売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

頑張ります

2012-10-29 17:33:36 | 小説
 10月もあとわずかです。今年も残すところ、2ヶ月余ですね。『幻影2 荒原の墓標』を出版して、何とかもう少し作家として名が売れないかな、と考えていましたが、現実は厳しいようです。このブログのタイトルとなっている「売れない作家」を返上できるのは、いつのことやら……

 それでも、作品を読んでくださって方からは、「おもしろいよ」と評価してもらえ、それが励みになっています。

 『幻影2 荒原の墓標』の電子書籍が、11月15日に文芸社の電子書籍サイト、ブーンゲイトで発売されます。紙の本より、ずっと安いので、よろしければご利用ください。『宇宙旅行』『幻影』『ミッキ』も電子書籍化されています。

 今回は『幻影』第26章です。事件も少しずつ動いていきます。




            26

 翌日、美奈は三浦の携帯に電話をかけた。事件のことでぜひともお話したいことがある、と言うと、「捜査本部に来てもらえますか? それともこちらから伺いましょうか」と訊かれた。
「捜査本部って、篠木署ですか? 市役所の近くの、昔の一九号線のところですね。こちらからお伺いします」
 午前中に美奈は車を清掃した。思ったほど臭いは残っていなかったが、消毒用エタノールをシートに何度もスプレーした。
「あーあ、お漏らししちゃうだなんて、我ながら情けないなあ」
 美奈は独り言を言った。首を絞められ、失神する場合、失禁することが多い、と何かの本で読んだことがある。ああいう場合は誰でも失禁する、自分だけじゃないんだ、だから恥じることはない、と思いながらも、自己嫌悪に陥っていた。
 赤いミラを走らせて、美奈は篠木署に行った。朝からどんよりと曇っていたが、とうとう雨が降り出してきた。
 警察署に入ると、なぜか緊張して心臓がどきどきした。別にわるいことはしていないのだから、平然としていればいいのだ、と自分に言い聞かせた。ひょっとしたら、緊張の原因は三浦さんにあるのかな、とも思った。
 窓口で外之原峠殺人事件の捜査本部の場所を訊き、部屋に行くと、三浦と鳥居が待っていた。鳥居もこの前ほど怖い存在だとは思わなくなっていた。
「おう、おみゃーさん、この前雅子のとこにいた娘だな」
 相変わらずの名古屋弁で鳥居が挨拶した。雅子というのは、卑美子の本名だ。
 三浦は話を聞くため、美奈を別室に案内した。刑事物のテレビドラマでよく見る、取調室のような殺風景な部屋だった。
「こんな部屋で申し訳ありませんが、話を聞かせてもらいます」と三浦は鳥居に比べ、丁寧な物腰だった。
 女性警官が盆に載せてお茶を三つ持ってきた。
「実は、千尋さんが付き合っていたという男性のことですが」と美奈は切り出した。
「鈴木しげおという男のことですね」と三浦が受けた。
「千尋さんにはそう名乗っていたのですか? 私には安藤茂と言っていました。すると、安藤というのも偽名かもしれませんね」
 そう言いながら、美奈は安藤の写真を取り出した。
「この男が、千尋さんと付き合っていた男なのですね? なぜそう思うのですか?」
「実は、安藤、偽名だと思いますが、そう言っておきます。安藤は、私の背中のいれずみと同じ騎龍観音のいれずみをしている女性と以前付き合っていた、と言っていました。前にも言いましたが、千尋さんは私と同じ図柄のいれずみを彫っていたのです」
 安藤とオアシスを離れて付き合い始めてから、何度目かのときに、寝物語で、うっかり安藤が、「以前付き合っていた女性も、美奈さんとそっくりな騎龍観音を彫っていた」と口を滑らせたことがあった。美奈がそれは誰ですか? と追及すると、慌てて、そのことは忘れてくれ、と口を噤んでしまった。
 三浦の前でいれずみの話をすることは、気が引けた。三浦にいれずみがあるあばずれ女だと思われることは、辛かった。
「二人とも雅子に彫ってもらっていたんだったな。しかし同じ図柄をしてるのは、他にもいるんじゃないんか?」
 鳥居が意見を言った。
「いえ、卑美子さんはあの騎龍観音は、女性には、千尋さんと私の二人にしか彫ってないと言っていました。卑美子さん独特の繊細な絵なので、他の彫り師には真似できないと思います。だから、私の前に付き合っていたのは、千尋さんに間違いないと思います。それに……」
「それに、何ですか?」
 三浦は先を促した。
「昨夜、私は安藤に千尋さんからお金を欺し取り、殺したのじゃないか、と問い詰めました。安藤は俺は千尋を殺していない、と否定していましたが、それでも、結婚詐欺でお金を欺し取ったのでしょう、罪を償ってください、と迫りました。そして、逆上した安藤に、危うく絞め殺されるところでした」
「何だって? 殺されかけたのですか?」
 三浦が驚いて訊き返した。
「はい。何とか抵抗して、逃げてきましたけど。危ないところでした。助かったのは、奇跡としか思えません」
 美奈はその奇跡の内容を話したかったのだが、信じてもらえそうにないので、やめておいた。
「それで、その安藤はどうしたのですか?」
「わかりません。私は無我夢中で逃げ出してきたので、その後どうなったかは。自分の家に逃げ込んでも、後を追ってこられるのじゃないかと不安で、厳重に施錠して寝てしまいました」
 それから美奈は安藤について、知っているデータを三浦と鳥居に話した。
「木原さんにもN市の職員と言っていたわけですね。千尋さんにもそう話していたそうで、我々も市役所を当たったのですが、該当する人物は見つかりませんでした。しかし、そのときは偽名とおおよその年齢だけでしか調べませんでしたが、もう一度その写真をお借りして、当たってみます。南区の住所もでたらめだと思いますが、何らかの土地鑑を持っていて、見ている人もいるかもしれませんからね」
「だから一度も家に呼んでくれなかったのですね。車で近くまで行きながら、家の前までは送らせてもらえませんでした」
 三浦は千尋が以前勤めていた足立商事で、かなりの不正を行っていたことを話した。しかし、一億円にも及ぶ横領をしながら、生活は質素だったこと、だから横領をした金はほとんど背後にいた男へ渡っていたのではないかと思われることを話した。
「千尋さん、一億円も横領していたんですか? いくら男に貢いでいたとはいえ、とても信じられません。その男が安藤なんですね」
 美奈は千尋がそこまでひどいことをするとは、とても信じられなかった。
「その辺は僕も同感です。昨日、会社に聞き込みに行きましたが、当時の部長の話がどうも腑に落ちない点が多いのです。それ以上のことは今は話せませんが、あるいは千尋さんは犯罪に巻き込まれていたのかもしれません」
「おい、もうそれぐらいにしときゃあ」
 隣で鳥居が三浦を制止した。あまり捜査のことを漏らすわけにはいかないようだ。
「今日はとても参考になりました。また何かあれば、ぜひ連絡ください。それから、無茶なことは絶対しないでください。殺されてしまっては、元も子もないですからね」
 篠木署を出たとき、雨が本降りになっていた。出勤の時間まではまだ間があるので、どこかで寄り道をしていくことにした。
 安藤に殺されかけた事件は、あまりにも重苦しく、親友のルミたちにはとても話せなかった。
 ただ、三浦の話から、千尋は足立商事の横領事件に巻き込まれた可能性があることを知った。ひょっとしたら、千尋を殺害したのは、安藤ではなく、横領事件の関係者の可能性もあることに気づいた。三浦が話そうとして、鳥居が制止したのは、そのことなのかもしれない。

