ぼくちゃん & 相棒 の ひ・と・り・ご・と

旅行したこと、近場のお出かけ、美味しいものを食べたこと etc… 

四国歩き遍路  伊予の国を歩く 3日目 その1

2016-10-18 22:53:30 | 四国八十八か所巡り

最終日の始まり

昨日からの雨がどうなるか?そして接近予定の台風がどうなるか??不安な朝を迎えました

ニュースを見ても、お天気が回復する予報が出るはずも無く、ただ、台風は勢力があまり強くなさそうということだけが救いかなぁ

ともかく、天候に泣かされた今回のお遍路さんの最終日です

 

長珍屋さんの中の様子

まだ、早い時間なので、フロントは静か(チェックアウトは、売店で手続きをします)

売店 沢山のお遍路用品が売っています

 

朝ご飯  これを食べて、今日も元気に頑張るぞ!!!

食堂の中においてありました  まだまだ眠たい(笑)

 

旅館の方のお見送りです  有難うございました  お世話になりました

 

 

目の前が、46番札所 浄瑠璃寺です

昨日はお参りできなかったので、まずはお参りです

そして、雨は止むことなく降り続きます   ”あ~あっ 残念” です

 

◇第46番札所  浄瑠璃寺◇

和銅元年(708)、伊予国を訪れた行基が仏道を修行する場所を作り、薬師如来像を刻んで安置。薬師如来の浄土が東方浄瑠璃浄土であることから「浄瑠璃寺」となります。その後、弘法大師が修復し四国霊場第46番目の札所にしたと伝えられています

◇本堂◇

 

 お参りします  ポンチョのままですみません・・・・ m(__)m

 

◇大師堂◇

大師堂には、弘法大師の子どもの頃を象った木彫りの「だっこ大師」があります。弘法大師の幼名は、佐伯眞魚(まお)といい、その重みもちょうどその頃の大きさです。

ポンチョを着ていたので、抱っこせずに、ナデナデしておきました

   ダッコ大師

  

 

「仏足石」

石に刻まれた仏の足跡に自らの足を重ね、健康と交通安全を祈って踏拝する

 

 

「説法石」

「おかけください。霊鷲山の石が埋め込んであります」と書いてある石は、お釈迦様が説法・修行されたインド霊鷲山の石。

 

 

「仏手石(ぶっしゅせき)」

指の間に張られた水かきで、漏れなくすくうお釈迦様の手は、智彗や技能にご利益があるといわれています

 

「もみ大師」

豊作、延命のご利益があるそうです

 

 

 

お参り、納経も終わりました

次の、47番札所 八坂寺へ向かいます 

雨は降り、空はどんより~

 

そうそう、このお城の様な置物は、前もあった

雨は止んだり、降ったり  傘は閉じたり、広げたりと忙しい

 

 

 

 八坂寺が見えてきました

 

◇第47番札所 八坂寺◇

寺伝によれば、この寺の創建は古く、役の行者・小角の開基といわれ、大宝元年(701)、小千伊予守玉興公が寺を建て、のち文武天皇の勅願所として栄えました。
本尊阿弥陀如来は恵心僧都が刻んだものだといわれ、弘仁6年(815)弘法大師が四国霊場のひとつに定められました。

 

◇本堂◇

 

 

 

 

◇大師堂◇

 

 

 雨が降ると、どうしても境内の散策はできなくなります・・・・

前回は、ここで 「閻魔堂」も見たのですが、今回は遠くからちらりと見ただけでした(写真も撮り損ねました ><)

「八坂寺」の見どころは、「本堂」と「大師堂」の間にある「閻魔堂」で見ることができる「極楽の途」と「地獄の途」の絵図です。
「極楽」には美しい浄土が、「地獄」には餓鬼道、畜生道、修羅道などが描かれていており、「極楽」と「地獄」の対照的な様子を眺めながらお堂のまわりを歩くことで、自分が閻魔様の裁きを受けているような気分になります。

 

 

 西林寺へ向かいます

 

 

◇別格霊場9番札所「文殊院(もんじゅいん)」◇


このお寺は、「衛門三郎」の邸宅があった跡に創建されたといわれ、空海が衛門三郎の死後、衛門三郎の子供の供養と、悪因縁切の御修法をして衛門三郎を許した地なのだそうです。
当時は「徳盛寺」と呼ばれていたようですが、空海が文殊菩薩に導かれてこの地に逗留したことから「文殊院」と改められたそうです 

弘法大師像の横には、衛門三郎が妻と並んで座っている像があります(暗くて判るかな??)

