今日は青空が広がっていたので、久しぶりに近くの山
に登りました。道樹山、大谷山、弥勒山の三山を縦走しました。
最近、あまり体調がよくないので、少し頑張らねばと思います。
前回紹介した滝は、水がほとんどなくなっていました。大雨のあとにしか見られないようです。
以前お約束した『幻影』を掲載します。今回はプロローグと、第1章です。
今回掲載する分は、書籍のものに一部加筆等してある部分もあります。
続きはまた後日掲載いたします。
幻影
プロローグ
「さあ、これで完成です」
「やったー、ついに完成ですね。ありがとうございます」
全裸の美奈は立ち上がり、大きな姿見の前に、後ろ向きに立った。そして、体をねじって、鏡に映った自分の背中を眺めた。
「わあー、きれい。本当に素晴らしいです。先生、ありがとうございました」
美奈は椅子にかけてたばこを紙箱から取り出そうとしている、三〇代半ばと思われる女性彫り師、卑美子に丁寧に頭を下げた。
その女性彫り師の作務衣の袖から覗いた両腕には、手首の少し上まで、極彩色の絵が描かれていた。
右腕の完成度の高い美しい絵に比べ、左腕の絵はなぜか少し見劣りがした。絵も稚拙だし、輪郭の線も不安定、色の入りも悪かった。
ただ、それは右腕の絵に比較して感じることであり、左腕のタトゥーだけを見ていれば、そんなにひどいと思われるものではなかった。左腕の絵がやや稚拙に思われるのは、それが卑美子が修業時代、練習のために自分自身で彫った絵だからである。
美奈の背中には、騎龍観音の絵が刻まれていた。首のすぐ下から、腰のあたりまでかかる大きな極彩色の観音菩薩が、緑色の龍に乗っていた。龍の頭は左の臀部の大部分を占め、右の臀部には黄色の珠を持った龍の左の前足と、赤や黄、紫の大輪の牡丹の花。観音菩薩の周りには龍の胴体がうねり、尻尾は右肩にあった。龍の胴体に埋められていない、余白の部分は、色とりどりの牡丹の花で飾られていた。左肩には、牡丹の花弁の中に「卑美子」と彫り師の名が小さく刻まれていた。
腰からふともも太股にかけて、赤、橙、黄、青、紫、白といった様々な色の牡丹に彩られ、背中から膝の上まで、親からもらった生来の肌の色がほとんど残されていないほど、人工の色彩に埋め尽くされていた。
左右の腕は、肘の上から肩にかけ、色違いの二輪の大輪の牡丹と小さいつぼみが一輪、そしてメインの牡丹とは別系統の色のアゲハチョウが描いてあった。
また、へその下の下腹部には、赤いバラと紫の蝶が彫られていた。このバラと蝶が、美奈が初めて入れた絵だった。
「ミク、やったね。すごくきれいだよ」
今日で完成の予定だというので、施術を見学するためについてきた、親友のルミも、美奈の美しく彩られた背中に目を見張った。
美奈はしばらく裸のまま、鏡の中の自分の背中に見とれていた。
1
美奈は一年半前の秋、女性彫り師、卑美子の許を訪れた。まだ一九歳の誕生日を過ぎたばかりのころだった。
美奈は、小学校五年生の夏、家族で海水浴に行ったとき、タトゥーをしていた何人かの男女のグループを見て、いれずみ、タトゥーに興味を抱いた。
幼いころより、鳥になって大空を飛び回りたい、とか犬になって大地を駆け巡りたい、魚となり海の中を自由に泳ぎ回りたい、などという変身願望を持っていた美奈は、色とりどりのタトゥーを見て、すっかり魅せられてしまった。動物に変身することは不可能でも、肌を美しく染めることは可能だからだ。
美奈は当時すでに、「いれずみ」という言葉は知っていた。
針を使って皮膚に色素を刺し入れ、生涯消えない絵を彫り刻むことだ、ということも知っていた。国語辞典や百科事典などで、入れ墨(刺青・文身)の項を調べ、ある程度の知識は持っていたのだ。テレビなどでいれずみをしている人を見ると、もちろんそれは役者が撮影用に肌に絵の具で描いているものに過ぎないのだが、美奈は自分も肌にきれいな花などを描いてみたいな、と、いれずみにぼんやりとした憧れを抱いていた。
それが、海で本物のタトゥーを目の当たりにして、自分もいつかは美しいいれずみ、タトゥーで肌を飾ってみたいと熱望するようになった。
最近はタトゥーを特集した雑誌や専門誌も増え、またインターネットでもタトゥー、刺青で検索すれば、多くの画像や情報が得られる。
タトゥーシールも簡単に手に入れることができ、美奈は衣服で隠れて見えないところに貼り、密かなおしゃれも楽しんでいた。
タトゥーのことを考えるだけで、性的な興奮まで沸き起こってきた。
しかし、やがてシールなどでは満足できなくなり、どうしても本物のタトゥー、いれずみを彫ってみたくなった。
タトゥーは最近、ファッションとして若い女性の間にも流行してきた。しかし、まだ世間で認知されているとは言い難い。勢いで彫ってしまっても、社会的な不利益が多く、入れたことを後悔する人も少なくないのが現実である。身近な例で言えば、温泉やプール、フィットネスクラブ、カプセルホテルなどへの入場、宿泊が拒否されるということがある。
美奈はそのことを知っていながら、タトゥーを彫ってみたくてたまらなかった。たとえタトゥーを彫ったことで他人からどう思われようと、自分さえしっかりしていればいい、と言い聞かせてきた。
最近種類も増えてきたタトゥー雑誌や、インターネットの情報を見て、美奈が卑美子のところに来たのは、一年半前の一〇月、一九歳の誕生日を迎えた後だった。
