1970年代、アフガニスタン。
「中央アジアの真珠」と呼ばれた美しい街カブールでは、少年達が凧揚げに夢中になっていた。
裕福な家の1人息子アミールは、ひとつ年下の召使の息子ハッサンと凧揚げ大会に出場して
見事、優勝する。
しかし、糸の切れた凧を追ったハッサンは、ハッサンたち少数民族のハザド人を快く思わない悪童達に捕まり、暴行を受けてしまう。
それを物陰から見ていることしかできなかったアミールは、何事もなかったようにアミールを今までどおり慕うハッサンを疎ましく思うようになる。
ハッサンに対する屈折した気持ちは、アミールの中で残酷なものになっていき、ハッサンはアミールの元を去ることになる。
間もなくソ連がアフガニスタンに侵攻してきて、反共産主義者だったアミールの父は
アミールを連れ、国外に逃れることにする。
アミールは、心の奥底に棘をさしたまま、アフガニスタンを去ることになる。
君のためなら千回でも。
それは、少年の日にハッサンがアミールに言った言葉だ。
君のためなら、どんな辛い事だってするよ。。というハッサンの友情の証のような言葉だったのかもしれない。
友達でありながら主従関係。
同じ国の国民でありながら、民族が違うという微妙な違和感。
そして、アミールの心の中には、自分を生んだために死んでしまったという母に対して
申し訳ないような。。そしてそのために、父が自分を愛していないのではないかという恐れがある。
だから、父が召使の子供であるハッサンを可愛がるのも、気持ちにひっかかりがある。
そこにあの事件。
人と争うのが嫌いだから。。という理由で親友を見殺しにした後ろめたさ。
少年だったアミールの心の中に渦巻く複雑な思いが
ハッサンとの仲を自ら断ちきることに繋がってしまったのかもしれない。
忘れようと、心の中にしまったハッサンへの思いは
ある1本の電話がきっかけで、ポンとふたを開かれる。
戦火のアフガニスタンを逃れ、アメリカに渡ったアミール親子は
裕福だったアフガニスタン時代とはまるで違う貧しい暮らしに耐えながらも
「小説家になる」というアミール(ハリド・アブダラ)の夢をかなえた矢先だった。
電話はアフガニスタンに残っていた父の親友からで、アミールが本当にやり直したいと思ったら
アフガニスタンに戻ってこい。という内容だった。
戻ったタリバン統治下のアフガニスタンは荒廃しきっていて、かつての面影はどこにもなかった。
そこで、ハッサンの出生の秘密と
ハッサンが、別れてからもずっとアミールを案じ続けていたことを知る。
アミールはハッサンの息子を助け出すために、タリバンのアジトに向かう。
今は亡きハッサンに償うために。
少年というのは、なんと残酷なものなのか。
アミールがハッサンに対して行ったことは、ほんとに胸がむかつくような仕打ちだった。
まったく、どうしようもないイヤなガキだった。
年月がどのようにアミールを変えたのか、物語は多くを語ってない。
裕福に暮らした少年時代から一転して、
自由で命の危険こそないけれど、たぶん暮らし向きは豊かではなかったアメリカでの生活が、
アミールの心に少しの変化をもたらしていたのかもしれない。
貧しい暮らしの中で、父と二人、肩を寄せあって暮らしてるうちに、父親に対する信頼がゆるぎないものになって、気持ちが安定したからからかもしれない。
成長したアミールは、なんだか、良さげな青年なのだ。
しかし、彼は、やっぱ、どこか甘い。
ハッサンの息子の行方を追って、孤児院にたどり着いたときは
「たったひとりの子供を救ってあんたは満足するだろうが、他にも救われない子供はたくさんいる。」
私財を投げ打って孤児の世話をするアフガン人になじられ、返す言葉もない。
たどり着いたタリバンのアジトでは
「ソ連から国を守ろうともせず、祖国を捨てた卑怯者」呼ばわりされて、ここでもひと言も言い返せない。
ハッサンの息子を救うことで、自分の過去の罪を償えると思った考えが甘かったことに
アミールは愕然とする。
そうなのだ。彼はアフガン人でありながら、祖国を見る目はすでに外部の人間のものなのだ。
祖国のために命をかけて人と争うよりも、たったひとりの子供でも救いだせば、自分の過去の罪も消えるという考えは、まったくの自己満足にすぎないのだ。
では。。外部の人間には、なにも出来ないのか。なにをしても無駄なのか。
アフガン人である原作者が言いたかったのは、ここにあるのだと思う。
アミールのように物を書く人間なら書けばいい。このアフガンの現在の状況を。
なにか出来ることがあるならば、そこから始めてほしい。
厳しい環境に暮らす人々がいることを忘れずに、心を寄せて欲しい。
そんなことを伝えたかったんじゃないんだろうか。
アメリカに戻ったアミールが
口答えひとつしたことのなかった妻の父親に毅然とした態度で静かに言う言葉が
アミールの出した結論なのだと思う。
アメリカの空高く悠々と舞う凧が
また、美しいカブールの空に舞う日が来ることを願う。
以前、この本を読みました。
映画も見たいな、と思いつつ今日に至りますが、
少年二人の後ろ姿を見て切なさが蘇ってきました。
アフガニスタンの一般市民の話を読んだのは初めてでしたが、
カブールにもこんな平和な時代があったのですね。
>まったく、どうしようもないイヤなガキだった。
ですよね(笑)
それなのにハッサンの純粋な友情は歯がゆいほどでした。
階級の違いは悲しいほどに絶対なのですね。
>しかし、彼は、やっぱ、どこか甘い。
そうなんですよ!
亡くなってからの罪滅ぼしは、チョコさんがおっしゃるように自己満足。
ハッサンの息子に『君のためなら千回でも』と言ったところで、
今更遅い!と読みながら怒ってる私がいました(汗)
ハッサンの境遇があまりにも可哀想で。
アフガニスタンの情勢とも重なって、重くて辛い物語でした。
こんにちは。
すごい読書家ですね。
読んでたんですね。
ワタシは、何か他の映画を観にいって予告編をみて
興味を持ったんですね。
でも、都内でも限られたところでしか上映がなかったんでDVDでの観賞になりました。
文字で読むのと映像で見るのは、微妙に違うのかもしれませんけど、幼いハッサンや、アフガニスタンの子供達が受ける仕打ちを見るのは、辛いものがありました。
このDVDを見た頃、
アフガニスタンで日本人が殺害されたり
アメリカがイラクから兵隊を大量に帰還させて、その代わりにアフガニスタンに多くの兵隊を送る。。ようなニュースを見ました。
正直、ニュースの一線から消えてしまっていたアフガニスタンが、まだこんな状態にあったのか。。と
改めて驚いてしまいました。
アフガニスタンは、ニュースで見ると荒れ果てた砂漠にしか見えないのですが、ほんとうは美しい国だったみたいですね。
映画をみた後では、ニュースで見るアフガニスタンが
今までよりも近いものに感じられます。
映画って、そういう力を持っているんですね。
さて、Reiさん。
台風きてますけど、楽しんできてくださいね♪