SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

KASPER VILLAUME 「HANDS」

2007年03月19日 | Piano/keyboard

最近の生きのいいヤツをもう一枚。
全般を通してとにかく挑戦的で若さ溢れる演奏だ。
特にクリス・ポッター(ts,ss)の疾走感はすごく、まるで彼のリーダーアルバムではないかと錯覚してしまうほどである。
キャスパー・ヴィヨームは前作がよかったので、このアルバムも期待していた。もともと彼はこういったワンホーンのバッキングが好きなようで、今度もこう来るだろうというある程度の予想はできていた。しかしここまで弾けたものになるとは、私の読みも大したことがない。
彼のピアノタッチは硬くて強い。その結果、とても北欧ジャズとは思えない雰囲気が出来上がる。まるでニューヨークのジャズクラブで演奏しているようだ。曲が終わって拍手が入らないことにむしろ違和感さえ感じてしまうくらいだ。スタジオ録音でそんなムードを出せるのも彼の才能かもしれない。

ジャケットも印象的なデザインになっていて背表紙もユニーク。棚に並べていてもすぐ取り出せるのは有り難い。
最近のCDはこうしたブックレット入りのデジパックが増えてきたが、これも歓迎すべきことだ。ただの紙ジャケはLP盤を単純に縮小しただけで芸がない。プラケースは安っぽいだけでますますいけない。

HANS KOLLER JAZZ ENSEMBLE 「NEW MEMORIES」

2007年03月18日 | Group

ハンス・コラーという人は、まだ日本ではほとんど知られていないだろう。
ただ同姓同名のテナーサックス奏者(オーストリア)がいたので紛らわしいが、ここでご紹介するのはまだまだ若い70年生まれのピアニスト、ハンス・コラーである。お間違いなく。

このアルバム、現代のビッグバンドジャズを知りたい人にはうってつけのアルバムである。
但しビッグバンドといってもデューク・エリントンやカウント・ベイシーのようなスタイルではない。どちらかというとギル・エヴァンスやオリバー・ネルソンの系列に含まれる。以前ご紹介したミリアム・アルターにも近い存在といえる。
ビッグバンドジャズの面白さは、何といっても分厚いアンサンブルと、ソロパートに入る一瞬のタイミングにある。これには一糸乱れぬ全員の呼吸が必要で、指揮を執るリーダーの手腕がものを言う。決まった!と思った時の快感は何ともいえない。
ハンス・コラーによる音づくりの特徴は、ブロードウェイのミュージカルを観ているような臨場感にある。場面場面で主役が交代しても多くの脇役がきちんと全体の流れを崩さずに進行していく。その中心にいるのがドラムを叩くジーン・カルデラッツォだ。以前クリストファー・シモンズと組んだピアノトリオでもいいリズムを刻んでいた。

ハンス・コラーのような才能ある人を生かすも殺すも私たちリスナー次第だ。
先入観を持たず新しいジャズもどんどん聴いていこう。

CANNONBALL ADDERLEY QUINTET「in Chicago」

2007年03月17日 | Alto Saxophone

呪縛から解き放たれた開放感でいっぱいの傑作だ。
メンバーはキャノンボール・アダレイ(as)の他、ジョン・コルトレーン(ts)、ウィントン・ケリー(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)、...とくれば、誰の呪縛かわかろうというもの。
マイルスだ。全員、当時のマイルス門下生である。
マイルスの存在感は大きく、いつもあのだみ声で自信たっぷりの指導力を発揮していた。
そんなシカゴでのツアー中に、誰が言い出したか、マイルスのいないことを見計らっての「いっちょ、やるか!」に、「よし!」とばかり、他のメンバー全員が乗ってきて実現したスタジオ録音がこれだ。

注目すべきはキャノンボール・アダレイとジョン・コルトレーンのサックス・バトルで、聴き応え充分だ。
それと面白いのはアルバムの全体構成である。1曲目とラスト6曲目に全員の息が合ったブルースを配置し、2曲目と5曲目にはそれぞれの持ち味を生かしたバラードを挿入、3曲目はアダレイの作品である「WABASH」を、4曲目にはコルトレーンの作品である「GRAND CENTRAL」を配置している。ある意味当然かもしれないが、「WABASH」では圧倒的にキャノンボール・アダレイのプレイがすばらしく、「GRAND CENTRAL」ではジョン・コルトレーンの力強さが印象に残る。
楽観的なアダレイと神経質なコルトレーン、対照的な二人ではあるが、実力はかなり高いレベルで伯仲している。
おそらくマイルスもこのアルバムを聴いて、「あいつら、なかなかやるじゃないか」と思ったに違いない。

