16回にわたって掲載してきた『地球最後の男――永遠の命』は今回がいよいよ最終回です。長いことおつきあいくださり、ありがとうございました。
『地球最後の男――永遠の命』は出版社との契約が切れ、絶版となっているので、もう書店などでは手に入りにくくなっています。もしご希望があれば、著者より直接お届けいたします。 dragon_bejihta@msn.com までご連絡ください。
『宇宙旅行』 『幻影』
『幻影2 荒原の墓標』 『ミッキ』
も在庫があります。
それからどれだけの年月が流れたであろうか。億という年が過ぎ去ったことだろう。田上にはもう時間の観念がなくなっていた。地球の自転が遅くなり、一日の時間が長くなっても、田上には関心がなかった。何十万年、何百万年という単位で地形が変化していった。今まで海だったところが少しずつ隆起し、陸地になり、やがて山になった。山が浸食されて、高原となった。地上にいてはわからないが、宇宙から見れば、プレート・テクトニクスに基づく大陸移動で、大陸の形はずいぶん変わっているだろう、と田上は考えた。ひょっとしたらユーラシアやアメリカなどの大陸が合体し、古生代のパンゲアのような、超大陸になっているのかもしれない。地形が変化するにつれて、気候が変わっていった。
小さな小惑星や彗星が地球に激突したこともあった。核戦争の引き金となった小惑星のかけらが衝突したときとは、比べものにならないほどの甚大な被害を、地球にもたらした。その結果、多くの種の生物が絶滅した。しかしそれはまた新たな種の進化を促した。月はずいぶん遠ざかり、見た目も小さくなった。
太陽系の近くで超新星爆発が起こった。小さな太陽のように明るく輝く星が出現した。大量のガンマ線が地球に降り注ぎ、ほとんどの生物が死滅した。田上の身体の細胞も、強烈な放射線により破壊された。細胞が癌化するというような、生やさしいものではなかった。しかし細胞が崩壊しても、どんどん再生を繰り返し、死ぬことはなかった。目に見えない細菌などを除けば、地球に生き残っている生命は、田上だけだろう。
気温がわずかずつだが、上昇してきているようだ。北半球にいる場合は、夏は北の地や標高が高いところに移動し、冬は逆に南に移動した。そして田上は過ごしやすい場所を選んだ。けれども、最近は北に行っても夏は暑くなった。そう思いながら長い年月を過ごした。あるとき、ふと太陽が明るくなっているような気がした。
「そういえば、太陽の寿命も永遠ではない。何十億年もすれば、燃料となる水素を使い果たし、徐々に膨張し、やがては地球を呑み込んでしまうという。もう太陽も老年期に入ったのか?」
そう気付くと、田上は青くなった。この地球がやがては焦熱地獄と化してしまうのだ。生きながら地獄の業火に焼かれなければならないのか?
田上はひょっとしてこの地球のどこかに、戦火を逃れて、宇宙に脱出できるロケットが残っているかもしれないと考えた。大アジア帝国やロシア、欧米諸国は人間を宇宙に打ち上げるロケットを建造していた。しかし人類が滅亡し、もう何億年にもなる。そんな昔のロケットが動くはずがない。自分は時間に関する感覚が麻痺してしまっているのだな、と田上は自嘲した。
それに宇宙に脱出してどうなるというのだ? 有人ロケットで恒星間宇宙を移動する技術は、人類が生きている間に開発できなかった。たとえロケットで宇宙に出ても、いつかは太陽の重力に捕まり、呑み込まれるのが落ちだ。それとも太陽系の重力を振り切り、宇宙空間を永遠に漂うのか。田上は地球を脱出することを諦めた。そして宇宙人が地球を訪れて、別の住みやすい惑星に連れていってくれないかと、盛んに祈った。
でも太陽の熱で身体が蒸発してしまえば、今度こそ俺も死ねるかもしれない。溶岩の熱では身体がどんどん再生してしまったが、太陽の熱は溶岩とはわけが違うのだ。少し熱い思いをしなければならないだろうが。
太陽は非常にゆっくりと膨張していった。少しずつ暑くなってきたが、まだ田上は何百万年もの期間、普通に過ごすことができた。気候は変動し、大雨や嵐が多くなっていった。
