売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

第9交響曲

2012-11-30 16:13:10 | 小説
 もう年末も近いので、久しぶりにベートーヴェンの第9を聴きました。ベルナルト・ハイティンク指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏です。

 第9の第4楽章を聴くと、年末というより、エヴァンゲリオンの最後のシ者(使徒)、渚カヲルと碇シンジの戦いを思い出してしまいます。最近、劇場版の『序』と『破』をテレビで放映していたので、見ていました。以前にも放映していたので、見るのは2度目です。今、『Q』を上映していますね。

 私にとって第9といえば、ベートーヴェンだけでなく、ブルックナー、マーラーの第9も好きで、よく聴きます。第9交響曲には大傑作が揃っています。ドヴォルザークの『新世界より』も9番ですし、シューベルトの第8番ハ長調(『ザ・グレート』とも)もかつては第9番と呼ばれていました。

 マーラーは過去の大作曲家が、交響曲第9番を作曲した後死んでいる(ブルックナーは未完に終わりました)ので、自分も第9番を作曲したら死ぬのではないか、という恐怖にとらえられ、9番目に当たる交響曲『大地の歌』には、あえて第9番という番号を与えなかった、という説もありますが。

 『幻影』第32章を掲載します。いよいよ犯人逮捕か……?



          32

 三浦と鳥居は、足立商事の田中真佐美に協力を求めた。真佐美は「それで千の仇が取れるんなら、喜んでやります」と、部屋の掃除を装って、五藤の頭髪を何本も収集してくれた。
 その毛髪を神宮署で保管されているものと照合すると、同一人物の毛髪と推定できると鑑定された。
 神宮署の刑事二人と鳥居、三浦は早朝、名古屋市中区橘にある五藤の家を訪れた。
 そろそろ出勤しよう、という五藤に、「神宮署の者ですが、ちょっと署まで来ていただけませんでしょうか」と任意同行を求めた。
「何だね、君たちは。私はこれから会社に行かなきゃならないんだ。つまらん冗談はやめてくれ」
 五藤は神宮署という言葉に不安をかき立てられながらも、精一杯虚勢を張った。
「事件の参考に、ちょっとお伺いしたいことがありましてね。なに、お手間はとらせません。正直にお話を聞かせていただければ、すぐ済むことですよ」
 神宮署の刑事は強引に五藤の右手を引いた。
「あなた、これはどういうことですの?」
 状況を見守っていた五藤の細君が、不安げに言った。
「いや、たいしたことではない。すぐ済むので、ちょっと行ってくる。社のほうには、所用で少し遅れる、と連絡しておいてくれ」
 神宮署の取調室では、警部の浅川が取り調べに当たった。他に神宮署の刑事が一人と鳥居、三浦が同席した。刑事四人に取り囲まれた物々しい雰囲気に、五藤は圧倒された。
「朝早くからわざわざこんなむさ苦しいところに足を運んでいただき、どうも申し訳ありません」
 浅川は丁重に詫びた。四人の刑事に囲まれ、自白を強要されたと言わせるような雰囲気を和らげるためにも、浅川は穏やかに話しかけた。
「そうですよ。会社に行かなければならないというのに、迷惑です。いくら警察でも、ことによってはただでは済まされませんよ」
 五藤はいかにも迷惑そうな顔をした。
「私たちの捜査に協力していただければ、すぐに済みますよ」
「で、何を話せばいいのですか? 私は忙しいので、早く帰していただきたいですね」
「では、お訊きします。あなたは一月二四日の夜、一〇時から一二時の間、どこにいましたか?」
 浅川は相手によっては、取り留めのない世間話などから尋問に入っていくこともあるが、このときはずばりと本題に入った。気持ちが急いている相手なので、世間話などで気分を和らげるような手法は、大して効き目がないと判断した。
「それって、アリバイですか?」
「軽い気持ちでお答えください。まだほんの一ヶ月ほど前のことです」
「昼間なら会社の用事などで、メモもつけてありますが、夜ですとね。その頃は新年会もなかったし。家で寝ているしかないですね」
「知人から電話があった、など、具体的に在宅が確認できるような事実があったか、ぜひ思い出していただきたいのです」
「そこまでは思い出せないですな。それに、携帯にかかってきた場合は、自宅でなくても受け取れるんで、在宅の証拠にはならんでしょう。最近は固定電話より、携帯にかかってくるほうが多いですから」
「携帯も、ある意味不便ですね。アリバイの証明に限っては。まあ、冗談はさておき、どうですか? じっくり思い出してもらえませんか」
「その日は家で寝ていましたよ。家族が証人ですが、家族の証拠能力は認められんのでしょう? よく推理ものに書いてありますが」
 五藤という男、見かけによらず、なかなかしたたかだと三浦は感じた。さっきまでおどおどしていた五藤だが、意外と落ち着いている。これはなかなかの役者かもしれない。
「まあ、ご家族の証言でも、ないよりはましでしょう。アリバイのことはさておき、あなたは繁藤安志、という人をご存じですか?」
 浅川はアリバイから繁藤のことに話を切り替えた。
「しげとう? いいえ、知りません。誰ですか? その人は」
 尋ねられることを予想して、備えを固めてあるとはいえ、こうまでポーカーフェイスを貫けるとは、予想以上に手強いな、と三浦は思った。
「熱田区一番町に住んでいる人ですが。ハイム白鳥、ってご存じないですか?」
「何で私がそんなことを知ってると思われるんですか? 一番町なら知ってますが、そんなマンションは知りません」
「ハイム白鳥がマンションだと、よくご存じですね。小さなアパートかもしれないのに」
 浅川はちょっとした相手の言辞を突いた。
「そりゃあ、ハイム白鳥、といったら、いかにもマンションらしい名前じゃないですか」
 こんなことは失言でも何でもない、落ち着け、落ち着け、焦ったら相手の思う壺だ、と五藤は自分に言い聞かせた。
「まあ、いいでしょう。ところで、本当にこのマンションを知らないのですか?」
「いい加減にしてください。私が知ってるわけないじゃないですか。いったい何ですか? わけのわからないアリバイを訊かれたり、知りもしない男のマンションを知らないか、とか。私は忙しいんだ。こんな馬鹿なことには付き合っていられませんよ。いくら警察だからって、私にも忍耐に限度がありますよ」
 さすがの五藤も少しいらだってきた。いや、これも芝居かもしれない。たとえ無実でも、こうまで言われれば、いらだつのが当たり前だと思わせるための。
「それは申し訳ありません。しかし、ハイム白鳥をご存じない、というのはおかしいですね。さっき言った繁藤さんの部屋、ハイム白鳥三〇二号室から、あなたの髪の毛が出てきたんですがね。行ったことがない部屋から、なぜあなたの髪の毛が出てきたんでしょうかね? たまたま抜け落ちた髪が風で飛ばされて、繁藤さんの部屋の窓から入り込んだとでもいうんでしょうか?」
 五藤はぐっと詰まった。しかし「なぜそれが私の髪の毛だとわかったのですか? 私はあなた方警察に毛髪を提供した覚えはないですが」と空しい抵抗を試みた。
「あなたの会社で、部屋を清掃した人から提供してもらったのですよ」
「そんな勝手なことを。それに、なぜそれが私のものだと確定できるのですか? 誰か会社の他の者の髪かもしれないじゃないですか。来客のものかもしれないし」
 五藤は最後の抵抗を試みた。
「それでは、そのテーブルに落ちている毛髪、それを鑑定させてもらいましょうか。それなら、間違いなくあなたのものですね」
 浅川は勝ち誇ったように、五藤の目の前のテーブルに落ちている毛髪を指さした。
「さあ、どうですか。五藤光男。一月二四日の夜、ハイム白鳥三〇二号室の、繁藤安志のところに行ったことは認めるな」
 五藤はがっくりうなだれた。そして、「はい、行きました」と認めた。
「繁藤安志の殺害を認めるんだな」
 浅川は一気に切り込んだ。
「いいえ、繁藤の部屋には行きましたが、私はやっていません。私は繁藤に恐喝され、金を持っていっただけです。繁藤は多くの人から恨まれていましたから、誰に殺されても、不思議じゃありません」
 五藤はしぶとく、殺人については否定した。
「おーみゃー、いい加減にしろ。その日、繁藤の部屋に行って、金だけ払って帰ってきて、その後、別の犯人が入り込み、繁藤をやったというんか? おみゃーが持ってった金がないのも、そいつが行き掛けの駄賃として、持ってったとでもこきやがるんか?」
 脇で話をじっと聞いていた鳥居が、たまりかねて怒鳴った。
「ほんなら、何でおみゃーは繁藤から恐喝されとったんだ?」
「実は、私は会社で、ある女を利用して、不正経理をやってまして」
「橋本千尋だな」と鳥居が確認した。
「橋本は繁藤の女で、橋本が繁藤に、私が不正経理で会社の金を横領していることをチクったんです。それで、繁藤が私を恐喝してきました」
「とーれーこと言っとってかんがや。たーけ! 殺しより、横領のほうがずっと罪が軽いんで、そっちにすり替えようとしとるんだろうが、そうはいかんぞ」
 鳥居は五藤の胸ぐらを掴まんばかりに詰め寄った。
「私は繁藤の部屋に行ったことは認めます。会社の金を横領していたことも認めます。しかし、人は殺していません。繁藤も橋本も、殺していません」
 五藤はふてぶてしく言った。
「待ってください、五藤さん。橋本さんも殺してないって、どういうことですか? 我々は今、繁藤殺しのことしか問題にしていないのに、なぜ橋本さんを殺していない、という言葉が出るんですか?」
 三浦が発した疑問で、五藤は失言に気がついた。
「そ、それは、そちらの刑事さんと二人で、前に橋本のことで私のところに来たことがあるじゃないですか。それで、つい名前が出てしまったんですよ。それに私は橋本とつるんで、不正をしてましたし」
 五藤は崖っぷちで何とか踏みとどまった。
 五藤は繁藤に恐喝されていただけで、会社での背任行為はやったが、殺しは一切関係ない、との主張を一貫して曲げなかった。
 五藤は殺人に関しては頑強に否認したが、神宮署は五藤を勾留した。
 また、令状を取り、五藤の自宅を家宅捜索した。しかし、証拠になるような物件は出てこなかった。