 翌日、捜査本部に、JR中央本線春日井駅の南にある、ウィークリーマンションの管理人から、二年前の一〇月上旬に、短期間千尋が滞在していた、との情報が寄せられた。三浦と鳥居はそのウィークリーマンション、パレス春日井に急行した。
 パレス春日井の管理人によると、千尋は二〇〇三年一〇月六日に一週間の契約で入居したという。しかし、四日後の一〇日の夜までは滞在を確認していたが、一一日にはもういなくなっていた。
 そのときは一週間という契約だったが、早めに退去したのかと考えていたそうだ。
「出て行くなら出て行くで、一言挨拶ぐらいすればいいのに、と頭に来てましたが、料金は一週間分前金でいただいてましたし、荷物もなかったんで、そのままにしてたんです。それが先日新聞を見て、ひょっとしてここに泊まったことがある人じゃないか、と思って、以前のファイルを探したら、やっぱりそうだったんで、連絡したのですが。幸い本名で申し込んでいましたから」
 管理人は事情を話した。
「遺留品などはなかったんか?」と鳥居が尋ねた。
「はい、うちのマンションは必要な家具などはだいたい揃っているんで、そのお客さんは大きなバッグ一つで来ました。いなくなったときは、せいぜいごみぐらいしか残っていませんでしたよ」
「そいつはもう残ってないのか?」
「そりゃ、ごみなんてもう捨てちゃいましたよ。いちおう契約だったし、また戻るかもしれないので、一二日まではそのままにしておきましたが、戻らないし次のお客さんのために部屋を空けなきゃなりませんからね。たいしたもんじゃなかったし」
「そのごみをほかってまった(捨ててしまった)のはちょっとまずかったな」と鳥居は凄んだ。
「そんなこと言われても、契約期間が切れるまでは手を触れず、そのままにしておいたんですし、まさかそのお客さんが殺されている、なんて思いもよりませんでしたから」
 管理人は恐縮した。
「まあ、鳥居さん、それは仕方ないですよ。それで、一〇日の夜、誰かマンションを訪ねてきた人を見ませんでしたか?」
 今度は三浦が替わって尋ねた。
「もう二年も前のことですからね、あんまり覚えていないんですよ。それに夜遅くなれば、私たちも寝てしまうので、ずっと気をつけている、ってわけにはいきませんしね」
 結局たいした収穫はなかった。
 だが、じょうじょうちょう上条町から遺体が発見された外之原峠は近い。車を使えば、混雑のない夜間なら、三〇分とかからないだろう。千尋はおそらくこのマンションで殺されるか、誘い出されるかしたのだと思われる。それがわかっただけでも、進展といえた。

