昨日は新作『永遠の命』が文庫本
になることをお知らせしました。
そして今、『いじめ(仮題)』を書いています
。
『ミッキ』
は何となく過去の作品になってしまったような感じです。
でも、『ミッキ』は20代のころから構想していた、思い入れがある作品でもあります
。
続編『ミッキ それから』も近いうちにまた執筆を再開してみたいと考えています。
そんな『ミッキ』も、今回を含め、あと3回で完結です。
9
もう一〇月も下旬となり、まもなく文化祭を迎える。歴史研究会は日本の戦争責任、中国の三国時代、邪馬台国論争の三つの分野をテーマとしていた。私は河村さんと日本の戦争責任をまとめることになっていた。三国時代については、二年生の松本さんと竹島さん、邪馬台国の発表は部長の芳村さんと山崎君、中川さんのペアが中心となり担当した。ほかにも歴史研究会の部員はいるが、主に活動しているのはその七人だった。
ただ、私は心霊会のことで落ち込んだり、父の怪我で集中できないなどの事情があり、河村さんの負担が大きくなってしまい、申し訳なかった。河村さんは「ミッキは今、お父さんのことで大変なんだから、そんなに気にすることはないよ。困っているときこそ助け合わなくっちゃ。私もマッタク君に手伝ってもらっているんで、心配しないで」と元気づけてくれた。今は三年生も手伝いに来ている。
みんなは文化祭の準備で遅くなりそうなのだが、部長の芳村さんが「ミッキは親父(おやじ)さんのことがあるから、早めに帰ったりゃあ」と気を遣ってくれた。私はみんなの厚意を素直に受けて、帰ることにした。父のことが心配でもあった。みんなはいつも夜八時過ぎまで部室で文化祭の準備をしている。
寮に帰ったら、ジョンが戻っていた。昨日は山川さんのところに行っていた。ジョンがいないとちょっと不自然な感じがした。今はジョンがいるのが当たり前の我が家になっている。その中で、父が欠けているのは、やはり寂しい。早くよくなって退院してこないかなと思った。ジョンはさっそく散歩をせがんだ。
ジョンを散歩に連れて行く前に、母が「お父さんはもう大丈夫だから、心配しないでいいよ」と教えてくれた。それを聞いて、私は目頭が熱くなった。
私がジョンを連れて歩いていると、後ろから車が近づいてきた。私は道の左側の狭い歩道を歩いていた。ジョンが歩道から飛び出さないように、リードを短くした。
私の横を白い大きな車がゆっくり通り過ぎていった。そして、車がスピードを落として止まった。後ろのスライド式のドアが開き、鈴木さんが出てきた。車は若林さんのミニバンだった。
「あら、美咲ちゃん。ジョン君のお散歩?」
私は身構えた。以前、車の中に引き込まれ、若林さんの家まで連れて行かれたことがあった。でも、今日はジョンもいるし、そんな強引なことはしないだろうと思った。しかし、その気持ちが油断につながった。
鈴木さんは私の前に立った。ジョンが鈴木さんにじゃれついた。鈴木さんはジョンにはかまわず、右手に持っているものを私のおなかに突き当てた。その瞬間、私はすさまじいショックを感じた。意識を完全に失ったわけではなかったが、もうろうとして、何が起きているのかよくわからない状態だった。ジョンがワンワン吠えているのが何となく聞こえていた。ジョンはふだんあんなに鳴くことはないのにな、という思いが頭をよぎった。ギャンという悲鳴も聞こえたが、それが何なのか、判断できなかった。
私は車に乗せられたようだった。しばらくして、ようやくショックが遠のき、意識がはっきりしてきた。
「乱暴なことして、ごめんなさいね。これも美咲ちゃんのためなんだから」
「いったい何をしたんですか?」と私は鈴木さんに問い質した。
「スタンガンよ。大丈夫。護身用で、安全なものだから。ちょっとショックはあるけどね」
鈴木さんはそのスタンガンというものを見せてくれた。あんな大きなショックを与えておいて、大丈夫だとか安全だなんてひどいと思った。
「ジョンは? ジョンはどうしたんですか?」
「ジョン君は利口な犬だから、ひとりで寮まで帰れるわ。心配することないよ。でも、ちょっと噛まれちゃった。ジョンも美咲ちゃんを守ろうと、必死だったのよ」
まさか、ジョンにもスタンガンを使ったのではないかと心配になった。そういえば、ギャンという悲鳴があったような気がする。
「ええ、一発お見舞いしてやったわ」
「そんな、ひどいです」
私はジョンがかわいそうになった。ジョンも私を守るために戦ってくれたのだ。
「でも、そうしないと、私、噛みつかれて大変だったから。ほら、ここ、歯形がついているでしょう。大丈夫。小型犬ならともかく、ジョンぐらいの大きな犬なら、あの程度じゃ、死にやしないから」
鈴木さんは左腕の袖をまくった。少し噛まれたあとが残っている。でも、もしジョンが本気で噛んだのなら、その程度ですむはずがない。なにせ、ジョンは牛の骨でもバリバリ噛み砕いてしまうほど顎の力が強い。相手がよく遊んでくれた鈴木さんなので、ジョンも加減したのだと思う。それなのに、スタンガンをジョンに食らわすなんて、本当にひどい。
「これからどこに行くんですか?」
「伊勢の方にある心霊会の鍛錬道場に行きます。少し時間がかかるけど、辛抱してね」
運転席の若林さんが代わって答えた。
「鍛錬道場ですか? それ、何なのですか?」
「心霊会の精神修養のための道場ですよ。美咲ちゃんもせっかく素晴らしい御守護霊様に巡り会えたというのに、あまり真剣に信心しようという気がないみたいなので、ちょっと気合いを入れてあげようと思ってね。これも慈悲だから、わるく思わないでね。後々(あとあと)、きっと感謝することになると思うから。伊勢自動車道を通れば、三時間ほどで着きますよ」
三時間だなんて! 今午後七時ごろなので、その鍛錬道場とかに着くと、もう一〇時になってしまう。
「そんな。すぐ帰してください。明日は学校に行かなくちゃあいけないんですから。これじゃあ、拉致か誘拐じゃないですか。それに、私、日本超神会の光のお御霊という守護神様を信じることに決めたんです。もう心霊会に戻るつもりはありません」