 

しばらく止んでいた雨が、またひどくなって来ました

 

 

 

昨日、浄瑠璃寺に行くときに乗った路線バス

1時間に1本くらいの運行ですが、丁度すれ違いました

 

 

  歩く・歩く 意外と杖が持ちにくい・・・・

 

◇お大師さまがの野宿し、「衛門三郎」が初めて納札を書いた「札始大師堂」◇

 

 

「文殊院」をあとにし、遍路道をさらに1.5kmほど進むと、「札始大師堂(ふだはじめだいしどう)」があります。
この大師堂は、天長元年に空海が川の中州で野宿しようとしましたが、にわか雨で水が溢れ身の置き所がなくなってしまったので、法力で草庵を造り一夜を明かしたとされる場所です。

その後、衛門三郎が四国巡礼に出発した際に、この地に立ち寄り、大師自刻の尊像がまつられているのを見つけ、懺悔し、空海が訪れるのを待ち一夜を明かし、翌朝出発する際に紙に自分の住所と名前を書いてお堂に貼ったいわれています。
このことが、現代のお遍路さんも行う「納札(おさめふだ)」の始まりとされることから、「札始大師堂」と呼ばれています。
ちなみに、この大師堂は、近くにある「大蓮寺(だいれんじ)」の境外仏堂で、正式名称はこのあたりの地名からとった「小村(こむら)大師堂」です。

 

中を覗いてみました(多分、前回も同じようなことをしている気がします)

手を合わせ、お札を入れてから、再び歩き始めます

 

 石鎚山の方向(だと思います)

この時は雨は上がっていましたが、空には分厚い雨雲が一面に広がっていました

 

あの先を曲がると、次のお寺に着きます

到着(まだ駐車場中)

 

 

 西林寺の門前にはこの大師堂と小川が流れていて、小さな橋を渡ってから山門をくぐるようになっています

 

 

 

◇第48番札所  西林寺◇

天正13年(741)聖武天皇の勅願により、行基菩薩が特威の里(松山市北梅本町周辺)に堂宇を建立し一の宮、別当寺として開創されたのがはじまりといわれています。
大同2年(807)に弘法大師がこの地を巡錫され、現在地に伽藍を移し再興され、自ら十一面観世音菩薩を刻み安置され、四国霊場と定められました。
このとき、弘法大師は旱魃に悩む村人のために、錫杖で清水を掘り当てたといわれています。

  

 

 

◇本堂◇

 

 お参りします

 

◇大師堂◇

 

ここのお寺は、お庭も綺麗で、見ごたえがありました

 

広くて屋根がある休憩ところがあったので、リュックを降ろしてトイレを借りて、一息つきました

横浜から来られた女性がいらっしゃり、少しだけお話を(一人で区切りでの歩き遍路さん)

帰りの飛行機があるので、今回はこれで打ち止め  この西林寺から空港に向かわれるとの事

山登りはあちらこちらにされていて、お遍路さんも何度か回られたと言われていました

リュックは、中の荷物も大きなビニール袋に入れていて、外カバーと合わせると「二重防水対策」!!!

良いことを教えてもらいました  次回からは、雨の時は参考にさせてもらおうと思ったのです

 

 

次は 49番浄土寺です

 

 

 

スーパーABC

前回の時も、ここで冷たい飲み物を飲んで休憩しました

今回も・・・・・・

 甘くて冷たいものを飲んで一息  ぐっと一気に飲みます

久米小学校の前に はにわ発見

杖は、肩にかけて傘を差すのが優先

このお天気だもん  弘法大師さんも許してくださることでしょう

 

踏み切りの先が

 49番札所 浄土寺到着しました

 

◇第49番札所 浄土寺◇

寺伝によれば天平年間(729~748)に恵明上人が開創され、孝謙天皇の勅願所で、本尊釈迦如来像は行基菩薩の作と伝承されています。
その後、弘法大師がこの地を巡錫され、伽藍を再興され、四国霊場と定められました。

 

 

 

◇本堂◇

 

◇大師堂◇

 

 ここで出会った方は、車で八十八か所を逆打ちで回られている男性でした

立派なカメラを持たれていたので、何を移されているのかと思うと「屋根の飾り瓦」を撮っていらっしゃるとの事

同じ様にお寺を回っていても、それぞれに目的や見るところは違いますね

74番 甲山寺の飾り瓦が「うさぎさん」だとを教えてあげました (*^_^*)v

そして、松山・小倉フェリーから電話が!

台風で運航が心配していたフェリー(松山観光港 21:55発)は予定通り運航するという連絡でした

もし、欠航になったら、途中でお遍路を止めて、広島に早い時間にフェリーで渡るか?バス(しまなみ海道)?やJR(岡山経由)?で

帰る事も考えていましたので、これで一つ不安解消です

となれば、今日のお遍路さんも予定通り歩き進みます

次は、50番札所「繁多寺」です

 

 途中で、コメダ珈琲発見!前は無かったから新しくできたんだ

北九州で、よくコメダ珈琲は寄りますが、今日はそのまま素通りです  

かき氷食べたかったな~

 

 

墓地の中の道が、へんろ道になってます 

最初は、本当にここを通るのかと思いましたが、2度目となると、意外と慣れたものです(笑)

返ってこういう所の方が、記憶に残ってるものです

 このグランドが見えるともう少し

 

50番札所「繁多寺」到着

 

山門前の寺名石は、10000回お接待をした方が記念に寄贈したものだそうです(凄い)  ↓

 

 

 

