うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

改ページの怪

2011年06月15日 | 忘れかけていたこと

エクセルのファイルの印刷がうまくいかなくなった、見てほしいと、2年ぶりに知人から電話があり、出かけて行った。

支払の計算表だが、入力・印刷用シートと、振り込み手続き用シートを別にして、振り込み手続きが済んで印刷ボタンを押すと、前のシートに戻って印刷ができるようマクロを組み、範囲指定やページ分割の操作を自動で行うようにしてあったものである。

行って見ると、印刷が最上部の3行しかできない。
印刷範囲を設定しなおして手動でやってみるが結果は同じ。

シートを見ると、ページ区分のような点線が、表の途中に何本か入っている。最初の1本が3行目の下にあって、ここで印刷が終わってしまうのだった。
改ページ設定がされるとそれをまたいで印刷範囲を設定しても、印刷は改ページの区分を優先してしまうのだ。

新エクセルのあのややこしいリボンから改ページメニューを探し出し、解除コマンドを実行してみたがだめ。そうだ、エクセルは、セル指定をしてからでなければいうことをきいてくれないのだった。
3行目の下のセルをアクティブにしてもう一度解除コマンドを実行、線が消えた。次々に引かれている改ページ線を消していき、元に戻った。

なぜいくつもの改ページが入ってしまったのか。
それがわかるようなら、そんな状態にはならなかったはずである。
およそパソコンのトラブルは、なぜそうなったかがわからない。修復には、どうしたらよいかでかたがついてしまう。
なぜを問えるのは、繰り返し同じ間違いをしたときしかないだろう。
同じ間違いはしてもらいたくないのに、そうしないと原因が探れない。
こういうのをジレンマと呼ぶのだろうか。


明暗

2011年06月14日 | 忘れかけていたこと

明暗を「みょうあん」と読むと、妙案と混同する。

「明暗」という漱石の未完作品がある。
これは「めいあん」ではなく「みょうあん」だという説をどこかで読んだような気がしているが、これはあやしい記憶。
他の作者が「明暗」を書いて、こっちは「みょうあん」だ、別物だと言ったのかもしれない。こちらは創造説でなおあやしい。

「明暗」の字を見ると「めいあん」より先に「みょうあん」という読みが頭に浮かぶように、いつのまにかなっていた。

たくさんの花の集まりのような、一つ、一輪とは言いにくい花がある。
何年か前のこと、そういう花はどう数えるのだろうかと書いておいたら、ひと房でしょうと教えてもらったことがある。
公衆便所の落書きぐらいにしか思っていなかったインターネットが、それ以来、顔も見たことのない方から何でも教えてもらえる素晴らしいものだと思うようになった。

インターネットの記事も明・暗、真・偽、信・不信、それぞれ半々ぐらいのものだと思っているが、いまだにカタカタと毎日手を動かすのは、明暗の向こうにある何か、ブラックホールほどには強力でなくても、グレイホールぐらいの魔力に引っ張られているのだろうか。


モフ字

2011年06月13日 | 忘れかけていたこと

両側から手を入れる筒型の手袋、マフと呼ぶそれに似た感じの文字、と言ってもわからないだろう。
モフモフした感じの文字のひと揃いが提供されている。(吉田淳氏紹介)

角張ったところが全くない、隅からすみまで曲線でできている。
印刷も自由、ただしサービスマークへの使用はお断りとある。
半角、全角、ギリシャ文字も、ロシア文字も入っている。

 http://www.adachieve.info/mofuji.html


消えた!

2011年06月12日 | 忘れかけていたこと

パソコンの勉強会では、使うパソコンを決めておき、練習用ファイルはデスクトップに保存しておけば、次に始めるときにすぐ呼び出せる。
病気持ちかもしれないあやしげなUSBメモリーなど抜き差ししないでよいから安全でもある。

だが、始めようとしたがファイルが見つからないという人が現れた。
デスクトップには確かにない。念のためにとマイドキュメントも覗いてみたが、そこにもない。
「消されちゃったかもしれません」と言ったら、半ばあきらめ顔だったが「スタートのときWindows 7 にしたけれど、いいのでしょうか」と気づいてくれた。そこに気付くとは相当なもの、冴えている。

いったんシャットアウトして、Windows 7 でないほうを起動させたら 入れ替え作業に時間がかかったが Windows XP が出て、お目当てのファイルが見つかった。

2種類のOSを使えるようにしてあると、だまって動き出すほうをつかまえることになる。こうして無作為選択からはじめると、とんだファイル喪失疑惑も起きることになる。

さて、共用の勉強会用パソコンは、どういう使い方がいちばん良いのだろうか。


次々と

2011年06月11日 | 忘れかけていたこと

ツイッターやフェイスブックを、まだ使いこなすまでになっていないのに、もう次が現れた。

フォースクエアという名のついたそれは、どんなものか。

https://ja.foursquare.com/

このトップ・ページで、絵に示した赤い矢印の先をつついてみると案内してくれる。
英語の嫌いな人も、2~3度見ていればおよその見当はつくだろう。
こう書くと、なかには「トップ・ページのどこにも矢印なんかないぞ」という人が出てくる。まあごゆるりと。

