売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

寒さ

2012-02-29 10:55:23 | 日記
 今年の冬は寒いですね。

 昨日弥勒山に登ったついでに、植物園の梅園に行きました。

 例年なら、もう梅が咲き始めているはずなのに、今年は固い小さなつぼみでしかありませんでした。

  

 昨年同時期の梅です。

 また、大谷小屋近くの大きな水たまりに、例年だとそろそろヒキガエルが、卵を産みに来るのですが、今年はまだでした。カエルにとっても、まだ寒くて、地上に出られないのでしょうか。

 

 昨年3月中旬に撮影した卵の写真です。

 以前は卵が孵り、オタマジャクシが成長していて、成長を見るのを楽しみにしていました。

 しかしここ数年、せっかく孵化したオタマジャクシが、いつの間にかいなくなっていました

 一昨年、去年は孵化する前に、卵が消えてしまっていました。

 卵があることを知った他の動物が、食べてしまったのでしょうか? その水たまりには、暖かくなると、トノサマガエルのような別種のカエルが何匹も棲み着いています。

ミッキ それから

2012-02-24 01:56:29 | 日記
 今年秋の刊行に向けて、『幻影2 荒原の墓標』の改訂作業をしています。

 そして、新作『ミッキ それから』の構想も練っています。

 『ミッキ それから』は、元鳥居松高校の大番長、大井に殺人事件の嫌疑がかかってしまいますが、本当に大井は人を殺したのでしょうか?

 大井の疑いを晴らすため、美咲や彩花、松本たちが大活躍をします。

 ラブラトール・レトリーバーのジョンも 

 そして、『幻影』でおなじみの鳥居刑事も登場予定です。

 まだ構想段階ですが、いい作品にできれば、と思っています

お叱り?

2012-02-20 13:28:10 | 日記
 私の友人から、「友達が『ミッキ』を読みたいけど、どこの本屋に行っても置いていない、と言っている」と連絡がありました。

 ときどきそのようなお叱りの言葉をいただきます。

 名古屋ふうに言えば、「おみゃーがちょっとも本が売れーせんで、食っていけんと言うんで、それじゃあちょこっと売り上げに協力したろうと思って、本を買ったろうとしたのに、どこの本屋に行っても、本が置いたれせんがや、たーけ!」というのです。

 まだ私の本は初版1000部しか発行していないので、置いてくださっている書店さんが少ないというのが現状です

 そのような場合は、書店で取り寄せていただくか、インターネットでAmazonやTSUTAYA、楽天ブックスなどに注文していただければと思います。

 
 今日、私のパッソが車検で、なじみのガソリンスタンドに行きました。ちょうど車に『宇宙旅行』『幻影』『ミッキ』が積んであったので、「よかったら読んでみてください」と本を差し上げると、店員さんが『幻影』を見て、「あ、この本、買いました」と言ってくれたので、とても嬉しく思いました

 ガソリンスタンドの店員さんには、私が作家だということは伝えてありませんでしたので、なじみの客だから買ってくれた、ということではありませんでした。なおさら嬉しいです。

新作『幻影2 荒原の墓標』紹介

2012-02-18 01:50:26 | 日記
 『幻影2 荒原の墓標』を秋に刊行の運びとなりました

 ここで、その冒頭の部分を紹介します。

  


        プロローグ

 男は死ぬ気だった。
 かつては大型新人、新しい推理小説の旗手ともてはやされ、華々しくデビューしたのに、最近は全く書けなくなってしまった。何とか書き上げた作品も、評論家にこき下ろされ、ファンからも愛想を尽かされた。
 最初のうちこそ、自分で何も書けないくせに、他人の作品をけなすことしか知らない評論家に、俺の真価がわかってたまるか、と強がっていたのだが、ファンから見放され、新作を出しても、販売冊数が激減したのは響いた。
 最近ではアイディアが浮かばず、作品が書けなくなった。書き出しさえ何とかなれば、あとはうまく展開させることができるだろう、と書き始めても、途中で続かなくなってしまう。
 出版社からの注文にも応じられず、せっかく依頼が来ても途中でキャンセルすることが続いた。もはや推理作家、北村弘樹の名は、文壇から葬り去られてしまったようだ。

