売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『地球最後の男――永遠の命』第4回

2015-07-04 16:23:57 | 小説
 最近梅雨本番で、不順な天気が続きます。今年はエルニーニョの影響で、梅雨が長引くということです。これから梅雨本番で、大雨になりやすいのですが、大きな災害が起きないことを祈ります。

 今回は『地球最後の男――永遠の命』第4回です。


 ある日、田上は会社の部下たちをねぎらうために、慰労会を開催した。新しい企画が当たり、会社の売り上げが大幅に増えたために、担当の部署の社員たちを招いて、田上のポケットマネーで慰労会を開いたのだった。田上は部下たちに気配りをよくするので、人望があった。特に若い女性社員たちには、若々しい外見もあり、人気が高かった。さらに、常務は種なしだから、アバンチュールをしても安全だというあまりありがたくない噂が女性社員たちの間に広まり、色目を使う若い女性社員も多かった。
 その日も会が行われているうちから、田上に対する、女性社員の色目は激しかった。そして、二次会が終了した後も、一人の女性社員がしつこく田上にまとわりついた。田上も酔いが回ったのに加え、日ごろから亜由美の突っ慳貪な態度におもしろく思っていなかったので、つい彼女の誘惑に乗ってしまった。
 田上が帰ったのは、午前二時に近いころだった。今夜は慰労会で遅くなるから、先に寝ていてもいいと言ってあったので、亜由美はもう寝ていると思った。夫の帰りを寝ないで殊勝に待っている亜由美だとは思っていなかった。しかし、その日は亜由美は寝ないで待っていた。
 「あなた、いったいいつまで遊んでいるの?」
 寝室に入るなり、亜由美は食ってかかった。ベッドは別々にしているとはいえ、二人は同じ部屋で眠っている。
 「今日は部下たちの慰労会だと言っておいたじゃないか。俺も日ごろは忙しいから、たまには部下たちと羽目を外して、遅くまでのんびりしたいよ。部下たちと三次会まで付き合っていたんだよ」
 「でも明日、いや、もう今日ね。今日は平日よ。それなのに、こんなに遅くまでみんなを引っ張っていたの? 寝坊して遅刻者がたくさん出たら、常務であるあなたの責任ね」
 亜由美は思いっきり嫌みを言った。
 「いや、みんながみんな遅くまで付き合ったわけではないからね」
 「なるほど。三次会まであなたに付き合ってたのは、若い女の子ね。カッターシャツに口紅が付いてるわ」
 「え、そんなはずは……」
 田上は慌てて自分のカッターシャツを確認した。
 「口紅なんて嘘よ。そんな陳腐な手に引っかかるなんて。でもその慌て方、やはり若い女と一緒にいたのね。かすかに香水の香りがするわ。シャネルのチャンスね。普通、あなたぐらいの年になれば、けっこう加齢臭が気になるものだけど、あなたはほとんど体臭がないから、香水や石けんの香りがすぐわかるのよ」
 亜由美は鼻をクンクンさせた。
 「ひどいよ。引っかけるなんて。俺だって、たまには若い子と遊びたくなるよ。今の君を見ていると」
 「それはどういうことよ。どうせ私みたいなおばあちゃん、若い子と比べれば、魅力なんてないわよ。あんたはいつまでも若々しくていいわね。もう、悔しい!!」
 亜由美は田上に殴りかかった。
 「おい、よせよ。みっともない。酒臭いな。やけ酒でも飲んでいたのか?」
 田上は軽く亜由美の手を払っただけのつもりだった。しかし勢いづいた亜由美は、転倒して家具の角に額を打ちつけた。酒に酔っていたせいもある。亜由美は激痛で一瞬気を失った。打ちつけた部分に手をやると、血がべったりと付いていた。
 「あ、ごめん。そんなに力を入れたつもりじゃなかったけど。謝るよ。すぐ救急箱を持ってくるから」
 事を荒立てるつもりがなかった田上はすぐに謝った。
 「女の顔を傷つけておいて、ごめんですむと思ってるの? もし傷が残ったら、どうしてくれるのよ?」
 憂さを晴らすためにブランデーを飲んでいた亜由美は、常ならぬ剣幕で田上をののしった。そして田上に猛然と襲いかかった。亜由美はねちねちと嫌みを言ったり、泣きわめいたりすることはあるが、あからさまに暴力を振るったことはなかった。田上は亜由美の剣幕にびっくりした。亜由美を何とか押さえようとして、田上は必死になった。気付いたときには、亜由美の首をぐいぐい押さえていた。
 亜由美はぐったりした。そして、田上は初めて亜由美の首を絞めていたことに気がついた。亜由美は死んでいた。
 「ば、ばかな。こんなことって……。たいして力を入れたつもりじゃなかったのに。おい、何とか言ってくれ。死んだ真似をして、俺をからかっているんだろう? 頼む、冗談だと言ってくれ」
 田上は必死になって亜由美に呼びかけた。何かの間違いだろ? 先ほどまであんなに元気だった亜由美が、もう物言わぬ物体に還元してしまったとは、とても信じられなかった。田上は見様見真似の救急蘇生法を試みた。人工呼吸や心臓マッサージを何度もやってみた。
推理小説などで、絞殺や扼殺で死んだと思われていた被害者が、実はまだ生きていて、後に意識を取り戻した、という描写がよくある。亜由美もひょっとしたら、気を失っているだけで、やがて意識が戻るのではないか、と望みをつないだ。しかしいくら蘇生法を繰り返しても、亜由美の苦痛で歪んだ顔に笑顔が戻ることはなかった。
