃんが内心、どう思っているのだろうかと香奈恵は苦い気持ちになる。
役場の人ももっさりしてて嫌だが、私と付き合ってもおかしくないようなあんな若いお父さんも嫌だな。
香奈恵は再びズンズンと当てもなく歩き出した。
友人のアキラの家が近いが、彼女は今日はピアノの塾に・・・ピアノ教室の個人授業に大月に行って留守のはずだ。音大を受けるから、香奈恵とは進路が違うのだ。香奈恵は頭を巡らす。
しばらく行ってなかったが、村はずれの親戚のおばさんのとこにまで行ってみるか。
今日はもう夕方まで家には帰る気がしない。旅館と同じ竹本姓のおばさんは竹本にも野菜を提供している。正月ぐらいしか親戚の家に顔を出さない香奈恵が1人で挨拶に現れたら、びっくりするだろう。でも話好きなおばさんは子供も好きで子供からも好かれている。香奈恵が急に来ても嫌がらない自信があった。運が良ければお茶とお菓子ぐらいはありつけるだろう。
学校帰りの鞄と手提げをもったまま、香奈恵はやけくそで足を速めた。

消防団の倉庫と半鐘の前を過ぎたところで、香奈恵は前方をフラフラ歩く男の後ろ姿に気が付く。
香奈恵は立ち止まった。
あれは、先日うちに泊まった遭難者ではないか?
『竹本』に泊まった翌日、あの男は早朝に迎えに来た駐在さんに引き取られ帰っていったが、どうやら無事に自宅に戻れたらしく宿泊料を書留で送って来たはずだ。駐在さんに借りた電車賃も律儀に送って来たと聞いた。
確か・・・住所は横浜だったはず。
その横浜に帰ったはずの男がなんでまた、月城村をウロウロしているのだろう。
香奈恵は不信に思う。なんだか様子が変であった。
始めは他意はなかったのだが、方向が一緒だったので香奈恵は距離を置いて男を付ける形になった。男は白髪の混じった短めの髪を振りながら、やや前のめりに肩をすぼめるように歩いている。相変わらず、所持品の類いは見られない。服装もこの間、保護された時とひょっとして同じものなんではないだろうか。じいちゃんが、あの日裏で浩介おじさんとあの男は本当は旅行者ではなくて浮浪者なのではないかと疑っていたのを思い出した。当然宿泊料なんて払われないだろうと半ば期待していなかったのに、送って来たから渡の祖父達がすごく驚いていたのだ。
やがて、家並みが途絶えるところまで来た。男はフラフラと国道を横切る道を進んで行く。香奈恵は足を止めて、男がトラックに警笛を鳴らされながら道を横切るのを見ていた。あぶなっかしい。あのままでは又、遭難するんではないだろうか。
親戚のおばさんの家はすぐそこである。香奈恵は迷う。
しかし、男が国道を渡り神月に通じる道の方向に曲がって行くのを見ると心を決めた。携帯を取り出す。3時を過ぎたところ。まだ、時間は早い。勉強もあるが、まだ竹本に帰る気にはなれなかった。
香奈恵は足を急がせた。

