家政婦のような・・そうでないような・・

毎日せっせと家族に食事をつくっております

5月の退院、桜の頃、

2005-11-30 10:10:40 | 自宅介護
手術の次の朝早く病院へ行きました。

つくなり看護師さんに言われました、
昨夜はやはり痛みがきたらしく、ベッドの上で動き回って、点滴をはずしてしまい
ベッドといわず、布団からなにから血だらけにしてしまったとのこと。

だいいち、今言ったことさえいま忘れる人なのに、じっとして居ろと言っても
無理があるのです。それを怒られても・・・・あやまるしかありませんでした。

すぐに食事も出て、食欲もまあまあ、このまま行けば近いうちに退院してもよいとのこと
とりあえず、ほっとしました。
後は、来月に再検査の為くれば良いと。

術後、特別問題もなく、退院の日をむかえました。
5月、桜が満開に咲いています。
車の窓からだけでしたが、ちらほら花びらも散って、ちょっとしたお花見気分です。
そう、元気でいれば、来年のお花見はお弁当を持って来られるからね。


5月の末、またまたひと騒動、
相変わらず、おしっこもウ○チも出るとは言わない、
朝、起きたら、部屋中がくさい・・・
何のことはない、寝たままウ○チをしていたのです、

はあ、やれやれ・・
この頃からでしょうか、母を怒らなくなっていったのは、
やはり、病後ということもあり、自分でグッと抑えるようになっていきました。
「いやいや~気がつかなくて悪かったね~、気持ち悪いね、早く取り替えようね」
自分でも気もちの悪いほどの優しい声で話しかけていました。

母は自分でも悪いことをしたと思っているのです。
そこをしかっては、落ち込んでしまいます、母だってストレスがあるのです。
自由にならないからだ、不自由な自分に対するストレス、
私は、自分のことばかりで、母のストレスを考えたこともなかったのです。

胃癌もひょっとしたら、そのストレスが原因の一つかも、と思うのです。

胃癌内視鏡手術の日

2005-11-29 12:31:28 | 自宅介護
手術の日です。

朝、病院に行った私に、母は何やらわけの分からないことを言い始めました。
どうやら、昨夜、夢をみたようなのですが・・・
母も不安だったのでしょう、時間が来るまで朗かるく過ごしていました。

前日、担当の先生からの話によると、手術そのものは、いわゆる内視鏡によるもの
口からスコープを入れて、胃の患部を切除、または焼ききるらしいのです。
ちなみに癌そのものは初期段階、さほど心配は要らないと。

この方法は、母が糖尿でもあり、高齢でもあることから、切開ではなく内視鏡
がいいのではないかとの判断です、
ただし、問題は麻酔です、

麻酔に対するリスクの説明も受けました、
けれど、麻酔をしなければ、本人も痛いでしょうし、第一動き回って手術どころ
ではないでしょう。
第一、今言ったことでさえ覚えていないのですから、動くなと言っても、
1分もたたないうちに動き回るでしょう。

リスクを覚悟で手術をお願いしました、

術後、胃の中の様子をビデオで見せてもらいました。
はっきりいってよくわかりませんでした、
ただ、無事に終わったということだけ、術中何事もなく終わったということだけ、
とても感謝しています。

ただ、この後まったく2度と出ないとは言いきれないとのことです。
大事なのは、経過観察です。
でも、とりあえず、無事に手術が終わったことに一安心です。

この日、後は看護師さんにお任せして帰るしかありません。

再検査、そして入院へ

2005-11-28 10:59:42 | 自宅介護
2003年、4月の中頃、再度検査が行われました。

検査のために、毎日飲んでいた〔ワーファリン〕=血をサラサラにする薬
を1週間ほど止めていました、
実際、その間とても心配だったのですが、この日までいたってなんともなく
安心をしました、

手術を担当するお医者さんによれば癌は2ヶ所、
このままほおっておけば、3年後ぐらいには、食べ物が通らなくなってしまうとのこと、
 
その場で、入院の日取りが決まりました、

4月末、暖かい日で、散歩にでかけました
スーパーが大好きな母は、それまでウトウトしていたのに急に目を開けて
あたりをきょろきょろ、とても楽しそうです。

「何か、食べたい物はないの?」
「・・・・」
甘い物が並んでいるところで饅頭に目をつけました、(~o~)
しょうがない、たまには2人で饅頭でも食べるか~

 

