売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

新作「ミッキ」の紹介

2011-01-26 15:18:51 | 日記
 まだ刊行する予定が立たない「ミッキ」ですが、その一部を紹介いたします。
 作品としてはほぼ完成しており、今は推敲している段階です。
 早く本にしたいと思ってはいますが。

 ご紹介するのは、最初の部分です。この前に短い「プロローグ」があります。

   


  作中の植物園です



       第一章 新たなるスタート

             1

 三月最後の日曜日に、家族そろって市の植物園へ行き、その近くのハイキングコースを歩いた。父は車を手放してしまったので、高蔵寺駅からJRバスで行くことにした。寮の車を使おうと思えば使えたのだが、私用に使うのは気が引けるといって、公共のバスを利用したのだった。
 私たちは高蔵寺駅南口から出ているJRバスに乗った。春休み中の日曜日だというのに、バスは空いていた。
 バスは住宅街を抜けて、田畑が多い郊外に出た。途中、自衛隊前というバス停があり、こんな団地の近くに自衛隊の大きな基地があることを知って驚いた。航空自衛隊の基地は、隣の小牧市にあるということは知っていたが、ここは航空自衛隊岐阜基地の分屯基地だと父が教えてくれた。この基地には大規模な弾薬庫があるそうだ。団地のすぐ近くなので、ちょっと物騒な気がする。地元の革新系の市民団体などが、危険な弾薬庫を団地の近くから撤去させようという運動をしているという。
 右手の方には、愛知県と岐阜県の県境をなす四〇〇メートル程度の山々が連なっていた。新しい家のすぐ近くに、こんないい景色があるだなんて、思ってもみなかった。
 小学生のとき、遠足で中央本線の電車に乗って、定光寺に来たことを思い出した。あまりはっきりとは覚えていないけれど、小さな川に沿って、かなりの山の中を歩いたような記憶がある。山道を登り切った上の方には、大きな池があったことを覚えている。その定光寺もこの近くだ。
 私たちは終点の植物園でバスを降りた。バス停は池のすぐそばだった。
 バス停からすぐのところに、植物園の入り口がある。門のところには「春日井市都市緑化植物園」とあった。グリーンピア春日井とも表示してある。中に入ると、すぐのところに緑の相談所という建物があった。私たちはまずその中に入った。
緑の相談所のすぐ横手には、大久手池があり、サイクルボートに乗ることができる。池には何艘かのボートが、人を乗せてゆっくり動いていた。慎二がボートに乗りたいというので、父と二人でボート乗り場に行った。乗り場には順番待ちの人が並んでいたが、あまり待つことなく、番が回ってきた。ボートに乗るときは、黄色の救命胴着を着用しなければならない。
 ボートは二人乗りなので、母と私は、ボートに乗らず、池の畔をのんびり歩きながら待っていた。私はときどき父と慎二が乗っているボートに向かって、手を振ってみた。
 池にはカモがたくさん群れて泳いでいた。雌は茶色っぽい地味な色だが、雄は頭がダークグリーン、首には白いラインが入っていて、おしゃれな感じだ。動物は人間と違い、雄の方がきれいに着飾っていることが多い。アオサギもときどき飛来するそうだ。
 父と慎二は三〇分の時間いっぱいボートに乗っていた。慎二がハンドルを握り、父がペダルをこいでいた。運転者とペダルをこぐ人とは、別々になっている。だから、一人だけではボートに乗れない。足でペダルをこいで進むボートなので、父は少し疲れたようだった。それに、三月下旬とはいえ、池の上でボートに乗るには、まだ風が冷たいと父は言っていた。もっとも父はペダルをこいでいたので、少し汗ばんでいた。
 そのあと、緑と花の休憩所というところに入った。ガラス張りの、しゃれた感じの大きな建物だった。日の光がそのまま入るためか、それとも空調によるものかはわからないけれど、中は温室のように暖かかった。
 中は花壇や庭園のようになっており、たくさんの草花や木が植えられていた。二階にはサボテン類が多く、見たこともない種類のものもあった。サボテンの出荷量は春日井市が全国一だそうだ。椅子とテーブルがあり、そこで少し休憩した。天井もガラス張りで、太陽光がさんさんと降り注ぎ、とても明るい雰囲気だ。
 バラ園や大谷池の花菖蒲園は、まだ時期が早すぎて楽しめないが、花の時期にぜひ訪れてみたい。
 お昼になったので、私たちは芝生広場でお弁当を広げた。春休みの日曜日なので、芝生広場のあちこちで、多くの家族がお弁当を楽しんでいた。
 芝生広場の近辺には、アスレチックなどの遊具やログハウス風の建物がある。桜の木も多く、花がちらほら咲きかけている。緑の木々や淡いピンクの桜の上に、県境をなす山並みがでんと鎮座している。心安らぐ風景だった。
 最近は辛い思いばかりだったので、今日ぐらいはちょっと贅沢しようと、かなり豪華なお弁当を作ってきた。
 炊き込みご飯に巻き寿司、いなり寿司、唐揚げ、卵焼き、焼き鮭、ウインナーソーセージ、サンドイッチ、サラダなど盛りだくさんだった。私も作るのに、少しは協力している。
 父はビールを持ってきたそうだったが、アルコールは帰ってからに、と母に反対された。
 私たちはお弁当を囲んで、盛り上がった。
