あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

「人格をつくる言葉」③ 傷つくまで人を愛したことがあるか。

2024-06-30 11:45:44 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」③ 傷つくまで人を愛したことがあるか。

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 傷つくまで人を愛するという事は、愛の告白をして断られた場合ではなかろう。それはまだ相手にされていないだけである。自分だけで傷ついただけである。
この言葉は、相手にも好きになってもらった関係(恋人や夫婦)になってからの愛であろう。
 心から愛した相手が、打算で結婚した人の場合は、事業に失敗したり失業したりしたすると、金の切れ目が縁の切れ目になる。たとえ相手が打算で一緒になったとしても、それでも愛するのは、傷つきながらも愛していることになる。

自分も打算的になれば、気が楽になって別の異性へと心を移せばよかろう。
これは凡人の愛に終わる生き方である。
本当の愛とは何かを考えると、与え切の愛しかなくなるのではなかろうか。

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「人格をつくる言葉」② 自分の自我が傷つくことを怖れている人は、まだ愛に目覚めていない。

2024-06-29 17:50:42 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」② 自分の自我が傷つくことを怖れている人は、まだ愛に目覚めていない。

コメント
 自分の自我が傷つくときは、与えた見返りがない、あるいは、ひどいことを言われたなどのときであろう。
愛を与えたのに見返りがないと思うのは、本当の愛ではないのです。
愛を与えたら神様からいただけるのです。人間から求めるから苦しむ=傷つくのです。
また、愛をもらったのに、感謝をしないと、貪欲なやつだと非難されるのです。
 やはり、ひどいことを言われるのは、それなりの原因を自分が作っているからです。
自分とは関係ないと思われる他人からの嫉妬は、自分への優遇が当たり前とか、天狗になっていることが原因となっているのです。
与える愛に徹すれば、気づくつことを怖れなくなりますね。
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「人格をつくる言葉」① 愛の原点は、何かをおねだりすることではない。

2024-06-28 12:09:58 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」① 愛の原点は、何かをおねだりすることではない。

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 生まれてから、肉体の要求に従うのが当たり前として育ったのが普通です。
しかし、成長に連れて、自分のわがま(肉体の要求)だけではいけないことを学びます。そして思春期になると異性を意識し、好きになる相手が現れ、この好きな感情が強くなると世間で言う「愛」であると知ることになります。
でも愛するのは、見返りを求めています。愛を伝えてのに拒否されたら、失望して人生を誤った方向に進む人もいます。
また、愛してほしいと望むのは当たり前と思うのも普通です。
基本的に、親は子供を養って当然と思うのは、愛されて当然と思うのと同じです。親が子供に望むのは見返りを求めない場合は与える愛であり、将来は親の面倒を見てくれて当然と思えば、「奪う愛」です。
見返りを求めるから苦しむのです。
それは「奪う愛」なのです。
普通の愛だと考えているのは、動物の愛と同じです。
異性を独占したり隷属したり、思うように仕立てたりは、すべて奪う愛です。

 一方、「与える愛」は見返りを求めない意識しないのです。
人類を創られた神様は、生きるための欲望を与えてくれました、それだけでは苦しむので、欲望をコントールして、他人に与える愛をしなさいの教えを人類におろしました。
 だが、神様の教えを蔑ろにした人達は、欲望を抑えることをせずに、人類を戦争や殺し合いの歴史を続けています。
愛の原点を忘れているからです。
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「病の時に読む言葉」100 真の仏陀の教えに帰依することの、根源的な喜び。

2024-06-27 22:21:28 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」100 真の仏陀の教えに帰依することの、根源的な喜び。

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 帰依するとは、何らかの神様を信ずることを意味します。
世界宗教のキリスト教、イスラム教、仏教、神道、ユダヤ教など、その他の民族神など多数あります。いずれも地球神ではありません。
 なぜなら、多数の宗教の教えに通じている共通の部分があり、時代や民族の違いで異なるだけであり、例えば、イエスが天に向かって「天にましますわが父」、アラーの神、ユダヤ教でエローヒムと言われる神様を地上に送り込んだ神様がエル・カンターレなのです。だからその違いや間違いを指摘できるのです。それは地球の神様でなければできないことなのです。
すべての教えを説明できるからです。
これが真の仏陀になのです。
信じる相手が偉大であれほど、その信仰は偉大であります。
地球神、いや宇宙神に帰依するとは、地球の歴史上ありえないことになります。
 最大最高最尊の神様=エル・カンターレを信じた人たちの魂は最高最大の喜びになるのです。
複数の宗教の良いところだけを取り込んだに過ぎないと思う人達は、自分が神様となっている人達です。
「自分の信じることに都合の悪い場合は認めない。」とね。
人間のおごりにならないように素直な魂になりましょう。

