売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『ミッキ』第31回

2013-10-29 00:31:24 | 小説
 昨日は新作『永遠の命』が文庫本になることをお知らせしました。
 そして今、『いじめ(仮題)』を書いています
 『ミッキ』は何となく過去の作品になってしまったような感じです。
 でも、『ミッキ』は20代のころから構想していた、思い入れがある作品でもあります
 続編『ミッキ それから』も近いうちにまた執筆を再開してみたいと考えています。
 そんな『ミッキ』も、今回を含め、あと3回で完結です。


         

 もう一〇月も下旬となり、まもなく文化祭を迎える。歴史研究会は日本の戦争責任、中国の三国時代、邪馬台国論争の三つの分野をテーマとしていた。私は河村さんと日本の戦争責任をまとめることになっていた。三国時代については、二年生の松本さんと竹島さん、邪馬台国の発表は部長の芳村さんと山崎君、中川さんのペアが中心となり担当した。ほかにも歴史研究会の部員はいるが、主に活動しているのはその七人だった。
 ただ、私は心霊会のことで落ち込んだり、父の怪我で集中できないなどの事情があり、河村さんの負担が大きくなってしまい、申し訳なかった。河村さんは「ミッキは今、お父さんのことで大変なんだから、そんなに気にすることはないよ。困っているときこそ助け合わなくっちゃ。私もマッタク君に手伝ってもらっているんで、心配しないで」と元気づけてくれた。今は三年生も手伝いに来ている。
 みんなは文化祭の準備で遅くなりそうなのだが、部長の芳村さんが「ミッキは親父(おやじ)さんのことがあるから、早めに帰ったりゃあ」と気を遣ってくれた。私はみんなの厚意を素直に受けて、帰ることにした。父のことが心配でもあった。みんなはいつも夜八時過ぎまで部室で文化祭の準備をしている。
 寮に帰ったら、ジョンが戻っていた。昨日は山川さんのところに行っていた。ジョンがいないとちょっと不自然な感じがした。今はジョンがいるのが当たり前の我が家になっている。その中で、父が欠けているのは、やはり寂しい。早くよくなって退院してこないかなと思った。ジョンはさっそく散歩をせがんだ。
 ジョンを散歩に連れて行く前に、母が「お父さんはもう大丈夫だから、心配しないでいいよ」と教えてくれた。それを聞いて、私は目頭が熱くなった。
 私がジョンを連れて歩いていると、後ろから車が近づいてきた。私は道の左側の狭い歩道を歩いていた。ジョンが歩道から飛び出さないように、リードを短くした。
 私の横を白い大きな車がゆっくり通り過ぎていった。そして、車がスピードを落として止まった。後ろのスライド式のドアが開き、鈴木さんが出てきた。車は若林さんのミニバンだった。
「あら、美咲ちゃん。ジョン君のお散歩?」
 私は身構えた。以前、車の中に引き込まれ、若林さんの家まで連れて行かれたことがあった。でも、今日はジョンもいるし、そんな強引なことはしないだろうと思った。しかし、その気持ちが油断につながった。
 鈴木さんは私の前に立った。ジョンが鈴木さんにじゃれついた。鈴木さんはジョンにはかまわず、右手に持っているものを私のおなかに突き当てた。その瞬間、私はすさまじいショックを感じた。意識を完全に失ったわけではなかったが、もうろうとして、何が起きているのかよくわからない状態だった。ジョンがワンワン吠えているのが何となく聞こえていた。ジョンはふだんあんなに鳴くことはないのにな、という思いが頭をよぎった。ギャンという悲鳴も聞こえたが、それが何なのか、判断できなかった。
 私は車に乗せられたようだった。しばらくして、ようやくショックが遠のき、意識がはっきりしてきた。
「乱暴なことして、ごめんなさいね。これも美咲ちゃんのためなんだから」
「いったい何をしたんですか?」と私は鈴木さんに問い質した。
「スタンガンよ。大丈夫。護身用で、安全なものだから。ちょっとショックはあるけどね」
 鈴木さんはそのスタンガンというものを見せてくれた。あんな大きなショックを与えておいて、大丈夫だとか安全だなんてひどいと思った。
「ジョンは? ジョンはどうしたんですか?」
「ジョン君は利口な犬だから、ひとりで寮まで帰れるわ。心配することないよ。でも、ちょっと噛まれちゃった。ジョンも美咲ちゃんを守ろうと、必死だったのよ」
 まさか、ジョンにもスタンガンを使ったのではないかと心配になった。そういえば、ギャンという悲鳴があったような気がする。
「ええ、一発お見舞いしてやったわ」
「そんな、ひどいです」
 私はジョンがかわいそうになった。ジョンも私を守るために戦ってくれたのだ。
「でも、そうしないと、私、噛みつかれて大変だったから。ほら、ここ、歯形がついているでしょう。大丈夫。小型犬ならともかく、ジョンぐらいの大きな犬なら、あの程度じゃ、死にやしないから」
 鈴木さんは左腕の袖をまくった。少し噛まれたあとが残っている。でも、もしジョンが本気で噛んだのなら、その程度ですむはずがない。なにせ、ジョンは牛の骨でもバリバリ噛み砕いてしまうほど顎の力が強い。相手がよく遊んでくれた鈴木さんなので、ジョンも加減したのだと思う。それなのに、スタンガンをジョンに食らわすなんて、本当にひどい。
「これからどこに行くんですか?」
「伊勢の方にある心霊会の鍛錬道場に行きます。少し時間がかかるけど、辛抱してね」
 運転席の若林さんが代わって答えた。
「鍛錬道場ですか? それ、何なのですか?」
「心霊会の精神修養のための道場ですよ。美咲ちゃんもせっかく素晴らしい御守護霊様に巡り会えたというのに、あまり真剣に信心しようという気がないみたいなので、ちょっと気合いを入れてあげようと思ってね。これも慈悲だから、わるく思わないでね。後々(あとあと)、きっと感謝することになると思うから。伊勢自動車道を通れば、三時間ほどで着きますよ」
 三時間だなんて! 今午後七時ごろなので、その鍛錬道場とかに着くと、もう一〇時になってしまう。
「そんな。すぐ帰してください。明日は学校に行かなくちゃあいけないんですから。これじゃあ、拉致か誘拐じゃないですか。それに、私、日本超神会の光のお御霊という守護神様を信じることに決めたんです。もう心霊会に戻るつもりはありません」