 お弁当を食べ終わって、「今日は本当に久々に楽しい思いをしたわ」と母がしみじみと言った。
「そうだな。工場がだめになって、一時期は一家心中まで考えたんだが、死なずにいてよかった」
 父がびっくりするようなことを言った。
「美咲と慎二が寝たあと、母さんと二人で、おまえたちを殺して、二人とも死のうかと話し合ったこともあってな」
 父のその言葉に、私は驚いた。まさに天地がひっくり返るような驚き、と言ったら、大げさだろうか。
「おまえたち二人だけを残していくのもかわいそうだから、みんなであの世に行こうか、なんて、真剣に考えたものだ」
「僕はいやだよ。絶対死にたくない」と慎二が叫んだ。
「大丈夫だ。もう死のうなんていう気はないから。母さんがさっき言ったように、今日は本当に楽しい思いができた。生きていてよかった、と実感したよ。今の仕事なら、以前の工場ほどは儲からないけど、十分生活していけるしな」
「ごめんね。おまえたちを道連れにして、死のうだなんて考えて。だけど、もう大丈夫だからね。これから、みんなで力を合わせて、どんどん幸せを築いていこうね」
 母は涙を流しながら言った。
 少ししんみりとした雰囲気となった。そんな気分を吹き飛ばすように、父が「あそこに動物園がある。ちょっと行って、どんな動物がいるか、見てこよう」と私たちを誘った。
 動物園といっても、小さな動物舎だった。柵の中には馬や羊などがいた。大きな禽舎には、クジャクやシチメンチョウ、オシドリ、バリケン、ウコッケイ、チャボ、アヒルなど、私でもよく知っている鳥たちがいた。
 小学校のころ、ウサギ小屋にバリケンを同居させていたら、生まれたばかりのウサギの子供が、いなくなってしまうという事件が起きた。ウサギの赤ちゃんはどうなったんだろうと追究していたら、バリケンが生まれたばかりの小さな子供を、丸呑みしていることが判明した。それで慌ててバリケンをウサギ小屋から引き離した、ということがあった。バリケンにとっては、ウサギの子供は貴重な動物性タンパク源でしかなかったのだろうが、児童、特に低学年の子供たちには大きなショックだった。先生は「これが弱肉強食の自然の掟なんだ」とクラスの児童に、苦々しく説明をした。
 クジャクは私たちにサービスしてくれたのか、青緑色の美しい尾羽を広げて、私たちを歓迎してくれた。
 父はコンパクトデジタルカメラで尾羽を広げたクジャクを写そうとした。しかしオートフォーカスだと、禽舎の金網にピントが合ってしまい、なかなかうまく写らないとぼやいていた。こういうときはマニュアルでピントが合わせられる一眼レフが欲しいな、と母にそれとなくいいカメラをねだっているようだった。
 父は車とカメラが趣味で、カメラも一眼レフの銀塩カメラを二台所有していた。一台はプロのカメラマンが使うような、かなり高価なものだった。交換レンズも何本も揃えていた。白い大きなレンズがかっこよかった。
 工場が休みの日は、車で出かけ、いろいろな写真を撮っていた。ときどき家族も一緒に連れて行ってくれた。しかし、今ではその趣味の車もカメラも、売り払ってしまっていた。
 代わりに父は、子供でもお小遣いを貯めて買えるような、安っぽいコンパクトデジタルカメラを買った。以前は、「画像を細切れのデータにするようなデジタルカメラなんか使えるか」と言って、フィルム派を貫いていた父も、自慢のカメラやレンズを手放さざるを得ず、やむなく安いデジカメを買ったのだった。安物のカメラでも、腕でカバーしていい写真を撮ってみせる、と父は豪語した。父はデジカメのことを、わざとカメデジ、なんて言っていた。
 最近は安いコンパクトデジタルカメラでも、六〇〇万画素を超えるものが出てきて、解像力は以前のフィルムカメラにも劣らなくなったので、父も妥協したようだ。
 いつかはまた自分の車や高級な一眼レフカメラを持ちたい、と父は言っている。
 動物舎には、本格的な動物園にはとても及ばないものの、いろいろな動物がいた。マーラという大きなネズミの仲間もいた。私が好きな作曲家のグスタフ・マーラーとよく似た名前だったので、印象に残った。ネズミというより、ウサギに似ている。
 グリーンイグアナは怪獣のようなグロテスクな姿ではあるが、けっこうユーモラスで愛嬌があり、見ていて飽きなかった。こういうのをきも可愛いというのだろうか。怪獣や恐竜が好きな慎二も、グリーンイグアナが気に入ったようだった。
「こんなの飼ってみたい」と慎二が母にねだると、母は「こんな大きなトカゲ、気色わるい」と、気味悪がった。頭から尻尾の先まで、優に一メートル以上はありそうだ。ペットとしてグリーンイグアナを飼う人もいるが、大きくなりすぎて、持て余すこともあるという。グリーンイグアナは爬虫類とはいえ、思った以上に知能が高く、人になつく、という話を聞いたことがある。
「じゃあ、その代わりに犬を買って。犬ならいいでしょ。小さい犬でいいから」と、今度は犬を欲しがった。
「だめだめ。寮では動物は飼えないから。せいぜい小鳥か金魚ぐらいかしらね」
「どうしてもだめなの? もし会社の人に訊いて、いいと言ったら、飼ってよ」
「だめに決まっているでしょう。普通の家じゃないんだから。アパートなんかでも、犬や猫はだめでしょう」
「ちぇー。犬、飼いたいのに」
 慎二は残念そうに口をとがらせた。