「何、それ? 日本ちょうしん会? 聞いたことないわ。ノブちゃんも美咲ちゃんが訳がわからない邪教に入ったなんて言ってたけど。そんなもの信じると、罰でもっとひどいことになるよ。お父さん、死んじゃっても知らないよ」
今度は鈴木さんが非難した。
「邪教なんかじゃありません。お父さんが助かったのも、光のお御霊に祈ったからなんです。心霊会の守護霊なんかより、ずっと強い力があるんです」
「救いがたいバカね。お父さんが助かったのは、私たちが御守護霊様に祈ってあげたからよ。でも、鍛錬道場でしっかり鍛え直してあげる。そうすれば、すぐに心霊会こそが最高だということが、理解できるようになるわよ」と鈴木さんが応酬した。
私はぞっとした。クスリとか断食とか、不眠なんかを強いられて、マインドコントロールや洗脳を受けるのだろうか。私がまだ小さな子供のころ、いろいろと問題を起こした教団があったと聞いている。そこがそのような洗脳をしていたようだ。心霊会もまたそんな恐ろしいことをする教団なのだろうか。
でも、信心にあまり熱心ではない信者は、ほかにもいくらでもいるはずだ。その人たちすべてがこんな仕打ちを受けるわけではないだろう。二〇〇万人以上の会員がいる教団で、そんな実態があからさまになれば、大問題になっているはずだ。なぜ私ばかりがこんな厳しい仕打ちを受けるのだろうか。
「それは美咲ちゃんは千人、万人に一人という、とっても貴い星、優れた素質といってもいいかな、それを三つも持っているからですよ。心霊会の霊能者が美咲ちゃんを霊視したら、素晴らしい素質を持っていることがわかったの。心霊会の幹部になれるだけの素質があるのよ。ひょっとしたら、次期会長候補にだってなれるかもしれないのですよ。そんな人材がみすみす退転してしまうのを見過ごすわけにはいきません。それに、美咲ちゃんには残念ながらよくない星、悪因縁の星が一つあるの。今のままでは、たった一つのその悪い星が、せっかくの貴い徳を示す星を三つとも潰してしまうから、罪障消滅のための矯正が必要なのですよ。はっきり言ってあげると、その悪い星とは、癌になる因縁です。癌はやせ細って死んでいくから、餓鬼界の因縁ね。今のままでは、美咲ちゃんは癌で若死にする運命ですよ。癌で早死にしてしまえば、いくら貴い星があっても、役に立ちませんからね。美咲ちゃん、癌なんかで死にたくないでしょう?」
若林さんが私の問いに答えた。単なる脅しにすぎないのかもしれないが、自分が癌で若死にするということは、ショックだった。しかし光のお御霊に祈れば、きっとそんな悪い星は消滅すると私は確信した。
若林さんは初めて私を春日井道場で見たとき、何かピンと来るものがあったので、私の写真と入信届を優れた霊能力を持つ幹部霊能者に霊視してもらった。すると、私には非常に高い霊的素質があることがわかったという。心霊会で霊能者が行う守護霊占星術で占うと、私には貴い星、つまり優れた素質が、三つもあるそうだ。普通、素質が高いと言われる人でも貴星はせいぜい二つしかないのに、三つも持ち合わせているのは、修行すれば、将来、とても優れた霊能者になれるということである。貴星を三つ持っている人は、判明している範囲では、会長の妙心と、わずかな幹部霊能者だけだ。
「私、霊感なんてありません。これまで霊を見たこともないし、予感だって外れてばかりだし」
「それは美咲ちゃんが今までそういう訓練を受けていなかったからです。心霊会で修行すれば、素晴らしい霊能者になれますよ。だからまず鍛錬道場に行ってもらうのです」
「いいえ、けっこうです。私は平凡な一生のほうがいいです。平凡な人生の中で、平凡な幸福を追い求めていきたいです」
「何というもったいないことを。私が美咲ちゃんほどの素質があると言われれば、喜んで霊能者育成コースに志願するのだけどね。私も多少の霊感はあるけど、幹部霊能者にはとても無理なのよ」
鈴木さんが羨ましそうに言った。
車は高速道路に入った。外は真っ暗なので、今どの辺なのかよくわからないが、東名阪自動車道を走っているのだろう。しばらく走っていたら、大きな橋を渡ったので、今木曽川を越えたのかしらと思った。
ジョンは無事に寮に戻れたかしら。まさか途中で交通事故に遭っていないだろうな。ジョンだけが寮に戻って、私がいないから、母や伯母が心配しているのじゃないかしら。そんな思いが頭の中をよぎった。連絡をしたくても、私は携帯電話を持っていない。携帯電話があれば、こっそり松本さんか河村さん、宏美にメールを送って、母に知らせてもらうこともできるのだが。
車はやがて東名阪自動車道から伊勢自動車道に入った。平日の夜だから、車の流れはスムーズだ。
途中のサービスエリアで休憩した。逃げるといけないからといって、私は車から出してもらえなかった。お金もあまり持っていないし、携帯電話もないから、逃げはしないと言っても、信用してくれなかった。二人は私が売店に逃げ込み、保護してもらうことを警戒していた。トイレはもう少し我慢しなさいと言われた。若林さんが弁当とペットボトル入りのお茶を買ってきてくれた。
「お母さんには、さっき私から電話をしておいたから、大丈夫だよ。一緒にお父さんの快復を祈るために、大きな力を持った心霊会の御守護神のところに行く、と伝えたら、安心して、よろしく頼みます、と言っていたから。ジョンも無事寮に戻ったそうだし」
警察に捜索願を出されると面倒なので、鈴木さんが母に電話をしてくれたのは事実だろうが、母がよろしく頼みます、なんて言うはずがないと思った。父の状態が危機を脱したとはいえ、私がどこかに連れ去られて、安心するはずがない。ただ、よく知っている鈴木さんが一緒なら、警察に届けるようなことはしないと思うが。母も寮生を訴えるようなことはしないだろう。鈴木さんや若林さんの巧妙さに、私は腹が立った。
あとで知ったことだが、ジョンは三人組の一人の永井莉子さんが連れ帰ってくれたそうだ。スタンガンの一撃を受け、ジョンはあまり元気がなかったらしい。永井さんも計画に一枚かんでおり、私がジョンと散歩するとき、こっそり後をつけていた。酒井さんは今回の計画にはあまり乗り気ではなかったという。