「何、それ? 日本ちょうしん会? 聞いたことないわ。ノブちゃんも美咲ちゃんが訳がわからない邪教に入ったなんて言ってたけど。そんなもの信じると、罰でもっとひどいことになるよ。お父さん、死んじゃっても知らないよ」
 今度は鈴木さんが非難した。
「邪教なんかじゃありません。お父さんが助かったのも、光のお御霊に祈ったからなんです。心霊会の守護霊なんかより、ずっと強い力があるんです」
「救いがたいバカね。お父さんが助かったのは、私たちが御守護霊様に祈ってあげたからよ。でも、鍛錬道場でしっかり鍛え直してあげる。そうすれば、すぐに心霊会こそが最高だということが、理解できるようになるわよ」と鈴木さんが応酬した。
 私はぞっとした。クスリとか断食とか、不眠なんかを強いられて、マインドコントロールや洗脳を受けるのだろうか。私がまだ小さな子供のころ、いろいろと問題を起こした教団があったと聞いている。そこがそのような洗脳をしていたようだ。心霊会もまたそんな恐ろしいことをする教団なのだろうか。
 でも、信心にあまり熱心ではない信者は、ほかにもいくらでもいるはずだ。その人たちすべてがこんな仕打ちを受けるわけではないだろう。二〇〇万人以上の会員がいる教団で、そんな実態があからさまになれば、大問題になっているはずだ。なぜ私ばかりがこんな厳しい仕打ちを受けるのだろうか。
「それは美咲ちゃんは千人、万人に一人という、とっても貴い星、優れた素質といってもいいかな、それを三つも持っているからですよ。心霊会の霊能者が美咲ちゃんを霊視したら、素晴らしい素質を持っていることがわかったの。心霊会の幹部になれるだけの素質があるのよ。ひょっとしたら、次期会長候補にだってなれるかもしれないのですよ。そんな人材がみすみす退転してしまうのを見過ごすわけにはいきません。それに、美咲ちゃんには残念ながらよくない星、悪因縁の星が一つあるの。今のままでは、たった一つのその悪い星が、せっかくの貴い徳を示す星を三つとも潰してしまうから、罪障消滅のための矯正が必要なのですよ。はっきり言ってあげると、その悪い星とは、癌になる因縁です。癌はやせ細って死んでいくから、餓鬼界の因縁ね。今のままでは、美咲ちゃんは癌で若死にする運命ですよ。癌で早死にしてしまえば、いくら貴い星があっても、役に立ちませんからね。美咲ちゃん、癌なんかで死にたくないでしょう?」
 若林さんが私の問いに答えた。単なる脅しにすぎないのかもしれないが、自分が癌で若死にするということは、ショックだった。しかし光のお御霊に祈れば、きっとそんな悪い星は消滅すると私は確信した。
 若林さんは初めて私を春日井道場で見たとき、何かピンと来るものがあったので、私の写真と入信届を優れた霊能力を持つ幹部霊能者に霊視してもらった。すると、私には非常に高い霊的素質があることがわかったという。心霊会で霊能者が行う守護霊占星術で占うと、私には貴い星、つまり優れた素質が、三つもあるそうだ。普通、素質が高いと言われる人でも貴星はせいぜい二つしかないのに、三つも持ち合わせているのは、修行すれば、将来、とても優れた霊能者になれるということである。貴星を三つ持っている人は、判明している範囲では、会長の妙心と、わずかな幹部霊能者だけだ。
「私、霊感なんてありません。これまで霊を見たこともないし、予感だって外れてばかりだし」
「それは美咲ちゃんが今までそういう訓練を受けていなかったからです。心霊会で修行すれば、素晴らしい霊能者になれますよ。だからまず鍛錬道場に行ってもらうのです」
「いいえ、けっこうです。私は平凡な一生のほうがいいです。平凡な人生の中で、平凡な幸福を追い求めていきたいです」
「何というもったいないことを。私が美咲ちゃんほどの素質があると言われれば、喜んで霊能者育成コースに志願するのだけどね。私も多少の霊感はあるけど、幹部霊能者にはとても無理なのよ」
 鈴木さんが羨ましそうに言った。
 車は高速道路に入った。外は真っ暗なので、今どの辺なのかよくわからないが、東名阪自動車道を走っているのだろう。しばらく走っていたら、大きな橋を渡ったので、今木曽川を越えたのかしらと思った。
 ジョンは無事に寮に戻れたかしら。まさか途中で交通事故に遭っていないだろうな。ジョンだけが寮に戻って、私がいないから、母や伯母が心配しているのじゃないかしら。そんな思いが頭の中をよぎった。連絡をしたくても、私は携帯電話を持っていない。携帯電話があれば、こっそり松本さんか河村さん、宏美にメールを送って、母に知らせてもらうこともできるのだが。
 車はやがて東名阪自動車道から伊勢自動車道に入った。平日の夜だから、車の流れはスムーズだ。
 途中のサービスエリアで休憩した。逃げるといけないからといって、私は車から出してもらえなかった。お金もあまり持っていないし、携帯電話もないから、逃げはしないと言っても、信用してくれなかった。二人は私が売店に逃げ込み、保護してもらうことを警戒していた。トイレはもう少し我慢しなさいと言われた。若林さんが弁当とペットボトル入りのお茶を買ってきてくれた。
「お母さんには、さっき私から電話をしておいたから、大丈夫だよ。一緒にお父さんの快復を祈るために、大きな力を持った心霊会の御守護神のところに行く、と伝えたら、安心して、よろしく頼みます、と言っていたから。ジョンも無事寮に戻ったそうだし」
 警察に捜索願を出されると面倒なので、鈴木さんが母に電話をしてくれたのは事実だろうが、母がよろしく頼みます、なんて言うはずがないと思った。父の状態が危機を脱したとはいえ、私がどこかに連れ去られて、安心するはずがない。ただ、よく知っている鈴木さんが一緒なら、警察に届けるようなことはしないと思うが。母も寮生を訴えるようなことはしないだろう。鈴木さんや若林さんの巧妙さに、私は腹が立った。
 あとで知ったことだが、ジョンは三人組の一人の永井莉子さんが連れ帰ってくれたそうだ。スタンガンの一撃を受け、ジョンはあまり元気がなかったらしい。永井さんも計画に一枚かんでおり、私がジョンと散歩するとき、こっそり後をつけていた。酒井さんは今回の計画にはあまり乗り気ではなかったという。

