売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

秋の気配

2013-08-29 21:37:03 | 日記
 今日は久しぶりに弥勒山に登りました。
 気温は30℃を超えていましたが、爽やかな日でした
 風があったせいか、歩いていてもあまり暑く感じませんでした
 セミの声も小さくなり、ツクツクボウシが鳴いています。
 暑かった今年の夏ですが、そろそろ秋の気配が感じられます。
 ちょうど1年前にも、このブログで同じようなことを書きました。
 8月もあとわずか、そろそろ秋の気配も漂ってきます。
 明日は蒸し暑いという予想です。
 明後日以降は台風の影響が出そうです。
 9月の残暑は厳しくなるのでしょうか。

ヤモリ?

2013-08-28 22:34:09 | 日記
 先ほど部屋の壁を黒い影が横切りました。
 一瞬、ゴキブリ!!と思いましたが、トカゲのような形です。
 ヤモリのようです。
 珍しいから写そうと思い、デジカメを取りに行っている隙に、いなくなりました。
 ヤモリを外では見たことがありますが、部屋の中に入ってきたのは初めてです。
 もう10年以上前になりますが、部屋に大きなムカデが入り込み、危うく噛まれそうになりました
 このときは捕まえ、かわいそうでしたが、処刑しました。
 ムカデに噛まれると激痛があるといいます。処刑はやむなしか……


『ミッキ』第22回

2013-08-27 10:55:29 | 小説
 昨日、一昨日と涼しい夜で、気持ちよく眠れました
 今日は久しぶりの晴天で、布団干しと洗濯です。

 今回は『ミッキ』第22回です。



            

 八月も下旬となり、夏休みもあと一週間を残すのみとなった。今年の夏休みは、慎二の交通事故で、家族で旅行には行けなかった。父が会社の車を借りて、私とジョンを連れ、日帰りで近いところをドライブしたことはあったが。海や山中のきれいな川に連れて行ってもらい、ジョンは水遊びを満喫した。
 歴史研究会は、八月上旬、小林先生に率いられて、奈良県の桜井市、橿原(かしはら)市、明日香村方面に古墳の見学に行った。奈良市に一泊して、翌日は市内を見物した。宿泊費が安いユースホステルを利用した。
 本来なら夏の研修旅行は、そのときの研究のテーマに沿ったところに行くことが多い。しかし新しいテーマは松本さんの意見が通って、中国の魏呉蜀(ぎごしよく)の三国時代の研究となった。河村さん、芳村さん、私が賛成したので、松本さんのかねてからの希望が通ったのだった。しかしさすがに中国には行けない。新しい研究テーマの三国時代の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に、邪馬台国(やまたいこく)のことが描かれている。それで、卑弥呼(ひみこ)の墓ではないか、といわれている箸(はし)墓(はか)古墳を始めとした、纒向(まきむく)遺跡などの古墳群を見に行こう、ということになったのである。
 だが、残念ながら、私は慎二の交通事故などで落ち着かず、今回の一泊の研修旅行には参加できなかった。私はまだユースホステルには泊まったことがない。宿泊者の交流などの行事があるそうで、一度体験してみたいと思っている。その意味でも、今回参加できなかったことは残念だった。でも、最も心残りなことは、松本さんと一緒に行けなかったことだ。
 伯母は最初の予定通り、盆休み前まで仕事を手伝って、帰っていった。
 私は伯母と楽しい一〇日間を過ごした。今は夏休みなので、伯母と一緒にいる時間を十分に取ることができた。伯母からいろいろな話を聞き、私は高校を卒業したら、就職するのではなく、教育大学に進み、先生になることを決意した。そのことを話すと、父は非常に喜んだ。学費のことは心配しなくてもいいから、先生になれるよう、頑張りなさいと父は励ましてくれた。伯母と過ごした一〇日間は、ある意味では、私に非常に大きな影響を与えたのだった。
 伯母が帰る前に、松本さんと河村さんが会いに来た。そのときは宏美も一緒だった。そして、またぜひとも名東区のマンションに遊びに行きます、と伯母に約束した。
 今は母が仕事に復帰している。調理の仕事がない昼間のみ、母は病院に行っている。寮長寮母の仕事は、昼間は全くない、というわけではないので、その間の仕事は父がやっている。掃除など、雑用もけっこう多いものだ。私もときどき掃除を手伝わされる。
 慎二はもう松葉杖で少し歩けるまで回復した。担当医が驚くほどの回復力だった。ヤジロベーにゲーム機と幾つかのソフトを買ってもらい、毎日ゲームで遊んでいる。

