犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

永井論文

2014-03-07 23:25:04 | 慰安婦問題

 少し前にコメンテイターの一人から、ある論文のリンクを紹介していただきました。

 京都大学文学部教授の永井和氏が、2000年に発表した論文、「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」をもとに、2004年、韓国ソウル大学で行ったセミナーの報告なんだそうです。

 テーマは、吉見教授が1991年に発見した、日本陸軍の「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」 (1938年3月4日付、以下「副官通牒」)という文書の解釈に関するものです。この「発見」は、翌年朝日新聞の一面トップで報道され、そこから嵐のような慰安婦キャンペーンが始まりました。論文はこちら(→リンク)で読めますが、全部読むのは面倒臭いという人のために、以下に要約します(犬鍋の要約は信用できないという人は、原文にあたってください)。


 まず、問題となっている副官通牒の全文(現代語に修正)です。

 支那事変地における慰安所設置のため、内地においてこれの従業婦等を募集するに当たり、ことさらに軍部了解などの名義を利用したために軍の威信を傷つけ、かつ一般民の誤解を招くおそれのあるもの、あるいは従軍記者、慰問者などを介して不統制に募集し社会問題を惹起するおそれのあるもの、あるいは募集に任ずる者の人選が適切を欠くために募集の方法が誘拐に類し、警察当局に検挙取り調べを受けるものがあるなど 注意を要するものが少なくないことについて、将来これらの募集などに当たっては、派遣軍において統制し、募集に任ずる人物の選定を周到適切にして、その実施に当たっては、関係地方の憲兵および警察当局との連繋を密にし、軍の威信保持上ならびに社会問題上、遺漏なきよう配慮するよう依命通牒する。

 この文書について、吉見氏は「慰安婦の募集が軍の指示と統制のもとに行われたことを裏づける文書だ」と位置づけているのに対し、自由主義史観の小林よしのり氏や藤岡信勝氏は、「内地で誘拐まがいの募集をする業者がいるから注意せよ」「軍の名前を騙って無理な募集をしている者がいるから取り締まれ」という、軍による「よい関与」の例で、「業者が強制連行をすることを禁じた文書だ」と解釈しています。小林氏を批判する上杉聡氏は、逆にこの文書こそ「強制連行の事実があったことを示す史料」であり、そうした悪質な業者の背後に軍部があることを「ことさら言うな」と指示しているのだと主張しているそうです。

 この同じ文書にについて永井氏は、1996年末に発掘された警察関係の資料(女性のためのアジア平和国民基金編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』1997年所収)を分析して、新しい解釈を打ち出しました。

 その警察関係の資料とは、1938年3月4日付副官通牒より少し前、2月23日に内務省警保局長から出された通達と、それに付随するいくつかの県警察部長からの内務省宛報告書です。


 これらの資料から事の経緯をたどれば、まず1937年12月中旬に、上海総領事館、陸軍、憲兵隊の間で協議が行われ、前線に軍慰安所を設置することが決定される。そして、そこで働く女性を集めるために、上海の業者に依頼をして日本と朝鮮に派遣。12月21日には、業者や集められた女性の日本から中国への渡航の便宜を図ってもらうために、上海総領事館警察署が長崎県水上警察署長宛に依頼状を書いた。こんな依頼をする必要があったのは、同年8月31日、各地の警察に対し、「混乱に紛れて一儲けしようとする「不良分子」の中国渡航を厳しく取り締まるために、身分証明書の発行を制限し、中国渡航を取りやめさせろ」という外務次官通達が出されていたからです。

 軍の要請、委託を受けた上海の業者(中野という日本人)は、日本各地で自ら、あるいは別の業者に頼んで、慰安婦を集めようとしました。その実態は、山形、宮城、群馬、茨城、和歌山、高知の各県警察部報告と、神戸や大阪での慰安婦募集についての内偵報告から知ることができます。このうち、和歌山県からは、「誘拐容疑事件」が一件、報告されています。


 1938年1月6日、和歌山県田辺警察署は、挙動不審の男性3人を「婦女誘拐容疑」で拘束。彼らの証言によれば「自分たちは軍部の命令で上海皇軍慰安所に送る酌婦募集のために来たのであり、軍からの三千人の要求に対し、すでに70人は軍用船で長崎から出港した」と言う。彼らは、ある料理店の酌婦3人に「金が儲かる、軍隊だけを相手に慰問する仕事だ、食料は軍より支給する」などと言って上海行きを勧誘、この噂を聞いた田辺警察署は「婦女誘拐の疑い」で身柄拘束をしたのでした。


 田辺警察署は、業者の証言の裏をとるために、長崎からの出港の便宜を図ったとされる長崎と大阪の警察に問い合わせたところ、どちらも内務省からの非公式の指示により実際に便宜を図ったことが判明。業者の身許も明らかになったので、1月10日の3人を釈放しました。