 夜一〇時過ぎに、目的地に着いた。夜で暗かったのでよくわからないが、かなりの山の中のようだ。伊勢といっても、伊勢神宮の近くではないのだろう。私は大きな鉄筋三階建ての建物に入るように言われた。修行者が何十人も宿泊できそうな施設だ。建物の中からは、三人の男女が迎えに出た。
 私はまずトイレに案内してもらった。逃げるといけないからといって、途中のサービスエリアではトイレに行かせてくれなかったので、かなり切迫していた。トイレは他の人も使っていた。この鍛錬道場には現在も多くの信者が泊まり込みで修行をしているようだ。
 トイレから出た後、地下室に案内された。さっき私を出迎えた三人を紹介された。女性二人に、男性一人だった。三人とも真っ赤な服を着ていた。その三人は、私の精神修養を担当する霊能インストラクターだそうだ。男性は格闘技でもやっているのか、大きな体格で、いかにも鍛えられているという感じだった。まるで力士かプロレスラーだ。頭を丸刈りにしており、何となく海坊主を連想させた。逃げようとしても無駄だぞ、と圧力をかけられているように思われた。
 部屋は赤一色だった。壁も、天井も床も、家具も、ベッドも布団も、血の池地獄のように真っ赤だった。とても気持ちがわるい部屋だ。
 私はまずビデオを見せられた。五〇インチ近くある、大きな液晶テレビだ。それは地獄をイメージした、惨憺たる情景を映像化したものだった。巨大な地獄の獄卒どもに徹底して虐待されている男女の亡者たち。コンピューターグラフィックスを多用してあり、亡者の頭が獄卒の鉄棒で殴られ、砕ける様子が非常にリアルに鮮明に描かれていた。剣でばらばらに切り刻まれている亡者もいる。亡者同士で殺し合っている者もいる。たとえ死んでも、涼やかな風が吹けば肉体は再生して生き返り、また獄卒に痛めつけられたり、亡者同士で殺し合ったりする。画像だけでなく、音声も――鉄棒で殴る音、頭が砕け散る音、獄卒のかけ声、亡者の悲鳴など、真に迫っていた。私は思わず、画面から目を背けた。
「目を背けてはいけません。じっと見るのです。これは死後のあなたの姿なのですよ。今のまま心霊会の信仰から退転すれば、間違いなくあなたは無間地獄に堕ち、このような苦しみを、何億年、何兆年と受けなくてはなりません。これは地獄の中でも、一番軽い等活(とうかつ)地獄ですよ。これから黒縄(こくじょう)地獄、衆合(しゅごう)地獄、叫喚(きょうかん)地獄と、だんだん恐ろしい地獄になっていきますよ」
 女性のインストラクターの一人が、顔を背けた私の頭をつかんで、画面の方に向けさせた。地獄のビデオは、無間地獄以外の七大地獄を映像化し、延々二時間近く続いた。無間地獄がないのは、そのあまりの恐ろしさゆえに、無間地獄のことを聞いただけで人間は死ぬと言われるからだ。こんな映像を二時間も見せられてはたまらない。顔を背けると無理やり正面を向けさせられ、目を閉じれば、びんたが飛んだ。ただ、私はメガネをかけていなかったので、鮮明な映像が多少ぼけて見えるから、まだよかった。あんな残酷なシーンがまともに見えては、たまらなかった。
 ビデオが終わると、もう夜中の一時近い時刻なので、そろそろ眠らせてもらえるかと思ったら、インストラクターから、心霊会を辞めた人がどうなったか、実例を長々と聞かされた。それらの人たちは、多くが事故や病気などで死んでしまった。中には殺人事件に巻き込まれた人もいる。そして、その人たちは皆、さっきのビデオでさえ、あまりの恐ろしさのために映像化できなかった、最も悲惨な無間地獄に堕ちているのだという。妙法心霊会の信仰を退転した者の罪は、殺人罪よりはるかに重い。この世で最も重い罪は、正しい信仰に出会いながら、それを信じず、辞めてしまうことだ。
「鮎川さんもこのまま退転すれば、悲惨な末路をたどった末、行き着く先は無間地獄ですよ」と脅された。守護霊占星術に基づく、私の未来も示された。
 私は三四、三五歳のころに運気が最も衰退し、そのときに癌の因縁が出るのだそうだ。私の余命は、宿命転換をしなければ、あと二〇年と告げられた。
 そしてまた先ほどのビデオを見せられた。それから自分が犯した退転という罪障に対する反省、懺悔(さんげ)。
 地下室なのでわからないが、もう夜が明けているのではないか。私は腕時計をはめていなかった。結局、一睡もさせてもらえなかった。うとうとしようものなら、コップの水を頭から浴びせられた。水はタオルで拭いてはもらえるが、濡れた服はすぐには乾かないので、非常に寒かった。なんで私がこんな目に遭わなければならないのだろう。そう思うと泣けてきてしまった。
 その日は食事は抜きだった。水だけ少し飲ませてもらえた。ときどき休憩は与えられたものの、十分な睡眠は取らせてもらえず、頭がもうろうとしてきた。地獄のビデオと反省の強要が続いた。そして、私は心霊会の教えに従います、会長の妙心先生を敬い、御守護霊様を心から信じます、と何時間も続けて大声で唱えることを強要された。
 父はどうなっているのだろうか。まさか、悪化していることはないだろうな。昨夜は帰らなかったので、母も心配しているだろう。学校、結局行けなかったな。私が行方不明になったと聞いて、松本さんや河村さんたちが心配しているだろうな。ジョンは散歩に連れて行ってもらっているかしら。
 もうろうとした意識の中で、そんなことが次々と浮かんできた。赤一色の部屋の中に長時間いるだけで、頭がおかしくなりそうだ。まさに拷問だった。
「どうですか。心霊会の信仰を辞めたら、とんでもなく恐ろしい目に遭わなければならないということは、理解できましたか? 改心しないとあなたは癌で若死にしますよ」
 女性のインストラクターの一人が言った。私はあまり深く考えることもなく、「はい」と頷いた。もう考える気力はほとんど失せていた。
「では、少しだけ睡眠を取ることを許してあげます。目覚めたら、食事もあげましょう」
 私は真っ赤な布団の中で、死んだように眠った。
 私は三時間ほど眠っただろうか。もう時間の感覚がなくなっていた。地下室なので、外の状態もわからない。少し眠ったら、気分がすっきりした。軽い食事も与えられた。お風呂に入りたかったが、入浴は許されなかった。下着が少し汗臭くなっているので、着替えをして、さっぱりしたいと思った。
 眠ったら気分が少しすっきりしたので、「そうだ、お父さんが早くよくなるように、光のお御霊にお祈りをしておこう」と考えた。心霊会の施設で、超神会の祈りをするというのは、私のささやかな抵抗でもあった。心の中に、光のお御霊のご神体でもある、光という文字をしっかり思い描いて、その光という文字からエネルギーを引き出し、全身にその光を充満させる光景を思い描く。そして父の姿を心に描き、体中に充満させた光のお御霊のエネルギーを父に向かって浴びせかける。それだけで父に光のお御霊のエネルギーが届くのだ。父の枕元に置いてあるお札からも、エネルギーが父に放出されている。
 光という文字をしっかり思い描くことにより、実在する神である光のお御霊とつながることができるのだそうだ。本来の光のお御霊のお姿は、まばゆいばかりの光の塊なので、便宜的に光という文字を思い描いて祈るというのが、超神会の祈り方の基本だ。金色(こんじき)に輝く光という文字が光のお御霊のお姿だと信じて、真心を込めて祈れば、それで光のお御霊と心を通わせることができる。
 また、後日河村さんから聞いたことだが、心霊会で出してもらった訳のわからない憑依(ひょうい)霊も、光のお御霊の聖なる霊流を浴びて浄化され、本物の守護霊になっている可能性もあるとのことだ。
 光のお御霊に祈ったおかげで、私の気分も清々しくなった。
 部屋に入ってきた女性インストラクターが、「あれ? なんか部屋が爽やかになったみたい」と言った。さすがに霊能者だけあって、私が光のお御霊のエネルギーを引いたので、何かを感じ取ったようだ。感覚が鋭い人になら、光のお御霊の清浄なエネルギーが感じられるのだろう。つまり光のお御霊の力は、私の独りよがりなものではなく、実際に他人にも感じられるものなのだ。
 部屋に来たインストラクターは一人だった。そして、若林さんと鈴木さんも部屋に入ってきた。二人もこの鍛錬道場に泊まっていた。若林さんがこれからお勤めをすると言った。守護霊のお札を部屋に置き、お札に向かって、私を含めた四人が正座した。私は若林さんが持ってきた数珠とお袈裟、経巻を受け取った。お勤めはあまりやりたくなかったが、ここは従っておいたほうがいいと思った。
 お勤めは若林さんが導師を勤め、四〇分ほどかけて、丁寧に行われた。お勤めの間、私はときどきうとうとして、鈴木さんに突っつかれた。終わってから、今何時ですか、と若林さんに訊いたら、午後六時過ぎだと答えた。ということは、私がジョンとの散歩の途中で拉致されてから、まもなく丸一日が経つ。いったいいつになったら家に戻してくれるのだろう。
「美咲ちゃんがしっかり信仰を続けるつもりになれば、いつでも帰してあげますよ」と若林さんが言った。
「ただ、口先だけでやりますと言ってもだめですよ。ここにいる霊能者の方々は、嘘を言っても、すぐにわかりますからね。本当にやる気にならなければ、これからもっと辛い修行が続きますよ。地獄のビデオ拝聴など、まだ序の口ですからね。本当に、美咲ちゃんには素晴らしい力が眠っているのだから、一生懸命やれば、すごい霊能者になれるんですよ。どうですか? 多くの人々を救う、素晴らしい霊能者になりたくないんですか? それとも癌で若くして死ぬほうがいいのですか?」
「癌では死にたくありません。でもまだよくわからないんです。どうしたらいいか」
「心霊会の霊能者になるということは、とても徳を積むことになるんですよ。退転すれば癌で苦しんで、無間地獄堕ち。信仰を続ければ、一生をご守護霊に護られ、光り輝く霊界に行けるのです。考えるまでもないと思いますけどね」
 若林さんはそう言い残して、鈴木さんとともに部屋から出て行った。代わりに二人の霊能インストラクターが入ってきた。
 また私には辛い時間がやってきた。地獄のビデオを延々と見せられた。ただ、今回は短い時間だが、光り輝く霊界の映像も見せてもらえた。心霊会の信仰を貫けば、死後、そんな輝かしい世界に行けるというのだ。そして、反省。退転することがどれほど罪深いものかを聞かされ、その感想を述べさせられた。睡眠を取ることを許されなかった。先ほどはわずかしか眠らせてもらえなかったので、非常に辛かった。食事も軽く取っただけで、水以外は何も口に入れさせてはもらえなかった。インストラクターは交替で食事や休養を取っているのに。
 私はトイレに行かせてもらい、用を足してから、トイレの便座に腰を下ろしたまま眠った。ちょっと恥ずかしい格好だが、そんなことを気にしてはいられなかった。たとえわずかな時間でも、眠っておきたかった。しかし、長いことトイレから戻らないと、女性インストラクターに、トイレのドアをドンドン叩かれた。
 二日目は私はさらに参っていた。真っ赤な部屋もうんざりだった。もうやりますと言って帰してもらおうかとも考えた。一言、やりますと言えばいい。しかし、霊能者には嘘は通じないという。心の底から心霊会の御守護霊様にすがる気持ちにならない限り、帰さないという。
 でも、こんな犯罪行為が許されていいものだろうか。宗教とはいえ、こんなことをすれば拉致、誘拐、監禁の犯罪行為でしかない。私がもし訴えると言ったら、どうする気なのだろう。いや、完全に妙法心霊会に帰依し、告発する気がなくなるまで、帰してくれないのではあるまいか。いつまで私の身体や精神は保(も)つのだろうか。私はもうろうとする頭で、そんなことを考えた。