事前に電話でアポイントメントをとり、仕事帰りに名古屋市東区の千種(ちくさ)駅近くにある卑美子のスタジオを訪れた。
大きなマンションの二階にある、スタジオのインターホンのボタンを押すときは、美奈は緊張でガチガチだった。何度か、もうこのまま帰ろうかとためらいながらも、ボタンを押した。
玄関で出迎えてくれた彫り師の卑美子は、雑誌の写真で見た印象より、ずっときれいな人だった。
スタジオの中は、きちんと整頓され、清潔そうな雰囲気だった。
タトゥー、いれずみの施術は血液に触れる仕事で、C型肝炎や最悪HIVなどに感染する危険があると聞いていたので、清潔そうな第一印象に、美奈はまずは安心した。
初見の挨拶のあと、卑美子は何を、どこに彫りたいのかを尋ねた。
美奈はゆくゆくは背中一面にきれいな観音様か天女を彫りたいけれど、最初は人目につきにくいところにバラの花を入れたい、という希望を伝えた。そして、具体的におへその下はどうでしょうか、と提案した。
見本帳や写真を見て、美奈は赤いバラと、紫の蝶の図柄を選んだ。卑美子は「一生消えない絵なので、もし気に入らない部分があれば、描き直しますよ」と言ってくれたが、美奈はこの絵がとても気に入っているので、そのままでいい、と答えた。
当初、その日は図柄の相談や、タトゥーを彫るにあたっての注意などをする程度にとどめておく予定だった。ところが図柄もすんなり決まり、その後の時間に予約も入っていなかったので、卑美子は「もしよかったら、今日彫っていきませんか?」と尋ねた。
その日のうちに彫ることは予定していなかったが、美奈としては、少しでも早く自分の肌をきれいに飾ってみたかった。お金も予約金が必要かもしれないと思い、用意してあった。三時間ほどでできる、というので、帰りの電車の時間にも十分間に合う。
美奈はその日のうちに彫ってもらうことにした。
まず身分証明として、運転免許証の提示を求められた。これは予約の際、必要なので、写真付きの証明書を持ってくるように言われていたし、仕事で車を運転することもあるので、常時携帯していた。
それから、同意書に署名をするよう依頼された。
最初に、当スタジオでは芸術、ファッションとしてのタトゥーを施しているが、タトゥー、いれずみというものは一度彫ったら一生消すことができない、という説明を口頭で受けた。レーザー照射や手術などでも、完全には消えなかったり、傷跡が残るので、完全に元のきれいな肌に戻すことはできない、とのことだ。ひととおりの説明を受けた後、同意書に書いてあることを卑美子と一緒に読んだ。
同意書には、タトゥーは生涯消すことができないことを了承しているということ、タトゥーを彫ったために、社会的不利益が生じても、決して貴スタジオに苦情を持ち込むようなことはしない、タトゥーはすべて自己責任において行い、どんなことが起きようとも、決して貴スタジオには迷惑をかけない、などのことを誓約します、ということが書かれていた。タトゥーを入れることによる社会的不利益、制約について、卑美子は重ねて念を押した。
卑美子は同意書の内容を十分理解した上で署名して、拇印を押してください、と言った。
同意書への署名が済むと、卑美子は今から施術の準備をするので、しばらく待つように、と要請した。
準備ができた後、卑美子はスタジオの衛生管理について要領よく説明した。
施術をするマシンは、針はオートクレーブで高温高圧で滅菌したものを使い、当然使い捨てにしている。マシンのチューブのように使い捨てできない部分も、超音波洗浄機にかけた後、塩素系の洗剤で十分洗い、その後高温高圧滅菌をしている。また器具の保管は紫外線による滅菌保管庫に入れている、など、安全性に関する詳しい解説があった。
作業には必ずニトリルのグローブを使用し、消毒用エタノールや消毒用ジェルを用いて、手指やマシンの消毒を励行しているという。
手が触れる器具等はできうる限りラップなどで覆い、直接血液やインクが付着しないよう気を配っている。
また、ベッドに敷いてあるバスタオルは、一度使用したものは、塩素系の漂白剤に二時間ほど浸けて除菌した上、洗濯してあるが、他人が使ったタオルを再使用するのがいやなら、次回からは自分のものをあらかじめ用意しておくように、との要請もあった。
ベッドの上にあるマットは、もちろん直接血液などで汚染されないよう、ラッピングをしてある。
感染防止はタトゥーアーティストにとって、非常に大切なことであり、お客さんにはよく説明し、十分納得してもらわなければならない、とのことだった。
「色はこの見本通りでいいですか? それとも、変えますか?」と卑美子は尋ねた。美奈はその見本の絵がとても気に入っているので、この通りでいいと、先ほどと同じ答え方をした。
美奈は下半身、下着一枚になった。暖房が効いていて、寒くはなかった。
見本帳のバラと蝶の絵を三種類の大きさにコピーし、下腹部に当てて、どの大きさにするかを話し合った。美奈は一番大きなサイズを選んだ。バラの花と葉を合わせ、美奈の手首から指の先端までほどの大きさだった。蝶も一枚の羽の大きさは六センチほどあった。
「ちょっとあそこ剃らせてもらいますよ」と断って、卑美子は下腹部を石けん水で拭いた後、産毛を使い捨てのカミソリで剃った。それからアルコールをスプレーして肌を消毒した。