弥勒山・大谷山

2011-01-21 18:43:40 | 日記


 上の写真は「幻影」で美奈が登山した弥勒山(左)・大谷山です。弥勒山は春日井市の最高峰です(437m)。
 みろくの森の築水池付近の築水小屋前で写しました。
 下は弥勒山の頂上です。18日に登りましたが、まだ雪が残っていました。

 まだ刊行の予定がありませんが、新作「ミッキ」に、築水小屋から弥勒山・大谷山を望む場面があります。

 余談ですが、18日に持参した愛用のNikon D50が突然動作しなくなりました。「幻影」の美奈の愛機でもあります。この写真は古いコンパクトデジカメのFUJI FinePix A210で写しました。

 新作「ミッキ」もなんとか刊行したいと思っています。

「幻影」の内容紹介

2011-01-17 18:02:11 | 日記


「幻影」の内容です(16章)



             16

 元日の昼、小学五年生の外山康司は愛犬のミロを連れて、遠くの里山の方まで散歩に出た。
 昨夜から家族で名古屋市熱田区の熱田神宮に初詣に行き、未明に家に帰ってきた。大晦日の夜から元日にかけての熱田神宮は、ものすごい人出でごった返していた。ほとんど身動きもできず、国道一号線側の正門から入って、本宮に行き着くまで、非常に時間がかかった。
 駐車場も神宮近くはいっぱいで、駐車場探しにかなり走り回ったし、やっと見つけた駐車場は、神宮からずっと離れたところだった。
 大晦日から元日にかけ、名古屋市営の地下鉄は終夜運行しているが、JR中央本線や名鉄バスは動いていないので、初詣に行くには車を使うしかない。一時間に一本でもいいから、JRが終夜運行してくれれば、高蔵寺駅からタクシーを奮発するのに、と康司の父親はJRに八つ当たりしたりもした。
 大晦日の深夜は、神宮近辺は車であふれていた。ある程度は覚悟していたものの、予想をはるかに上回る混雑だった。家族が、たまには熱田さんに初詣しようと言うので、行ったのだが、初詣はやはり近くの氏神様で済ませておくべきだったか、と康司の父親は悔やんだ。こんなことなら、遠くても、伊勢神宮に行ったほうがまだよかったかもしれない。
 へとへとに疲れ、未明に春日井市押沢台の自宅に帰ってきた。
 家に帰って、明け方眠り、家族で雑煮とおせち料理などで遅い朝食をとった。親戚への年始の挨拶は翌日に回し、その日はテレビを見たりして、家族はだらだらと過ごしていた。
 康司は、そんな家族と一緒に過ごすのが退屈で、クリスマスプレゼントに買ってもらったばかりのデジタルカメラを携えて、愛犬のミロを連れて散歩に出かけた。
 
 いつものミロの散歩コースは、うぐい川沿いの道を歩いている。うぐい川はすぐ近くまで林が迫っているところが多く、沿道は自然にあふれている。
 康司の家はニュータウンの一角の新しい住宅地だが、少し歩けば、田畑が広がり、古い家並みが続いている。春日井市、多治見市の県境をなす山並みも間近に迫っている。
 そのような豊富な自然の中を散歩することが、ミロは大好きだった。
 今日はめったに行かない、東海自然歩道にミロを連れていってやろう、とかなり遠くまで来てしまった。
 ミロはいつもの散歩コースであるうぐい川の方へ行きたがったが、康司はかまわず車道にミロを引っ張っていった。道の右には稲を刈り取られ、裸になった田の向こうに、県境の山並みが続いている。採石のため、岩が剥き出しになった山肌が痛々しい。
 道を北に進むと、小さな神社がある。道の反対側に、大きなイチョウの神木があり、その角を右に折れた。