新作

2012-10-28 00:31:49 | 日記
 今、新しい作品を書いています。原稿用紙で100枚程度の短編から中編ぐらいになると思います。テーマが“永遠の命”で、けっこう重いので、苦労しています。私は人間の肉体は滅しても、魂は永遠だと考えています。『幻影2 荒原の墓標』のエピローグにも、そのようなことを書きました。しかし、今回は別の観点から永遠の生命に迫ってみるつもりです。なかなか筆(といっても、パソコンのキーボードです)が進みませんでしたが、ようやくペースが上がってきました

 その他、『幻影』シリーズ初の短編と『ミッキ』の続編も計画しています。

 なかなか思ったように本が売れず、苦戦していますが、興味ある方、一度読んでみてください。よろしくお願いします

 話は変わりますが、執筆に疲れると、ときどきソリティアなどのゲームをしています。以前はけっこうクリアしていましたが、最近は勝率が2割台まで下がってしまい、なかなかかてません。だんだんとむずかしいゲームをコンピューターが選択するようになっているのでしょうか? あまりゲームにはまるといけないので、コントロールパネルからゲームを無効にして、封印してしまいました。気分転換のはずが、目も疲れてしまいます

寒くなりました

2012-10-23 18:55:37 | 小説
 今日は一日雨で、寒かったです。明日の朝はさらに寒さが厳しくなり、11月中旬ぐらいの気温になるそうです。寒くなったためか、風邪を引いたようで、明け方はひどく咳き込みました。

 今月の上旬は、まだ暑いといっていたのですが。

 今回は『幻影』第25章を掲載します。これから物語は大きく動き出します。



           25

 三浦と鳥居は名駅署に二年前の足立商事の横領、背任事件のことを問い合わせた。田中真佐美が名駅署に告訴したと言っていたので、その内容を確認してみることにした。
 すると、五千万円ではなく、一億円の横領として届け出られていた。容疑者として橋本千尋の名前があがっていた。
 田中真佐美は詳しくは事情を知らされていなかったとしても、部長の五藤が知らないはずはない。部長は二人の刑事に隠していたのだ。なぜか。隠したところで、調べればすぐわかることだ。そのことは当たってみる価値があるかもしれない。

