東京出張時、新大阪駅構内の書店で、浅田次郎の新刊を買いました。
『帰郷』(集英社刊、2016年6月)、太平洋戦争をテーマにした戦争文学の短編集です。
表題作の「歸鄕」は、作品名は旧字体の表記ですが、本のタイトルでは新字体の「帰郷」になっています。著者が作品名の旧字体を、書名としてをあえて新字体で表記した理由はよくわかりません。
きっと、旧字体のまま書名にした場合、読めない人も多いし、それが本の売上にも悪影響を及ぼすことを危惧したのかもしれません。本書の内容は別に述べることとして、旧字体について。
日本では終戦直後の1946年に、簡略化された漢字(新字体)の一覧表が「当用漢字」として発表され、以後、刊行物や教育漢字の基準になりました。
この結果、一部の画数の複雑な漢字は大幅に簡略化され、画数はそれほど変わらなくてもスタイルが微妙に変わりました。
歸鄕は、新字体との似ているので、ある程度類推がつきますが、中にはまったく想像の及ばないような変化もありました。
たとえば、
舊字體 → 旧字体
燈臺 → 灯台
瓣當 → 弁当
などは、今の若い人はまず読めないでしょう。
その他に
社會 → 社会
學校 → 学校
讀書 → 読書
傳記 → 伝記
藝術 → 芸術
鐵道 → 鉄道
戀人 → 恋人
私の学生時代は、教科書も市販の本もすべて新字体になっていましたが、家の蔵書の中には戦前の本もありました。
中学校1年生のとき、家にあった旧字体の『O・ヘンリー短篇集』を、通学途中の電車内で読んでいたら、隣に座っていた年配のおじいさんから、「えらいね」とほめられたことがありました。その後、やはり旧字体の夏目漱石全集を読んだりしていたため、旧字体にはわりと親しみをもっていました。
韓国に駐在中、金大中政権になって、地下鉄の駅名にハングル以外に漢字が添えられるようになりました。中国や日本からの観光客を配慮したものか、韓国民にも漢字を教えるべきだという考えからなのかよくわかりません。その漢字は、当然略字ではなく正字、日本でいう旧字体です。
シチョン(市庁)は「市廳」、チャムシル(蚕室)は「蠶室」となっていて、旧字体の復習になったことを覚えています。
ベトナムでは、すでに捨て去った歴史上の文字となりつつあります。
韓国では漢字教育復活論者もいるけれど、恐らくこのままベトナム同様の道をゆっくりと歩みそうです。どこかで南北が統一すれば、膨大な漢字語の"純化"は、北朝鮮式が一気に流れ込んで解消されていくのかも知れません。
日本は、日常使われない旧字までコードを割り当てたり、デジタル化された字形を見直したりと、漢字は国語の基盤であるという意思を持っていますが、飽くまで基盤であり、創造の対象とはしていません。表音文字を併せ持つ体系ならではでしょうか。
中国はやはり全てが漢字の国であり、日本では考えにくい「新たな漢字」の制定も恐れません。簡体字という凄まじい断絶を厭わなかったのは共産党故にですが、元々根付く漢字への意識が、日本人とは大きく違います。
台湾・香港という繁体字勢は、どうもUnicodeでは存在感が薄く、あまり情報が出てきません。
-
最近サボっていますが、ペリー提督がアメリカで出版した航海誌の、明治末に出版された日本語抜粋版があり、その原本をスキャンした画像が国立国会図書館のライブラリーで公開されています。これをテキストデータ化する作業をしています。
http://write.kogus.org/articles/IZBlVI
鈴木周作抄訳『ペルリ提督 日本遠征記』テキストデータ化:7.1-3 遠征艦隊の編成
この作業、一昔前に同様のことをしようものなら、旧字の入力に随分苦労した筈です。もちろん、ATOKなどで旧字専用の環境を作れば対応はできますが面倒です。しかし、Googleが無償で提供する日本語入力システムは、旧字もほとんど変換候補としてカバーしており、少なくともUnicodeに採用されている旧字はほとんどこれで間に合っています。Googleに日本法人があって良かったなあと、つくづく思います。
また、字形が読み取りにくいケースや、Unicodeに存在しているか等のチェックには、GlyphWiki(http://glyphwiki.org/wiki/GlyphWiki:%e3%83%a1%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%9a%e3%83%bc%e3%82%b8)が非常に重宝します。この試みも、多大な字形の揺れを許容してきた、日本独特のものだと感じます。
日本人にとって旧字というのは、中国人にとっての繁体字でもなく、韓国人にとっての漢字でもなく、現在の字形と確かにつながりつつ、独特の距離で付き合う不思議な文字群です。
犬鍋さんの旧字の思索、もっと読みたいですね。
-
韓国で正字を使って表記しても、大口の中国や日本の観光客にはわかりにくい、というのも面白い。活発に使うからこそ、柔軟に革新していくのだ、ということなのかも知れません。
長いコメント、ありがとうございました。
中国語やベトナム語は知らないので、漢字文化圏全体を論じることはできませんが、韓国の場合、漢字はもはや実用の文字ではなくなっていると思います。
今、漢字を勉強する子どもたち(習わせる親たち)の目的は、韓国の昔の文献(漢文)を読むためではなくて、将来、中国語や日本語を勉強するときに有利だからです。
音は韓国式なので中国語や日本語と違いますが、意味はだいたい共通しているので、意味を覚えれば役に立つのでしょう。
漢字ではなく、漢字語(ハングルで表記されているが語源が漢字の言葉)についていうと、同音異義語がだんだん淘汰、融合されつつあります。
充実と忠実は韓国語では同音ですが、二つの意味を併せ持った言葉になりつつあるので、訳すときに戸惑います。静止と停止はまったく区別されていない。機能と技能、再演と再燃も使い方に混乱が見られます。
連覇と連敗、防火と放火は、正反対の意味なのに同音ですから、いずれ一方が廃れるでしょう。
日本では、戸籍作成のときに、誤記に起因した異体字がたくさんできたようですが、電算化された今はそういうことはなさそう。もはや、日本の漢字は増えないのかもしれません。
ところで、「かな」は増える可能性があるのでは。拗音(ゃゅょ)は昔からあったけど、小さいあいうえお(ぁぃぅぇぉ)って、昔からありましたっけ。「ゔ」や「ゎ」も。
昔の韓国人の同僚は、寅さんの大ファンで、日本語はじめはその映画で覚えたと言っていました。彼はほぼ同世代なので、30代半ばですが、その世代ですら、自分の名前を漢字ですらすら書けない同級生が結構いたそうです。世代が下るほど、すでに漢字は外国のものなんですね。
V音のかなは、福沢諭吉ですね。「ぁぃぅぇぉ」などは捨て仮名なので、恐らく植字による印刷が始まった頃からでしょうか。いずれも明治以降なので、新しいといえば新しいですが、今の国語審議会の方針からして、かなでも増える可能性は非常に低そうです。
書き散らかし失礼いたしました。
韓国語やタイ語の発音をカタカナ表記するとき、小さい「プ、ト、ク、ム」があると便利だなあと思ったことがあります。
ミャンマー語だと、小さい「フ」があってほしい。有気音を表すためです。
フミャウテーは「上げる」という意味ですが、「フミャウ」で1音節。m音に有気音があるというのを、とても珍しく感じました。