5月某日、入院しました
もちろん、母には何も言っていません
ただ、歳をとると、胃袋にできものができやすくなるので、それをとるんだとだけ。
夕方まで一緒に居ましたが、私が帰るねと言うと、駄々をこね始めました。
「こんなところに居たくない・・・帰りたい・・」


一人、家に戻ってきました、
その夜、私の耳鳴りはいっそうひどくなり、朝まで眠れず、
薬の力をかりてやっとトロトロ眠りにつきました。。

もうこれ以上は・・・

2005-11-27 10:52:13 | 自宅介護
3月、いつもお世話になっていた施設の職員さんが転勤になりました。

いつも明るくお向かえに来てくれて、いつも元気に声をかけてくれて、
安心してお願いしていた方だったので、とても残念な気持ちでした
でも、またいつかお会いすることもあるでしょう、そのときまで、お元気でね。

いつもの定期健診に加え、胃カメラでの検査がありました。
この時点での血糖値は空腹時で200弱、かなり高めです。
胃の入り口付近にポリープが見つかったとのこと・・・
検査結果は2週間後・・・

やはり胃の検査が影響しているのか、あまり食欲がありません。
いつも出された食事は残さず食べるのに・・・
便もしばらくゆるい日が続きました。


4月、外もお日様が出ると暖かく、久しぶりに散歩に出ました。
冷たい風にあたらない様に、ぐるぐる巻きにして。。
のんびりと二人で歌を歌いながらの散歩です。


検査結果がわかりました、
ポリープの組織細胞から、癌であるとのこと・・・

何も悪いことはしていない、
父を早くに亡くして、母が働いて私達を育てた、
孫達も大きくなるまで面倒をみた、
人の悪口を言ったのを聞いたことがない、
おとなしい、我慢強い人、
脳梗塞になって、どうして自分がこんなに不自由になったのかあまり理解はしていないようだけれど、
私に対してはいつもすまないと思っているらしい・・

なのに、なぜ、、
これ以上母をいじめないで・・・・

はあ・・・、またか・・・・、

2005-11-26 09:28:42 | 自宅介護
寒い2月の中ほど、またまたウ○チ問題が・・・

それも夜中のこと、何か物音がしたので、声をかけようとしたらなんか匂いが・・
あわててトイレに連れて行こうとしたが、すでに間に合わない。
立たせたとたんに、ももを伝ってウ○チが足元まで流れ出てきました。

そうです、ユルユルウ○チだったので、間に合うどころか、トイレまで垂れ流し
ながら行きました。
はあ・・・・、しかる気力もありません、というか、どうして下痢?
何か悪い物を食べさせたのかなあ?それともお腹が冷えたのかなあ?
いろいろかんがえましたがおもいあたりません。

母は自分でも気持ちが悪かったのでしょう、でも自分から言う人ではないし・・
仕方がありません、私が早くに気がつかなかったのが悪いのですから。
黙々と、後始末をしました。
再度寝るときに、市販の下痢止め薬を飲ませて、ベッドに横にさせました。

悪い時には悪いことが重なるもので、コタツが壊れました。
まだ買ったばかりのコタツです、ヒーターのファンが回りません。
はあ~~、もう、いや!!!  

っと、こんなことを言ってはいられません、
さっそく新しいヒーターを取り付けてこちらは解決。
でも母のほうはというと、やはり気になっていたと見えて、口を利いてくれません

 
この頃、知人のお友達が急に亡くなったとの話をききました。
ついちょと前まではとても元気でいたそうです、
風邪から、肺炎をこじらせたのが原因とのこと。怖いことです。
その方、私と同じ年頃、母の体調ももちろん大事だけれども、私自身の体調管理
とても大事なことを改めて感じさせられました。


