現実と夢!!

今日は曇り

失われていく言語

2010-10-23 02:09:57 | Weblog
今、世界中にある言語が失われていく危機的な状況にあるようだ。
日本で言えば、アイヌの言葉や奄美の言葉だ。

ユネスコの調査によれば、EUには実に226の危機言語があるようだ。
特にフランスは深刻で52もあるそうで、イタリアは31にものぼる。
世界に目を向けると、それは2500にも飛躍する。

さて、ユネスコはこれは危機的な状況であると表現しているが
それは本当にそうなのだろうか?私の答えはYesなのだが、
ただ、失われていくから守らなければならないのだという視点で
片付けられるほど、この問題はシンプルではさなそうだ。


例えば、日本でいえばアイヌ語が危機的な状況にあるとされている。
しかし今やアイヌの言葉を知る人はとても少ないだろうが、
それが何において問題なのだろうか?

アイヌの文献や歴史の今後の研究に影響があるというのであれば
それはデータベース化することで解決される。
何もネイティブのように話す人を作り続けなければいけないという話ではない。

それは文化である。文化が失われることは問題だというのであれば、
本当になくなった場合の影響をよく考え直す必要があろう。
アイヌ語を失うことでその根源たるものに触れられなくなるのでないのであれば
いささか論点が変わる。
これは、例えば今やっている時代劇や大河ドラマを昔の言葉で演じないと
ダメか?という問に似ている。答えは必ずしもYesではないはずだ。


問題を極大化して、バベルの時代のように言語が一つしかない時代に
遠い将来なったとして、それは問題なんだろうか?
これはおそらく問題である。例えば日本の場合、雨一つとっても
様々な表現があるが、英語ではそうではない。この民族性が失われてしまう。
ただこれもDB化で無機質でぬくもりがなくなるかもしれないが、対応は
最低限可能である。



歴史的遺産という視点もある。ユネスコはこちらに軸足を置いているように
思えるが、これは何を保存したいのだろうか?
言語そのものか?言語を話している人たちか?それらの人が営む生活か?
それを明確に定義する必要があろうが、この時代、言語という回答が
精一杯だろう。


このように、言語が失われると何が問題かを明確にして
それに対する策を講じればよい。

私は言語が失われるのは、文化的にも歴史的にもあまりにも惜しいと思う。
であるから、このデジタル化の時代、デジタル情報として
最低限保存していくことは必要なことだと考える。

翻訳機能は今大分進んでいるのだから。

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