ザ・リバティーweb さんより転載です。
ローマ法王庁の聖職者会議は7月、30カ国の司祭250人が加入している「国際エクソシスト協会」をカトリック団体として許可した。エクソシストとは、悪魔祓いを行う宗教家を意味する。
現在のフランシスコ法王は、説教の中で悪魔の存在に触れるなど、悪霊や悪魔に関心が高い。だが、キリスト教において「悪魔」は、神とはまったく違う存在として認識されている。その考え方は正しいのか。悪魔とはいったいどのような存在であり、どのようにしたら悪魔から身を守ることができるのだろうか。
凶悪犯罪は悪魔の所業?
悪魔といっても、物語や映画の世界で見たことはあっても、通常はどんな存在なのか、イメージしにくいかもしれない。
だが、それは私たちの生活と無関係のものではない。
長崎県佐世保市で、女子高校生が同級生殺害の疑いで逮捕されるというショッキングな事件が起こった。こうした凶悪事件の犯人は、「悪霊」や「悪魔」の影響を受けていることが多い。
1997年に神戸市須磨区で起きた「神戸連続児童殺傷事件」では、当時14歳の少年が逮捕された。新聞社に送った犯行声明文には「透明な存在であるボク」という言葉が使われていたが、まさに目に見えない悪霊という存在が彼に影響を与えていたと考えられる。
さらに、統合失調症、多重人格といった、医学的には精神病に分類される症状も、たいていは悪霊や悪魔によるものである。
特に悪魔に影響を受けている時には、「死ね」という自殺を勧める声や「殺してやる」という声が聞こえてくるようになるという。
特に今は、悪しき情報に接する機会も増えたためか、子供のうちから小悪魔の影響を受ける人も増えているようだ。
では、悪霊、悪魔は、どのようにして私たちに影響を及ぼしてくるのだろうか。それを理解するヒントが「波長同通の法則」だ。
心から出ている波長が似ている者同士は引き付け合い、影響し合う。そのため、"彼ら"と似たような悪しき思いを持たなければ、遠ざけることができる。
とはいえ、悪魔の場合は力が強いため、神仏の教えを広げようと努力している善なる人に対しても攻撃を仕掛けてくることがある。彼らから身を守るためには、宗教修行や神仏を信じる仲間との連携が必要になってくる。
幸福の科学グループ・大川隆法総裁は、「エクソシスト概論(Q&A)」と題した質疑応答を通じ、「エクソシスト」や「エクソシズム」について、さまざまな角度から説いた。
悪霊、悪魔とはどんな存在なのか
宗教には、表現は違えど「悪魔」と呼ばれる存在が登場する。
キリスト教では、ルシフェルやベルゼベフと呼ばれる霊的存在が「おまえが神の子なら、この石を変じてパンにしてみよ」などと、イエスを折々にそそのかし、惑わしているエピソードが知られている。
また、仏教においては、釈尊が悟りを開く前に、悪魔が邪魔をしてきたことが、仏典などに記されている。
イスラム教でも「ジン」という砂漠地方の悪魔が出てくる。
悪霊、悪魔は神仏のアンチテーゼとなる存在だが、そもそも彼らはなぜ存在しているのか。特にキリスト教では、「神がこの世界を創られたならば、なぜこうした神仏に歯向かう存在を創られたのか」といった問いが繰り返されてきた。
実は、悪霊や悪魔は、神仏が意図して創られた存在ではない。彼らは、本来は神仏の子として創られた人間だった。私たちの心は自由であり、神仏と同じような思いを持つこともできれば、神仏と敵対するようなマイナスの思いを持つこともできる。神仏から与えられた「自由性」を間違って用いてしまったのが、「悪霊」「悪魔」と呼ばれる存在だ。
悪霊とは、この世に生まれた時に「足ることを知らない欲望、愚痴、不平不満、猜疑心、欲求不満、劣等感、自己顕示欲」といった煩悩にとらわれ、反省することなくあの世に帰って迷っている魂のことである。
一方、悪魔とはより積極的に「人々を害し、転落させよう」という悪意を持った存在である。特にこの世において、宗教家、思想家、政治家など、リーダー的立場にあった人で、自らの権力欲のために人々を恐怖に陥れたり、大勢の人を思想的に狂わせたりした人は、死後に悪魔となっているケースが多い。
本収録で、大川総裁は「人間として生きたときにかなりの悪業を積み重ね、死んで地獄に行って、千年、二千年と出てきてないようなタイプの人は、普通の悪霊とは言えず、悪魔と化している」と指摘し、彼らと戦うカギとして、「日々の精進から出てくる法力を身につける」「信仰心を高め、同じ信仰を持つ仲間で戦う」といった点を挙げた。
統合失調症などの心の病から立ち直るには
近年、精神疾患で病院にかかっている患者数は大幅に増えつつある。2011年には320万人もの患者が、医療機関で何らかの精神病の治療を受けている。
