日々ふさおまき

走って跳んで歩いてます。

大晦日は懐かしい思い出の中へ

2009-12-31 22:40:41 | 旅行記
京都と奈良で一年の汚れちまった自分のすす払いを
済ませた後は、ずいぶん不義理にしてしまった皆様との
ご挨拶です。

京都から東海道線で大阪に到着。
環状線から遠心力で走るような線を描く初めて乗る電車や、
生まれて二度目くらいの何回乗っても南海電車にも乗り継ぎ、
やってきたのが浜寺公園。日本最古の公立公園にして
関西の名高き別荘地、白砂青松の浜などで知られています。
車できたことはあったのですが、駅から歩くのは初めて、
いや落ち着いてます。それぞれのお屋敷も意匠を凝らしながら
華美ならず、一軒一軒に住む人の思慮が感じられます。
なにか見覚えのある洋館だと見上げた家は、どうやら元学長さんの
家だとか、一緒に歩いていただいたお母さんからうかがいます。
記憶にあるのは、かつての勤務地滋賀で見た、公共施設なども多く
作った、ウィリアムボーリスの設計した洋館と共通するものがあるからのようでした。
ちなみに、私は「古い家庭レベルの水洗設備」などという滋賀県らしい
下水と環境関連話で取材をしたのですが・・・
ちなみのちなみに、私の初パリ行きは、大通り下を流れる世界最古の
下水道取材・・・・

話を戻して浜寺のご親戚の家。
こちらがほんにもう。記憶に残るお宅というのでしょう。
綺麗に刈り込まれた植木の丸みは、正しい季節的習慣の美しさ・・・
日本的よさという言い方もあります。
がらがらと音を鳴らして横に引くことが出来るガラス戸は
、お邪魔するという日本語を生むにふさわしいたたずまいです。
だって、そうなのです。
なぜか洋風の玄関は、閉めるために出来ているようで、あけても
自然に戻ってきます。開ける人が手で抑えているかどうかに
かかっています。
それに対して日本の引き戸は、横に開いて空間を作り、
たずねる者が主のいる家内を拝することになります。
閉じられる恐怖(というのもいい過ぎでしょうが)がありませんから、
ゆっくりと主への距離を確認する気持ちになり、お邪魔するという
自分の位置が明確になる、と久し振りのこういう形の扉に
ひどく懐かしさを覚えるのでした。

こちらに年の瀬にお邪魔した訳は、私の不徳といういろいろ込み入った事情が
ありまして・・・申し訳ありません・・・
お仏壇にご挨拶をして、美味しくて立派な卵寿司とアナゴをいただきます。
さらに、明るく仲のいい4世代のご家族はみなさんお話がはずみ、
昨年の春に生まれた元気で表情が豊かで、柔軟性が高くて背筋が強そうな
お子さんにエネルギーをもらい、嬉しい気持ちになりつつ
名残惜しくも退散。

夕方が東京より1時間遅く感じる関西を車窓に仁徳天皇稜など遠望しつつ
再び大阪市内に向かい、東海道線を西へ。
私は途中の40万人都市で下車し、ふさおまき(めす)とお母様は
さらに4つほど先の自宅に向かったのでした。

下車した駅からは20分ほどの徒歩。
名所とか記憶の場所は少ないのが我ながら不思議な、
阪神間のベットタウンと呼ばれた中小都市にポツンと
そびえるのが、この甲山。

このような鍋を伏せた形の山は、
日本各所にあって、丸山とか円山とか言われ、地図を眺めれば
すぐにいくつか見られるのですが、甲山という名はなかなか思いつかなかったので
しょうか、これまでほかの地で出会ったことがありません。
六甲山系の東端からも少し距離を置いて、300メートルほどながら
存在感があることも、少々気負った名前をつけたくなった背景かも
しれないかと思ってはいますが、特に調べたこともないですから
いい加減な心象風景です。
ふるさとびいき、懐かしさなのでしょう。

ほとんど、おあとがよろしいようでと、大晦日のご挨拶をする
ためのような締めくくりとなりました。
今年も多くの皆様に支えられ、楽しく過ごしてまいりました。
読んでくださった皆様の、よき年をお祈りします。







2009年最後の旅 京都旅行 二日目 補足で夕食

2009-12-31 21:22:49 | 旅行記
旅行リポートに夕食のメモがないのは良くありませんと、
ふさおまき(めす)からこんこんと諭されました。
反省、です。
食は喜びを標榜する私たち、感謝を込めて記憶をたどります。

昨日、つまり12月30日の奈良周り中の昼ごはん。
二寺一社を回るうち、昼2時近くなりお腹はぐうぐう、
だけれどもその分夕食にも近くなりますから、あまり
沢山食べるわけにもいきません。
その上、私たちの奈良名物として記憶にあるのは、茶粥と
三輪そうめんくらい。奈良トラベル計画担当の(めす)も
昼食の欄は、行き当たりばったりとなっています。
なんと無計画な!と憤慨する私の腹を、奈良公園近くで
ポーという煙突から噴出す音で客を誘う焼き芋の屋台が
呼んでくるのですが、サツマイモの入った箱には宮崎産の
文字が・・・やっぱり地元産とか地元名産の気概が欲しいと
後ろ髪を引かれるまま、意外に高くまできていた寺社地帯から
町並み保存と商業振興で知られる奈良町に向かって坂を下ります。