夜一〇時過ぎに、目的地に着いた。夜で暗かったのでよくわからないが、かなりの山の中のようだ。伊勢といっても、伊勢神宮の近くではないのだろう。私は大きな鉄筋三階建ての建物に入るように言われた。修行者が何十人も宿泊できそうな施設だ。建物の中からは、三人の男女が迎えに出た。
私はまずトイレに案内してもらった。逃げるといけないからといって、途中のサービスエリアではトイレに行かせてくれなかったので、かなり切迫していた。トイレは他の人も使っていた。この鍛錬道場には現在も多くの信者が泊まり込みで修行をしているようだ。
トイレから出た後、地下室に案内された。さっき私を出迎えた三人を紹介された。女性二人に、男性一人だった。三人とも真っ赤な服を着ていた。その三人は、私の精神修養を担当する霊能インストラクターだそうだ。男性は格闘技でもやっているのか、大きな体格で、いかにも鍛えられているという感じだった。まるで力士かプロレスラーだ。頭を丸刈りにしており、何となく海坊主を連想させた。逃げようとしても無駄だぞ、と圧力をかけられているように思われた。
部屋は赤一色だった。壁も、天井も床も、家具も、ベッドも布団も、血の池地獄のように真っ赤だった。とても気持ちがわるい部屋だ。
私はまずビデオを見せられた。五〇インチ近くある、大きな液晶テレビだ。それは地獄をイメージした、惨憺たる情景を映像化したものだった。巨大な地獄の獄卒どもに徹底して虐待されている男女の亡者たち。コンピューターグラフィックスを多用してあり、亡者の頭が獄卒の鉄棒で殴られ、砕ける様子が非常にリアルに鮮明に描かれていた。剣でばらばらに切り刻まれている亡者もいる。亡者同士で殺し合っている者もいる。たとえ死んでも、涼やかな風が吹けば肉体は再生して生き返り、また獄卒に痛めつけられたり、亡者同士で殺し合ったりする。画像だけでなく、音声も――鉄棒で殴る音、頭が砕け散る音、獄卒のかけ声、亡者の悲鳴など、真に迫っていた。私は思わず、画面から目を背けた。
「目を背けてはいけません。じっと見るのです。これは死後のあなたの姿なのですよ。今のまま心霊会の信仰から退転すれば、間違いなくあなたは無間地獄に堕ち、このような苦しみを、何億年、何兆年と受けなくてはなりません。これは地獄の中でも、一番軽い等活(とうかつ)地獄ですよ。これから黒縄(こくじょう)地獄、衆合(しゅごう)地獄、叫喚(きょうかん)地獄と、だんだん恐ろしい地獄になっていきますよ」
女性のインストラクターの一人が、顔を背けた私の頭をつかんで、画面の方に向けさせた。地獄のビデオは、無間地獄以外の七大地獄を映像化し、延々二時間近く続いた。無間地獄がないのは、そのあまりの恐ろしさゆえに、無間地獄のことを聞いただけで人間は死ぬと言われるからだ。こんな映像を二時間も見せられてはたまらない。顔を背けると無理やり正面を向けさせられ、目を閉じれば、びんたが飛んだ。ただ、私はメガネをかけていなかったので、鮮明な映像が多少ぼけて見えるから、まだよかった。あんな残酷なシーンがまともに見えては、たまらなかった。
ビデオが終わると、もう夜中の一時近い時刻なので、そろそろ眠らせてもらえるかと思ったら、インストラクターから、心霊会を辞めた人がどうなったか、実例を長々と聞かされた。それらの人たちは、多くが事故や病気などで死んでしまった。中には殺人事件に巻き込まれた人もいる。そして、その人たちは皆、さっきのビデオでさえ、あまりの恐ろしさのために映像化できなかった、最も悲惨な無間地獄に堕ちているのだという。妙法心霊会の信仰を退転した者の罪は、殺人罪よりはるかに重い。この世で最も重い罪は、正しい信仰に出会いながら、それを信じず、辞めてしまうことだ。
「鮎川さんもこのまま退転すれば、悲惨な末路をたどった末、行き着く先は無間地獄ですよ」と脅された。守護霊占星術に基づく、私の未来も示された。
私は三四、三五歳のころに運気が最も衰退し、そのときに癌の因縁が出るのだそうだ。私の余命は、宿命転換をしなければ、あと二〇年と告げられた。
そしてまた先ほどのビデオを見せられた。それから自分が犯した退転という罪障に対する反省、懺悔(さんげ)。
地下室なのでわからないが、もう夜が明けているのではないか。私は腕時計をはめていなかった。結局、一睡もさせてもらえなかった。うとうとしようものなら、コップの水を頭から浴びせられた。水はタオルで拭いてはもらえるが、濡れた服はすぐには乾かないので、非常に寒かった。なんで私がこんな目に遭わなければならないのだろう。そう思うと泣けてきてしまった。
その日は食事は抜きだった。水だけ少し飲ませてもらえた。ときどき休憩は与えられたものの、十分な睡眠は取らせてもらえず、頭がもうろうとしてきた。地獄のビデオと反省の強要が続いた。そして、私は心霊会の教えに従います、会長の妙心先生を敬い、御守護霊様を心から信じます、と何時間も続けて大声で唱えることを強要された。
父はどうなっているのだろうか。まさか、悪化していることはないだろうな。昨夜は帰らなかったので、母も心配しているだろう。学校、結局行けなかったな。私が行方不明になったと聞いて、松本さんや河村さんたちが心配しているだろうな。ジョンは散歩に連れて行ってもらっているかしら。
もうろうとした意識の中で、そんなことが次々と浮かんできた。赤一色の部屋の中に長時間いるだけで、頭がおかしくなりそうだ。まさに拷問だった。
「どうですか。心霊会の信仰を辞めたら、とんでもなく恐ろしい目に遭わなければならないということは、理解できましたか? 改心しないとあなたは癌で若死にしますよ」
女性のインストラクターの一人が言った。私はあまり深く考えることもなく、「はい」と頷いた。もう考える気力はほとんど失せていた。
「では、少しだけ睡眠を取ることを許してあげます。目覚めたら、食事もあげましょう」