新作『永遠の命』

2013-10-28 17:18:00 | 日記
 昨年書き上げた『永遠の命』という、中編小説が、文庫本として出版されることになりました。
 出版社より、出版するよう勧められていましたが、費用の負担が大変なので、ずっと保留したままになっていました。
 それが先週、このまま出版せずに埋もれるのは惜しい作品なので、費用が安い文庫本として世に出しませんか、と勧められ、決断しました。
 それでも出版費用が重荷になるので、出版条件などの交渉をしました。
 これまで『宇宙旅行』 『幻影』 『幻影2 荒原の墓標』 『ミッキ』 と4冊出版した実績を認めてくれ、最初の提示よりかなり安くしてもらえました。

 『宇宙旅行』よりは長いのですが、それ以外の作品よりはずっと短く、原稿用紙で170枚ほどなので、文庫本がちょうどいいサイズです。

 2度の校正などがあるので、本が書店に並ぶのは夏頃になると思います。本が出る時期など決まったら、お知らせします。
 単行本よりずっとお求めになりやすい価格になりますので、どうかよろしくお願いします

台風27号

2013-10-26 13:56:56 | 日記
 猛烈な台風といわれた27号が過ぎ去りました。
 26号には、東京から帰るときに近づき、帰りの高速バス、高蔵寺駅から徒歩で帰宅する途中、大雨に襲われました。
 それでも名神高速道路は不通にならず、駅から2.4kmの道のりを歩いたときも、大事にならず、安堵しました
 今回の27号は、最初は非常に強い勢力で、予想進路も日本を直撃する可能性があったので、心配しました
 特に猛烈な強さといわれた28号も来ており、2つの台風が接近すれば“藤原の効果”で、どのような動きをするか読みにくくなるとのことで、どうなるかと思いました。
 けれども最接近の昨夜から今日の未明にかけて、春日井市ではそれほどの被害はありませんでした。
 被害があった地方の方には、心よりお見舞い申し上げます。特に伊豆大島では、先の26号以後、大変だったでしょう。
 10月も下旬だというのに、台風がいくつも接近するのは、異常です。
 近年の猛暑も記録的ですし。

 原発を止めれば、火力発電に頼らざるをえず、CO₂の排出量が増えて、温暖化がますます進むという意見もあります。
 ただ、原発は万一大きな事故が起これば、大変なことになります
 私は温暖化の害と、原発事故の危惧を考慮したとしても、やはり原発廃止を訴えたいと思います。
 

怪獣虐待?

