売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『ミッキ』第5回

2013-04-30 01:07:28 | 小説
 ゴールデンウィークももう前半の3連休が終わりました。
 私はあまり体調が優れず、特に行楽に行くということはありませんでした。
 連載ものの小説を執筆したりしていました
 調子がいいときに、また近くの山を歩いてみたいと思います。

 今回は『ミッキ』の5回目を掲載します。



            
 
 二日続けて帰宅が遅くなり、母が「どうしたの?」と訊いた。調理場の近くの廊下でだった。私は「部活動、歴史研究会に入って、今日はそこで話をしていたの。これから、ときどき部活動で遅くなるから」と答えた。
「そう。部活動に入ったの。この前、どこに入ろうかな、と迷っていたけど、歴史のクラブに入ったのね。美咲、あまり身体が丈夫でないから、何か軽い運動でもやってくれるといいと思ってたけど。たまには慎二みたいに、くたくたになるまで自転車で走ってらっしゃいよ」
「犬でも飼ってくれたら、散歩に連れてって、あちこち走ってくるけど」
 最近、慎二が犬を飼いたい、と言い出した。高蔵寺に引っ越してもう一ヶ月が経ち、こちらの生活にも慣れ、慎二も友達が大勢できたが、やはり長年住み慣れた家を離れたのは寂しいらしく、最近は犬を欲しい、と言っている。私もつい慎二のように、それとなく犬をねだってしまった。
「そういえば、パートの山川さん、家で飼っているラブ何とか、という犬に、子犬が五匹産まれたから、いらないか、と言ってたけど」
「ラブラドール・レトリーバー?」
「そう。そのラブラブドール、何とか、という犬」
 母はその犬の名前をすぐには覚えられないようだった。
「犬、飼ってもいいの?」
「お父さんも飼ってもいいかな、なんて言っているけど、そのラブラブドールとかいう犬、けっこう大きくなるんでしょう」
「ラブラドール・レトリーバー。けっこう大きくて、力も強いそうよ。でも、利口で人なつっこいというけど」
「そんな大きくなる犬、大丈夫かな。子犬のころはいいけど、大きくなったら、慎二じゃまだ手に負えないかもしれないし、私は交通事故で膝を傷めているから、あまり散歩に連れてってあげられないし」
「学校から帰ってきてからなら、私が散歩に連れてってあげる。ラブラドールは、大きいけど、飼い主にはわりと従順だというから、大丈夫よ。なにせ、盲導犬になれる犬だから」
 私は犬を飼ってほしいので、何とか母を安心させたいと思った。
 そこへ、調理場の方から、「おい、もう戻ってこい」という父の声が聞こえてきた。今は一〇〇人近くいる寮生の夕食を作っている時間だった。パートで働きに来ている三人のおばさんと父、母の五人で一〇〇人分近い食事を作らなければならない。まもなく六時で、寮生の食事の時間になる。何人かの寮生たちが、食堂に入り、談笑しながら食事の時間を待っている。今は調理の追い込みの時間だ。
 名古屋市の小学校は、学校内の調理場で調理員さんたちが給食を作っている。私がいた小学校は、四人の調理員さんで、七〇〇人分の給食を作っていた。人数の割合でいけば、うちの寮の方が、ずっと調理人の数が多いのだが、食事の内容を見れば、小学校の給食より、かなり手間がかかっている。だから、寮の食事の調理の方が大変なのかもしれない。
 春日井市の小中学校は、慎二に聞くと、名古屋市の小学校のように自校で調理しているのではなく、どこかの給食センターで何校かの分をまとめて作り、それを各学校に配送しているそうだ。最初は春日井市の小学校には、給食を作るおばさんがいないことが不思議に思えたと、慎二は言っていた。