 篠島からの帰り、美奈は安藤を家まで送ると申し出たが、安藤は「わざわざ遠回りさせてはわるいので、ここでいい」と、氷室の交差点で車を降りてしまった。確かに美奈はオアシスに出勤しなければならず、あまり時間に余裕はなかった。それでも聞いている住所は、それほど遠回りになるものではないと思うのだが、安藤はここでいいですよ、と譲らなかった。
 昨日も安藤の家に迎えに行く、と言ったのに、美奈にとっては、そのほうが便利だろうと、安藤の家から離れた星崎のレストランで待ち合わせたのだった。
 確かにそのレストランは、春日井市の美奈の家から、名古屋を縦断して、名四国道から知多半島道路に入るには便利な場所ではあった。
 美奈はもう何度も安藤とオアシス以外で会っているのに、一度も彼の家に招いてもらったことがなかった。
 散らかっているから気が引ける、などの理由をつけて、家に呼んでくれないのだった。美奈が「私が一緒に掃除してあげるから、遠慮しないで」と申し出ても、はぐらかされてしまう。
 一度でいいから、好きな人が生活している部屋を見たい、と希望すると、結婚したらきれいなマンションにでも住もう、と言って、応じてくれなかった。
 安藤は美奈の高蔵寺の団地には泊まっていったことがある。しかし、そのとき安藤は何となく人目を避けようとしているようだった。別に不倫をしているわけではないのだから、堂々とすればいいのに、と美奈は少し不満に思った。いれずみ女の恋人という世間体を気にしているのだろうか。
 美奈はオアシスで仲間の三人に会ったが、旅行のことは言いそびれてしまった。いつもなら気軽に報告するのに、今回は水くさいかな、とも思いながらも、言いづらかった。やはり一千万円のことが気にかかっていた。
 仕事を終え、いつものファミレスで四人で少し話をしてから高蔵寺の自宅に戻ると、一気に疲れが出た。
 ベッドに入ると、すぐに寝入ってしまった。
 明け方、美奈は夢を見た。眠りが浅くなり、うとうとまどろんでいるときだった。夢に千尋が現れた。夢の中で、千尋は「彼にお金を渡してはいけません。彼は結婚詐欺師です」と美奈に警告した。
 目が覚めたとき、美奈はその夢をはっきりと覚えていた。これまで千尋は、声だけが心の中に響いた自動車事故から救ってくれたとき以外は、幽霊として現れた。しかし、今回は夢の中に現れた。
 今まで幽霊として出現したときは、遺体が見つかって、刑事に千尋のことを話したときにただ一度、「ありがとう」とお礼を言ったが、それ以外は無言だった。
 今回は夢の中で、はっきりと「彼にお金を渡してはいけません。彼は結婚詐欺師です」と言った。
 あれはただの夢だったのか、それとも、千尋からの警告なのだろうか。
 幽霊として現れるときは、言葉として意志を伝えることができないので、夢の中で言葉を使って私に警告したのだろうか?
 夢としては、非常にはっきりとしていた。一般に夢には、あいまいで非現実的な場面が多いのだが、さっきの夢は、夢と思われないほどリアリティがあった。
 やはり、安藤は結婚詐欺師で、美奈から一千万円をだまし取ろうとしているのだろうか。
 でも、なぜ千尋ははっきり教えてくれないのだろうか。千尋はいつもあいまいだ。夢の中では、はっきり渡してはいけない、と警告してくれた。しかし、その夢自体が、千尋からの通信なのか、単なる夢なのかがはっきりしない。
 ひょっとしたら、殺されるという無惨な死に方をして、この世に未練や恨みを残している千尋の霊は、まだ十分浄化されていないので、自分の意志をはっきり示せるだけの力がないのだろうか、と美奈は考えた。
 地獄界の境界に陥った未浄化な霊は、苦しみばかりの存在で、その地獄の苦しさから逃れることのみしか考えることができない、というようなことを何かの本で読んだことがある。千尋の霊も、苦痛に打ち拉がれて、なかなか美奈に思うように言いたいことを伝えられない状態なのかもしれない。
 千尋が地獄に堕ちている、とは考えたくないが、誰かに殺され、無念のうちに息絶えたのなら、この世に恨みを残し、霊界で苦しんでいることは大いに考えられる。