スパイラルツウ-4-1

2010-05-05 | オリジナル小説


     4.悪魔が来たりて期は熟す



さて山間の小さな家庭経営の温泉旅館、「竹本」に悪魔が逗留したこの2週間弱の日々を後々ガンダルファは冷や汗と共によく思い返したものだ。
ガンダルファことガンタの同僚である、手厳しいご隠居的宇宙人類の正虎ことタトラをどのように言いくるめたものか。その片棒というより全責任は彼らの幼い被保護者に当たる阿牛ユリ、小学6年生の力が大変に大きい。
とにかく悪魔が日本式和室旅館の富士の間にしっかりと宿を定めてしまったのであった。(開いていた2部屋のうち後に遭難者に貸すことになる通常の4人部屋ではなく、6人部屋である『一番でかくて広くて眺めも最高』の富士の間を選んだのは女将の綾子である。彼女は後に「だってなんとなくあの人って富士山とかダイナミックなものがいかにも似合いそうだったんだもの。それに他に泊まり客いなかったしね、ほほほ。」と語っている。)
間新しくなって以来、書き込まれる人名がめざましく増えたわけでもない、厚さも古さもまだほどほどの宿帳に神興一郎はどうどうとした太い達筆で筆跡を残した。住所は東京都港区なにがし~とあるが確かめようがない。ただそこには家賃数十万はするのではないかという有名高級マンションの最上階がそこに記されていたとだけ書いておこう。どうせ偽住所だろと難癖を付けたガンタをジンは軽く鼻でいなしただけである。
勿論、これは後日、インクが炎となって燃え尽きたり消え失せたりはしなかった。
悪魔は板さんの清さんが腕を振るった料理を毎日たらふく食べ、それを運んで来た仲居の田中さんや寿美恵叔母さんと陽気に語らい、渡の母綾子が干したふかふかの布団で眠り、渡の父と祖父が磨き上げた小さいながらも清潔な露天風呂に朝夕3回はつかっていたのである。勿論、その他泊まり客とも如才なく日常会話を交わす事も忘れてはいない。
職業はフリーのトラベル・ルポ・ライターであるから、これはもう下へも置かぬおもてなしを受けないわけがなかった。代金をポンと2週間分前払いしたこともある。
当然、この金も偽札ではない。帳場を経て寝室の簡易金庫から無事に取引先の銀行の口座に振り込まれている。



「不思議だのう。」富士の間に置かれた祖父が我が家の一財産と呼んでる、先代からの古い屋久杉のテーブルの前に2人の宇宙人類が悪魔と向かい合っていた。
「こうして見ると、人類とまったく区別がつかん。」これはタトラである。
タトラはデモンバルグであるジンがこうして『竹本』に腰をすえているのは渡のいるこの家に入り込む手段だと見抜いている。
主を射んとすればまず、馬から。竹本家の歴史における客員メンバーにでもなる魂胆なのだろう。まずはその足がかりか。

「ちょっともう一度、脈を取らせてよ。」
これはガンタだった。ガンタとなっているガンダルファは、アギュが興味を抱いている次元生物を調査&観察するにはこれがまことに重宝なのではないかと開き直り始めたところだ。悪魔が不吉とされていようがこの際、関係ない。
悪魔と言う存在自体には懐疑的であったが、現実に目の前に存在するジン、次元生物かもしれない神興一郎には興味が尽きない。
そんな様子に自らを売り手市場とみたジンは軽口を叩く。
「俺っちさ、ちょっとお金とか取っていいかい?」
「1回、脈取らしてくれたら、100円やるよ。」
「安っ、宇宙人と来たら、けちくさいったらないさ!。」
ジンはちょっと面倒くさくなる。
「もういい加減慣れるってことさ。俺っちはさ、見せ物ではないんさよね。」
ふーんと息を吐き出したガンタとタトラは目を見合わせる。
「見せもんだよね。」「見せ物だの。」
ジンはそれを無視する。
「それより、あんた達さ。本当にあの光には連絡していないの?。」
「アギュだよ・・・阿牛社長だ。」ガンタは苦い顔。「してないって。」
「信じられないねぇ。」
「神・・・じゃなくて、悪魔に掛けて誓う。」勿論、心で舌を出していわけだが、きっと舌を出しているだろうなということは、悪魔もお見通しなのだ。
「連絡なんかしてませんて、ねぇタトラ。」狐と狸の化かし合い。
「こればかりは、信じてもらえなくても仕方ないのう。」タトラも肩をすくめた。
二人が投げやり&やけくそ気味にこう言うのも無理はない話なのである。