2013-10-23 20:52:26 | 日記
 台風関連のニュースを見ようと思い、テレビをつけたら、たまたま『新ウルトラマン列伝』で、『怪彗星ツイフォン』をやっていました。レッドキング、ドラコ、ギガスの3大怪獣が戦う話です。懐かしいので、つい見てしまいました。
 しかし、相変わらず科学特捜隊は、怪獣虐待ですね(笑)。
 少なくともギガスは人里離れた北アルプスで、人間には全く危害を加えていないのに、新型ミサイルで惨殺してしまいました
 レッドキングも、水爆6個を飲み込み、地中深く潜っていたので、水爆が爆発して大被害を被ることから逃れられ、ある意味人間にとっては非常にありがたい存在でした。
 それを問答無用でウルトラマンは倒してしまいました。
 まあ、レッドキングは凶暴なので、街に現れればかなりの被害を与える可能性はありますが。
 ついそんな冷めた目でウルトラマンを見てしまいました。
 そんなことをいえば、子供の夢を壊してしまうかもしれません。
 私も小学生のころは、ウルトラマンが怪獣と戦うときは胸をわくわくさせていました。
 ウルトラセブンは、ウルトラマンのような怪獣、宇宙人との戦闘シーンが少なかったので、当時はつまらないと思っていました。
 今はウルトラセブンを高く評価しています。
 懐かしかったので、そんなとりとめのない感想を書いてしまいました。
 ウルトラマンコスモスは、怪獣も地球で共に生きる仲間なので、退治するのではなく、保護をするということを前提とした物語で、優しさを感じました。
 余談ですが、レッドキングは最初に登場したとき、ウルトラマンがカラータイマーが青いうちに倒されてしまった最初の怪獣で、弱いのではないか? というイメージがあります。怪獣同士の戦いでは、非常に強いのですが。
 それ以前は「頑張れ、ウルトラマン、残された時間はあとわずかなのだ」というナレーションが入っていましたが、レッドキング戦以降、そのナレーションがなくなりました。
 レッドキングの実力はウルトラマンに登場した怪獣の中ではトップクラスだということですが。
 それはこの回に、怪獣が5頭も登場し、放送時間を圧迫したため、ウルトラマンとレッドキングの戦いが短くなってしまったためだということを、何かの本で読んだことがあります。 

『ミッキ』第30回

2013-10-22 09:34:39 | 小説
 昨日はパソコンの不調で大変でした。書きかけた新作を、一気に書き進めるつもりでしたが、データのバックアップでほぼ1日費やしてしまいました。
 特にデジカメの画像をDVDにバックアップする作業で、時間がかかりました。
 今日は『ミッキ』第30回です。
 物語もいよいよ大詰めです。


            8

 その後しばらくは何も起こらなかった。二学期の中間テストも無事に終わった。私は一時期、気持ちが落ち込み、勉強も手につかなかったが、心霊会をとりあえず休止するということで、松本さんたちと仲直りもでき、中間テストの直前で私は勉強に集中できるようになった。クラスでの席次は一学期の期末試験から一つ落としたが、それでも気分の落ち込みから立ち直り、よく頑張ったと思った。うかうかしていると宏美に追い抜かれそうだ。
 河村さんは今回も学年トップだった。松本さんもまずまずで、大学受験に自信を取り戻しつつある。
 中間テストのあと、二年生は四泊五日で修学旅行に行った。行き先は中国、四国地方だった。松本さんは、修学旅行の間、宿泊先の旅館から、毎晩携帯で電話をかけてくれた。
 慎二も二泊三日の野外学習に参加した。場所は植物園のすぐ近くの少年自然の家だ。慎二の脚は、西高森山へのハイキングができる程度には回復していた。好天に恵まれ、野外炊事やキャンプファイヤーも十分楽しんできたようだ。