「五藤の野郎、思ったよりしぶといがや。締め上げたりゃあ二件とも簡単にゲロすると思っとったのによ。横領だけで終わらせるわけにはいかんがや」
 鳥居は憤懣やるかたない、というところだ。
「僕も五藤が本ボシだと思いますよ。二件とも。繁藤に関しては、あそこまで証拠が挙がっているのに、シラを切るとは思いませんでした。これだと、二年以上前の橋本千尋の件は、更に難しくなりそうですね」
「そうだな、どうせ死人に口なしで、繁藤がやったとこきやがるに決まっとる」
 二人は意外としたたかな五藤に、唇を噛んだ。

 公休日に三浦と喫茶店で待ち合わせた美奈は、五藤の取り調べの結果を聞いた。
 三浦と外で待ち合わせて会うのは、初めてだった。
「そうなんですか。でも、私は五藤が犯人だと思います。千尋さんが言っていました」
「え、千尋さんが言っていたって、どういうことですか?」
 死んだ千尋が言っているとは、どういうことか。三浦は疑問に思って訊いた。
「こんなこと言っても信じてもらえないと思って、今まで黙っていましたが、実は私、千尋さんの霊と交流しているんです。もっとも交流といっても、一方的に千尋さんが通信を送ってくるだけですけど」
「幽霊と交信ですか?」
 三浦は信じられないような顔をした。
「はい。最初に現れたのは、私が初めて繁藤に会った日の夜でした。そのときは、悲しそうな顔をして足元に浮かんでいるだけでした。でも、私は二回千尋さんに命を助けてもらいました。繁藤に首を絞められて殺されそうになったとき、助けてくれたのも千尋さんでした」
「本当ですか? 僕は絶対霊はいないと存在を否定するつもりはありませんが、すぐには信じられないですよ」
「でも、私が今こうして生きて刑事さんと話ができるのも、千尋さんのおかげなんです。その千尋さんが、私の考えは間違ってない、と言ったんです。だから、絶対に五藤が千尋さんや繁藤を殺害した犯人です」
「しかし五藤は頑強に殺人は否定していますからね。神宮署は毛髪を物証として、本人否認のまま起訴する予定です。繁藤殺害はそれでいいとして、どうしても千尋さんの事件まで踏み込むことができないんですよ」
 三浦はここまで五藤を追いつめながら、今ひとつ決め手に欠くことが悔しかった。
 そのとき、美奈の頭の中に、「私を五藤と対面させてください。美奈さんが五藤に面会してくれれば、私が五藤と対決します」と千尋の声が響いた。
「千尋さん、千尋さんですね。わかりました。私、五藤に会えるよう、頼んでみます」
 美奈が独り言を呟いたので、三浦が驚いた。
「どうしたんですか? 美奈さん」
「私を五藤に面会させていただけませんか? そうすれば、千尋さんが五藤に直接話してくれるかもしれません。繁藤のときは、私を助けてくれたんです。五藤にも何らかのメッセージを送ってくれると思います。今、千尋さんからテレパシーのようなものと思いますが、声が聞こえたんです」
 美奈は三浦に訴えた。
「それが幽霊からのメッセージなのですか?」
 三浦は驚いた。そして少し考え込んだが、「いいでしょう。とりあえず美奈さんから電話で神宮署に面会の依頼をしてみてください。美奈さんの言うことに懸けてみます」と美奈に神宮署の連絡先を教えてくれた。

 留置場で三浦と二人で面会を申し込むと、しばらく待たされた上で、許可された。面会の時間は一五分程度だという。
 美奈は面会室に通された。係官が一人立ち会っている。
 美奈を認めた五藤は、「あ、あんたか? 俺のことを警察にチクったのは。客を警察に売るとは、ひどいじゃないか」と叫んだ。
「ごめんなさい。でも、私は五藤さんに罪を償ってほしいのです。千尋さんが五藤さんに、どんな思いで殺されたのか。あんな寂しいところに二年以上も埋められて、どんな思いで過ごしていたのか。千尋さんの悲しそうな顔を見るたび、私は犯人に対して、そう思わずにはいられませんでした」
「何を馬鹿なことを言っているのかね。俺が橋本君を殺しただと? 馬鹿も休みやすみ言いたまえ」
五藤が怒鳴り出したので、係官が来て、「君、事件に関係があることを話してはいかんよ。そんなことをすれば、今すぐ出て行ってもらうよ」と美奈をたしなめた。
 そのときだった。五藤が、「うわー!」と大声をあげた。
 美奈と係官はその五藤の様子に驚いた。
「わー、く、く、来るな、来るな、こっちに来るなー! 俺がわるかった。ゆ、許してくれー。こっちに来ないでくれ、千尋!」

大須

2012-11-27 09:05:53 | 小説
 昨日、久しぶりに名古屋の大須に行きました
 大須は名古屋の電気街ですが、長引く不況の影響か、以前に比べ、電気街が縮小してしまったのが残念です

 しかし、大須は電脳街だけではなく、ファッション、オタクなどのカルチャーの街でもあります。名古屋でもっとも賑わう商店街だと思います。

 『ミッキ』では、美咲と彩花が大須の街を歩いています。
 『幻影2 荒原の墓標』に登場するS氏、G氏のモデルになった世界的に有名なタトゥーアーティストさんを始めとして、何軒ものタトゥースタジオもあり、日本でもっともタトゥースタジオが多い街といわれています。

 昨日はツクモ電機でパソコンのパーツなどを見ていました。タイの洪水の影響で、ひところ高騰していたハードディスクも値段が落ち着いてきました。メモリーが非常に安くなっています。そろそろ1台パソコンを作りたいのですが、経済的にピンチで、もう少し本が売れるまで我慢します。今ノートパソコンと、ドスパラで買った古いデスクトップが1台あるので、執筆やデジカメの画像処理には十分です。