かつてM31、アンドロメダ座の大銀河と呼ばれていた銀河が銀河系に接近し、夜空は壮大な光景となっていた。そして二つの銀河は合体した。銀河同士の合体は、特に地球に影響を与えなかったが、大量の星が誕生し、夜空を華麗なイルミネーションで飾った。
太陽は地上から見て、何倍もの大きさになった。地球上のどこに行っても、暑くてたまらない。海が風呂のような温度となった。大量の水が蒸発するため、豪雨が頻繁に地面を叩きつけた。その雨は熱湯となっていた。そしてやがて海が消滅した。大気も宇宙空間に逃げ出し、呼吸するべき空気がなくなった。最初のうちは窒息するような苦しみを味わったが、それも次第に慣れてきた。田上はいつか身体が蒸発して死ねるときを熱望しながら、高温に耐えていた。
とうとう地球は太陽に呑み込まれた。地表は三〇〇〇度を超える高温となった。大地はどろどろに溶け、田上は身を焼かれた。それでも田上は死ぬことができない。身体が焼けただれても、それと同じスピードで身体は再生する。悪魔が言ったように、物質があれば、その物質を取り込んで、身体がどんどん再生するようだ。そして無限に近い苦しみを受ける。まさに大焦熱地獄だ。死ねないのならば、せめて気が狂って、熱さも感じないようになればいいのだが、精神は健全のままだった。
さらに数億年が経過し、太陽は自身の大気を吹き流して、巨大な惑星状星雲となった。光り輝く惑星状星雲は、とても美しい景観だ。しかし田上を取り巻く空間は、その美しさとは裏腹に、まさに地獄だった。
地球は膨張した太陽の熱で、蒸発してしまった。田上の身体を焼いた高温のガスは冷え、今度は絶対温度十数度という極寒の世界となった。酸素も水素もほとんど存在しない、真空ともいえる宇宙空間に、凍りついた田上は浮かんでいた。遠くに燃え尽きて、小さくなった太陽が浮かんでいた。まだ白く輝いているが、やがて徐々にその光は暗くなっていくだろう。呼吸ができず、究極の苦しみの中でも田上は生きている。それでも身を焼き焦がされるよりはいくらかましかもしれない。
田上はもうほとんど意識はなかった。しかしこれから永久にこんな状態が続くのだろうか。悪魔に愚かな願いを叶えてもらったばかりに。永遠の命とはこんな恐ろしいものだったのだろうか。まだ肉体と意識を保っていられるとは。田上は微かに残っている意識で考えた。
それから永遠とも思われるほどの時間が流れた。恒星の原料となる水素はやがて減少し、新しい星の誕生はなくなった。軽い小さな星のみ、残ったわずかな燃料を燃やして、かろうじて赤く輝いていた。宇宙の膨張が加速し、銀河系とM31が合体してできた楕円銀河とその近傍にある小銀河以外は、もう何も見えない。とはいえ、楕円銀河の中心方向の空は暗く赤い星でいっぱいだった。
田上の思考は停止していた。それでもときどき意識を取り戻し、自分とはいったい何なのだろう、と考えることもあった。
銀河中心に座する巨大ブラックホールは周りの星を呑み込んで、どんどん成長していった。そして銀河の星を次々と吸収し、さらに巨大化した。自分の意思とは関係なく、ただ慣性により宇宙空間を漂っているだけの田上には、ブラックホールを避けるすべはなかった。田上が漂流する領域も風前の灯火(ともしび)となった。
「ブラックホールに吸収されれば、さすがの不死の身体も、原子レベルにまでばらばらにされるので、生きてはいけないだろうな。それで死ねればいいのだが。今さら死を恐れることはない。魂を拘束する悪魔もいないし、地獄よりはるかに辛い経験もしてきた。今の自分から見れば、地獄も天国に思えるだろう。また、ブラックホールからワームホールを通って、別次元の宇宙にワープできるかもしれないとも聞いている。その別次元の宇宙が住みやすいところならいいのだが」
田上は未知のブラックホールにほのかな期待を抱いた。