実は。
ドラコとバラキを通じて悪魔が旅館逗留中の困った顛末は、既にアギュに逐一報告されている。しかし、そのアギュからの返事が又、宇宙人類達を困惑させる振るったものであったのだ。四角四面と言われがちなニュートロン、タトラまでが成り行き任せの仲間と化したのはそのせいであった。
アギュからの返事は要約すると・・・ようするにデモンバルグは泳がせておくこと。油断なく目を光らせて自分が行くまでできるだけ逃がさないようにと言うものであった。しかし、そのすぐに駆けつけられない理由とやらが問題であった。
アギュの方は、天使と戦い、その中で話のわかる天使と天界に向かうと言うのだから。魔族と同じ次元生物であるはずの天使族と共に、4大天使とやらの話を聞きに行くのだと言う。
その話を聞くことはデモンバルグに深い関わりがあり、今後の彼との交渉に有利をもたらすかもしれず、この地球全体の次元を知る上でも性急を要するのだと。
そういうわけですぐに日本に戻れないから、まぁよろしくというようなことを伝令ドラコの口から言ってきたわけだ。
『天使ってあれ・・・あれだよね?あの、羽の生えた・・・』ガンダルファは開いた口が塞がらなかった。『そうらしいの。』タトラは思い切り顔を顰めた。表情の乏しいと言われるニュートロンであったが、果ての地球に来てからのタトラの顔の筋肉は随分と鍛えられたらしい。又そうでなくてはユリや小学生と張ってはいけまい。
『悪魔だの、天使だの・・・訳わからんの・・・』
『向こうは天使で、なんでこっちは悪魔担当なわけ? ずるいぞ、シドラめ!もっとも天使から遠いやつのくせして。』
シドラから遠く離れていることから安心し切った、ガンタの本音はそんなところである。バラキの地獄耳については警戒を怠っている。
勿論、アギュと連絡を取っていることはユリと渡には言っていない。
ちょっと考えれば、彼等は駐留部隊なのだ。毎日遊んでいるように見えても、これは任務なのである。ユリに頼まれたからって、素直に上司であるアギュに報告をせず、秘密にするはずもないのであるが。
なんだかんだ言っても、子供であるユリと渡はそれを信じているようで・・・それはそれで板挟みと言った、二人は心苦しい二重スパイなのであった。


「さて。」と悪魔は体を伸ばした。
「そろそろ重い腰を上げるとするか。」
「出て行くのか?」無責任なガンタの顔が輝く。それでは困るとタトラ。
「チェック・アウトではあるまいの?」
「まさか。」
ジンが肩をすくめた時だった。
「そうだ、約束を守れ、悪魔!。」離れの入り口に子供の影が差した。
「ユリ、学校から帰ったのか?」ガンタが首を回す。
ユリは彼に無言でうなづくとズカズカと悪魔の前に立ちふさがった。
「いい加減にしろ!毎日、食っちゃ寝、食っちゃ寝!いつになったらアタシとの約束を守るんだ!」床を踏み鳴らす。
「嘘つきは泥棒の始まりだ!悪魔のくせにみっともないぞ!こそ泥になってもいいのか?」
「こそ泥も悪魔も似たようなものじゃないのか?」とガンタ。
ジンは舌を出す。悪魔の舌は長いなとガンタは思う。
後ろから心配そうに渡がマスクをした顔をのぞかせている。
ユリのランドセルを自分のと合わせて隅に置いた。
「渡殿もご苦労なことだの。」
「ほら、トラちゃん休んだろ。これ、プリント持って来た。」渡が宿題を差し出す。
「久美子先生が心配してたよ。」インフルエンザというのはずる休みの口実だった。
ガンタはにらみ合うジンとユリにハラハラと目を戻す。
「来い。」ついにユリが声を出した。
「ここで毎日、ダラダラして働きもしない。悪魔っていうのは怠け者なのか、ジン。アタシだっておまえの力なんか借りたくもない!借りたくもないが仕方がないって思ってるアタシの気持ちがわからないのか。」
「わからないね!悪魔がボランティアじゃないのは確かだ。ちなみに怠惰は悪魔のよき美点とされている。」
しかし、怠け者と言われるのは数千年も渡の魂を忙しく追い回してきた働き者のデモンバルグとしては正直不愉快であった。ジンに言わせると怠け者なのは『天使』の方であるのだ。
フンとジンは立ち上がった。ユリをその酷薄な目で見下ろす。
しかし、ユリも1歩も引かない。金太郎の眉の下の目は大きく黒目もでかい。黒々と深い目は眼力で一杯だ。
つい目を反らしたジンは、後ろの渡の目と合ってしまう。
こちらの目もユリには劣るが、なかなかの真っすぐな目だ。
もう駄目だった。
「あのさ、だいたいさ、」ジンは仕方なく、咳払いをする。
「くわしい話も聞かさないで、怠け者呼ばわりはないもんだ。ほんと言うと、俺ぐらい働き者の悪魔はいないんだからさ。まず、ちゃんと話してもらわなきゃ。」
「遊んでばかりで聞きもしなかったくせに!言い訳悪魔!言い訳ばっかりだ!」
「ユリちゃんに一本!」ガンタの判定が割り込む。
ジンは自分に目を反らさせた、12歳の少女の眼力に密かに舌を巻いていた。
こいつは俺の知ってる手強い人間の歴代の最年少だぞ。
「よし、わかった。お前の勝ちさ。」ジンは折れた。
「どこに行けばいいんさ?」
「家だ。」ユリは重々しくうなづく。「アタシの家。」
「いいの?アギュさんの留守に・・・」マスクを引き上げた渡がコソリとつぶやく。
ジンの視線が渡に再び逸れる。
しかし、ユリがそれを遮った。渡を見るな、渡はあたしが守っているんだ。
ジンは笑うと、内心で舌打ち。ユリが更にギロリと睨みつけた。
「約束だ。いいな、アクマ!。」




