売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『ミッキ』第13回

2013-06-25 13:41:09 | 小説
 今回は『ミッキ』第13回目の掲載です。



            

 このまましばらく県境の尾根を歩く。道の右側は岐阜県、左側が愛知県だ。道樹山から大谷山に行く道で、いちばん低くなったところ、最低鞍部に出た。左側に、下から登ってくる道がある。さきほど休憩した水場から少し上のところの分岐で、私たちは道樹山に通じる右の道に曲がったが、そのまままっすぐ登れば、ここに出るそうだ。
 突然、松本さんが「うわっ、蛇!」と叫んだ。私も松本さんの視線の先に目を移し、「きゃあ」と悲鳴をあげた。
 大きな蛇が、登山道から草むらの中に逃げ込んでいった。体長六〇センチぐらいはあったようだ。
「今の、マムシね。身体に丸い模様があったわ」
 河村さんが平然と言った。
「マムシ? それ、やばくない?」と松本さんが不安げに言った。
「マムシは攻撃性が強いハブと違って、臆病で、人間を見れば、自分から逃げていくから、それほど心配いらないよ。マムシより、スズメバチのほうが、はるかに危険ね」
「へえ、そうなんだ」
「でも、踏んづけたり、出会い頭で驚かしたりすれば、噛まれることもあるから、注意が必要ね。マムシに出会ったら、マムシが逃げていくのをじっと待ってればいいわ。でも、秋、メスが子供を抱いてたりすると、襲ってくることもあるから、気をつけないと」
「マムシって、子供を抱くんですか?」と宏美が訊いた。
「抱く、というと、語弊があるけど、マムシはほかの蛇とは違って、卵ではなく、子蛇を産むのよ」
「卵胎生ですね」と私が言った。
「そう。おなかの中に子供がいると、母親は子供を守るために襲ってくることがあるから、気をつけなくっちゃね」
「母は強し、か。動物でも、子供を守るときは必死なんだな」
 松本さんが、爬虫類でも、本能的なものとはいえ、子供への愛情があるのかな、と感心した。
「爬虫類でも、ワニの母親はよく子供のめんどうをみるそうよ」
「え、あのワニが? ワニは子供でも食っちゃうと聞いたことがあるけど」
「大きな個体が小さな個体を食べることは、魚や爬虫類だけじゃなく、鳥やほ乳類のような高等動物を含めて、多くの動物に見られることよ。アリゲーターの仲間は卵がかえると、子ワニを外敵から守ったり、口でそっとくわえて、餌場に連れてったりして、一年ぐらいはよく子供の世話をする、というわ。恐竜でも鳥のように抱卵したり、子供を育てていたのがいたそうだし。進化した恐竜は、ほとんど鳥といってもいいぐらいだそうよ。というより、鳥は恐竜の一種という説が今は一般的になっているけど。ティラノサウルスなんか、爬虫類というより、むしろ鳥のほうに近いといわれてるわ」
「そうなんですか? 凶暴なティラノサウルスが鳥だなんて、恐竜が大好きな弟が聞いたら、びっくりしそうです」
「絵に描いてみるとよくわかるけど、鳥と恐竜は驚くほど体型が似てるわ。小型の羽毛恐竜、ヴェロキラプトル類なんて、前足を翼にして、尻尾を尾羽にすれば、鳥にそっくりでしょう」
「そういえばそうだね。何となく想像してみたけど、確かにダチョウに似ている」と松本さんが意外そうに応じた。映画『ジュラシックパーク』に登場したヴェロキラプトルも、本来はダチョウのような羽毛に覆われた姿をしていたのかもしれない。
 マムシからワニ、恐竜の話になってしまったが、次々と出てくる、河村さんの知識の豊富さに、私は敬服した。
 後日、慎二に「鳥は恐竜の一種なんだよ」と話したら、「そんなことは常識じゃん。今さら、何言ってんの?」とかえって馬鹿にされてしまった。そういえば慎二は、図鑑に載っている恐竜や、映画やテレビに出る怪獣や宇宙人については、名前から身長、体重などのデータを、ほとんど諳(そら)んじている。私は教科書もそれぐらい覚えていれば、クラスのトップになれるのに、と笑ったことがあった。
 程なく標高四二五メートルの大谷山の頂上に着いた。山頂のベンチには三人の先客がいて、お弁当を広げていた。
 大谷山は北西の方向が開けていて、入鹿池(いるかいけ)や尾張富士、本宮山(ほんぐうさん)がよく見えた。尾張富士の麓、入鹿池のほとりには、明治村があるはずだが、肉眼ではわからなかった。