 今回は『幻影』第31章です。まもなく大詰めを迎えます。美奈の推理がさえます。


             31

 ハイム白鳥の繁藤安志殺害事件の捜査の進展状況は、はかばかしくなかった。
 遺体発見者の麻美は、死亡推定時刻には、職場のキャバレーで勤務していたことが確認され、アリバイは成立していた。
神宮署員は近所に聞き込みを重ねたが、怪しい人物などの目撃証言は得られなかった。
 指紋も繁藤本人や麻美のもの以外は、顕著なものは検出されなかった。繁藤の携帯電話や日記、手帳の類も持ち去られていた。
 ただ最近抜け落ちた、繁藤のものでも麻美のものでもない毛髪が、部屋の中から数本採取された。
 麻美の話によれば、繁藤は結婚詐欺を働いて、何人かの女性から金を詐取したり、他人の弱点を探し出して、恐喝をしたりしていたという。
 殺される前日、麻美に大金が入る当てがあるので、どこかに遊びに行こう、と誘っていたという。おそらく恐喝で金を巻き上げようとして、逆に殺されてしまったと思われる。
 そんなにあくどいことを続けていれば、いつかこんな事態になってしまうのではないか、と麻美は恐れていた、と話していた。
 麻美は、繁藤から少し前に、全身にいれずみを彫ったソープ嬢から一千万円をだまし取るつもりだったが、それは失敗したという話を聞いていた。
 そのソープ嬢を捜し出そうとしていた矢先、県警の刑事で、篠木署の外之原峠遺体遺棄事件に従事している三浦より、そのソープ嬢とは、外之原峠の事件の情報提供者、木原美奈であり、美奈のアリバイは成立している、という報告がもたらされた。
 マスコミは麻美の話から、その件を嗅ぎつけ、「全身刺青のソープ嬢」という話題性に注目し、美奈を容疑者として、無責任な報道をしたのだった。事実としては、すでに美奈のアリバイが成立し、嫌疑はまったくなくなっていたにもかかわらず、あえて美奈のことを性と刺青の権化、現代の毒婦、などと書き立て、世間の興味を煽った。
 新聞社は信頼性を重んじるので、新聞社系の週刊誌はそのようなゴシップネタを相手にしないが、まずは話題性を作りたい二流、三流の出版社系の週刊誌が、そのネタに飛びついたのだ。
 インターネットでも、美奈の写真とともに、多くのブログなどで書き立てられた。ソープ嬢、タトゥーなどで検索すると、いくつもの書き込みにヒットした。美奈はしばらく、自宅のパソコンのインターネットを使う気になれなかった。
 おかげで美奈は大変な騒動に巻き込まれた。
 店ではミクは肩身が狭い思いをした。三浦と鳥居がミクは事件とは一切無関係だと言い切ってくれたので、店長の田川はミクを信頼し、これまでミクを快く思っていなかったコンパニオンたちも、逆にミクを励ましてくれた。何より、犯行時間帯には、ミクが店にいたことは、みんなが証人になっている。漫画のように瞬間移動でも使わない限り、ミクが犯人になれるはずがないことを、みんなが知っている。
 しかし、雑誌の記者は、店のコンパニオンが殺人事件の犯人ではまずいので、店がぐるになり、アリバイを偽証している可能性もある、と主張していた。
 生家の兄のところにも雑誌記者が押しかけた。美奈が全身にいれずみをしていることや、ソープランドに勤めていることを知り、勝政は激怒した。勝政は「親鸞聖人の弟子たる者が、入れ墨をしたり売春行為をするとは、もってのほかだ。何という恐れ多い馬鹿なことをしてくれたのだ。おまえの汚らわしい顔など見たくはない、もう二度と帰ってくるな」と美奈を罵倒した。
 それでも姉の真美は、美奈に優しく声をかけてくれた。たった一人の妹だから、見捨てるようなことは決してしない、何かあれば、いつでも連絡してほしい、と涙ながらに庇ってくれた。
 もちろん、ミドリ、ケイ、ルミは美奈のことを思いやり、心から励ました。
当然アリバイが完璧に成立しているので、騒ぎはすぐに下火になった。しかし心ないマスコミに踏みにじられた花園は、傷跡が大きかった。美奈と兄との仲が完全にこじれてしまったのだ。美奈は兄から、もう二度と生家の敷居をまたぐな、と宣告されてしまった。
 ただ、騒動はオアシスには大きな宣伝効果があり、事件後、客足がかなり増えたのだった。
 マスコミはさんざん引っかき回したあげく、最後はただ一言、全身刺青のソープ嬢には、アリバイが成立した、と断って全てを収束させてしまった。美奈にはお詫びの一言もなかった。

 神宮署の捜査本部は、繁藤にだまされた者や恐喝をされた者を捜し出し、一人一人当たっていったが、今のところ容疑を認められる者は見つからなかった。吉川麻美に尋問しても、具体的なことは何も聞いていないとのことだった。

 また、篠木署の外之原峠遺体遺棄事件も、殺害されたのが二年以上前のことであり、何の進展もなかった。捜査本部は縮小され、愛知県警の三浦と篠木署の鳥居の二人の刑事が専従捜査官として残された。
 容疑者として追っていた繁藤が殺されてしまい、捜査は振り出しに戻ってしまった。ひょっとしたら、繁藤が殺されたことにより、もう事件は終わってしまったのではないか、という無力感にも襲われた。繁藤の事件は、別の署の管轄で、三浦たちが手を出すべきことではない。少なくとも表面上は。神宮署は二つの事件は、別のものと考えて、切り離してしまっている。

 木曜日の夜、オアシスでミクを指名した佐藤。名前はたぶん偽名だろう。その佐藤は、美奈のサービスを受けて、つい「君の背中とそっくりないれずみをしている人を見たことがある」と口を滑らせてしまった。そして、繁藤に渡したはずの名刺を持っていた。
 この二つは、何を意味するのか。
 美奈とそっくりのいれずみ、というのは、おそらく千尋のことだろう。また、繁藤に渡した名刺を、どこで手に入れたのだろうか。
 それに、オアシスに来たことは、ひょっとしたら捜査状況を私から聞き出そう、という意図があったのかもしれない。
 そして千尋、繁藤の二人は殺されている。
 そう考えてみると、恐ろしい結論が導き出される。
 この結論を三浦に報告するべきか。
 しかし、もし単なる偶然でしかなく、佐藤が犯人ではなかった場合、佐藤を告発したのが美奈だということはすぐにわかってしまう。自分は何を言われようが、ただひたすら謝ればいいが、店に多大な迷惑をかけてしまうことになるかもしれない。
 オアシスは客を犯罪者にする、などという噂をばらまかれては、美奈が責任をとって店を辞めるだけでは済まないかもしれない。二年間お世話になっている店に迷惑をかけるわけにはいかない。
 オアシスは、世間的には良俗に反すると批判を浴びるようなたぐいの店かもしれない。それでも美奈は自分が働いてきた店に、愛着を感じていた。
 一緒に働いているコンパニオンの仲間や、いつもそっと見守っていてくれる玲奈、労働条件や環境のことで相談に乗ってくれる店長の田川、そして陰から美奈たちコンパニオンを支えてくれる、沢村を始めとする男性スタッフたち。なんといっても、生涯の親友である、ミドリ、ケイ、ルミと巡り会えた店である。
 美奈の軽はずみな行動のため、店に迷惑をかけたくはなかった。
 でも猪突猛進型の鳥居はともかく、三浦なら慎重に捜査を進めてくれるかもしれない。やはり三浦には美奈の着眼を話しておくべきだろうか。
 どうするべきか悩んでいると、「大丈夫です。美奈さんの考えていることは間違っていません。自信を持ってください」という声が心の中に響いた。千尋の声だった。
「千尋さんですね。千尋さんや繁藤を殺害した犯人は佐藤なんですね。私の推理したこと、間違っていないんですね」
 美奈は千尋に問いかけた。しかし返事はなかった。
 美奈は今はっきり覚醒した状態にある。覚醒した状態では、千尋がコンタクトを取るのが、難しいのだろう。さっきの一言を伝えるだけで、精一杯だったのかもしれない。
 それでも、千尋の言葉に自信を得た美奈は、今度の公休日に三浦に連絡を取り、自分の推理を話す決意をした。もう事件も解決の日が近づき、千尋さんも成仏できるのじゃないか、と思われた。
 篠木署に行く前に、美奈は卑美子のスタジオを訪れて、さくらに会った。