◇第50番札所 繁多寺◇

天平年間(729~748)に行基菩薩が開祖と伝えられていますが、本尊薬師如来を刻み安置したのが寺のはじまりで、孝謙天皇の勅願所でありました。
その後、伊予入道頼義や堯運(ぎょううん)老師によって再興され、光明寺と称していましたが、弘仁年間(810~822)に弘法大師が当地を訪れ東山繁多寺と改め、四国霊場に定められました。
また、この寺は、時宗の開祖である一遍上人ゆかりの寺としても有名です

 

◇本堂◇

団体さんと一緒になり、沢山の参拝者です

この団体さんはバス遍路で、この前の浄土寺でも一緒でした

街中だと、歩くのは、最短距離でとバス移動では大回りになったりなど、あまり時間も変わらないのかもしれないです

 

 

◇大師堂◇

 

帰りの予定が決まったので、このお寺も時間を取りゆっくりしました

元禄9年(1696年)に建立された鐘楼には、「御伽草子」の挿絵24枚が天井画になっていいるそうですが、

そこまで見る余裕が無かったです   残念

 愛媛大学の「四国お遍路」のアンケートが行われていました

先生と学生さん数名。天気が悪い中、テントを張り、皆さんに声を掛けていました

団体さんはなかなか時間の関係でできないようです

私たちは、まあ時間があればある、無いと言えば無い・・・・ せっかくなので協力することに

お話をしていると、このアンケートも、お寺の方は意外と参考にされているんだと、言われていました

 

幡多寺から、松山市街を望む

そんなに高い所に登っていませんが、眺めはとても良いのです

 暑いのと、疲れが出ているのか、甘い飲み物が美味しい

割安な自販機を見つけて、ミルクコーヒーのペットボトルを購入  ゴクゴクとあっという間に飲み干しました

 

さっき、お参りした 「幡多寺」です

 

 

雨が降ったりやんだりで、傘が手放せません・・・・ついに、傘と杖を一体にしました(持ってきていた黒ゴムでくくります)

これで、杖を置き忘れることも無くなりますが、弘法大師さんには、一応少しだけ申し訳ない気持ちになりました

雨のせいです・・・・・・ごめんなさい

 

約3キロ弱歩けば、山の上に像が見えてきます その麓が、51番 石手寺です

 

ようやくここまで着きました

先に見える石橋の所が、51番札所 石手寺です

ここまでくれば、一安心

その2に続く・・・・ !(^^)!

 

 

 


四国歩き遍路  伊予の国を歩く 2日目 その2

2016-10-10 22:05:53 | 四国八十八か所巡り

 

産直品販売のおばさん達と話していると、バスの待ち時間はあっという間に過ぎました

時間通りに、バス到着  

手を振って笑顔で見送って下さる姿に手を振り返し、バスで進みます

バスで揺られていると、歩くと意外と大変な「緩やかな登り・下り」もスイスイと進みます(当たり前ですね (>_<)!!)

途中で、前回歩くときとても怖かった記憶のある長いトンネルもスィ~~~ッと通り過ぎます

ただ、進むにつれて、雨もどんどん酷くなっていきます  やばいなぁ~~~~

 

 45番札所 大宝寺への最寄りのバス停に降りました

バス停の所には、大宝寺への石碑が有ります

ここから歩けば程なく山門へ到着するのですが、雨は止むことなく降り続きます

 

雨宿りをして、ポンチョなどを出す場所も無かったので、取りあえずは、傘を差して進みます

 

民家が出てきた辺りで、倉庫の軒先をお借りし、ポンチョを身に着けて、大宝寺へ進みます

 山門への車道の横には、雨水が川の様に流れていました

このまま雨がひどいままだったらどうなるんだろう???

 

 ここからは、車道では無くて、砂利道の方を歩きます

 水が川の様に流れている所を避けながら歩きます

 

 

 

山門に到着

 

写真を何枚か撮り(本当に記録の為だけだったなぁ)、本堂へ急ぎます

 

 階段を登れば、本堂・大師堂

 

◇第44番札所 大宝寺◇

大宝寺は大宝元年(七〇一)に、百済の僧がこの地に草庵を結び十一面観世音を安置したのがはじまりで、後に開削当時の年号にちなみ、大宝寺として創建され、やがて弘法大師が霊場に定めた。保元年間に後白河法皇が、元禄年間に住持の雲秀法師がそれぞれ再興し、現存の本堂は大正十四年の再建。寛保や天明の農民一揆の時など、藩主や農民からの信頼はあつく、また寺の権威も高く、そのころ十二坊を有し、隆盛をきわめた。

 

 本堂にお参り

(ポンチョも脱がずに申し訳ないです  ^^;;A)

 

大師堂から本堂をパチリ

 

 本堂側から大師堂

 

大師堂

 

 

雨はちっとも止む気配はありません

  

 

 お参りと納経を済ませ、お寺から出発します 

 

  雨にけぶる山門

  

  来た道を戻ります  

久万高原町の役場や学校がある中心部に戻り、そこからバスで「塩ケ森」まで下り、そこから46番札所浄瑠璃寺へ歩いて下る予定でした

大宝寺を出るときに見かけた立札  本当に「お気をつけて」です  さてさてどうなる事か???