 家族そろっての夕食のとき、犬のことが話題になった。私たちの家族も、寮生と同じメニューだ。家族の分については、食費は免除してくれている。会社からの特別な計らいだ。その分、給料は安い、と父は言うが、倒産して、途方に暮れていたところを拾ってもらえたのだから、あまり文句を言うものではない、と母がたしなめた。以前は一国一城の主だったのだから、父の気持ちもわからないではないが。
 三人のパートのおばさんたちも、寮で食事をとっていく。寮生が食事をする前に、試食をする必要があるからだ。それに食事の後片付けが終わるのは、夜九時過ぎになるので、食事をしていく必要がある。もちろんパートさんの食費は、会社の経費として認められているので、給料から引かれることはない。
 私の学校のお弁当も、余った食材で作ってもらう。残った食材は、食中毒防止のためにも、廃棄しなければならないのだが、その辺のことは会社も大目に見てくれている。ただ、お弁当は前の晩とよく似たメニューが続くときが多いので、それだけはちょっと閉口する。しかし、今の経済状況では、あまりわがままは言えない。
 夕飯のとき、犬をもらえるかもしれないと聞いて、慎二は喜んだ。
 どういう犬? いつ来るの? などと慎二は矢継ぎ早に質問した。
 父も母も犬の種類の名前を正確に言えなかったので、私が「ラブラドール・レトリーバーよ。ラブちゃん」と代わりに答えた。
「ラブラドールなの? すごい犬が来るんだね」と慎二がはしゃいだ。
「まだ飼えるかどうか、わからんぞ。会社がだめだと言えば、いくら欲しいと言ってもだめだし。それに、けっこう大きくなるし、力も強いというから、慎二じゃ手に負えんかもしれないし」
 父があまり期待しすぎてもいけないぞ、と釘を刺した。そういう父も犬を飼いたがっているようだった。
「僕、犬が来たら一生懸命めんどうみるよ。お姉ちゃんもみてくれるよね」
「そうね。お母さんは私に少し運動しろって言うから、ラブちゃんが来たら、私も一緒に散歩して走ろうかしら」
 私も慎二も犬を飼いたいので、めんどうをきちんとみる、と約束した。
「でも、慎二は今まででもめんどうをみたのは最初だけで、そのうちちょっともめんどうみなくなったじゃないの? 文鳥のときも亀のときも、ハムスターを飼ったときだって。そのときはいつも掃除など、私が世話やらされていたんだから。気が向いたら、ときどき餌をやるぐらいで」
「今度はきちんとめんどうみるから」
「でも、ラブラドールという犬、けっこう大きくなるんでしょう? 力だって、慎二よりずっと強いかもしれないし。慎二で大丈夫なの?」
 小学五年生としてはやや小柄な慎二なので、逆に犬に引っ張られてしまうのではないか、と母は心配していた。まあ、今の時期、成長が早いので、この先中学生になれば、慎二もぐっと身体が大きくなるだろうが。早晩、私の背丈も抜かれそうだ。
「大丈夫。小さくても、僕、クラスでは強い方だから。転校生で最初のころはいじめられたけど、逆にいじめっ子をやっつけてやったんだ。今は一緒に遊んでいる、藤山や武藤たちともけんかして、やっつけてやったよ。あいつ、ちびのくせにやたら強いな、って言ってたよ。それで仲間にしてやったんだ」
「え、そうなの? おまえ、そんなこと、ちょっとも言ってなかったじゃないの?」
 いじめられたり、けんかしたりしていたなどということは、母も初耳だったようだ。藤山君、武藤君といえば、いつも自転車で慎二と一緒に走り回っている友達だった。担任も、クラスの仲間に溶け込んで、仲良くやってますよ、と言っていたが、担任が気づかないうちに、クラスのいじめっ子とそんなやりとりがあったのか、と母は驚いた。
「だから最初のころは、学校に行くのを嫌がっていたんだね」
 母は慎二がいじめられていたことに気づかなかったことを、申し訳なさそうに言った。
「さすが俺の子だな。見所あるじゃないか」と父は変なことに感心していた。母と私はけんかなんかして、大丈夫なのかしら、と心配していたが、やはり父親と息子というのは、女性とは見方が違うようだ。
「だから犬飼ってもいいでしょ?」
「それとこれでは話が別でしょう」と母は顔をしかめた。
「まあ、いいじゃないか。どっちみち会社がだめだと言えば、犬は飼えないのだし。明日にでも、支社の人に訊いてみるよ。もし飼ってもいい、というなら、山川さんに一匹もらえるように頼んでみる」
 以前、千種区の家にいるころにも、何年か犬を飼っていたことがあり、父も犬好きだった。
「お願いします。お父様」
 慎二がふだん言い慣れない「お父様」なんて言って、手を合わせたので、みんな大笑いになった。
「でも、もし会社がだめだと言ったら、諦めろよ。まあ、山川さんが言うには、前の寮長も犬を飼っていたから大丈夫だよ、ということだから、いいとは思うけど」