THE MODERN JAZZ QUARTET 「CONCORDE」

2007年03月16日 | Group

MJQはもともとミルト・ジャクソン・カルテットだったらしい。
その後、MJQの愛称をそのままにモダン・ジャズ・カルテットと改名したようだ。つまり初期はミルト・ジャクソンがリーダーだったのだ。
ヴァイヴ(ビブラフォン)を入れたカルテットはそれだけで特殊な編成だったから、その特殊な楽器を扱う人が目立っていて当然ではある。しかもミルト・ジャクソンは見るからに堂々としていて、ジャズジャイアントに相応しい風貌をしていたからますます自然な成り行きだった。しかし人にはリーダー向きの人とそうでない人がいる。
やがてMJQのリーダーはジョン・ルイスに移行していく。あの口をもぐもぐさせて、あまり転がらないピアノを弾く人だ。
彼はミルト・ジャクソンほど強烈な印象を受けない。実際のことは知らないが、見た目は穏やかで優しそうな人に見える。
バッハにずいぶんと影響を受けたせいで、元々はブルージーなミルト・ジャクソンも次第に透明感ある演奏スタイルに変貌していく。そうなるとグループ全体がクラシックの室内楽のように映って見えるから不思議なものだ。

リーダーとはメンバーに対してビジョンを示し、グループをその方向に導く人だということを、ジョン・ルイスは身を以て私たちに教えてくれている。だからこのアルバムに入っている「朝日のようにさわやかに」は、彼らの代表曲になったのだ。
MJQのように清楚で品がなくては、この曲を演奏する資格がない。

BILL CHARLAP TRIO 「'S Wonderful」

2007年03月15日 | Piano/keyboard

彼は歌心のある人だ。
テクニックに溺れず走らず、常にスタンダード曲が持つ原曲の美しさを精一杯表現することに執念を燃やしている。
こういうピアニストは最近とんと見かけない。
こうした姿勢は、おそらくお父さん(ブロードウェイ・ミュージカルの作曲家)、お母さん(ジャズ&ポップス・シンガー)の教えだろうと思う。そういう家系に育ったことが彼の幸せなのだ。
チェット・ベイカーのトランペットは、彼の歌声の延長にあると言われている。ビル・チャーラップも同様だと思う。つまりピアノで歌を歌っている感覚なのだ。バド・パウエルやキース・ジャレットのようにメロディと連動した唸り声を発しているのではない。鍵盤そのものが彼の「声帯」になっていると解釈したい。

このアルバムこそ、ジャケットのインパクトも手伝ってビル・チャーラップを一躍有名にした作品である。
その後の活躍は言うまでもない。ジャズファンの多くはこういうピアニストを待っていたのだ。
彼のアルバムはニューヨーク・トリオも含めてほとんど全部持っているが、最近はよりスローテンポな曲がアルバム全体を占める傾向にあるようだ。しかし私としてはハイ~ミディアムテンポの曲が彼のベストだと思っている。このアルバムで言えば「マイ・シャイニング・アワー」がお気に入りだ。
今も私のスピーカーからは彼の弾く口ずさむような歌声が流れている。

CURTIS FULLER 「Vol.3」

2007年03月14日 | Trombone

トロンボーンという楽器は茫洋としてつかみどころのない楽器だ。
U字型の金属パイプをスライドさせて音の高低を出すというある意味アバウトな構造のせいである。だから明確な単音表現よりも流れるような音節をつくり出すのに適している。
カーティス・フラーはそんなつかみどころのない楽器を、ファンキージャズでも活躍できるようにした男である。
彼が吹くと全体の空気が一変する。
単に音に厚みが出るなどといった表現だけでは言い表せない彼独特の暖かみある世界が広がるのだ。

本来カーティス・フラーといえば、「ブルースエット」を最初に紹介すべきかもしれない。
彼のスマッシュヒットであり、ファンキーな時代の金字塔だからだ。
但し、個人的にジャケットが大嫌いなのである。全体の色彩といい、タイポグラフィの扱いといい、品のない奇妙な絵(イラスト)といい、ここまで嫌いな要素が詰まったジャケットもない。聴くときはこのジャケットを伏せて聴いているくらいだ。ただそれだけの意味でここには載せないことにした。
その点このVol.3は、ジャケットはもとより内容も「ブルースエット」に負けていない。アート・ファーマーもいいし、ジョージ・タッカーのベースもすごい。ベニー・ゴルソンとの競演作もいいが、この作品もまた彼の代表作だと思う。
トロンボーンという楽器に、ある種の違和感を感じている人にこそお薦めだ。