 別の業者(大内)は、これとは別に、群馬、茨城、山形で募集活動を行い、警察に目をつけられます(検挙には至らず)。

 大内の証言によれば、自分は上海で貸し座敷業をする者(中野)から、三千人の酌婦集めの協力を依頼されたとのこと。中野という人物は、和歌山の件でも名前が上がっています。所持していた契約書のひな型を見れば、当時、国内の遊廓で結ばれていた「身売り」の娼婦稼業契約でした。ただ、募集する女性の年齢が「16歳から30歳」となっていて、これは国内の娼妓の年齢制限(18歳未満は不可)、朝鮮・台湾での制限(17歳未満)よりも低く、21歳未満の女性の売春を禁じた国際条約(日本は1925年批准)にも違背します。


 このほか、詳細不明ですが、高知県、宮城県の警察署報告でも募集業者の活動が報告されています。高知県では、「軍と関係があるかのようにいう業者を取り締まり、売春目的で外国に渡航しようとする婦女には身許証明書を発行しないように」という指示が出されます。前述の外務次官通達(37年8月31日)に従えば、当然の処置でしょう。

 しかし、警察にそのような取り締まりをされては、軍としては困る。そのため、警察に指示して取り締まりを緩和させたのが、38年2月28日に出された内務省警保局長の通達だ、というのが永井氏の解釈です。警保局長通達の全文(現代語)は次の通り。


 支那事変の後、支那各地の秩序回復に伴い渡航者が著しく増えているが、これらの中には同地における料理店、飲食店、カフェ−、または貸座敷類似の営業者と連携をとり、これらの営業に従事することを目的とする婦女子が少なくない。さらに内地においては、これら婦女募集の周旋をする者が、あたかも軍当局の了解があるかのような言辞を弄する者も頻出しつつある状況である。

 婦女の渡航は、現地における実情に鑑みるとき、確かに必要やむをえないものがある。警察当局においても、特殊の考慮を払い、実情に即する措置を講ずる必要があると認められるが、これら婦女の募集周旋等の取り締まりに当たって適正を欠けば、帝国の威信を傷つけ皇軍の名誉をそこなうのみならず、銃後の国民、特に出征兵土の遺家族に好ましくない影響を与えるとともに、婦女売買に関する国際条約の趣旨に反することにもなるので、現地の事情その他を考慮し、以下各号に準拠することとする。

1)海外の売春目的の婦女の渡航の条件は、現在内地で娼婦をしている満21歳以上で、性病や伝染病が無く、華北・華中に向かう者のみに、当分の間黙認することとして、外務省の身分証明を発行する。

2)身分証明を発行するときに、はじめに契約した年季が明けたり、営業の必要が無くなったりしたときには、すぐに帰国するように諭すこと。

3)婦女本人が、警察に出頭して身分証明書の申請をすること。

4)承認者として、同一戸籍内の最近尊属親、それがない場合は戸主、それもないときはそれが明らかであること。

5)身分証明書の発行前に、娼婦営業についての契約などを調査し、婦女売買や誘拐などがないよう注意すること。

6)婦女の募集周旋について、軍との了解や連絡があるなどのことを言う者は、厳重に取り締まること。

7)そのために、広告宣伝や誇大な話をする者は厳重に取り締まり、また募集周旋にあたる者がそれをしているときには、国内の正規の認可業者か、在外公館などの認可業者かを調査し、その証明書のない者は活動を認めないこと。

 永井氏はこの警保局長通達(38年2月28日付)を、
「軍の依頼を受けた業者による慰安婦の募集活動に疑念を発した地方警察に対して、慰安所開設は国家の方針であるとの内務省の意向を徹底し、警察の意思統一をはかることを目的として出されたものであり、慰安婦の募集と渡航を合法化すると同時に、軍と慰安所の関係を隠蔽化するべく、募集行為を規制するよう指示した文書」
と位置づけています。

 つまり、通達にある7項目中、契約内容や募集方法の適法性に関する2)~5)、7)ではなく、売春目的の海外渡航を黙認する1)と、とりわけ軍と関係があるように言う業者を取り締まるという6)が、この通達の眼目だということです。

 また、冒頭の副官通牒(3月4日付)は、
「そのような警察の措置に応じるべく、内務省の規制方針にそうよう慰安婦の募集にあたる業者の選定に注意をはらい、地元警察・憲兵隊との連絡を密にとるように命じた、出先軍司令部向けの指示文書」
なのだそうです。

 副官通牒の中の、「ことさらに軍部了解などの名義を利用したために軍の威信を傷つけ、かつ一般民の誤解を招くおそれあるもの」とはすなわち、警察資料にある大内らの活動を指しており、「募集に任ずる者の人選適切を欠くために募集の方法が誘拐に類し、警察当局に検挙取調を受けるもの」とはすなわち、和歌山で検挙された誘拐事件を指す。ただ、「軍記者、慰問者などを介して不統制に募集し社会問題を惹起するおそれあるもの」は警察資料に該当のものがないため、永井氏は、憲兵からの報告ではないかと推測しています。