靖国参拝

2013-04-26 12:55:11 | 日記
 最近、国会議員や閣僚の靖国参拝を巡って、中韓から厳しい声が届いています
 私は10年ほど前まで、左翼系の労働組合などで活動をしていて、反戦平和運動や護憲運動、反原発などに取り組んできました。
 だから、A級戦犯も合祀する靖国参拝など、もってのほかと考えていました。
 しかし今は多少考えが変わってきました。
 私自身は靖国神社、護国神社などに参拝に行く予定はありませんが、戦争で亡くなった方たちに対する敬意は持っています。
 当時、愛する父母、子ども、妻などを残し、国を、故郷の人たちを守るんだ、という純粋な心で、泣く泣く戦場に赴いた人が多いことでしょう。
 そういう方たちに敬意、哀悼の心を抱くのは当然のことだと思います。
 中国や韓国の方も、祖国の愛する人たちを守ろうとして死んでいった人たちを敬う気持ちに、なんら違いがないと思います。
 それが日本だけ英霊を参拝してはいけない、というのは、お門違いではないか、と思うのです。
 ただ、靖国神社はA級戦犯なども合祀されている、ということを問題にしているのかもしれません。
 ここでは東京裁判についての私の見解は書きません。というより、勉強不足で、はっきりとしたことを主張することは適切ではないと思います。
 ただ、戦犯と一般の戦争犠牲者とは分けて祀るということは、他の国との摩擦を避けるためには有効かと思います。
 今尖閣諸島や竹島などを巡り、東アジアの情勢がぎくしゃくしていますが、1日も早くわかり合える日が来ることを願います。

『ミッキ』 第4回

2013-04-24 00:59:59 | 小説
 今回は『ミッキ』の第4回です。
 美咲が歴史研究会に入部し、彩花を始めとする、いろいろな人たちとの出会いの場面です。
 河村彩花の名字は、名古屋市長の河村さんにちなんで名付けました。後に登場する彩花の彼氏は、河村市長のトレードマークである、名古屋弁でしゃべります




            