Wikipedia にも概要の説明があるが、これは読んでもわかりにくく、頭が痛くなってくるのでやめた。


DVD

2011年06月10日 | 忘れかけていたこと

You Tube の画像と音声をDVDに入れたい、と言う人がいた。
みんなに見てもらいたいので配りたいとのことである。
直接見てもらえばいいではないかと思ったが、その人がなぜそうしたくなったのかを考えてみる。

DVDは見ることができても、You Tube を見られる環境にない。つまりインターネットを見ない人がいる。そういう人に情報を与えたい。
そうか、そういう人もいるだろう。だが、さらに疑問が湧く。

その人が報せたいという情報は、何度も繰り返してみるほどの価値を持ったものなのか。
自分が感慨を得たから人もそう思うだろうという思い込みはないのか。
その情報経路を通過する条件で認められているものを、別の経路を設けまたそれを増幅するようなことが、法に適ったことか、また道義にはずれないことなのか。

配りたいのが誰の話ということまでは聞いた。
しかし、やや偏執に満ちたその話の主は、時宜を得てもてはやされてはいるものの、自分の見たいところだけしか見ないという態度を堅持している。
持論の裏付けも、データがあるあると言いながらその場では示さない。
N町方式と大して変わらないのではないかという気さえしてくる。

それから推せば、何が何でもDVDに詰め込んで関心を湧き起こそうとするには格好の題材というほどのことでもなく、情報の中味よりも、その入れものを配ることに興味があってのことではないかと、勝手な想像をしているところである。

そもそもDVDは、画像と音声を保存したい人が増えたからできたというよりも、DVDの装置が売り出されたから、画像と音声を、繰り返し見聞きするでもないのに貯めこむ人が増え、そして配りたい人が出てきたのだ。


対抗するもの

2011年06月09日 | 忘れかけていたこと

MacのOSの広告が出た。
7だ8だと攻め立てるあれよりもずっと安価。

使ってみてないからわからないが、画像の扱いはMacの勝という説を、いつかどこかで見聞きした。
2台持って比べてみて、役割分担を決めるなどという酔狂なことは、20年前にいまの値段ならできたかもしれないが、そんなことをするほどの元気は湧かない。

ところで、あの「20年前のお値段です」という売り声を、近頃聞かなくなった。
市場価格の推移というものに漸く気づいたのだろうか。


出る出る

2011年06月08日 | 忘れかけていたこと

まだ7にもしてないのに、もう8が出た。

ウインドウズは次々に新しいバージョンを出してきて、さあ早く買い換えなさいと言う。
タッチパネルがウリらしいが、デスクトップではそんなものはいらない。
ディスプレイがべたべたしてきて気持ちが悪そうではないか。

この次はどんなものを出してくるのだろう。
素人に予測はできない。
予測できるようなことは、開発の価値がないから、わからないのが当りまえ。


お不動さん

2011年06月07日 | 忘れかけていたこと

「不動コンピュータ」と書いてあったかどうか、標題ははっきり覚えていないが、コンピューターが動かなくなってしまうのはなぜか、という記事があった。

それによると、コンピューターは動かなくなることはありません、というのだ。
使う人間が動かさない状態を作ってしまうだけのことであるという。

パソコンも情が移ると、相当な無理難題を仕掛けても、まあいいかと動いてくれるのもあるらしいが、度を越せば一旦停止してしまう。
それを人間は勝手に「トラブル」と呼ぶ。
パソコンのトラブルではなく、使い方のトラブルが、パソコンをお不動さんにしてしまう。

トラブルと言えば、動かなくなるのもトラブルだが、止まらないトラブルもある。
個人情報流出なども、一種のトラブルである。
なぜ流出が起こるかと言えば、流れ出るものがあるからなのだ。
そこにないものは流れ出ようがない。
なくてもよいものをいつまでもぐずぐず溜めておくから、流れ出てトラブルを起こすことになる。
たとえば、1年以上交流のない人は、知人でも客でもないとしてしまえば、データの保存の必要はなくなる。
流出防止のカギは、流出物を持たないこと。

まことにわかりやすい、不動の原理なのだ。


肌合い

2011年06月06日 | 忘れかけていたこと

物まねの達者な人は、声、しぐさ、ときには顔つきまでまねるが、肌合いをまねることはできない。

人それぞれに、またモノにはモノの、肌合いというものがある。

筆の確かな人は、どんなモノもそれらしく描きあげるが、それが絵であると承知しているからそう見えるので、写真の画面の中にそれを貼りつけても、実物を写真にした画像にはかなわない。
いやフェルメールの絵は写真以上だという人もいるはず、さからうつもりはない。

コンクリートからはじまって、13種類の物質の肌合いの画像が提供されているサイトがある。
写真画面で合成を試みようとする人や、モノの肌合いを背景画像に使ってみようかという人にはたいそう便利だろう。