 田上はもはや現実を受け入れるしかないことを悟った。
 田上は亜由美と暮らした二〇年以上にわたる年月を回想した。気が強い女性ではあったが、美人で明るく、人を思いやることができる聡明な女性だった。田上は同じ部署にいた、そんな亜由美に思いを寄せていたが、亜由美にとって、田上は職場の同僚以上でも以下でもなかった。同僚として気さくに話しかけてはくれても、決して恋に進展することはなかった。
 その状況が一変したのは、田上がバスで事故に遭い、生死の境をさまよってからだった。亜由美は田上を心から心配し、そのことが自分は田上に恋をしているということを気付かせたのだった。
 それから一年の交際のあと、二人は祝福されて結婚した。新婚当時の田上は嬉しさのあまり、有頂天になっていた。事故に遭う前はあまり力を入れていなかった仕事も、真剣に取り組むようになり、みるみる業績はアップした。会社の幹部からも認められ、田上は出世コースに乗り、課長、部長と昇進し、若くして常務取締役となった。
 亜由美との新婚生活にも満足だった。しばらくは子供を作らず、二人だけの生活を楽しもうと、避妊をしっかりしていたので、田上の欠陥はわからなかった。やがてそろそろ子供を作ろう、ということになった。亜由美は会社を退職した。新婚の数年間は甘い記憶ばかりが残っている。
しかし、二年、三年と経っても子供はできなかった。ひょっとして亜由美に何か子供ができにくい原因があるのではないかと検査を受けた。だが亜由美には問題がなかった。医師は夫も検査を受けることを勧めた。結局不妊の原因は田上にあった。
田上が原因で子供ができないことに、亜由美は消沈した。亜由美としては、子供を二人ぐらい産み、明るく幸せな家庭を築きたいと夢見ていた。その望みがかなわなくなったのだ。もちろん田上も病院の指導により、不妊症の改善を試みた。体外受精なども検討した。しかし、結果は芳しくなかった。田上も子供を欲しかったのだが、こればかりは何ともしようがなかった。養子をもらう気にはなれなかった。
 やがて、亜由美は田上に辛く当たるようになった。亜由美は三〇代も後半になり、容色が徐々に衰えていったのに、田上は若いままの状態を保っていた。そのことも亜由美の癇に障った。そして亜由美は、自分の美貌を保つために、浪費をするようになった。エステや化粧品、サプリメントの代金はばかにならなかった。いくら田上が常務となり、経済的には余裕があるとはいえ、これ以上浪費が増えてはたまらなかった。田上はあまり無駄な支出をしないよう、亜由美に注意した。
 「子供ができないのだから、少しぐらいは贅沢させてよ。それに、これはあなたのためでもあるのよ。あなただって、私にいつまでも美しくいてほしいでしょう」
 亜由美は全く年齢を感じさせない田上に当てつけを言った。 子供ができないのは自分に責任がある以上、多少のことは大目に見ようと田上は我慢した。
結婚後の数年間を除けば、決して幸せな結婚生活だったとはいえなかった。いくら田上のほうで、亜由美を愛そうとしても、亜由美は田上を受け入れようとはしなかった。これも不妊症の原因が自分にあることや、年相応に老けることなく、いつまでも若々しさを保っている自分に、亜由美が業を煮やしていることがわかっているだけに、田上は亜由美を理解しようと努力した。亜由美が自分から離婚を言い出さなかったのも、心の片隅では、まだ田上を愛しているからだと、あえて考えるようにしていた。
 しかし、すべては終わってしまった。自分のこの手が、すべてを終わらせてしまったのだ。
 田上は自分が大事に思っていた人の命を奪ってしまったことの重さを考えた。以前ほど愛していたとはいえないまでも、長らく一緒に暮らしてきた妻を殺してしまったのだ。もう亜由美は元に戻らない。命とはいったい何なのだろう。つい我を忘れて、ちょっとこの手に力を込めただけで、簡単に壊れてしまうほど、もろいものだろうか? 自分は大事故に遭っても死ななかったのに。
自分は人を殺してしまった。俺はもう殺人者なのだ。田上は人殺しという言葉の重みを、つくづく考えた。
 田上は幼いころ、子供らしい好奇心と残酷さで、虫や魚、カエルやトカゲ、ほ乳類ではネズミの命を奪ってきた。虫や小さな魚を殺したときは、さほど罪悪感はなかったが、カエルやトカゲの場合は、殺される直前に暴れ回るところを見て、多少の罪の意識を感じたものだ。決して気持ちがいいものではない。さらに高等な動物であるネズミを殺したときは、なおさらだった。
 直接殺したわけではないが、食べるということで、豚や牛、鶏、鯨などの高等な動物の命を奪っている。まあ、食べることに関しては、聖職者や完全なベジタリアンを除けば、誰でもしている行為だし、自分たちの命を維持するためにはやむを得ないことであり、何とも思わなかったが。ただ、子供のころ、飼っていた鶏を父がつぶして食べたときには、鶏がかわいそうだ、という感情がこみ上げた。
 しかし今度は、動物ではなく、最も深いつながりを持っていた妻の命を、この手で奪ってしまったのだ。
 田上はしばらく、その場で呆然としていた。