 八月下旬のある日の夜、河村さんが「ミッキ、わるいけど、泊めてくれない?」と突然訪ねてきた。遅い時間だったので、両親も突然の河村さんの訪問に驚いた。ただ、深刻そうな顔をしていたので、父は何か事情がありそうだと察し、河村さんを部屋に入れた。河村さんは突然夜遅い時間に訪問した非礼を詫び、「実は私、家出をしてきたんです」と打ち明けた。家出という言葉に、両親は戸惑った。
 河村さんが事情を話そうとすると、それまで寝ていたジョンが河村さんの訪問に気づき、じゃれついて散歩をねだった。身体が大きくなったジョンがしつこく河村さんにじゃれるので、先にジョンを少し散歩させることにした。
「夜遅いから、気をつけるんだよ」と母は心配そうに言った。
「大丈夫。こんな頼もしい用心棒がいるから、痴漢も近づけないわ。早めに切り上げてくるから」と私は答えた。頼もしい用心棒とは、ジョンのことだ。
 ジョンを散歩させながら、河村さんは、お母さんの〝浮気〟で、家にいるのがいやになったと話した。
「お父さんが死んで、まだ半年ちょっとしか経ってないのに、お母さん、もうほかの男の人といちゃいちゃするだなんて、許せない」
 ファザコンといえるほどのお父さんっ子だった河村さんは、最近のお母さんの様子がおかしいなと感じていた。このところ、何度か家の近くで、男の人の車から降りる母親を見かけた。それだけならまだいいが、車から降りてから、男の人が母親を抱擁したり、口づけをしたりすることがある。それで河村さんは、家に帰った母親を問い詰めた。
 最初はその男性は単なる職場の同僚で、仕事上付き合っているだけだ、仕事の関係で遅くなったので、車で家の近くまで送ってもらったのだと弁明した。河村さんは「仕事だけの関係なら、なぜ抱かれたり、キスされたりするの?」としつこく尋ねた。母親はやむを得ず、親しく付き合っていることを打ち明けた。その人は奥さんと離婚しており、再婚を視野に入れた付き合いをしているという。その男性の二人の子供は、母親が引き取ったそうだ。
「私だってまだ四四なのよ。これからずっと独身でいるわけにもいかないじゃないの」とお母さんは開き直った。
「それはそうだけど、でもまだお父さんが死んで、半年しか経っていないのよ。せめて一年ぐらいは、ほかの男の人とは仲よくしてほしくなかった。お母さん、不潔よ」
 河村さんは、そんな母親を許せなかった。泣きながら母をなじった。
「まだ子供のくせに、生意気なこと言うんじゃないの! 大人には大人の事情があるんだから」
 そう怒鳴られて、河村さんは「もうお母さんとなんか、一緒にいたくない。こんな家、出てってやる!」と、着替えなど、身の回りのものを登山用のザックに詰め、自転車で家を出た。
「最初は大井さんのところに行こうかと思ったけど、大井さんのところに行ったら、今日のむしゃくしゃした気持ちのままだと、きっとエッチなことしちゃいそうなので、ミッキのところに来たの。お母さんの手前、私もそんなことしたくないから」
 河村さんは大胆なことを言った。やはり河村さんは処女ではなかったのかな、と私は思った。
「でも私、まだバージンなのよ。大井さんにもまだ捧げてないんだから」
 私の心を読んだのか、河村さんは念を押した。
 ジョンの散歩はいつもの半分ぐらいの時間で切り上げた。もう夜の散歩は済ましているので、ジョンもおとなしく従った。
 私は知らなかったが、ジョンと散歩しているうちに、父は河村さんのお母さんに電話をかけて、事情を聞いていた。お母さんには「彩花さんのことは、うちで責任持って預かるので、心配しないでください。なに、優秀な家庭教師が来てくれたので、うちも助かりますよ」というような話をしていたらしい。
 河村さんのお母さんは、娘にひどいことを言ってしまったことを後悔した。もう少し言い方を考えればよかったと悔やんだ。娘が父親のことを忘れられずにいることは、よく承知していたはずなのに。娘の携帯に電話をかけても出ないし、メールを送っても、返信がなかった。ひょっとして動転した状態で自転車で走っていて、交通事故にでも遭ったのではないか、というような心配事ばかりが先に立った。そんな矢先に、父から電話があり、安堵したのだろう。
「くれぐれもお願いします。彩花とは、近いうちに話をして、理解を得られるように最善を尽くします。それまで、ご迷惑でしょうが、彩花を預かってください。このお礼、必ずさせていただきます」
「いえ、お礼だなんて。そんなに気になさらないでください。今、弟が交通事故で入院しているので、美咲も寂しがっているところに彩花さんが来てくれて、うちとしても彩花さんを歓迎しますよ」
 二つの家族の親同士で、このような会話が交わされ、事態はすでに了承されていた。
 寮に戻ると、母は河村さんに「彩花ちゃん、晩ご飯、もう食べた?」と尋ねた。河村さんがまだですと答えると、「晩ご飯、外食してきて、食べなかった寮生の分が残っているから、それを温めてあげる。全然手をつけてないのだから、大丈夫よ。先にお風呂に入ってきなさい」と優しく話しかけた。