絵を彫る位置や角度を十分に検討してから、転写用のシートを下腹部に当てた。バラの花と蝶は、それぞれ別々に転写された。湿った肌に貼り付けた後、水で湿らせたティッシュペーパーで注意深くとんとんとたたき、肌にぴったりと貼り付けた。それからそっとシートをはがすと、肌にきれいに紫色の絵が転写されていた。へその下から右側にかけてバラの花、その左に今にもバラに留まろうとして飛んでいる蝶が描かれてあった。
自分の目で直接下腹部を見て、それから大きな姿見にも映してみた。
これが私の肌に一生消えない絵として残るのだ、と思うと、言うに言われないような感慨に襲われた。
はたして、こんなことしていいのだろうか。でも、タトゥーは子供のころからの憧れだった、絶対に後悔しない。タトゥーを彫ったことで、たとえどんなに辛い仕打ちに遭おうとも、絶対後悔することだけはしない。
しばらく時間をおいて、転写した絵が完全に乾いたころ、ベッドに横になるよう指示された。ああ、いよいよだと思った。
施術の前に、卑美子は不織布のマスクを着用した。
ジージーというマシンの音をさせ、卑美子は、「さあ、いきますよ。少し痛いけど、我慢してくださいね」と言った。
いよいよ念願のファーストタトゥーを入れるのだ、と思うと、胸が高鳴った。
その直後、下腹部の左の方に、カミソリで切られたような痛みが走った。最初の一針は、蝶の羽の部分だった。美奈は思わず目を閉じた。そして、ああ、とうとうやっちゃった、これでもう元のきれいな身体には戻れないのだ、と心の中で呟いた。その瞬間、目から涙があふれてきた。
それは痛みのせいではなかった。しかし、嬉しさのためなのか、後悔の涙なのかは自分でもわからなかった。あるいは真っ白な肌との決別の涙かもしれなかった。
ビンビンくる痛みを、美奈は歯を食いしばって耐えた。それでも、事前に覚悟していたほどの痛みではなく、十分に耐えることができた。一生消えない絵を身体に刻むのだから、代償として、これぐらいの痛みは当然だとも思った。
あまりに簡単に絵が手に入ってしまっては、生涯肌に残る絵が、軽いものになってしまう。やはりタトゥー、いれずみとは、痛い、苦しいものであるべきだ、と美奈は考えていた。激痛に耐えた結果、肌に刻まれた絵だからこそ、尊いのだと思った。
初めてのタトゥーの施術で緊張している美奈をリラックスさせるために、卑美子は彫りながら、「美奈さんはなぜタトゥーに興味を持ったの?」「いつ頃から入れたいと思うようになったの?」などと尋ねたり、世間話をしたりした。
筋彫りという、輪郭を彫る作業は、三〇分ちょっとで終わった。転写したときの紫色の輪郭が、黒に変わっていた。線は繊細だが、かすれや震えなどは、いっさいなかった。黒い線の周りは、赤く腫れ、少し盛り上がっていた。血はほんのわずかしか出ていなかった。
美奈は立ち上がり、直接下腹部を見たり、鏡に映してみたりした。もうこの絵は二度と消えることはないのだ、と思うと、深い感慨がこみ上げてきた。
この休憩中にトイレを借りた。
しばらく休憩した後、蝶の羽に色をつけた。アゲハチョウに似たデザインで、黒から紫、そして青にと至る色のバランスが見事だった。
バラの花びらも、赤を主体とし、花びらの先に行くにしたがい、ピンク、白と変化していくさまは美しかった。
美奈は自分の肌がどうなっているのか、それが知りたくてたまらなかったが、施術中は自分の下腹部を見ることができなかった。
施術している部分を見たくて、ちょっと頭を上げたら、「動かないで」と注意された。
ときどき彫り師が針にインクを補充するとき、マシンの先が見える。今は青いインクを使っているから、蝶の模様を塗っているんだ。今度は緑色のインクをつけているので、花びらより先に葉の緑を入れているのだな。次はインクが赤になったから、今は花びらを赤く染めているのだな、と想像を楽しむことができた。
休憩のときに、どこまで色が進んだのかを見るのが、非常に楽しみだった。
三時間で完成する、という予定は少しオーバーした。美奈がいちばん大きなサイズを選んだから、ということもあった。
想像以上にきれいな出来映えに、美奈は十分満足した。女性の彫り師ならではの繊細な仕上がりに、アーティストとして卑美子を選んだのはよかった、と思った。
タトゥーがまだいれずみ、彫り物といわれ、任侠の徒が主に彫っていた時代には、女性彫り師はほとんどいなかった。しかし、ファッション、おしゃれとして若者に受け入れられつつある今は、女性タトゥーアーティストは珍しいものではなくなった。インターネットで検索すれば、多くの女性アーティストの情報を得ることができる。その中で、美奈は卑美子のスタジオのホームページを飾る、華麗で繊細な絵柄に惹かれたのだった。
平均寿命まで生きるとして、六〇年以上はこの絵と付き合っていかなければならないのだ。私の肌に描かれた可愛いアクセサリーとして、一生大事にしていこう。もちろん、年をとれば、肌の劣化に伴い、タトゥーも見苦しいものになるだろう。しかし、老化は人間の宿命であり、肌の老化と共に、タトゥーの劣化も受け入れる覚悟はできていた。
作品の写真を何枚か撮った後、彫った部分にワセリンを塗り、ラップで覆ってもらった。ラップは下着などに血液やリンパ液が付着しないようにするための応急措置なので、家に着いたら、すぐ剥がすように言われた。
