クラージュせたがや ~Courage Setagaya~

元はベルマーレ応援サイト「STweb」の別館で2005年7月開始も、2010年12月の韓国赴任を機に半ば休業中。

二者択一、どっちをとるか?それとも・・・

2010-04-16 01:55:33 | 世間話
たまには関西の話。
今の関西の地位と国際空港に求められている役割を考えるならば、
伊丹廃港か、3空港並存か、よりもせめて
「関空へのアクセスを劇的に改善させて伊丹(と神戸)を廃港にするか」
「伊丹or神戸を24時間化して関空を廃港にするか」
のいずれかで早急に議論してほしいものです。
商人の町から大手銀行の本店が全て去った現実を関西の地元のオエライ方はええ加減に思い知れや。

大阪そして関西の売りの1つはコンパクトさ(であった)。
関西の失敗の1つが空港の分散にあるのは間違いない。
大阪五輪の為にと埋め立てた大阪湾内の人工島(舞洲、咲洲、夢洲)、
このいずれかを国際ハブ空港にできていたら、今の関西はもっと栄えていたかもしれない。
いや、今からでも遅くないかもしれない。大赤字のWTCビルをぶっ壊して空路を開き、
いまだ未開の夢洲に滑走路を舗装するくらい、関空への新アクセス整備よりも容易いかもしれない。


追伸:ナイトスクープの秘書役・岡部まりが民主党から参院選出馬って・・・
かつては横山ノックが知事にまでなった大阪府だが、果たして今回は・・・


チリで大地震発生、日本にも津波来襲の恐れあり

2010-02-28 09:14:11 | 世間話
http://news.goo.ne.jp/article/reuters/world/JAPAN-140993.html
チリで27日3時34分ごろ(日本時間15時34分ごろ)にM8.8の地震が発生し、
死者が200人以上でているとのこと。


そして、やはり広い太平洋をつたって日本にも津波がやってくる見通しで、
今日午後にやってくるとのこと。
三陸海岸沿いには大津波警報が発令され、関東にも午後1時半頃来る様子だ(NHKニュースによる)。

50年前の1960年、チリはW杯(1962年)開催前に大地震を被り、その時は1,700名以上の死者が出た。
その地震による津波が三陸海岸を襲って大被害をもたらしたことを思うと、
そして津波が秒速10メートルもあると思うと、津波への用心は不可欠でしょう。

日本と同じく、環太平洋の地震多発地域にあるチリ。
また、私の友人がチリへ留学に行っていたこともある。
今回の犠牲者の方のご冥福とチリの復興を心よりお祈りします。

2月7日「北方領土の日」・・・いつその願いは叶うのか・・・

2010-02-07 23:39:00 | 世間話
1855年2月7日に日露和親条約が締結され、日露間の国境が千島列島の択捉島とウルップ島の間に定められた。
その2月7日が「北方領土の日」定められた1981年からはや30年近く経つ。

(外務省のホームページ↓)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/day/index.html

ここでいう北方領土は択捉島と国後島、そして歯舞群島と色丹島を指す。
国後島は知床半島の羅臼町から見えるとのことだし、
歯舞群島の中の一部の島は納沙布岬から見たことがある。
「北方領土の日」制定は小笠原諸島そして沖縄が相次いで返還が実現した流れを受けて
返還運動をすすめるためのものだったが、今なお北方領土は近くて遠い地になったままである。

先月、羅臼町の漁船がロシア国境警備隊の銃撃を受けた。
この漁船に指定区域外操業の疑いもかけられたが、そもそも北方領土が戻ってこない限りは
指定区域は依然狭いままであり、同様の問題が今後も起こる可能性はある。
根室も、東のどんづまりのままでは大きな発展は望みにくいだろう。
道東振興の為には北方領土問題のなんらかの形での解決は不可欠だろう。
また、知床半島と地勢的に近く、豊かな自然をもつといわれる国後島を観光・環境両面で成功させてほしい。


1951年に米・英など計48カ国と結んだサンフランシスコ講和条約で、日本は千島列島の放棄をうたっている。
(歯舞群島と色丹島は放棄対象に入っていない)
仮に第3国に北方領土問題の仲介を願おうとも、その第3国候補には千島列島放棄をうたっているのだ。
また、固有の領土とはいっても戦争に敗れれば他国に奪われることも世界的にはあること。
(パラグアイは19世紀後半にアルゼンチン・ブラジルに敗戦して国土の2/3を失っている)
ロシア側は2島返還は認めるが、4島全ての返還はありえないとする考えのままである。