 翌日、高蔵寺駅の上りホームに並んでいると、後ろから、「おはよう」と声をかけられた。振り向かなくても、声の主はわかっていた。松本さんだった。私も「おはようございます」と挨拶を返した。
 名古屋行きの電車がすぐ来たので、私たちは乗り込んだ。快速電車なので、神領を通過して、次の駅が春日井だった。電車はかなり込んでおり、話もままならない。五分間の辛抱だ。
 高蔵寺始発の電車に乗れば、空いているのだが、少し早い時間になってしまう。まあ、込んでいてもたかだか数分の辛抱だ。
 春日井駅は下車する人よりも、名古屋方面に通勤、通学するため、乗り込んでくる人の方がはるかに多い。要領よく降りないと、乗車する人に押し戻されてしまう。私はいつも降りるとき便利なように、乗降口のすぐ近くに立っている。このまま名古屋まで乗っていく人は、ぎゅうぎゅう詰めの中、さぞや大変だろうと思う。
 春日井駅で下車すると、地下通路を通って、北側の改札口に出る。鳥居松高校へは春日井駅から一キロメートル弱、徒歩一五分の道のりだ。
 初めて朝、松本さんと並んで通学をする。何となく気恥ずかしい。
「昨日はどうも」と松本さんが切り出した。
「私、歴史研究会に入ります」
 これは昨夜ずっと考えていたことだった。もう四月も下旬になり、そろそろどこの部に入るか、結論を出さなければならなかった。部活動は義務でも強制でもないが、せっかくの高校生活なのだから、何かやっておきたい。
 仲がいい宏美は、音楽が好きなので、合唱部に入部した。吹奏楽部もあるが、「吹奏楽部は大きな金管楽器を扱ったりして、体力や肺活量も必要なので、けっこう体育系のハードなトレーニングもあって、きつそうだから、合唱部にした」と宏美は言っていた。私も一緒にやらないか、と誘われたが、私は音痴だし、楽譜もろくに読めないので、遠慮しておいた。私は音楽自体は好きで、クラシックもよく聴いている。
「え、ほんと? 鮎川さん、レッケンに入ってくれるの?」
「はい。れっけん、と言ってるのですか」
「歴史研究会を略して〝れきけん〟だけど、言いにくいので、レッケンと言ってます。僕のマッタクみたいなもんかな。それじゃあ、放課後、部室に来てください」
「部室って、クラブハウスのとこですか?」
「クラブハウスの二階の、真ん中あたりの部屋です。『歴史研究会』と大きく書いてあるので、すぐわかりますよ」
 松本さんは私がレッケンに入部する、と言ったので、嬉しそうだった。
「よろしくお願いします、先輩。それから、私のこと、ミッキと呼んでくれていいですよ」
「ええっ、いいんですか。それじゃあ、ミッキさん」
「呼び捨てで、ミッキでいいです」
「ミッキ」
 松本さんは恥ずかしそうに私のことをミッキと呼んだ。
「でも、それじゃあ、僕のことはマッタクになってしまうかな」
「松本さんは上級生だから、松本さんでいきます」
 拓哉さん、と呼ぶのは、まだ図々しいと思う。
 そんなことを話しているうちに、もう校門の近くまで来ていた。
「よう、タレ目のマッタクじゃないか。おはよう。あれ、彼女いない歴一六年のおまえが、今日は可愛い子と一緒じゃん」
 突然後ろから声がかかった。その人は自転車に乗っていた。自転車通学なら、家はそんなに遠くはないのかな、と私は思った。
「おお、ヨッチンか。この方はレッケンに入ってくださる、鮎川美咲さんだぞ。ありがたく思え」
 ヨッチンと言われた人は、自転車から降りた。彼も歴史研究会の先輩のようだ。松本さんよりはいくぶん背が低く、長髪でメガネをかけている。
「鮎川美咲です。よろしくお願いします」と私は自己紹介をした。
「芳村稔(みのる)です。どうも、よろしく」
 芳村さんは決まり悪そうにぺこんとお辞儀をした。
「ヨッチンはこれでもいちおう今年のレッケンの部長ですよ」と松本さんが言った。
「部長さんですか。お世話になります」と私が挨拶すると、松本さんが「そんなにかしこまることないですよ。こっちこそいろいろ世話をかけられるほうなんだから」と笑いながら言った。
 そのあと二人はいろいろなやりとりをしていた。かなり親しそうな間柄だった。
「鮎川さんでしたね。とにかくよろしく。今日の放課後、部室に来てください」と芳村さんは先ほどの松本さんと同じことを言って、自分の教室に向かった。私も松本さんと別れて、一年D組の教室に行った。
 教室に入ると、宏美が寄ってきて、開口一番、「ミッキ、さっき駅からずっと、上級生と話していたでしょう。誰? あの人。いつの間にあんなに親しくなったの?」と興味津々といった体で私に訊いた。
「やだ、宏美、見てたの?」
「ばっちり見ちゃったよ。あの人、誰なの? 正直に白状しなさい」
「歴史研究会の先輩よ。私、歴史研究会に入ることにしたの」
「え? 昨日は帰りにまだどこに入ろうか、迷ってると言ってたのに、もう決めちゃったの? そういえば、そんなこと言ってたね。クラブハウスがどうのとか」
「うん、さっきの人、二年生の松本さんというんだけど、いつも高蔵寺駅から同じ電車に乗るの。昨日帰りに声かけられて、クラブもう決めてますか、と言われたので、話を聞いてたら、歴史研究会だというから、私も入ることにした」
「ふうん。私と別れたあとで、そんなことがあったの。でも、それって、ナンパというんじゃない?」
「違うわよ。たまたま同じ高校の生徒だったというので、ちょっとクラブの話しただけよ」
「でも、何となく怪しい雰囲気。ミッキと呼んで、だなんて。昨日の今日で、もうクラブ決めちゃったわけ」
「やだ、ずっと聞いてたの? 宏美にも話してたけど、私、前々から文学か歴史関係のクラブに入ろかなって思ってたから」
「すぐ後ろ歩いていたのに、彼氏に夢中で、私のこと、てんで気づかないんだから。ほかにもまた一人来たから、私、追い越して先行っちゃったけど。ま、そんなことはどうでもいいや。でも、ミッキ、彼氏と話していて、まんざらでもない、という雰囲気だったから。彼氏ができて、おめでとう。私、先を越されちゃった」
「だからぁ、違うって」
「赤くなってる。顔に正直に出ているから、隠したって無駄」
 宏美はどうしても松本さんを私の恋人にしたがっているようだ。でも、正直、私もそうなるといいな、という希望がある。そうこう言い合っているうちに、始業のチャイムが鳴った。