私は真っ赤な布団の中で、死んだように眠った。
私は三時間ほど眠っただろうか。もう時間の感覚がなくなっていた。地下室なので、外の状態もわからない。少し眠ったら、気分がすっきりした。軽い食事も与えられた。お風呂に入りたかったが、入浴は許されなかった。下着が少し汗臭くなっているので、着替えをして、さっぱりしたいと思った。
眠ったら気分が少しすっきりしたので、「そうだ、お父さんが早くよくなるように、光のお御霊にお祈りをしておこう」と考えた。心霊会の施設で、超神会の祈りをするというのは、私のささやかな抵抗でもあった。心の中に、光のお御霊のご神体でもある、光という文字をしっかり思い描いて、その光という文字からエネルギーを引き出し、全身にその光を充満させる光景を思い描く。そして父の姿を心に描き、体中に充満させた光のお御霊のエネルギーを父に向かって浴びせかける。それだけで父に光のお御霊のエネルギーが届くのだ。父の枕元に置いてあるお札からも、エネルギーが父に放出されている。
光という文字をしっかり思い描くことにより、実在する神である光のお御霊とつながることができるのだそうだ。本来の光のお御霊のお姿は、まばゆいばかりの光の塊なので、便宜的に光という文字を思い描いて祈るというのが、超神会の祈り方の基本だ。金色(こんじき)に輝く光という文字が光のお御霊のお姿だと信じて、真心を込めて祈れば、それで光のお御霊と心を通わせることができる。
また、後日河村さんから聞いたことだが、心霊会で出してもらった訳のわからない憑依(ひょうい)霊も、光のお御霊の聖なる霊流を浴びて浄化され、本物の守護霊になっている可能性もあるとのことだ。
光のお御霊に祈ったおかげで、私の気分も清々しくなった。
部屋に入ってきた女性インストラクターが、「あれ? なんか部屋が爽やかになったみたい」と言った。さすがに霊能者だけあって、私が光のお御霊のエネルギーを引いたので、何かを感じ取ったようだ。感覚が鋭い人になら、光のお御霊の清浄なエネルギーが感じられるのだろう。つまり光のお御霊の力は、私の独りよがりなものではなく、実際に他人にも感じられるものなのだ。
部屋に来たインストラクターは一人だった。そして、若林さんと鈴木さんも部屋に入ってきた。二人もこの鍛錬道場に泊まっていた。若林さんがこれからお勤めをすると言った。守護霊のお札を部屋に置き、お札に向かって、私を含めた四人が正座した。私は若林さんが持ってきた数珠とお袈裟、経巻を受け取った。お勤めはあまりやりたくなかったが、ここは従っておいたほうがいいと思った。
お勤めは若林さんが導師を勤め、四〇分ほどかけて、丁寧に行われた。お勤めの間、私はときどきうとうとして、鈴木さんに突っつかれた。終わってから、今何時ですか、と若林さんに訊いたら、午後六時過ぎだと答えた。ということは、私がジョンとの散歩の途中で拉致されてから、まもなく丸一日が経つ。いったいいつになったら家に戻してくれるのだろう。
「美咲ちゃんがしっかり信仰を続けるつもりになれば、いつでも帰してあげますよ」と若林さんが言った。
「ただ、口先だけでやりますと言ってもだめですよ。ここにいる霊能者の方々は、嘘を言っても、すぐにわかりますからね。本当にやる気にならなければ、これからもっと辛い修行が続きますよ。地獄のビデオ拝聴など、まだ序の口ですからね。本当に、美咲ちゃんには素晴らしい力が眠っているのだから、一生懸命やれば、すごい霊能者になれるんですよ。どうですか? 多くの人々を救う、素晴らしい霊能者になりたくないんですか? それとも癌で若くして死ぬほうがいいのですか?」
「癌では死にたくありません。でもまだよくわからないんです。どうしたらいいか」
「心霊会の霊能者になるということは、とても徳を積むことになるんですよ。退転すれば癌で苦しんで、無間地獄堕ち。信仰を続ければ、一生をご守護霊に護られ、光り輝く霊界に行けるのです。考えるまでもないと思いますけどね」
若林さんはそう言い残して、鈴木さんとともに部屋から出て行った。代わりに二人の霊能インストラクターが入ってきた。
また私には辛い時間がやってきた。地獄のビデオを延々と見せられた。ただ、今回は短い時間だが、光り輝く霊界の映像も見せてもらえた。心霊会の信仰を貫けば、死後、そんな輝かしい世界に行けるというのだ。そして、反省。退転することがどれほど罪深いものかを聞かされ、その感想を述べさせられた。睡眠を取ることを許されなかった。先ほどはわずかしか眠らせてもらえなかったので、非常に辛かった。食事も軽く取っただけで、水以外は何も口に入れさせてはもらえなかった。インストラクターは交替で食事や休養を取っているのに。
私はトイレに行かせてもらい、用を足してから、トイレの便座に腰を下ろしたまま眠った。ちょっと恥ずかしい格好だが、そんなことを気にしてはいられなかった。たとえわずかな時間でも、眠っておきたかった。しかし、長いことトイレから戻らないと、女性インストラクターに、トイレのドアをドンドン叩かれた。
二日目は私はさらに参っていた。真っ赤な部屋もうんざりだった。もうやりますと言って帰してもらおうかとも考えた。一言、やりますと言えばいい。しかし、霊能者には嘘は通じないという。心の底から心霊会の御守護霊様にすがる気持ちにならない限り、帰さないという。
でも、こんな犯罪行為が許されていいものだろうか。宗教とはいえ、こんなことをすれば拉致、誘拐、監禁の犯罪行為でしかない。私がもし訴えると言ったら、どうする気なのだろう。いや、完全に妙法心霊会に帰依し、告発する気がなくなるまで、帰してくれないのではあるまいか。いつまで私の身体や精神は保(も)つのだろうか。私はもうろうとする頭で、そんなことを考えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book_mov.gif)
そして今、『いじめ(仮題)』を書いています