デジタルカメラで写した写真は、その場でプリントして、美奈に渡してくれた。
「美奈さんは肌が白くて、肌理(きめ)が細かいから、治るときっときれいに色が出ますよ。美奈さんほどきれいな肌の人は、そうはいないですよ」
卑美子は美奈の肌を褒めた。彫っていても、美奈の肌はきれいに色が入る。彫り師にとっても、彫りやすい肌だといえた。
彫ってもらっている間、苦痛に耐えるため、ときどき両手で目を覆ったりしていたので、メガネのレンズが指紋や手の脂でべっとり汚れてしまっていた。美奈はティッシュペーパーでレンズの汚れをぬぐった。
美奈は小学生の高学年のころから、近視でメガネを使用している。今はかなり視力が低下して、メガネなしでは生活できなかった。コンタクトレンズも持っているのだが、メガネのほうが目が楽なので、あまり使用していない。
その日は、その後のケアの仕方などのアドバイスを受けて帰った。料金は三時間分で三万円でいい、と、卑美子は打ち合わせ時間や超過した分は取らなかった。
卑美子のスタジオからJR中央本線の千種駅まで、歩いても一〇分程度で、電車が動いている時間帯に十分に間に合った。
その日は打ち合わせだけのつもりだったため、夕飯をまだ食べていなかった。空腹がひどかったので、美奈は駅の近くの牛めし屋に入った。あれだけ痛い思いをしたのに、食欲旺盛な自分に驚いた。
高蔵寺駅から団地までの最終バスはとうに出てしまっていたので、美奈は自宅まで二キロ以上の道のりを歩いた。登山が趣味の美奈にとって、二キロ強の道のりは何でもなかった。ただ、真夜中で道が暗いから、注意だけは怠らなかった。
風呂の中で、美奈は自分のきれいに彩られた下腹部を食い入るように見つめた。メガネがなくても、身体が柔軟な美奈は、身体を曲げて目を近づければ、何とか見ることができる。ふだんはぼやけた視界に慣れているので、そんなに気にしたことはなかったが、いざというとき、メガネがないと、近視は不便なものだと思った。
湯船に浸かる前、石けんでざっと身体を洗った。こびりついた血液やリンパ液、拭いきれなかったインクはきれいに洗い流せても、下腹部に描かれた絵は、決して消えることはなかった。
美奈はこれまでよくタトゥーシールを自分の肌に貼って楽しんでいた。タトゥーシールは石けんをつけ、タオルで少し強く擦れば落ちてしまうが、へその下のバラと蝶はもう二度と消すことができない。
生きた人間の肌が、一生消えない色に染まってしまうなんて、不思議な感覚だ。ただ染まるだけではなく、それが精巧で美しい絵を構成しているだなんて。
タトゥーという肌の上の芸術自体、美奈には信じられない奇跡のように思われた。
私はとうとう越えてはいけない一線を越えてしまったんだな、と今後の自分の人生に与える影響を覚悟した。
いくらタトゥーがファッションとして流行してきたとはいえ、まだ社会的に認められたものではない。いれずみがある、というだけで、偏見を持たれることが多い。
会社でもタトゥーがあることが見つかれば、何かと不利益が生じるかもしれない。美奈は温泉が好きだが、温泉も「タトゥー、入れ墨お断り」というところが多いようだ。今後は温泉にも行きづらくなる。特に結婚には大きな障害になりそうである。
美奈も女として、将来は結婚して子を産み、幸せな家庭を築きたいという願望を持っている。しかし、その幸せすらひょっとしたら奪われてしまうのかもしれない。
ただ、男性には女性よりタトゥーを彫っている人が多いので、タトゥーがある男性の中から理想の人を選べればと、結婚に関してはある意味楽観もしている。
あまり長いこと湯船に浸かり、自分の下腹部を見つめていたので、美奈は少しのぼせてしまった。
まだ傷口が生々しいが、一週間もすればかさぶたも剥がれ、きれいになるという。そのときが楽しみだ。それまで、かさぶたを無理に剥がして、色が抜けてしまわないように、万全のケアをしなければならない。美奈は寝る前に化膿止めの軟膏を塗り、その上をラップで覆った。
美奈は眠りに就くまでの間、卑美子にもらった自分のタトゥーの写真を、飽きることなく眺めていた。
彫ってからしばらくは痛みが続いた。タトゥーを入れるということは、皮膚にかなりひどい傷をつけることなので、痛みがあるのは当然だ。彫って一、二日は下着にインクの色に染まったリンパ液がこびりつき、トイレに入るときは細心の注意をしなければならなかった。
その後、かさぶたができて、リンパ液等の付着の心配がなくなったら、今度は猛烈なかゆみに襲われた。つい掻きたくなるのだが、掻いてかさぶたが剥がれてしまうと、せっかく入った色が抜け落ちてしまうので、絶対に掻かないように注意されていた。
それで、そっとその部分をたたくことでかゆみを紛らわせていた。
そのかいがあって、四、五日してかさぶたが自然に剥がれたとき、その下から美しい絵が現れた。絵の部分はまだつやつやと光っているが、やがては落ち着いて、周りの肌になじむようになる、と卑美子から教えられた。
美奈は自分の身体にできた小さな秘密を楽しんだ。職場の同僚たちに、私、きれいなタトゥーをしちゃったのよ、と言ったら、どんな反応が返ってくるだろうか、と想像しては微笑んだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/s2_sum_mount.gif)