その頃。月城村のバス停前の国道を香奈恵が歩いていた。
受験生となって以来、部活には出ていない。
旅館『竹本』はこの国道に面している。
バスに乗っていたのは香奈恵ともっと奥の神月村の老人の二人だけだった。
突然の低気圧に荒れた日の翌日、学校から速効で飛び帰った香奈恵は渡やユリと市役所前で待ち合わせた。間諜田中さんから再度確認した母の見合い相手と同じ名前の男は、カウンターの奥で暇そうに仕事をしていた。小太りで顔もコロコロと丸かった。3人は壁際のチラシや情報誌を手に取るふりをしながら、20分近く観察を続けた。同じく暇そうな女の職員が何か用なのか的に近づいて来たので、3人は図書館の日程表を手にそそくさと退散した。結果は大満足。
目的の見合い相手は、面食いの寿美恵にはまったく問題外であると彼等は結論ずけたのだ。人が良さそうだ、やさしそうだと渡がしきりに感想を述べたところで、そんなものでは寿美恵が動かされることがないということは香奈恵には自信があった。あとは財産?っといったところだが・・・そんなに金持ちそうには見えないというのも3人の一致した意見だった。安そうなサンダルを履いてた。靴下もズボンも月城の洋品店で購入した安物だと彼等は容赦なく断定した。
竹本の日常は変わりなく、毎朝、お弁当を注文して例の発掘隊4人組は迎えの大型車で出かけて行った。大学生らしい青年が運転しており、当然父親は影も見せない。ただ、彼等が発掘の手伝いをしていることや大学名とかが知れるのつれ、少し不安になったが寿美恵は相変わらず気づいたそぶりもなかった。考えて見れば・・・父は以前とは違う大学に勤めているわけだからと香奈恵は楽観的に考えるようになっていた。
他の2組が帰ったあと、寿美恵は逗留中のジンさんに近隣の観光名所を勧めることに夢中になっている。本当は2人きりで自ら案内したいのではないだろうか。