だが、現代医学においては、精神病の原因は明確になっておらず、投薬治療か入院しか有効な治療手段がない。たとえば、統合失調症で精神科に入院している患者の4割が、3種類以上の抗精神病薬を処方されているとの調査結果が明らかになった(2013年8月20日付朝日新聞)。だが、3種類以上の薬を飲んでも治療効果はあがらないばかりか、むしろ副作用リスクが高まる。
精神病の治療のためには、霊的な視点が不可欠だ。統一した人格を維持できず、自他を傷つける行為が増える人は、たいてい、悪霊や悪魔といった存在に影響を受けている。
この場合、自分がどのようなマイナスの思いを発しているのかをよく見つめ、反省する必要がある。
さらに、本法話では、この世の役職や経験からくるプライドを捨てて、正しい宗教に帰依する気持ちになれば、守る力は強くなると語られた。
とはいえ、長期間にわたって悪霊や悪魔の影響を受けてきた場合は、悪しき部分を取り除こうとすると、本人の人格が崩壊する場合もある。ゆえに、悪霊と同通する思いや行いを反省すると同時に、「その人が気づいていない良さ、優れている点、苦労の中で耐え抜いたところは立派であるといった、新しい柱を差し込んで、自我を支えてやりながら、真理を注ぎ込んでいく作業が要る」との"処方箋"が示された。
一方、高級霊からの指導を受けている場合も、統合失調症と同じような症状が現れることがある。
例えば、映画「ビューティフル・マインド」のモデルとなった数学者のジョン・ナッシュ氏は、「学問的には天才性を発揮したが、異常の世界に入り込んでいる」と考えられていた。
だが、大川総裁は著書『「未来産業学」とは何か』において、純粋で透明になって真理に向かっていくとあの世に通じていき、あの世のいろいろなものが見えてくることもあり、ナッシュ氏は狂っていたわけではないという"判定"を行っている。
このようなケースに対して、大川総裁は以下のようなアドバイスをした。
「高度な霊能力を持ちながらも、この世的な判断力、仕事力、実務力とか、こうしたものを失わないことは、正気を失わないためにも非常に大事な訓練である」
霊現象の中には、最初は高級霊のフリをして徐々に道を誤らせていく悪魔によるものや、高級霊が指導していたが、指導されている本人の慢心や認識不足によって悪霊の指導に入れ替わっていくケースもある。そうした意味で、この世的な「重石」をかけ、霊的になりすぎないことも、悪霊や悪魔から身を守るためには大切なことのようだ。
先祖供養の問題点
最後に季節柄、先祖供養の問題にも触れておきたい。
お盆の時期には、先祖供養やお墓参りが各地で行われる。そのためか、「夏のお盆頃の一週間ぐらいは地獄の門が開くらしい」(経典『幸福供養祭特別御法話』より〔幸福の科学の精舎、支部で頒布〕)とのことである。
ゆえに、お盆の時期に先祖に感謝を捧げ、万が一、地獄で"修行"している先祖がいたとしても、正しい宗教の知識を学んだ上で「あなたの心の間違いはこの点です」と教えてあげるという意味での「供養」は、大事なことであり、先祖に対する「愛の行為」といってよい。
だが、一部の宗教では、「先祖が迷っているために、あなたの不幸が続いているのだ」と先祖供養を推奨する。こうした場合は、先祖供養が「責任転嫁」の論理となってしまう。
先述したように、悪霊や悪魔の影響は「波長同通」の原則に基づいて起きる。たとえ、不慮の事故が続いたり、経済的苦境が現れたりといった、誤った生き方をして迷っている先祖の霊が原因と思われる不幸が起こっても、それは自分自身が呼び寄せているのだ。
子孫の「救われたい」という「奪う愛」の思いと、先祖の「助けてほしい」という思いが同通するとどうなるか。
「『毎月毎月供養しなさい』とだけ言われて行っているうちに、本人もだんだん暗い想念に包まれて、悪霊憑きになっていく。それで、自分の先祖でもない、他人様の迷っているようなものを引き付けて、コールタールに浸けられている感じになっているところもある」
先祖供養にも善悪がある。その判断基準は「自己責任の原則」があるかないかという点だ。
大川総裁は、「最終的には、(供養される人)自身が原因結果の法則をよく知って、生前の行為の中でここを反省すべきだと気がついて反省しなければ天国には上がれない。それが分からないなら、まず子孫がそれを実践してみせることで、彼らにもそれを伝えることができる」と、正しい先祖供養のあり方を語った。
本収録では他にも、以下のような点について触れられている。
- 導師によって、エクソシスト能力にはどれほど違いが出るか
- 悪霊撃退系の祈願を受ける側の心構え
- 仏教の「三法印」と、エクソシストの関係とは
- 法力とは何か。法力はどのようにすれば強くなるか
- 悪魔が狙ってくるのはどんな人か。悪魔のレベルの見抜き方とは?
- 悪魔に人格を破壊され、引き返せなくなるところまで行かないために
- 宗教における救世運動が大きくなってきたときに心がけるべきこと