とうとう田上はブラックホールの重力に捕らえられ、そして呑み込まれた。強力な重力により身体は引き裂かれ、そしてばらばらにされた。身体が崩壊しては再生し、そしてまた崩壊した。崩壊と再生の無限の繰り返しだった。田上はもう意識を完全に失っていた。期待していた別次元の宇宙へのワープはなかった。田上はほとんど意識がない状態で、永遠に近い時間をブラックホールで過ごさなければならなかった。
どんな物質をも吸収するブラックホールではあるが、ブラックホール自身も熱放射をしており、やがては蒸発してしまう。
一〇の一〇〇乗年――一のあとに〇を一〇〇個つける――という想像も絶するほどの長い時間の後、田上を呑み込んだブラックホールは蒸発し、最後に大爆発を起こして消滅した。ブラックホールがなくなり、田上の身体は復活した。
しかし、ついに田上自身も消滅するときが来た。陽子(ようし)の崩壊が起こったのだ。田上がブラックホールに捕らえられている間に、宇宙ではすでに陽子の崩壊が始まっていた。田上がブラックホールから解放されたころには、もう宇宙にある物質はかなり失われていた。ブラックホールへの吸収を免れた物質も、どんどん崩壊に向かい、宇宙はほとんど空っぽの暗黒空間となっていたのだ。
陽子崩壊により、田上の身体は、何十溝(こう)年から何澗(かん)年(溝は一〇の三二乗、澗は一〇の三六乗)という年月をかけて徐々に崩壊していった。物質が消滅し、さすがにもう肉体が再生することはなかった。
ようやく魂だけの存在となれた田上だったが、魂が赴く世界を訪れても、もう他の魂は一体としていなかった。あまりにも長い年月が経過したので、大霊界に存在していた他の魂はすべて浄化され、はるかに高い世界に昇華していたのであった。地獄に墜ちた罪人を責め苛む獄卒(ごくそつ)たちさえも。田上は魂となっても、無限の孤独を味わわねばならなかった。
エピローグ 邯鄲の夢
田上は目を覚ました。
「何だ、夢だったのか。しかし恐ろしい夢だった。それも、何百億年、いや、何兆年、何京年以上ものとてつもなく長い、壮大な夢。まさに〝一炊(いっすい)の夢、邯鄲(かんたん)の夢〟か。だが、夢でよかった。死なないということが、こんなに恐ろしいことだったとは。やはり、死というものは究極の救いなのかもしれん。限られた時間の中で精一杯努力して生き、そして自分の一生に満足して死んでゆく。これが一番幸せなのだ」
田上は夢であったことにほっとした。
田上は朝食をトーストとコーヒーで済ませ、洗顔や整髪など、身だしなみを整えて家を出た。田上は勤めているOA機器の商社に向かった。徒歩と路線バス、私鉄の乗車時間を合わせ、職場まで一時間以上かかる。もう少し勤務先に近いところに住みたいとは思うが、今田上が入居しているA県F市の郊外のアパートは、2DKの間取りで、けっこう家賃が安かった。スーパーマーケットや診療所なども近くにあり、住み心地は悪くないので、なかなか引っ越そうという踏ん切りがつかなかった。
田上は自宅の近くのバス停に立った。
それほど待つこともなくバスが来て、田上は乗り込んだ。乗車するのは一〇人ほどだ。サラリーマンや高校生など、顔ぶれはほぼ決まっている。田上が乗るバス停は起点の近くで、駅から遠いため、まだ席は空いている。田上は座席にかけた。昨夜はなぜか熟睡できなかったような気がして、田上は頭が重かった。だから、田上は座席に着いて、目を閉じた。
バスが私鉄の駅に近づいたころ、大きなクラクションの音や急ブレーキのショック、そして激しい轟音がした。バスの乗客は悲鳴をあげた……。
(完)
※文庫版では、最後に
「田上はこのときの衝撃で、夢のことをすべて忘れたのだった。これから自身の身に、そして全人類に降りかかる悲劇を予知した夢を。」
という2行がありますが、改訂版では削除しました。理由は、最後の2行を削除することにより、この物語は単なる“夢落ち”なのか、それとも実際に未来に起こることを予知夢として見たのかを、読者の皆様に判断していただこうと考えたからです。
