日曜に秋葉山へ参拝に行ったのはこの地域の秋葉講へ入ったからで、次の日曜は「お日待ち」というものがある。入ったというのは正しくなくて、大きいじいさんのころからわが家はこういうものには参加しているから復帰したというのが正しい。お日待ちというのは秋葉さんの社で参拝した後に会食すること。社は地区内に数ヶ所あって祭りのときには山車が止まってお神楽をあげる。それぞれの社に講があって、それぞれやっていたのだろうが、現在はこの地区でうちの講しかない。よくわかっているわけではないが、こういった神事を行うことが神道というものであると解釈している。つまり、宗教とは大きく異なる。神様の教えなるものはまったくない。古くから伝わる行事をつつがなく執り行ってゆくことが神道である。これをどうやってキリスト教やイスラム教や仏教などと同じにあつかうことができるのだろう。まったく異質のものである。そして、神道はあらゆる宗教を否定しない。たとえば神社の祭事にお寺の坊さんがいても教会の神父さんがいてもかまわないのである。道であって宗教ではない。まあ説明しても意味はなく粛々と代々にわたる神事を行ってゆけばその意味は理解できてゆく。天皇陛下がどういう存在であるかもわかってくるはずだ。
お札は家の台所へ貼っておいた。子供のころじいさんばあさんが「ごはんつぶ」で貼り付けていたので、お札というものはごはんつぶで貼り付けるものかと思っていたことを思い出す。
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