 美奈の実家の寺には、苦しんでいる不成仏霊を救済できる方法があるとは思えない。かつて父親に咎められた、根本仏教を掲げる教団なら、千尋の霊を救済できるかもしれない。実家の宗派を裏切るような気がして、なかなかその教団を訪れることができないが、一度行って話だけでも聞いてみようかとも思った。
 もし今の千尋さんに、十分に自分の意志を伝えることができるだけの力がないのならば、私のほうで千尋さんの意図するところを、よく汲み取るようにしてあげなければならない、と美奈は考えた。
 千尋は安藤のことを殺人者とは断言していないが、結婚詐欺師であり、お金を渡してはいけない、と言った。結婚しよう、というのも、美奈からお金を巻き上げるための出任せなのだろうか。
 美奈は今日にでも定期預金を解約しようと考えていたが、お金を渡すのは、少し待ったほうがよさそうだ。
 美奈は三時間ほどしか眠っていなかったにもかかわらず、目が冴えて、もう眠ろうとは思わなかった。
 寒い中、ベッドから降りて上着を羽織り、熱いコーヒーを淹れた。
 出勤前に、篠木署の捜査本部に行ってみようか、と考えた。三浦のさわやかな笑顔が頭の中をよぎった。美奈は心がときめいた。
 三浦はどんな些細なことでもけっこうだと言った。千尋が以前交際していた男だと言って、安藤の写真を提供してみようか。安藤が結婚詐欺師なら、名前も、聞いている住所も偽りかもしれない。今まで一度も家に招いてくれないということは、住所はでたらめである可能性が高い。それでも警察なら、じきに探し出すだろう。
 しかし、三浦に安藤のことを話すのは、まだ時期尚早かとも思った。
 おそらく千尋が言うように、たぶん安藤は結婚詐欺師なのだろう。千尋は安藤に騙されたのだと思われる。その結果、安藤に殺された? でも、安藤が殺した、という指摘はなかった。安藤は結婚詐欺で千尋からお金を巻き上げたが、殺してはいない。そう考えるべきなのかもしれない。
 三浦は遺体が千尋のものとの確認がとれた、と連絡してきたとき、当時千尋と付き合っていた男を事件の重要参考人として捜している、と話していた。その男がおそらく安藤だろう。
 安藤のことを警察に伝えれば、安藤はきっと厳しい取り調べを受けることになる。三浦はともかく、一緒にいた猪突猛進型の鳥居は、安藤を引っ張ってしまいそうだ。
 今の段階でそこまでするのは、安藤に対して申し訳ない気がした。結婚詐欺師かもしれないとはいえ、つい昨日、仕事を離れて、真心で身体を交えた安藤を売り渡してしまうことは、気が引けた。
 鳥居といえば、昨日、鳥居が卑美子のところに、捜査協力のお礼を言いに来た、とトヨから連絡があった。そして、卑美子と少し思い出話などもしていったとのことだ。卑美子のタトゥーアーティストという仕事についてはあまり感心できないな、と言いながらも、卑美子の夫が立ち直り、真面目に会社勤めをしていることには、素直に喜んでいたという。
 それから、「こんな仕事をしていれば、やくざなんかとトラブルを起こすこともあるだろう。もし何かあれば、相談に乗ったるでな、連絡しろよ」と気遣ってくれた。
 最後に鳥居は「おみゃーももう若くないんだで、はよ子供でも作ってまえ」と卑美子にけしかけていたそうだ。
 それに対し、卑美子が「もうしばらくして、トヨにこのスタジオを任せられるようになったら、ゆっくり休みを取って、赤ちゃんを作ります。来年には産みたいですね」と答えた。トヨのメールには、卑美子が信頼してくれていることが、とてもうれしかった、と書いてあった。
 美奈はあの無愛想な鳥居の顔を思い浮かべ、けっこういい人なのだな、と思い直した。
 昨夜、四人でファミレスで話したとき、そのことを伝えると、みんな鳥居のことを見直した、と感心していた。
 以前「今度会ったら、ぶっ飛ばしてやりたい」と憤懣をぶちまけていたルミも、「あの名古屋弁のデカさん、顔に似合わず、なかなかいいところもあるんだね」と評価を改めた。