最近、あまり体調がよくないので、少し頑張らねばと思います。
前回紹介した滝は、水がほとんどなくなっていました。大雨のあとにしか見られないようです。
以前お約束した『幻影』を掲載します。今回はプロローグと、第1章です。
今回掲載する分は、書籍のものに一部加筆等してある部分もあります。
続きはまた後日掲載いたします。
幻影
プロローグ
「さあ、これで完成です」
「やったー、ついに完成ですね。ありがとうございます」
全裸の美奈は立ち上がり、大きな姿見の前に、後ろ向きに立った。そして、体をねじって、鏡に映った自分の背中を眺めた。
「わあー、きれい。本当に素晴らしいです。先生、ありがとうございました」
美奈は椅子にかけてたばこを紙箱から取り出そうとしている、三〇代半ばと思われる女性彫り師、卑美子に丁寧に頭を下げた。
その女性彫り師の作務衣の袖から覗いた両腕には、手首の少し上まで、極彩色の絵が描かれていた。
右腕の完成度の高い美しい絵に比べ、左腕の絵はなぜか少し見劣りがした。絵も稚拙だし、輪郭の線も不安定、色の入りも悪かった。
ただ、それは右腕の絵に比較して感じることであり、左腕のタトゥーだけを見ていれば、そんなにひどいと思われるものではなかった。左腕の絵がやや稚拙に思われるのは、それが卑美子が修業時代、練習のために自分自身で彫った絵だからである。
美奈の背中には、騎龍観音の絵が刻まれていた。首のすぐ下から、腰のあたりまでかかる大きな極彩色の観音菩薩が、緑色の龍に乗っていた。龍の頭は左の臀部の大部分を占め、右の臀部には黄色の珠を持った龍の左の前足と、赤や黄、紫の大輪の牡丹の花。観音菩薩の周りには龍の胴体がうねり、尻尾は右肩にあった。龍の胴体に埋められていない、余白の部分は、色とりどりの牡丹の花で飾られていた。左肩には、牡丹の花弁の中に「卑美子」と彫り師の名が小さく刻まれていた。
腰からふともも太股にかけて、赤、橙、黄、青、紫、白といった様々な色の牡丹に彩られ、背中から膝の上まで、親からもらった生来の肌の色がほとんど残されていないほど、人工の色彩に埋め尽くされていた。
左右の腕は、肘の上から肩にかけ、色違いの二輪の大輪の牡丹と小さいつぼみが一輪、そしてメインの牡丹とは別系統の色のアゲハチョウが描いてあった。
また、へその下の下腹部には、赤いバラと紫の蝶が彫られていた。このバラと蝶が、美奈が初めて入れた絵だった。
「ミク、やったね。すごくきれいだよ」
今日で完成の予定だというので、施術を見学するためについてきた、親友のルミも、美奈の美しく彩られた背中に目を見張った。
美奈はしばらく裸のまま、鏡の中の自分の背中に見とれていた。
1
美奈は一年半前の秋、女性彫り師、卑美子の許を訪れた。まだ一九歳の誕生日を過ぎたばかりのころだった。
美奈は、小学校五年生の夏、家族で海水浴に行ったとき、タトゥーをしていた何人かの男女のグループを見て、いれずみ、タトゥーに興味を抱いた。
幼いころより、鳥になって大空を飛び回りたい、とか犬になって大地を駆け巡りたい、魚となり海の中を自由に泳ぎ回りたい、などという変身願望を持っていた美奈は、色とりどりのタトゥーを見て、すっかり魅せられてしまった。動物に変身することは不可能でも、肌を美しく染めることは可能だからだ。
美奈は当時すでに、「いれずみ」という言葉は知っていた。
針を使って皮膚に色素を刺し入れ、生涯消えない絵を彫り刻むことだ、ということも知っていた。国語辞典や百科事典などで、入れ墨(刺青・文身)の項を調べ、ある程度の知識は持っていたのだ。テレビなどでいれずみをしている人を見ると、もちろんそれは役者が撮影用に肌に絵の具で描いているものに過ぎないのだが、美奈は自分も肌にきれいな花などを描いてみたいな、と、いれずみにぼんやりとした憧れを抱いていた。
それが、海で本物のタトゥーを目の当たりにして、自分もいつかは美しいいれずみ、タトゥーで肌を飾ってみたいと熱望するようになった。
最近はタトゥーを特集した雑誌や専門誌も増え、またインターネットでもタトゥー、刺青で検索すれば、多くの画像や情報が得られる。
タトゥーシールも簡単に手に入れることができ、美奈は衣服で隠れて見えないところに貼り、密かなおしゃれも楽しんでいた。
タトゥーのことを考えるだけで、性的な興奮まで沸き起こってきた。
しかし、やがてシールなどでは満足できなくなり、どうしても本物のタトゥー、いれずみを彫ってみたくなった。
タトゥーは最近、ファッションとして若い女性の間にも流行してきた。しかし、まだ世間で認知されているとは言い難い。勢いで彫ってしまっても、社会的な不利益が多く、入れたことを後悔する人も少なくないのが現実である。身近な例で言えば、温泉やプール、フィットネスクラブ、カプセルホテルなどへの入場、宿泊が拒否されるということがある。
美奈はそのことを知っていながら、タトゥーを彫ってみたくてたまらなかった。たとえタトゥーを彫ったことで他人からどう思われようと、自分さえしっかりしていればいい、と言い聞かせてきた。
最近種類も増えてきたタトゥー雑誌や、インターネットの情報を見て、美奈が卑美子のところに来たのは、一年半前の一〇月、一九歳の誕生日を迎えた後だった。
