今年も、瀬戸内倉敷ツーデーマーチに参加 昨年に引き続き2回目です
夜行バスで倉敷にツーデーの初日の早朝に倉敷駅に到着しました
今回は、長崎のSさんも一緒です
お知り合いのウォーカーさんたちも沢山参加されていると聞いていたので、皆さんにお会いできるかなぁとそちらも楽しみにしています
ホテルに荷物を預けてメイン会場の 倉敷市役所へ
倉敷駅に到着したときは、まだ薄暗かったのですが、夜も明けてきました
今日も、頑張るよ~♪
7:00に出発の40キロの出発式に間に合いました
私達は、20キロコースに参加ですが、40キロコースに沢山のウォーキング友さんたちが参加されているので、お見送り
去年も思ったのですが、沢山の参加者です 行列!!!
こんなに沢山の方の中で、果たして見つけられるのでしょうか
スタ~~~ト
いってらっしゃい
福岡のTさんご夫妻
このお面で40キロかな やるなぁ~
わたるくんもお見送り 記念撮影
お見送りの跡、20キロのスタートまで2時間あります 朝ご飯タイム いただきます!(^^)!
そして、9:00出発の20キロコース
出発です
倉敷市長さんもお見送りして下さいました
帽子は、今年30周年の記念帽子、そして足元は、倉敷特産 地下足袋シューズ 決まってますね
北九州のMご夫妻ご一行がいつものようにお見送りしてくれていました
長崎のSさん、広島のIさんと一緒に歩き始めました
偶然ですが、1月の指宿の時と同じメンバーでのウォーキングです
参加者が多いので、何処まで歩いても、人・人・人
人が切れるところがありません マップは必要ないですね
小学校のグラウンドで湯茶接待
気温が上がりそうなので、しっかりと、水分とお菓子でエネルギー補給です
あちこちに、源平合戦の跡がありました
昔、倉敷市藤戸周辺は小さな島が点在する海だったそうです。 800年ほど前、この藤戸の地で「源平合戦」として知られている源氏と平家の戦いがありました。
治承4年(1180年に始まり、全国的に展開された源・平両氏による戦乱は、建久元年(1190年)奥州藤原氏の滅亡まで、10年間にわたりました。 歴史的には日本が、古代から中世に脱皮するためのこの動乱中、倉敷市内で2度の合戦が行われました。 寿永2年(1183年)10月には玉島でと想定されている水島合戦があり、翌年(1184年12月、藤戸の合戦がありました。 藤戸にはその頃から、江戸・明治にかけて、多くの史跡が現在も多く残っています。
浮洲岩跡(うきすいわあと)
京都の醍醐寺三宝印の庭は国の特別名勝史跡だが、この庭で有名な藤戸岩は、浮洲岩と呼ばれ海中に浮き沈みしていた。江戸時代に、水尾筋を残して南北から干拓が進んだ頃、かつて岩が在ったところに記念の碑が建てられた。碑名は、熊沢藩山の書と伝えられている。
ここが、海だったとは想像もできないです
どんどん先にすすみます
藤戸寺
平安時代末期(12世紀末)の源平藤戸合戦の功によりこの地域を拝領した源氏方の佐々木盛綱が、源平両軍の戦死者と自分が刺した漁夫の霊を弔うため、大法要を営んだといわれています。
地元の方が、熱いコーヒーを準備してくださっていました ありがとうございます
茶釜でお湯がしゅんしゅん湧いていました
広島のIさんからの差し入れです
アツアツ、カリカリのたい焼きくん あんこもたっぷりで美味しい
お接待のコーヒーとぴったりで元気が再び湧いて来ました ご馳走さまでした ^^) _~~
ゆっくり休憩して、再び歩き始めます
ここから先は少し上り坂になります
そして、住宅地を抜けるとのどかな風景になってきました
ちゃくちゃくと歩きます(笑)
熊野神社に到着
ここは、チェックポイントですが、20キロコースのお汁接待のポイントでもあるのです
楽しみですね
熊野神社
和歌山県紀州熊野本宮大社より、701年修験道の始祖役行者の高弟達が当地に祀る。全国に3800社余りある熊野神社で本宮の昔の姿をこの地のみに残している。神殿は重文、県の重要文化財が連立している。
また日本唯一「いじめ除け」の神としての八尾羅宮も境内にあり広く信仰を集めている。
地元の学生さんの熱い歓迎が有りました
本物では有りませんよ
列に並んで、お汁を貰います 頂きます
歩いてきたので、体も温まってきています 熱いお汁を飲むと汗が出て来ました
立派な神殿
二日間のウォーキングが楽しくケガなく終了できるように、手を合わせました
昼食ポイントなので、沢山の方が休憩されていて、賑やかでした
敦賀のFさんご夫妻とようやくお会い出来ました
小林のツーデーでもお会いしていたのですが、その時は一緒写真を撮ることが出来なかったので記念撮影していただきました 有難うございました
こんなお守りも発見です 大人みくじと子供みくじ 中身はどう違うんだろうか??