 放課後、私はクラブハウスを訪れた。場所は聞いた通り、二階の真ん中あたりで、ドアに〝歴史研究会〟と大きく表示されていた。私は「こんにちは」と声をかけて、中に入った。
 中には、赤いフレームのメガネをかけ、長い髪を水色のリボンでポニーテールに束ねている女性がいた。彼女が二年生の河村さんだった。
「あなた、レッケンに入部してくれる、鮎川さんね。松本君から聞いてるわ。私は副部長の河村です。よろしく」と河村さんは私に話しかけた。
「あ、はい。鮎川美咲です。よろしくお願いします」と私は少しどぎまぎして挨拶を返した。
 河村さんはキャビネットから書類を出して、「これ、入部届です。記入してください。二枚複写で、そのままボールペンで書いてもらえばいいです」と、入部届を差し出した。
 入部届は、日付、学年、組、氏名、住所、電話番号などを記入するようになっていた。一枚は部で、もう一枚は学校が保管することになっている。私は記入して、それを河村さんに渡した。河村さんは受付担当者欄に自分の名前を記入した。河村彩花(あやか)。それが彼女の名前だった。このときかわむらという字は〝河村〟を使うのだと知った。
「さあ、これで鮎川さんも歴史研究会の一員よ。よろしくね」と言って、河村さんは私に握手を求めた。河村さんは一見、けっこう真面目でしっかりした堅物、といった感じの人だった。
 河村さんは髪を濃い焦げ茶色に染めていると思ったが、それが元々の髪の色だという。鳥居松高校に入学したばかりのころ、河村さんは担任の先生に校則違反の染髪をしていると思い込まれ、厳しく注意されたそうだ。最初の父母懇談会のとき、母親が、髪を染めているのではなく、生来の髪の色だと釈明して、ようやく信じてもらえた。
 左右の耳たぶには、ピアスのホールが開いているのが見えた。鳥居松高校では、生徒のピアス着用は禁止されている。でも河村さんは学校外では、ときどきピアスをつけている。服装検査でホールが見つかると、生活指導部に呼び出されて注意をされるが、河村さんは検査のときには小さくカットした、肌色の絆創膏を貼って、ホールを隠していると話してくれた。抜き打ちで検査があってもいいように、いつもカットした絆創膏をたくさん持ち歩いているそうだ。
 ピアスをしたのは、去年の夏休みに入ってすぐだったそうだ。ピアスと穴開け用のニードルを買ってきて、自分で左右の耳たぶに穴を開けたとのことだ。自分で穴を開けるのは、怖くなかったですか、と私は訊いた。怖かったけど、耳たぶはたいして痛くなかった、と河村さんは答えた。穴を開ける恐怖より、好奇心のほうが強かったそうだ。夏休みの間、ホールの傷が治るまで、ずっとピアスをつけっぱなしにしていた。休み中の出校日は、髪で耳を覆って、隠していた。
 ピアスをつけたのは、無実の罪で髪の色のことを叱られたことに対する、反発の気持ちもあったという。
 河村さんがピアスやニードルを買った、名古屋市大須のアクセサリー店にいるアキコさんという店員さんは、耳や鼻、口元にたくさんのピアスをしており、腕には派手なバラや蝶のタトゥーを入れているそうだ。最初はやばそうなお姉さんだと思ったけれど、ニードルの使い方を親切に説明してくれ、おもしろい人だと言った。一度鮎川さんもその店に連れていってあげる、と河村さんは誘ってくれた。河村さんは気さくにいろいろなことを話してくれた。第一印象の堅そうな感じとは違い、明るく親切な人だった。
 真面目な優等生の河村さんも、多少の校則違反をして、おしゃれを楽しんでいる。私もこっそりピアスをしてみようかなと思った。でも、目ざとい母にはすぐに見つかり、叱られそうだ。
「歴史研究会には何人部員がいるのですか?」と私は尋ねた。
「二年生が五人、一年生があなたを入れて、五人になったわ。三年生は四人いるけど、受験に力を入れるから、あまり参加しないと思うわ。たまに顔を出すぐらい。実質一、二年生が中心ね。レッケンは地味だから、あまり人気がないのね。もう二、三人一年生が入部してくれるといいけど」
「松本さんが女子が少ない、って言ってましたけど」
「そうね。三年生が一人、あとは今のところ、私とあなただけ。去年は一年がもう一人いたけど、二学期に別の部に行っちゃったし。もう少し女の子が入るといいけどね」
 河村さんが残念そうに言った。
 そのとき、部室のドアが開き、男子生徒が二人入ってきた。一人は松本さんだった。
「やあ、鮎川さん。よく来てくれましたね」
 他の人がいる手前か、松本さんはミッキではなく、鮎川さんと呼んだ。やはり他の人がいる前では、まだミッキと言われるのは、私も恥ずかしかった。
