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作品としてはほぼ完成しており、今は推敲している段階です。
早く本
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ご紹介するのは、最初の部分です。この前に短い「プロローグ」があります。
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第一章 新たなるスタート
1
三月最後の日曜日に、家族そろって市の植物園へ行き、その近くのハイキングコースを歩いた。父は車を手放してしまったので、高蔵寺駅からJRバスで行くことにした。寮の車を使おうと思えば使えたのだが、私用に使うのは気が引けるといって、公共のバスを利用したのだった。
私たちは高蔵寺駅南口から出ているJRバスに乗った。春休み中の日曜日だというのに、バスは空いていた。
バスは住宅街を抜けて、田畑が多い郊外に出た。途中、自衛隊前というバス停があり、こんな団地の近くに自衛隊の大きな基地があることを知って驚いた。航空自衛隊の基地は、隣の小牧市にあるということは知っていたが、ここは航空自衛隊岐阜基地の分屯基地だと父が教えてくれた。この基地には大規模な弾薬庫があるそうだ。団地のすぐ近くなので、ちょっと物騒な気がする。地元の革新系の市民団体などが、危険な弾薬庫を団地の近くから撤去させようという運動をしているという。
右手の方には、愛知県と岐阜県の県境をなす四〇〇メートル程度の山々が連なっていた。新しい家のすぐ近くに、こんないい景色があるだなんて、思ってもみなかった。
小学生のとき、遠足で中央本線の電車に乗って、定光寺に来たことを思い出した。あまりはっきりとは覚えていないけれど、小さな川に沿って、かなりの山の中を歩いたような記憶がある。山道を登り切った上の方には、大きな池があったことを覚えている。その定光寺もこの近くだ。
私たちは終点の植物園でバスを降りた。バス停は池のすぐそばだった。
バス停からすぐのところに、植物園の入り口がある。門のところには「春日井市都市緑化植物園」とあった。グリーンピア春日井とも表示してある。中に入ると、すぐのところに緑の相談所という建物があった。私たちはまずその中に入った。
緑の相談所のすぐ横手には、大久手池があり、サイクルボートに乗ることができる。池には何艘かのボートが、人を乗せてゆっくり動いていた。慎二がボートに乗りたいというので、父と二人でボート乗り場に行った。乗り場には順番待ちの人が並んでいたが、あまり待つことなく、番が回ってきた。ボートに乗るときは、黄色の救命胴着を着用しなければならない。
ボートは二人乗りなので、母と私は、ボートに乗らず、池の畔をのんびり歩きながら待っていた。私はときどき父と慎二が乗っているボートに向かって、手を振ってみた。
池にはカモがたくさん群れて泳いでいた。雌は茶色っぽい地味な色だが、雄は頭がダークグリーン、首には白いラインが入っていて、おしゃれな感じだ。動物は人間と違い、雄の方がきれいに着飾っていることが多い。アオサギもときどき飛来するそうだ。
父と慎二は三〇分の時間いっぱいボートに乗っていた。慎二がハンドルを握り、父がペダルをこいでいた。運転者とペダルをこぐ人とは、別々になっている。だから、一人だけではボートに乗れない。足でペダルをこいで進むボートなので、父は少し疲れたようだった。それに、三月下旬とはいえ、池の上でボートに乗るには、まだ風が冷たいと父は言っていた。もっとも父はペダルをこいでいたので、少し汗ばんでいた。
そのあと、緑と花の休憩所というところに入った。ガラス張りの、しゃれた感じの大きな建物だった。日の光がそのまま入るためか、それとも空調によるものかはわからないけれど、中は温室のように暖かかった。
中は花壇や庭園のようになっており、たくさんの草花や木が植えられていた。二階にはサボテン類が多く、見たこともない種類のものもあった。サボテンの出荷量は春日井市が全国一だそうだ。椅子とテーブルがあり、そこで少し休憩した。天井もガラス張りで、太陽光がさんさんと降り注ぎ、とても明るい雰囲気だ。
バラ園や大谷池の花菖蒲園は、まだ時期が早すぎて楽しめないが、花の時期にぜひ訪れてみたい。
お昼になったので、私たちは芝生広場でお弁当を広げた。春休みの日曜日なので、芝生広場のあちこちで、多くの家族がお弁当を楽しんでいた。
芝生広場の近辺には、アスレチックなどの遊具やログハウス風の建物がある。桜の木も多く、花がちらほら咲きかけている。緑の木々や淡いピンクの桜の上に、県境をなす山並みがでんと鎮座している。心安らぐ風景だった。
最近は辛い思いばかりだったので、今日ぐらいはちょっと贅沢しようと、かなり豪華なお弁当を作ってきた。
炊き込みご飯に巻き寿司、いなり寿司、唐揚げ、卵焼き、焼き鮭、ウインナーソーセージ、サンドイッチ、サラダなど盛りだくさんだった。私も作るのに、少しは協力している。
父はビールを持ってきたそうだったが、アルコールは帰ってからに、と母に反対された。
私たちはお弁当を囲んで、盛り上がった。