不思議な出会いというのがあるものです。迷える子羊2匹を
呼んでくれたのは、猿沢の池へと曲がる角にたっていた看板。
「奈良うどん 無塩麺」ん?????ん????????ですね。
奈良うどん、なるほど聞いたことはありませんが、伊勢うどんとか
京うどんとか、吉田うどんとか、うどんは地名と絡みがいいのも
事実。しかも、うどんなのに塩が入っていない??謎の一振りは
魅惑の調味料です。
坂を下り数分、見つかりました。

さりげない店構え。入りやすいですね。
早速お邪魔します。
ご主人と奥様とお母さんとお知り合い、といった布陣の
店内は落ち着いたたたずまいで、清潔かついい空気です。
うん、これはいけそうと察しがつきました。
私が頼んだのは海老天うどん。

彼女はきざみ揚げうどん。

ここの「奈良流」は写真には見えない隠れたところにあります。
丼の底にとろろ昆布がどっさり敷き詰められ、客はまずは
底から数回箸でかき混ぜるのがお作法だそうです。
汁自体、しっかりとしたかつおほかお魚の出汁がでていますからとろろの
味で補う必要はない感じもするのですが、どちらかといえばこれは食感の
エンターテインメントなのだと察しました。
謎の無塩うどんは、しっかり関西風もっちり系で、程よいところで
つるんと流れてくれます。この程よいところで抵抗しないのが讃岐うどんとの
違いだと私は理解しているので、奈良うどんはそういう範疇で成功していると
口は賛辞を送っています。

海老天は2本ついていて、ちゃんと目の前で揚げたて。
この値段ですから、うま味がしっかり詰まって身もしっかりとまではいきませんが、
丁寧な揚げ方なので、てんぷらうどんのてんぷらとして、出汁をすってさらに
美味しくなる衣の厚みがあります。もちろん、海老とさよならして汁で泳ぎだす
ほどには分厚くないという、研究をされているのが好感です。
ああ、なんか今日のメモはえらそうだなあ・・・一日たつと妙に客観に
なるから、人間の味覚なんていい加減なものだと煙にまかせてください。

てんぷら860円、きざみ740円だったかと思います。
あ、麺はかなり沢山のもり具合でした。


で、その後なぜか駅前でたこ焼きを食べて、これがヒット。
焼きたて、中心トロリ、で6個180円。粉ものシリーズ、味とコストの
2連打の奈良でありました。



京都に帰って夕食は5時間後。
東華菜館へ一直線、というのは昨年のブログ参照!といいたくなる
一年前の記憶が異様に濃い、大好きな「中華ポテト」が揚げたて
ぱりぱりで食べられたからです。
この中華料理店は北京を標榜します。
広東の薄味になれた東京住まいとしては、味のパンチに目を開く思いです。
それでもありませんか、普段はお行儀良くしていてもときに思いっきり
弾けてみたいことが?
そんなときに良い中華です。テーブルを囲むのも、みんな常連さん一家という
かたばかりで、家族が元気に歓声を上げてパワーを使いながら栄養補給する
感じ、つまり味の輪郭がしっかり描かれているからこそ、一年を丸く治める
家族の団欒にも負けないのです、って勝手な解釈かもしれませんが。

私たちが頼んだのは、

①芙蓉蟹

②酢豚

③五目炒飯(写真を撮影するの忘れました)

④中華ポテト

味もはっきりしてますが、量もはっきりしています。とにかくビッグサイズ。
なかなか食べきれないのが残念です。
芙蓉蟹はとろりとしたいため具合がやさしくカニを包みいい感じ。

酢豚はごろんと揚げた豚が存在感抜群で、周りの野菜は瞬間素揚げでシャキシャキ
アクセント、この揚げ方だと野菜の味も強く残っているのです。

五目炒飯は、一粒一粒に味がしっかり回っています。
油もしっかり回っているので、さすがに食べ切れませんでしたが・・・


そして、最後に出てきたのがお待ちかね中華ポテト。
じつは最後に出てきたというのが味噌なのです。昨年はメニューに
中華ポテトの文字を発見したのが嬉しくて、ほかの料理と同時にオーダー
したところ、2番目くらいに出てきてしまったのです。
それが記憶に残っていたふさおまき(めす)が、店員にくりかえして
「中華ポテトはデザートで」と言ってくれていました。
そしていただいた一年越しの揚げたサツマイモ、あめがけ。
幸せでしたア。あめがけが飴になるほどにかっちりピッカピカ。
シャープな糸が引き、口の中で歯を基盤にして上に下にツララとなる
ほどで、楽しくてなりません。
熱さもしっかり含んでいるものですから、焼けども覚悟。
口にほおばる愉快を幾重にも感じて、一皿残すことなく平らげたのでした。