 

 

 

約1キロ位歩いて、町の中心部に戻りましたが、雨は止むどころかどんどん酷くなるようです

予定していた「塩ケ森」から浄瑠璃寺まで歩いて下ることができるのか、不安になってきました

前回は、お天気も良く、道も良い状態で、1時間位かけて歩いたのです  足元が悪ければ、歩いて下る自信が無い!!!

一旦、松山市内まで戻って、それから今晩宿泊予約していた浄瑠璃寺門前の長珍屋さんに向かわなくてはいけないのかななどど二人で話していました  

伊予鉄南予バスの営業所が有るので、そこで、久万高原から浄瑠璃寺までバスで行けないか尋ねることにしました

伊予鉄バスの関連会社になるので(伊予鉄南予バス)、直ぐには判らないけれどもと営業所の方は言われましたが、電話で問い合わせをして下さり、JR四国バスで 「高尾田」で下車すれば、浄瑠璃寺前で停まる伊予鉄バスに乗り換えることができることが判明

乗り換え待ち時間も30分位で、17時半前には浄瑠璃寺の所に到着でき、宿にも迷惑を掛けなくて済むようでした

一安心です

本当に親切に教えていただいて、感謝・感謝です

 

そして、久万高原町を出発するJR四国バスの乗車時間までまだ時間があるので、「道の駅 天空の郷さんさん」でお土産などの買い物と

おやつを食べることにしました

道の駅の中にも「地域情報提供室」があり、前回もここで浄瑠璃寺までの道の事を色々と教えてもらいました

今回もさっきバスの営業所で教えて頂いた乗り換えの事をPCを使って、詳しく教えてもらいました  

不安がいっぱいだったので、本当に色々と親切にしていただいて、感謝☆感謝でした

 フルーツ牛乳  いただきます

 

 

「塩ケ森」バス停の所  バスの車中から

雨は上がってきましたが、低くて厚い雲が広がっていました  やっぱり降りなくて良かった (--〆〆〆)かも

 

 

 高尾田で乗り換えて、無事に浄瑠璃寺まで到着です

17:00過ぎているので、参拝と納経は明日の朝です

ともかく、早く宿に行って休みたい気持ちだけです

距離は歩いていませんが、荷物を背負っての、雨の中の歩きはやっぱり大変でした

 

  境内の中には誰もいません・・・・

 

この日に泊まる 「長珍屋」さん  お世話になります

 

チェックインをしてから、部屋に荷物を降ろして まずは、洗濯&お風呂  休憩は、まだ先です

この日は、松山で高校生の陸上大会が開催されて、それに参加している高校生も宿泊

洗濯コーナーでは、元気な若者がいっぱい

おじさん・おばさんは、若さに圧倒されました(笑)    話も色々したし、洗濯が出来上がるのを待つ時間も退屈しなかったですね

 

 

夕食は、汗を流してからにしたかったので 19:00からでお願いしました

 

足を延ばして、ゆっくり 食事です

 

お腹いっぱいになりました!!

  

 夕食会場も満席  元気な高校生は、ここでも旺盛な食欲でした

テーブルが違うので話はしてないのですが、ご飯のお代わりをし、モリモリ食べてる様子をみて、再び「若いなぁ~~」

 

明日は、お天気どうなるかな?

台風が近づく予想

お昼位には 帰りの 22:00頃出発の松山から小倉行きのフェリーの運航の件も確認しなくてはいけません

それによっては、お遍路の予定も変更しなくちゃいけないかも

 

ともかく、二日目も終了   明日に備えてぐっすり眠ります     

最終日 3日目に続く・・・・・

 

 

 

 

 

 

 


四国歩き遍路  伊予の国を歩く 2日目 その1

2016-10-09 19:37:20 | 四国八十八か所巡り

 

二日目スタート

昨日の天気予報通り、朝から雨・・・・・

45番 岩屋寺  ⇒  44番 大宝寺  ⇒  そして時間が間に合えば 46番 浄瑠璃寺までお参りするのが目標です

朝ご飯は、ホテル横にある、喫茶店でモーニングセット(ホテルには食事は付いてないのです。素泊まりのみのビジネスホテル)

昔ながらのザ・喫茶店  ホテルから100円の割引券を貰いましたので、Bセットを注文しました

 

 

 

朝、5時からオープンしているので、早い出発には助かりますね  ご馳走様でした  バスの出発時間に合わせて喫茶店をでます

 松山駅前発 6:30のJR四国バス 久万高原 落出 行きのバスに乗ります

 御三戸 07:59着なので約1時間30分のバスの旅から始まりです

 途中、砥部焼の街を通ります  「砥部陶街道」

中央分離帯に砥部焼の置物が置いてありました

 随分高く上ってきました  遠くに見えるのが 松山の市街地です

 御三戸 に到着です

ここから歩き始めるのは、前回もここから歩いたこともあるのですが、この御三戸のバス停でお会いしたおじいさんとお会いしたかったからです

前回、お札を頂き住所も判っていましたので、お遍路に行くことはお手紙を出していました

会えるかなぁとワクワクしながらバスを降りたのですが、残念なことにお会いすることはできませんでした ><

どうも、お孫さんの運動会に行かれているのでは・・・・と、駐在所のお巡りさんが言われていました

とても残念でしたが、お土産で持って行っていたお菓子と簡単なお手紙を家に置いて帰りました

(お巡りさんが、家の中に置いておいたら、と言われたからですよ~)