そんな中で、日本側の従来のままの論理を押し通すだけで4島が返ってくるかどうか。
ソ連崩壊直後ならチャンスもあったかもしれない。
しかし、今の日露両国のパワーバランスとポテンシャルを考えると、
大胆な経済的・金銭的な取引をしてでも4島返還にこだわるか、
4島すべてにこたわらず、4島のうちいくつかを返還を求める方針に転換するか、
いずれかが必要ではないだろうか。
ただ先延ばししたら自ずと解決する問題ではない以上(ロシア側は先延ばしでよかろうが)
日本政府には早急に決断してほしい。

「誰も『戦後』を覚えていない」~戦後60年の最後に~

2005-12-31 23:33:08 | 世間話
文春新書・鴨下信一著「誰も『戦後』を覚えていない」
という本を今さら読んでいる。
2005年という年は社会的にいろんな意味を持つが
やはり戦後60年という意味を持つことは避けて通れない。
私は他にも先の戦争のことを記した本を読んだ。
「特攻」のことなど・・・

この本、終戦直後の日本の生活ぶりを記しているのだが
その最初の2章を読んだだけで、
「日本は自ら戦争を仕掛けてはいけないのだ」と
改めて思った。
物資もない、食糧もない・・・
この事態は戦争が招いた事態だ。
今でこそモノは日本国内に豊富にあふれているし
国内でつくれないものはほんとに限られているが
今でも食糧は深刻な問題だ。
日本の食糧自給率は今何%だ?
幸い今は諸外国から輸入できているが、
国際関係が悪化すればそれが途絶えかねない。
食糧だけでなく、
石油などのエネルギーもそうなのだが・・・
だいたいエネルギーがなければモノはつくれない。

映画「男たちの大和 YAMATO 」はまだ見ていなくて、
そのストーリー・思想はまだ知らないが、
「自分の家族、愛する者・国の為に戦う」という面のみが
強調されていないか気になる。
その前提として「国が無謀な戦争を仕掛けたがゆえに
最期、戦艦大和すら特攻に供えなくてはならなくなった」
ということを忘れてはならないのではないか。

※私は「太平洋戦争」が自衛戦争だったかどうかの
明確な判断は避けるが、
「太平洋戦争」を引き起こす原因となった
「日中戦争」は侵略戦争だったと考えている。

2005年はもうすぐ終わる。
戦後はさらに遠くなっていく。
しかし、日本という国がどういう国であり、
どういう方向に進むべきか、という思索は
少なくとも私の中ではまだまだ続くし
皆も考えてほしいな、と思います。



お蔭様で、このブログも
開設以来158日で累計アクセス数2万を超えました。
毎度閲覧どうもありがとうございます。
本年は皆さんどうもありがとうございました。
数十分後に来る新年、2006年(平成18年)も
よろしくお願いいたします。
そして、皆さんにとっても
来る新年がよき年でありますように。


2005.12.31 管理人せたがや

ダイエー創業者・中内功氏ご逝去

2005-09-19 23:04:29 | 世間話
先日脳梗塞で入院と報じられていた中内氏が
本日ご逝去された。享年83。
(功(いさお)は、正しくは工に刀とかく)
ご冥福をお祈りします。

ダイエーは勿論大阪・神戸が地場のスーパー。
私の実家からはあいにくダイエーは遠かったが
ダイエーは間違いなく存在感のある店だった。
世田谷に住んでいたときは、
関東ダイエーで最大級の碑文谷まで
自転車でよく買い物に行っていたものだ。


さて大阪が地場の大きな(有名な)会社は
「庶民向け」のものを売りにしている。
松下電器・電工だって元々はそうだし、
日清食品、江崎グリコもそう。
吉本だってそうだ。


70年代~90年代初頭、日本最大の小売業者だったダイエー。
プロ野球球団も高級ホテル・リゾートも
大学もそのグループの中にあった。

しかし、
その後バブル崩壊、阪神大震災だけでなく
消費者のニーズの変化と
効果的な人員削減を両立できずに
(結果食品売り場から活気と新鮮な商品が消えた)
ダイエーの業績は低迷、
去年、ダイエーは産業再生機構の支援を受けるに至り
拡販に大きく貢献していたプロ野球球団も手放した。

ダイエーがあったからこそ
価格決定権がメーカー・商社ら(川上)から
消費者に近い小売店(川下)に移り
「流通革命」がおきたのだと思う。
バブル期以降の中内氏らによるダイエーの迷走は
(結果、多くの銀行は債権放棄もしている)
世間に迷惑をかけたけども、
この「流通革命」を日本で起こした、という
偉業は讃えられるべきだ。

中内氏は、昨年全資産の売却をすると公表したらしい。
それでもダイエーの巨額の負債は返済しきれないだろう。
葬儀は身内だけという。
寂しいけど、それは仕方ないのかもしれない。

せめてダイエーがもう一度輝く企業になってほしいと思う。
ただでさえ大阪・関西の経済は元気がないので・・・