事前に電話でアポイントメントをとり、仕事帰りに名古屋市東区の千種(ちくさ)駅近くにある卑美子のスタジオを訪れた。
大きなマンションの二階にある、スタジオのインターホンのボタンを押すときは、美奈は緊張でガチガチだった。何度か、もうこのまま帰ろうかとためらいながらも、ボタンを押した。
玄関で出迎えてくれた彫り師の卑美子は、雑誌の写真で見た印象より、ずっときれいな人だった。
スタジオの中は、きちんと整頓され、清潔そうな雰囲気だった。
タトゥー、いれずみの施術は血液に触れる仕事で、C型肝炎や最悪HIVなどに感染する危険があると聞いていたので、清潔そうな第一印象に、美奈はまずは安心した。
初見の挨拶のあと、卑美子は何を、どこに彫りたいのかを尋ねた。
美奈はゆくゆくは背中一面にきれいな観音様か天女を彫りたいけれど、最初は人目につきにくいところにバラの花を入れたい、という希望を伝えた。そして、具体的におへその下はどうでしょうか、と提案した。
見本帳や写真を見て、美奈は赤いバラと、紫の蝶の図柄を選んだ。卑美子は「一生消えない絵なので、もし気に入らない部分があれば、描き直しますよ」と言ってくれたが、美奈はこの絵がとても気に入っているので、そのままでいい、と答えた。
当初、その日は図柄の相談や、タトゥーを彫るにあたっての注意などをする程度にとどめておく予定だった。ところが図柄もすんなり決まり、その後の時間に予約も入っていなかったので、卑美子は「もしよかったら、今日彫っていきませんか?」と尋ねた。
その日のうちに彫ることは予定していなかったが、美奈としては、少しでも早く自分の肌をきれいに飾ってみたかった。お金も予約金が必要かもしれないと思い、用意してあった。三時間ほどでできる、というので、帰りの電車の時間にも十分間に合う。
美奈はその日のうちに彫ってもらうことにした。
まず身分証明として、運転免許証の提示を求められた。これは予約の際、必要なので、写真付きの証明書を持ってくるように言われていたし、仕事で車を運転することもあるので、常時携帯していた。
それから、同意書に署名をするよう依頼された。
最初に、当スタジオでは芸術、ファッションとしてのタトゥーを施しているが、タトゥー、いれずみというものは一度彫ったら一生消すことができない、という説明を口頭で受けた。レーザー照射や手術などでも、完全には消えなかったり、傷跡が残るので、完全に元のきれいな肌に戻すことはできない、とのことだ。ひととおりの説明を受けた後、同意書に書いてあることを卑美子と一緒に読んだ。
同意書には、タトゥーは生涯消すことができないことを了承しているということ、タトゥーを彫ったために、社会的不利益が生じても、決して貴スタジオに苦情を持ち込むようなことはしない、タトゥーはすべて自己責任において行い、どんなことが起きようとも、決して貴スタジオには迷惑をかけない、などのことを誓約します、ということが書かれていた。タトゥーを入れることによる社会的不利益、制約について、卑美子は重ねて念を押した。
卑美子は同意書の内容を十分理解した上で署名して、拇印を押してください、と言った。
同意書への署名が済むと、卑美子は今から施術の準備をするので、しばらく待つように、と要請した。
準備ができた後、卑美子はスタジオの衛生管理について要領よく説明した。
施術をするマシンは、針はオートクレーブで高温高圧で滅菌したものを使い、当然使い捨てにしている。マシンのチューブのように使い捨てできない部分も、超音波洗浄機にかけた後、塩素系の洗剤で十分洗い、その後高温高圧滅菌をしている。また器具の保管は紫外線による滅菌保管庫に入れている、など、安全性に関する詳しい解説があった。
作業には必ずニトリルのグローブを使用し、消毒用エタノールや消毒用ジェルを用いて、手指やマシンの消毒を励行しているという。
手が触れる器具等はできうる限りラップなどで覆い、直接血液やインクが付着しないよう気を配っている。
また、ベッドに敷いてあるバスタオルは、一度使用したものは、塩素系の漂白剤に二時間ほど浸けて除菌した上、洗濯してあるが、他人が使ったタオルを再使用するのがいやなら、次回からは自分のものをあらかじめ用意しておくように、との要請もあった。
ベッドの上にあるマットは、もちろん直接血液などで汚染されないよう、ラッピングをしてある。
感染防止はタトゥーアーティストにとって、非常に大切なことであり、お客さんにはよく説明し、十分納得してもらわなければならない、とのことだった。
「色はこの見本通りでいいですか? それとも、変えますか?」と卑美子は尋ねた。美奈はその見本の絵がとても気に入っているので、この通りでいいと、先ほどと同じ答え方をした。
美奈は下半身、下着一枚になった。暖房が効いていて、寒くはなかった。
見本帳のバラと蝶の絵を三種類の大きさにコピーし、下腹部に当てて、どの大きさにするかを話し合った。美奈は一番大きなサイズを選んだ。バラの花と葉を合わせ、美奈の手首から指の先端までほどの大きさだった。蝶も一枚の羽の大きさは六センチほどあった。
「ちょっとあそこ剃らせてもらいますよ」と断って、卑美子は下腹部を石けん水で拭いた後、産毛を使い捨てのカミソリで剃った。それからアルコールをスプレーして肌を消毒した。