 お風呂は寮生用の大浴場とは別に、管理人用の風呂があるが、管理人用の風呂は狭いので、私たちは大浴場に入った。河村さんとお風呂に入るのは初めてだ。大浴場のほうが広くて気持ちがいい。ただ、たくさんの寮生が入るから、遅い時間に入ると、お湯が少し汚れているかもしれない。上がる前には、シャワーを浴びるほうがいい。
 必要なときにしかメガネを使用しない私と違って、河村さんは常時メガネをかけているので、外したところはほとんど見たことがない。いつも髪を束ねているリボンもほどき、ロングヘアをそのまま肩に垂らした。それも初めて見た河村さんの姿だった。素顔の河村さんは、とてもきれいだと思った。メガネを外したらすごい美人だった、というのは、マンガによくありそうなパターンだけれど。
 河村さんは私より少し小柄だが、ボリュームがある魅力的な体つきだ。おへそに赤い飾りがあるピアスを着けている。私はさすがにおへそにまでピアスをしてみようという勇気はない。右の下腹には、小さな手術痕がある。中学生のとき、虫垂炎になったと教えてくれた。
「私、アキコさんのタトゥーを見て、自分の身体にも小さいのをしてみようかな、と思ってたけど、この前の杉下先生の話を聞いて、ちょっと考えちゃった。盲腸の手術の痕に赤いバラのタトゥーなんかを入れて、傷痕を隠したいな、なんて思ってたのよ」
「そうですね。一度しちゃったら、もう消せないみたいだから、よく考えたほうがいいですよ」
「そうね。作家になれればそんなに問題ないけど、もし先生になるんじゃ、やっぱりタトゥーはNGだから。アキコさんはアクセサリーのお店やってるんで、派手にタトゥーしてても、仕事の面では平気だけど。メビウスでは、アキコさんのタトゥーはお客さんに受け入れられて、トレードマークになっているもんね。この前会った木原未来さん、タトゥーが会社にばれてクビ同然で退社して、今風俗のお店に勤めてるんだって。でも、作家になろうと頑張っているんだ。家はこの近くだそうだから、一度訪ねてみようよ。公休日ならいいよ、って言ってたから」
 私が河村さんに憧れているように、河村さんはすっかり木原さんに憧れてしまったようだ。
 お風呂でふと思い出したけれども、一〇〇人近くいる寮生の中で、タトゥーを入れている女の子が、私が知っているだけでも三人いる。最近、仲よくしている寮生に誘われて、一緒に大浴場に入ったら、左の肩胛骨のあたりに、手のひらぐらいの大きさの蓮の花と、その上に梵字の図柄を入れている人を見かけた。きれいな紫色の蓮の上に、炎をあしらった黄色の宝珠があり、その宝珠の中に梵字が描いてあった。その梵字は生まれ年の護り本尊、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を表しているのだそうだ。その人はジョンをかわいがってくれ、私もよく話をする。
 もう一人は、日系ブラジル人のマリアさんという留学生で、左右の上腕部に、かなり大きく、自分の名前と同じ聖母マリアと、キリストのような絵を入れている。胸にはクルスをデザインした図柄が入っていた。たぶん、カトリックの信者なのだろう。マリアさんは色白なので、タトゥーがよく映える。おへそにきれいな飾りがついたピアスをしていた。彼女は日本語が流暢で、私も何度か話をしたことがある。祖母が日本人とのことだ。半袖になると、絵のようなものがちらちら覗いているので、この人、タトゥーをしているのだなと思っていた。お風呂に入ったとき、初めて全容を見せてもらった。ブラジルではタトゥーは普通のファッションで、男も女も、多くの人が気軽に入れているのだそうだ。彼女は大学を卒業したら、祖母の祖国日本で就職したいという。しかし、タトゥーがあると、日本で働くには大きなマイナスになるかもしれない。外資系の、タトゥーに寛容な企業に就職できればいいのだが。うちの寮には、中国人や韓国人など、外国からの留学生が何人かいる。
 三人目は、お風呂ではなく、普通に服を着ているときに見たのだった。その人がしゃがんで、背中が少しはだけたときに、腰のあたりに絵が描いてあったのが見えた。見えたのはほんの一部だったので、どんな図柄かよくわからなかったが、花のような絵だった。けっこう大きなタトゥーのようだ。
 その三人以外にも、入れている人がいるかもしれない。
 河村さんにそのことを話すと、「ふうん。この寮の寮生は大学生と専門学校の学生さんなんだよね。今は大学生でも、タトゥーを入れている人、意外と多いかもしれないね」と言った。
 私たちが身体を洗っていると、三人の寮生が入ってきた。ジョンが来た日に、「うるせー、くそばばあ」と言った人を含めた三人組だった。私が挨拶すると、鈴木さんというリーダー格の人が、「あら、美咲ちゃん、お友達? あなた、ときどき遊びに来てるわね」と言った。河村さんは「お邪魔してます。美咲さんの友達の河村彩花です」と挨拶をした。
 お風呂上がりの河村さんは、石けんの香りに加えて、微かに甘酸っぱい匂いがあり、嗅覚的にも、とても色っぽい感じがする。男性にとっては、このほのかな匂いが、異性を惹きつけるフェロモンのように思えるのだろうと私は想像した。
