箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著
「病の時に読む言葉」98 「反省」もまた、神仏に近づくことだと悟った幸福。
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人は良くグチりますね。そのグチの内容は他人を批判する、自分を卑下する。また、嫉妬も良くしますね。その内容は、自分より先に儲けたとか出世したとか。そして自分の境遇を悲しんだりと、自分の思うようにならない事に悩みます。
幸福の科学の教えは、この思うようにならない自分とは偽物の自分であると教えられています。なぜ偽物か?とは、本来の自分とは、生まれる前には天国で幸せに暮らしていたのです。不満もない生活が長年続くと魂の停滞となり、もっと神仏に近づくためには魂を磨くことが重要です。故に魂を磨く(磨くとは環境は悪いことです。)ためにこの世に生まれてきたとの教え(いや教えや考え方ではなく事実なのです)なのです。だから、自分で選んで生まれてきたのですから、不平不満は当たりまえなのです。
しかし、魂の向上になるには、この不平不満を乗り越えることが必要で、その方法が日々の反省です。
それは本来の自分(=天国にいた自分)を思い出し、因果応報や波長同通の法則にてらして、反省をして悪い境遇を乗り越えたときに、魂の向上になるのです。
だから苦労のない人生では魂は磨かれないことになります。
せっかく魂を磨くために悪い環境を選んで生まれたのに、不平不満の人生で終われば、地獄へ行って勉強のし直しをするのです。勉強が終われば天国に戻り、さらに魂を磨くために再び人間の肉体に宿ることを永遠に繰り返して来ているのです。これを転生輪廻と言います。
魂の向上が進むと、さらに厳しい環境を選ぶことになります。すると、いざ生まれていみると、他人と比べて最悪の人生を歩んでいるのです。
この時、自分の不遇を嘆くか、これを学びとするかは、その人の悟りのよすがになるのです。
こうして何万回も生まれ変わりの人生を繰り返すときに、魂の向上に必須となる仏法真理を学ぶことができることが最大の喜びになるのです。すなわち、神仏の願う方向に自分の生きざまを合わすことが最大の喜びになるのです。
このシステムに気付くことが悟りの一部になりますね。