久しぶりのお出かけ、

2005-11-25 15:45:19 | 自宅介護
2月、寒さも厳しく、部屋を暖かくしておくのが大変です。

日中は灯油でヒーター使用、何処の部屋もこれでけっこうあたたまる、
トイレは小さなヒーター、足元は電気カーペット、そこにコタツ。
それでも、夜中にトイレにおきることがあるので、寝るときには、天井から暖房。

年寄りは温度差があるといけないので、それなりに気を使います。

この頃また、更年期の症状がひどく出始め、毎日のぼせ、冷えの繰り返しが一日の
中で何度も起こり、ちょっとしたことにも腹が立ち、夜も眠れず、考えることといえば
何で私だけ・・、何で兄も兄嫁も知らんふりできるんだ・・
向こうの家族はおばあちゃんのこといったいどう思っているんだ・・。

夜眠れないので、昼に安定剤を飲む、少し、トロトロしてよこになる、
少しは楽になる。こういう状態がしばらく続きます。


デイサービスの日、少しセキが出ていたけれど、熱はないので、連れて行ってもらう、
おかげで、2年ぶりぐらいに美容院にでかけることができました。
帰りの時間が気になるけれど、やはり気持ちがいい。
それまで、母が病気になってからこちら、自分のことは何一つ、かまってこなかった。

髪をきって、シャンプーして、・・ああ~さっぱりした~
帰りはデパートの地下で食べ物を買って、ついでに好きなチョコも買って。。
 
楽しかった、久しぶりに、お出かけをしたって実感。
そうです、たまにはこうして出かけないといけないのです。
この日、私は母にとてもやさしい笑顔をむけていたはずです。

2003年、正月も過ぎて

2005-11-24 10:30:04 | 自宅介護
年も改まり、2003年になりました。

暮れから、新年、何事もなく無事に過ごし、ほっとしています。
兄が顔を出しました。正月も10日を過ぎています・・。

もうあてにはしていない、何も相談しないと心で決めていても、顔をみると
皮肉の一つも言いたくなります。
言いました、せめて、「何かいりような物はないか、買ってくるものはないか
とか言えないのかなあ・・」

顔だけ出せばいいとでも思っているのでしょう。
人って、離れて暮らしていると、それだけで心も離れていくもんだな~
と、妙に納得させられました。

正月の間、施設の方もお休みです。
その間、お風呂も入れず、なんかかわいそうだけれどしょうがない
昔から、人間垢じゃ死なないよとかいうけれどそれもそうだ。


不思議なことが一つ、
1月の中ごろ、施設のケアマネさんが家に来たときに言っていた
兄嫁が施設に電話をしてこう言ったとのこと
「お正月、おばあちゃんを家に連れてきたいんですが、どうでしょうか」

はあ?なんのことでしょうか・・・
私のところには何の話もありませんが・・・
暮れから、正月にかけて何の話もないし、顔さえみていないし・・・

施設の方ではおもっていたらしいです、
母は、正月に兄と兄嫁の世話になっていたと・・
はあ・・・、なにをかいわんや・・・・


気になっているのが、この頃、便が緑便っぽいことでした。

今も続いていること

2005-11-23 09:40:24 | 自宅介護
あっという間にこの年も暮れを迎えていました。

この1年はいろんなことがありすぎました、
あまりにもめまぐるしく通り過ぎて、頭の中が混乱しています。

けれど、毎日の生活は待ってはくれない、慌ただしく過ぎていっただけ。
落ち着いて考えることなどできなかった。
1日24時間介護、このまま続けていけば私が壊れる・・

どこかで踏ん切りをつけて何とかしなければ、
そういう気持ち、伝わるんでしょうか・・
「悪いね、こんなになってしまって・・ごめんしてね・・」
この言葉を聞いて、今、鬼のような気持ちになった自分をまた責めました。

そうか、今私は自分が具合が良くないから、気持ちまで落ち込んでいるんだ、
まず、自分の身体を元気にしなければ。
けど、何をしたらいい? 何をしたら具合がよくなる?