 お風呂に入っているうちに、母は来客用の布団に、布団乾燥機をかけていてくれた。その布団は伯母が来たときに使ったものだ。夏だから、布団乾燥機をかけると、かえって暑くて寝苦しいのだが、しばらく伯母が使っていたので、改めて乾燥機をかけたのだった。シーツはきれいにクリーニングしてある。乾燥機をかけたままでは熱いので、かけ終わった後は扇風機で冷ましていた。
 布団は私と慎二が使っている部屋に、私の布団と並べて敷いた。今慎二は入院しているので、部屋は河村さんと二人で使うことができる。
 お風呂から出て、河村さんは寮生の食堂で晩ご飯を食べた。その間、ジョンが河村さんの足下(あしもと)で寝そべっていた。河村さんもジョンのお気に入りだ。
 その夜は、遅くまで河村さんと話をしていた。
 私の部屋に入ると、河村さんは「ソフビの怪獣がいっぱいね」と驚いた。私と慎二の部屋には、怪獣の人形(?)が二〇個近く飾ってある。壁には車やオートバイ、そしてヤンキースの松井選手の大きなポスター。ゴジラというニックネームに憧れ、慎二は松井選手の大ファンだ。部屋は慎二の趣味で飾られている。女の子らしい装飾はほとんどない。わずかに私の机の横に、小さなぬいぐるみと、私が好きなアイドル歌手の写真が飾ってあるぐらいだ。
「まだジョンが小さかったころ、慎二がいちばん気に入っていたソフビの怪獣がジョンにかじられてボロボロにされてしまい、とても怒ってましたよ」と、私が笑いながら言った。
「慎二にとっては、笑い事じゃなかったようですけど。そのときは本気になってジョンに殴りかかろうとしたけど、お父さんが止めたので、事なきを得ました。その後、お父さんが、リサイクルショップで同じ怪獣のソフビを見つけてくれたから、慎二も機嫌を直しました。今では状態がいい怪獣のソフビはなかなか手に入らないそうですね」
「さすがの怪獣も、ジョン君にかかっては形無しね」と河村さんも笑った。
 それから、「ミッキはマッタク君とはどこまで進んでいるの?」と訊かれた。私は、河村さんには隠し事がしにくく、入道ヶ岳登山の打ち合わせの日、不良に絡まれたときに見せた松本さんの勇敢な行動に改めて惹かれ、河村さんたちと別れた後、唇を許し合ったことを白状してしまった。
「わぁ、ミッキもやるぅ。私も大井さんとは、Aまでなのよ。彼、意外と紳士で、無理に奪おうとはしないの。でも、ミッキと私、どっちが先にCまで行っちゃうかな。今日、もし大井さんのところに行ってたら、私、たぶん行っちゃってたと思うけど」
「実は、私も松本さんの部屋に行ったとき、もし松本さんが求めてきたら、あげちゃってもいいと思ってたんです。松本さんは何もしなかったけど。ああ、恥ずかしいわ」
「マッタク君は自分からはできないわよ。あれで、けっこうナイーヴで気が小さいから。ミッキのほうから積極的に行かないと」
「いやだ、恥ずかしい」
 もし両親にこんな会話が聞こえていたらどうしようかと思った。もちろん、二人とも小声で話していたが。女の子同士というのは、意外と大胆な話もしてしまうものだ。
 また、河村さんはお父さんのこともいろいろ話してくれた。山歩きなど、アウトドアの楽しさを教えてくれたお父さんが大好きだったという。家族で登った山の数を数え、こんな山にも登った、あそこも歩いた、などという思い出を話した。北アルプスや八ヶ岳のような高山は登ったけれども、富士山と南アルプスには一度も一緒に登れなかったのが残念だと言った。去年の夏にお父さんと一緒に中央アルプスに登ったとき、来年は南アルプスの甲斐駒、仙丈か、白峰三山に登ろうと約束していたそうだ。私も日本アルプスや八ヶ岳連峰の主要な山なら、どの辺にあるのかがわかるようになった。
 河村さんはお父さんのことを話すと、いつも目が潤む。そんなに大好きだったお父さんが亡くなって、まだ半年ちょっとしか経っていないというのに、もうほかの男性と親しくし、抱き合って口づけまでしていた母を見て、許せないと思った、と河村さんは訴えた。
「でも、そのときは頭に来て、私は家を出てきちゃったけど、夜遅かったし、お母さん、心配してるだろうな。電話やメールも無視しちゃったし。ミッキのところにいるから、心配しないで、と連絡ぐらい、しとけばよかった」
 もうすでに父が電話して、親同士で了承されている、ということを知らない河村さんは、眠る前にお母さんの携帯電話に、メールを入れた。もうお母さんは眠っているのか、返信はなかった。
「お母さんったら、娘が家出したというのに、もう安気(あんき)に寝ちゃったのかしら」
 河村さんはちょっと不満そうだった。すでに父から連絡があり、娘の安否を気遣う必要がなくなったので、安心して眠っていたのだろうか。
 河村さんといろいろなことを話していたので、私はその夜はなかなか寝付けなかった。
 ジョンは自分の板の間ではなく、私たちの部屋に来て、河村さんの近くで眠った。初めて河村さんが泊まったことが、珍しく思われたのだろう。