 松本さんと一緒に入ってきた人は、二年E組の竹島さんと紹介された。竹島さんは背はあまり高くないが、顔も体型も四角張っていて、がっしりした体格だ。
 しばらくして、一、二年生一〇人のうち、六人が集まった。朝に会った部長の芳村さんも来た。一年生が私の他にもう一人いた。クラスと名前を言って、改めてみんな自己紹介をした。もう一人の一年生は、A組の山崎君といった。
 歴史研究会は原則週二回、月曜日と木曜日にこの部室に集まるそうだ。今日は水曜日だから、明日定例の集会がある。五、六月の研究テーマは、アジア太平洋戦争における日本の戦争責任についてだそうである。
 松本さんは好きな中国の歴史についてみんなと研究したいのに、いつもボツにされる、とぼやいていた。中国のことを調べるのは大変だから、と他の部員に敬遠されてしまうそうだ。
 食わず嫌いせず、一度中国のこともやってみようよ、絶対おもしろいから、と松本さんは主張しても、なかなか受け入れられないという。
「この次のテーマを決めるときは、ミッキも賛成してくださいね」と松本さんは小声で耳打ちした。
 今日は定例会ではないので、一時間足らずで散会した。
 今回のテーマは、一五年戦争、太平洋戦争における日本の戦争責任についてなので、わかる範囲で調べてみてください、と部長の芳村さんが二人の一年生部員に言った。
 帰りは松本さんと一緒に高蔵寺駅まで行った。その前に図書館に寄り道をした。
「日本の戦争責任について調べてください、と言われても、何をどうやって調べたらいいのかしら」
 歩きながら、私は松本さんに尋ねてみた。
「そうですね。パソコンがあれば、インターネットでいろいろ調べられますよ」
「うち、パソコンないんです。父が会社で使っているパソコンは、触ることできませんし」
 以前は自動車部品の工場以外にも、自宅に一台デスクトップ型のパソコンがあり、私も弟の慎二も使っていた。慎二はよくゲームをやっていて、ときどき母から注意されていた。
 しかし、今は寮の事務処理用に、執務室にノート型パソコンが一台あるだけで、それは両親しか使用できない。母はパソコンが苦手なので、主に父が使っている。
「ミッキの家にはパソコンないのですか」
「はい。実は、うちは去年まで名古屋市内で自動車部品の工場やっていたんですが、倒産して、今は高蔵寺の駅の近くの学生寮にいるんです。だから今は経済的にちょっと苦しくて」
 私はちょっと言いにくいことだったが、いずれはわかってしまうことなので、告白した。
「あ、そういえば、川の近くに、学生寮、ありますね。喫茶店から少し上流の方に行ったところですね。ミッキ、そこに住んでるんですか」
 意外にも松本さんはうちの寮のことを知っているようだった。高蔵寺駅に近く、名古屋への便がいいので、系列の寮の中でも、高蔵寺寮は人気が高いそうだ。だから、寮の規模も大きく、目立つ建物でもあった。
「自動車部品工場が倒産したので、両親が再就職で、寮の管理人やっているんです」
「そっか。ミッキもいろいろ苦労してるんですね。パソコンがなければ、学校のパソコン室のを使わせてもらえばいいですよ。でも、けっこう込んでいるから、なかなか使えないか。それだと、図書館に行って、資料探すのがいいかな」
「学校の図書館ですか」
「いや、学校の図書館はいい資料があまりたくさんないから、春日井市の図書館がいいですよ。学校から近いし。ついでだから、今からちょっと行ってみませんか?」
 松本さんは急に図書館に行こうと提案した。春日井市図書館は、私もまだ行ったことがないから、一度行ってみたいと思った。
 春日井市図書館は、学校から歩いて一〇分ぐらいの、市役所のすぐ近くにあった。文化フォーラム春日井という大きな建物の中にある。近くの春日井市役所庁舎も、人口三〇万人の市の庁舎としては、立派すぎるほどに思われた。
 図書館は文化フォーラム春日井の三階、四階を占めていた。
「すごい。立派な図書館ですね」
 私は素直な感想を松本さんに言った。
 私は名古屋にいたころ、自転車でときどき東図書館や千種図書館に行ったことがある。千種図書館だと、東山公園の近くにあり、少し遠いが、自転車を使えば、三〇分もかからずに行ける距離だった。それら二つの図書館もかなり大きな図書館だと思ったけれど、春日井市図書館はさらに大きく、広かった。蔵書数も七〇万冊ぐらいで、一〇万冊程度の名古屋市の東、千種図書館よりずっと多い。もっとも名古屋市には、愛知県図書館、鶴舞中央図書館という、さらに大きな図書館がある。
 学校からも近いから、これからちょくちょく春日井市図書館を利用させてもらおうと思った。