 次の公休日の月曜日に、安藤から電話があった。今夜会えないか、ということだった。安藤は待ち合わせのホテルのレストランを指定した。
 美奈は指定された時刻ぴったりにレストランに入った。安藤はもう来ていた。
 二人で食事をする間、安藤はお金のことを話さなかった。美奈もそれについてはあえて触れなかった。主に篠島旅行の思い出話をした。食事をしながら、美奈は軽くワインを飲んだ。安藤はけっこうビールを飲んでいた。美奈はこれから過ごす時間のことを考えると、少しお酒を控えてほしいと思った。
 食事後、安藤は部屋を取ってあるので、そちらへ行こう、と誘った。
 部屋に入り、「シャワーを浴びてきたら?」と安藤が促した。
 美奈はその前に、話をつけたいことがあった。
「この前のお金のことですが」と美奈は切り出した。
「そのことですが、なるべく早くお願いします。もう毎日取り立てがうるさくて。本当は今すぐにでもほしいぐらいなんです。今日用意してくれているのかと思っていましたが」
 安藤は会ったとき、美奈のバッグが小さいので、現金を持ってきていないのだと思い、失望した。
「お金を貸すこと、しばらく待っていただけませんか?」
「え、なぜですか? この前、すぐにでも貸してくれる、と言ってくれたじゃないですか」
「ごめんなさい。でも、貸すのは待ったほうがいい、と言う人がいまして」
 美奈はいきなりそんなことを言わないほうがいいのではないかとも考えた。けれども、千尋を殺害したのは安藤なのかどうかを知りたかったので、あえてこう切り出した。安藤と千尋が関係があったことは、間違いない。でも、安藤は千尋を殺していないと信じたかった。
「そりゃあ一千万もの大金を貸す、といえば、誰だって待て、と言うと思います。でも、僕のこと、誰かに話したんですか? ひどいじゃないですか。僕は美奈さんと結婚するつもりでいるのに、そんな僕が信じられないのですか?」
 安藤は美奈をなじった。
「いえ、私は誰にも言いません。でも、知ってた人がいるんです」
「何を馬鹿なことを。美奈さんが話してないのに、なぜ知ってた人がいるのですか?」
「千尋さんです。橋本千尋さん」
 とうとう美奈は千尋の名前を安藤に告げてしまった。
「橋本千尋……。なぜ君が彼女のことを……。それに、千尋は死んだはず」
「千尋さんが死んでいることをなぜ知っているのですか? 確かに新聞には外之原峠の遺体は千尋さんと、小さく報道されていましたが、よほど興味がなければ、見逃してしまうような小さな記事でした。それとも、事件に関心があったんですか?」
 報道は小さいとはいえ、美奈が購読している新聞には、千尋の写真が出ていた。だから千尋のことを知っている人なら、記事に気づいた可能性は十分あるのだが、安藤の反応を見るため、美奈はあえてこういう表現をして誘導した。
「死体発見のニュースがあったとき、君が住んでるところの近くだと思い、興味を持ったんだよ。まさか、君は、僕が千尋を殺したと思っているんじゃないのか?」
「そうは思いたくないです。でも、刑事さんは今、千尋さんの相手の男を重要参考人として捜していると言ってました。きっと安藤さんのことを捜し出すと思います」
「俺は千尋を殺してはいない!」
 僕が俺に変わった。
「殺してはいなくても、千尋さんからお金を欺し取ったんですか? 結婚詐欺で」
美奈は厳しい口調で安藤に責め寄った。
「君はそのことを刑事にしゃべるつもりか?」
「言いたくはありません。でも、千尋さんの無念を思うと、罪は償ってほしいんです。そうすればあなたのこと、また考え直してみます」
「何が罪を償えだ、偉そうに。薄汚いソープ嬢の売春女のくせして、罪を償えだと!?」
 安藤は美奈をベッドの上に押し倒し、首を絞めた。アルコールのせいで、理性の歯止めがかからない状態にあった。金を詐取できなかったことが、怒りを倍加させていた。
 体重を乗せ、力を込めてぐいぐい美奈の首を絞め付けた。美奈は意識を失いかけた。いくらもがいても、男の力にはまったく歯が立たなかった。助けて、と大声をあげようにも、喉を絞められ、声が出なかった。美奈は華奢な外見のわりには、よく山歩きをしているので、体力は弱くはなかった。特に足腰など下半身は鍛えられていた。それでも男の腕力にはかなわない。
 美奈の顔は苦痛と恐怖に歪んだ。もうだめだ、殺される、と一瞬覚悟したが、すぐに意識が遠のいていった。失禁していることにも気づかなかった。
 そのとき、安藤は急に怯えたような悲鳴をあげ、美奈の首から手を離した。
「うわー、来るな、やめてくれー」
 叫びながら後ずさりした安藤は、なにかに躓いたのか、後ろに倒れ、後頭部を壁に強く打ち付けて失神した。
 わずかな時間、意識を失っていた美奈は、すぐに気づいて、落としたメガネとバッグを拾い、無我夢中で部屋から逃げ出した。
 ホテルの駐車場に駐めてあった車を発進させて、大急ぎでホテルから遠ざかった。しばらく走って、ようやく気持ちを落ち着けた。そのとき、初めて失禁して下着が濡れていることに気がついた。
「いやだ、私ったら。恥ずかしい。でも、ああいう場合は仕方ないことだわ」
 美奈はこんなことを考える余裕ができてきた。
 少しワインが入っているので、運転には十分注意した。こういうときに警察に捕まったら、酒気帯び運転で検挙されてしまう。それより、事故が怖かった。美奈はあまりアルコールに強くなく、自分では大丈夫のつもりでも、判断力や反射神経が鈍っている可能性もある。まさかこんなことになるとは思わなかった。一晩ホテルで過ごし、明日の朝帰るつもりだったので、多少酒が入るかもしれないと思いながら、車で行ったのだった。
 しかし、問題はそんなことではなかった。やはり安藤は千尋を殺したのだろうか。美奈自身も危うく殺されるところだった。
 安藤自身は、殺してはいないと言っていた。だが、現に美奈は逆上した安藤に殺されかけた。あれが安藤の本性なのだ。そんな安藤を愛してしまった自分の未熟さを美奈は恥じた。
 それにしても、安藤はなぜ美奈の首を絞め上げていた手を離したのだろうか。逆上して美奈の首を絞めてしまったが、途中で正気に返り、手を緩めたのだろうか。
 美奈はほとんど意識を失っていたので、その辺のことがわからなかった。ただ、気づいたら安藤が倒れていたので、あわててメガネとバッグを拾って、部屋から逃れたのだった。
 無事自宅に着いた。まずはシャワーを浴びて、着替えをしたかった。車のシートに敷いてあった座布団も汚してしまった。その座布団も部屋に持ち帰った。明日、車の中に臭いが残らないよう、きれいに掃除しておかなければ、と思った。
 部屋の施錠をし、チェーンロックも掛けた。窓の施錠もすべて確認した。ひょっとして安藤がやって来るかと思うと、恐ろしかった。
 汚れた服を脱ぎ、シャワーを浴びた。そしてボディシャンプーで身体を洗った。
 着替えをしてさっぱりして、ベッドの上に横になった。
 うとうとしかかったとき、千尋が現れた。
「美奈さん、危なかったですね。無茶はしないでください」と言って千尋は消えた。
 そうか。千尋さんが助けてくれたんだ。安藤の前に千尋さんが現れ、驚いて首を絞める手を緩めたんだ。
 これで千尋に助けられたのは二度目になる。
 実際、美奈を助けたのは千尋だった。首を絞められ、気を失った美奈の顔が、安藤には恨めしげに安藤を睨んでいる千尋の顔に見えたのだ。それで安藤は恐怖に駆られて、美奈の首から手を離した。後ずさった安藤の足がもつれて転倒し、後頭部を壁に打ち付けて失神したのだった。
「千尋さん、本当にありがとう」
 美奈は心をこめて千尋にお礼を言った。