 次の日、早朝のジョンの散歩を済ませてから、私は河村さんに、家庭教師をしてもらった。伯母も勉強を見てくれたので、この夏休みは、けっこう学習がはかどった。伯母は国語が専門ではあるが、社会や英語も得意だった。理数系は専門外とはいえ、伯母と一緒に教科書や参考書を勉強することで、理解が進んだ。二学期は、河村さんにはとても及ばなくても、多少は成績が伸びそうだ。
 その日の夜、河村さんのお母さんが寮に来た。すでにお母さんには連絡してあることを、父から聞いて知っていたとはいえ、お母さんの姿を見て、河村さんはびっくりした。けれども、もう反発することはせず、「お母さん、心配かけて、ごめんなさい」と素直に謝った。二人だけでしばらく応接室で話をしていた。
 河村さんは今夜もう一晩泊まり、明日帰ることにした。
 お母さんは、娘の気持ちも考えずに、ほかの男の人と親しく付き合っていることを詫びたが、「彩花も私の気持ちを理解してほしい」と懇願した。
 河村さんは、自分自身ももし大井さんとの交際を、「あんな不良とは絶対に許さない」と言われ、認めてもらえなければ、家出をして大井さんのところに行ってしまおうとまで考えていたことがあったので、お母さんの気持ちは多少は理解できた。幸いお父さんは大井さんのことを、「おまえが選んだ人だから」と、反対しなかったのでよかったが。お父さんは「彩花のために生まれ変わって、真面目になります」と決意した大井さんの気概を買っていた。しかしその頃のお父さんは、見えないところでもう病魔に蝕まれていたのだった。
 河村さんは私の家で一日過ごしたので、気分も多少落ち着いていた。
 お母さんは、その男性との交際を隠すのではなく、正式に紹介し、一緒に食事でもしようと提案した。しかし、河村さんはまだこだわりは完全に消えていないので、紹介してもらうのは、お父さんの一周忌が済んでからにしてほしいと断った。
「でも、一周忌が済めば、私はもうわがままを言わない」とお母さんに約束した。
 お母さんとはそんな会話をしたそうだ。
 翌日、河村さんは父に寮の車で送ってもらい、帰っていった。自転車は車の荷室に積んだ。私とジョンも河村さんの家まで、一緒について行った。