 美奈より、千尋と繁藤二人に接点を持つ男が現れた、との通報を受け、三浦と鳥居は色めき立った。美奈は篠木署に愛車のミラを駆った。
 鳥居はいかめしい顔つきで、取っつきにくいところがある。けれども美奈はこれまで何度も鳥居に会い、また、卑美子夫婦が鳥居に恩義を感じているという話も聞いていたので、最初に抱いたおっかない刑事さん、という印象はなくなっていた。話してみると、意外と親切で、人がいいところがある。おもしろい名古屋弁のおじさん、という一面もあった。
「話してください、美奈さん」
 すでに独立した捜査本部すらなくなっているので、取調室の一つで三浦は美奈を促した。
「この前の木曜日のことです。佐藤と名乗る五〇代ぐらいの男性が、お店に来ました」
 美奈はさっそく話し始めた。
「その人は、私の背中のいれずみとそっくりの絵を彫っている女性を見た、と言ってました」
「同じような騎龍観音のいれずみをしている女性は、何人もいるでしょうね」
 三浦は先入観にとらわれることを警戒し、わざと否定的な発言をした。美奈は三浦が意地悪ではなく、あえてそう言っていることを承知している。
「ただ、私の背中を見たときの驚きようはすごかったです」
「女性がそれだけ立派な絵を入れていれば、誰でもびっくりしますよ」
「そうですね。でも、その人は私が全身にいれずみをしていることは知っていました。というのは、例の雑誌の記事を読んでいて、いれずみの写真を見ているからです。ただ、その写真は白黒で、あまりはっきりしてなかったから、細かい図柄まではわからなかったはずです。私の背中の騎龍観音が、千尋さんとそっくりだということまでは」
 美奈はここで一区切りして、出されたお茶を一口飲んだ。
「続けて」と三浦は先を促した。
「改めて私の背中を見て、騎龍観音の絵が自分が殺害した千尋さんとうり二つだったことに、びっくりしたんじゃないか、と私は思いました。それに、私とそっくりな絵を彫っている女性を見たことがある、とも言っていました。それがその男と千尋さんがつながっている、と考えた理由です」
 美奈は「殺した」という言葉を使うことがためらわれ、感情を押し殺して、「殺害した」と言った。
「なるほど。しかしそれは状況証拠でしかないな」と今度は鳥居が見解を述べた。
「それは置いておいて、今度はその男と繁藤のことを話してください」
 三浦は次は繁藤との繋がりを尋ねた。
「はい」と返事をし、美奈はバッグから一枚の名刺を取り出した。その名刺はチャック付きのビニール袋に入れられていた。汚したり指紋をつけたりしないための、美奈なりの配慮だった。
「この名刺ですが、これは去年の夏、私が繁藤に渡したものです。ここに書き込みがありますが、これは繁藤に渡した名刺にしか書いていないので、それは間違いありません」
「なるほど。それを佐藤という男が持っていたんですね」
 三浦はビニール袋ごとその名刺を受け取った。
「名刺はどっかで拾った、と言われれば、それまでだがや。いい線いってるが、ちょっと弱いな」
 鳥居は残念そうな顔をした。
「その男の人相は、どんな感じでしたか?」と三浦が尋ねた。
 美奈はバッグから二枚のB5判の紙を取り出した。それには男の似顔絵が描いてあった。
「こっちは私が描いた絵、そして、こちらが親友の高橋さくらさんに描いてもらった絵です。私は絵が下手なので、うまく描けていませんが、さくらさんに描いてもらった絵のほうは、かなりその佐藤さんの特徴を捉えています」
 美奈は呼び慣れたルミではなく、本名であり、タトゥーアーティストとしての名前でもある「さくら」と言った。二枚の絵を見て、三浦と鳥居は、顔を見合わせた。
「おい、これはどっかで見たことある顔だがや」
「これは五藤ですよ。足立商事の」
「そうだがや。あいつだ。あいつなら、間違いなく橋本千尋と繋がりがある。なんといっても、元上司だからな。もともと俺たちも五藤には目をつけとったんだが、証拠が見つからんかったでな」
「読めてきましたよ。一億円の横領事件。罪を全て橋本さんになすりつけ、証拠隠滅のために橋本さんを殺害する。その現場を繁藤に目撃され、恐喝される。ついに恐喝に耐えられず、繁藤までをも殺害した」
「そーだがや。まさに完璧なシナリオだがや。これで二つの事件は一気に解決だぎゃ」
 鳥居は勢いづいた。興奮すると名古屋弁が強く出るようだ。
「でも、まずは証拠です。物証を探さなければ」
 三浦は慎重だった。
「そんなもんはいらん。あいつならしょっ引いてちょっと締め上げたりゃ、簡単にゲロしそうだがや」
「それはちょっと乱暴ですよ。鳥居さん」
 三浦ははやる鳥居を制した。
「あの、この前お聞きした話では、繁藤殺害現場には、繁藤のでも麻美さんのでもない毛髪が落ちていた、とのことでしたね。その毛髪が後藤さんのものなら、動かしがたい証拠になりませんか? 繁藤殺害の」
 美奈が提案した。
「おお、そうだがや。おみゃあ、なかなかいいとこに気づいたな。神宮署と合同して、まず繁藤殺しの線から攻めよまい」
「問題はどうやって五藤の毛髪を手に入れるかですね」
「そんなもん、簡単だがや。足立商事の田中真佐美に頼んだりゃあいい。部長の部屋には、いっくらでも毛髪は落ちとるぎゃ」

紅葉の山

2012-11-22 20:27:14 | 旅行
 紅葉もまもなく終わりということで、西高森山(215m)と弥勒山(437m)に行きました。西高森山は弥勒山などとは峰続きになっておらず、少し離れたところにあるので、久しぶりに登りました。西高森山の近くの築水池は、堤の工事中のためか、水が抜かれていました。

 

 本来なら、左下の部分には満々と水が湛えられています。

  

 弥勒山の頂上はドウダンツツジが赤く色づいていました。右のカットは弥勒山で、この角度からの写真はよく掲載しています。弥勒山はスギ、ヒノキ、マツなどが多く、あまり紅葉はありませんが、それでも紅葉する木もあり、山肌が少し色づいてきました。

  

 植物園から写した大谷山とモミジです。

 まもなく12月、紅葉も終わりに近づいています。今日発表された三ヶ月予報では、今度の冬は寒くなるそうです。

『幻影』第29・30章

2012-11-19 12:59:58 | 小説
 今回は『幻影』29・30章を掲載します。29章は短いので、30章とともに掲載です。29章は短いのですが、往復書簡の形を取っており、作者としては気に入っている章です。