 どれほど時間が経過しただろうか。田上は少しずつ冷静になっていった。自分が妻を殺してしまったという現実を、認識できるようになった。
 さて、どうするべきか。ここから逃げるべきだろう。しかし逃げたところでどうなるだろうか。やがては妻の遺体が発見され、まずは夫である自分が最重要容疑者になるだろう。いくら逃げようとも、警察から逃げおおせるはずがない。
 それなら亜由美の遺体をどこかに隠し、亜由美は家出した、ということにして、何事もなかったように振る舞って過ごせばいいのでは。近所の人たちは、自分たち夫婦がうまくいっていないことを知っている。遺体さえ見つからなければ、妻が恋人を作って、出て行ってしまったと言えば、それほど疑われることもあるまい。
 それとも、首つり自殺を偽装するか。だが、警察なら縊死か扼殺かをすぐに見破ってしまうだろう。

翌朝、田上は体調不良で休むという連絡を会社にしておいた。明るいうちに亜由美の遺体をどこに棄てるかを考え、暗くなってから行動を開始するつもりだった。
 しかしそんなことはとてもできなかった。やはり警察に自首をして、罪を償うべきだ。田上は覚悟を決め、さっそく警察署に出頭をした。


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2 コメント

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Unknown (一ファン)
2015-07-05 18:15:56
高村先生が考える刺青の魅力、そして御自身が刺青に嵌ったきっかけは何でしょうか?
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Unknown (高村裕樹)
2015-07-21 14:07:18
子供のころ、彫っている人を見て、きれいだな、と思ったことです。「三つ子の魂百まで」といいますね。
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