涼しい朝

2013-08-26 19:31:29 | 日記
 今朝は涼しい朝でした。名古屋で21℃ぐらいで、久しぶりに気持ちよく眠れました
 夜中の3時ごろ、タオルケットでは寒くて目が覚め、夏用の薄い掛け布団をかぶりました。
 今年の夏は特に暑く、寝苦しい夜が続きましたが、今朝は気持ちいい朝を迎えることができました
 明日からはまた暑くなりそうです

ひめゆりの塔

2013-08-24 18:56:36 | 日記
 インターネットの無料配信で、『あゝひめゆりの塔』を見ました。
 1968年、吉永小百合さんの主演です。
 1995年の『ひめゆりの塔』は映画館で見ました。

 このような戦争の悲惨さを描く映画は、見ていていやになってしまうこともあります
 これでもか、これでもか、というほど、人が死にます。
 非戦闘員への無差別攻撃です。
 東京、大阪、名古屋など大都市への空襲も、非戦闘員の大量虐殺といえるでしょう。
 原爆投下は言うに及びません。

 日本はわるいことをしたので、原爆投下はやむを得ない、とか、天罰だという人もいますが、私としてはそんな言い方は承諾できません

 確かに戦前の日本は、帝国主義の膨張政策による侵略性があることは否定できないと思います。
 しかし、対日経済閉鎖やABCD包囲網、ハル・ノートを突きつけられるなど、日本は自衛のために、どうしても海外に進出するしかなかった、というやむを得ない事情もあったと思います。
 もちろん私としては日本の戦争責任を否定するつもりはありません。
 しかし欧米諸国も帝国主義に基づき、アジアを植民地化したという事実もあります。
 明治維新により、遅れて近代化を目指した日本としても、このままでは欧米列強の植民地にされてしまうのではないか、という不安は大きかったでしょう。
 日本の戦争は帝国主義のぶつかり合い、という意味もあり、日本だけが悪だ、という考え方には疑問を持っています。

 話が横道にずれました。
 『あゝひめゆりの塔』を見て、やりきれない気持ちになりました
 以前、沖縄に行き、ひめゆり学徒隊の生き残りの方の話を直接聞いたことがあります。
 そのときの感想を書いたら、ひめゆり平和祈念資料館の機関誌に私の文が掲載されたこともあります。
 とにかく、悲惨な戦争は2度と起こしてはならない、ということです。
 中国や韓国では、日本は右傾化し、戦争準備をしている、などということを言う人もいるようですが、日本には戦争を望んでいる人はほとんどいない、ということを知ってもらいたいと思います。
 憲法改定(あえて改正という言葉は使いません)に関しては、私はかつては護憲の立場でしたが、今は少し考えるべきかと思います。
 自衛隊は実質的には“軍隊”です。いつまでもそれを認めないわけにはいきません。
 自衛隊を軍隊と認めた上で、2度と悲惨な戦争を起こさない、という決意を憲法に表記すべきではないか、と考えています。