もし『地球最後の男――永遠の命』をまた出版する機会があれば、次は改訂版を使用するつもりです。
『地球最後の男――永遠の命』は出版社との契約が切れ、絶版となっているので、もう書店などでは手に入りにくくなっています。もしご希望があれば、著者より直接お届けいたします。 dragon_bejihta@msn.com までご連絡ください。
『宇宙旅行』 『幻影』
『幻影2 荒原の墓標』 『ミッキ』
も在庫があります。
それからどれだけの年月が流れたであろうか。億という年が過ぎ去ったことだろう。田上にはもう時間の観念がなくなっていた。地球の自転が遅くなり、一日の時間が長くなっても、田上には関心がなかった。何十万年、何百万年という単位で地形が変化していった。今まで海だったところが少しずつ隆起し、陸地になり、やがて山になった。山が浸食されて、高原となった。地上にいてはわからないが、宇宙から見れば、プレート・テクトニクスに基づく大陸移動で、大陸の形はずいぶん変わっているだろう、と田上は考えた。ひょっとしたらユーラシアやアメリカなどの大陸が合体し、古生代のパンゲアのような、超大陸になっているのかもしれない。地形が変化するにつれて、気候が変わっていった。
小さな小惑星や彗星が地球に激突したこともあった。核戦争の引き金となった小惑星のかけらが衝突したときとは、比べものにならないほどの甚大な被害を、地球にもたらした。その結果、多くの種の生物が絶滅した。しかしそれはまた新たな種の進化を促した。月はずいぶん遠ざかり、見た目も小さくなった。
太陽系の近くで超新星爆発が起こった。小さな太陽のように明るく輝く星が出現した。大量のガンマ線が地球に降り注ぎ、ほとんどの生物が死滅した。田上の身体の細胞も、強烈な放射線により破壊された。細胞が癌化するというような、生やさしいものではなかった。しかし細胞が崩壊しても、どんどん再生を繰り返し、死ぬことはなかった。目に見えない細菌などを除けば、地球に生き残っている生命は、田上だけだろう。
気温がわずかずつだが、上昇してきているようだ。北半球にいる場合は、夏は北の地や標高が高いところに移動し、冬は逆に南に移動した。そして田上は過ごしやすい場所を選んだ。けれども、最近は北に行っても夏は暑くなった。そう思いながら長い年月を過ごした。あるとき、ふと太陽が明るくなっているような気がした。
「そういえば、太陽の寿命も永遠ではない。何十億年もすれば、燃料となる水素を使い果たし、徐々に膨張し、やがては地球を呑み込んでしまうという。もう太陽も老年期に入ったのか?」
そう気付くと、田上は青くなった。この地球がやがては焦熱地獄と化してしまうのだ。生きながら地獄の業火に焼かれなければならないのか?
田上はひょっとしてこの地球のどこかに、戦火を逃れて、宇宙に脱出できるロケットが残っているかもしれないと考えた。大アジア帝国やロシア、欧米諸国は人間を宇宙に打ち上げるロケットを建造していた。しかし人類が滅亡し、もう何億年にもなる。そんな昔のロケットが動くはずがない。自分は時間に関する感覚が麻痺してしまっているのだな、と田上は自嘲した。
それに宇宙に脱出してどうなるというのだ? 有人ロケットで恒星間宇宙を移動する技術は、人類が生きている間に開発できなかった。たとえロケットで宇宙に出ても、いつかは太陽の重力に捕まり、呑み込まれるのが落ちだ。それとも太陽系の重力を振り切り、宇宙空間を永遠に漂うのか。田上は地球を脱出することを諦めた。そして宇宙人が地球を訪れて、別の住みやすい惑星に連れていってくれないかと、盛んに祈った。
でも太陽の熱で身体が蒸発してしまえば、今度こそ俺も死ねるかもしれない。溶岩の熱では身体がどんどん再生してしまったが、太陽の熱は溶岩とはわけが違うのだ。少し熱い思いをしなければならないだろうが。
太陽は非常にゆっくりと膨張していった。少しずつ暑くなってきたが、まだ田上は何百万年もの期間、普通に過ごすことができた。気候は変動し、大雨や嵐が多くなっていった。