  
 彩花たちが修学旅行で行った? 因島 しまなみ海道


  少年自然の家

  西高森山へのハイキングコース

 しかし、そんなある日に悲劇が起こった。授業中、事務職員が、母から電話だと私を呼びに来てくれた。事務室で電話に出ると、母は「美咲、大変なことになったよ。お父さんがね、階段から落ちて、頭を打って大怪我をしたの。緊急な手術が必要とのことで、これから手術になるよ。病院は水野整形外科、ほら、慎二が入院していた病院だよ」と言った。
 父が頭に大怪我をしたと聞いて、私は一瞬頭の中が真っ白になった。母もかなり焦っているようだった。水野整形外科病院は県知事より救急病院として認可されている。交通事故などの頭部損傷の重体患者を受け入れる設備があり、優秀な脳外科の医師もいる。
「また何かあったら、すぐ連絡するから、今日は早引きして、家に戻っていて」
 そう言って、母は電話を切った。私もすぐ病院に行くと言ったが、今は病院に来ても何もできないので、しばらく寮で待っているようにと言われた。母も入院の準備をするため、夕方には戻るとのことだった。
 最初に電話を受けた事務長はすでに事情を知っていた。事務長は「その電話は間違いなくお母さんからの電話だね」と確認してから、担任の小川先生は授業中なので、僕から事情は伝えておくから、すぐ帰宅しなさい、と指示をした。
 私は教室に戻ると、物理の授業をしている先生に断って早退した。宏美に一言、お父さんが階段から落ちて頭を打ち、重体なので、今から帰ると伝えておいた。宏美はびっくりしていた。
 まさか、これが若林さんが言っていた罰なのだろうか? 私が心霊会を辞めるなんて言い出したので、お父さんがそんなひどい目に遭ったのだろうか? お父さん、死なないで、と私は心の中で必死に叫んでいた。涙が流れ出て、止まらなかった。
 自動車部品工場をやっていたころの父は、工場が忙しくて、あまり家庭を顧みなかった。家のことはほとんど母に任せきりで、父は家族を大切にしていないように、私の目には映っていた。だから家庭より仕事を優先している父が、嫌いというほどではなかったが、いい父親だとは思えなかった。
 しかし、工場が失敗し、寮の仕事に転職してから、父は変わった。家庭を非常に大事にするようになった。もっとも、それまでだって、家族をないがしろにしていたわけではない。父は父なりに、仕事をしっかりやることにより、経済的に家族を幸福にしようと頑張っていたのだ。また、工場が多忙で、従業員たちの面倒もみなければならないので、あまり家庭には配慮ができなかったこともある。父は工場の社長として、従業員や取引相手から人望が厚かった。
 寮に帰ると、ジョンが私に飛びついた。ジョンは母が出かけ、ひとりぼっちにされたのが不安のようだった。ジョンはリードをくわえてきて、散歩に連れて行ってとせがんだ。私はいつ母から電話が来るかわからないので、今日はだめ、とジョンに言い聞かせた。しかし、ジョンには通じない。散歩に連れて行ってとねだるばかりだった。私はジョンをなだめるために、ジョンが好きなおやつを持ってきた。ジョンは喜んでおやつを食べた。それでも、全部食べ終えると、ジョンはまた散歩をねだった。私はやむなく、庭に出てジョンの相手をしてやった。庭なら、電話が鳴れば何とか聞こえる。寮の庭はあまり広くないが、庭を走り回って、ジョンと遊んだ。それでジョンも少しは気分が晴れたようだった。
 私がジョンと庭で遊んでいたら、酒井さんがやってきた。
「お父さん、大変なことになったわね」と酒井さんが声をかけた。これは信仰を退転した罰だと糾弾されるかと思ったが、さすがにそんなひどいことは言わなかった。やはり頭部を強打して危険な状態ということなので、多少は私の気持ちを酌んでくれたのだと思った。酒井さんは今日は風邪で大学を休んでいるそうだ。廊下で大きな音と父の悲鳴が聞こえたので、驚いて部屋から出てきたとのことだった。酒井さんから連絡を受けて駆けつけてきた母と、一一九番に電話をかけ、救急車を呼んだりしてくれた。その話を聞いて、私は酒井さんにお礼を言った。
 酒井さんは「少しだけならジョンを散歩に連れて行ってあげる」と言ってくれた。
「風邪は大丈夫ですか?」と尋ねると、「ずいぶん気分はよくなったので、もう大丈夫よ」と答えた。
 私はまだ昼食を食べていなかったので、酒井さんがジョンを散歩に連れて行ってくれている間に、学校から持ち帰ったお弁当を食べた。
 しばらくして、母から電話があった。手術は無事終わったが、まだ予断を許さない状態だそうだ。今夜が山だとのことである。義姉(あね)に来てもらうようにお願いしたので、慎二が学校から帰ってきたら、家で待つように伝えておいてくれ、もうしばらくしたら、いったん寮に戻る、と母が言った。慎二には、余計な心配をかけないために、小学校には連絡をしていないそうだ。
 パートさんの中でもリーダー格の山川さんが、いつもより早い時間に来てくれた。山川さんは少しジョンの相手をしてくれた。ジョンも山川さんのことをちゃんと覚えていて、山川さんには甘えている。いつも父がやっている食材の運搬などは、しばらく支社の人が代わってくれるそうだ。毎日高蔵寺寮と守山寮に食材を運ぶのも父の仕事だった。
 夕方、母が帰ってきた。伯母も一緒だった。伯母は先に病院に行き、父の容態を聞いていた。私は父の容態について尋ねた。今は集中治療室に入っており、絶対安静で、面会謝絶の状態だ。だから病院に行っても会えるわけではないとのことだ。
「どうしてそんなことになっちゃったの?」
「廊下の掃除をしに四階まで行って、階段を踏み外したみたい。もうちょっと注意して下りてくれればよかったのに」
 そう言う母の目には涙が浮かんでいた。ふだんの父はけっこう注意深いほうだ。階段を踏み外すなんて、そんなうかつな行動をすることはない。やはり私が妙法心霊会の信仰をなおざりにした罰が出たのだろうか? 酒井さんはよほどそう言いたかったに違いない。しかし、私の心情をおもんぱかってくれたのか、そんなことは言わずにいてくれた。
「ところで慎二はまだ学校から帰らないのかしら。きっとまた藤山君たちと遊んでるのね。こんなことなら、慎二にも早く帰れと学校に電話しておきゃあよかった」と母はぼやいた。
 慎二が遅い時間に帰ってきて、母にいつまで遊んでいるの、と叱られた。そして、父のことを聞かされ、慎二も驚いた。
「お父さん、死んじゃうの?」と慎二は泣き出した。それを見て、私も一緒になって涙を流した。
「大丈夫、死にやしないから。お父さんはこれまで、病気一つしたことがないほど丈夫だったんだから。絶対大丈夫」
 母も目に涙をためて、慎二に言い聞かせた。
 伯母は調理着に着替えてから、山川さんたちパートさんに、「またしばらくお世話になります」と挨拶をした。山川さんも「寮長さん、大変でしたね。こちらこそよろしくお願いします」と挨拶を返した。
