クラージュせたがや ~Courage Setagaya~

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まさか、ナラハシが帰ってくるとは!!

2007-02-06 01:58:38 | 湘南ベルマーレ(ニュース)
1週間ぶりの更新の記事がまさかナラハシのこととは、1週間前は思いもよらなかった。


97年から06年まで10年間鹿島でプレーして、鹿島の9冠のうち8冠に関係してきた名良橋晃。
35歳にしてその鹿島から契約満了とされて、新天地に選んだのがいくら古巣とはいえ「J2で11位のチーム」である。
引退することなく、ここ湘南での現役続行という道を選んでくれたこと自体にまずは感謝の意を表したい。
たとえ、96年末での鹿島への移籍が(詳細は知らないが)後味悪いものであったにせよ、
「そんなのいまさら関係ないじゃん」と言い切れるだけの彼の英断だと思う。

もっとも、彼は06年はわずかJ1で3試合の出場。
そんな彼がどれだけ走れるか、どれだけボール蹴れるかはどうも想像がつかないんだよね。
90年代前半の頃のように「弾丸」「まだら狼」(JFL時代髪を染めていた)と呼ばれていた頃のプレーは望むべくではない、にしてもね。
さて、ナラの復帰で、「フジタ・ベルマーレ平塚・湘南ベルマーレ」が歴史上の事実やサポーターの記憶だけでなく、実質(現場)においても、か細くではあるがつながりをとりもどせたような気さえする。
そして、私にとっての「ベルマーレへの入り口」の1つは彼であったしね。
ともあれ、開幕前、早いうちに練習か練習試合で彼をみてみたいね。

いざ現物をみてしまうと、もはや過去を振り返ってる場合ではなくなってしまうだろうから、今のうちに少しばかし彼に関する私の中の記憶をよみがえらせたい。


・初めてベルマーレの試合をみた時(93年9月1日、JFL1部・3-1東芝(平塚))、残念ながら彼は欠場。試合後に彼の姿はみれた。
 初めて彼のプレーをみたのはその2週間後、ナビスコ杯のガンバ戦(万博)。
 右サイドでの、神出鬼没の爆発的な運動量に圧倒されてしまった。残念ながらPK戦ではポストの外へはずしてしまったけど。
・93年のJFLのプログラムでは尊敬する選手が「ライカールト」。しかし翌年からはなぜか「堀池巧」に変わっていた。
・93年末か94年初め頃のテレ朝系「Jリーグ A GOGO」にテルとともにゲスト出演。
 視聴者からFAXで「彼女いますか」とテル宛に質問。ナラは「僕は彼女いますよ」と誰も聞いてもいないのに答えていた。
・95年1月1日天皇杯決勝、2点目は彼の右サイド中盤での絶妙なインターセプトからの速攻によって生まれた。
・95年12月27日、アジアカップウィナーズ決勝で先制点を挙げたのは彼。(試合は2-1で勝利)
 彼は準決勝と決勝しか出場していないにもかかわらず大会MVPにもなった。
・少なくとも93年以降のリーグ戦では彼がゴールを決めると必ずチームは勝利していた。
 しかしリーグ戦での彼のゴールを私は一度も生で見ることができなかった。
 唯一生で見れたゴールは、96年7月31日のアジアスーパーカップ第1戦。でもこれは負け試合(3-5)。
・95年5月3日の鹿島戦(平塚)、後半早い時間でナラは対面する相馬の足元のボールへスライディングタックル。
 それが相馬の足に入って(ファウルにはならず)、相馬は負傷退場。
 ただし鹿島は既に3人交代させてしまっていて残り時間を10人で戦うことに。伝説の「7-0」の要因の1つはナラのタックルである。
 ただし、ナラは試合終了後すぐに鹿島側のロッカールームへ駆け込んで相馬を見舞おうとしたのも確か。
・96年だったと思うが、ナラ宛にファンレターを書いた。返事はこなかった。
 (同じ時期、ベッチーニョにポルトガル語でファンレターを書いたら、サインが贈られてきたのだが)
・10年以上前は選手別の応援団がいくつもあった。ナラ応援団は「レレレ隊」。「ナ」ラにちなんで7ゲートに陣取っていた。
・98年フランスW杯のアルゼンチン戦。前半終了間際に第4審判が「2」のボードを掲げる。
 「この時間に名良橋交代?」と思いきや、「ロスタイム2分」のことだった。
 (注)ロスタイム目安が掲示されるようになったのは、フランスW杯から。
・ダイジェで連載されて久しい「スーパーさぶっ劇場」。初期の頃はナラハシの強烈な顔がよくネタにされていた。
・3年前にベルマーレ10年史が刊行された時、ナラも寄稿してくれた。
 「新幹線で相模川を渡るときは、大神をみるようにしている」と。
 鹿島に移ってからはベルマーレ色を完全に消したように映っていた彼、その言葉は当時は半信半疑だったけど・・・
 大神から馬入へとクラブは移ったけど、ここから「御家再興」へむけてともに頑張っていきたい。


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2 コメント

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名良橋 ()
2007-02-07 01:08:07
ベッチーニョからの右サイド裏へのパス、敵DFを俊足であっさり抜き去り、この時の徒競走が大好きだったな、あの場所でスピードで負けたのを見た記憶は無い、ラインギリギリでボールに追いついてノートラップでクロス、それを野口がインサイドキックで合わせてゴール。この形を見に平塚に通っていたと言っていいほど好きだった。
帰って来るのを俺は歓迎するよ、むしろ大歓迎だ、尊敬していたサッカープレイヤーがベルマーレのユニフォームでまた見れるなんて。
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コメントどうも (せたがや)
2007-02-08 23:26:07
>壁氏

コメントどうも。

やっぱあのオーバーラップからのクロスはまだ記憶に新しいよね。土曜の練習試合が楽しみだよ。
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