             29

「初めてお手紙差し上げます。
 立春とは名ばかりで、まだまだ寒い日が続きますが、いかがお過ごしですか。
 あれから日間賀島の大光院、豊浜の浄土寺(じょうどじ)、影向寺(ようごうじ)と回り、無事満願を迎えました。
 篠島の写真、たくさん送っていただき、ありがとうございました。とてもきれいに写っており、非常にいい記念になりました。
 一緒に行った泰子さんや清美さんも、喜んでいましたよ。
 美奈さんのタットー、というのですか。観音様の刺青(いれずみ)、とてもきれいでした。みんなもお寺さんの仏様よりありがたいと申しておりますよ。若い方なら、こんなときは(笑)と書くのでしょうか。
 携帯電話のカメラで観音様の写真を撮らせてもらいましたが、あまりきれいに写っていないので、やはりいいカメラで写した写真、ぜひいただきたく思います。でも、裸の写真をください、だなんて、やっぱり不躾ですね。
 ところで、テレビのニュースを見て驚きました。美奈さんのフィアンセの方、本当にお気の毒です。心からご冥福を祈ります。
 でも、その後の報道を見ていると、この方は結婚詐欺や恐喝などを働いていた、悪い人だったそうですね。私も気になりましたので、いつもは読まないような週刊誌の記事も読んでみました。美奈さんはお金をだまし取られそうになったそうですね。
 こんなこと書いてしまうのは申し訳ないのですが、週刊誌の記事によると、刺青をしているソープ嬢がお金をだまし取られそうになったので、その報復として、その人を殺したのではないか、とありました。
 この記事を読んで、ああ、これは美奈さんのことをいっているのだな、と思いました。でも、美奈さんはそんなことをする方ではないとわかっておりますので、私たちも絶対に美奈さんが犯人ではないと信じておりました。週刊誌は売れさえすればいいので、あることないこと書き立てますから。私たち三人して、いい加減な記事を書く週刊誌はひどい、と憤っております。警察もはっきり美奈さんは犯人ではない、と断言していたそうですし。
 本当に失礼なことを書いてしまい、申し訳ございません。
 美奈さんの辛いお心を思うと、このようなお手紙を差し上げることは、本当に失礼なことだと思いました。最初は事件のことにはいっさい触れず、写真のお礼だけで済ますつもりでした。
 でも、篠島で一緒に過ごさせていただいた、楽しい時間を思い出すと、やはり何も言わずに済ますことはできませんでした。
 辛いこととお察しいたしますが、どうか、ご自愛くださいませ。
 乱筆乱文、お詫び申し上げます。
                                    あらあらかしこ
 平成一八年二月○日
石山和子
 木原美奈様
 追伸 泰子さん、清美さんからも、よろしくお伝えくださいとのことでございます。」

「お手紙、拝見させていただきました。
 何かとお気遣いいただき、本当にありがとうございます。
 私もその件、大変衝撃を受けました。
 繁藤にずっとだまされていたこともショックでしたし、繁藤が殺されてしまったことでも大きく打ちのめされました。
 私も容疑者としてアリバイを調べられましたが、知り合いの刑事さんが、私の潔白をはっきり証明してくれました。
 しかしマスコミというのは、ひどいものです。読者の知る権利を振りかざし、私のプライバシーは丸裸にされてしまいました。
 仮名とはいえ、容疑者は全身刺青のソープ嬢、と、どこで入手したのか、私の全裸のいれずみの写真まで添えて雑誌に掲載されてしまいました。実家のお寺にもマスコミが押しかけ、住職をしている兄に、私の悪行(?)が知られてしまい、勘当同然にされてしまいました。勘当なんていう言葉を使うと、なんだか古めかしいように思われますが。
 刑事さんやお店の人たちが私を信じて、庇ってくれたから、私も負けずに何とかやってこられました。
 繁藤、あのときは私も本名を偽って聞いていたため、安藤と紹介してしまいましたが、だまされていたとはいえ、一時は真剣に結婚を考えていた人でした。だから、しばらくは何を信じたらいいのか、わからない状態でした。
 それでも、最近、ようやく立ち直ることができました。これも仲間のみんなや、親切な二人の刑事さんの支えがあったからで、本当に感謝しています。
 多くの人たちをだましてきた繁藤には、生きて償ってほしかったのですが、これが業というのか、運命なのでしょうか。
 血なまぐさいことを書いてしまい、申し訳ありません。
 篠島でのひととき、本当に楽しゅうございました。私のいれずみに対して、あんなに好意的に受け止めてくださった方は、初めてで、とても嬉しく思いました。私の貴重な思い出の一ページとなりました。
 また、ぜひともお会いしたいですね。
 まだ寒い日が続きますので、どうか、くれぐれもお体にお気をつけください。
 泰子様、清美様にもよろしくお伝えください。
                                        かしこ
 二〇〇六年二月×日
木原美奈
 石山和子様
 私の背中の写真、同封いたしました。仲のいい友だちに写してもらいました。」

             30

「ミクちゃん、最近元気がないね」
 美奈が接客を終えて、待機室で休憩していると、アドバイザーの玲奈が声をかけてきた。
「あ、玲奈さん」
「次の指名がかかるまで、ちょっとコーヒーでも飲まない?」
 玲奈は美奈を談話室に誘った。そこは玲奈がコンパニオンの悩みを聞いたり、相談に乗るときに使っている部屋だ。
 玲奈は自販機で紙コップのコーヒーを二つ買ってきて、一つを美奈に勧めた。
「ミクちゃん、タトゥー、増えたね。賑やかになったわ」
 玲奈は仕事着から大きくはみ出している、美奈のタトゥーを見て言った。
「すみません、わがままばかり言って、どんどん増やしちゃって」
「もう三年ぐらい前になるかな、アカネちゃん、という、背中一面に和彫りの龍が入った子がいたけど」
 玲奈は古い話を持ち出した。
「はい、名前は何度も聞いてます。ルミさんがこの店に入って、しばらくしてから辞めたそうですね。ルミさんも胸に蝶のタトゥーが入っていたけど、初めてアカネさんのいれずみを見せてもらったときは、さすがのルミさんもびびった、と言ってました」
「彼女のは本職さんが彫るような、周りを黒く染めた、本格的な龍の和彫りだったな。それに比べれば、ミクちゃんのは、龍もあるけど、優しくてきれいないれずみね。ミクちゃんのいれずみには、ファンが多くて、指名してくれるお客さんもたくさんいるから、ありがたいわ。あ、もちろん、ミクちゃんの人気はいれずみだけじゃなくて、ミクちゃんの人柄のよさや努力の賜なんだけど。ミクちゃんがうちに来て、もう二年になるわね。本当によくやってくれてます。今ではうちの主力よ。何といっても、ナンバーワンだから」
「いえ、私なんて、まだまだです」
 美奈は謙遜した。
 最初は背中に騎龍観音を彫る資金を稼ぐため、ほんの腰掛けのつもりで入店したのだが、今ではミクは押しも押されぬ、オアシスではナンバーワンのコンパニオンだった。
 繁藤の事件でマスコミに報道され、美奈は仮名とはいえ、背中の騎龍観音のいれずみとともに、顔の写真も雑誌に載ってしまった。掲載された顔写真は、目線が入れられていたが、よく見れば美奈とわかってしまう。
 背中のいれずみの写真は、客を装って来た雑誌記者が、美奈が気づかないうちに、盗み撮りしたものと思われる。店のホームページにあるミクの写真も利用されていた。
 いくら報道では店やミクの名前が伏せられていても、結局漏れわかってしまうものだ。
 一時期事件に振り回されたとはいえ、騒ぎが収まれば、世間の関心が高まり、ナンバーワンだったミクの人気がより高まったという、皮肉な結果となった。店としても、この騒動で、かえって来客が増えた。事件の報道は無料の宣伝となった。
 この事件で辛い立場に追い込まれていたミクを励ましてくれたのは、これまで意地悪をしていた多くのコンパニオンたちだった。ミクにとって、それが最も嬉しいことだった。
「ところで、さっきの話だけど、最近、ミクちゃん、元気がないようだね。店長もとても心配してるわ。やっぱりミドリさんやルミちゃんのことかしら。殺人事件に巻き込まれたりもして、大変だったけど」
 玲奈はずばりと言い当てた。
「はい、わかりますか」
「二人とも、来月いっぱいで退職することになって、仲がよかったミクちゃんとしては、寂しいでしょうね。うちにとっても二人はとても貴重な人材だから、二人とも辞めちゃうのは、本当に辛いところよ」
「でも、ミドリさんは結婚、ルミさんはタトゥーアーティストとして新しい人生を歩むんだから、祝福してあげなければいけないんだけど、どうしても寂しいという気持ちのほうが強く押し出されてしまいまして」
「ミクちゃんの寂しい気持ちは、よくわかるよ。ケイさんと四人、ほんとに仲がよかったから。もうケイさんと二人だけになってしまうからね」
 玲奈は入店以来、内気でおとなしい美奈のことを気にかけ、陰からずっと見守っていた。おとなしそうな外見からはとても想像できないほど、大きなタトゥーを入れている美奈は、多くの先輩コンパニオンたちからいじめの対象になっていたことも、玲奈は承知していた。だから、美奈と気が合う様子のミドリやケイに、美奈をそれとなくかばってやるように頼んでもいた。
 玲奈の心配をよそに、ミクはどんどん成績を伸ばし、三〇人近くいるオアシスのコンパニオンの中でも、常時トップクラスに名を連ねるようになった。
 今ではミクはオアシスでは欠くことができない、貴重な戦力だ。そのミクが元気をなくしているので、玲奈としても何とか力になってやりたかった。ミドリ、ルミに続いて、ミクまで失うわけにはいかなかった。
「ルミちゃんもかなり悩んでいて、いろいろ相談受けたわ。最初は勤務の日数を週三日ぐらいに減らしても、しばらくは仕事続けます、と言っていたけど、やっぱり大変みたい。もうタトゥーに専念することにしたそうだけど」
「はい。ルミさん、卑美子先生や先輩のトヨさんのお手伝いや、その合間をぬっての絵の練習とか、思ったより大変だと言ってました。衛生面にも気をつけなければならないから、掃除や器具の滅菌などにも気を遣うとも」