"Texture King"  (吉田淳氏紹介)がそれである。
⇒ http://www.adachieve.info/t_king.html


写真

2011年06月05日 | 忘れかけていたこと

東京中を自転車で走り回って撮影し、1,300枚以上あるその写真をどうぞ使ってと無償提供しているサイトがある。

覗いてみると、いちばん最初は国会議事堂。
後ろ側に背の高い建物が建って景観を損ねているが、これぐらいなら、Oさんに教えていただいたフォトフィルターのクローンスタンプ技法を使えば簡単に画面からなくすことができる。
ないものをあるように直すのは大変だが、あるものをないように見せるのはごく簡単、この建物のなかでも同じようなことが行われているのかと思うと、妙ちくりんな気がする。

挿絵などにちょっと使わせてもらうにはたいそう便利。
⇒ http://www.adachieve.info/all_tokyo.html (吉田淳氏紹介)


むほんぶん

2011年06月04日 | 忘れかけていたこと

謀反文ではない。

本分を忘れたか、なかったと思うことにしているのか、毎日聞かされるあの手の話ではない。

本文のないメール、無本文のはなしである。

人間のすることには必ず間違いが出る。多いか少ないかだけのこと。
間違ったときに違うよと言ってもらえれば、そこで止めることができる。
間違いましたは、あまり広がらないほうがよい。

ホームページから何か書き込むとき、赤い字が出て、これこれの項が記入されていませんと知らされることがある。

メーリングリストのメールにも、そういう仕掛けを作れないものだろうか。
無本文メールはマルメール扱いにして管理人のところで受信拒否にする。
そうしてもらえると、私らのように、白紙ON!と、ときどきやってしまう者にはありがたいのだが。


殴り書き

2011年06月03日 | 忘れかけていたこと

殴り書きのメモは自分でよく作るが、パソコンで使うフォントにも殴り書きと自称するものが現れた。

http://www.adachieve.info/s2g.html (吉田淳氏紹介)

サンプルを見た限りでは、さほどひどい殴り書きではなく、ちょっと太めで型を崩したぐらいのものである。

ポスターやビラなどには、整い過ぎたありきたりの字よりも目につきやすくてよいかもしれない。


書いてある

2011年06月02日 | 忘れかけていたこと

別のブログに、自分で書いたのに読めないメモのことを書いた。
http://blog.goo.ne.jp/awahiro(走り書き:2011/05/20)

全く役に立たないそんなものではなく、メモを几帳面にしっかり書く人がいる。

その人にとって、メモはきっと知識の宝庫のようにだいじなものなのだろう。

「この間教えてもらったときのメモに、画面を拡げたり縮めたりするにはこのマークのところをクリックすればよいと書いてあるんだが、そのマークがどうしても見つからない。どこにあるんだろう」と質問を受けた。

ないものを探してくれというご注文、これは応対が難しい。

もの探しは、「ある」と思ってしなければ、なかなか成就しないからである。

「どうしてもそのマークを使いたいのですか」
「ここにこの通り書いてあるから」
書いておいてくださいと言ったわけではないが、ノートに+-を書き込んだ印を見せられると、「みつかりません、眼が悪くなってしまって」とN町流回答法でお許しを願うしか手がなくなる。

半ばの不満を抑え込んだまま、次の質問に移る。
別のソフトを立ち上げたら、+-マークが出てきた。おお神よ、お救いくださってありがとうございます。


尻尾

2011年06月01日 | 忘れかけていたこと

あってもどう役に立つのか、使ってみなければわからないのが尻尾==--。
人間にはついてないことになっているが、ときどき出す人もいるから、全くないわけでもなさそう。
近ごろはやりのエアなんとかとは少し違う。いや、エア・テイル、これは面白そうか。

けものにもメーリングリストのメールにも、たいだい尻尾がついている。
メーリングリストとけものを一緒にするのかと、ひそめられる眉も想像はつくが、けもののほうは話のついでに出したまで、異種合金の接続実験材ほどでもない。

さて、ある方がメーリングリストを使って送信したメールに、尻尾がないのが気になりだした。他の方が送信したメールにはいつも尻尾がついてくる。
普段は消すのが面倒ぐらいにしか思わない尻尾なのだが、ついていないと気が付けば、なぜだろうと考えはじめる。

その道に明るい fさんから HTML形式のせいではないかと教えていただいた。
それを確かめるには、まずメーラーに何を使っていらっしゃるのか知らなければとお尋ねメールを出したが、そのことなら、該当メールのヘッダーで、「X-Mailer: 」の項を見ればわかるとのこと。

見れば確かに X-Mailer: YahooMailClassic/6.0。


さてさて、目の前にいない方に、何かの設定手順を知ってもらうには、いまのところ Skype がいちばんよさそうなのだが、まず加入の意思を持ってもらわなければままにならず。

さてさてさて、どうしたらよいのでしょう。
自分の尻尾を咥えてみたくなった犬のような、今はそんな気分。