絵を彫る位置や角度を十分に検討してから、転写用のシートを下腹部に当てた。バラの花と蝶は、それぞれ別々に転写された。湿った肌に貼り付けた後、水で湿らせたティッシュペーパーで注意深くとんとんとたたき、肌にぴったりと貼り付けた。それからそっとシートをはがすと、肌にきれいに紫色の絵が転写されていた。へその下から右側にかけてバラの花、その左に今にもバラに留まろうとして飛んでいる蝶が描かれてあった。
自分の目で直接下腹部を見て、それから大きな姿見にも映してみた。
これが私の肌に一生消えない絵として残るのだ、と思うと、言うに言われないような感慨に襲われた。
はたして、こんなことしていいのだろうか。でも、タトゥーは子供のころからの憧れだった、絶対に後悔しない。タトゥーを彫ったことで、たとえどんなに辛い仕打ちに遭おうとも、絶対後悔することだけはしない。
しばらく時間をおいて、転写した絵が完全に乾いたころ、ベッドに横になるよう指示された。ああ、いよいよだと思った。
施術の前に、卑美子は不織布のマスクを着用した。
ジージーというマシンの音をさせ、卑美子は、「さあ、いきますよ。少し痛いけど、我慢してくださいね」と言った。
いよいよ念願のファーストタトゥーを入れるのだ、と思うと、胸が高鳴った。
その直後、下腹部の左の方に、カミソリで切られたような痛みが走った。最初の一針は、蝶の羽の部分だった。美奈は思わず目を閉じた。そして、ああ、とうとうやっちゃった、これでもう元のきれいな身体には戻れないのだ、と心の中で呟いた。その瞬間、目から涙があふれてきた。
それは痛みのせいではなかった。しかし、嬉しさのためなのか、後悔の涙なのかは自分でもわからなかった。あるいは真っ白な肌との決別の涙かもしれなかった。
ビンビンくる痛みを、美奈は歯を食いしばって耐えた。それでも、事前に覚悟していたほどの痛みではなく、十分に耐えることができた。一生消えない絵を身体に刻むのだから、代償として、これぐらいの痛みは当然だとも思った。
あまりに簡単に絵が手に入ってしまっては、生涯肌に残る絵が、軽いものになってしまう。やはりタトゥー、いれずみとは、痛い、苦しいものであるべきだ、と美奈は考えていた。激痛に耐えた結果、肌に刻まれた絵だからこそ、尊いのだと思った。
初めてのタトゥーの施術で緊張している美奈をリラックスさせるために、卑美子は彫りながら、「美奈さんはなぜタトゥーに興味を持ったの?」「いつ頃から入れたいと思うようになったの?」などと尋ねたり、世間話をしたりした。
筋彫りという、輪郭を彫る作業は、三〇分ちょっとで終わった。転写したときの紫色の輪郭が、黒に変わっていた。線は繊細だが、かすれや震えなどは、いっさいなかった。黒い線の周りは、赤く腫れ、少し盛り上がっていた。血はほんのわずかしか出ていなかった。
美奈は立ち上がり、直接下腹部を見たり、鏡に映してみたりした。もうこの絵は二度と消えることはないのだ、と思うと、深い感慨がこみ上げてきた。
この休憩中にトイレを借りた。
しばらく休憩した後、蝶の羽に色をつけた。アゲハチョウに似たデザインで、黒から紫、そして青にと至る色のバランスが見事だった。
バラの花びらも、赤を主体とし、花びらの先に行くにしたがい、ピンク、白と変化していくさまは美しかった。
美奈は自分の肌がどうなっているのか、それが知りたくてたまらなかったが、施術中は自分の下腹部を見ることができなかった。
施術している部分を見たくて、ちょっと頭を上げたら、「動かないで」と注意された。
ときどき彫り師が針にインクを補充するとき、マシンの先が見える。今は青いインクを使っているから、蝶の模様を塗っているんだ。今度は緑色のインクをつけているので、花びらより先に葉の緑を入れているのだな。次はインクが赤になったから、今は花びらを赤く染めているのだな、と想像を楽しむことができた。
休憩のときに、どこまで色が進んだのかを見るのが、非常に楽しみだった。
三時間で完成する、という予定は少しオーバーした。美奈がいちばん大きなサイズを選んだから、ということもあった。
想像以上にきれいな出来映えに、美奈は十分満足した。女性の彫り師ならではの繊細な仕上がりに、アーティストとして卑美子を選んだのはよかった、と思った。
タトゥーがまだいれずみ、彫り物といわれ、任侠の徒が主に彫っていた時代には、女性彫り師はほとんどいなかった。しかし、ファッション、おしゃれとして若者に受け入れられつつある今は、女性タトゥーアーティストは珍しいものではなくなった。インターネットで検索すれば、多くの女性アーティストの情報を得ることができる。その中で、美奈は卑美子のスタジオのホームページを飾る、華麗で繊細な絵柄に惹かれたのだった。
平均寿命まで生きるとして、六〇年以上はこの絵と付き合っていかなければならないのだ。私の肌に描かれた可愛いアクセサリーとして、一生大事にしていこう。もちろん、年をとれば、肌の劣化に伴い、タトゥーも見苦しいものになるだろう。しかし、老化は人間の宿命であり、肌の老化と共に、タトゥーの劣化も受け入れる覚悟はできていた。