これで、「病の時に読む言葉」の掲載とコメントを終わります。
読んでくださった方にお礼と感謝を申し上げます。
ありがとうございました。😇 😄 
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「病の時に読む言葉」99 天国も地獄も、「仏法真理」の下にあることの安らぎ。

2024-06-26 14:54:08 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」99 天国も地獄も、「仏法真理」の下にあることの安らぎ。

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 宇宙を創られ地球を創られ、人類を創られた愛の神様=エル・カンターレ神は「仏法真理」も創られたのです。「仏法真理」には愛が詰まっています。その愛とは「与える愛」です。
反対の「奪う愛」(欲望のままの生き方)を選ぶと、魂を消すのではなく、地獄で再教育をすることになっています。
故に、
 天国は「仏法真理」を知っている事が第一、「仏法真理」を実践しているとより高次元の天国へ行けることになります。

 浅い地獄は、「仏法真理」を知らない人が行き、「仏法真理」に逆らって自分本位の人たちが行くのは深い地獄へと落ちる世界である。

魂は地獄へなんぞ行きたくはないのです。しかし、神様の教えに逆らえば地獄行きなのです。逆らわない方法は「仏法真理」の存在を知り、学ぶことです。
 その存在を知っていれば、言い換えれば、知ってさえいれば、周り水戸をしても、遅くなっても天国へ行ける保証となるから、安心ですね。
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「病の時に読む言葉」98 「反省」もまた、神仏に近づくことだと悟った幸福。

2024-06-25 08:54:07 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」98 「反省」もまた、神仏に近づくことだと悟った幸福。

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 人は良くグチりますね。そのグチの内容は他人を批判する、自分を卑下する。また、嫉妬も良くしますね。その内容は、自分より先に儲けたとか出世したとか。そして自分の境遇を悲しんだりと、自分の思うようにならない事に悩みます。
 幸福の科学の教えは、この思うようにならない自分とは偽物の自分であると教えられています。なぜ偽物か?とは、本来の自分とは、生まれる前には天国で幸せに暮らしていたのです。不満もない生活が長年続くと魂の停滞となり、もっと神仏に近づくためには魂を磨くことが重要です。故に魂を磨く(磨くとは環境は悪いことです。)ためにこの世に生まれてきたとの教え(いや教えや考え方ではなく事実なのです)なのです。だから、自分で選んで生まれてきたのですから、不平不満は当たりまえなのです。
しかし、魂の向上になるには、この不平不満を乗り越えることが必要で、その方法が日々の反省です。
それは本来の自分(=天国にいた自分)を思い出し、因果応報や波長同通の法則にてらして、反省をして悪い境遇を乗り越えたときに、魂の向上になるのです。
だから苦労のない人生では魂は磨かれないことになります。
せっかく魂を磨くために悪い環境を選んで生まれたのに、不平不満の人生で終われば、地獄へ行って勉強のし直しをするのです。勉強が終われば天国に戻り、さらに魂を磨くために再び人間の肉体に宿ることを永遠に繰り返して来ているのです。これを転生輪廻と言います。
魂の向上が進むと、さらに厳しい環境を選ぶことになります。すると、いざ生まれていみると、他人と比べて最悪の人生を歩んでいるのです。
この時、自分の不遇を嘆くか、これを学びとするかは、その人の悟りのよすがになるのです。
 こうして何万回も生まれ変わりの人生を繰り返すときに、魂の向上に必須となる仏法真理を学ぶことができることが最大の喜びになるのです。すなわち、神仏の願う方向に自分の生きざまを合わすことが最大の喜びになるのです。
このシステムに気付くことが悟りの一部になりますね。
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「病の時に読む言葉」97 日々「正しき心の探求」が続けられる喜び。