 しばらくは民家が続くが、道はやがてヒノキの林の中に入っていく。晴天だというのに、鬱蒼としたヒノキの林は薄暗かった。しばらく行くと養蜂場があった。
 ヒノキばかりではなくソヨゴやリョウブ、コナラ、アカガシ、アセビなどの雑木林になっているところもあった。
 あまり歩いたことがない、珍しい道に、ミロは興味深げにきょろきょろしたり、臭いをかぎながら康司について行った。康司はおもしろそうな被写体があると、デジカメを向けた。散歩中のミロを何十枚も写した。康司はいっぱしのカメラマンになったつもりでいた。デジカメはメモリーカードの容量が許す限り、いくら撮ってもフィルム代がかからないのは魅力だった。気に入ったカットがあれば、父親に頼んで、パソコンを使ってプリントしてもらう。
 道は少しずつ高度を稼いでいった。
 一時間近く歩くと、外之原峠に出た。康司やミロにとっては、とんでもなく遠いところまで冒険してしまった、という感覚だった。自転車でもここまではめったに来なかった。
 外之原峠を越えれば、岐阜県多治見市となる。そこで東海自然歩道と合流する。少し手前を左に折れれば、道樹山、弥勒山方面に続く道だ。しかし、その取り付きは金属製の階段になっており、それを登り詰めるのは、身体が小さなミロでは困難かと判断し、康司は右に向かった。定光寺駅に通じるコースだ。
 外之原峠には車が二、三台駐車できるスペースがあり、ときどきハイカーたちが利用する。しかし車を使用する場合は、また駐車場まで戻らなければならない。周回コースを組める細野キャンプ場や植物園の駐車場ほど、ハイカーの利用はなかった。
 ミロは大喜びで東海自然歩道を駆けていった。足早に先を行き、まるで康司を引っ張っているようだった。しばらく行ったら、ミロは道を外れ、右の方に向かおうとした。康司はまっすぐ行くぞ、とミロに命じたが、ミロは小さな身体で踏ん張って、どうしても我を通そうとした。
 そこは雑木林の密度がやや低くなり、ちょっとした広場になっていた。康司は根負けして、ミロの好きなようにさせてやることにした。こんな林の中だから他の人の迷惑になることはないだろうと、康司はミロのリードを解いてやった。
 束縛から解き放されたミロは、自然歩道から逸れて、小さな広場に入っていった。地面に鼻をつけ、盛んにクンクンやっている。地面は落ち葉の絨毯になっている。ところどころ、大きな葉が落ちていた。ホオノキの葉であろうか。
 ミロは微かな踏み跡を、どんどん登っていった。その先に、送電用の鉄塔が建っていた。その踏み跡は、鉄塔のメンテナンスのためにつけられたものだった。
 しかし、ミロは鉄塔に行かず、その手前を左に折れた。道のない雑木林の中をしばらく行くと、立ち止まり、わんわん吠え始めた。康司はミロに遅れてその場に着いた。
 ミロは前足で落ち葉の下を掘り始め、何かを咥えようとしていた。
 何だろうと思い、康司が覗くと、そこには白っぽい棒のようなものがあった。
 最初は木の枝か何かだと思った。だが、その先端には指のようなものがついていた。テレビの刑事物をよく見ている康司は、次々といろいろなことを連想した。
「うわー」
 叫び声をあげた康司は、ミロを置き去りにして、来た道を一目散に走って逃げた。主人のただならぬ気配を察し、ミロも康司の後を追った。
 定光寺方面から歩いてきた三人の男女のハイカーたちは、大声で叫ぶ子供の悲鳴を聞きつけた。数十秒後、自然歩道から外れた踏み跡から、血相を変えた子供と、茶色い小犬が走ってくるのを見つけた。