 北村は東京で借りていたマンションを解約し、名古屋の実家に戻った。家賃も大きな負担になっていた。死ぬのなら故郷の名古屋の近くでと思い、以前、よく登った南木曽岳(なぎそだけ)に来た。
 中央本線で南木曽まで行き、読書(よみかき)小学校、等覚寺の前を通り、 上の原から南木曽岳登山道に入った。名古屋を出たのが午後になってからで、南木曽駅に着いたのは、午後二時近かった。山に登るには遅すぎる時間だ。
「これから登るのですか? もう遅い時間ですが、大丈夫ですか?」
登山道の途中で出会った下山者に不審がられ、声をかけられた。
「はい。ちょっとそのへんを歩くだけで、すぐ戻りますから」
 北村はこのように応えておいた。
 この辺りは広大な森林に覆われている。北村は、ある程度の高度まで登ったところで、森林の奥深くに入り込み、そこで睡眠薬を飲むつもりだった。もう晩秋で、夜はかなり冷え込む。睡眠薬と寒さの相乗効果で、確実に死ねると思った。
 北村は〝巨大樹の森〟と呼ばれる、標高一三〇〇メートルほどの、ブナやカシ、ミズナラなどの巨木が林立する辺りから、登山道を逸れた。そこからさらに奥に入り、人知れず巨木の林の中で、自らの命を絶つつもりだった。
 もう時刻は午後四時を回り、釣瓶落としの秋の日は、夕暮れが迫りつつあった。特に深い山の中では、日が陰るのが早かった。
 ずいぶん森の中を歩き回った。もうすっかり暗くなり、ヘッドランプがなければ辺りが全く見えなかった。
「もうこの辺りでいいか」
 北村は呟いた。あまり登山道から逸れても、自分の遺体の発見が遅くなってしまうだろう。自宅の部屋には両親宛の遺書を遺しておいた。遺書には南木曽岳で自殺する旨を書き残した。今日は友人の家に泊まると言っておいたが、二、三日も戻らなければ、両親は机の上に置いてある遺書を発見するだろう。そのときのために、あまり奥深く入り込まないほうがいい。今夜さえ発見されなければいいのだ。
日が沈み、ずいぶん寒くなった。彼はフリースのジャケットを羽織った。
「これから死のうというのに、寒くてジャケットを着るとはな」
 北村は自嘲した。
「俺の命もあと数時間。生涯最後のひとときを大事に過ごそう」
 そう言って、北村は麓のスーパーで買った弁当と酒を取り出した。暗いので、キャンドルに火を点けた。幸い風がなく、キャンドルの火は安定していた。
「これが最後の晩餐か。それにしては、しけてやがるな。まあ、人生最後の食事だから、味わって食べるとするか」
 北村は紙パックの日本酒の封を開け、プラスチックカップに注(つ)いだ。弁当と酒を、時間をかけ、じっくり味わった。食べ終わると、酒の酔いも回り、しばらくぼんやりしていた。猛烈な寒気が襲ってきた。
「では、この辺りで始末をつけるか。自分の人生は、いったい何だったのかな。せっかく公務員としてそれなりにやってきたのに、なまじ書いた小説が新人賞の次点となり、注目されたのがいかんかったのか。結局それで天狗になってしまい、人生を棒に振ってしまったのだ。しかしまあ、三五年の人生で、いろいろな体験もでき、それなりによかったのかもしれん」
 北村は五年前、三〇歳の時に書いた推理小説を、ある文芸誌の新人賞に応募した。初めて投稿した作品が、奇抜なトリックと怪奇な作風で最後まで最優秀新人賞を争った。結局次点だったが、選者によっては、受賞作より高く評価された。その作品が単行本として出版され、新人ながらベストセラーとなった。北村は両親の反対を押し切り、地味な公務員を退職して上京した。
 矢継ぎ早に出版した二作目、三作目も高く評価され、大型新人として一躍文壇の寵児ともてはやされた。しかし、幸運もそれまでだった。四作目以降は、それまでのトリックの切れ味がなくなり、アリバイ崩しも陳腐なものとなった。また、殺人手段として、呪いの藁人形を使ったことが顰蹙(ひんしゅく)を買った。ホラー小説ならまだしも、いくらオカルトふうな作風に仕立てても、呪いを推理ものに使ったことはまずかった。作中で、人間の強い念は、人を斃(たお)すほどの力がある、と説明しても、受け入れてもらえなかった。そして、犯人は、人を呪えば穴二つのたとえ通り、自滅してしまうのだが、それも安易に過ぎると批判された。
 推理小説のトリックには、双子、秘密の通路、超自然現象や超能力などは禁じ手とされている。人気アニメの主人公のように、瞬間移動ができれば、どんなアリバイでも可能になってしまう。
 それでも最初の勢いだけで、何とか売り上げは維持できた。だが、いつまでも過去の遺産、燃え残った燠(おき)でやっていけるような、甘い世界ではなかった。
 やがては読者からもそっぽを向かれ、本の売り上げも激減した。三作目まではベストセラーとなり、印税も以前の公務員の年収以上であった。だが、その勢いがこれからもずっと続くものという幻想を抱いていた北村は、収入を蓄えようとはせず、かなり贅沢をした。
 作家デビューから五年、今ではすっかり名前も忘れられてしまった。そういえば、そんな作家もいたね、と本人を目の前にして残酷に言われ、北村は生きていく気力を失った。
 メンタルクリニックでは、軽い鬱病と診断された。夜眠れないからと処方してもらった睡眠薬も致死量以上に溜まったので、睡眠薬自殺をすることにした。どうせ死ぬなら、東京のマンションより、故郷の近くで、何度も登り、お気に入りの南木曽岳で死のうと考えた。最後に両親の顔を見たいと思い、少し前に実家に戻ったのだった。
 夜も更けて、気温がぐんと下がってきた。フリースのジャケットでは、もはや寒さに耐えられなくなった。キャンドルもまもなく燃え尽きる。では、そろそろ睡眠薬を飲み、永遠に目覚めることのない眠りに就こうかと思った。
 北村は用意したペットボトルのグレープの果汁飲料で大量の睡眠薬を飲もうとした。最後なので、味気ない水で服用するより、せめて果汁飲料でと思っていた。
 いざ睡眠薬を口に含もうとしたとき、頭の中に、「死ぬのは止めろ。おまえには輝かしい未来がある。こんなところで死んではいけない」という男の声が響いた。
「誰だ? 誰かいるのか?」
 北村は叫んだ。こんな山奥の森の中に、しかももう夜の一〇時近い時間に人がいるわけがない。登山道からかなり離れているはずなのだ。それにその声は、耳に入ってきた音声ではなく、直接頭か心に響いてきたような気がする。
「もう一度言う。死ぬな。おまえはまた作家として、輝かしい未来が再び訪れるのだ。夜が明けたら、山を下り、もう一度やり直せ」
 この声は人間のものではない。直接俺の頭の中に聞こえてくる。北村はこう判断した。
 ひょっとしたら、これは俺の守護霊の声なのではないか? 自殺しようとしている俺を救おうとしている、守護霊なのではないか?
 北村は作品の中では、霊的な現象を取り扱っているとはいえ、それはあくまで作品上のことであり、霊の存在を積極的に信じているわけではなかった。作品を書く必要上、心霊学の本はよく読んだ。しかし常識的、科学的に考えれば、霊とか死後の世界は否定すべきではないか、というスタンスを取っている。
だから守護霊がいる、ということは信じていなかった。ある種の書物によれば、人は生まれたときから、誰もが守護霊を持っている、という。また、強力な守護霊が主人公を数々の危難から守る、という漫画を子供のころに読んだことがある。それでも彼は守護霊の存在を確信できずにいる。しかも自分に守護霊が付いているなんて、とても信じられなかった。
 高額な御供養料を払えば、守護霊を授けてくれるという、大きな教団もあるが、そんなものはインチキだと北村は思っていた。彼は作家として人気が凋落したころ、その教団の信者である知人から、御守護霊様をいただけば、また作家としての栄光を取り戻すことができるので、入信しないか、と〝お導き〟を受けたことがある。そのとき彼は、そんないかさまみたいな宗教は信じられないと、知人を一蹴した。
 しかし、「死ぬな」という声は、ひょっとしたら守護霊の声なのではないかと思えた。耳に届いた声ではなく、テレパシーのように、直接頭に響く声。人間であるはずがない。そうでなければ、山奥に棲むキツネかタヌキの霊なのか?
 それとも本能的に死を恐れる自分の心が作り出した、幻覚のようなものなのかもしれない。それが一番合理的な解釈かと北村は考えた。
 とにかく北村は、もう死ぬ気を失っていた。両親の顔が脳裏に浮かんだ。両親を悲しませないためにも、もう一度頑張ってみよう。声が言うように、やり直してみよう。死ぬのはいつでもできるのだ。
 何とか夜中の寒さをしのぎ、北村は翌朝、無事に下山した。