2024-06-24 12:15:00 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」97 日々「正しき心の探求」が続けられる喜び。

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 「正しき心の探求」は幸福の科学の基本的な教えである。
生まれて欲のままに生きている心は、本来の自分ではなく、肉欲にまみれた偽物の自分になっているので、本来の自分の心は?と常に探求することは、間違った人間にならないための方法なのです。
探求をやめたら、間違った自分ができるので、続けている自分の心は常に正しい方向に修正しつつあるとの自覚は、喜びである。
 事件や事故、そして悪魔のささやきから逃れるための、「正しき心の探求」は心のハンドルなのです。
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「病の時に読む言葉」96 貧者の一灯。貧しくとも神仏に感謝できることの喜び。

2024-06-23 08:57:45 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」96 貧者の一灯。貧しくとも神仏に感謝できることの喜び。

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 感謝を形にしたものにお布施があります。お布施の功徳は額の大きさではなく、個人の持てるすべての財産をどれだけ差し出すかの比率です。
 金持ちがする多額のお布施は、おおきな力となって働きます。組織力を大きくするものでありますから、多くの人達から感謝されるでしょう。
貧者のお布施は少額ではありますから、お金の力は弱いものです。

 ここで、信仰心の大きさや深さを考えた場合、神仏への感謝の大きさを形にしますね。そして、現在の財力の何%を差し出すかになります。
もし差し出したら明日からの食べ物に苦労することが分かっていても、命を差し出す気持ちは80%以上ではないでしょうか。
 お布施をする人の差し出す割合が大きいほど神仏への感謝は命がけになります。金持ちの80%は、全財産を差し出して明日から貧乏人となる覚悟と同じくらいかもしれません。
このように、貧者の一灯の方が命を差し出す割合が大きいから、形だけ(お布施の額)では決められるものではありません。
 要するに、いずれはあの世へ帰るのですが、あの世にはお金がないのです。もちろんお金を信ずる人たちはお金をイメージして生きていますが、高級霊になると物質ではなく、神仏への感謝の念がお金の代わりになります。
意外に、貧者の方が高級霊になれる可能性が大きいということになりますね。
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「病の時に読む言葉」95 自分が不成仏霊にはならないと悟っている喜び。

2024-06-22 08:52:04 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」95 自分が不成仏霊にはならないと悟っている喜び。

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 不成仏霊(ふじょうぶつれい)とは天国へも地獄へも行けず、自分が死んだこともわからず地上を幽霊となって彷徨う魂である。
この世に執着(財産や憎しみ、苦しみなどにとらわれている心)を持ったままであると、不成仏霊になるのだ。
 執着を捨てる最大の修行は自分の欲望(我)を捨てることで、手っ取り早いものに「お布施」をすることがある。
お布施は宗教組織に多いが、見返りを求めるお布施(ご利益信仰)では執着を取れません。
 この教えを知るには、本当の宗教を学ぶ必要がある。あの世は無いとする間違った宗教を信じると、簡単に不成仏霊になります。
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「病の時に読む言葉」94 人を愛することができる喜び。憎んでいた人と和解できる喜び。

2024-06-21 09:02:35 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」94 人を愛することができる喜び。憎んでいた人と和解できる喜び。

コメント
 自分の考えを相手に伝えられる喜びがある。それは、相手の気持ちが理解できる時の喜びと相対するものである。言い換えれば互いに理解し合える間になるということである。
 憎む場合は、自分の不利益になることを相手からされた時である。その憎む相手とは、先に自分の行いや言葉で傷つけたことへのお返しであったことであろう。
無関心であったならば、憎むことはない。
この原因結果(因果の理法)に気づけば和解できるのである。
和解の方法は、先に反省することである。つまり現在自分の心を乱している人=憎んでいる人と和解でき、この心の乱れがなくなることであろう。
憎んだまま墓場へ持っていく必要はなくなるからである。
実は死んでからあの世へ持っていけるのは心だけなのである。墓場まででは終わらないのである。故に憎んだまま死ぬと、地獄行きになるから、和解しておけば魂の喜びになるのです。
嬉しいことではないだろうか!
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