そして、お腹もいっぱいになって、元気も出て来出発です
ゴールまで8.4キロです
これを見るとやる気がでる?!?!
廃線跡を見たり、川沿いを歩きます
チェックポイント ゴールまでわずか
10キロコースとも合流になるので、小学校のグランドも大賑わいでした
佐々木 盛綱の像
佐々木三郎盛綱ともいい、鎌倉初期の守護。
仁平元(1151)年、近江の国の生まれで、仁安元(1166)年から伊豆に赴き、源頼朝に仕え、軍功をあげていく。有名なのは、源平藤戸合戦の先陣であり、このことを聞いた頼朝は、功績抜群と感状を与えほめたたえた。また、あわせて、児島のほか越後、伊予など5カ国の守護に任じられた。
頼朝没後は、所職を没収され、出家して西念と称した
以前は藤戸橋といっていたが、いつの間にか盛綱橋といわれるようになったそうです
後は、倉敷川沿いを歩いて行きます
ここは、約3kmの川沿いに、約1000本の河津桜が並んでいます
去年もでしたが、満開の桜の横を気持ちよく歩けるのです
歩くのではなく、お花見がしたい気分になります
ゴールの市役所が見えてきました
ヨッシャ~!!
ゴール到着です
最後のチェックポイントまでは、後少し歩きます
最後のスタンプです
甘酒のお接待を頂き、その後は、マッサージブースで、足や肩をほぐして貰いました
本日の参加者は、凄い人数でした やっぱりなぁ
頑張っって歩きました
ウォーキングが終わった後は、Iさんと別れて、3人で「白壁の美観地区」の散策です
「倉敷美観地区」の倉敷川沿いの風景。白壁となまこ壁、瓦屋根。掘割りの水面と柳並木。倉敷ならではの町並みです
お天気が良いので、観光客も大勢
水路の上から船でのんびり観光もいいですよね 羨ましいなぁ
お土産チェックです
アイビースクエアにも少しだけ寄りました
倉敷紡績の工場を改装した「倉敷アイビースクエア」。
赤レンガと蔦。歴史の変遷と文化の香りを感じさせる「アイビースクエア」は、倉敷川畔とともに「美観地区」を代表する有名な観光名所です
賑やかな通りを一本入ると、静かな通りでした
古いポストも 現役だそうです
大原美術館
大原美術館は、倉敷の文化発展に欠かせない大原家の事業家・大原孫三郎(倉敷紡績の初代社長・大原幸四郎の三男・倉敷紡績の二代目社長)によって、昭和5年に設立された、日本で初めての私立の西洋美術館です。
エル・グレコの『受胎告知』(1590-1603年制作)や、クロード・モネの『睡蓮』(1906年頃制作)等の名画の他、国内外の美術品を多数収蔵しています。名画を収集したのは、近代美術の画家・児島虎次郎です。孫三郎に任され、大正期に欧州に渡って、名画を買い集めました。
中には入らなかったので、外だけパチリ
CAFE EL GRECO(カフェ・エル・グレコ)
絡まる蔦が素敵な「CAFE EL GRECO」は、大正末期の建物を改装し、昭和34年に開店した老舗カフェ。店名のエル・グレコは、大原美術館が所蔵する『受胎告知』を描いた画家名にちなんだもの。
ここでお茶タイムです
そして記念撮影です
今日も楽しく歩いて、観光も楽しめた一日でした
Sさんとは、ここでそれぞれの宿泊ホテルへということで、お別れ
明日の朝、またスタート地点で集合です
夜行バスから、お疲れさまでした
ホテルにチェックイン後、顔だけ洗って、今度は倉敷駅裏の「三井アウトレットパーク」へ
我ながら元気だと思うなぁ(ぼくちゃんを無理やり同行でした ごめんね~( *´艸`)
<Sさんは、白壁の街の夜のライトアップも見に行かれたそうです 元気だな~>
疲れたので、夕食はスーパーで色々と買い込んでロビーで・・・・・
夕方で、割引商品も多数あり!!!美味しく、お得感有りでした
日本一の桃太郎に負けないように、明日も楽しく歩くよ
お天気も上々の様です
私は40kmコースでしたが、1100人ぐらいの参加でしばらくはゆっくりゆっくりの歩行でした。
40kmは、最後鷲羽山登山がありましたのでゴール後は、ばててしまいました。美観地区にも散策に行きたかったのですが、また次回にします。
30回の記念大会で、記念品が帽子だと聞いていたので
楽しみに参加しました
40キロ歩いての、鷲尾山登山、大変だったですね
考えるだけで筋肉痛になりそうです
20キロも最初は団子状態でした。河川敷沿いを歩くときには、少しばらけてきましたが、ゴールまで、前も後ろも人・人・人 マップを一度も開くことは無かったです
でも、お天気で観光もバッチリ楽しめました