  弥勒山頂よりの尾張富士、入鹿池方面の展望です。大谷山からもほぼ同じ眺めですが、灌木が一部視界を遮っているので、弥勒山からの写真を掲載しました。

「私たちもお昼にしたいね。おなか空いた」と宏美が小声で私に言った。それを聞いていた河村さんが、「次の弥勒山でお弁当にしましょう。弥勒山のほうが、ずっと景色もいいから。あと二〇分ぐらいよ」と励ました。事前にもらっていた計画書にも、弥勒山で昼食となっていた。宏美と私はおやつで空腹をごまかした。
「このへんの稜線は、もう二週間ぐらい早い時季なら、ギフチョウがよく飛んでいるのよ」と河村さんが教えてくれた。ギフチョウは希少種の貴重な蝶で、黒と黄色の縞模様が美しい。
 弥勒山への登りは、この日の登山でいちばんきつかった。
「これから、ちょっときつい登りになりますけど、五分ぐらいで頂上なので、頑張ってくださいね。今日いちばんの景色を見られますよ。そこでお昼にしましょう」
 最後の登りにさしかかる前、河村さんがみんなに言った。お昼という言葉を聞いて、目の前にニンジンをつるされた馬みたいな心境になった。
 下の鞍部から見ると、弥勒山への登りは、急な階段になっている。
「こりゃ、大変そうだな。しょうがない。覚悟を決めて、登るぞ」
 先頭の松本さんが気合いを入れた。
「慌てなくてもいいから、ゆっくり、自分のペースでね。登り切ったところが、今日の目的地の山頂だから」
 私たちが弥勒山への道を登っていると、三人連れの男女のパーティーが下りてきた。三人は登山道の縁に寄り、私たちに道を譲ってくれた。「こんにちは」と挨拶をすると、「あともうひと踏ん張りですよ。頑張ってくださいね」と声をかけてくれた。
 最後の登りはきつかった。私はやっとの思いで山頂に立った。息が切れ、汗がどっと噴き出した。松本さんや宏美も辛そうだった。でも、河村さんは汗はかいていても、ほとんど呼吸を乱していなかった。
 ここが春日井市でいちばん高い弥勒山、四三七メートルだ。眺望もいい。視界三六〇度とまではいかないけれど、遠くの山々もよく見える。登り始めたときより、雲も少なくなっていた。
「ここはセントラルタワーズより高いよね」と宏美に言ってやった。
「この前のこと、まだ根に持ってるな。執念深いんだから」と宏美は笑った。
 小学生のとき、遠足で来たことがあるはずの宏美だか、何となく印象が違うような感じがすると言った。頂上に登る前、あんな急な道を通らなかったようだと主張した。
「それはたぶん、反対側の道から登ってきたんじゃない? 下りはそっちの道へ下りるから」と河村さんが推測した。
 頂上にはたくさんの人がいた。弥勒山展望台となっている四阿も、三角点の横のベンチも、北東側の木の椅子も、人でいっぱいだった。ここでお昼のはずだったのに、四人揃ってお弁当を広げるスペースがなかった。まったくないというわけではないが、ちょっとごみごみしていた。山頂はあまり広くはない。
「昼飯、どうする?」と松本さんが河村さんに尋ねた。
「思ったより人がたくさんいるわね。道樹山も大谷山もそんなにいなかったのに。さすが、眺望がいいから、人気が高いのね。もう少し行ったら、立派な休憩所だから、そこにしましょう。あとは下りばかりだから。しばらく景色でも見ながら、休憩しましょう」
 そう河村さんは決断した。下りばかりという言葉に、私は元気づけられた。まだ登りがあったら、おなかが空いて、もうとても持ちそうになかった。私はお菓子をつまみ、冷たいお茶を飲んで、一息ついた。
 北から北東にかけては、御嶽山(おんたけさん)や中央アルプス連峰などの高い山が見える。遠くがやや霞んでいるので、透明度がいい冬のような絶景ではないものの、私は山の景色に「わあ、きれい」と歓声をあげた。
 河村さんが、正面の大きな山が御嶽山、その右側の山並みが中央アルプス、右手のずんぐりした山が恵那山(えなさん)、などと山の名前を教えてくれた。手前の笠置山(かさぎやま)は名前のとおり、菅笠を置いたような三角形をしている。高い山には、まだ少し雪が残っていた。
「今日はちょっと雲が出ていて、乗鞍(のりくら)は見えないけど。ずっと左の方が白山(はくさん)よ。冬だったら、山が真っ白に雪化粧していて、とてもきれいよ」
 遠くの山を見ていると、疲れが吹き飛んでしまうような感じだ。そよ風も火照った体には心地よい。これまで歩いてきた苦労が、この景色を見て、風に吹かれれば、すべて報われたという思いがした。これが山の醍醐味なんだな、と私は思った。私はこの雄大な眺めをデジタルカメラに収めた。