朝食後、母はウトウトします、
その時間を狙って、外に出ることにしました。
ウォーキングです、
最も、一人でおいていっても、動くこともできないのでその点は心配ありません。
このときから、私の精神安定のためのウォーキングと、お天気の良い日は母との
散歩が日課に加わりました。

この効果は大変ありました。
1日中家に閉じこもっていた私にとって、いろいろな変化をもたらしてくれました。
はじめは、出かけるのにまず母のトイレ、ここでウ○チが出るかでないか確かめます、
そして、母に「留守番してね」と声をかけて出て行きます。
母は「はい、行ってらっしゃい。」と答えます。


この時から今日まで、この会話はずーと続いています。kaeru_en4/}

恥じらいはいつでもあるもの

2005-11-22 11:20:16 | 自宅介護
2002年秋、病院でのいつもの定期健診。

特に異常なし。レントゲン、心電図,血糖、それにインフルエンザの予防接種。
どういうわけか、病気になってから常に鼻水をたらしていることが多くなった。
これは不思議、未だにそうなのですが、原因はわかりません。

日頃の生活はもう落ち着いてできるようになりました。
ただ、気になるのは、私自身の身体の変調がいっこうに収まらないことです。
もちろん、更年期にいいとされる漢方薬は飲んでいます。
夜、眠れるように、眠剤も、それに、胃酸を抑える薬。

喉の違和感は相変わらず、これはまたきっと別の病気じゃないのかなあ・・
胃カメラで異常はなかったけど、直らないって変だよね・・
でも、お医者さんがそう言うんだからもうちょっと様子をみていようか。


トイレに母を連れて行った時、母がかゆいと言う。
つけ根の辺りが赤くかぶれていた、いつものように何も言わないので
じっくり看ていなかったのです。
一日中紙パンツにパッドをつけていれば、赤ちゃんだってかぶれます。

それと同じようなことでしょう、あわてました。
サテどんな薬をつけてあげたらいいものか・・・
ああ、ゲン○シンがあった。とりあえず薬をぬって様子を見ることにしました。

これは、後に、先生に尋ねたところ、これで良かったとのこと。
このときに思いました、他にも、いろいろ常備しておかなければと。

とりあえず、トイレでウ○チをしたときは濡れお尻拭き(赤ちゃん用)を使用。
その後、暖かいタオルで拭く。
そうこうしているうちに、かぶれはなくなっていました。

きっと娘の私に言うのも恥ずかしかったのでしょう、
いくら、痴呆の症状が出ているといっても、下の世話は恥ずかしいのです。
今日が何月でとか、孫の名前も言えなくなっても恥じらいはあるのです。


後悔の日・・・

2005-11-21 15:58:27 | 自宅介護
手をあげたのはこれが最初で最後ですが、未だにこの時のことは後悔しています。

はたいたのは、目の前の太もも・・・
たたかれた母の目は大きく見開かれ、一瞬恐怖の表情が・・・
 
しまった、と思ったけれどももう遅い、すぐに「ああ、大丈夫」
「大丈夫、これぐらいなんとも無い、すぐきれいになるから・・」
母は、固まっていました、そして、まわらない口でこういいました、
「ゴメンね・・・・」「ごめんしてください・・・」

「・・・・・・大丈夫、すぐきれいにするからね・・・」
涙がこぼれました、私はなんてことをしたのでしょうか・

「ゴメンね、母ちゃん、ゴメンね、ゴメンね・・・」
これしか言葉がでてきません、

後はもう、黙々と始末をするだけでした。
その間、二人の間に交わされる会話はありません。

  
夕食を二人で食べながら、私は恐る恐る母に言ってみました。
「さっきはゴメンね、悪いことしたね、怒んないでね~」と明るく。
すると母は
「いやいや痛くないよ、それより面倒かけて・・・」と。

少し、安心しました。
でも、今日の出来事が母の気持ちを興奮させていれば、母はねむれないでしょう。
夜、母を寝かしつけて、一人でベッドの中で私は声を殺して泣いていました・

今日の私は一体なんだったんだろう・・・
もともと私は意地悪な性格なんだろうか・・
母が言うことを聞かないからこんなことになったんだ・・
私は悪くない・・・
いいや、抵抗もできない弱い母に手をあげるなんて最低だ・・・
どうして誰もわかってくれない・・・

何かに憑かれたかのように朝まで眠れませんでした。