 ルミ――スタジオではさくらと名乗っているが――は、兄弟子のトヨが非常に厳しく、毎日が大変だと言っている。ともすればへこたれそうになってしまう。それでも、ときおりトヨは温かい言葉で励ましてくれる。トヨが厳しくするのは、ルミのことを思いやってくれるからこそだということがよくわかるので、一人前のタトゥーアーティストになれるまで、絶対挫折しないで頑張る、とルミは三人に宣言した。
 あの人がよさそうなトヨがそんなに厳しいのかと、疑問に思わないでもないが、やはり友達として付き合うのと、兄弟弟子として接するのでは、まったく違うのだろう、とミドリ、ケイ、美奈の三人で話していた。
「ところで、女の場合は姉妹弟子とはいわないのかしら。いわないとしたら女性差別ね」とケイが変な質問をした。美奈も姉妹弟子とか姉弟子、なんて言葉は聞いたことがなかった。
 トヨは時間が空いているとき、ルミの背中を彫ってくれるので、天女の絵はどんどん進んで、もうきれいに色が入っていた。そのときは、彫り師と客の間柄に戻り、トヨも優しくルミに話しかけてくれるそうだ。
「いつも厳しくしてばかりで、ごめんなさいね。でも、さくらは本当によくやっていると思うよ。一人前のアーティストになれるまで、頑張ってね。私もまだとても一人前とはいえないから、一緒に頑張る。先生が赤ちゃん産んで、第一線から退かれたら、二人でこのスタジオを盛り上げていこうね」
 背中の天女に色を入れてもらっているとき、トヨからそう励まされ、ルミは感動して涙がぽろぽろ流れたそうだ。
 一度、ルミがトヨの予約を同じ時間に二重に受けてしまったことがあった。トヨが指定した日を、ルミが間違えて、一日早い日にちを客に伝えてしまったのだ。
 同じ日の同じ時間に、二人の客がかち合ってしまった。完全にルミのミスだった。
 けれどもそのときトヨは、一切ルミを責めることはせず、自分が十分予約の時間を確認しなかったからいけなかった、とひたすら客に謝罪した。
 たまたま卑美子が空き時間で、その客も一時間程度で彫れるワンポイントの図柄だったので、卑美子が引き受けてくれ、事なきを得た。
 その事件の後、トヨは落ち込んでいるルミに、「失敗は誰にでもあることですよ。一流ホテルや飛行機だって、オーバーブッキングすることもあるんだから、あまりくよくよしないでね、さくら。今度から気をつけてくれればいいんだから」と温かく弟弟子をたしなめた。
 そんなこともあり、ルミは四歳年上の兄弟子にとことんついて行こう、と決意した。
 トヨは実際の年齢より若く見られるが、ケイよりも一歳年上の二七歳だった。初めて会ったとき、ルミはトヨの年齢は自分と同じぐらいかな、と思っていた。あまり若く見られるのがいやで、トヨは最近は落ち着いた感じに見えるよう、常時黒縁のメガネをかけている。客の中には、あんな若い子に肌を任せて大丈夫かしら、と不安がる人もいる。トヨは若く見られることによって軽んじられるのが悔しかった。

「はい、ミクちゃん、ご指名です。佐藤様。準備お願いします」
 沢村から内線電話で連絡が入った。
「それじゃあ、ミクちゃん、勤務終わってから、久しぶりにうちに来ない? ケイさんも一緒に。いろいろ話をしましょう」
 ミクに指名が入ったので、玲奈は話をそこで打ち切った。ミクは待機室に戻り、モニターで佐藤という客を確認した。指名客だというが、記憶にない顔だった。