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『ミッキ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0100.gif)
でも、『ミッキ』は20代のころから構想していた、思い入れがある作品でもあります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0139.gif)
続編『ミッキ それから』も近いうちにまた執筆を再開してみたいと考えています。
そんな『ミッキ』も、今回を含め、あと3回で完結です。
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もう一〇月も下旬となり、まもなく文化祭を迎える。歴史研究会は日本の戦争責任、中国の三国時代、邪馬台国論争の三つの分野をテーマとしていた。私は河村さんと日本の戦争責任をまとめることになっていた。三国時代については、二年生の松本さんと竹島さん、邪馬台国の発表は部長の芳村さんと山崎君、中川さんのペアが中心となり担当した。ほかにも歴史研究会の部員はいるが、主に活動しているのはその七人だった。
ただ、私は心霊会のことで落ち込んだり、父の怪我で集中できないなどの事情があり、河村さんの負担が大きくなってしまい、申し訳なかった。河村さんは「ミッキは今、お父さんのことで大変なんだから、そんなに気にすることはないよ。困っているときこそ助け合わなくっちゃ。私もマッタク君に手伝ってもらっているんで、心配しないで」と元気づけてくれた。今は三年生も手伝いに来ている。
みんなは文化祭の準備で遅くなりそうなのだが、部長の芳村さんが「ミッキは親父(おやじ)さんのことがあるから、早めに帰ったりゃあ」と気を遣ってくれた。私はみんなの厚意を素直に受けて、帰ることにした。父のことが心配でもあった。みんなはいつも夜八時過ぎまで部室で文化祭の準備をしている。
寮に帰ったら、ジョンが戻っていた。昨日は山川さんのところに行っていた。ジョンがいないとちょっと不自然な感じがした。今はジョンがいるのが当たり前の我が家になっている。その中で、父が欠けているのは、やはり寂しい。早くよくなって退院してこないかなと思った。ジョンはさっそく散歩をせがんだ。
ジョンを散歩に連れて行く前に、母が「お父さんはもう大丈夫だから、心配しないでいいよ」と教えてくれた。それを聞いて、私は目頭が熱くなった。
私がジョンを連れて歩いていると、後ろから車が近づいてきた。私は道の左側の狭い歩道を歩いていた。ジョンが歩道から飛び出さないように、リードを短くした。
私の横を白い大きな車がゆっくり通り過ぎていった。そして、車がスピードを落として止まった。後ろのスライド式のドアが開き、鈴木さんが出てきた。車は若林さんのミニバンだった。
「あら、美咲ちゃん。ジョン君のお散歩?」
私は身構えた。以前、車の中に引き込まれ、若林さんの家まで連れて行かれたことがあった。でも、今日はジョンもいるし、そんな強引なことはしないだろうと思った。しかし、その気持ちが油断につながった。
鈴木さんは私の前に立った。ジョンが鈴木さんにじゃれついた。鈴木さんはジョンにはかまわず、右手に持っているものを私のおなかに突き当てた。その瞬間、私はすさまじいショックを感じた。意識を完全に失ったわけではなかったが、もうろうとして、何が起きているのかよくわからない状態だった。ジョンがワンワン吠えているのが何となく聞こえていた。ジョンはふだんあんなに鳴くことはないのにな、という思いが頭をよぎった。ギャンという悲鳴も聞こえたが、それが何なのか、判断できなかった。
私は車に乗せられたようだった。しばらくして、ようやくショックが遠のき、意識がはっきりしてきた。
「乱暴なことして、ごめんなさいね。これも美咲ちゃんのためなんだから」
「いったい何をしたんですか?」と私は鈴木さんに問い質した。
「スタンガンよ。大丈夫。護身用で、安全なものだから。ちょっとショックはあるけどね」
鈴木さんはそのスタンガンというものを見せてくれた。あんな大きなショックを与えておいて、大丈夫だとか安全だなんてひどいと思った。
「ジョンは? ジョンはどうしたんですか?」
「ジョン君は利口な犬だから、ひとりで寮まで帰れるわ。心配することないよ。でも、ちょっと噛まれちゃった。ジョンも美咲ちゃんを守ろうと、必死だったのよ」
まさか、ジョンにもスタンガンを使ったのではないかと心配になった。そういえば、ギャンという悲鳴があったような気がする。
「ええ、一発お見舞いしてやったわ」
「そんな、ひどいです」
私はジョンがかわいそうになった。ジョンも私を守るために戦ってくれたのだ。
「でも、そうしないと、私、噛みつかれて大変だったから。ほら、ここ、歯形がついているでしょう。大丈夫。小型犬ならともかく、ジョンぐらいの大きな犬なら、あの程度じゃ、死にやしないから」
鈴木さんは左腕の袖をまくった。少し噛まれたあとが残っている。でも、もしジョンが本気で噛んだのなら、その程度ですむはずがない。なにせ、ジョンは牛の骨でもバリバリ噛み砕いてしまうほど顎の力が強い。相手がよく遊んでくれた鈴木さんなので、ジョンも加減したのだと思う。それなのに、スタンガンをジョンに食らわすなんて、本当にひどい。
「これからどこに行くんですか?」
「伊勢の方にある心霊会の鍛錬道場に行きます。少し時間がかかるけど、辛抱してね」
運転席の若林さんが代わって答えた。
「鍛錬道場ですか? それ、何なのですか?」
「心霊会の精神修養のための道場ですよ。美咲ちゃんもせっかく素晴らしい御守護霊様に巡り会えたというのに、あまり真剣に信心しようという気がないみたいなので、ちょっと気合いを入れてあげようと思ってね。これも慈悲だから、わるく思わないでね。後々(あとあと)、きっと感謝することになると思うから。伊勢自動車道を通れば、三時間ほどで着きますよ」
三時間だなんて! 今午後七時ごろなので、その鍛錬道場とかに着くと、もう一〇時になってしまう。