お会いすることは出来ませんでしたが、お元気だと言うことが判ったので一安心   

ここから、今日の歩きが始まります

 

バスの長い移動中に、松山市内で降っていた雨も上がりました  ラッキーです

 このまま、雨が降らなかったらなぁ~~

 

 岩屋寺へ続くのです

 季節は秋です

 

 

 いつ雨が降ってポンチョを着なくちゃいけなくなっても良い様に白衣は着ずに身軽で歩きます

 

ここから、左に曲がります

前回は、御三戸でお会いしたおじいさんが「看板が出たら間違えずに曲がりなさい」と教えてくれたところです

二人で歩きながら、前の時の事を思い出し、話しながら歩きます

 

 

 川沿いを歩く  空は少し暗いが雨は降りません

 

 道の途中で発見!

 

 これです

 中を覗くと「石」がありました  これが伝説にある「石」なのでしょうか???

 

 

 

 緩やかに上り下りがあります 車なら良いドライブコースだけどな~♪

 

しばらく同じような道を歩くと、トンネルが目の前に出てきます

 岩屋トンネル

 ここを抜けると!!!

 岩屋寺に到着です

でも、岩屋寺はここからが長いのだよなぁ・・・・・  

 

橋を渡ります

あの、木々の間の階段と登り坂を頑張って上っていきます

 

岩屋寺は、麓の駐車場から険しい石段(266段だそうです)を延々と上って行かなければ本堂・大師堂につきません

前回はそのことを知らなかったので、泣きそうになりました(T T)

まあ、判っていても大変だけど

 

 そうそう、その通りだわ!!!

 

 

「まだまだこれからじゃ。岩屋の坂と人生は」

 ぼくちゃん 大好きな言葉の横で ポース ^-^

 いよいよ登りです

 

 すでに、「きつい」

 

山門  到着です

 

 

 暑い暑い、汗もどんどん流れて 少し歩いては止まり、休憩しながら進みます

一歩でも歩けば少しづつ本堂に近づくんだもんね 

 

 

 

 

◇道開き不動尊◇

参道(石段)の途中にあり、新しくものごとを始める時、難局に当たって行き詰まった時、祈念するとおかげをいただけるそうですよ

 本堂の横にそびえている「岩壁」が見えて来ました  あと少し、あと少し

 

◇穴禅定◇

大師が掘った霊水の湧くと言われているところです

 

◇第45番札所  岩屋寺の言われ◇

その昔、この山中に法華仙人という神通力を持った女が住んでいました。
弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地を訪れると女は大師に深く帰依し、一山を献じて大往生を遂げたといいます。

そこで大師は木造の不動明王と、石像の不動明王を刻み、木造は本尊として本堂に安置しました。
石像は山の岩石の中に封じ込め、山そのものを不動明王として祀りました。

弘法大師が、かつて修行の霊地を求めて投げていた明王鈴の音をたよりに巡錫し、この地で「山高き谷の朝霧海に似て、松吹く風を波にたとえむ」と詠んだことから山号を海岸山岩屋寺と名付けました。

 

 ◇本堂◇

 

 

◇大師堂◇ 

大師堂は国指定重要文化財、寺域は国の名勝、県立自然公園の指定地でもある。

 

 

 

 

◇仁王門◇

大師堂の奧には大師の行場跡といわれる「逼割禅定(せりわりぜんじょう)」があります。
600mほど上り、さらに岩山の岩盤を上り、鉄の鎖にすがって10mほど行き、さらにハシゴを21段上ってたどり着くそうです。でも、私達の体力と脚力では無理ですので、手だけ合わせておきました

 

◇法華仙人堂跡◇

 

  梯子の上には10畳ほどの大きさの板間があり、その奥にはこのようなものが祀られている。

納経所の屋根は岩の中にめり込んでいる様に見えるそうです

  下を覗くとこんな感じでした

 実は、相棒は怖くて登れませんでした  下で待機(笑www)

 お参りも終わりましたので、次に向かいます

 下りは、快調に!!!  でも、足がガクガクしてます 気をつけて下りました

 

 不動明王像も見かけました

 

 

 次来るのはいつかな  その時は3度目になるんだなぁ

 

  

 歩いてきた道を戻り、44番大宝寺へ進みます

 

古岩屋を通ります

そこにあるのが 国民宿舎 古岩屋荘です  

 

四国カルスト県立自然公園に属する約2000万年前の地層が残る巨大な大岩壁で国の名勝地

表面に無数の穴が空いていることから古岩屋と呼ばれるようになった

紅葉の名所としても知られており、秋になると奇岩の岩壁との対比が美しいところです

前回歩いたときは、11月22~24日の三連休  丁度紅葉の時期で三脚&カメラの観光客の方も見かけたのを思い出しました

しかし、今回は9月  

雨が降りそうなどんよりしたお天気のためか、高原にもかかわらず暑くて暑くてたまりません

そして、ポツポツと雨も落ち始めてきたのです

 