お弁当を食べ終わって、「今日は本当に久々に楽しい思いをしたわ」と母がしみじみと言った。
「そうだな。工場がだめになって、一時期は一家心中まで考えたんだが、死なずにいてよかった」
父がびっくりするようなことを言った。
「美咲と慎二が寝たあと、母さんと二人で、おまえたちを殺して、二人とも死のうかと話し合ったこともあってな」
父のその言葉に、私は驚いた。まさに天地がひっくり返るような驚き、と言ったら、大げさだろうか。
「おまえたち二人だけを残していくのもかわいそうだから、みんなであの世に行こうか、なんて、真剣に考えたものだ」
「僕はいやだよ。絶対死にたくない」と慎二が叫んだ。
「大丈夫だ。もう死のうなんていう気はないから。母さんがさっき言ったように、今日は本当に楽しい思いができた。生きていてよかった、と実感したよ。今の仕事なら、以前の工場ほどは儲からないけど、十分生活していけるしな」
「ごめんね。おまえたちを道連れにして、死のうだなんて考えて。だけど、もう大丈夫だからね。これから、みんなで力を合わせて、どんどん幸せを築いていこうね」
母は涙を流しながら言った。
少ししんみりとした雰囲気となった。そんな気分を吹き飛ばすように、父が「あそこに動物園がある。ちょっと行って、どんな動物がいるか、見てこよう」と私たちを誘った。
動物園といっても、小さな動物舎だった。柵の中には馬や羊などがいた。大きな禽舎には、クジャクやシチメンチョウ、オシドリ、バリケン、ウコッケイ、チャボ、アヒルなど、私でもよく知っている鳥たちがいた。
小学校のころ、ウサギ小屋にバリケンを同居させていたら、生まれたばかりのウサギの子供が、いなくなってしまうという事件が起きた。ウサギの赤ちゃんはどうなったんだろうと追究していたら、バリケンが生まれたばかりの小さな子供を、丸呑みしていることが判明した。それで慌ててバリケンをウサギ小屋から引き離した、ということがあった。バリケンにとっては、ウサギの子供は貴重な動物性タンパク源でしかなかったのだろうが、児童、特に低学年の子供たちには大きなショックだった。先生は「これが弱肉強食の自然の掟なんだ」とクラスの児童に、苦々しく説明をした。
クジャクは私たちにサービスしてくれたのか、青緑色の美しい尾羽を広げて、私たちを歓迎してくれた。
父はコンパクトデジタルカメラで尾羽を広げたクジャクを写そうとした。しかしオートフォーカスだと、禽舎の金網にピントが合ってしまい、なかなかうまく写らないとぼやいていた。こういうときはマニュアルでピントが合わせられる一眼レフが欲しいな、と母にそれとなくいいカメラをねだっているようだった。
父は車とカメラが趣味で、カメラも一眼レフの銀塩カメラを二台所有していた。一台はプロのカメラマンが使うような、かなり高価なものだった。交換レンズも何本も揃えていた。白い大きなレンズがかっこよかった。
工場が休みの日は、車で出かけ、いろいろな写真を撮っていた。ときどき家族も一緒に連れて行ってくれた。しかし、今ではその趣味の車もカメラも、売り払ってしまっていた。
代わりに父は、子供でもお小遣いを貯めて買えるような、安っぽいコンパクトデジタルカメラを買った。以前は、「画像を細切れのデータにするようなデジタルカメラなんか使えるか」と言って、フィルム派を貫いていた父も、自慢のカメラやレンズを手放さざるを得ず、やむなく安いデジカメを買ったのだった。安物のカメラでも、腕でカバーしていい写真を撮ってみせる、と父は豪語した。父はデジカメのことを、わざとカメデジ、なんて言っていた。
最近は安いコンパクトデジタルカメラでも、六〇〇万画素を超えるものが出てきて、解像力は以前のフィルムカメラにも劣らなくなったので、父も妥協したようだ。
いつかはまた自分の車や高級な一眼レフカメラを持ちたい、と父は言っている。
動物舎には、本格的な動物園にはとても及ばないものの、いろいろな動物がいた。マーラという大きなネズミの仲間もいた。私が好きな作曲家のグスタフ・マーラーとよく似た名前だったので、印象に残った。ネズミというより、ウサギに似ている。
グリーンイグアナは怪獣のようなグロテスクな姿ではあるが、けっこうユーモラスで愛嬌があり、見ていて飽きなかった。こういうのをきも可愛いというのだろうか。怪獣や恐竜が好きな慎二も、グリーンイグアナが気に入ったようだった。
「こんなの飼ってみたい」と慎二が母にねだると、母は「こんな大きなトカゲ、気色わるい」と、気味悪がった。頭から尻尾の先まで、優に一メートル以上はありそうだ。ペットとしてグリーンイグアナを飼う人もいるが、大きくなりすぎて、持て余すこともあるという。グリーンイグアナは爬虫類とはいえ、思った以上に知能が高く、人になつく、という話を聞いたことがある。
「じゃあ、その代わりに犬を買って。犬ならいいでしょ。小さい犬でいいから」と、今度は犬を欲しがった。
「だめだめ。寮では動物は飼えないから。せいぜい小鳥か金魚ぐらいかしらね」
「どうしてもだめなの? もし会社の人に訊いて、いいと言ったら、飼ってよ」
「だめに決まっているでしょう。普通の家じゃないんだから。アパートなんかでも、犬や猫はだめでしょう」
「ちぇー。犬、飼いたいのに」
慎二は残念そうに口をとがらせた。