「高蔵寺の東部市民センターにも図書館があって、僕もときどき行きますけど、やっぱりここの方がはるかに本が多いですね」と松本さんが言った。
 私たちは日本の近代史のコーナーに行き、戦争責任について言及してありそうな本を探した。ちょっと見てみただけでも、かなりの本が見つかった。
「こんなにいっぱいあると、どの本を読めばいいか、わからないですね」
「そうですね。僕もわからないですよ。レッケンの顧問のカメさんは、『日本は侵略行為を行ったわるい国だから、十分反省して、もう絶対に過ちを繰り返してはいけない』ってこのテーマに決まったとき、言ってたけど。だから、そういう方向で調べてみなさい、と言ってましたよ」
「顧問の先生、カメさんっていうんですか? かわいい名前ですね」
「小林先生という、もう五〇過ぎのおっさんですけどね。何でカメさんなんてあだ名がついたかは僕も知らないけど。一説には、大酒飲みだからカメなのだそうですが。でも、僕はあまのじゃくだから、日本は侵略行為をしたわるい国だ、というのではなく、自衛のためのやむを得ない戦争だった、という立場で調べてみようと思っていますよ」
「松本さんは日本はわるくなかったと思っているんですか?」
 私はひょっとしたら、松本さんは右翼的な思想を持っているのかな、と思った。
 右翼、左翼といっても、私には詳しいことはわからない。以前名古屋市の小学校の先生をしていた父方の伯母が、ときどき戦争の話をしてくれた。戦後の生まれで、戦争を経験しているわけではないが、幼いころは戦後の貧しい時代を過ごし、戦争の傷跡の生々しさを、身をもって体験している、と話してくれた。きょうだいといっても年齢が離れている父は、物心がついたころは、復興期から高度成長期に入っており、そのような辛い思いはしていないようだ。
 私は伯母の話を聞いて、戦争は怖いものだ、二度と起こしてはいけないものだ、と思った。
 伯母は当時の軍国日本は国民の自由もなく、たった一枚の赤紙――召集令状で命を投げ出さなくてはならない、ひどい国だったと強調した。だから、伯母は先生をやっていたころは、戦争に反対する運動をしていた、と言っていた。
「戦争に反対する、といっても、今の日本は平和で、戦争なんかしないのに、なんでそんなことするの?」と私は尋ねたことがある。
 伯母は「今は平和のようにみえるけど、これからどんどんひどい世の中になっていくのよ。二度と戦争をしないと全国民が誓った、とても大切な憲法を、戦争してもいいという憲法に改悪しよう、と考えている人たちがいて、だんだんとそのような世の中に持って行かれつつあるんですよ」と中学生の私にもわかりやすく説明をしてくれた。
「学校でも卒業式に日の丸を掲げ、君が代を歌いなさい、と強制されています。それはわるいころの日本の国を賛美するものだから、学校でそんなことをやってはいけない、と反対する先生がいるけれど、それに反対するだけで処罰される世の中になってしまったんですよ」と伯母は語った。そのときは、一緒にいた父が「姉さん、そこまではちょっと言い過ぎじゃないのか? あまり美咲に過激なことを吹き込まないでくれ」と、伯母にストップをかけた。
 父はどこの国でも、国歌、国旗はあるのだから、日本だけそれがいけない、というのもどういうものかな、と意見した。伯母は不満そうだったが、もうそれ以上は何も言わなかった。
「僕は別にたいした考えを持っているわけじゃあないけど。ただ、カメさんが日本はわるい国だから、日本が犯した罪を中心に調べなさい、と言ったことにちょっとした反感を持っちゃったんで、その逆を調べてやろうかな、と思ったんですよ。自分が生まれ育った国が、わるい国だ、なんて言われるの、やっぱりつらいから。あまのじゃくかもしれないけど。でも、その結果、やはり日本はわるい国だった、とわかったら、僕も先生の言うとおりにします」
 図書館の中だから声をひそめて話をしていたが、ときどき松本さんの話すトーンが高くなったりした。
「そうですね。私もそう思います。みんなが日本はわるい国だ、という前提で調べるんじゃ、やっぱり悲しいですものね。私も松本さんと同じ立場に立って勉強してみます」
 そんな研究をしたら、伯母はびっくりしてしまうのではないかと思った。伯母はかつては教員組合で県組織の執行委員をやったりして、けっこう活動家だったと、父が苦笑していた。反戦平和運動を否定するつもりはないが、あまり過激なことはしないでほしい、と父は伯母に苦言を呈した。
 顧問のカメさんも、伯母のような思想の持ち主なのかな、と私は考えた。

