3月1日、1日だけですが、岩手県の三陸海岸沿線 釜石~大槌~山田~宮古とみてきました。
あの大震災から2年経った被災地、そして現地の観光地。移動は鉄道、代行バス、タクシー、地元の交通手段で。
タクシーではやはり生々しいお話をお伺いできました。三陸縦貫鉄道は復旧までにまだまだ時間がかかるかもしれません。
ただ、まだ復旧できていない交通手段や観光地もある一方で、既に観光客を受入可能な交通手段や観光地もあります。
しかし、そういうところでも、震災の後、観光客がなかなか戻らないとも聞きました。観光地は、やはり観光に来る方がいて初めて成立します。
被災された地域の1日も早い復旧・復興を心から願うとともに、そして、三陸海岸に観光客が戻って復興の一助となることもまた願っております。
1:釜石線新花巻駅。新幹線駅とは地下道で連絡。
2:釜石行き快速「はまゆり」。座席はリクライニングシートで指定席もあり、速度以外は特急に近い。
3:釜石線沿線を流れる猿ヶ石川。岩手県の内陸部は予想よりも雪が多く感じた。
4:上有住~陸中大橋の仙人峠では、線路がΩ(オメガ)字状にループ。車窓右下にこれから通る線路が。
5:釜石駅の三陸鉄道のホーム。南リアス線の釜石~吉浜は来年春復旧予定とのこと。
6:釜石駅駅舎。川を遡って駅舎まで津波が来たが流失は免れたという。昨年12月に改築して「鉄」ムードを出す。
7:釜石駅からタクシーで10分ほどにある「鉄の歴史館」。近代製鉄発祥の地ならではの施設。ここから釜石湾も展望可。
8:釜石市街の様子の一つ。場所によっては、建物が流された所の割合がもっと高い所もあった。
9:津波が来た高さを伝えるもの。
10:仮設のいわゆる「復興商店街」の一つ、青葉公園商店街。
11:ラグビーチーム「釜石シーウェイブス」は地元の期待を受ける。80年代に7連覇した「新日鉄釜石」の流れをくむ。
12:釜石市街にある「新華園本店」の釜石ラーメンと半チャーハン。細麺・あっさりです。
13:大槌町の市街の様子。
14:山田線大槌駅のプラットフォームの今。
15:大槌駅の駅舎があった場所。
16:被害を受けた割合が非常に大きい大槌市街だが、ロードサイドには新しいお店がいくつか建っている。
17:本州最東端の駅でもある岩手船越駅(山田町)。釜石から宮古へ行く代行バスの乗り換え地点でもある。
18:山田町内。防潮堤が損壊したままの様子。
19:仮設の病棟で診察している岩手県立山田病院。
20:JR宮古駅。
21:この日、3月1日は地元の高校の卒業式。1年生の時に大震災を経験した高校生が卒業する。
22:三陸鉄道宮古駅。
23:「赤字せんべい」赤字を食い尽くして復興を、という願い。
24:宮古市きっての景勝地・浄土ヶ浜。ウミネコも群れ飛ぶ。
25:浄土ヶ浜から一番近い三陸鉄道の駅・一の渡駅。1972年に国鉄宮古線として開業、駅舎のない無人駅。
26:この先、現在は小本まで行けるが、この時は信号機トラブルで宮古へ引き返すことに。次は久慈まで行きたい。
27:三陸鉄道の「手をつな号」車両。
28:車両横では各種キャラクターが手をつなぐ。
29:「てをつなごう。」大作戦の説明。
30:四か国語で乗車への感謝。
31:宮古から盛岡への最終列車は18時11分。所要2時間15分でバスよりも時間がかかるが、乗客は多かった。
あの大震災から2年経った被災地、そして現地の観光地。移動は鉄道、代行バス、タクシー、地元の交通手段で。
タクシーではやはり生々しいお話をお伺いできました。三陸縦貫鉄道は復旧までにまだまだ時間がかかるかもしれません。
ただ、まだ復旧できていない交通手段や観光地もある一方で、既に観光客を受入可能な交通手段や観光地もあります。
しかし、そういうところでも、震災の後、観光客がなかなか戻らないとも聞きました。観光地は、やはり観光に来る方がいて初めて成立します。
被災された地域の1日も早い復旧・復興を心から願うとともに、そして、三陸海岸に観光客が戻って復興の一助となることもまた願っております。
1:釜石線新花巻駅。新幹線駅とは地下道で連絡。
2:釜石行き快速「はまゆり」。座席はリクライニングシートで指定席もあり、速度以外は特急に近い。
3:釜石線沿線を流れる猿ヶ石川。岩手県の内陸部は予想よりも雪が多く感じた。
4:上有住~陸中大橋の仙人峠では、線路がΩ(オメガ)字状にループ。車窓右下にこれから通る線路が。
5:釜石駅の三陸鉄道のホーム。南リアス線の釜石~吉浜は来年春復旧予定とのこと。
6:釜石駅駅舎。川を遡って駅舎まで津波が来たが流失は免れたという。昨年12月に改築して「鉄」ムードを出す。
7:釜石駅からタクシーで10分ほどにある「鉄の歴史館」。近代製鉄発祥の地ならではの施設。ここから釜石湾も展望可。
8:釜石市街の様子の一つ。場所によっては、建物が流された所の割合がもっと高い所もあった。
9:津波が来た高さを伝えるもの。
10:仮設のいわゆる「復興商店街」の一つ、青葉公園商店街。
11:ラグビーチーム「釜石シーウェイブス」は地元の期待を受ける。80年代に7連覇した「新日鉄釜石」の流れをくむ。
12:釜石市街にある「新華園本店」の釜石ラーメンと半チャーハン。細麺・あっさりです。
13:大槌町の市街の様子。
14:山田線大槌駅のプラットフォームの今。
15:大槌駅の駅舎があった場所。
16:被害を受けた割合が非常に大きい大槌市街だが、ロードサイドには新しいお店がいくつか建っている。
17:本州最東端の駅でもある岩手船越駅(山田町)。釜石から宮古へ行く代行バスの乗り換え地点でもある。
18:山田町内。防潮堤が損壊したままの様子。
19:仮設の病棟で診察している岩手県立山田病院。
20:JR宮古駅。
21:この日、3月1日は地元の高校の卒業式。1年生の時に大震災を経験した高校生が卒業する。
22:三陸鉄道宮古駅。
23:「赤字せんべい」赤字を食い尽くして復興を、という願い。
24:宮古市きっての景勝地・浄土ヶ浜。ウミネコも群れ飛ぶ。
25:浄土ヶ浜から一番近い三陸鉄道の駅・一の渡駅。1972年に国鉄宮古線として開業、駅舎のない無人駅。
26:この先、現在は小本まで行けるが、この時は信号機トラブルで宮古へ引き返すことに。次は久慈まで行きたい。
27:三陸鉄道の「手をつな号」車両。
28:車両横では各種キャラクターが手をつなぐ。
29:「てをつなごう。」大作戦の説明。
30:四か国語で乗車への感謝。
31:宮古から盛岡への最終列車は18時11分。所要2時間15分でバスよりも時間がかかるが、乗客は多かった。