 したがって、副官通牒は、自由主義史観陣営が主張するような、「業者の違法な募集活動を取り締まるためのもの」ではさらさらなく、「慰安婦の募集周旋において、業者が軍との関係を公言ないし宣伝すること」、すなわち「業者が本当のことを言うこと」を禁じたものであり、「慰安婦の募集は密かに行われなければならず、軍との関係には触れてはいけない」という指示だったというわけです。

 こうした解釈の前提として、永井氏は一つの作業仮説を立てています。それは、「内務省は主として現在知られている警察資料に含まれている諸報告をもとに、前記警保局長通牒を作成・発令し、さらにそれを受けて問題の副官通牒が陸軍省から出先軍司令部へ出された」という仮説です。

 この仮説に立てば、副官通牒に言う「募集の方法が誘拐に類し、警察当局に検挙取調を受け」たものは、和歌山県の一件だけであり、誘拐まがいの募集はほとんどなかったことになる。だとすれば、副官通牒は「業者による違法な募集の取り締まり」ではありえない。なぜなら、ほとんど起こっていないことを取り締まるはずがないからだ、という論理です。


 実際に、現在知られている報告書とは別に、そのような違法行為がたくさん報告され、そのような報告を踏まえて通牒が出されたのなら、自由主義史観陣営の解釈もありうるが、今のところそのような資料は見つかっていない、と。


永井氏の結論を要約すると…

 日中戦争が本格化した1937年末から38年2月にかけて、国家と性の関係に一つの転換が生じた。それまで日本は、公娼制度のもとで、民間の性産業・風俗営業を公認し、これを警察によって規制していたにすぎなかったが、軍慰安婦制度ができて以降、国家自らが、軍人のために性欲処理施設を設置し、それを業者に委託経営させるようになった。

 慰安婦の募集と渡航を合法化する一連の措置は、性的労働力の戦時動員風俗産業の軍需産業化である。戦時には、徴兵や徴用などの形で全国民が等しく動員されたが、そこには民族とジェンダーに応じたヒエラルキー(階層)があり、その最下層に置かれたのが、植民地・占領地出身の女性たちだった。

 軍・国家は、兵士による強姦を減らし性病の蔓延を防ぐために、慰安婦を必須の存在とみなし、慰安婦募集と渡航を公認した一方、売春という道徳的に恥ずべき行為に自ら手を染めているという事実は、できるかぎり隠蔽する方針をとった。

 従軍慰安婦は将兵へサービスを行った点で従軍看護婦と似ているが、慰安婦が、見えてはならない存在として戦時総動員ヒエラルキーの最底辺に置かれたのは、上のような論理と政策の結果である。とりわけ植民地・占領地出身の慰安婦にとってこの制度は性奴隷制度にほかならなかった。

 そして、慰安所と日本政府・軍の関係については、

慰安所とは将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設であり、民間業者の経営する一般の公娼施設とは異なる。慰安所の存在は正当化できない。政府と軍は、「強制連行」をしたかしないかにかかわらず、その責任を免れられない。

とし、政府・軍の責任を追及する立場をとります。

 永井氏の主張は、学者らしく実証的で、整然とした論理で組み立てられており、副官通牒についての氏の解釈には説得力があります。

 私が気になったのは、むしろこの報告を聞いていた人々の反応です。この報告は、2004年、韓国のソウル大学で行われました。聴講者はほとんどが韓国人と思われます。

 韓国での慰安婦の認識は、
「従軍慰安婦」は20万人ぐらいいて、大部分は朝鮮人で、日本政府と軍が「強制連行」した、
というもの。


 永井氏の報告は、日本の副官通牒と警察関係の資料の分析ですから、朝鮮のことは出てこない。わずかに、軍が選定した業者が日本だけでなく朝鮮にもわたったらしいことが示唆されているだけです。

 そして、この時期に日本で「三千人」の慰安婦を集めようとしたこと、慰安婦の集め方は業者による勧誘で、軍・政府の直接的な「強制連行」はなかったこと。誘拐や略取の例もなく、わずかに甘言(罪名は「誘拐罪」)で警察につかまった例が一件あるのみ。永井氏は、内地で不法な募集はほとんどなかったと分析しています。

 韓国の人はこれを聞いて、意外に思ったんじゃないでしょうか。日本人の慰安婦もけっこう多かったとか、不法な募集が少なかったことは、韓国で言われている通説とは異なります。「日本ではそうだったかもしれないが、韓国では違ったんだ、強制連行されたんだ」と自分に言い聞かせた人もいたかもしれませんが、韓国の聴講者の間に失望が静かに広がったことは想像に難くありません。


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