  
 弥勒山頂よりの御嶽山、中央アルプス

  
 笠置山(左端)と中央アルプス、恵那山

   
 白山。写真は11月の撮影。ゴールデンウィークの頃はこれほど白くは見えません。

 
 小さな四阿からは、広大な濃尾平野が一望に収められた。眼下には、三月下旬に家族でほとりを歩いた、築水池が見える。それから高蔵寺ニュータウン。本当に大きな団地だ。遠くには名古屋駅のツインタワーや、まもなく完成のミッドランドスクエアが、霞の中にぼんやりと見える。三月まで住んでいた家の近くにある、ナゴヤドームも小さく見えた。

 
  名古屋駅付近の高層ビル。左端の光っている部分は名古屋港です

 一〇分ほど山頂で景色などを楽しんで、私たちは登ってきた登山道と反対側に下山した。休憩で体力も回復した。
「下りは楽そうに思えるけど、登りより危険が大きいから、気をつけてね。歩幅を小さくして、ゆっくり歩いてください。へっぴり腰にならないよう、体をできるだけまっすぐ、鉛直に保ってくださいね」
 今度は河村さんが先頭を歩き、自らが下りの歩き方の手本を見せながら説明した。
 ずっと下りの道を行くと、やがて広い林道に出た。登山道よりは歩きやすかった。林道をしばらく歩き、みろく休憩所についた。以前、築水池を歩いたときの築水小屋のような、大きな小屋だ。そこには誰もいなかったので、私たちはそこでお昼ご飯にすることにした。

