犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

政治の季節

2008-07-13 00:48:32 | 韓国雑学
 今回のろうそくデモは,規模こそ大きかったものの,内容はお粗末でした。

 牛肉問題に端を発し,ネットでの流言蜚語で騒ぎが拡大し,いろいろな思惑をもった団体が便乗しました。80年代の民主化デモに比べたら,学芸会みたいなものです。

 韓国で政治的なデモが盛り上がったのは80年代後半のことです。

 79年,独裁者朴正煕が凶弾に倒れた後,同じ軍人の全斗煥が政権を掌握。80年の光州事態を力で制圧(死者200人)しましたが,86年になって,民主化を求める民衆の要求は,大規模デモとなって一挙に吹き出しました。

 デモの中心は大学生です。

 今では大学進学率80%,猫も杓子も大学に行きますが,当時の進学率は20%台。学生側には「知的エリート」,「知識人」としての自負がありました。

 ソウルをはじめ,地方都市でも学生と機動隊が衝突,催涙弾が飛び交った。89年に編集された「朝和辞典」の例文に催涙弾が登場するところに,催涙弾がいかに日常的な存在であるかがうかがわれます(→リンク)。

 催涙弾に直撃されて死亡したり,取り調べ中に拷問死したり,抗議の焼身自殺を図ったり…。建物は放火・破壊され,警察車輛は焼き討ちされ,市街戦の様相を呈しました。

 そのころ,私は韓国と縁のない仕事をしていたので関心は薄かったのですが,テレビで韓国のニュースといえばデモ隊による派手な市街戦の映像だったことを覚えています。

 87年6月に民主化運動は最後の盛り上がりをみせ,ついに盧泰愚(当時大統領候補)が「民主化宣言」を発表。

 その後,韓国の民主化闘争は鎮静化に向かい,88年のオリンピックを成功裏に終えることができました。

 韓国の「政治の季節」はこのときに終わったと言っていいでしょう。

 その後,90年代前半にかけても,大規模デモがありましたが,主役は民主化を求める学生から,労働条件の改善を求める労働者に移ります。
 朝鮮戦争を知らない世代の中に北朝鮮の主体思想を信奉する者が表れ,集会を開いたり,機動隊と小競り合いを演じたりもしましたが,一般学生の支持を得るにはいたりませんでした。

 私が駐在した96年から10年間は,韓国の戦後史の中では例外的に平穏な時期でした。

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