「そんな。すぐ帰してください。明日は学校に行かなくちゃあいけないんですから。これじゃあ、拉致か誘拐じゃないですか。それに、私、日本超神会の光のお御霊という守護神様を信じることに決めたんです。もう心霊会に戻るつもりはありません」
「何、それ? 日本ちょうしん会? 聞いたことないわ。ノブちゃんも美咲ちゃんが訳がわからない邪教に入ったなんて言ってたけど。そんなもの信じると、罰でもっとひどいことになるよ。お父さん、死んじゃっても知らないよ」
今度は鈴木さんが非難した。
「邪教なんかじゃありません。お父さんが助かったのも、光のお御霊に祈ったからなんです。心霊会の守護霊なんかより、ずっと強い力があるんです」
「救いがたいバカね。お父さんが助かったのは、私たちが御守護霊様に祈ってあげたからよ。でも、鍛錬道場でしっかり鍛え直してあげる。そうすれば、すぐに心霊会こそが最高だということが、理解できるようになるわよ」と鈴木さんが応酬した。
私はぞっとした。クスリとか断食とか、不眠なんかを強いられて、マインドコントロールや洗脳を受けるのだろうか。私がまだ小さな子供のころ、いろいろと問題を起こした教団があったと聞いている。そこがそのような洗脳をしていたようだ。心霊会もまたそんな恐ろしいことをする教団なのだろうか。
でも、信心にあまり熱心ではない信者は、ほかにもいくらでもいるはずだ。その人たちすべてがこんな仕打ちを受けるわけではないだろう。二〇〇万人以上の会員がいる教団で、そんな実態があからさまになれば、大問題になっているはずだ。なぜ私ばかりがこんな厳しい仕打ちを受けるのだろうか。
「それは美咲ちゃんは千人、万人に一人という、とっても貴い星、優れた素質といってもいいかな、それを三つも持っているからですよ。心霊会の霊能者が美咲ちゃんを霊視したら、素晴らしい素質を持っていることがわかったの。心霊会の幹部になれるだけの素質があるのよ。ひょっとしたら、次期会長候補にだってなれるかもしれないのですよ。そんな人材がみすみす退転してしまうのを見過ごすわけにはいきません。それに、美咲ちゃんには残念ながらよくない星、悪因縁の星が一つあるの。今のままでは、たった一つのその悪い星が、せっかくの貴い徳を示す星を三つとも潰してしまうから、罪障消滅のための矯正が必要なのですよ。はっきり言ってあげると、その悪い星とは、癌になる因縁です。癌はやせ細って死んでいくから、餓鬼界の因縁ね。今のままでは、美咲ちゃんは癌で若死にする運命ですよ。癌で早死にしてしまえば、いくら貴い星があっても、役に立ちませんからね。美咲ちゃん、癌なんかで死にたくないでしょう?」
若林さんが私の問いに答えた。単なる脅しにすぎないのかもしれないが、自分が癌で若死にするということは、ショックだった。しかし光のお御霊に祈れば、きっとそんな悪い星は消滅すると私は確信した。
若林さんは初めて私を春日井道場で見たとき、何かピンと来るものがあったので、私の写真と入信届を優れた霊能力を持つ幹部霊能者に霊視してもらった。すると、私には非常に高い霊的素質があることがわかったという。心霊会で霊能者が行う守護霊占星術で占うと、私には貴い星、つまり優れた素質が、三つもあるそうだ。普通、素質が高いと言われる人でも貴星はせいぜい二つしかないのに、三つも持ち合わせているのは、修行すれば、将来、とても優れた霊能者になれるということである。貴星を三つ持っている人は、判明している範囲では、会長の妙心と、わずかな幹部霊能者だけだ。
「私、霊感なんてありません。これまで霊を見たこともないし、予感だって外れてばかりだし」
「それは美咲ちゃんが今までそういう訓練を受けていなかったからです。心霊会で修行すれば、素晴らしい霊能者になれますよ。だからまず鍛錬道場に行ってもらうのです」
「いいえ、けっこうです。私は平凡な一生のほうがいいです。平凡な人生の中で、平凡な幸福を追い求めていきたいです」
「何というもったいないことを。私が美咲ちゃんほどの素質があると言われれば、喜んで霊能者育成コースに志願するのだけどね。私も多少の霊感はあるけど、幹部霊能者にはとても無理なのよ」
鈴木さんが羨ましそうに言った。
車は高速道路に入った。外は真っ暗なので、今どの辺なのかよくわからないが、東名阪自動車道を走っているのだろう。しばらく走っていたら、大きな橋を渡ったので、今木曽川を越えたのかしらと思った。
ジョンは無事に寮に戻れたかしら。まさか途中で交通事故に遭っていないだろうな。ジョンだけが寮に戻って、私がいないから、母や伯母が心配しているのじゃないかしら。そんな思いが頭の中をよぎった。連絡をしたくても、私は携帯電話を持っていない。携帯電話があれば、こっそり松本さんか河村さん、宏美にメールを送って、母に知らせてもらうこともできるのだが。
車はやがて東名阪自動車道から伊勢自動車道に入った。平日の夜だから、車の流れはスムーズだ。
途中のサービスエリアで休憩した。逃げるといけないからといって、私は車から出してもらえなかった。お金もあまり持っていないし、携帯電話もないから、逃げはしないと言っても、信用してくれなかった。二人は私が売店に逃げ込み、保護してもらうことを警戒していた。トイレはもう少し我慢しなさいと言われた。若林さんが弁当とペットボトル入りのお茶を買ってきてくれた。
「お母さんには、さっき私から電話をしておいたから、大丈夫だよ。一緒にお父さんの快復を祈るために、大きな力を持った心霊会の御守護神のところに行く、と伝えたら、安心して、よろしく頼みます、と言っていたから。ジョンも無事寮に戻ったそうだし」
警察に捜索願を出されると面倒なので、鈴木さんが母に電話をしてくれたのは事実だろうが、母がよろしく頼みます、なんて言うはずがないと思った。父の状態が危機を脱したとはいえ、私がどこかに連れ去られて、安心するはずがない。ただ、よく知っている鈴木さんが一緒なら、警察に届けるようなことはしないと思うが。母も寮生を訴えるようなことはしないだろう。鈴木さんや若林さんの巧妙さに、私は腹が立った。