 国民宿舎 古岩屋荘

 

 ここがもう少し秋が深まると、赤く色付きます

 

古岩屋荘の前にバス停がありました

そのバス停の後ろに休憩場所が有り、そこで地元の方が野菜を販売されていました

 

 

 自動販売機で冷たいものを買って休憩することにしました

休憩していると、野菜を販売しているおばちゃんから トマトを頂きました

自分達で作っているトマト   ありがたくいただきます   みずみずしくて、美味しかった  

のどに、野菜の美味しさが染みとおります

 がぶっとかぶりつきました

 

前に歩いたときは、販売所はなかったので、聞いて見ると 毎週日曜日のみこの休憩所で自分達が作った野菜や果物を販売されてると言われていました  と言うことは、前回は日曜日ではなかったんだぁ (土曜日でした)

元気なおばさん三人と談笑していると、ポツポツだった雨が本降りに  心配していた雨がとうとう降り出してしまったのです

朝、降っていた雨が 久万高原に到着したときには上がっていて、ここまで降らなかったのが運が良かったのかもしれない

しばらく待っていても雨は上がる様子は無く、ひどくなるばかりです

 一時間ほど待てば、大宝寺へ行くバスが来る事が判り、バスで移動することに決めました

 

そうして、この快適な休憩所でお話をしながら時間を過ごし、時間通りに到着したバスで大宝寺へ

バスで出発する私達を、手を振っておばさん方が見送ってくださいました

 

二日目 運良く雨が上がったスタートから一転、雨のお遍路さんに・・・・・・

まだまだじゃ、二日目の歩き遍路の道のりは!!!! となります

二日目 その2に続きます

  

 


四国歩き遍路  伊予の国を歩く 1日目 その2

2016-09-28 23:07:49 | 四国八十八か所巡り

 

43番明石寺への道は、まだまだ長い道のりです

雨の心配どころか、日が差して、気温はどんどん上がってきているような気がしました

汗はダラダラ流れるし、もう、白衣を着る気も起きなくなってきました・・・・

 

きついけれども・、「頑張りや」の標識を見て再び歩き進みます   「おう、がんばるよ!」と思わず返したくなる感じ (*^。^*) www

まあ、時間はたっぷりあるのでその分気持ちは楽でしたが、やはり、暑い時期のお遍路さんは大変です (>_<)

やっぱり、きつい~~~~

 

山道を抜けて、再び 車道<県道31号>を歩きます

歩きやすいので、後は、日陰を選んで前に進みました

 

車道を歩いていくと、こんな立札が出てきました

多分、ここからの山道が、おじさんが言っていた結構大変な道なのかな??と思いつつ

 

 階段を登ると

休憩所がありました

しかし、その先は「通行止め」の看板が立ててあり、ここから先は歩けないようになってました

ということで、この先も車道をテクテクと歩くことになりました

<後で調べてみると、この歯長峠頂上を通る 旧遍路道は 2014年8月の台風の影響で土砂崩れを起こしたあと、復旧されていないそうです>

 

「歯長峠の由来」には ──

昭和の初期まで,この峠道は宇和と三間・宇和島をつなぐ唯一の生活道で,大勢の人の往来で賑わい,ここにも巨人伝説が有る。

 多分に伝説的な人物である東国武将足利又太郎忠綱は末代無双の勇士で,源氏の出自ながら故あって平氏側について功名を馳せ,その後,源氏に追われて西国に逃れ,この地に居住した。

 

今回歩いた県道も昭和45年に開通したそうです(ちょっと前の事だ!!私たちは、生まれてます 笑)

 

 「歯長峠」の下側を貫いている「歯長トンネル」が見えてきました

 

このトンネルは、幅が狭く、歩道が独立していないので、車が通行しているときは細心の注意が必要です。

 

気を付けて歩きます

すぐ横に、高速道路が通っているので 車の通りはあまりありませんでした

でも、気を付けながら歩きました

 

 

「歯長トンネル」を抜けた先に、未舗装路入口がありました。

県道31号を進むよりも大幅にショートカットできる様で、少し覗いてみると歩けそう。一気に下る事にしました

 

 

 ここから県道を逸れて、お遍路道に入ります

 下りも気を抜かずにゆっくり歩きます

 

 

 

 疲れたよ~~~ (>_<)<<<<

 

 だんだん歩く道が平らになってきた(気がしただけかもしれない)

 

ようやく山道を抜け、車道に出ました

 あと 7キロもある!!

 あの、どこかから降りてきたんだろうな?

 

丁度12時ごろになり、おなかも空いてきたころ、道路の脇に休憩場所がありました

先に歩かれていた 男性の歩き遍路さんが休憩されていてしばし談笑

私達が先月歩いて来た、72番弥谷寺から73番曼荼羅寺への途中であった、新しいお遍路小屋の情報もお話しました

色々と話をしていたら、結構な時間休憩してしまいましたが、まだまだ先は長いので、一足先に出発し、明石寺へ・・・・

 

 

 

歩いている途中で、猪の解体しているところを見かけました (@_@;)  初め、何だろうと思いましたが、びっくりです!!!