そんなわけでバス停を降りた後、香奈恵は久々に訪れた幸せを噛み締めて歩いていたから回りにはまったく無防備だった。
香奈恵が国道を『竹本』にあと50mといったところまで進んだところで脇道から声がかかった。
「香奈恵さん。」
ん?とぼんやり顔をあげた香奈恵はしばし金縛りになる。
「岩田香奈恵さん、あなたを待ってたのよ。」
「・・・・・」
もはや姓が自分とは変わってしまった父親の結婚相手を香奈恵はマジマジと見つめていた。
いったい、自分に何の用?。なぜ、今ここで声をかける?
なんの目論みが?誰かに見られたらなんとする・・・香奈恵の中に言葉が渦巻く。
しかし、目の前の香奈恵のかつての名字、鈴木になった女はまったく意に介していないようだった。
「お久しぶりね。会いたかったわ。」私は全然、会いたくなかった。
「この前お会いしたときより、背が伸びたんじゃない?」そりゃ、3年も会ってなけりゃね。プレゼントをエサにまんまと父親に誘い出された高校1年の誕生日のことが香奈恵の脳裏に浮かぶ。てっきり久しぶりに父と二人きりで食事かと期待していたら、やっぱりこの人がいた。あの時の父とその奥さんのいちゃいちゃぶりに、もう2度と父との食事には行くまいと誓ったのだった。それ以来、何かと理由をつけて誘いを断り続けていた。
そんな香奈恵の胸中にはまったく構わず、父の妻であるスズキマユミはまだ話続けていた。
「ただ、やっぱり旅館じゃ話しかけずらいじゃないの。寿美恵さんもいらっしゃるし。寿美恵さんには内緒の私達だけの秘密ですものねぇ。誠二さんにもね、泊まってる間はずっと知らんぷりするようにって言われていたんだけどねぇ、やっぱり、それじゃあ、寂しいじゃないねぇ。」寂しかねえよ、なんでオヤジに禁じられてるのに話しかけてくるんだよ。自分の父親の名をこの女の口から聞くのは抵抗があった。
「・・・何か、用ですか?」我ながら愛想のない、迷惑そうな声しかでなかった。
しかし、相手は動じないっていうか、通じていない。
「そうねぇ、用っていうかぁ」母よりは若いが30代の後半にあたるはずの女が語尾を伸ばして話す、その話し方に思いがけないほどの嫌悪感が湧いた。
何、モジモジしてんだ、オバサンがっ!
「用がないんでしたら、私・・・」今にも道路の向かいの商店から(雑貨店だったお店はおばちゃんが足を痛めてからガラス戸の向こうは人気がない)今いる民家の窓から(婆ちゃんは今日はディ・サービスではなかったか)誰かがひょっこり現れそうで、香奈恵は気が気ではなかった。後ずさる香奈恵を鈴木真由美が慌てて追いかけてくる。かえって目を引く。「ちょっと待ってよ、香奈恵さん。実は、私・・・」
香奈恵は渋々、仕方なく脇道に戻る。女の頬が上気したように赤くなっていることに気が付く。そうなると、自分の母親にはない妙にねっとりとした色気が漂うようで香奈恵は辟易する。
「あのね・・・」女が耳に顔を寄せて来る。鳥肌が立ちそうだ。突き放さないでいるのがやっとだったが、次の言葉には耳を疑う。
「実は、私、妊娠してるの。」
その言葉とまなざしには明らかに勝ち誇った色があった。
「まだ、あなたには話すんじゃないって言われたんだけど。でもねぇ、産まれてから知らされたって、あなただってきっと水臭いって怒るんじゃない、ねぇ?。あなたはたった1人の、誠二さんの実の娘さんなんだし。」女は自らの腹に手を当てる。「ここにいるのは、あなたの兄弟なんだし。男の子か、女の子かはわからないけど・・・検査したいけどまだ早いから・・・誠二さんたらね、そういう検査は反対なんですって言うのよ。僕はどっちでもいいなんて言っちゃって・・・」
そりゃ、本当にどっちでもいいと思ってるんじゃないか?。オヤジは発掘しか興味がねぇんだよ。そういう男なんだって。だいたい、私だってどうでもいいんだ。実の父親の鈴木誠二とその2番目の妻、鈴木真由美に子供ができようが、できまいが。赤ん坊が男だろうが、女だろうがだ。今、自分にとって弟とも妹とも、そう感じることのできる子供は・・・自分の実の母、寿美恵が産んだ子供だけに決まってるだろうが!という激しい思いが突き上げて来る。
香奈恵はものすごく腹が立って来た。女の腹を蹴ってやりたいぐらいだ。
早く、どこかへ行け!私があんたの腹を蹴ってお腹の子供を殺す前に。
ああ、ユリちゃんがここに一緒にいてくれたら。ユリちゃんだったら、私のいいたいことの何倍も言いたい事を言ってこの女をコテンパンにしてくれただろうに。ひょっとしたら『竹本』から永久に追い払ってくれたかもしれない。
香奈恵が黙り込み、拳をプルプルいわせてる間に話したい事を話終わった鈴木真由美はにっこりと笑って離れて行った。
「だから、無事産まれたって後で誠二さんから聞いてもお父さんを責めないであげてね。じゃあ、私は先に旅館に戻ってるわ。」
幸せいっぱいの未来の母親が国道に出て歩いて行くのを香奈恵は暗い目で睨みつけていた。父の再婚相手はそれを自分に話したかったのである。自分が奪い取る結果になった妻の座とやらに、かつて座ってた寿美恵、その娘に。香奈恵は急に家に帰りたくなくなった。まして鈴木真由美の後から国道を行くのは絶対に嫌だ。
香奈恵は踵を返す。と、知らない女にぶつかりそうになり慌てて飛び退いた。