 ミクの客は五〇歳を超えていると思われる初老の男だった。ミクを指名したというが、初めての客だった。男は仕事用の衣装からはみ出しているミクの腕や胸の華やかなタトゥーに、目を見張った。
「あら、私のタトゥーのこと、知らずに指名したのかしら」とミクは少し不審に思った。
「こんばんは。ミクです。ご指名、ありがとうございます。精一杯尽くさせていただきますので、どうかよろしくお願いします」
 ミクは男の手を取って、部屋へ案内した。
「トイレ、大丈夫ですか?」と尋ねると、男は緊張した様子で、「それではちょっと行ってきます」と答えた。
 個室に入っても男はなかなか服を脱ごうとはしなかった。ソープランドは初めてなのかしら、とミクは思った。
 ミクが着衣を全て脱ぐと、男はミクの背中を見て、ひどく驚いた。その驚き方は尋常ではなかった。
 男は恐る恐る服を脱ぎだした。
「失礼ですが、お客様、こういうところは初めてなんですか?」とミクは尋ねた。
「いや、でももう二〇年近くは来てなかったので」
「そうですか。では、今日は思いっきりサービスさせていただきます」
 ミクは男に顔を近づけた。視力が悪いミクは、客の顔をしっかり見て覚えるため、最初に間近に近づいて、相手の顔を見る。
 いよいよ接客のサービスが始まった。
「今日はご指名くださって、ありがとうございます。佐藤様、どなたかのご紹介で私をご指名くださったのですか?」
 ミクは男の背中を洗いながら尋ねた。
「え? あ、いや、君、少し前に週刊誌なんかに出ていただろ?」
「あ、それで私のことご存じでしたのですね。いくら名前を伏せてあっても、結局はわかってしまうので、ほんと迷惑でしたわ。マスコミの暴力ですよね」
 ミクは愚痴っぽくならないように、言い方に気をつけた。
「あ、うん。全身刺青のソープ嬢が犯人か、なんていう記事があったからね。目は隠してあったけど、とてもかわいい顔だったので、つい年甲斐もなくふらふら来てしまったんだよ」
「年甲斐もなく、なんてことないですよ。いろいろな方が、毎日の仕事や生活という砂漠でお疲れになって、癒やしを求めてこのオアシスにいらっしゃいます。私はそんな方々の心に少しでも潤いを差し上げられるよう、一生懸命尽くさせていただきます」
 ミクは最後のサービスに入った。入店したばかりのころは抵抗もあり、なかなかうまくいかなかったが、それはそれで初々しい、とかえって好評だったりもした。今ではこだわりもなくなり、客のレベルに合わせた応対ができるようになった。
 男はミクのなすがままに任せていた。
「君、すごいいれずみだね。きれいだよ。本当にきれいだ」と男が話しかけた。
「ありがとうございます。最初、私の身体を見て、びっくりされていたので、ちょっと心配でした。いれずみのこと知らずに私を指名して、驚かれたのかな、と思いまして。特に、服を脱いで背中を見たとき、とても驚かれていましたから。女だてらに背中一面、全身いれずみですものね」
「いや、君の背中とそっくりないれずみをしている人を見たことあるんでね。それでびっくりしたんだよ」
「その方も女性ですか?」
「ああ、女の人だった。おとなしそうな女性だったので、びっくりしたよ」
「へえ、佐藤様、隅に置けませんね」
 そのとき、美奈はその女性とは、千尋のことだと思った。美奈とそっくりないれずみをした女性、といえば、真っ先に千尋を思い浮かべた。美奈の騎龍観音が完成してから以降、卑美子のスタジオで同じ図柄を彫った女性がいるかもしれないが、佐藤が見たいれずみの女性は、千尋に間違いないと直感した。
「ところで、君は結局犯人ではなかったんだね」
「私が犯人でしたら、今ごろここでこうして佐藤様とお話していられませんわ」とミクは微笑んだ。
「それはそうだね。ところで警察にはもう犯人の目星はついているのかい?」
「いえ、私は詳しいことは知りませんが、捜査は難航しているみたいですよ」
 ミクはあまり捜査のことをしゃべるわけにはいかないので、適当に答えておいた。
「そうか。でも、そういう人を殺すような悪いやつは、早く捕まってほしいものだな。人殺しがぬくぬく街を歩いていては、物騒でいかん」
「そうですね。その被害にあった人もうちのお客様だったから、早く犯人が捕まることを祈ってます」
 服を着終えてから、ミクは佐藤に新しい名刺を渡した。表には未来(ミク)の名前と顔写真、裏には二月、三月のミクの出勤予定日が書いてある。
「またぜひご指名くださいね」
 内線電話でフロントに、「お客様、上がります」と連絡してから、ミクは佐藤を送り出した。佐藤は軽く礼をして、気まずそうな顔をして店から出て行った。
 美奈はいったん接客に使った部屋に戻り、簡単に後片付けをした。部屋の後片付け、掃除は、本来男性従業員の仕事で、接客を終えたコンパニオンは、すぐ待機室に戻って身体を休める。
 それでも中にはしばらく個室で休憩したり、眠ったりするコンパニオンもいる。オアシスでは基本的には待機室で次の接客まで休憩することになっているが、一人になりたいからといって、フロントに断った上で、個室で待機するコンパニオンもいる。
 オアシスでは、コンパニオンによって、よく使う部屋はほぼ決まっている。一つの個室を、二、三人のコンパニオンで使用する。ときにはその個室を別のコンパニオンが使用中のこともあり、その場合は、別の部屋に回ることになるのだが。もし個室を共用しているコンパニオンが休みのときは、その部屋を独占して使うことができる。そういう場合は、待機室に戻らず、個室で過ごすコンパニオンもいる。
 美奈は個室を使用した後は、いつも簡単な後片付けは自分でしていた。それから待機室に戻る。ミドリやケイ、ルミがいれば、楽しく時間を過ごせるし、それ以外にも話をする友達が増えてきた。一人で個室にいるより、待機室にいたほうが楽しい。
 美奈は後片付けのため、個室に戻った。接待用のテーブルの下を見ると、四角い紙片が落ちていた。目を凝らすと、名刺のようだった。せっかく渡したのに、落としちゃったのかな、と思いながら、美奈は名刺を拾い上げた。
 名刺にはその月と翌月の出勤予定が記入してあり、リピーターはその日程表を見て、ミクに予約する。名刺は次の指名を得るための大切なアイテムだ。客も名刺をフロントに示して、同じコンパニオンを指名すれば、入泉料の割引を受けられる。
 名刺を見てみると、最新のものではなかった。ミクの顔写真が、昨年のものだった。
 名刺は店のパソコンで作ることができる。決められたフォーマットがあり、パソコンを使える人は、それを使って自分で作成する。顔写真の掲載は、強制ではなく、各人の自由意志に任されていた。美奈もときどき自分で名刺を作成する。パソコンが苦手なコンパニオンには、作ってあげることもよくある。
 今渡している名刺は、今年に入ってから写した写真で作り直したものだ。
 これはさっき渡したものではない。あのお客さん、古い名刺を誰かにもらったんだわ、と思いながら、裏を見てみた。
 馴染みの客には、裏に一言書き添えて渡すことがある。その名刺にも書き込みがあった。その書き込みを見て、美奈の顔はこわばった。
 それは昨年、安藤と名乗っていた繁藤に渡したものだった。その書き込みは安藤に対してしか書いていないものだった。
「また来てくださいね。お待ちしてます」と書いた後に、ウインクした顔のマンガが小さく描いてある。絵が得意なルミのようには上手に描けなかったが、安藤に渡すために、特別に描いたものだった。些細なことではあるが、安藤に対する美奈の気持ちだった。そのことは鮮明に覚えている。美奈はその事の重大さに思い当たった。
 千尋と繁藤の共通の関係者。
 その名刺は間違いなく佐藤が落としたものだ。少し前には名刺は落ちていなかったので、前の客が落としたとは思えない。いくら美奈の視力がわるくても、赤いカーペットに落ちているうす水色の名刺を見落とすはずがない。