  美咲たちが昼食をとったみろく休憩所

「ああ、腹減った」と松本さんが叫んだ。私もそう言いたかったが、女の子が腹減った、でははしたないので、やめておいた。
 デイパックを下ろして、小屋のベンチにかけ、私はしばらく目を閉じた。下着が汗でべとべとだ。日陰で、風があるので、身体の火照りがすっと引いていった。
 デイパックからお握りを出すために立ち上がると、木のベンチが汗でびっしょり濡れていた。
「あら、やだ。お尻の型がついちゃった。恥ずかしい」
「ミッキは汗かきだもんね。お尻まで汗びっしょり。おしっこちびったみたい」
 宏美がベンチについた、私の汗のあとを見て笑った。
「こら、おしっこちびったは言い過ぎだぞ」と私は宏美の頭を軽くはたいた。
「いて。叩かなくったっていいじゃないの。暴力女なんだから」
 宏美も笑って対応した。
 河村さんがガスコンロを出して、お湯を沸かし始めた。鍋に松本さんが沢で汲んだ水を入れた。鍋のことを、山ではコッフェルというのだそうだ。ガスコンロは火力が強く、水は程なく沸騰した。
 松本さんが持参した天ぷらうどんと、河村さんのミニサイズのカップ麺にお湯を注いだ。
 みんなでわいわいがやがやと話ながらお弁当を食べた。食事をしていると、二人の男女の登山者が小屋にやってきた。夫婦で来ているようだった。
「こんにちは」と挨拶をして、二人はもう一つのテーブルに着いた。私たちも「騒がしくしていてすみません」と挨拶を返した。
 河村さんは、バネのような針金でできたドリッパーにペーパーフィルターを敷き、コーヒー粉を入れた。そこに沸騰したお湯を注ぎ、コーヒーを淹れた。コーヒーのいい香りが漂った。バネのようなドリッパーは、平たく畳めるので、携帯に便利だ。
「いい匂いがしてますね」
 夫婦のパーティーの男性が声をかけた。
「よろしかったら、一緒にどうですか?」と河村さんが二人に呼びかけた。
「いいんですか?」
「はい。コーヒーの粉は余分に持ってきていますから、どうぞ」
「こりゃあどうも。では、せっかくですので、ごちそうになります」
 河村さんは紙コップにコーヒーを注ぎ、二人に手渡した。
「シュガーとフレッシュは要りませんか?」
「あ、ありがとう。私たちはブラックですので」と女性が断った。
「おいしいですね。山で飲む本格的なコーヒーはたまらんですよ。あなた方は、まだ高校生ですか」
 こんな会話から始まり、初対面で、年齢も離れているのに、親しく山の体験などを語り合った。私たちのグループは、もっぱら山の体験の豊富な河村さんが対応していた。それでも、みんなの山の話を聞くのは、楽しかった。
 河村さんは幼いころから山好きな両親に連れられて、あちこちの山に登っている筋金入りの山女だった。色白で体格も私より華奢なのに、そんなに山の経験が豊富だなんて、外見からはとても信じられなかった。メガネをかけているため理知的な感じがして、詩集でも携えて文学を語っているほうが、河村さんには似合っている。
 山では登山者同士という、共通の意識があるためか、知らない人たちともすぐに仲良くできるものだと思った。
「今日はおいしいコーヒーをありがとう。私たちはときどきこの山域を歩いているので、また会ったらよろしく」
 そう別れの挨拶をして、夫婦の登山者は一足先に小屋をあとにした。
 あとはずっと林道歩きだった。山の中を歩く道もあるが、みんなが疲れているから、今日は平易な林道を歩く、と河村さんが決めた。
 下りきったところに大谷小屋があった。私たちはそこで休憩し、お茶を飲んだり、おやつを食べたりした。
「山道はこれで終わりです。もうすぐ普通の舗装された道に出ます。今日はお疲れさまでした」
 河村さんが下山の挨拶をした。
「ありがとうございました」と宏美と私が河村さんにお礼を言った。
「僕はナイトのはずだったのに、結局彩花におんぶにだっこだったな。あまりいいところがなかった」
「いや、そんなことないよ。私もマッタク君がいてくれたんで、不安なく来られたんだから。たまたま今日のコースについては、私の方がよく知っていただけ。やっぱり男性がいると、心強いよ。いざというとき、頼りになるし」
 河村さんは松本さんを持ち上げた。でも、それはお世辞ではなく、河村さんの本心でもあると私は思った。私にとっても、松本さんの存在感は大きかった。
 帰りは植物園に寄った。高蔵寺に引っ越して、最初に家族で行楽に来たところだったので、懐かしい思いに駆られた。またグリーンイグアナに会いに行った。菖蒲園はまだ早いが、バラ園のバラはいろいろな種類の花が咲き始めていた。


  
 美咲のお気に入り? のグリーンイグアナ、バラ園のバラ

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