快晴

2012-10-19 18:59:58 | 旅行
 今朝、家のバルコニーから、鈴鹿山脈がきれいに見えました。それで、御嶽山や中央アルプスが見えるかな、と思い、弥勒山に登りました。

 今日は弥勒山の山頂から、久しぶりに御嶽山などが見えました。

  
 
 御嶽山と中央アルプスです。御嶽山の左側に、ちょこんと乗鞍岳が頭を覗かせています。

  

 恵那山と大谷山(左)・道樹山です。稲はもう刈り取られました。恵那山は島崎藤村の『夜明け前』で有名です。

 

 名古屋駅付近の高層ビル群です。左の方の光っているのは、名古屋港です。名古屋駅付近は、3年後にはさらに3~4棟の超高層ビルが建つ予定です。 

バラ

2012-10-16 16:41:49 | 小説
 明日から天気が崩れるというので、今日、自分に課している運動として、弥勒山に登りました。

 帰りに寄った麓の植物園では、バラが咲いていました。

      
    

 最近巣箱に閉じこもったままで、なかなか外に出ていなかったイグアナも、陽気に誘われたのか、巣箱から出て、ひなたぼっこをしていました。

 植物園の隣の大久手池には、久しぶりにウが来ていました。前回はアオサギがいましたが。水たまりにはカエルがいました。

   

 今回は『幻影』第24章を掲載します。いよいよ事件が動き出してきます。昨日、なじみのガソリンスタンドに行ったら、店員さんが、「『幻影』の続編が気になったので、新刊の『幻影2 荒原の墓標』買いましたよ。半分ほど読みましたが、おもしろいですね」と声をかけてくれ、嬉しく思いました


            24

 肌を重ねた後、布団の上で安藤はたばこを吸った。たばこが嫌いな美奈は、安藤から少し離れていた。美奈の前で平気でたばこを吸うことは、美奈にとって安藤の大きな減点ポイントだった。特に狭い車の中で吸われるのがいやだった。いくら窓を開けていても、たばこの臭いが車の中に充満する。
 美奈の仲間の四人の中では、ミドリとルミが喫煙するが、二人は吸わないケイや美奈の前では、決してたばこを吸わない。
 たばこを二本吸い終わり、安藤は改まった口調で、「美奈さん、お願いがあるんです」と切り出した。
「何ですか?」
 美奈はひょっとして、すぐに結婚してほしい、と切り出すのではないかしら、と思った。
「申し訳ないですが、お金を貸してほしい」
 安藤は言いにくそうに言った。
「いくらぐらいですか?」
 思ってもみなかった申し出に、美奈はおそるおそる訊いた。
「一千万円」
「え? 一千万円?」
 美奈は聞き違いかと思った。
「申し訳ない。美奈さんなら、それぐらいの貯金はあると思うのですが」
「いくら何でも、一千万円なんて。とても無理です。いったい何に使うんですか?」
 突然一千万円貸してくれだなんて、とても信じられないことだった。
 風俗で働いている今は、OL時代の数倍の年収があるし、倹約もしているので、一千万円どころか、その倍近い貯金がある。美奈は仲間との付き合い以外は、質素な暮らしをしていた。収入の多くを貯蓄に回していた。投機や株などの冒険も一切せず、地道に定期預金にしていた。
 しかし、そう長く風俗の仕事を続けることはできないし、大きないれずみがある以上、普通の会社勤めは難しい。それに絶対病気や怪我で働けなくなることがない、という保証もないので、お金は大事にしておきたかった。
 いったい安藤はそんな大金を何に使うのだろうか。
「実は、我ながら情けないことですが、ギャンブルで借金を作ってしまって。サラ金などから借りて返していたんだけど、サラ金のほうも金利が雪だるま式に膨らんで、どうにもならなくなってしまったんです」
 美奈は、何という馬鹿なことを、と叫びたい気持ちだった。私が心を動かした人が、そんなことをする人だったなんて。
「頼みます。最近はやくざみたいな取り立て屋が役所まで押しかけてきて、上司にもにらまれているんです。このままでは、退職して、退職金で返済しなければならなくなる。でも、退職金だけでは、とても足りないし」
 美奈は大きなため息をついた。安藤に幻滅を感じてしまった。
「一千万あれば、僕は立ち直れる。もうギャンブルも一切やらない。お願いします。貸してもらえませんか?」
「でも、一千万なんて、私にはとても無理です。百万や二百万ならともかく」
「お願いします。借金を全部清算できれば、美奈さんと結婚して、真面目にやり直します。二人で力を合わせて明るい家庭を築きましょう。だから、そのためにも。お願いです」
 安藤は裸のまま土下座せんばかりだった。お願いしますを連発して、美奈に頼み込んだ。
「わかりました。一千万はとても無理ですが、できるだけ考えてみます」
「ありがとう。どうかよろしくお願いします。すっかり片がついたら、結婚しましょう。公務員は真面目にやってさえいれば、安定していますからね。きっと美奈さんを幸せにしてあげますよ」
 美奈はすっかり興醒めした。安藤に対する気持ちも萎えてしまった。安藤はまた求めてきたが、とても応じる気持ちにはならなかった。安藤の求めを拒否し、美奈は布団にもぐり込んだ。
 せっかく楽しい旅行にしようと思っていたのが、台無しになってしまった。結局安藤が私に近づいたのは、いれずみに対する興味と、お金が目当てだったのかしら。そう考えると、情けなくて涙がこぼれ落ちた。
美奈は裸のまましばらく布団にもぐって、涙を流していた。しかし、大の男が土下座をしてまで頼み込む姿を思い出すと、安藤がいじらしく思えてきた。
 本当に借金を返したら、心を入れ替えて、真面目にやってくれるのかしら。私と結婚して、幸せな家庭を築いてくれるかしら。もしそれが本当なら、お金はあげてもいい。どうせ夫婦になれば、お金は夫婦の共有の財産になるのだから。
 美奈は安藤が愛おしく思え、彼の胸に飛び込んでいった。