シャガ

2013-04-22 18:20:44 | 旅行
 先週は体調不良で山歩きをしなかったので、今日、久しぶりに弥勒山に登りました。
 道樹山の登山口、細野キャンプ場の近くに、シャガの群生があります。今日は花の盛りでした。
 ちょうど花の真ん前に車が停まっていて、花に近寄れなかったため、300mm望遠で写しました。

  

 フルサイズの300mm望遠なので、かなりボケが強調されます。日陰で暗かったので、ISOは1600に設定しました。高感度に定評があるNikon D700なので、ISO1600でも常用できます。レンズはタムロンのAF 28mm-300mm F3.5-6.3 XR Diです。D800やD600だといいレンズが要求されますが、D700は1200万画素なので、タムロンの高倍率ズームでも十分です

 弥勒山の頂上から御岳や中央アルプスが見えますが、春霞のせいか、あまりきれいに見えませんでした

  

 画像処理で、ややコントラストをつけました。

 麓で藤が咲いていました。

 

 ヒキガエルの卵はなくなっていました。2週間前は、成長し、オタマジャクシの形に近づいていて、まもなく孵化しそうだったのですが。オタマジャクシが1匹もいなかったので、他の動物に捕食されたのでしょう
 ここ数年、卵がかえる前に、他の動物に食べられてしまっているようです。弱肉強食とはいえ、不憫です。

またパソコン不調

2013-04-20 17:18:16 | 日記
 先ほどノートパソコンを起動しようとしたら、またおかしな異音がして、立ち上がらなくなりました
 いったん強制的に電源を落とし、再度電源を投入したら、今度は無事立ち上がりました

 前にも一度同じことが起こり、このブログにも書きましたが、もし壊れたらちょっと困ります
 このパソコンは執筆に使用しているので、仕事ができなくなります。
 もう1台、ドスパラで買った古いデスクトップがあるので、それは使えますが。

 もう少し本が売れて、パソコン買い換えができるようになるまで、頑張りたいと思います。
 デスクトップを自作したいとも思います。今度は起動ドライブに、SSDを使ってみたいと考えています。