 外之原峠近くの東海自然歩道より、携帯電話から一一〇番経由で、白骨死体を見つけたというハイカーからの連絡を受けた篠木署の刑事課は、直ちに刑事を差し向けた。

「宇宙旅行」の内容紹介(冒頭部分)

2011-01-16 13:32:20 | 日記



 「宇宙旅行」の冒頭です。


 宇宙船アルゴは、文明が存在すると思われる、くじら座タウ星系に、光速に近いスピードで向かっていた。

 二六世紀初頭、人類は戦争、環境破壊などの絶滅の危機を乗り越え、未曾有の繁栄を誇っていた。
 科学も格段に進歩し、いよいよ恒星間宇宙の旅行も実現させた。
 アルゴは、高度な文明の存在を思わせる、微弱な電波を放つくじら座タウ星系を調査する目的で航行した、人類初の有人恒星間旅行宇宙船だ。

 人類は二〇世紀から二二世紀にかかる戦争、環境破壊による絶滅の危機を乗り越えた。
 戦争の原因は、民族・宗教の争いにある、と考えられた。すべての国家を廃して、すべての民族の平等を謳い、地球連邦政府が樹立された。そして、宗教は迷信であると断定された。
 言葉も英語のみを公用語とし、他の言語は廃止された。英語以外を母国語としている人々に対しては、一世紀の準備期間を認め、学校教育、社会教育で英語への移行を徹底した。英語以外の文学作品、歴史的資料は、人類資産として価値があると認められたものは英訳されて遺されたが、そうでないものは大部分が廃棄された。多くの文学者、言語学者、人文科学者などの反対があったが、強引に押し切った。
 急進的で、強硬な改革のため、民族主義、信仰擁護の戦いが各地で繰り広げられた。
 かえってこれまでより大きな戦争になることもしばしばだった。
 しかし、民族間の争い、宗教戦争を撲滅しない限り、真の世界平和はないと確信する地球連邦政府は、圧倒的な軍事力でもって、弾圧を重ねた。
 一世紀に及ぶ戦乱の末、地球連邦は勝利した。そして、人類は争いのない平和な世界を獲得した。
 まず、戦争により破壊された環境を戻すことを第一とした。科学力を結集し、環境回復、保全に全力が注がれた。
 戦争がなくなったので、治安維持のための武力は別として、軍事力の維持が不要となった。その分を環境のために割り当てることが容易となり、地球環境の回復は急ピッチで進んだ。
 それにより、人類が信ずるに足るものは科学技術であり、宗教は前世紀までの廃物として、遺棄された。宗教こそが戦争の根源であるとされ、宗教に対しては、徹底した弾圧、取り締まりがなされた。
 神仏を信じていると断定された者は、矯正施設に送られ、洗脳された。まさに新時代の踏み絵が横行した。それでも信仰を捨てない者は、一生施設から出られず、社会から隔離された。
 科学こそが人類を進歩させる最高最良のものだ、と信じられた。まだ科学では解明されていない謎も多数存在するが、それらはさらなる科学の進歩により、必ず解き明かされると、だれもが信じた。
 かくして、人類は神仏を捨てた。
 しかし、それは科学こそが万能な神であるとする科学信仰であることには、だれも気づこうとはしなかった。
 
 アルゴは一五年の歳月を費やして、いよいよ目的地の近くまでやって来た。
 五名の乗組員は人工冬眠から目覚め、それぞれの配置についた。