 翌朝、一〇時前に二人は潮屋をチェックアウトした。
 少し寝坊をして、食堂に行くのが遅れたため、巡礼の三人には会えなかった。
 今日は徒歩で島の名所見物をしてから帰る予定だった。夕方には美奈はオアシスに出勤しなければならない。高蔵寺の家には戻らず、直接オアシスに行くつもりだった。
 民宿で、観光コースを解説したパンフレットをもらい、それに従って歩くことにした。寒かったが、天気はよかった。歩いていれば、暖かくもなるだろう。
 宿からしばらく歩くと、上りの坂道になった。傾斜はかなりきつい。美奈は山歩きで慣れているので平気だが、安藤には辛そうだった。
 「安藤さん、運動不足ですよ」と美奈は安藤に声をかけた。
 「いや、ふだんはこんな坂上りませんからね。僕が住んでいるところは海抜〇メートル地帯ですから」
 安藤は喘ぎながら答えた。
 知多四国霊場番外札所の西方寺(さいほうじ )で、昨日浴場で会った巡礼の三人の女性に再会した。
「あら、あなた。またお会いできましたね」とそのうちの一人が声をかけてきた。
「昨日はどうも。いろいろお話できて、楽しかったです」と美奈も挨拶を返した。
「こちらこそ、いいものを見せていただきまして」
「そちらの殿方は? そういえば船でもご一緒でしたね」と他の一人が尋ねたので、美奈はすかさず「フィアンセです」と答えた。
「あらあら、それはそれは」
「今日はこれからどうするのです?」
 別の女性が尋ねた。
「今日は篠島を見学して、午後には名古屋に戻る予定です。夕方には仕事がありますので」と美奈が答えた。
「私たちも巡礼の後、大急ぎで篠島を見て回って、それから日間賀島に行き、最後に豊浜で二つ回り、それで満願です。けっこうせわしいのですよ。よかったら、タクシーで一緒に篠島を回りませんか? いいよね、この人たちも一緒に」
 一人がそう提案し、他の二人に訊いた。
「ええ、いいですよ。同行二人(どうぎょうににん)じゃなくて、大師様も入れて同行六人ですね。観音様も一緒だし」
 一人が気の利いた受け答えをした。もう一人も異論はなかった。
「そんな、割り込んじゃって迷惑じゃないですか? タクシーも窮屈になりますし」
「私たち三人は後ろに乗っていて前の席が空いてるから、あんたたちは前に座ればいいですよ。大きなタクシーだから。人数増えても料金は一緒だし、割り勘してもらえれば私たちの分も減りますからね」
 結局美奈たちも篠島では三人のお遍路さんと同行することになった。
 正法禅寺(しょうほうぜんじ)はすでに参拝したとのことで、帝井(みかどい )と三九番札所のいとくいん医徳院を訪ねてから、待たせてあるタクシーのところに戻った。札所となっている三つの寺は高台にあり、階段での上り下りも多かった。
 タクシーは島の南部に向かった。車が通れる道路が観光地から離れており、歩かなければいけないところもあったが、タクシーに乗ったおかげで、効率よく島を回ることができた。特に島の南部は景観がすばらしかった。歌碑公園のあたりで夕日が見られれば最高だったのに、とそれだけは残念だったが、昨日の夕日はそれでもとても美しいと思った。
歌碑公園がある万葉の丘から、島の最南端の牛取公園までは、けっこう険しい道だ。山慣れた美奈や、お遍路でよく歩く三人のおばさんは平気だったが、運動不足の安藤にとっては、辛い道だった。
 フェリー乗り場の近くでタクシーを降りた。美奈はタクシー代を払うと申し出たが、三人はいらないから、と取り合わなかった。
 写真をたくさん写したので、プリントして送ります、と言ったら、一人の住所を代表で教えてくれた。その人に三人分まとめて送ることを約束した。
 高速船に乗る前、五人で一緒に昼食を食べた。ジャコ丼がおいしかった。
 船は日間賀島経由、師崎港行きだったので、途中まで一緒に行った。日間賀島の港で巡礼の三人は下船し、次の大光院(だいこういん)に向かった。
「ありがとうございます。ほんと、きれいな観音様拝ませてもらいました」
「こちらこそありがとうございました。無事満願できるよう、祈ってます。写真、印刷したら、お送りしますので」
「袖振り合うも他生の縁、といいますから、私たち、前世でもどこかで縁があったのだと思います。またお会いできるかもしれませんね」
 三人のうちの一人が名残惜しそうに言った。
 美奈にとっては、この巡礼の三人の女性に出会えたことが、この旅行の一番の思い出となった。