 六時ごろ、宏美から電話があった。今、春日井駅で、松本さんと河村さんも一緒だから、これから寮まで行こうか? と言ってくれた。それからまもなく三人がやってきた。春日井駅からなら、電車に乗ってしまえば、ほんの五、六分で高蔵寺駅に着く。
「お父さん、大変だったね。宏美から聞いて、びっくりしたよ」と松本さんが口火を切った。
「ひょっとしてミッキ、これも心霊会を辞めた罰だなんて思ってるんじゃないかと、心配してたんだよ」
「大丈夫、そんなことで弱気にならないから」
 宏美の問いかけにそうは答えたものの、私はやはり不安だった。
 そんな話をしていたら、それまで眠っていたジョンが、松本さんたちが来たことを聞きつけ、みんなにじゃれついた。そして、また散歩をねだった。
「あらあらジョン君、また散歩のおねだりね。しばらく見ないうちに大きくなったわね。もう完全におとなの体格ね」
 河村さんがしばらくぶりに見たジョンの成長に驚いた。
「すみません、ジョンは散歩と食べることと寝ることだけが生き甲斐みたいですから。それから、水遊びも」
 食事の後片付けが終わったら、私たちは病院に行くことになっている。まだジョンを散歩に連れて行く時間があるので、散歩に行くことにした。少し早めに帰ればいい。
 三人は歩きながら父の容態を尋ねた。私は母から聞いたことを話した。
「大丈夫。今は医学も発達してるし、きっとお父さん、助かるよ。水野整形外科は、けっこう有名な病院で、医者も設備も優秀だというから。もし気休めに聞こえたら、ごめん」
「いいえ、ありがとう。私もきっと助かると信じています。松本さんにも元気づけられ、嬉しいです」
「私、ミッキに渡したいものがあるので、散歩から帰ったら渡すね。絶対お父さん、よくなるよ」と河村さんが言った。河村さん、何を渡してくれるのだろうか、と私は期待した。
 みんな、本当に父のこと、私のことを心配してくれて、とてもありがたいと思った。心霊会の守護霊より、ずっとありがたい。本当に、素晴らしい仲間だと心から感謝した。
 ジョンとの散歩から帰ると、河村さんは一枚の名刺大のお札を手渡してくれた。そのお札には、金色で〝光〟と書かれていた。
「それは、光のお御霊(みたま)といって、とてもすごい力を持った神様をお鎮めしたお札よ。私の骨折も、このお札に祈ることによって、医者もびっくりするぐらいの早さで快復したの。心霊会の守護霊なんかはインチキだけど、このお札の力は本物よ。事故の後、私はずっと身につけてたの。だから、平田信子にいくら罰で死ぬといわれても、平気だったわ。このお札をお父さんの近くに置いて、何度も光のお御霊のお力をお父さんにお与えください、と祈ればいいわ。お札を病院に置いたままでも、寮から祈れば、ちゃんと届くから。そのときは、この光という字をしっかり心に思い描いてね。そのため、お父さんに渡す前に、この字をよく見て、心の中に刻みつけておいて」
 確かに河村さんの手首の骨折は、非常に早く快復したと思った。
「こんな大事なお札をもらっちゃっていいんですか? 河村さんの分がなくなっちゃうんじゃないですか?」
「私は大丈夫。さっき言ったように、お札がなくても、ここに書かれてある、光という文字を心にしっかり描いて祈れば、それで光のお御霊に通じるから」
「へえ、彩花、そんなお札を持っていたんだ」
 松本さんがそのお札をのぞき込んだ。宏美も「私にも見せて」と要求した。
 河村さんはお札と一緒に、日本超神会という教団の『霊界の真実』というシリーズの最新作を貸してくれた。たまたま今日持っていたそうだ。日本超神会がそのお札の教団の名称だ。
 三人は母と伯母に挨拶をして、帰っていった。伯母は落ち着いたら会いましょうと言った。私たちはこのあと病院に行かなければならないので、あまりゆっくりはしていられなかった。
 寮生の食事の後片付けは、パートさんたちに頼んで、私たちは伯母の自動車で、水野整形外科病院に駆けつけた。母は運転免許証を取得していない。ジョンも一緒に行きたがったが、留守番しているように、強く言いつけた。ちょっとかわいそうな気がしたけれども、大きなジョンを病院に連れて行くわけにはいかないので、やむを得ない。
 私は河村さんからもらったお札にある〝光〟の文字を、心に焼き付けた。そして、車の中で、河村さんから教わったとおり、「光のお御霊、どうか父が助かるよう、お力をください」と祈った。
 病院では面会謝絶ではあるが、父が眠っている集中治療室への入室を、少しだけ許可してくれた。包帯だらけの父は痛々しかった。私は母に、河村さんからもらったお札のことを話し、父の枕元にそれを置いた。母も祈ると言ってくれた。
 医者は、父が助かる確率は五分五分だが、全力を尽くすと言った。階段から落ちたとき、父は強く頭を叩きつけ、頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷が生じた。水野整形外科病院は、交通事故で頭部の損傷がひどい患者も助けているので、何とか救ってほしいと思った。
 私は控え室で、〝光〟の文字をしっかりと心に描き、「光のお御霊、どうか父が助かるように、お力をください。お願いします」と心を込めて祈った。そのとき、父の姿もありありと心に描き、父が神の光で包まれるさまを思い描いた。慎二もお札に興味を示したので、一緒に祈るように言いつけた。ふだんなら馬鹿にしそうなのに、さすがに父の命がかかっているので、慎二も素直に私の指示に従った。
 その夜は、伯母と私がいったん寮に帰り、ジョンの世話をしてから、また病院に戻った。ジョンは父の異変を感じたのか、おとなしくしていた。犬でも、みんなの様子がおかしいということを敏感に察しているのかもしれない。
 結局その夜は病院に一泊した。私は起きている間は、ずっと光のお御霊に祈っていた。私たちは早朝、寮生の食事の準備のため、いったん寮に帰った。私と慎二は、今日一日学校を休むことにした。
 部屋に戻ったら、ジョンが勢いよく飛びついてきた。一晩ひとりぼっちにされたのは初めてなので、よほど寂しかったのだろう。いくら身体が大きくなったとはいえ、ジョンはまだ子供なのだ。
 私は松本さんが高蔵寺駅に着いたころを見計らって、松本さんの携帯電話に電話をかけて、今日学校を休むことを連絡した。
「お父さん、どう?」と松本さんは訊いた。
「助かる可能性は五分五分だそうです」と医者から告げられたことをそのまま伝えた。
「そう。でも、彩花のお札もあることだし、絶対によくなるよ。ミッキと別れてから、彩花もずっと神に祈ると言っていたから。俺も祈っているよ」
「本当にいろいろありがとうございます。河村さんや宏美によろしく伝えておいてください。宏美から担任の小川先生に、今日欠席することを伝えてもらえるよう、言っておいてくれませんか?」
「わかった。なに泣いてるんだよ。しっかりしろよ。俺たち、何も役に立てないかもしれないけど、でもできる限りのことはするからな。じゃあ、電車が来たから。何かあったら、また連絡してくれ」
 電話の向こうで、電車がホームに滑り込む音が聞こえた。松本さんと話しているうちに、つい涙声になってしまったので、泣いていることがわかってしまった。