猪肉は、食べたことが有りましたが、解体しているところは初めて(普通は、見たことないと思う)

きっと、この近くの山で走ってたんだろうな・・・・・

 

 

 再び休憩  暑い!!

 

 
国重要文化財指定「宇和開明学校」と町の花レンゲのデザイン。「宇和・公共」の文字。
公共下水管マンホールの蓋

 

 栗も落ちていました 暑いけど、秋の味覚

 

中央部の円内が旧宇和町の町章。左右対称に市の花「レンゲソウ」を配したデザイン

旧田之筋村は昭和の大合併で旧宇和町に吸収されています

 

明石寺の表示が出てきました

あと少し

 

明石寺の入り口が見えてきた

本当に、あと少し・・・・・

  ようやく到着!! でも本堂までには、まだ坂を登らないといけないんです

 本堂も大師堂も見えない!!!

 

門前の休憩所が見えました

わずかな坂道も本当に「トボトボ」と「休憩しながら」歩いて来ました

二人とも、暑さと疲れで限界に近かったので、参拝前に冷たい飲み物を飲んで一息つくことに

 休憩所は涼しくて快適!冷たいのが美味しかった

 

 

休憩もしたし、さあ、お参りしないとね

 

 

 

 

43番札所 源光山 明石寺

地元の人から「あげいしさん」と呼ばれているのは、美しい女神が願をかけ深夜に大石を山の上まで運びあげていたという伝説に由来する。6世紀に欽明天皇の勅願によって開かれた寺で、かつてはこの地方の修験道の中心道場だった。弘法大師が修行した「弘法井戸」や「しあわせ観音」など見どころも多い。

 

<本堂>

 

<大師堂>

 

 

 

 

 

 

参拝が終わったので、ご朱印を頂いて、これで本日はうち終わり  と、普通だったらここで一安心といったところなんだけれども・・・・

 

松山まで帰るためのJR卯之町駅までの道程が大変だった!!!

再び、山道を2キロ位歩かなければいけなかったのです

当初は、車道を歩いて街まで出る予定でしたが、お寺の方に聞くと「山を越えて行く」道を教えていただきました(そちらの方が随分近いらしい・・・・そうだよね~ショートカットだもんね)

 また、山道を歩くとは思いもよらず  笑wwwww

 再び、歩き始めます

 

  中々、足が前に進まないよぉ

 

 

 

登れば、下る  

疲れた足には、下りもなかなか大変

 

 

しばらく歩くと、古い町並みへ出ました

宇和町卯之町の町並み

かつて宇和島藩の在郷町・宿場町として栄えていた佇まいを、現代にとどめる情緒ある町並み。白壁や格子窓などが特徴の江戸中期から昭和初期の建築物が軒を並べ、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。伝統的な和風建築のなかにアーチ窓や赤い屋根の教会などの洋風建築もあり、時代の移り変わりの景色を楽しむことができる。現在も江戸や明治時代から続く老舗旅館や造り酒屋、醤油屋などが営業し、地元住民や観光客で賑わっている。町並みを散策していると、往時の様子を偲ぶことができる

 

 

古い建物が沢山並んでいました

 

明石寺からの歩きにあまり自信が無かったので、当初は 卯之町駅 16:22発の特急に乗って松山まで帰るつもりでしたが、

お寺の方から教えてもらっていた駅手前の信号から、卯之町駅はすぐ 15:16発に間に合うんじゃないの!!!

(多分、信号の所で、電車出発の2分位前だった記憶があります)

となれば、歩いた疲れも忘れて、駅へ向かって ダッシュ==33333 ダッシュ===33333

切符は事前に買っていたので、予定よりも1本早い分に滑り込みで乗ることができました

ただ、電車にのって座った時には、息もたえだえ・・・・(大げさではないよ~ (>_<);;;)

こでれ、本当に、今日の行程の終了となりました

 

車中から

稲藁で作られた「マンモスの親子」

これは、行くときの電車の窓から見えていたので、帰りはシャッターチャンスを狙ってました

(でも、イマイチうまく撮れなかったかも  残念)

大洲城

 JR大洲駅にて 可愛いキャラクター列車が止まってました

 

松山駅に到着

駅前のホテルにチェックイン後は、まずは、お風呂で汗を流し、その後は洗濯も

汗を流すと、何だか疲れが少しだけ取れた気分になりました

 

夜は、ホテル近くの居酒屋さんで

 いただきます!!!