 乗組員たちが休眠していた間は、非常に優秀な人工知能がアルゴの全機能を掌握し、制御していた。光速に近いスピードで航行するアルゴは、ほんの小さな星屑に衝突するだけでも、壊滅的な損害を被る。そのような危険を、人工知能はすべて監視し、回避した。だから、全乗組員が眠っている間も、まったく不安はなかった。
「目的地の惑星まで、あと七二時間」と人工知能が乗組員に告げた。
「いよいよですね。私たち人類が、他の星の文明と出会う、歴史的瞬間を迎える時が来た
のですね」
 ただ一人の女性乗組員であるユミが、船長のジャクソンに話しかけた。
 アルゴの人工知能は、乗組員が眠っている間、その惑星から発信されている電波を捕らえ、分析している。その電波は、間違いなく知的生命体が発しているものだった。
 かつて、非常に規則正しい周期を持つ電波を受信し、それこそ知的生命体からの通信だと信じていたことがあったが、まもなく、それは中性子星が放つパルスであることが判明した。
 現在受信されている電波は、解析の結果、自然のものではあり得ず、間違いなく知的生命体が発している電波であることが確認された。
 そこで、人類最初の恒星間旅行として、この惑星系が目的地とされたのだった。
「我々としてはできる限りこの星の住人とは、友好的な関係を結びたい。しかし、最悪の場合は、武力で弾圧せざるを得ないことになるかもしれんな」
 船長のジャクソンはユミに言った。
「できるだけ平和的に行きたいですね。でも、この星の住民たちが私たちに対して、非友好的で、私たち以上の力を持っていたとしたら」
 ユミは不安そうに言った。
「大丈夫だ。この星から発信された電波を解析したが、科学力では我々地球人の足元にも及ばない。せいぜい二〇世紀前半程度のものだ」
 ジャクソンはユミの不安を払拭した。
「それに、彼らが我々以上の科学力を持っていれば、とうに地球に来ているはずだ。彼らにとっても、地球は最も近い文明が発達した星であるから。二一世紀まではUFOなどということもよく言われていたが、それはまったく宇宙人とは関係がないことも証明された」
「しかし我々としては、あくまで平和共存でいきたいですね。今は地球は平和ですが、何百年も昔は、戦争や紛争で、多くの人々が犠牲になっていたそうですから」
 副長のタカシも話に加わった。
「ああ、我々の任務は、侵略ではなく、星の住民と平和的な関係を結ぶことだからな。我々に危害を加えようとしない限り、こちらも武力は行使しない」
「私たち地球の歴史では、一五世紀から始まる大航海時代は、旧ヨーロッパ諸国による、アフリカ、アジア、アメリカなどの侵略の歴史だったわ。新しい宇宙大航海時代は、そのような悲惨な歴史の繰り返しにならないようにしたいですわ」
「そうですね。僕たちは戦争なんてまったく縁がない世代として育ったんだから、戦えと言われても、何もできないし」
 隊員のシェンが言った。
「なに、万一の時は精巧にプログラムされた戦闘用人工頭脳がすべてをやってくれる。心配することはない」
「私はそんなもの使わなくてもいいよう、祈ります。あ、祈るという言葉を使ってはいけないのですね」
 地球連邦は、宗教をいっさい禁じていた。宗教こそ紛争の原因であるという考え方が徹底しており、かつての共産主義以上に、徹底した唯物論的主張を貫いている。ありもしない神仏をあがめるという行為は、非常に愚かな、低級な行為と目されていた。祈るという言葉はタブーとされていた。