 朝食の準備が終わってから、私たちは病院に行った。配達された食材の受け入れ等は山川さんが引き受けてくれた。ジョンを一時期自宅に連れ帰り、世話をしてくれるという。山川さんの自宅にはジョンの両親ときょうだいが何頭もいるので、扱いには慣れている。ジョンはうちに来てから、初めて里帰りをすることになる。夕食のレシピはすでに寮のパソコンに送られたものを印刷して、渡してある。父が丁寧に教えたので、母はずいぶんパソコンの扱いに精通してきた。
 病院ではじりじりする思いで、時間を過ごした。医者もまだ予断を許さない状態だと言った。私は真剣に光のお御霊に祈った。また、河村さんから借りた本を読んだ。本には祈り方が詳しく書かれていた。その本を読んで、日本超神会こそ本物だと思えた。心霊会の守護霊のことは、全く心にも浮かばなかった。
 午後三時ごろ、母と伯母は夕食の準備のため、寮に戻っていった。私と慎二は、病院の食堂か近くの店で好きなものを食べなさいといって、夕食代とおやつ代をもらった。そして、何か変化があれば、すぐに電話して、と言い残した。
 母と伯母が出かけてしばらくしてから、担当医から父は助かりそうだという連絡があった。昨夜は絶望感を与えないために、五分五分と言ったが、実は助かる可能性は小さかったそうだ。それが、もう危険な状態を脱したということだ。父の生命力は非常に強いと、医者も驚いていた。これはきっと、河村さんにもらったお札の力だと、私は確信した。
 私はすぐに病院の公衆電話で、寮に電話をかけた。母は調理の仕事をしているのだろう、なかなか電話に出なかった。先生から聞いたことを伝えると、母は大喜びだった。父の姉である伯母も喜んでいた。二人がはしゃぐさまを想像し、私も嬉しくて、涙が出た。
 私は河村さんの携帯に電話をし、父が助かりそうだということ、河村さんからもらったお札のおかげだということを報告した。五分五分と言われたが、実際は助かる可能性のほうがずっと小さかったらしいこと、医者が父の生命力に驚いていたことも伝えた。医者は生命力と表現したが、私はお札の力だと信じている。河村さんも泣きながら、父が助かったことを自分のことのように喜んでくれた。河村さんは、父親が亡くなる悲しみを、私に味わわせたくなかった、と言った。ただ医者は、いのち生命は助かっても、後遺症を心配していた。河村さんは、それも光のお御霊に祈れば、絶対大丈夫だと請け合ってくれた。
 河村さんは歴史研究会の部室にいて、部員のみんなにも私の父が助かりそうだということを伝えた。文化祭が近いので、その準備でみんなは部室に集まっている。松本さんが代わって、「よかったな、ミッキ」と言ってくれた。
 その日の夜、母と伯母が車で迎えに来てくれて、私と慎二も寮に戻った。母は病院の先生に、父のことのお礼を言い、ひとまず戻る旨を告げた。担当の医師も、何かあれば、すぐ連絡するが、生命のほうはもう大丈夫だと太鼓判を押してくれた。帰る前に、私たちは集中治療室の父に会いに行った。父はよく眠っていた。私は父の枕元にあるお札に対して、 「光のお御霊、ありがとうございました。どうか、父をよろしくお願いします」と挨拶をした。
 寮に戻ると、ジョンはいなかった。今はジョンが生まれた山川さんの家に行っている。明日ジョンを連れてきてくれる。久しぶりに両親やきょうだいに会い、ジョンは大はしゃぎしていたそうだ。
「猫は一ヶ月も離れていれば、親きょうだいのことをすっかり忘れてしまうというけれど、犬はちゃんと覚えているものですよ。やはり単独で行動する猫と、集団で生活する犬との違いでしょうね」と山川さんが教えてくれた。
 私の顔を見た波多野さんが、小声で「お父さん、大変だったね。でも、よかったんでしょう?」と声をかけてくれた。私は庭に出て、鈴木さんたちが近くにいないことを確認してから、河村さんからもらった日本超神会のお札のことを話した。
「ああ、超神会ね。私も本を読んで知ってるよ。そうなの。私も心霊会辞めて、超神会に入ろかな。そんなすごい力があるんなら、心霊会の罰が当たるなんていわれても、怖くないから。超神会は心霊会と違って、布教の義務も、ご供養の強制もないそうだし。心霊会よりはずっと小さな教団だけど、私も本物だと思っているよ。私にもその河村さんという人に会わせてくれない? 超神会の話を聞きたいから。ときどき寮に遊びに来てる、赤いメガネをかけた子でしょう」
 河村さんは今は赤いフレームのメガネではなく、私と同じようなメタルフレームのメガネだが。
 波多野さんは『霊界の真実』のシリーズを何冊も持っているそうだ。鈴木さんたちに見つかるとまずいので、本は隠してあるという。私は河村さんもタトゥーに興味を持っていることを話した。波多野さんは「美咲ちゃんが前に言ってたタトゥーに興味がある子って、その子のことなのね」と言った。私はちょっと余計なことまでしゃべりすぎたかな、と反省をした。
「でも、このまま鈴木さんや若林さんがおめおめ引き下がると思えないから、注意したほうがいいよ。私ももし何か情報を聞いたら、教えてあげるね。でも、最近、私が美咲ちゃんにいろいろよからぬことを吹き込んでいると警戒されているみたいで、なかなか私には話してくれないのよ」
「はい。十分注意します。前も無理やり車に押し込められて、若林さんの家に連れて行かれたことがありますから」
「みたいね。私は知らなかったけど、そのことも例の三人組が若林さんやノブちゃんたちと計画していたみたい。ひょっとしたら、また何か企んでいるかもしれないわ。ただ、最近、愛美はあまり元気ないようだけど」
 波多野さんは私のことを心配してくれた。また、三人組の中でも、最も活発な酒井愛美さんが、このところ少し落ち込んでいることも気にかけていた。
 翌日から私と慎二は学校に出た。父はまだ予断を許さないとはいえ、危機的な状態は脱出した。もし何か変化があればすぐ母が学校に連絡してくれることになっていた。
 放課時間にトイレに行こうとしたら、平田さんに呼び止められた。
「お父さんが大怪我したんだって? それは鮎川さんが心霊会の信仰を退転したからよ。若林のおばさんが言ったとおりでしょう? もう一度考え直してみない?」
 平田さんは私に迫った。
「いいえ、私、もっと素晴らしい御守護神様に出会えたんだから、今さら心霊会に戻る気はないわ」
「え? 何、それ? なんか変なものに手を出したの?」
「光のお御霊、というすごい御守護神よ。父も危なかったのが、光のお御霊に祈ったら、奇跡が起こったのよ。平田さんも心霊会なんか辞めちゃって、超神会をやったほうがいいよ」
 私はわざと挑発するような言い方をした。
「え? 光の何? ちょうしん会? そんな訳のわからないものをやってるの? 知らないわよ。罰が当たっても」
「大丈夫。そんな罰なんか、跳ね返しちゃうから、平気よ」
 そこまで言い切ると、平田さんは「今に何かよくないことが起こるわよ。お父さん、死んじゃっても知らないよ」と言い残して、去っていった。