 

 お店の名前が良いですね  

まさに私たちの歩きかも(本人たちは、ぶらぶらのつもりじゃないんだけどね)

 

明日は、6時半発のバスで松山の奥 「久万高原」へ向かいます

朝も早いし、やっぱり疲れました

早めに就寝します

そして、心配なのは、台風です

天気予報を見ていると 雨の予報です

さてさて、どうなる事か・・・・・・・

 

二日目に続く

 


四国歩き遍路  伊予の国を歩く 1日目 その1

2016-09-26 22:32:41 | 四国八十八か所巡り

 9月の連休 9/16夜から、再び 四国へお遍路さんへ

今回は、愛媛県を歩くので、小倉港から松山行きのフェリーで出発です

 夜ご飯 (*^_^*)

 

今回も二等寝台を予約しました

これで行くとゆっくり寝られて、翌日も随分らくなんです  くつろぎタイムです♪

 

フェリーは、松山観光港に 5:00AMに到着  

松山駅まではリムジンバスもあるのですが、ここから 5:48発の宇和島行の列車に乗らなければいけないのでタクシーで移動しました

ただ、松山駅のコンビニは、5:45からの開店!!!!(知らなかった  (>_<))

なので、飲み物だけ買って、列車に乗り込みます

 

 バリィさんのお出迎え  行ってきます~

 

 車中から  「大洲城」

 お疲れモードかなぁ  しばし休憩です

 

宇和島で予土線に乗り換え

 

 

 務田駅(むでんえき)に到着 今回はここから歩きます

 朝ご飯を食べてないので、駅前のコンビニで購入 いただきます

 

ご飯を食べたら、さあ出発!!

今日は  41番 龍光寺 から  43番 明石寺まで歩く予定にしています

台風の影響でのお天気も心配でしたが、雨よりも暑くなりそうな感じの朝でした

 

 田んぼと家がある道をテクテク歩きます

 

あの角を曲がると・・・・

41番札所 龍光寺が見えてきます

  

鳥居をくぐってからが意外と長い・・・・

 長い階段を登ります  階段がきつい!!!

 

 ようやく到着です

 

 <本堂>

 

 

 

地元の人たちから「三間(みま)のおいなりさん」と呼ばれ親しまれている龍光寺。稲を背負った白髪の老人が、稲荷大明神であると悟った弘法大師は、老人の姿を像に刻み、ここを四国総鎮守の霊場に定めた。五穀豊穣の神様・稲荷大明神は、本尊の十一観世音菩薩とともに本堂に祀られている

 

 

<大師堂>

 

  鐘も突きました!

ゆっくり参拝したいのですが、まだ先は長い・・・・

納経所に、次の 42番への地図が貼ってありました

英語での案内も有ります  さすが、インターナショナルだな(笑)

 来た道を、帰ります

 

 歩き遍路の道しるべ

 

 高台から、龍光寺を見下ろす

 ここから、3キロと短いのですが、山道に入ります

 距離は短かったけれども、まだ山道に足が慣れていないので・・・・

 こけないように、慎重に歩きます

 

雨が降っていたら、歩きにくかっただろうな・・・・ 良かったなと思いながら進みました

 

 ようやく、前が開けてきて、民家も見えてきました 

  

 怪しい空模様  時々ポツポツしてきた・・・・・やばいかも~

 

 42番札所 仏木寺 に到着

 

 立派な山門です

 

  

 

 雨もひどくならないうちに、着くことができました

これから参拝

 

 団体さんで賑わってました

<本堂>

 

 

 弘法大師が、牛を引く老人についていくと、楠の古木の上に光るものを見つけた。それは大師が唐から投げた宝珠で、大師は楠の木で大日如来像を刻み、眉間に宝珠を納めて、この地を霊場に定めた。本尊の大日如来は牛や馬の守り仏として信仰を集め、現在はペットの供養に訪れる人も多い。

 

<大師堂>

 

 

 

ここの鐘楼の屋根は「茅葺屋根」でした 

 参拝も終わったので、次の43番明石寺へ・・・・

42番から43番までが今日の中で一番長い道のり(約15キロ)で山道を歩かなければいけません

仏木寺では、ポツポツを雨が降っていて、これからお天気が悪くなるようだったら大変です

リュックにカバーをかけて出発!! (>_<) !!

 

しばらく歩くと、心配していたお天気も回復に向かい、日差しが差してきました

逆に、暑くなって来て、額から汗がダラダラと流れ落ちて位です

途中で農作業をしているおじさんがいらっしゃったので、これから先の山道の事を尋ねました

「しばらく、このお遍路道を歩いたら、車道にでる。その後、再び遍路道に入るので、もし、大変な様だったら、車道から遍路道を歩かずにそのまま車道を進んだ方が良いかも・・・・」とアドバイスを受けました

42番札所「仏木寺」から43番札所「明石寺」へは標高480mの「歯長峠」を越えないといけないのです

しばらく舗装道(多分、車はほとんど通っていないと思われる)を歩き、ここから山道に入ります

 遍路道の道標も有ります

 ガンバレ・ガンバレと自分に言い聞かせながら歩きすすみます

 

  歩きにくい道が続きます

判ってはいるのだけれども、こんな道を歩いていると、「いつまでこれが続くのだろう・・・・」と思ってしまうのです

 

 

 

二人で、休憩しながら、声を掛けあいながら、山道を歩いていきました

まだまだ、 歯長峠を越えるまでは先が長い・・・・・     

修行の道は、つづく (T T〆)