 アルゴは目的の惑星に近づいた。
 くじら座タウ星は、太陽より表面温度が低く、やや黄色みが強い。目的の惑星は、くじら座タウ星から、太陽と金星の距離より少し遠い距離に位置していた。その惑星系には、土星程度の巨大ガス惑星も二つ存在し、太陽系とよく似ていた。
 その目的の惑星も地球に瓜二つといえた。金星以上に地球にそっくりだ。地球の月の半分もない、小さな衛星が二つある。ただ、どちらの衛星も、地球の月よりずっと惑星に近い軌道を回っているので、地上からはけっこう明るく見えると思われる。二つの衛星による潮汐力も、惑星に微妙な影響を与えているかもしれない。
 惑星の大気を分析し、地形を観察した。大気の成分は驚くほど地球に似ていた。海があり、水は大量に存在している。気温も地球の熱帯、亜熱帯と同程度だ。極地方は地球の北極、南極より温暖だ。
 くじら座タウ星は太陽の約二倍の年齢で、古い星と考えられている。宇宙創生後、かなり早い段階で誕生したようだ。その頃にはすでに、質量が大きな、寿命が短い星が超新星爆発を繰り返し、惑星や生命を作る元素が豊富に存在していたのだろう。
 太陽よりずっと古い星とはいえ、質量が小さいため、中心部の核融合反応のスピードも遅く、太陽より寿命が長い。太陽なら、そろそろ中心部の水素を使い尽くし、ヘリウムが核融合を起こし、だんだんと膨張してくるころだ。だが、やや質量が小さいくじら座タウ星は、まだまだ壮年期の恒星として、安定した状態で輝いていられる。
 その惑星も、地球よりずっと古い星だった。そのため、惑星内部の冷却が地球より進み、火山活動も造山運動も見られなかった。山脈は浸食が進み、陸地は全体としてなだらかな地形だった。
 陸地には、多くの集落が確認された。中にはかなり近代的な都市があり、ひょっとしたら想像していたより高い科学文明を持っているかもしれない。
 もしこの星の住民が好戦的で、高度な武器を持っていたら、と思うと、五人の乗組員たちは緊張した。
 しかし、この星の住民はあまり活発な文明活動はしていないようだ。ずっと観察していても、鳥のような生物以外の飛行物体はまったくないし、放送の電波すらキャッチできなかった。十数年前に地球で観測された電波も、今はこの惑星からは検出できない。
 かつては高い文明を誇っていたのに、大地震や小天体の衝突のような天変地異で、文明が衰退してしまったのだろうか? 惑星の冷却が進み、マントルの活動が不活発になっているので、大きな地震が起こる可能性は、低いように見受けられるが。

表紙のデザイン

2011-01-08 22:50:12 | 日記
私(高村裕樹)が書いた本です。
2010年9月と11月に、文芸社より刊行されました。

 「宇宙旅行」 惑星サヘートマヘートで見た涅槃像とは? SFと仏教の教えを融合させた小説
 「幻影」   恋愛ミステリー。タトゥーの魅力に取り憑かれた女性がたどる不思議な運命とは!?