あとで知ったことだが、ジョンは三人組の一人の永井莉子さんが連れ帰ってくれたそうだ。スタンガンの一撃を受け、ジョンはあまり元気がなかったらしい。永井さんも計画に一枚かんでおり、私がジョンと散歩するとき、こっそり後をつけていた。酒井さんは今回の計画にはあまり乗り気ではなかったという。
夜一〇時過ぎに、目的地に着いた。夜で暗かったのでよくわからないが、かなりの山の中のようだ。伊勢といっても、伊勢神宮の近くではないのだろう。私は大きな鉄筋三階建ての建物に入るように言われた。修行者が何十人も宿泊できそうな施設だ。建物の中からは、三人の男女が迎えに出た。
私はまずトイレに案内してもらった。逃げるといけないからといって、途中のサービスエリアではトイレに行かせてくれなかったので、かなり切迫していた。トイレは他の人も使っていた。この鍛錬道場には現在も多くの信者が泊まり込みで修行をしているようだ。
トイレから出た後、地下室に案内された。さっき私を出迎えた三人を紹介された。女性二人に、男性一人だった。三人とも真っ赤な服を着ていた。その三人は、私の精神修養を担当する霊能インストラクターだそうだ。男性は格闘技でもやっているのか、大きな体格で、いかにも鍛えられているという感じだった。まるで力士かプロレスラーだ。頭を丸刈りにしており、何となく海坊主を連想させた。逃げようとしても無駄だぞ、と圧力をかけられているように思われた。
部屋は赤一色だった。壁も、天井も床も、家具も、ベッドも布団も、血の池地獄のように真っ赤だった。とても気持ちがわるい部屋だ。
私はまずビデオを見せられた。五〇インチ近くある、大きな液晶テレビだ。それは地獄をイメージした、惨憺たる情景を映像化したものだった。巨大な地獄の獄卒どもに徹底して虐待されている男女の亡者たち。コンピューターグラフィックスを多用してあり、亡者の頭が獄卒の鉄棒で殴られ、砕ける様子が非常にリアルに鮮明に描かれていた。剣でばらばらに切り刻まれている亡者もいる。亡者同士で殺し合っている者もいる。たとえ死んでも、涼やかな風が吹けば肉体は再生して生き返り、また獄卒に痛めつけられたり、亡者同士で殺し合ったりする。画像だけでなく、音声も――鉄棒で殴る音、頭が砕け散る音、獄卒のかけ声、亡者の悲鳴など、真に迫っていた。私は思わず、画面から目を背けた。
「目を背けてはいけません。じっと見るのです。これは死後のあなたの姿なのですよ。今のまま心霊会の信仰から退転すれば、間違いなくあなたは無間地獄に堕ち、このような苦しみを、何億年、何兆年と受けなくてはなりません。これは地獄の中でも、一番軽い等活(とうかつ)地獄ですよ。これから黒縄(こくじょう)地獄、衆合(しゅごう)地獄、叫喚(きょうかん)地獄と、だんだん恐ろしい地獄になっていきますよ」
女性のインストラクターの一人が、顔を背けた私の頭をつかんで、画面の方に向けさせた。地獄のビデオは、無間地獄以外の七大地獄を映像化し、延々二時間近く続いた。無間地獄がないのは、そのあまりの恐ろしさゆえに、無間地獄のことを聞いただけで人間は死ぬと言われるからだ。こんな映像を二時間も見せられてはたまらない。顔を背けると無理やり正面を向けさせられ、目を閉じれば、びんたが飛んだ。ただ、私はメガネをかけていなかったので、鮮明な映像が多少ぼけて見えるから、まだよかった。あんな残酷なシーンがまともに見えては、たまらなかった。
ビデオが終わると、もう夜中の一時近い時刻なので、そろそろ眠らせてもらえるかと思ったら、インストラクターから、心霊会を辞めた人がどうなったか、実例を長々と聞かされた。それらの人たちは、多くが事故や病気などで死んでしまった。中には殺人事件に巻き込まれた人もいる。そして、その人たちは皆、さっきのビデオでさえ、あまりの恐ろしさのために映像化できなかった、最も悲惨な無間地獄に堕ちているのだという。妙法心霊会の信仰を退転した者の罪は、殺人罪よりはるかに重い。この世で最も重い罪は、正しい信仰に出会いながら、それを信じず、辞めてしまうことだ。
「鮎川さんもこのまま退転すれば、悲惨な末路をたどった末、行き着く先は無間地獄ですよ」と脅された。守護霊占星術に基づく、私の未来も示された。
私は三四、三五歳のころに運気が最も衰退し、そのときに癌の因縁が出るのだそうだ。私の余命は、宿命転換をしなければ、あと二〇年と告げられた。
そしてまた先ほどのビデオを見せられた。それから自分が犯した退転という罪障に対する反省、懺悔(さんげ)。
地下室なのでわからないが、もう夜が明けているのではないか。私は腕時計をはめていなかった。結局、一睡もさせてもらえなかった。うとうとしようものなら、コップの水を頭から浴びせられた。水はタオルで拭いてはもらえるが、濡れた服はすぐには乾かないので、非常に寒かった。なんで私がこんな目に遭わなければならないのだろう。そう思うと泣けてきてしまった。
その日は食事は抜きだった。水だけ少し飲ませてもらえた。ときどき休憩は与えられたものの、十分な睡眠は取らせてもらえず、頭がもうろうとしてきた。地獄のビデオと反省の強要が続いた。そして、私は心霊会の教えに従います、会長の妙心先生を敬い、御守護霊様を心から信じます、と何時間も続けて大声で唱えることを強要された。
父はどうなっているのだろうか。まさか、悪化していることはないだろうな。昨夜は帰らなかったので、母も心配しているだろう。学校、結局行けなかったな。私が行方不明になったと聞いて、松本さんや河村さんたちが心配しているだろうな。ジョンは散歩に連れて行ってもらっているかしら。
もうろうとした意識の中で、そんなことが次々と浮かんできた。赤一色の部屋の中に長時間いるだけで、頭がおかしくなりそうだ。まさに拷問だった。
「どうですか。心霊会の信仰を辞めたら、とんでもなく恐ろしい目に遭わなければならないということは、理解できましたか? 改心しないとあなたは癌で若死にしますよ」