 勤務終了後、美奈とケイは、玲奈のマンションに寄った。ルミに電話したら、もうスタジオから帰っているので、これから行く、という返事だった。
 ミドリは結婚式の打ち合わせなどで、休暇を取って郷里に帰っていた。
 玲奈はコンパニオンの相談に乗るとき、自分のマンションに招くことがある。ルミもタトゥースタジオに弟子入りする件で、少し前に玲奈のマンションで一晩話し合ったという。
 美奈も初めての出勤の日以来、玲奈のマンションを何度か訪れた。ミドリやケイ、ルミと一緒に来たこともある。
 玲奈はコンパニオンの悩みを聞き、相談に乗る、大切な役目を担っていた。店にとっても玲奈は、コンパニオンの定着率を高める役割を果たす、重要な存在だった。現役は退いていても、コンパニオンの休みが多く手薄なときは、助っ人として出仕することもある。
 年齢は三〇代後半とはいえ、玲奈にはまだ十分な魅力があった。
 ルミも合流して、三人が揃った。玲奈がフルーツ果汁入りのチューハイを出した。美奈はビールや水割りがあまり好きではない。特に苦いビールは苦手だ。甘い酒が好みだった。
「アルコールが入るから、今日はうちに泊まっていきなさい。ミクちゃんは車だし。ルミちゃんも今日は車だね」と玲奈が言った。
 ケイもルミも、ふだんは自宅のマンションへの帰りはタクシーを使っている。方向が同じなので、ミドリと三人で、よく一緒に乗り合わせる。
 勤務終了後、美奈たちといつものファミレスに寄るときは、たいてい美奈が車で他の三人を自宅まで送っていく。高蔵寺の美奈以外は、比較的オアシスに近いところに部屋を借りているので、それほど大きな寄り道ではなかった。店から一番遠い高畑に住んでいるルミでも、深夜の空いた道なら、ファミレスから数分で走ることができた。
「今日も背中の天女彫られちゃった。今日はお尻の近くにある五彩の雲に色を入れたんで、座ると少しお尻が痛い。トヨさん、時間が空いてると彫ってくれるんで、けっこう早く完成しそう」
 ルミはソファーに腰を下ろして顔をしかめた。
「今日ね、初めてマシン持たせてもらったのよ。彫ったのはゴムの板だったけど。なかなか思うようには彫れないね。でも、楽しかった。早く先生みたいにマシンを自由自在に操れるようになりたいな」
 卑美子は師匠と呼ばれるのがくすぐったく思えるので、師匠とは呼ばないで、と弟子たちに断っている。それで、トヨもさくらも卑美子のことを「師匠」ではなく、「先生」と呼んでいる。
 卑美子にとって、師匠と呼べるのは、一門の総帥、彫波一人だった。
 明るいルミの声を聞いて、美奈はほっとした。やはり年齢が近いルミが、美奈にとって、一番の気が置けない存在だった。
「ルミさん、明日はお店に出勤ですよね。明日は会えますね」
 明日、もう午前〇時を回っているから、正確には今日だが、金曜日は美奈も出勤日にしている。美奈は今、月、水以外の週五日出勤している。木曜日から日曜日までの四日連続の出勤は、いくら二一歳の若い美奈でも身体がきつい。しかし客が多い金土日に出勤するのは、常にナンバーワンの座を窺うミクに対する、店の要望でもあった。
「うん。最近はお店に出るの、月水金の三日だけだし、時間も早いシフトが多いから、なかなかケイさんやミクとも会えないね。勝手なことばかり言って、本当にごめんなさい。当分はお店に勤めながらやってくつもりだったのに、やっぱり両方は難しい。私だって苦渋の選択だったんです。本当にごめんね」
 感極まったのか、ルミの目から一筋、二筋と涙がこぼれ落ちた。美奈もつられて目を潤ませた。
「こら、ルミ。いや、さくら。泣くやつがあるか。私たちは、ミドリも含めて、みんなさくらのこと、応援してるんだからね。背中一面みたいにあんまり大きいのは無理だけど、バラの花の一つや二つだったら、さくらの練習台になってあげるから」
 さくらはルミの本名でもあるので、さくらと呼ばれても、まったく違和感はない。
「私もいいですよ。でも、あんまり大きくやっちゃうと、玲奈さんに叱られそう」
 玲奈はわざと怖い顔をして美奈を睨んだ。そしてアハハと笑った。
「私はもう諦めていますよ、ミクちゃんのタトゥー好きには。お客さんには好感もたれているし。でもうちに勤めている間は全身びっしりはやめてね。せめて右脚に龍を彫るぐらいにしておいて」
 美奈はさくらの練習用に、右脚を提供しようと思っていることを、玲奈に話していた。図柄は左脚の鳳凰に対し、右は龍を考えている。
「自分の身体で練習して、ある程度うまくなったらね。下手くそな絵入れちゃって、一生ミクに恨まれるのはいやだもん。へたっぴでも、彫っちゃったら、もう二度と消せないんだから。でも、練習でも他人に彫ってもいいと先生の許可が出るのは、まだ当分先よ」
 実際は練習で、もしひどいものを彫ってしまった場合は、卑美子やトヨが無料でカバーアップしてくれることにはなっている。とはいえ、人様の肌で練習をさせていただく以上、失敗しても先生が直してくれる、という甘い考えは捨てなければならない。
 美奈、ケイ、ルミの三人が揃ったので、久しぶりに会話が弾んだ。
「ミクちゃん、やっぱりルミちゃんがいると、生き生きしてるね」と玲奈が喜んだ。
「そうよね。最近のミク、さくらとミドリがもうすぐ辞めちゃう、というんで、かなり落ち込んでいるの。私がいてもだめみたい」
「いいえ、そんなことないです。ケイさんは私にとって、本当に大事な人ですから。ケイさんがいてくれるから、私はまだまだオアシスで頑張るつもりです」
「でも、四月からミクと二人だけになるのは、私だって寂しいわ。そりゃほかにも友達はいるけど、やっぱり四人は特別だったから」
「ごめんなさい。ミドリさんは寿退職だから仕方ないけど、私まで抜けちゃうことになっちゃって」
「またその話蒸し返して、さくらが泣き出すといけないので、もうその話はやめにしよう。今夜はせっかく玲奈さんが誘ってくれたんだから、楽しい夜にしようよ。今日は泊まりだから、はい、どんどん飲んで。といっても玲奈さんのお酒だけど」
 ケイは美奈とルミのコップにチューハイを注いだ。ルミが玲奈に酌をした。
「玲奈さん、いただきます。タトゥーアーティスト、さくらの前途を祝って、乾杯」
 ケイが音頭をとり、四人はコップを合わせた。
「今日はミドリさんがいなくて、ちょっと寂しいですね」
 美奈が乾杯を済ませてから、残念がった。
「ミドリもいよいよ葵さんに戻るときが近づいてきたのよ。来週からはいつもどおり出勤するから、まだしばらくは話ができるよ。ミドリの送別会のはずの高山旅行が、さくらの送別会も兼ねることになっちゃったわね」
 ケイはしんみりとした口調で言った。
 高山旅行は、春休みの混雑を避けて、三月一五日、一六日の一泊となった。店にはすでに休暇を申請してある。旅館も予約済みだ。
 白川郷や御母衣(み ぼ ろ )ダムも訪れる予定だ。当初は高山市内だけの予定が、白川郷などにも足を延ばすことにした。飛騨の方はまだ雪が残っている時季なので、最初はケイのミニバンで行く予定だったのを、雪や路面凍結による万一の事故を考慮して、高山本線のワイドビューひだで行くことになった。現地での移動はタクシーを使えばよい。
「私たち、たとえ別々の道を歩み出しても、これからもずっと親友ね。友情のマーガレットが消えない限り」とルミが言った。
「友情のマーガレットって、なあに?」と玲奈が尋ねた。
「そういえば玲奈さんにはまだ話してなかったですね。私たち、ミドリが退職しても、ずっと友情は変わらない、という誓いのために、三人、同じマーガレットのタトゥーを入れたんです。花言葉は『真実の友情』。あと、さくらの先輩のトヨさんも。ミドリは旦那さんの手前、彫れなかったけど」
 そう言いながら、ケイはパンツを下ろして、左大腿部に彫ったマーガレットのタトゥーを見せた。
「まあ、これと同じ絵を三人が入れてるの? それからトヨさん、っていう人も」
 玲奈はちょっと驚いたふうだった。
 ルミと美奈もマーガレットのタトゥーを玲奈に見せた。
 店の仕事着で隠れている部分なので、玲奈もマーガレットのタトゥーには気づかなかった。
「思い切ったことしたのね。でも、みんなで一生消せないタトゥーを入れて、友情の証とするなんて、とってもすてきよ。普通じゃとてもできないわ」
 友情の証にタトゥーを入れてしまうなどという発想には、とてもついて行けない、と呆れながらも、玲奈はそれほどまでして友情を誓い合った三人に素直に感嘆した。まさしく肝胆相照らす仲、というところだ。感嘆と肝胆。玲奈は心の中でそんな駄洒落を呟いてみた。
 その夜は楽しい会話が続いた。ルミも美奈も酔って大いにはしゃいだ。美奈がこれほどはしゃぐのは珍しかった。美奈はルミやミドリがいなくなる寂しさを、酔って吹き飛ばしたかった。
 そしてお約束のごとく、美奈が最初に酔いつぶれて、眠り込んでしまった。
 翌日は昼近くまで眠っていたので、美奈は高蔵寺の自宅に帰らず、玲奈のマンションから出勤した。

雪化粧

2012-11-16 15:17:14 | 旅行
 昨日は所用で東京に行きました。新宿で用事を済ませましたが、新宿の超高層ビルは、名古屋駅前とは比較にならないですね
 名古屋駅前も、これからまた超高層ビルがいくつも建つ予定ですが。

 今日は天気がよかったので、弥勒山に登りました。3000m級の山は雪化粧で、きれいでした。残念ながら鈴鹿山系の方角は霞んでいて、はっきり見えませんでしたが。




  
 ①白山 ②中央アルプスと笠置山(左) ③中央アルプス主峰全景 ④御嶽山と乗鞍岳(左)
 ⑤大久手池に投影する大谷山 です。

 弥勒山から冠雪した山を見るのは、今秋初めてです。鈴鹿も北部の御池岳や藤原岳は白くなっていましたが、霞んでいて、写真にはきれいに写りませんでした

 弥勒山方面は、あまり豊かな紅葉があるわけではありませんが、ところどころきれいに色づいています。『ミッキ』の最後の場面(p292)、主要人物が弥勒山を登る場面がありますが、ちょうど今頃の時季を想定しています。

 いつもたくさんのカエルがいる麓の大きな水たまりには、今日は1匹もいませんでした。寒くなったので、もう冬眠でしょうか。先週は数は少なくなっていましたが、まだカエルはいました。