 この続きは、本を刊行したら、お読みいただければ嬉しいです

マーラー

2012-02-14 12:04:09 | 日記
 私は執筆中に、よくクラシック音楽をBGMとして流しています。

 よく聴いている音楽はモーツァルトや前期ロマン派の音楽です。

 先ほど、gooのニュースで、マーラーの音楽は集中力を高めるという記事を読みました。

 私もマーラーが好きで、以前はよく聴きました。コンサートでも、未完成の第10番を除く、全交響曲を生で聴いています。

 特にバーンスタイン、イスラエルフィルの第9番や炎のコバケン(だと思いますが、記憶違いかもしれません)が名古屋フィルを指揮した第3番は、素晴らしい名演でした。若杉弘、ケルン放響の第5番も印象に残っています

 外山雄三、名古屋フィルの第8番は、そのニックネーム(千人の交響曲:マーラーはそう呼ばれることを好まなかったそうです)が示すとおり、大勢の合唱を伴う膨大な編成に、目を奪われました。もちろん演奏にも感動しました。

 CDもバーンスタインの新旧の全集やアバド、テンシュテット、ショルティなど、交響曲全集を何種類か持っています。

 幻影  の美奈は実家に帰ったとき、ウォークマンで第5番を聴いていました。

 記事にあるように、執筆中は集中力を高めるために、マーラーを聴くようにします。

 といいながら、今はシューマンの交響曲第1番(ムーティ、ウィーンフィル)を聴いているのですが……