女性のインストラクターの一人が言った。私はあまり深く考えることもなく、「はい」と頷いた。もう考える気力はほとんど失せていた。
「では、少しだけ睡眠を取ることを許してあげます。目覚めたら、食事もあげましょう」
私は真っ赤な布団の中で、死んだように眠った。
私は三時間ほど眠っただろうか。もう時間の感覚がなくなっていた。地下室なので、外の状態もわからない。少し眠ったら、気分がすっきりした。軽い食事も与えられた。お風呂に入りたかったが、入浴は許されなかった。下着が少し汗臭くなっているので、着替えをして、さっぱりしたいと思った。
眠ったら気分が少しすっきりしたので、「そうだ、お父さんが早くよくなるように、光のお御霊にお祈りをしておこう」と考えた。心霊会の施設で、超神会の祈りをするというのは、私のささやかな抵抗でもあった。心の中に、光のお御霊のご神体でもある、光という文字をしっかり思い描いて、その光という文字からエネルギーを引き出し、全身にその光を充満させる光景を思い描く。そして父の姿を心に描き、体中に充満させた光のお御霊のエネルギーを父に向かって浴びせかける。それだけで父に光のお御霊のエネルギーが届くのだ。父の枕元に置いてあるお札からも、エネルギーが父に放出されている。
光という文字をしっかり思い描くことにより、実在する神である光のお御霊とつながることができるのだそうだ。本来の光のお御霊のお姿は、まばゆいばかりの光の塊なので、便宜的に光という文字を思い描いて祈るというのが、超神会の祈り方の基本だ。金色(こんじき)に輝く光という文字が光のお御霊のお姿だと信じて、真心を込めて祈れば、それで光のお御霊と心を通わせることができる。
また、後日河村さんから聞いたことだが、心霊会で出してもらった訳のわからない憑依(ひょうい)霊も、光のお御霊の聖なる霊流を浴びて浄化され、本物の守護霊になっている可能性もあるとのことだ。
光のお御霊に祈ったおかげで、私の気分も清々しくなった。
部屋に入ってきた女性インストラクターが、「あれ? なんか部屋が爽やかになったみたい」と言った。さすがに霊能者だけあって、私が光のお御霊のエネルギーを引いたので、何かを感じ取ったようだ。感覚が鋭い人になら、光のお御霊の清浄なエネルギーが感じられるのだろう。つまり光のお御霊の力は、私の独りよがりなものではなく、実際に他人にも感じられるものなのだ。
部屋に来たインストラクターは一人だった。そして、若林さんと鈴木さんも部屋に入ってきた。二人もこの鍛錬道場に泊まっていた。若林さんがこれからお勤めをすると言った。守護霊のお札を部屋に置き、お札に向かって、私を含めた四人が正座した。私は若林さんが持ってきた数珠とお袈裟、経巻を受け取った。お勤めはあまりやりたくなかったが、ここは従っておいたほうがいいと思った。
お勤めは若林さんが導師を勤め、四〇分ほどかけて、丁寧に行われた。お勤めの間、私はときどきうとうとして、鈴木さんに突っつかれた。終わってから、今何時ですか、と若林さんに訊いたら、午後六時過ぎだと答えた。ということは、私がジョンとの散歩の途中で拉致されてから、まもなく丸一日が経つ。いったいいつになったら家に戻してくれるのだろう。
「美咲ちゃんがしっかり信仰を続けるつもりになれば、いつでも帰してあげますよ」と若林さんが言った。
「ただ、口先だけでやりますと言ってもだめですよ。ここにいる霊能者の方々は、嘘を言っても、すぐにわかりますからね。本当にやる気にならなければ、これからもっと辛い修行が続きますよ。地獄のビデオ拝聴など、まだ序の口ですからね。本当に、美咲ちゃんには素晴らしい力が眠っているのだから、一生懸命やれば、すごい霊能者になれるんですよ。どうですか? 多くの人々を救う、素晴らしい霊能者になりたくないんですか? それとも癌で若くして死ぬほうがいいのですか?」
「癌では死にたくありません。でもまだよくわからないんです。どうしたらいいか」
「心霊会の霊能者になるということは、とても徳を積むことになるんですよ。退転すれば癌で苦しんで、無間地獄堕ち。信仰を続ければ、一生をご守護霊に護られ、光り輝く霊界に行けるのです。考えるまでもないと思いますけどね」
若林さんはそう言い残して、鈴木さんとともに部屋から出て行った。代わりに二人の霊能インストラクターが入ってきた。
また私には辛い時間がやってきた。地獄のビデオを延々と見せられた。ただ、今回は短い時間だが、光り輝く霊界の映像も見せてもらえた。心霊会の信仰を貫けば、死後、そんな輝かしい世界に行けるというのだ。そして、反省。退転することがどれほど罪深いものかを聞かされ、その感想を述べさせられた。睡眠を取ることを許されなかった。先ほどはわずかしか眠らせてもらえなかったので、非常に辛かった。食事も軽く取っただけで、水以外は何も口に入れさせてはもらえなかった。インストラクターは交替で食事や休養を取っているのに。
私はトイレに行かせてもらい、用を足してから、トイレの便座に腰を下ろしたまま眠った。ちょっと恥ずかしい格好だが、そんなことを気にしてはいられなかった。たとえわずかな時間でも、眠っておきたかった。しかし、長いことトイレから戻らないと、女性インストラクターに、トイレのドアをドンドン叩かれた。
二日目は私はさらに参っていた。真っ赤な部屋もうんざりだった。もうやりますと言って帰してもらおうかとも考えた。一言、やりますと言えばいい。しかし、霊能者には嘘は通じないという。心の底から心霊会の御守護霊様にすがる気持ちにならない限り、帰さないという。
でも、こんな犯罪行為が許されていいものだろうか。宗教とはいえ、こんなことをすれば拉致、誘拐、監禁の犯罪行為でしかない。私がもし訴えると言ったら、どうする気なのだろう。いや、完全に妙法心霊会に帰依し、告発する気がなくなるまで、帰してくれないのではあるまいか。いつまで私の身体や精神は保(も)つのだろうか。私はもうろうとする頭で、そんなことを考えた。