かつてM31、アンドロメダ座の大銀河と呼ばれていた銀河が銀河系に接近し、夜空は壮大な光景となっていた。そして二つの銀河は合体した。銀河同士の合体は、特に地球に影響を与えなかったが、大量の星が誕生し、夜空を華麗なイルミネーションで飾った。
太陽は地上から見て、何倍もの大きさになった。地球上のどこに行っても、暑くてたまらない。海が風呂のような温度となった。大量の水が蒸発するため、豪雨が頻繁に地面を叩きつけた。その雨は熱湯となっていた。そしてやがて海が消滅した。大気も宇宙空間に逃げ出し、呼吸するべき空気がなくなった。最初のうちは窒息するような苦しみを味わったが、それも次第に慣れてきた。田上はいつか身体が蒸発して死ねるときを熱望しながら、高温に耐えていた。
とうとう地球は太陽に呑み込まれた。地表は三〇〇〇度を超える高温となった。大地はどろどろに溶け、田上は身を焼かれた。それでも田上は死ぬことができない。身体が焼けただれても、それと同じスピードで身体は再生する。悪魔が言ったように、物質があれば、その物質を取り込んで、身体がどんどん再生するようだ。そして無限に近い苦しみを受ける。まさに大焦熱地獄だ。死ねないのならば、せめて気が狂って、熱さも感じないようになればいいのだが、精神は健全のままだった。
さらに数億年が経過し、太陽は自身の大気を吹き流して、巨大な惑星状星雲となった。光り輝く惑星状星雲は、とても美しい景観だ。しかし田上を取り巻く空間は、その美しさとは裏腹に、まさに地獄だった。
地球は膨張した太陽の熱で、蒸発してしまった。田上の身体を焼いた高温のガスは冷え、今度は絶対温度十数度という極寒の世界となった。酸素も水素もほとんど存在しない、真空ともいえる宇宙空間に、凍りついた田上は浮かんでいた。遠くに燃え尽きて、小さくなった太陽が浮かんでいた。まだ白く輝いているが、やがて徐々にその光は暗くなっていくだろう。呼吸ができず、究極の苦しみの中でも田上は生きている。それでも身を焼き焦がされるよりはいくらかましかもしれない。
田上はもうほとんど意識はなかった。しかしこれから永久にこんな状態が続くのだろうか。悪魔に愚かな願いを叶えてもらったばかりに。永遠の命とはこんな恐ろしいものだったのだろうか。まだ肉体と意識を保っていられるとは。田上は微かに残っている意識で考えた。
それから永遠とも思われるほどの時間が流れた。恒星の原料となる水素はやがて減少し、新しい星の誕生はなくなった。軽い小さな星のみ、残ったわずかな燃料を燃やして、かろうじて赤く輝いていた。宇宙の膨張が加速し、銀河系とM31が合体してできた楕円銀河とその近傍にある小銀河以外は、もう何も見えない。とはいえ、楕円銀河の中心方向の空は暗く赤い星でいっぱいだった。
田上の思考は停止していた。それでもときどき意識を取り戻し、自分とはいったい何なのだろう、と考えることもあった。
銀河中心に座する巨大ブラックホールは周りの星を呑み込んで、どんどん成長していった。そして銀河の星を次々と吸収し、さらに巨大化した。自分の意思とは関係なく、ただ慣性により宇宙空間を漂っているだけの田上には、ブラックホールを避けるすべはなかった。田上が漂流する領域も風前の灯火(ともしび)となった。
「ブラックホールに吸収されれば、さすがの不死の身体も、原子レベルにまでばらばらにされるので、生きてはいけないだろうな。それで死ねればいいのだが。今さら死を恐れることはない。魂を拘束する悪魔もいないし、地獄よりはるかに辛い経験もしてきた。今の自分から見れば、地獄も天国に思えるだろう。また、ブラックホールからワームホールを通って、別次元の宇宙にワープできるかもしれないとも聞いている。その別次元の宇宙が住みやすいところならいいのだが」
田上は未知のブラックホールにほのかな期待を抱いた。