ELLA FITZGERALD/LOUIS ARMSTRONG 「ELLA & LOUIS」

2007年03月13日 | Vocal

いまさら私が解説しても始まらないアルバムだ。
ジャズの神様といえる二人が競演しているだけでなく、バックにオスカー・ピーターソン・トリオを配置した誠に豪華なアルバムなのだ。内容も文句なしに楽しい。人気も沸騰したためスターウォーズのように続編も作られる始末。
しかし、こういいことばかりを書き連ねていると文句の一つもいいたくなる。
だいたい何でこんな写真をジャケットにしたのか。
確かに気の良さそうなおじさんとおばさんの仲むつまじい姿はほのぼのする。しかしこれでは私の家の近所にいるご夫婦と変わらない。これくらいの大スターが競演するっていうのに、スタジオの片隅で「はい、パチリ」はないだろう。しかもフラッシュ付きで大きな影が映り込んでしまっているじゃないか。何とも安易すぎる。
で、気がついた。
これはほんの思いつき作品なのではないかということ。
つまりたまたま思いつきでこんな企画が持ち上がり、それを二人がおもしろがって承諾した。オスカー・ピーターソンも、そんな二人が競演するならと、ノーギャラに近いかたちでテキトーにOKする。プロデューサーのノーマン・グランツも売れなくたって面白けりゃいいくらいの気持ちだった。だからジャケットなんかは考えてもいなかった....。
もちろんこれは全て私の勝手な推測で、たぶん事実とは違う筈だ。
ただ名作は、そこに関わるみんなの純粋な遊び精神から生まれることだってあるってこと。

THIERRY LANG TRIO「PRIVATE GARDEN」

2007年03月12日 | Piano/keyboard

何という美しさだろう。こんなにも澄み切ったピアノの音が他にあるだろうか。
花に例えるなら大輪ではなく、風に揺れる名もない野原の一輪だ。

ティエリー・ラング、1956年スイスのローモント生まれのピアニスト。
彼はイギリスの王立音楽大学でクラシックを本格的に学んだだけあって、そのテクニックには確かな裏付けを感じる。
彼の感性は「ため」が効いた独特のメロディラインによく表れており、クラシックと同じ感覚で聴く者を自分の世界に引き込んでゆく。
私はこのアルバムを聴いて以来彼のファンになり、以後の作品も何枚か購入した。何枚か購入してようやくわかった。私はこういう無欲なピアノトリオが好きなのだ。

先日友人に誘われ、花の山に登った。見事なくらい可憐な雪割草で斜面がいっぱいだった。
もう家の中に自然を取り込む努力なんかはやめて、自分から自然の中に出かけていこうと決めた。その方がはるかにロハスな生活だ。
そうすればあちこちに私の「プライベート・ガーデン」ができるような気がしている。

PAUL DESMOND 「EASY LIVING」

2007年03月11日 | Alto Saxophone

「サックス奏者は誰が好き?」と聞かれると、まず最初に「ポール・デスモンド」と答えていた。
彼は私がジャズを聴き始めた頃のあこがれだった。
最初の頃は彼の吹く楽器がサックスだとは思っていなかった。クラリネットか何かだと思っていたのだ。それくらい彼の吹くアルトは角が丸い音色をしている。ジャッキー・マクリーンあたりの音色と比べてみると歴然だ。とても同じ楽器だとは思えない。
彼はそっと囁くように吹いているが、それでこれだけしっかりした音を出せるのは、ジャズ界広しといえど彼一人だけだろう。

久しぶりにこの「EASY LIVING」を聴いてみた。
女房役のジム・ホールによる音あわせのようなイントロから、まるで口笛のようなポール・デスモンドのアルトが入ってくる。このアンニュイな雰囲気にはピアノレス編成、大正解だ。
驚いたのはコニー・ケイの見事なシンバルワークと、ユージン・ライトの強靱なベースだ。これまではポール・デスモンドのアルトばかり聴いていたようで、こんなにもバックがしっかりしていたとは気づかなかった。
しばらく棚に眠っていたアルバムも、改めて聴くと新譜のように感じられることがある。これがその典型例だ。

DJANGO REINHARDT 「DJANGOLOGY」

2007年03月10日 | Guiter

ウディ・アレン監督、ショーン・ペン主演の「ギター弾きの恋」という映画をご覧になった方も多いだろう。
1930年代のシカゴを舞台に繰り広げられるほろ苦い恋の物語だ。
あの主人公は架空の人物だが、この映画の中に「オレは世界でジャンゴの次にギターがうまい」といった類のセリフが出てくる。
彼がうまかったのは何もギターテクニックだけではない。曲の解釈が優れていたのだ。
最近のジャズマンの曲を聴くと自分の個性を出そう出そうとするせいか、その曲の持つオリジナリティと真に向き合っていないものが多いように思う。要に歌心が足りないのだ。
その点、ここにいるジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリを中心とした五重奏団は、最初に歌ありきの演奏をしている点に注目したい。

録音が古いためにあちこちでパチパチとノイズが入る。アマチュアが録音したものをビクターが買い取ってレコード化したというからそれも頷ける。でもこうしたジャンゴの弾くギターの音色を現在の最新録音技術で聴きたいとは思わない。私たちはこのノイズも音楽の一部と捉えて聴くべきなのだ。
そんな風に考えると、がぜん生き生きした当時のジャズマンたちの心意気が蘇ってくる。