作品の写真を何枚か撮った後、彫った部分にワセリンを塗り、ラップで覆ってもらった。ラップは下着などに血液やリンパ液が付着しないようにするための応急措置なので、家に着いたら、すぐ剥がすように言われた。
デジタルカメラで写した写真は、その場でプリントして、美奈に渡してくれた。
「美奈さんは肌が白くて、肌理(きめ)が細かいから、治るときっときれいに色が出ますよ。美奈さんほどきれいな肌の人は、そうはいないですよ」
卑美子は美奈の肌を褒めた。彫っていても、美奈の肌はきれいに色が入る。彫り師にとっても、彫りやすい肌だといえた。
彫ってもらっている間、苦痛に耐えるため、ときどき両手で目を覆ったりしていたので、メガネのレンズが指紋や手の脂でべっとり汚れてしまっていた。美奈はティッシュペーパーでレンズの汚れをぬぐった。
美奈は小学生の高学年のころから、近視でメガネを使用している。今はかなり視力が低下して、メガネなしでは生活できなかった。コンタクトレンズも持っているのだが、メガネのほうが目が楽なので、あまり使用していない。
その日は、その後のケアの仕方などのアドバイスを受けて帰った。料金は三時間分で三万円でいい、と、卑美子は打ち合わせ時間や超過した分は取らなかった。
卑美子のスタジオからJR中央本線の千種駅まで、歩いても一〇分程度で、電車が動いている時間帯に十分に間に合った。
その日は打ち合わせだけのつもりだったため、夕飯をまだ食べていなかった。空腹がひどかったので、美奈は駅の近くの牛めし屋に入った。あれだけ痛い思いをしたのに、食欲旺盛な自分に驚いた。
高蔵寺駅から団地までの最終バスはとうに出てしまっていたので、美奈は自宅まで二キロ以上の道のりを歩いた。登山が趣味の美奈にとって、二キロ強の道のりは何でもなかった。ただ、真夜中で道が暗いから、注意だけは怠らなかった。
風呂の中で、美奈は自分のきれいに彩られた下腹部を食い入るように見つめた。メガネがなくても、身体が柔軟な美奈は、身体を曲げて目を近づければ、何とか見ることができる。ふだんはぼやけた視界に慣れているので、そんなに気にしたことはなかったが、いざというとき、メガネがないと、近視は不便なものだと思った。
湯船に浸かる前、石けんでざっと身体を洗った。こびりついた血液やリンパ液、拭いきれなかったインクはきれいに洗い流せても、下腹部に描かれた絵は、決して消えることはなかった。
美奈はこれまでよくタトゥーシールを自分の肌に貼って楽しんでいた。タトゥーシールは石けんをつけ、タオルで少し強く擦れば落ちてしまうが、へその下のバラと蝶はもう二度と消すことができない。
生きた人間の肌が、一生消えない色に染まってしまうなんて、不思議な感覚だ。ただ染まるだけではなく、それが精巧で美しい絵を構成しているだなんて。
タトゥーという肌の上の芸術自体、美奈には信じられない奇跡のように思われた。
私はとうとう越えてはいけない一線を越えてしまったんだな、と今後の自分の人生に与える影響を覚悟した。
いくらタトゥーがファッションとして流行してきたとはいえ、まだ社会的に認められたものではない。いれずみがある、というだけで、偏見を持たれることが多い。
会社でもタトゥーがあることが見つかれば、何かと不利益が生じるかもしれない。美奈は温泉が好きだが、温泉も「タトゥー、入れ墨お断り」というところが多いようだ。今後は温泉にも行きづらくなる。特に結婚には大きな障害になりそうである。
美奈も女として、将来は結婚して子を産み、幸せな家庭を築きたいという願望を持っている。しかし、その幸せすらひょっとしたら奪われてしまうのかもしれない。
ただ、男性には女性よりタトゥーを彫っている人が多いので、タトゥーがある男性の中から理想の人を選べればと、結婚に関してはある意味楽観もしている。
あまり長いこと湯船に浸かり、自分の下腹部を見つめていたので、美奈は少しのぼせてしまった。
まだ傷口が生々しいが、一週間もすればかさぶたも剥がれ、きれいになるという。そのときが楽しみだ。それまで、かさぶたを無理に剥がして、色が抜けてしまわないように、万全のケアをしなければならない。美奈は寝る前に化膿止めの軟膏を塗り、その上をラップで覆った。
美奈は眠りに就くまでの間、卑美子にもらった自分のタトゥーの写真を、飽きることなく眺めていた。
彫ってからしばらくは痛みが続いた。タトゥーを入れるということは、皮膚にかなりひどい傷をつけることなので、痛みがあるのは当然だ。彫って一、二日は下着にインクの色に染まったリンパ液がこびりつき、トイレに入るときは細心の注意をしなければならなかった。
その後、かさぶたができて、リンパ液等の付着の心配がなくなったら、今度は猛烈なかゆみに襲われた。つい掻きたくなるのだが、掻いてかさぶたが剥がれてしまうと、せっかく入った色が抜け落ちてしまうので、絶対に掻かないように注意されていた。
それで、そっとその部分をたたくことでかゆみを紛らわせていた。
そのかいがあって、四、五日してかさぶたが自然に剥がれたとき、その下から美しい絵が現れた。絵の部分はまだつやつやと光っているが、やがては落ち着いて、周りの肌になじむようになる、と卑美子から教えられた。
美奈は自分の身体にできた小さな秘密を楽しんだ。職場の同僚たちに、私、きれいなタトゥーをしちゃったのよ、と言ったら、どんな反応が返ってくるだろうか、と想像しては微笑んだ。