とうとう田上はブラックホールの重力に捕らえられ、そして呑み込まれた。強力な重力により身体は引き裂かれ、そしてばらばらにされた。身体が崩壊しては再生し、そしてまた崩壊した。崩壊と再生の無限の繰り返しだった。田上はもう意識を完全に失っていた。期待していた別次元の宇宙へのワープはなかった。田上はほとんど意識がない状態で、永遠に近い時間をブラックホールで過ごさなければならなかった。
どんな物質をも吸収するブラックホールではあるが、ブラックホール自身も熱放射をしており、やがては蒸発してしまう。
一〇の一〇〇乗年――一のあとに〇を一〇〇個つける――という想像も絶するほどの長い時間の後、田上を呑み込んだブラックホールは蒸発し、最後に大爆発を起こして消滅した。ブラックホールがなくなり、田上の身体は復活した。
しかし、ついに田上自身も消滅するときが来た。陽子(ようし)の崩壊が起こったのだ。田上がブラックホールに捕らえられている間に、宇宙ではすでに陽子の崩壊が始まっていた。田上がブラックホールから解放されたころには、もう宇宙にある物質はかなり失われていた。ブラックホールへの吸収を免れた物質も、どんどん崩壊に向かい、宇宙はほとんど空っぽの暗黒空間となっていたのだ。
陽子崩壊により、田上の身体は、何十溝(こう)年から何澗(かん)年(溝は一〇の三二乗、澗は一〇の三六乗)という年月をかけて徐々に崩壊していった。物質が消滅し、さすがにもう肉体が再生することはなかった。
ようやく魂だけの存在となれた田上だったが、魂が赴く世界を訪れても、もう他の魂は一体としていなかった。あまりにも長い年月が経過したので、大霊界に存在していた他の魂はすべて浄化され、はるかに高い世界に昇華していたのであった。地獄に墜ちた罪人を責め苛む獄卒(ごくそつ)たちさえも。田上は魂となっても、無限の孤独を味わわねばならなかった。
エピローグ 邯鄲の夢
田上は目を覚ました。
「何だ、夢だったのか。しかし恐ろしい夢だった。それも、何百億年、いや、何兆年、何京年以上ものとてつもなく長い、壮大な夢。まさに〝一炊(いっすい)の夢、邯鄲(かんたん)の夢〟か。だが、夢でよかった。死なないということが、こんなに恐ろしいことだったとは。やはり、死というものは究極の救いなのかもしれん。限られた時間の中で精一杯努力して生き、そして自分の一生に満足して死んでゆく。これが一番幸せなのだ」
田上は夢であったことにほっとした。
田上は朝食をトーストとコーヒーで済ませ、洗顔や整髪など、身だしなみを整えて家を出た。田上は勤めているOA機器の商社に向かった。徒歩と路線バス、私鉄の乗車時間を合わせ、職場まで一時間以上かかる。もう少し勤務先に近いところに住みたいとは思うが、今田上が入居しているA県F市の郊外のアパートは、2DKの間取りで、けっこう家賃が安かった。スーパーマーケットや診療所なども近くにあり、住み心地は悪くないので、なかなか引っ越そうという踏ん切りがつかなかった。
田上は自宅の近くのバス停に立った。
それほど待つこともなくバスが来て、田上は乗り込んだ。乗車するのは一〇人ほどだ。サラリーマンや高校生など、顔ぶれはほぼ決まっている。田上が乗るバス停は起点の近くで、駅から遠いため、まだ席は空いている。田上は座席にかけた。昨夜はなぜか熟睡できなかったような気がして、田上は頭が重かった。だから、田上は座席に着いて、目を閉じた。
バスが私鉄の駅に近づいたころ、大きなクラクションの音や急ブレーキのショック、そして激しい轟音がした。バスの乗客は悲鳴をあげた……。
(完)
※文庫版では、最後に
「田上はこのときの衝撃で、夢のことをすべて忘れたのだった。これから自身の身に、そして全人類に降りかかる悲劇を予知した夢を。」
という2行がありますが、改訂版では削除しました。理由は、最後の2行を削除することにより、この物語は単なる“夢落ち”なのか、それとも実際に未来に起こることを予知夢として見たのかを、読者の皆様に判断していただこうと考えたからです。
もし『地球最後の男――永遠の命』をまた出版する機会があれば、次は改訂版を使用するつもりです。